おっと、バタバタしていたら2月に突入してしまっていました・・・。
営業についてですが、詳細はまた直前にお知らせするとして、とりあえず2/14[火]より再開させていただきます。なお2/14[火]~19[日]まで、moiではイラストレーター糸乃(しの)さんの個展が開催されます(お待たせしました!)。
できれば来週末くらいから再開したいところなのですが、MRIの検査や治療などが集中してしまったので準備が間に合うか微妙なところです。しばらくは、まだ不規則な営業になってしまうかと思いますが、何卒よろしくお願い致します。
見目も麗しいこちらのシナモンロール、それもそのはず日本が誇る高級ホテル「ホテルオークラ」のシナモンロールでございます。
典型的な「アメリカンスタイル」を踏襲しつつも、全体的に「造形的」とでもいいましょうか、均整のとれたプロポーションがうつくしい、なんともセレブなシナモンロールであります。
もちろんお味のほうも上品そのもの、いかにもホテル・メイドといった感がございます。甘さもスパイスの風味もすべてにおいて控え目なところは、さながらそつのないベテラン給仕の身ごなしのようでもございます(意味不明?!)。さらに、パン生地のきめ細やかさにいたってはまさに上等な御菓子のようでもあり、「生まれの違い」を静かに主張しております。
しかしながら一方で、しょせん「シナモンロール」なんて下世話な庶民のくいものじゃんと思わざるをえないのもまた事実でございまして、もっと本能に生きろよ!などと思わず説教をたれたくなるような、なんとも「不思議ちゃん」なシナモンロールといえましょう。おかげでわたくし、その存在感にすっかり調子狂いっぱなしでございます。では、ごきげんよう。
あさって2/5[日]放送のテレビ番組「世界遺産」は、満を持して「森の火葬場(スコーグスシュルコゴーデン)」の登場です。ストックホルム近郊にあるこの場所がいかにひとの心を打つ空間であるかは、ぜひこちらをご覧ください。どうぞお見逃しなく!
身近なモノに、ちょこちょこっと手をいれて「カスタマイズ」するのがたのしい。
よくやるのはCDのジャケット。音をきいて、「う~ん、これってなんか違わない?」と思うとついつい手をいれたくなってしまう。気にしなきゃいいものの、どうにもムズムズして落ち着かないのだ。手をいれると言ったって、いまだにぼくは「フォトショップ」も「イラストレーター」も持っていないし、デザインの勉強をしたわけでもないので複雑なことはなにもできない。完全なる自己満足の世界。自分さえよければそれでいいのである。
最近も、とある北欧ジャズのCDが音は最高なのに、そのトロピカルな南国リゾート風ジャケットが不似合いな気がして、即刻勝手にカスタマイズさせていただいた。カスタマイズにあたっては、マリメッコの「Kaiku(こだま)」を拝借・・・ほんとうはいけないのだろうけれど、個人のショボいお遊びゆえ大目に見てもらえるだろうか。ちなみにデザイナーのマイヤ・ロウエカリの作品には「CDジャケット向き」のものが多く、「カスタマイズ魂」をそそられる。
先週につづき、「新所沢」に行ってきた。相変わらず耳の調子がよくならないのを見かねたIさんが、信頼できる鍼の先生を紹介してくださったのだ。
「新所沢」までは、中央線と西武線を乗り継いで約1時間ほどの「旅」である。それでも、はじめIさんからこの話をうかがったとき、「これはちょっとした『縁』かもしれないな」と思った。というのも、学校に上がるまでの数年間、ぼくはその街に暮らしていたことがあるからだ。まさか病気のおかげで、三十年ぶりにこの街を再訪することになろうとは思いもしなかった。人生わからんもんです。
「縁」といえば、いまmoiがあるのはぼくの生まれた病院からほんの100mほどの場所である。さんざん探し歩いたあげく、ようやくみつけた場所が偶然にも「そこ」だったのだ。そのことを知った父親はひとこと、「おまえはハトか」と言った。たしかにこうなってくると、じぶんにゆかりのある「土地」をなにか目にみえない「縁」に導かれて辿っているような気になってくる。「帰巣本能」なのか、これは?「ハト」なのか、おれは?つぎに向かうとしたら、そこは「高島平」のはずなのだけれど。
かかりつけの大学病院で「MRI」による検査をうけてきた。もちろん生まれてはじめて、である。
巷には「FBI」とか「NTT」とか「PTA」とか、意味不明な「アルファベット三文字」がのさばっているが、この「MRI」というのもよくわからない。なんでも、「Magnetic Resonance Imaging」の略らしいのだが。日本語に直すと「磁気共鳴画像」。ますますわからないのだった。とにかく、TVドラマなどでよくみかけるアレ、横たわったままトンネルのような中にはいっていき、からだの輪切り写真を撮影するアレである。
ものすごく音がうるさいらしいということで覚悟はしていたのだが、これがまた凄い音で・・・。いちおうヘッドフォン状のものをあてがわれはするものの、耳の状態がわるいときだったら発狂するかも。だが、それ以上にしんどかったのは中の狭さ。正確にはわからないけれど、天井までの距離は15センチ強くらいだろうか。しかも全身拘束されていて身動きもできないので、その息苦しさったらない。ああ、早く終わらないかなぁ、いや、できることなら一刻も早くここから抜け出したい。引田天功の気持ちがほんのすこし理解できた瞬間だった。
それにしても、もしあそこで不意に「くしゃみ」がでてしまったらどうなるのだろう。もちろん、検査に支障がでるのは当然として、しっかり頭を拘束された状態では首を痛めやしないだろうか、さらに真上で打ち上げ花火が炸裂したようなものなので鼻水はもろ顔の上に、しかも手で拭うことすらできない・・・ああ、恐ろしい。MRIでもっとも恐ろしいのは、まちがいなく「くしゃみ」である。
ころっとしたルックスがかわいいこちら、「ドゥマゴ」のシナモンロールです。
シナモンロールというと、日本では
① 平たくとぐろ状に巻かれた生地
② アイシング
③ 控えめなシナモンの風味
といった特徴を挙げることができます。そんなジャパニーズ・スタイルをふまえながらも、それぞれのパーツがすこしづつ主張しているのがこちらのシナモンロールです。たとえばアイシングも、よくある白砂糖ではなくシナモンシュガーだったり、かたちにも「純和風」とはいえないこだわりが感じられます。結果、できあがったのはやけにバタ臭いシナモンロール。ある意味「平井堅」ですね、これは。
再開にむけて、そろそろ準備をはじめなくてはならない。とはいえ、年内の営業も残すところあと数日というタイミングで発症、バタバタのままお休みに入ってしまったため、年末年始に片づけようと考えていたことがなにひとつとしてできていない。もちろん、冷蔵庫の中身やストックしてあった食材もからっぽ・・・予定通りに開けられるだろうか?あせってきた。
まずは手始めは大そうじから、というわけで、きのうは店でガタガタと片づけに追われていた。とりあえず、予定の半分くらいまで。ところが、おとといのMRI検査の騒音、それにきのうの掃除機や片づけの騒音がよくなかったのか、きょうは耳の調子がよくない。あしたはひさしぶりに聴力検査のある日だし、やむをえずきょうは一日静かにして過ごす。こんな案配で、なかなか思ったように事が運ばないのが現実。ますます不安である。
そんななか、テレビではいよいよ明日にオリンピックの開幕を控えた「トリノ」の街の様子が映し出されている。あと数日しかないというのに、道路の整備や工事がいたるところでつづけられている。そして、そんなことにはまったくおかまいなしといった感じのイタリアのひとびと・・・。こんなんでいいんだよなぁ~。とりあえず、できることから片づけて、まあ、間に合わなかったらそれはそれでそのときだ。なんとかなるさ。
トリノの教え、である。
MRIの検査結果がわかった。異常なし。「聴神経腫瘍」という病気が「難聴」を引き起こしている可能性もあるということでの検査だっただけに、ひと安心。とはいえ、 異常はないのに症状はたしかにあるというこのふしぎ。
科学の進歩とともに、病気は「みえるもの」になった。たとえば手術というのは、「みえる」からこそ有効なわけだ。いっぽうエイズのように、「みえる」のに現在の医学ではまだ手の打ちようのない病気というのも存在する。ところが、ぼくがいま患っている「急性低音障害型感音難聴」という病気は「みえない」のだ(だから「特定疾患」、いわゆる「難病」という話なのだが)。
いつか科学がいっそう進歩をとげれば「みえる」ようになるのか、はたまた相変わらず「みえない」ままなのか。検査結果がクリアであればあるほど、また一方では釈然としない。人間のからだの複雑さをあらためて思い知らされた出来事だった。
どうして「仕事」をするのかといわれれば、やはり「生きるため」と答えるだろう。
「生きるため」というのは、文字どおり「食ってゆくため」という意味もあるだろうし、また「いきがい」といった、もっと抽象的、精神的な意味合いもある。「仕事」はときに、「生きること」と等しく思われる瞬間がある。ふたつが「生きること」において分かちがたくあることが、そう錯覚させるのだ。けれどもやはり、ひとは生きるために仕事するのであって、仕事するために生きるわけではない。とすれば、その「生きること」を妨げるような「仕事」や、「仕事の仕方」は(仮にそれが楽しかったり、熱中できるものであったとしても)それじたい正しくない。それは、本末転倒だからである。
この一ヶ月半あまりのあいだに、ぼくはそういう「答え」に辿りついた。
再開にあたって、仕事とその仕方について、もういちどかんがえてみる必要があるだろう。それはもちろん、「moi」についてかんがえるということでもある。そうして、その「かんがえ」にもどづいて、あらためて「moi」のスタイルというものを形づくってゆきたいと思う。たとえそれが時流から外れていたり、ときとしてエキセントリックに映ったとしても、ただ「生きること」に従順に、それを唯一の「ものさし」として判断をしていきたい。
もし、それがだれからも支持されなかったら? ・・・それはそのとき。もういちどかんがえればいいこと。
みなさまには大変ご迷惑、ご心配をおかけいたしましたが、あさって14日[火]より営業再開させていただくことになりました。みなさまにおいしいコーヒーとくつろぎの時間を提供できるよう、気持ちも新たに再スタートさせていただくつもりです。どうぞよろしくお願いいたします。
なお、しばらくのあいだ営業時間等が不規則になるためお客様にはご迷惑をおかけいたしますが、随時こちらのブログにてご案内させていただきますので、ご来店の折には事前にご確認いただけますと幸いです。
◎ 今週の営業(2/14~19)について
営業時間は正午から19時まで、メニューはドリンクおよびスイーツのみとさせていただきます。ご不便をおかけいたしますが、ご了承ください。万全なサービス態勢がととのい次第、順次戻してゆく予定です。
なお、予定されておりましたイラストレーター糸乃(しの)さんの作品展は都合により中止となりました。楽しみにされていたみなさまには大変申し訳ございませんが、時期をあらためて開催させていただく予定ですので、どうぞよろしくお願いいたします。
では、みなさまのご来店を心よりお待ちしております!
ひとまずは、「徐行運転」での再出発です。
一ヶ月半のブランクというのは想像もつかず、はたしてどんなハプニングが待ち受けているのやら期待(?)と不安でいっぱいです。粗そうのないよう、気をつけます(笑)。
本日より営業再開させていただきました。営業時間をみじかくしたりメニューをしぼったりと、まだまだ本調子とはいきませんが。そんななか、さっそくご来店くださったみなさま、またお祝いメール等くださったみなさま、どうもありがとうございました!
一ヶ月半ぶりに「職場復帰」した感想は、人間って、こんなにあっけなくいろいろと忘れてしまうものなんだ!ということ。仕込みやオーダーが入ったときの手順など、ほとんどなにも考えずとも自然と手とからだとが動いていたものが、いちいちアタマで考えてからでないと動けない。笑ってしまうほどに。オープンした三年半前の感覚を、ひさびさに味わいました。ああ、こんなふうに必死にバタバタだったな、と。もちろん、勘がもどってくれば早いのでしょうが。
よくもわるくも気持ちをリセットしての再スタートになりました。
小説はあまり読まない。ドラマもほとんど観ない。小説よりはノンフィクション、ドラマよりはドキュメンタリー、その好みはむかしから変わっていない。
なにか小説を読もうと思い本屋へ行っても、パラパラひらいて二、三行も読むともう嫌になっている。うそくさいな、そう感じてしまうのだ。だいたいが、そうと知りつつその「うそ」を楽しむのが小説やドラマの醍醐味なのだから、そう感じてしまうじぶんはつくづくつまらない人間だな、と思う。
それにひきかえ、ノンフィクションやドキュメンタリーはけっこう好きだ。しかも、あっけないほどかんたんに感動してしまう。終わってしまったが、以前NHKで放送していた「プロジェクトX」など、観ればかならず目頭が熱くなっていたし、このあいだなんて、たまたまやっていた「実録・ホスト物語」といった番組で泣いてしまった。じぶんでも、いったいどこに感情移入したのか皆目見当がつかないのだが・・・。
先日そんな話をしていたところ、お客様から『マイ・アーキテクト~ルイス・カーンを探して』という映画をすすめていただいた。世界的建築家ルイス・カーンの《愛人の息子》であった主人公が、父親の死から25年後、《兄弟》をはじめとする関係者にインタビューしたり、父親が遺した建築物を訪ねたりしながら《父親探しの旅》に出るというドキュメンタリー。もちろん涙腺にもズドンと響く作品になっているとのこと。
「花粉症」のフリして、思いきり泣いてきます。
白金台のギャラリー「space TRY」にて、「フィンランドの木」と題されたマルック・コソネンさんの個展が開催されます(3/8から3/25まで)。
マルック・コソネンさんは、フィンランド有数の芸術家村フィスカルスを拠点に活動するアーティストで、それまで素材としてはほとんど目を向けられてこなかった「猫柳(ねこやなぎ)」を使用したバスケットなどは日本のメディアでもたびたび取り上げられているので、ご存知の方もいらっしゃるかもしれません。
身近な「木」を素材に、デザイン、創作活動をつづけるだけでなく、「現代的な観点で革新的な木の活用方法を導き出し、森林、木材関連産業を活性化すること」をめざし、さらに「自身で森を所有し、所有者の立場からも、森林保全や森林拡大について」積極的に発言してきたというコソネンさん。かれの、日本では初めての個展となるこの「フィンランドの木」、注目です。
サッカー・ワールドカップにむけた国際親善試合「日本vsフィンランド」戦がありました。結果は、2-0で日本代表チームが勝利をおさめました。
「日本人」的には、小笠原の絶妙なロングシュートなど満足のゆく内容だったのですが、立場的(?)には、もうすこしフィンランドにもがんばってもらいたかったな、と・・・。選手同士が接触する場面では、ガタイがいいぶん日本選手がころころ転げ、それをいちいち「ファウル」にとられてちょっとかわいそうな気がしました。う~ん、身びいきなんでしょうか?
ちなみにフィンランド語クラスのリーサ先生によると、「あれは絶対、飛行機の中で呑みすぎて二日酔いだったんだよ」とのこと(笑)。たしかに、動きは鈍かったけれど・・・でも、それを言うなら副賞の「ビール一年分」はモチベーション的には十分だったのでは?
不安もなくはなかったのですが、おかげさまをもちまして最初の一週間を無事すごすことができました。初めて足をはこんでくださったみなさまも、いつも足をはこんでくださるみなさまも、まだまだ至らぬこともあったかとは思いますが本当にありがとうございました!
カウンターに立っていると、「なんだかんだ言っても、やっぱりここが『じぶんの場所』なんだなぁ」なんてあらためて感じたりするものです。そして、ひさしぶりに顔をあわせたなつかしい面々。「あ、この感覚、なんか知ってる!」と思ったら、うん、わかった、夏休みが終わってはじめての登校日の、あの感じでした。
新学期、はじまる。
moiにとっては、そういうことなのかもしれません。期待と不安を胸に(?!)、みなさまのご来店を心よりお待ち申し上げております!
※写真は、「フィンランド語クラス」のSさんからいただいたトリノみやげのチョコレート。さまざまな種目がパッケージにプリントされているのです。ちなみにこれは「スケルトン」。渋いでしょ?
朝、いつもより早く起きて鍼にゆく。この時期ぼくは、できうる限り吉祥寺から西へは行かないようにしている。なんといっても、スギ花粉の量がぜんぜん違うのだ。じっさい車窓からみえる眺めはのどかだが、よくみると茶色い「薄汚い花」をつけた忌まわしい杉の木がそこかしこに…。当然マスクは手ばなせません。
鍼の後、小平まで足をのばし、コーヒー好きにはちょっと知られた喫茶店「永田珈琲」に寄り道する。「ニュークロップの直火焙煎」にこだわった自家焙煎珈琲店なのだが、そんな気負いはみじんも感じさせない落ち着いた雰囲気の郊外の喫茶店である。
とはいえ、ぼくなどからすると、こういうちゃんとしたコーヒーを飲ませる喫茶店がある町とそうでない町とでは、なんというか「懐の深さ」という点でぜんぜんちがうように思える。いい喫茶店のない町での暮らしは、句読点のない文章とおなじで息苦しいのだ。ふつうあまり考えないかもしれないが、文章で句読点が占める役割はことのほか大きい。
いい喫茶店があるからその町に引っ越す。ナンセンス?でも、そのくらいのことを考えかねないのが「コーヒー好き」ってもんじゃないだろうか?
◎ moiでいま取り扱い中の本のご紹介です:
これは、ホーローのコーヒーポットやユーモラスな木製のサウナスツールなどで知られるフィンランドのデザイナー、アンティ・ヌルメスニエミに捧げられた小さな本です。
つくったのは、原宿の雑貨店「CINQ」と世田谷のインテリアショップ「biotope」。いづれも、北欧の家具や雑貨に興味のあるひとなら目を離すことのできない人気ショップです。本をひらけば、ちょっとマニアックなディテールの解説や、夫人でファッションデザイナーでもあるヴオッコへのインタビュー、それに堀井和子さん、岡尾美代子さんのコラムなど、アンティへの愛情とこだわりにあふれた一冊となっています。
つややかなエナメルを思わせる、かれのポットがそのまま一冊の本になったかのような装丁もすてきです。ポット同様、赤、白、水色、黄色、茶色と5色のカラーバリエーションが用意されています(早いもの勝ちです!)。
余談ですが、アンティのコーヒーポットというときまって思い出すのは、アキ・カウリスマキ監督の映画「浮き雲」のワンシーン。主人公の夫婦のつつましい暮らしを象徴するかのように、赤いそれはかれらのアパートのキッチンにちょこんと置かれています。きっとこんなふうに、アンティ・ヌルメスニエミのデザインはフィンランドの人々の暮らしに溶け込み、愛されてきたのでしょう。この小さな本からは、そんなフィンランドの人々の暮らしの息づかいがきこえてきます。
『アンティ・ヌルメスニエミについての小さな本』
◎ CINQ biotope 著
◎ 1,365円(税込み) moiにて好評発売中。
テッポ・マキネンのソロ・プロジェクト、Teddy Rok Sevenのアルバム『ユニヴァーサル・フォー』がついに国内発売されました。めでたい!
テッポはNuspirit Helsinki、昨年来日したJukka Eskola Quintetへの参加、そして現在来日中のThe Five Corners Quintetのドラマーとして、まさに《Hesa系》(=ヘルシンキ系←勝手に命名)の中心人物といえるひと。そのテッポが、満を持して昨年リリースしたのが、このデビューアルバム「Universal Four」なのです。
サウンドは、ジャズをベースに、アフロ、ブラジル、ファンク、サイケデリックなどさまざまなスパイスで巧みに味つけられた、いわゆる《ニュージャズ》ということになるのでしょうか。ただし、こうしたサウンドが新鮮かというとそうでもない、むしろいま世界中にはこの手の音楽があふれていると言ったところで、あながちまちがってはいないでしょう。じゃあ、なぜいま「ヘルシンキ」なのか?それはおそらく《手触り》の問題なのです。
ぼくは、かれら《Hesa系》のサウンドを耳にするとアラビアの《Ego》というコーヒーカップを思い出します。一見シンプルにして機能的、ひどく洗練されたデザインにみえるのだけれど、じっさい手にしてみるとどこかもっさりとしたおだやかさが感じられる。もしおなじものを、東京やロンドン、あるいはNYでつくったら、きっとこんなふうにはならなかったことでしょう。全体的に、もっとエッジのきいた印象に変わっていたはずです。Teddy Rok Sevenのサウンドにもまた、ぼくは東京やロンドン、NYはもちろん、ストックホルムですらなく、まさに「ヘルシンキ」という都市からしか生まれえなかったであろうオーガニックなグルーヴ、《手触り》を感じてしまうのです。
Teddy Rok Sevenことテッポ・マキネンこそは、あるいはそんな《Hesa系》の真打ちと呼んでいいかもしれません。
かりに、十回に一回の割合でなにかを成功させるひとがいたとしよう。その場合、そのひとはその「なにか」を「できるひと」ということになるだろうか?
十回に一回の割合で遅刻しないOL。どう考えたって、そのOLは「遅刻常習犯」である。では、これはどうか。十回に一回の割合で、ほっぺたが落ちるようなおいしい料理をこしらえるコック。どちらかといえば、「ときどき『まぐれ』でいい仕事をするヤツ」といった程度で、あまり信用はおかれないのではないか。十回に一回の割合で、牛乳を3秒で一気飲みするヤツ。十回に九回は5秒かかったり、ときには口や鼻から牛乳を吹き出しているのである。クラス内でそいつはこう呼ばれるだろう。お調子者のバカ。
話は変わる。あるフィギュアスケートの大会で「四回転ジャンプ」を決めた少女がいた。十回に一回とはいわないまでも、その後の「成功率」はけっして高くはなかった。少女が「四回転する能力を持ち備えている」のは確かだが、「四回転できる」と言ってよいかどうかはあいまいである。けれども世間は、その少女を「四回転ジャンプの○○」と呼び、リンクに登場すればいつも「四回転」を期待するようになったし、マスメディアはその少女をまるでアイドルかなにかのようにもてはやした。そしてそんな狂騒の中では、少女はあたかも「十回に七回くらい四回転できるひと」のようにみえたし、ことによると本人にとってもまたそうであったかもしれない。
大舞台へのプレッシャーと闘いながら、果敢に「四回転ジャンプ」に挑む少女の姿は痛々しいものだった。本番を終えた後のインタビューで、「失敗はしたけれど、夢の舞台で『四回転』にチャレンジできてよかったと思う」と語る少女の表情もまた、晴れやかというにはほど遠く、むしろ「四回転ジャンプ」を決めたあの日のじぶんとのギャップにどこか戸惑っているようにもみえた。
たしかに「四回転」はすごい。すごいけれども、べつに「四回転だけがすごい」わけじゃない。「ワタシは『十回に一回』四回転ジャンプをきめますが、やっぱり今回はパスします」。それでよかったのではないか。「遅刻常習犯」はともかく、「たまに『四回転ジャンプ』をきめるひと」はそうそういたもんじゃない。飛んだ証拠はのこっているのだ。意地にならなくとも、それだけでじゅうぶん価値はある。
ちかごろよく聴いているのは、安藤裕子のアルバム『Merry Andrew』。
これはちょっと、ひさびさにグッとくる良質のシティポップスなのではないでしょうか。「シティポップス」というと、たとえば70年代後半から80年代にかけてもてはやされた「AOR」であるとか、日本では山下達郎、大貫妙子らが在籍したシュガーベイブ、最近ではキリンジなんかを思い出したりするわけですが、個人的には、その音楽にふくまれるアスファルトと土との割合が最低でも「7:3」以上でなければ「シティポップス」とは呼べないような気がします。その意味で、「シティポップス」とはつまるところ「アスファルト・ミュージック」なのですね。
で、この安藤裕子というひとなのですが、割合としては「8:2」以上(当社比)という純度の高さを誇っているといってよいでしょう。ほかにも長々と書いてみたいことなどあるのですが、なんか面倒臭くなっちゃったので、まあそういうことで。とにかくよいですよ、これは。
けっして熱心なウォッチャーとはいえないけれど、「フィンランド好き」にとって今回の「トリノオリンピック」のハイライトはまちがいなくココでしょう。アイスホッケー男子決勝。なんといっても、相手は宿敵スウェーデンなのですから。
長いあいだ隣国スウェーデンに統治されていたという歴史的背景もあって、フィンランドのひとびとにとってスウェーデンは永遠のライバルといえる存在。ですからすべてのフィンランド人たちはいま、絶対に「巨人」にだけは負けたくない「阪神ファン」のような心境にあるのです。「決勝戦」ということは、イコール負けても「銀メダル」ということなわけですが、フィンランド人にとってはこの際メダルの色なんかどうでもよい話。ただスウェーデンに勝つことにこそ意味があるのです。
とはいえ敵は強豪スウェーデン。フィンランドとしては、これまでに幾度となく苦杯をなめさせられてきた相手です。そうそうカンタンに勝たせてもらえないでしょう。ちなみに試合後のフィンランドでは、勝てば「祝杯」、負ければ「ヤケ酒」、いずれにせよ酔っぱらいたちが街をうめつくすことまちがいなし。
※今夜はテレビで応援しよう!フィンランド語クラスのLiisa先生おすすめの観戦ポイントは・・・ビール片手にエキサイトする応援団の姿だそうです(笑)。
さくっと散歩がてら三軒茶屋へ。たしかこのあいだ行ったのは・・・、思い出せないくらいむかし。劇的に変化したような気がするけれど、それはたぶん「キャロットタワー」などというものができたせいなのであって、周囲の街並はほとんど変わっていないような印象がする。
それはともかく、なぜ唐突に「三茶」なのかというと、これまた唐突に「豆がたべたい」とウチの奥さんが言ったからである。以前テレビだか雑誌だかで知った「mame-hico(マメヒコ)」というカフェに、いちど行ってみたかったのだという。「キャロットタワー」の裏手にそのお店はあった。高い天井と「金時豆」の色をした壁がいい雰囲気である。豆のキッシュやスイーツのほかに、小豆、金時豆、黒豆、うずら豆、虎豆などから好みで2or3種類を選ぶシンプルなプレートもあり、上品な豆の薄甘煮をアテにコーヒーや紅茶を飲むことができてなかなか楽しい趣向だと思った。
その後、家でのむコーヒーの「豆」をきらしていることを思い出し、茶沢通りにある「ビーンズ」というちいさな自家焙煎店で豆を買う。ブラジルサントスをフレンチローストにした「ブラジルフレンチ」と「ヨーロピアンブレンド」を100グラムずつ。ふだん行かない街へでかけるとき、以前は中古レコ-ド屋のありかをチェックしてから出かけたものだけれど、最近ではそれにコーヒー豆屋が加わった。律儀そうなおじさんが焼く豆からは、はたして「三茶」の朝の匂いがするだろうか。
先日ご紹介した『アンティ・ヌルメスニエミについての小さな本』が好評です。
以下は男子に、とりわけ北欧やデザイン、雑貨などに興味がある彼女や女友達をもつ男子にぜひ読んでいただきたいと思っています。というのも、この時期ホワイトデーのお返しに頭を悩ませていたりしませんか?どうせならちょっと気のきいた「お返し」をしたいよなぁ、と。そんな男子におすすめなのがこの一冊です。
ここでとりあげられているアンティ・ヌルメスニエミのホーローのポットといえば、北欧のデザインや雑貨に興味のあるひとならだれでも知っている人気アイテムのひとつですが、この本にはそんなポットにまつわるだれも知らなかったような《発見》がちりばめられています。ですから、たとえ彼女(あるいは女友達)がこの「ポット」についてよく知っていたとしても、きっと十分たのしんでいただけるはずなのです。それに、エナメルのような質感をはじめ、ポットをそのまま本にしてしまったかのような装丁もまた、彼女(あるいは女友達)に喜んでもらえることまちがいなしです。
『アンテイ・ヌルメスニエミについての小さな本』
※ moiにて好評発売中。
ところで、ついついここまで読んでしまったという「女子」のアナタ!そんなアナタにも、この本はとてもおすすめです。でも、もしこの本を彼(あるいは、男友達)からプレゼントされたら、どうかこの本の存在は知らなかったことにしておいてあげてください。だってそうでしょう?それが「優しさ」ってものです。