3月は雨のスタートになりましたね。でも、こうやって一歩一歩、春が近づいてくるのでしょう。
今月も引き続き、営業時間を下記のとおりとさせていただきます。
平 日/13時~20時30分
土日祝/正午~20時
お休みは、月曜日、火曜日、17日[金]
とさせていただきます。なお、変更は早めにこちらのブログにてご案内させていただきますので、どうぞよろしくお願い致します(21日の火曜日・祝日の営業を検討中です)。
なお、軽食メニューにつきましては今週も「moiプレート」のみとさせていただきます。できれば、来週中にはサンドイッチも復帰させたいところです。
では、今月もmoiをよろしくお願いいたします!
スズメバチに刺される夢をみた。いま思い出しても恐ろしかったなぁ。
夢占いによると、「ハチに刺される夢は凶」とある。そりゃあそうだろう、こんな恐ろしい夢を見せておきながら、「はいっ、ラッキーチャンスでーす」とか言われてもかえって納得いかない気分になる。でも、夢占いにあるということは、それだけ一般的な、ひとがよく見る夢のひとつともいえるだろう。実際、こんな夢をみたひとの話は聞いたことがない。「ラクダにベロベロ舐められる夢」。絶対「凶」だよ。「アリクイと一緒にひたすら地面を掘る夢」。なんか、煮詰まってるんじゃないでしょうか・・・。「スカンクと添い寝する夢」。となりのひとを疑ったほうがいい。夢じゃなくて、たぶん現実。いちどぜひみてみたいのは、「バカボンの家に一晩泊めてもらう夢」。楽しそうでしょ?
ときどき、みたい夢をみれる能力があったらいいだろうななどとかんがえる。でも、もし本当にそんな能力をもっていたら、きっと起きているあいだずっと悪夢をみている感じだったりするかもしれない。かりに「まだまし」くらいな程度だったとしても現実>夢、これにつきる。
友人のTクンは、誕生日を迎えるたびに「いやぁ、こんな○○歳でいいんでしょうか?」といった発言をするひとである。で、ぼくの誕生日はTクンの数日後なのであるが、なぜかいっこうにそういう捉え方ができないのである。はっきりいって、ただ徒然なるままに歳をとっているとしかいいようがない。いったい、この「歳を重ねる」ということに対する捉え方のちがいはなんなんだ?とつくづく思う。
ひとことでいえば、ぼくはどうやら年齢に対して無自覚であるらしい。そして、「無自覚」には「無自覚になるだけの理由」があるということに最近気がついた。人間が「年齢」と口にするとき、それは多分に社会的なものである。もっといえば、「年齢」が意味をもつのは「他人」との関係においてのみである。したがって、そうした「他人」との関係が薄ければ薄いだけ、ひとは「年齢」に対して無自覚でいられる。
たとえばぼくは「一人っ子」なので、成長の段階で「お兄ちゃんなんだから」とか「弟のくせに」といった「関係」を刷り込まれることがなかった。また学生時代、上下関係に厳しい「体育会系ライフ」ともほぼ無縁であった。社会にでた後も、はたらいていたのが、毎年「新人」が入社してくるどころか三十代の半ばにして「若手」とかよばれてしまうような職場であったため、年相応の言動といったものがいっこうに身につかないまま現在に至ってしまったということかもしれない。
けれども、そんなふうに思えたのもきのうまで。ただの「一年」とはいえ、ただの「一年」と切り捨てるにはあまりにもデカい「一年」を重ねてしまったいま、あえてこう言うほかないではないか。
こんなんでよろしかったでしょうか~?
「サベン・ペ ウカロ工房のフィンランド展」というイベントがひらかれるそうです(3/23~28まで 神楽坂「ギャラリー坂」にて)。
サベン・ペウカロ工房は、大阪を拠点に「手で粘土をこねる自然の感覚とコンピュータを使った最新技術とが調和した作品づくり」にこだわり活動するアーティスト。大好きなフィンランドにちなみ、フィンランド語で「粘土の親指」という意味を持つ「saven peukalo」と名づけたのだそうです。
今回の展示は、発刊にむけて準備中の『anthro絵本1~フィンランド』の世界を映像や粘土で立体的に紹介するというもの。かれらのサイトでも一部紹介されているこの「絵本」では、粘土の人形と実際のフィンランドの風景写真などをミックスして独特の「サベンペウカロ・ワールド」が展開されています。
気になった方はぜひ、展示会場へ足を運ばれてみてはいかがでしょう?
おひさしぶりでございます。ここ一週間ほどネットに接続しておりませんでした。お越しいただいたみなさま、コメントくださったみなさま、ゴメンナサイ。
では、この一週間ほどのあいだなにをそんなに忙しくしていたかというと、もちろん、確定申告に追われていた(厳密にいえば「追われている」か)のでした。店をおやすみしているあいだたっぷりと時間はあったのだから、当然そのあいだに片づけてしまうだろうというおおかたの、自分もふくめた予想を見事裏切り、ことしもまた締め切り直前になってあたふたとしております。
つまり確定申告というのは、時間がないからできないとか、時間があったからできるとかいったものではないのですね。ただひとは、それをやりたくないからやらない、それだけのことなのではないでしょうか?(なんてひとに問いかけるようなことじゃないな、しかし)。
部屋じゅうを覆いつくした領収証の大海原へ、コロンブスのごとき不屈の意志と忍耐をもって漕ぎだす今日このごろなのです。
モイになくてはならない縁の下の力持ち的存在、「やかん太郎」(仮名)もとうとう「三代目」となりました。
そこで、記念に歴代の「やかん太郎」の集合写真をパチリと撮影。写真右が初代、左が二代目、そして中央がこのたびデビュ-をはたした三代目です。どれもみんな、日がな一日ぐらぐらとお湯を沸かし続けるという過酷な労働環境のもとがんばってくれた愛すべきやつらです。初代は底に穴があき、二代目はフタの持ち手がもぎとれています。それでも、あっさり捨ててしまうにはどこか忍びないような気持ちもあって物置の片隅で眠っていたのですが、記念撮影も終えたことだし、これで無事お役御免です。
先輩の志をしっかり受け継ぎ、三代目も日々ぐらぐらとがんばってほしいものです。
しらないあいだに、「moi」というキーワードが「はてな」に登録されていてビックリしました。ちなみに、
「moi」とは...
だそうです。
なんだかうれしい反面、いっちょまえでこっぱずかしくもあります。ただし「宿命」というべきか、「moiを含む日記」のほとんどは「モイ」ではなく「モワ」ですね。当然です。それならばと思い、カタカナで「モイ」と検索してみたところ、こんどはやたら「キモイ」というのが引っ掛かってしまい「なんだかなぁ」という結末でした。
いずれにせよ、どこのどなたかは存じませぬが、登録してくださった方、どうもありがとうございました。この場を借りてお礼申し上げます。
深夜、というよりはほとんど明け方ちかくまでがんばって、なんとかかんとか「確定申告」の提出書類をまとめあげました。終わりのほうはほとんど寝ていた同然なので、内容についてはいまひとつ自信がもてませんが。
それにしても、こんな思いでやっとこさ泳ぎついたのがほとんど「不毛な無人島」のような場所だったというのは、はたしていかがなものか?
髪を切りに原宿まで出たついでに、ウワサの「表参道ヒルズ」を冷やかしてきた。「冷やかしてきた」なんて言っているが、ほんとうは買いたいモノがないというよりは、買えるモノがないといったほうが正しい。
さて、そんな「表参道ヒルズ」ではあるが、ひとことでいえばそこは「物欲のアリ地獄」といえる。写真をごらんいただければわかるとおり、館内は吹き抜けを囲むようにショップが並んでおり、上階から下階までのアプローチは、いわば「らせん」のようにゆるいスロープで連続している。なるほど安藤サンは、表参道に、タテに伸びる「商店街」をこしらえたというワケなのですね。そういう意味では、ありがちな「最上階に飲食店」とか「アパレル中心のフロア」といった区分けはせずに、あえて無秩序にいろいろなショップが並んでいたほうがずっと楽しかったようにも思うのだけれど。
それはともかく、ショップをみてもあまり面白くなかったので、ひまつぶしにもし「表参道ヒルズ」に出店するとしたらどのあたりがよいか?などとかんがえながら、ダラダラと坂を下ってみた。結論は、最上階の4,5軒目からその下の階あたりだろうか。というのも、こういうショッピングセンター的空間にやってくると、たいていのひとはまずこんなふうに口にする:とりあえずいちばん上まで行ってみる?そして買い物に突入するわけだが、最初の何軒かはまだ様子見で本気モードには突入しないものである。逆に、ここまで連続していると、さすがに最後のほうは疲れてきて「物欲」もやや散漫になる。というわけで、体力+物欲がピークになるのは、おおよそ「最上階の4,5軒目からその下の階あたり」なのではないか?と予想される。
とすれば、そんな消費者の買い物行動までもが「家賃」に織りこまれ反映されていたらつくづく「森ビル」は恐ろしいと思うのだけれど、さて、じっさいのところはどうなのだろう?どなたか「表参道ヒルズ」の家賃の仕組みを知っているひとがいたら、ぜひそのあたりのことを教えてもらえないものだろうか。
札幌の「宮越屋珈琲」が、日本橋三越本店の新館にある。東京進出の第一号店である(このあいだたまたま通りかかったら、新橋交差点にも大きな店舗をつくっていた)。いちどは行ってみようと思いつつなかなか機会に恵まれなかったのだが、ちかくに用事ができたついでにここぞとばかり、行ってみた。
出てきたのは、ちゃんとしたおいしいコーヒー。そのほかにも木目調のクラシックな佇まいのインテリア、オールドジャズのBGM、そしてロイヤルコペンハーゲン(?)のうつわと、お客様を「安心」させる要素のたくさんある、いわば「喫茶店の模範回答」のような店である。
ただひとつ「安心」できないのは、一杯840円~というその「お値段」。
ときどき、思い出したように「なぞかけ」のような遊びをして楽しんでいるともだちがいる。
このあいだ、ぼくの誕生日にそのともだちから贈られたプレゼント、それは一枚のCDで、なかにはピアノ教則本《バイエル》の音楽がおさめられている。もちろんちょっとした「なぞかけ」なのだろうけれど、《こたえ》はなかなかみつからない。おもての写真は、彼女が旅してきたという「ベルリン」のものであることはだいたい察しがつくものの、いったい、なんでバイエルなんだ?と寺尾聡のように呟くことしきり・・・。けっきょく、不本意ながらともだちに「そのココロ」をたずねると、帰ってきたのはこいう《こたえ》。
みみに優しい時間には、やさしい音楽を。
なるほど、直球勝負でしたか。耳の調子があまりよくない日には、いつも仕込みをしながらきいています。でも、もしぼくがこどものころピアノを挫折していたら《逆効果》だったりして。
ちなみに、おなじともだちからいっしょにもらったのは、関根勤『バカポジティブ』とウサギ(!)のイラストのポストカード。こっちはわかりやすい。アリガトウ。
きょうの東京は、それはもうすごい風でした。しかも、北風。
店の前で100人くらいのお客様が、すんでのところで吹き飛ばされてどこかにいってしまう、そういうことが何度かありました。誠に残念なことです。
夕方から風向きも変わり、おかげさまで忙しくなりましたが。みんな野球を観てたのでしょうか?
行こうときめていたところから偶然はいったところまで、今回の京都旅行では7つのカフェや喫茶店に立ち寄りました。
◎ 喫茶 雨林舎(二条)
二条の路地にある町家カフェ。「なんでこんなところに?」とmoiではよくお客様から尋ねられますが、そう尋ねるひとの気持ちがよくわかりました。なんでこんなところに?雨の日に、ここで小説など読みながらお茶していると、おもいっきり自分に酔えそうです。外がわがカリッとしたホットケーキ、おいしかったです。ちなみにBGMは、カエターノ・ヴェローゾでした。
◎ 六曜社地下店(河原町三条)
いうまでもなく、京都に行けばかならず立ち寄る喫茶店です。変わらないであることのすばらしさを、ここはいつも教えてくれます。いつ訪れてもおなじ時間が流れているので、4年ぶりにたずねたという気がぜんぜんしません。きのうもおとといも、そのまえも足をはこんだような、そんな錯覚に陥ります。インド、あいかわらずのうまさでした。BGMは、モーツァルトのピアノコンチェルト。
◎ マエダコーヒー本店(蛸薬師通烏丸西入)
朝ごはんに行きましたが、たいそうなにぎわいでした。近くには京都芸術センター(元明倫小学校)に併設された「明倫店」というのもありますが、こちらはより「地元度」が高いですね。ここの特徴は、ウェイトレスのみなさんの声がとてもよく通ることではないでしょうか。たぶん、みっちり鍛えこまれるのでしょうね。ところが想定外の応対になると、一転、とたんに声がちいさくなってしまい、そこがまたいいところだったりします(笑)。ところで、こういうとき「萌え」と表現をするのは正しい使い方なのでしょうか?BGMは、特になし。
◎ スーホルムカフェ京都店(四条烏丸)
早めの晩ごはんの後、どこかでお茶がしたくてたまたま入ったカフェ。新宿にもあるし、わざわざ京都に来てまでと思ったものの、「COCON烏丸」の中にあるここは、その贅沢な空間の使い方を味わうだけでもじゅうぶん価値がありました。おまけに、案内されたのが「エッグチェア」の「特等席」(なんたって一脚50万円也ですからね)だったので、余計にくつろいでしまいました。BGMは・・・憶えてない。たぶん、クラブジャズっぽいやつ。
つづく
東京に暮らしていると、カフェや喫茶店はなにか「目的」をもってゆくところ、そんな気がしてきます。疲れたから、ともだちと会うから、おなかがすいたから・・・。いっぽう京都では、年代や性別を問わずなんとなくふらりとカフェや喫茶店にやってくる、そんなひとたちが目立つように感じられます。だから心なしかお客様も、ふわっと店に入ってくる、そういう感じがするのです。
◎ イノダコーヒ四条支店(四条通東洞院東入る)
イノダといえば「本店」や円形カウンターの「三条支店」がおなじみですが、四条駅のあたりに宿をとることの多いぼくは、おなじイノダでももっぱらこちらにお世話になっています。場所柄、これから東京にもどるという最後の最後に立ち寄ることが多いせいか、ここでコーヒーを飲むと「あ~あ、もう帰んなきゃならないのかぁ」というちょっと寂しい気分になります。条件反射ですね。BGMは、なし。
◎ マエダコーヒー四条店(四条通西洞院西入る)
朝ごはんを食べようと四条通りのイノダまで行ったのですが、あいにく開店時間までまだ間があったため、けっきょく泊まったホテルの横にあったこの喫茶店に入りました。「四条店」とはなっているものの、あの「マエダコーヒー」とはおよそ似ても似つかない「渋い」外観のお店です。moiとおなじくらいの大きさのお店を、寡黙なマスターと、その奥様とおぼしき年配のおふたりで切り盛りされています。界隈のビジネスマンの常連さんが多いらしく、マスターはそんなお客様の顔を見ると「いらっしゃい」と声をかけるでもなく、注文をきく前に即コーヒーのセットに入っています(笑)。絶妙な「間」でした。BGMは、KBS京都放送のラジオ。
◎ SARASAかもがわ(荒神口)
今回の旅でいちばん気に入ったのがココ。どうひっくりかえったって、東京でこういうカフェをつくるのは不可能です。ある意味、「町家カフェ」以上に京都らしい、そんなカフェだと思います。ちょうどいい湯加減のお風呂につかっているような心地よさが、ここにはあります。いい湯加減のお風呂から上がるのが辛いように、こんな店が近所にあったら日常生活に支障をきたしてしまいそうです。自家焙煎しているというコーヒーも、まじめにおいしいコーヒーでした。余談ですが、このあたりの鴨川のたたずまいが、なんだかのどかでぼくはとても好きです。そしてBGMはジャンゴ・ラインハルトでした。
進々堂やエスフィーファ、それに北大路のカフェジーニョなど、行くつもりでいたのにけっきょく次回の宿題になってしまったカフェや喫茶店もたくさんあります。「宿題」をかたづけに、そう遠くない将来また京都を訪れたいものです。
法然院にいってきた。京都へでかけてもほとんど神社仏閣には縁のないぼくであるが、今回ここだけは行こう、そう決めていた。
ちょっとあやしげなぼくの知識では、貴族や裕福な商人らがお金や財産を寺に寄進することで「徳」を積み、「極楽浄土」ゆきの切符を手にするいっぽうで、その他大勢の、そうした財力をもたない市井のひとびとは「地獄」に落ちざるをえないのかと悲嘆にくれ、あるいは自暴自棄になっていた時代、財力や寺への寄進などとは関係なく、どんなひとであろうとただ「念仏」さえ唱えれば等しく「阿弥陀如来」によって救われ「極楽浄土」へと迎え入れられる、そう説いたのが「法然」というひとだった。
そんなふうにいうと、まるで「念仏」が「魔法の呪文」のようにきこえるがそういうことではない。ここでいう「念仏」、つまり「南無阿弥陀仏」というのは、ひらったく言ってしまえば「神様~」という究極にシンプルな呼びかけのことばにすぎない。ひとは、思わぬピンチに立たされにっちもさっちも行かなくなったとき、つまりじぶんの力だけではもはやなんともしがたいと知ってしまったとき、おのずとじぶん以外の何者かに助けを求めてしまうものである。そうした救いを求める心の叫びこそが、つまり「念仏」である。そして、 「阿弥陀如来」はすべての助けを求めるひとびとを救いたいという「願い」を立てて仏さまになったのだから、当然その呼びかけに応えてくれるはずである、そう「法然」はかんがえた。
こうした「浄土の教え」を、ぼくは勝手に「『気づき』の信仰」ととらえシンパシーを抱いてきた。思わず「神様~」と叫んでしまうような絶体絶命のピンチというのは、またじぶんの「限界」を知り、けっしてひとりでは生きてゆけないことに気づく、そうした唯一無ニの「チャンス」でもある。去年の暮れに突然体調を崩したとき、ふしぎなことに、じぶんのことや周囲のことがそれまで以上にクリアにみえ、かえってさわやかさのような感覚をおぼえた。じぶんの「限界」を知ったこと、他人のやさしさを知ったこと、その「気づき」のよろこびが、たぶん病気のつらさを凌駕してしまったのだろうと思う。そしてちょうどそんな折、「東京カフェマニア」を主宰されているサマンサさんのブログをとおして出会ったのが梶田真章さんの『ありのまま』という本である。
今回たずねた「法然院」の貫首(住職)をつとめる著者によって、そこには日々をていねいに暮すことのすばらしさが淡々とした口調でつづられている。梶田さんのことばには、大上段に構えたようないかめしさや説教臭さはまったく感じられない。読んでいると、口にふくんだ「水」のようにすーっとじぶんのからだに浸透してゆくのがわかる。そして、このタイミングでこのような本に出会えたのをラッキーと思うとともに、なにか強い「縁」のようなものを感じたのだった。
この日、かつて法然が「念仏」を唱えたというゆかりの地で、ボソボソと「南無阿弥陀仏(ありがとう)」と唱えてきた。
ブルース好きはメンフィスを、アールト好きはユヴァスキュラをめざす。そして喫茶店好きはといえば、そう、京都をめざす。
というわけで、唐突ですがこの連休をつかって京都にいってきました。去年の暮れに病気をし、以後お店をしばらく休んだり治療をしたりするなかで、いままでになく自分のこと、そしてモイについてかんがえる時間を多くもつことができました。ならばいっそのこと節目の年ということで、いろいろ感じたりかんがえたりする一年にするのもわるくない。こうして4年ぶりの京都旅行は突然にやってきたのでした。
なんといっても京都の喫茶店とそこに集うひとびとの姿は、モイにとってはいわば「永遠のお手本」のようなもの。思えばそんな様子がまぶしくて、うらやましくて、ぼくはここ東京に「モイ」という場所をつくったのでした。
時間にしたらたったの二日ほどの滞在でしたが、それでも京都という街はぼくにとってはやっぱりなんだかまぶしくて、そしてうらやましくなる場所でした。夏にはモイもまる四年、「京都」に4センチくらいは近づけたでしょうか?
物欲ならおさえられても、「マメ欲」(!?)だけはどうしたっておさえられない。気がつけば、カバンのなかはマメだらけ。コーヒー豆ではちきれそうなカバンをかつぎ、あたりにコーヒーの薫りを漂わせながら、京都の街を上ル下ル。そして、我にかえってふと思うことは、さて、このマメいったいどうしたものか?
こうして、「京都珈琲フェア」は唐突にはじまるのでした。
期間中は裏メニュー(?)として、ぼくが京都で出会ったおいしいコーヒーを3種類ご提供させていただきます。もちろん、数に限りがありますので売り切れ次第終了となります。ラインナップは、以下のとおり。
① 「SARASAかもがわ」さんのハウスブレンド 深煎り
② 「カフェ・ドゥ・ガウディ」さんのグアテマラSHB 中深煎り
③ 「六曜社地下店」さんのブレンド 中深煎り
各550円。なお、もともとじぶんで飲むつもりでセレクトしているため、すべて中深(の深め)~深煎りになっています。よって、しっかりした苦みのあるコーヒーをお好きな方におすすめです。なお、豆をお分けすることはできませんのでご了承ください。
春のひととき、しばし京都のコーヒーでほっこりと。
京都のベーカリー、hohoemi(ホホエミ)のシナモンロールです。鴨川のほとり、荒神橋のたもとにあります。
白粉をほどこしたようなルックスが「舞妓さん」を思わせる、京美人なシナモンロールです(無理矢理ですが)。これをかぶりつきながら鴨川の河原を散歩したい誘惑になんども駆られましたが、写真を撮らねばという「使命感」でなんとかホテルまで持ち帰りました(撮影終了とともに胃袋に消えたのはいうまでもありません)。
お味はというと、外はしっかり、中はもっちりでなかなかユニークな食感のシナモンロールでした。ちなみに、砂糖のアイシングだとばかり思っていた表面、じつはバタークリームのようなもので、持ち歩いているあいだにすっかり「化粧崩れ」してしまったのが悔やまれます。
京都旅行の戦利品。
おなじみ「アンクルトリス」のデッドストックのてぬぐいです。トリスウィスキーのノヴェルティーと思いきや、「サントリー 純生」というロゴと酒屋さんの店名、そして電話番号がプリントされています。オリジナルの「純生」ブランドは1967年から82年にかけて販売されていたとのことなので、その時代に販促用として配られたものと思われます。
それはともかく、やはり注目は「アンクルトリス」の衣裳でしょう。なんと、ヴァイキングのコスプレをしています。高く掲げた右手には盃が、そしてその上には「SKAL」(=乾杯)とノルウェー語がプリントされています。
どうやらどこに行っても、けっきょく「北欧」に呼ばれてしまうようです。
スウェーデンのジャズクラリネット奏者プッテ・ウイックマンが、先月亡くなったそうだ。といっても、ぼくはけっしてかれの優秀なリスナーとは言いがたい。なにせ、かれのCDは一枚しかもっていないし、その一枚すらも訃報をきいて、そういえばたしか一枚もっていたような気が、なんて思い出したくらいなのだから。
手もとにあるのは、プッテと、ブラジルのミュージシャン、シヴーカが共演したCD。一曲を除いて、エドゥ・ロボ、バーデン、ドナートらブラジルの楽曲を演奏している。シヴーカ本人のものも二曲。そしてぼくがこれを手に入れたのは、「スカンジナヴィア・ミーツ・ブラジル」という最高に心ときめく顔合わせだったからという単純明快な理由以外のなにものでもない。録音は1969年、ストックホルムにて。おなじ年にはおなじストックホルムでもう一枚、トゥーツ・シールマンス&エリス・レジーナによる超名盤が誕生している。1969年という年は、それゆえスカンジナヴィア・ミーツ・ブラジルの《金字塔》のような年号として記憶されなければならない(純正スウェーデン人による「ギミックス」が、ブラジリアンな名盤「Brasilian Samba」をリリースするのはその翌年、1970年のこと)。
肝心な音はというと、はじめに書いたとおりぼくはかれのCDを一枚しかもっていないのでとやかく言える立場にはない。ただ、「異能のひと」シヴーカによる圧倒的なパフォーマンスに煽られたかのようにプッテもたいへん熱のこもったグルーヴィーな演奏を展開している。
そういえば、このCDを手に入れたのは京都の北山にある優里奈というショップだった。いつごろのことだったかはもうはっきりとは覚えていない。7~8年は前じゃないだろうか。ぼくにとって、京都-スウェーデン-ブラジルの奇妙なトライアングルの中心に、プッテ・ウィックマンという名前がある。
という、なにやらいかめしい名前のついたコーヒー豆をいただいた。編集者のKさんが、取材先の「コーヒーノート」という豆屋さんで手に入れたものだという。
ふだんぼくはあまりストレートをのむ機会がないのだけれど、ストレートコーヒーは旅ゴコロのようなものを刺激してくれるので嫌いではない。どんな土地でどんな人々によって育てられてきたのか、豆のかたちや香りをとおして想像してみることはたのしい。
いただいた豆は、その名のとおりアフリカのルワンダという国でつくられたものである。アフリカといえばコーヒーのルーツといわれ、「モカ」の産地としてしられるエチオピアやケニア、「キリマンジャロ」でおなじみのタンザニアといった国々のことがすぐ思い浮ばれるけれど、ルワンダという国の話はあまり耳にしたことがない。
それもそのはず、伊藤博『珈琲を科学する』によると、もともとコーヒーの栽培じたいは盛んな国だが、それぞれの農園の規模が小さいため生産量がすくないのだそうだ。さらに追い討ちをかけるようにして、90年代には激しい内乱のためコーヒーの生産じたいがストップしていたという経緯もあるらしい。つまり、こうしていま日本でルワンダのコーヒーがのめるということは、とりもなおさずルワンダという国が一時とくらべて平和になりつつあるということの証しといえるかもしれない。
はじめて口にするルワンダのコーヒーは、その渇いた土を思わせる独特の匂いとはうらはらに、思いのほか癖のないすっきりとした飲み心地であった。豆を煎じて飲んでいる、そんなふうにすら感じられる作為のないあじわいは、あるいは焙煎した「コーヒーノート」さんの哲学ゆえの結果かもしれない。「甦った」ルワンダのコーヒーが、いつでもぼくらの口に届くよう「平和」を願わずにはいられない。
三年ほどまえに亡くなった義父が、若いころよく聴いていたというレコードの整理を手伝ってきた。レコードはほとんどがクラシックで、SP、LPあわせてざっと百枚ほどあったろうか。うちの奥さんによると、義父がレコードを聴いている姿をみかけた記憶はまったくないらしい。若いころはずいぶん熱心だったようだが、なにかきっかけがあったのか、あるいは自然とそうなったのか、いつしかレコードに耳傾けるという習慣じたいがなくなってしまったようだ。そんなわけだから、三十年以上手つかずになっていたレコードのほとんどはカビが生えてしまっていたけれど、さいわい聴けないほどのダメージを受けているものはすくなかった。
一枚、一枚レコードを調べていておどろいた。こういうのもなんだが、「玄人好み」とでもいうか、とても趣味がよいのだ。シューリヒトの「ブル9」、ビーチャムの「ジュピター」、クレメンス・クラウスのR・シュトラウス・・・、ベートーヴェンの交響曲にしても、第2と第4はワルター、「田園」はトスカニーニ、第7はフルトヴェングラーといったぐあいに曲ごとに、しかも「なかなかやるな」と思わせるセレクトになっている。これだけでも、相当に聴きこんでいたことがよくわかる。
さらに義父のコレクションをみてゆくと、チャイコフスキー、フランス音楽、それにシベリウスがずいぶんと目立っている。好きだったのだろう。とりわけフランス音楽はお気に入りだったらしく、ラヴェル、ドビュッシー、サン=サーンスといった「定番」にはじまり、プーランク、ミヨー、それにダンディといったマニアックどころまでしっかり押さえられている。そしてもうひとつ、義父の趣味が計り知られるとしたら、それはシベリウスのヴァイオリン協奏曲のレコードが二種あったことだろうか。これ以外はすべて、ひとつの楽曲につき一種類ずつ揃えられていたことからすれば、義父はこの曲に相当強い思い入れがあったのではないだろうか。
晩年の義父は、おだやかで寡黙なひとだった。かたわらの猫をなでながら、満足げにいつも静かにほほえんでいるようなひとだった。そんな義父だったから、あまりたいした話をしたという記憶はないし、むこうからいろいろと話を切り出してくるということもなかった。けれども、こうして義父のレコードを眺めたり、針を落としたりしていると、なんだかいま義父がここにいて、生前に話せなかった分まで対話しているようなそんな気分になってくるのだ。
おかげさまをもちまして、第一回(?!)「京都珈琲フェア」は終了させていただきました。期間中ご来店いただきましたみなさま、どうもありがとうございました!
コーヒー豆というのは、かんがえてみれば「楽譜」のようなものかもしれません。おなじ「楽譜」を使っても、どうしてもそこに「演奏者」の解釈がはいってしまう。だから、原曲の魅力を存分に引き出すことのできる演奏者もいれば、反対にもてあましてしまう演奏者だっているでしょう。
今回登場したコーヒーは、どれもぼくが京都で口にして「おいしい」と感じたコーヒーばかりです。そんな魅力的な「原曲」をはたしてぼくがどれだけ上手に「演奏」できたかはさだかではありませんが、「楽曲」のよさをすこしでも多く伝えたい、そんな気持ちでたどたどしくも、いっしょうけんめい淹れていたといったところでしょうか。
すこしでも「原曲」の魅力がみなさんに伝わって、そうだ、京都行こうなんて気分になっていただけたならまさに本望、です。