なにをしたかと言われればべつになにもしてはいないのだが、それでもこの8月、9月はずいぶんと慌ただしかった。
そんな慌ただしさに追い討ちをかけるかのように、世間では事件も多かった。たとえば、のりピーが逮捕されたり、押尾学が逮捕されたり、エリカ様が所属事務所から解雇されたり、自分がむかし結婚パーティーをやった会場がのりピーの記者会見につかった会場とおなじだったり・・・。
そして、気がつけば10月だ。10月はすこしのんびりしたい。DVDを観たり、音楽を聴いたり、そのことをブログに書いてみたり。とはいえ、あいかわらず「宿題」が山ほど残っているのでたぶんそれもなかなか難しいかもしれない。平日、ひまな時間にいろいろやるというのはもっとも理にかなっているような気もするのだが、案外そうでもない。ひまというのは実に精神衛生上よくないので、気力も萎えるしアタマもぜんぜん働かないのである。時間だけだったら、コメつぶに般若心経を写すことだってできるくらい、あるのに。困ったものだ。
ところで以前ブログにも書いたことだが、moiの店内には荻窪時代からいわば「守護神」とでもいうべきムーミンの像があって、一部のお客様からは密かに「受験の神様」として信心(?)をあつめてきた。ちょうどいま、お客様のなかには数名ほど「受験」の真っ最中というかたがいらっしゃる。なかにはゲンをかついで試験帰りにわざわざ寄ってくださるお客様も。決戦の10月、どうか「ムーミン様」のご加護がありますように! ちなみに、moiの「ムーミン様」は自力で「発見」しないと御利益が得られないということになっているので(笑)場所は教えられません。あしからず。
そうだそうだ、10月はたのしみにしているパトリシア・プティボンのコンサートがあったのだった。
一ヶ月にひとつ、とりあえずの「おたのしみ」をつくること。そして毎日ひとつ、どんなちいさなことでもいいから「うれしかったこと」をみつけること。このふたつさえあれば、日々なんとかやってゆけるもんである。
ケータイで見れるメールマガジン、はじめてみました。
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ブログはどちらかといえば「読み物」メインですが、こちらは「ケータイ」の長所を生かしてメニューやイベントなどの最新情報、北欧やフィンランド、コーヒーやカフェにまつわるさまざまなトピックなどをよりカジュアルに、よりスピーディーに、週1~2回程度お届けしてゆく予定です。
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早くも台風の影響が出ている。
お客さんがぜんぜん来ない。外を歩いているのは、通学途中の成蹊大の学生さんばかり。だいたい、学生さんの数だってひどく少ないけれど。そういえば、朝買い物に出かけたらいつになくどこもレジが大混雑していた。明日の台風接近に備えてのことだろう。
台風の進路では、気象庁の予報にダマされこれまでずいぶんとヒドい目にあってきた。なので、今回も独自に情報を収集している。予想進路どおりに進めば、意外に東京は影響が少ないのではないだろうか? とりあえず、明日の朝の時点で判断しようと思っている。
ところで、
お客さんが来ないぞー
となかばヤケをおこしてメールをしたら、奥さんからこんな返信が。
「こんな日に出歩いて吉祥寺の奥地でお茶しようなんてヒトはムーミン谷の住人くらいだよ。」
よくわからんが、まあ、ムーミン谷だろうがカチカチ山だろうが来てくれさえすれば誰でもよいワケで・・・。
それにしても、家を飛び出した「座敷童」はいまどこに? スカウト、あるいは場合によっては「拉致」したいと真剣にかんがえているのだが・・・。
人間、ヒマだとロクなことをしないという例。
台風の影響で、中央線も総武線もJRは全滅。仕方がないのでバスで高井戸まで行き、そこからかろうじて動いていた井の頭線に乗って吉祥寺までたどりついた。けっきょく、スタッフとぼくがようやく店に着いたのは11時半前。いつもより2時間近く遅い。
それでも、仕込みと同時進行とはいえ12時すぎにいらっしゃったお客様にもふだんどおり対応できたのはなによりだった。「火事場の馬鹿力」ということわざではないが、意外になんとかなるものである。
さて、
先日お伝えしたmoiのメールマガジンですが、本日「第1号」を配信いたしました。ブログに書くにはまだ情報の少ない「速報」などメルマガ独自のコンテンツとなっておりますので、登録がお済みでない方はぜひぜひご購読よろしくお願い致します(↑のリンク先にて登録できます)。
写真はフィンランドのプッラ(菓子パン)のひとつ、ラハカプッラ(Rahkapulla)。
シナモンロールを焼いてくれているスタッフが、おやつ用に焼いてきてくれたもの。粗挽きのカルダモンが入ったパン生地の真ん中に、クリーム状の「ラハカ」がトッピングされている。
ところで、ラハカというのはクリームチーズとヨーグルトの中間のような、あるいは固くなったサワークリームのようなフィンランドではポピュラーな乳製品のひとつ。もちろん日本では入手不可のため、今回はクリームチーズをアレンジしてラハカに近いものに仕立ててある。目玉のような赤い実はラズベリー。フィンランドではレーズンを埋め込んだものが一般的だが、ラズベリーも、かえって酸味がアクセントになっておいしい。
お店で提供するのは難しそうだが、イベントの際に出すおやつとしてはうってつけとのことで目下相談中。うまくゆけば、来月予定している"フィンランドを旅する人のためのお役立ちイベント"
「旅講座@フィンランド」
で召し上がっていただくことができるかも。お楽しみに!
家に帰ってテレビをつけたらちょうどニュースをやっていて、そこでは
月に「体当たり」成功 NASA探査機、氷を調査
と報じられていた。asahi.comによれば、「ロケットの衝突で約350トンの噴出物が高さ10キロほどまで舞い上がる計算で、氷が昇華してできる水蒸気が含まれているかどうかを確かめることになっている」のだそうだ。
ところで、
もしも月に「水」が存在するとしたら、なにかしらの「生命体」が月に存在する可能性もなくはないわけで、となると、月の生命体からしたらこれは明らかに
攻撃
なんじゃないだろうか? 古今東西、宇宙人から攻撃をうける映画や小説のたぐいは後を絶たないが、いっぽうで自分たちが「加害者」になる、そういう想像力は地球の生命体である「人間」にはどうやら欠如しているらしい。
おなじニュースの解説によれば、今回の実験の真の目的は「宇宙開発」にあるという。月の資源を把握し、採取、地球へと輸送するにはどうしても月面での長期滞在が必要となる。そして、そのためには「水」の存在がなんとしても不可欠であるというのだ。
資源に乏しい大国が、先を争って資源豊かな《未開の》土地に赴き搾取する
という「図式」は、かつての「植民地主義」と怖いほど似ていなくはないか? そして、その植民地主義の結果として起こるべくして起こったのがあのアメリカの同時多発テロ事件であったことを思い出すべきなんじゃないだろうか? それに、月の資源を開発することで地球環境へと及ぼすことになる影響など、いったいどのくらい考慮されているのかも気になるところだ。
人間は道具を使う動物である
という有名なことばがあるが、いまやその「道具」とは「科学技術」のことにほかならないのだから。そして、「科学」と「想像力」とはつねにセットで語られるべきである。なぜなら、「想像力」を欠いた「科学」は結果的に「悲劇」しか引き起こさないからである。
もちろん、「ノーベル平和賞」を受け取ったバラク・オバマ大統領ならば、そんなこといわずともわかっているにちがいないけれど。
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このところ、大手のファーストフードチェーンが派手に展開している「コーヒー0円キャンペーン」だが、あれはいったいどうなっているのか? はるか遠くの国で育ち、はるばる海を渡ってぼくらのもとにやってきたコーヒーを「タダで」提供するという考え方がすでにどこかまちがっているような気がしなくもないが、それはともかく、あれはつまるところ
主力商品ではないコーヒーを「無料」にすることで、主力商品であるフード類の売上を獲ろうという作戦
である。他の店がそれを主力商品として商いをしているものを「タダ」にして、そのことを「ウリ」に儲けようという考えは、はっきり言ってえげつない。それは、しちゃいけないことだ。たとえ学校で先生から教わらなかったとしても、しちゃダメだ。大企業ならなおのことするべきではない、とぼくは思う。
たとえば、セルフスタイルのカフェが合理化の努力によってコーヒーを格安に提供する。それは、いい。それによって古くからの喫茶店やカフェが客を失い、消えてゆくとしてもそれはやむをえないことだ。そのかわり、よりグレードの高い味わいやほかからは得られない雰囲気で勝負を挑む。それによって、より質の高いお客様が来てくださればかえってありがたい話かもしれない。
けれども、「タダ」はよくない。コーヒーなんてやろうと思えば「無料」にできるんじゃないかという、誤った認識をひとにあたえかねない。もしも目の前にそんなファーストフードチェーンがあったなら、
モーニングセットはハンバーガー0円
で対抗してやるしかないだろう。さらにバイトを100人雇い、毎日行列させて満面の笑顔でこう注文させるのだ。
「コーヒー下さい。単品で。」
冗談はさておき、
いま発売中の雑誌『カフェ&レストラン』には、「『0円コーヒー』の衝撃。禁じ手に惑わされるな!」というタイトルでフードビジネスコンサルタントの永嶋万州彦さんが文を寄せている。そして文章は次のようにしめくくられている。「カフェである以上、主力商品のコーヒーのディスカウントはまさしく百害あって一利なしなのです」。その通り。
こういうときだからこそ、ここでしかできないことはなにか考え、実行すべきなのだろうと思う今日このごろ・・・。
本日、メールマガジン「moi通信~日々のカフェ」第3号を配信しました。今号もイベント速報、それに読者限定のサービスなどご案内しております。まだの方、ぜひご購読よろしくお願い致します(↑上のリンクより携帯電話&PCで登録できます)。
さて
友人の音楽家/ギタリスト、高橋ピエール君よりあたらしいCDが届けられました。
ア・トンノレイユ
フランス語で、「君の耳元で」という意味だとか。クラシックギターの柔和な響きと控えめに奏でられるその他の楽器、そして効果音とが出会い、あたかもフランス映画のサントラのような独特の「波動」を感じることのできる一枚です。
休日の午後、ほどよい音量でこのCDを聴いたなら、きっとジャック・タチの映画を観たあとのようなやさしい気持ちになれることでしょう。
高橋ピエール CD『ア・トンノレイユ』 1,470円
君と僕との色々な角度/針金のワルツ/水玉のワンピース/組曲「les calendriers」より/一度だけ (全5曲入り)
moiにて好評発売中、です。
自慢じゃないが、宮崎アニメをちゃんと観たことがない。「日本人でそんなひといるんですか?」とスタッフ一同あきれ顔だが、マンガにもアニメにもたいして興味のなかった子供がそのまま大きくなったらそうなった、それだけの話である。
しかし、その日は突然やってきた。ある日、スタッフのひとりが宮崎アニメのDVDを貸してくれるという。とりたてて観たいとも思わないかわりに、なにがなんでも観たくないというワケでもない。なので、さっそく貸してもらい観てみることにしたのだった。
記念すべき人生初のスタジオ・ジブリは、
『天空の城ラピュタ』。
とはいえ、ピュアな心など遠いむかしに見失ってしまった、しかもどこで見失ったかすらもはや思い出せない、そんな汚れきったオトナが「いまさら」宮崎アニメの世界に踏み込もうというのだ。真っ向勝負では楽しめないとかんがえたほうがいいだろう。大人には大人の、大人なりの宮崎アニメへのいわば「ツボ」があるんじゃないか? だから自分なりに、自分(=オヤジ)の見方で「宮崎アニメ」を観てみようと思うのだ。つまり、アラフォー世代に贈る
40歳からの宮崎アニメ。
そんなテーマを胸に秘めつつ『ラピュタ』を観たいとかんがえたのである。
──
さて、物語は空中に浮かぶ伝説の国にかつて暮らしていた「ラピュタ人」の末裔で、王家の血を引く少女シータと、彼女が先祖から受け継いだ魔法の宝石「飛行石」を狙う「軍隊」と「空賊」、それに彼女を守ろうとする少年パズーによる冒険が軸となっている(まあ、わざわざ書く必要なんてないのだろうけれど)。ちなみに、この『天空の城ラピュタ』が制作されたのは1986年。1941年生まれという宮崎駿にとって45歳のときである。まさしく「四十男」。当然、そこに多少は人生の機微も知った四十男なりのパースペクティヴをみてとることができるにちがいない。
たとえば、ムスカ大佐率いる「軍隊」と、ドーラ率いる「空賊」との描き方のちがいである。
「飛行石」をもつ少女シータを追い回すという意味では、そのどちらもおなじように「悪党」である。だが、物語が進むにつれ人情味を増してゆくドーラに対して、強大な「軍隊」を率いるムスカは目的のためには手段を選ばない冷酷な人物として描かれる。
渡る世間は鬼ばかり。じぶんの国の政府やましてや軍隊が、いつもじぶんを守ってくれると思ったら大間違いだ。
いかにも苦渋に満ちた、四十男らしい箴言がここにはある。あらゆる「力」への懐疑心、反骨精神、孤独を恐れない勇気こそがこの作品の「軸」なんじゃないだろうか?
さらに、印象的なシーンをもうひとつ。追っ手から逃れたシータとパズーが廃坑の中で「目玉焼きトースト」を食べるシーンがそれである。
ショートケーキの上のイチゴを最初に食べるか? それとも最後までとっておくか?
これはありふれた、だが永遠に答えの出ない問いかけなワケだが、みなしごで炭坑ではたらく少年パズーが「ジュルっ」」という音を立てトーストの上にのっかった目玉焼きを最初に一気食いしてしまうのはわかる気がする。
いっぽう、その様子をみたシータはというと、「おいしそう」と言っておなじように「ジュルっ」と真似をする。もともとはラピュタ王家の血を引き継ぐシータの目には、パズーの、けっして上品とはいえない動作すらも新鮮に映ってしまうのだ。「目玉焼きトースト」でいずれ明らかになる少女の「血統」をほのめかす。それは、オードリー・ヘプバーンが街頭でアイスクリームをほおばる、あの『ローマの休日』のワンシーンを連想させるものだ。いや、ひょっとしてこれは宮崎監督による『ローマの休日』へのオマージュ? などとアラフォーの想像力はとどまるところを知らない・・・
得意じゃない宮崎アニメの話題がでたとき、こんな具合にいろいろ口からでまかせを並べ立て相手を煙に巻いておいて、すかさずじぶんの得意なネタに話を転じる。
これが、「大人の処世術」ってもんじゃないだろうか。・・・着地点、ジブリにまったく関係ナシ(苦笑)。
本日、メールマガジン「moi通信~日々のカフェ」004号を発行しました。イベント「旅講座@フィンランド」のご案内&申し込み方法ほか、一足先にご案内させていただいております。まだ購読されていない方は、ぜひ上記リンクからご登録下さい(携帯、PCどちらも購読可)。お待ちしております!
──
さて、本題。
「ジブリのアニメを観たことがない」と言ったらスタッフが『ラピュタ』のDVDを持ってきて貸してくれた、という話は先日書いたとおり。その後、面白がってべつのスタッフがこんどは『千と千尋の神隠し』を貸してくれたのだが(まだ観ていない)、それにくわえてもうひとつ、『攻殻機動隊~Solid State Society』のDVDもあわせて貸してくれたのだった。
「攻殻機動隊」といえば、以前スタッフとしてはたらいていたUが押井守好きで、「オシイマモルって?」とトンチンカンな質問をしたぼくに対して、「コウカクキドウタイですよ」とますます意味不明の返答をして余計ワケがわからなくなった思い出がある。ちなみに、そのときUに「コウカクキドウタイってどんな字書くの?」と尋ねたら、平然と「甲殻類のコウカクですよ」と答え、そのときは「カニかよっ」と思いつつもそのままにしておいたのだが、今回あらためて見たら、
全然ちがうじゃーん。
説明するのが面倒になったな、さては・・・。勝手にカニっぽいロボットを想像してたよ。
まあ、いい。そんなこんなで『攻殻機動隊 Solid State Society』を観たのだった。面倒なのでストーリーは書かない(書けない)が、「少子高齢化問題」「住基ネット」「児童虐待」「孤独死」といった社会問題を軸に「民族問題」やそれが巻き起こす「無差別テロ」といった要素が絡み、かなり混沌かつ暗鬱とした物語が展開される。そして実際のところ、そうした問題のひとつひとつがいまだ解決される見込みがないばかりか、今後ますます重い問題としてぼくらの生活にのしかかってくることが必至なだけに、フィクションとして俯瞰して観ることができないのである。以前、『攻殻機動隊』は「難しい」「よくわからない」という話を小耳にはさんだことがあるのだが、よくありがちな勧善懲悪的なお話とちがってぼくら自身が「正解」を持っていないため、要は観ていて居心地が悪く、不安なのだ、たぶん。
たとえば、この『Solid State Society』でいえば、ラストの後味はきわめて悪い。ソリッド・ステート・システムという概念を構築したコシキタテアキという人物が語ることがらは、あまりに短絡的とはいえ、たしかに的を射ているように思われるのだし、それゆえトグサは自分のしたことに対し「これでよかったんだろうか?」とつい呟かずにはいられないのである。人間が「義体化(肉体の一部をサイボーグ化すること)」によってその可能性を拡張することに成功したとしても、ここで扱われるような問題はけっして解決されるわけではないということを作者は示唆しているのかもしれない。
それにしても『ラピュタ』→『攻殻機動隊』って、このブログいったいどこへ向かおうとしているんだろう???
オリオン座流星群のピークが昨晩と聞き、深夜に自宅のベランダから夜空を見上げていました。
流れ星が出現するという東の空はちょうど駅の方角にあたっていて、ネオンや街灯りでぼんやり明るい。しかもうっすら靄(スモッグ?)もかかっていて条件はあまりよくない感じです。けっきょく一時間くらい粘って、ようやく大きな流れ星をひとつ観測することができたのでした。でも、そのたった一個は本当に大きくて、明るかった。ハレー彗星の残した「ちり」だなんて信じられないくらいに。
ひさしぶりに夜空をたっぷり眺めた夜は、心なしかふだんよりよく眠れたような気がしました。
今週はもうまったくと言っていいほどだめだめで、ため息をもはや通り過ぎ、ひたすら楽天の野村監督なみにボヤいている。なんでも、巷では「つぶやき」を投稿する「Twitter」なるものが流行っているらしいが、お店をやっている人間がひたすら「ぼやき」を投稿する「ボヤッキー」があったなら、それはそれで案外癒されるかもしれない。
40歳からの宮崎アニメ。第二弾は
『千と千尋の神隠し』
である。これはかなり大人向け、っていうか、子供向けではないという意味で前回の『ラピュタ』よりもとっつきやすい。まあ、子供を主人公にしてるからってその映画が「子供向け」とは限らないわけで、すくなくともこれは単純な「子供向け映画」でないことは明らか。
『ラピュタ』のときに感じたのは(ここで『ラピュタ』と比べるのは、ぼくがほかに宮崎アニメを知らないから)、
ひとを見かけや第一印象で判断すると痛い目にあうぞ
というある種の「法則」のようなもので、それは『ラピュタ』では国家や権力といった中心的対象への懐疑心のようなかたちで表れていたけれど、『千と千尋~』ではさらにさまざまな、ある意味よりわかりやすいかたちで描かれている。「釜爺」や「リン」、「オクサレ様」をはじめ、千(千尋)の知らないところで別の顔をもつ「ハク」などがその一例。批判的なメッセージすら感じられた『ラピュタ』にくらべれば、この『千と千尋~』の宮崎監督はずっと柔和だ。柔和という言い方が正しいかはわからないが。いずれにせよ、もはや二項対立的な図式では語れない次元に宮崎監督自身が突入してしまったのは確かだ。
それにしても、いったいこの作品全体に漂う「猥雑さ」のようなものはなんなのだろう?
ここでは名前を奪ってひとを支配するんだーというハクの台詞が気になって、いろいろ考えを巡らせているなかで映画評論家の町山智浩さんのブログに行き当たった。たぶん有名な話なのだろうけれど、なかなか衝撃的な、でもいろいろなことが腑に落ちる解釈である。
う~む、やっぱりこれはオトナな映画だ。
10月になって2度目の台風の影響で、朝から土砂降り。しかも冷たい風まで吹いている。ロジャニコの名曲に「雨の日と月曜日は」という曲があるけれど、まさにそれを地で行くような憂鬱な空模様である。それでもそんななか、わざわざ足を運んでくれるお客様がいるのは本当にありがたいことだ。しかも早じまいだというのに・・・
そんなわけで、なんだか申し訳ない気分になりながら銀座の王子ホールにやってきた。フランスのソプラノ、パトリシア・プティボンを聴くために。
こんど来たときにはぜったい聴きにゆかなきゃと思っていたプティボンの来日が決まり、曜日の確認もせずにとりあえずチケットを押さえたのがたしか、半年くらい前のことだった。コンサートのための早じまいなんて、思えばジョアン・ジルベルト以来である。2、3年に一度くらいなら・・・そんな「甘え」があるのも、事実。スイマセン。
今回のプログラムでは、前半にヘンデル、ハイドン、モーツァルトといったバロックから古典派にかけてのオペラアリアが並んでいる。黒いドレスに身を包んだ赤毛のプティボン、最初の3曲を情感豊かにしっとりと聞かせる。
ついに「お笑い」は封印か? と思いきや、つづくモーツァルトのアリアではいきなり伴奏者とともに
ファッション誌片手に、ド派手なヅラをつけて登場(笑)。
その後も、客席に潜んでいた謎のおっさん(コメディアンだと思ったらじつは立派な方だった)相手にコミカルな演技をしながら歌い踊ったり、ピアノの上に足を投げ出したり、客席に浮き輪やらなにやらを放り投げたりと相変わらずの暴れっぷり。やはりプティボンはプティボンなのだった。
つまり、とにかくプティボンは自分の好きな歌を、あるいはいま自分がいちばん聴き手に届けたい音楽を、歌う。それはたとえば、ぼくのような聴き手にとっては縁遠いハイドンやヘンデルの歌曲、アリアであったり、現代の作曲家による雲をつかむような響きのラブソングであったり、あるいはまた本来はテノール(つまり男声)によって歌われるべきバーンスタインの『キャンディード』からのアリアだったりする(パンフレットによれば「好きなメロディーを自分なりに歌いたい」というのがその理由)。
客も客で、プティボンの歌に新たな「たのしみ」や「発見」を見いだすことを心から楽しんでいる。ステージ(やときには客席内)を歩き回ったり、さまざまな小道具を繰り出したかと思えばコスプレまがいの扮装をしてみたり、そんな彼女のアイデアがたんなる奇抜さやウケ狙いではなくて、聞き慣れない曲を120%楽しむために大いに役立っているということをよく知っているからだ。聴き手は、プティボンという「キャラクター」を通すことで、作曲家の名前や有名な曲だからといった理由を忘れてとてもフレッシュな心持ちで音楽に心を開いている自分に気づく。
音楽を聴くたのしみって、つまりこういうことなんだなあ。
強風で傘があおられそうになるのを必死でこらえながら、帰り道かんがえていたのはそいうことだ。
↓ちょっと前の映像から。フランスの作曲家シャブリエによるオペラ『エトワール(星占い)』からのアリア「くしゃみのクプレ」。
本日、メールマガジン「moi通信~日々のカフェ」第6号を配信しました。いつもながら独自コンテンツにてお届けしております!
当初、100人くらいのお客様に読んでもらえたらいいなと思ってスタートしたメルマガですが、おかげさまでこの一ヶ月弱のあいだに
99名
の読者に恵まれました。ありがとうございます!とりあえずの目標まで
あと1名!
まだご登録いただいていない方、ぜひこの機会に「欽ちゃんの仮装大賞」で「合格までのあと一点を追加で入れる審査員」になった気分でポチッとご登録お願いします! あなたの株が上がります(ぼくの中で・・・笑)。
──
話はかわって、パブリシティ情報をひとつ。
10/27[火]付の朝日新聞夕刊のマリオン「まちあるき」欄にて、モイ店内のカードショップ「コルッティ」をご紹介いただいております。
イラストレーターで、『文房具さんぽ』の著者、木下綾乃さんの案内で吉祥寺の文房具屋さんを散歩するという特集です。なお、記事はネットでもごらんいただけます(→こちらをクリック)。
ところで、モイにも自転車でちょくちょくお茶しにきてくださる木下綾乃さんですが『BOOK COVER』と題された一冊がとてもすてきです。お気に入りの本にじぶんだけのブックカバーをかけてしまいたいという思いから描かれたイラスト集です。ふだんはあまり外国文学はあまり読まないのですが、ページを繰っているうちどうしてもそのストーリーに触れてみたくなるような一冊。こんど、たまたま開いたページでとりあげられている小説を買ってみようと思ってます。これからの季節、プレゼントにもよさそうです。
最近知ったニュースのなかで、もっともイヤな感じをうけた見出し。
マイケルさん 死後81億円稼ぐ
ぢっと 手をみる
三作目にして、すでに《禁断の作品》に到達してしまった。
四〇歳からの宮崎アニメ。今回は『耳をすませば』、である。またしてもスタッフが貸してくれたわけだが、原作が少女マンガというところからしてすでにハードルが高い感じだ。
観て、まず思ったことは
── 個人情報の取り扱いについて
である。主人公である読書家の少女は、じぶんが図書館で借りてきた本がいつもおなじ人物によって先に借りられていることに気づき、その「天沢聖司」という人物に興味をもち少女特有の妄想(=「サラダ記念日」的な)を爆発させるのだが、こうした妄想を抱けるのはもちろん、本の「貸し出しカード」というものがあってこそである。
現代は、なにかと「個人情報」の取り扱いについてはうるさい時代である。個人名ばかりか、その人物がいつなんの本を借りたかわかってしまう「貸し出しカード」などという代物はけっして許されるはずもなく、よって少女は少女らしい妄想にひたる余地もあたえられないままオトナになり「婚活」に専心することになる。宮崎監督に、「個人情報」についての考えをぜひ訊いてみたいところだ。
そこで、いまのような無味乾燥なカードなんかではなく最低限のプライバシーは保護しつつも、なにがしかの「情緒」が芽生えるようなアイデアはないものかと、この映画を観ながらぼくはかんがえた。
たとえば、ネットの掲示板などでよくみかけるHN、つまりハンドルネームなんかにしたらよいのではないか? 村上春樹の『ノルウェーの森』の「貸し出しカード」を見ると、鉄平ちゃん、ゆっこ、HANA、コータ1977といったハンドルネームがずらりと並んでいるといったぐあい。これなら個人を特定することはできないので借りるほうとしても安心だし、少女の妄想の受け皿としてもちゃんと機能する。
図書館で借りてきた本の「貸し出しカード」をなにげなく見た少女は、いつもおなじ人物によっておなじ本が先に借りられていることに気づくのだ。その人物の名(HN)は、
── 肉球。
ダメだダメだ。ありえない。そんな人物のことこれっぽっちも知りたくない。よって、この案はボツ。
話は少々脱線するが、よく本屋さんにゆくひとならば二ヶ月に一度くらいは素敵な異性とおなじ一冊の本に同時に手をのばしてしまい互いに「ハッ」とする・・・そんな出会いを体験しているにちがいない。要するに、行き過ぎた個人情報の保護やア◎ ゾンで本を買ったりするなかに「出会い」はない、ということである。
「婚活」が流行語になり、それを逆手にとったかのような悪質な結婚詐欺事件が取り沙汰される昨今、この『耳をすませば』はたいせつなことに気づかせてくれる作品である。
PS.道で知り合いをみつけたら、無邪気に「ヤッホー」と声をかけることも重要。
── 夢がない、、、
またスタッフから云われそうだな。