◎ その1 どこよりも早い夏休み!?
moiは明日から、ちょっと(いや、かなり?)早めの「夏休み」をいただきます。
よって、
6/2[火]から6/11[木]まで
お休みさせていただきます。12[金]より通常営業となります。ちなみに、四年ぶりに北の国を旅してまいります。戻りましたら、これからフィンランドを旅する方々に活きのいい情報をお伝えできるのではないかと思っておりますので、何卒よろしくお願い致します。
◎ その2 フィンランド語教室/入門クラス
7月より、フィンランド語教室の入門クラスを新規でスタートいたします。
授業は、日曜日の午前11時より正午までmoi店内にておおこないます。月4回の実施となります。
なお、受付、質問等はお休み明けにあらためてこのブログに告知させていただきますので、それ以降よろしくお願い致します。お休み中にご連絡いただいても返信できませんのであらかじめご了承下さい。
以上、よろしくお願い致します。
無事、フィンランドから帰国しました。
滞在中は前半お天気が悪く日中の最高気温がなんと! 6度なんて日もあったのですが、後半はなんとか晴れてくれ多少は「夏らしさ」も堪能することができやれやれです。
とはいえ、ヘルシンキ、トゥルク、それにエスポーといろいろ面白いスポットを見て回ることができ、思っていた以上に内容の濃い旅となりました。また、追々いろいろなかたちでみなさんにお伝えできればと思っています。
とりあえず時差ボケ? と白樺かなにかの花粉でややヘロヘロなので本日はここまで。金曜日からは通常営業ですのでぜひお店でお目にかかれればと思っております!
フィンランドをコンセプトにした北欧カフェで、たのしくフィンランド語の勉強をしてみませんか?
moiフィンランド語クラス「入門編」
内 容 「入門編」では、はじめてフィンランド語と接する方を対象にABCから始め、旅や日常生活の中でよく使う表現を中心に、文法、会話、発音の勉強をします。講師はフィンランド人(日本語可)が担当
します。
日 時 毎週日曜日 午前11時~正午
場 所 moi(吉祥寺)店内
回 数 月4回
初 回 7月12日[日]
形 態 5~8名程度のグループレッスン
白くもやけた東京(正確には、千葉)。いつもの風景。
いつもとちがっているのは、ここが成田の「第二ターミナル」だということ。四年前までは、確かにフィンランド航空は「第一ターミナル」だったはずなのに。迷うことなく列車の切符を「第一」まで買い悠然と乗っていたのだが、なぜか不意に気になり携帯で調べたところ「フィンランド航空=第二ターミナル」となっていて面食らった。知らずに「第一」に行っていたら泣きをみるところだった。しかしこの話を誰にしたところで、「えっ、いつも第二ですよ~」と相手にしてくれない。四年とは、じつにそういう長さなのだ。
相手にしてくれないついでに言えば、飛行機が離陸するときいつも味わうのは「深海魚の気持ち」である。海底から引き揚げられ内蔵が口から飛び出してしまうチョウンアンコウは、きっとこういう感じなのだろう。
もちろん、そんなこと、誰に言っても共感してくれない。地球に優しくする前に、少しは深海魚もいたわったらどうなんだ。飛行機が飛び立つとき、いつもかんがえているのはだいたいそんなことである。
どんな街に出かけても、きまって行く場所といえば「喫茶店」と「レコードショップ」。その街の「気配」をダイレクトに感じることのできる場所だから、というのは後からとってつけたそれらしい言い訳にすぎなくて、実際のところは、ただたんにそういう「習性」なのだろう。
今回も、ヘルシンキに着いて早々に向かった場所はレコード屋。いましも店では「Es」ことサミ・サンパッキラのインストアライブが始まろうとしている。とはいえ、お客はせいぜいぼくらも含めて10人といったところ、店頭にニューアルバムを派手にディスプレイするでもなく、かといってそれらしきMCがタイミングよく差し挟まれるといったことも、ない。はたしてこれでプローモーションになっているのかと、こちらが思わず不安になるほど。
ところでこれはまったくの偶然なのだけれど、ぼくは彼サミ・サンパッキラのDVDを持っている。2年半ほど前、たまたま新宿のタワレコで手にとったのがそのDVDだった。
「やあ、サミ、ぼくはきみのDVDを持っているんだ」
なんて、パーティーでのアメリカ人のようなスマートな会話術をもたないぼくはイベント終了後店内の商品を一通りチェックし、なにくわぬ顔で店を後にしたのだった。
3番、1番、8番に4番、今回は天気があまりよくなかったし、移動もけっこう多かったのでいつもより「トラム」のお世話になった。
ヘルシンキの音といってまず思い浮かべるのは、ぼくの場合、あの喧しいカモメの鳴き声と、それになんといっても「トラム」の音だ。鉄の重たい塊がレールの上をゆっくり通過してゆくその冷たい響きを耳にするたび、「ああ、ヘルシンキに来たんだなあ」と実感することになる。
ところで、路面電車の音がほかの乗り物のそれと決定的にちがうところは、路面電車の場合、行ってしまった後もしばらくその「余韻」がそこにとどまっているという点にある。高さにすれば地上50センチメートルのあたり、それはコォーンとなんとなく名残惜し気に漂っているのだ。とりわけ「雨の日」には。いや、ただ自分が立っているのと同じ地面を走っているせいでその震動が静かに身体に残ってそんなふうに感じられるだけの話かもしれない。にしても、路面電車の音にはほかの乗り物にはない、どことなく「人懐こさ」のようなものがある。
なんて、
相変わらずそんなこと考えているのはぼくくらいかもしれないけれど、もしヘルシンキの街にあのトラムの音がなかったら、ぼくはこの街にこれほどまでの親しみを感じることがあったろうか?
ヘルシンキの街をそぞろ歩きしていると、どの地区にもきまってひとつやふたつ、わざわざ目指してゆくほどではないにせよ通り過ぎてしまうにはあまりに惜しい、そんな風情の地元のひとたちから愛されているパン屋さん(Leipomo)があったりする。
これは、「かもめ食堂」ことカハヴィラ・スオミとおなじ「Pursimiehenkatu」にある「Kanniston Leipomo」のシナモンロール(手前)。雨の中、入れ替わり立ち替わりやってくるご近所の老若男女の存在が、ここのパンがいかに地元に根づき彼らの生活の一部として息づいているかを伝えてくれる。
素朴にして飽きのこない、普段着のシナモンロール。
今回のフィンランド旅行ではヘルシンキ在住のデザイナー、えつろさんにずいぶんとお世話になった。えつろさんはモイのウェブデザインをしていただいた方。という以上に、日本のフィンランド関係者? にはおなじみの方でもある。
えつろさんの車で、エスポーをあちらこちら案内してもらっている途中「発見」したのが、まるでUFOのようなこの物件(写真上、右手)。
ハウキラハティという場所にある給水塔だ。って、えっ? これが給水塔? という感じの驚くべき近未来的プロポーションである。調べてみると、建造は1968年。そう、1968年といえば建築家マッティ・スーロネンが手がけた「UFO住宅」こと「FUTURO」とおなじ年。「1968年」はフィンランド人にとって「UFO元年」だったのだろうか?
えつろさんによれば、この給水塔は「ハイカランペサ(コウノトリの巣)」という名前のレストランにもなっている。ノキアの本社が近いことから「接待」などでよく使われにぎわっているらしい。
ちなみに後になって知ったことだが、レストラン名にもなっている「ハイカラ」とはフィンランド語で「コウノトリ」という意味なのだった。70年代に活躍したフィンランドのプログレバンドにその名もずばり「Haikara」というのがあって、てっきり「はいからさんが通る」の「ハイカラ」からとられているものだとばかり思っていたのだが、なんだ、そういうことだったのか・・・
追記 みほこさん情報によればこのレストラン「Haikaranpesä」、景色はもちろんビュッフェのお料理がなかなかおいしいことでも評判なのだそう。お値段も、ランチで38ユーロとなかなかに立派ではありますが。さすがはみほこさん、いいところでお食事されていると違ったところでも感心(笑)。
追記その2 この給水塔が「現在は使われていない」というのはぼくの勘違いだったようで、えつろさんによると現在もしっかり稼働しているそうです。というわけで、訂正させていただきました。&ご本人から「知らないひとがいない」なんてことはないのでお手柔らかにとの指摘がありましたのでソフト? に言い換えさせていただきましたが、、、ご本人が思っている以上に実は「有名」だと思いますよ(笑)。
フィンランドの旅では、「サイトウノート」が役に立った。フィンランド語クラスのサイトウさんが、みずからまとめた旅の会話帳を貸してくれたのだ。実際の会話の場面でこの「サイトウノート」が大活躍するということはなかったものの、パラパラめくっては大いに楽しませてもらった。
そこには、
── カギを部屋に閉じこめてしまいました。
── ハムを200グラム下さい。
── お腹の具合が悪い。
といった(おそらく)実体験にもとづくと思われる文例もあるのだが、第三者にはまったく意味不明な文例も多々登場する。
── 中心街からBemboleへはどう行くか知っていますか?
── Bemboleは中心街から離れてる?
さらに、
── このバスはどこ行き? Bembole?
いったい「Bembole」ってどこなんだ???(注 その後本人に確認したところキミ・ライッコネンの生地であることが判明)
ほかには、
── キミにはがっかりだ。
どんな場面で使えというのか・・・
さて、そんな「サイトウノート」にこんな文例をみつけた。
── スオミでは、木曜日に豆スープを飲みます。
そう、フィンランドでは「木曜日は豆スープの日」なのである。街角のカフェのランチも「豆スープ」(写真)。そして「豆スープ」には、以前いちどだけモイでも出したことのあるフィンランド流パンケーキ「パンヌカック」が添えられる。
── スオミでは、木曜日に豆スープを飲みます。そしてパンヌカックを食べます。
「サイトウノート」の応用編である。
わっ、フィンランドっぽい! だってテントが「マリアンネ」色だもん、と思ったひとはなかなかのフィンランド通(?)。
トゥルクのカウッパトリ(マーケット広場)は土曜日ということもあってか、以前訪れたときよりもずっと賑わっていた。野菜やくだものを売るテント、魚や肉を売るテント、ちょっとした生活雑貨や衣料品を扱うテントなどが所狭しとひしめいているのだが、そんななかでもとりわけ目立っていたのが花屋さんのテント。夏ならではの光景といえるかもしれない。ただしこの日気温はたったの7度だったのだが・・・。
広場の片隅には、パンや焼き菓子のテント、それに粉屋さん(写真下)なんかも出ていたりして、ここが生活密着型の、たとえば日本のどこか地方都市の朝市のような場所であることが実感できる。午後には特設ステージで地元新聞社主催のイスケルマ(日本の昭和ムード歌謡にそっくり)の「のど自慢大会」が開かれ、年配のひとびとが盛り上がっていた。
でも、じつはいちばん印象的だったのは広場の片隅にかたまってスパスパとタバコを吸っているばあちゃんたちの一団。この国の女性のパワフルさを象徴する貫禄十分、迫力満点な眺め、でした。
今回の旅で行った唯一の観光スポットらしい場所といえばココ、「トゥルク大聖堂」。
旅行4日目にして初めての青空、というのはよいにしても、とにかく寒い。寒すぎる。そこで大聖堂にある「domcafe」で暖を取ろうとかんがえたのだが、朝の10時半前に到着したのにあいていない・・・。しかも、以前訪れたときは扉があいていて教会の内部も見学できたのに、この日は扉もしっかり閉ざされたままで中にも入れない。だいたい、教会の周辺にまったく人影が見あたらないのだ。大袈裟でなく、広場も含め見渡すかぎりぼくら以外だれもいないってどういうことよ、ホント。
で、なぜかヒジョーに中途半端な場所に意味ありげに一脚ポツンとイスが放置されているのだった。
仕方がないのでなんとなくトゥルクの街を見守るボランティア警備員(?)をやってみたのだが・・・不毛だな。
日本人のパブリックイメージとはちがって? 、案外じっさいのフィンランドはこんなんだったりもする。
宣伝カーかと思いきや、フツーのバス(たぶん)。行き先に「練馬営業所」とか書いてあるような、ごくごくふつうの市バスである(おそらく)。
たとえばどこかに出かけようと思ってバス停で待っていたら、むこうからやってきたのがよりによってこんなバスだったら、と思うとひどく気が滅入る。なにせ、一本やり過ごすにしてはフィンランドという国は寒すぎる。
まあ、百歩譲ったとして乗るのはいい、乗るのは。問題はむしろ降りるときだ。いったいこんなバスからどんな顔をして降りてこいというのか。
とりあえずは、中指の一本も突き立てておいたほうがよさそうだ。
とはいえ、こんなふうに観光に来た東洋人が写真を撮ってしまったりするくらいだから宣伝効果は上々ということだろう。
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フィンランドは、さすがに「一人あたりのコーヒー消費量世界一」になるほどの国だけあって「コーヒーを飲む」には困らないが、いざ「コーヒーを楽しむ」となると途端にむずかしくなる、そんな印象のある国だ。いいわるいの問題ではなく、いってみれば「コーヒー」というものに対する距離感がぼくら日本人とはまるっきり違っているのだ。
カフェでは相変わらずコーヒーメーカーでコーヒーを落とし、お客はじぶんでカップに注いで席につく。ときには半分煮詰まってしまったようなコーヒーに出くわすこともあって、油断ならない。しかもどこに行ってもちょっと酸味のある、極端に言ってしまえば「おんなじ味」のコーヒーが出てくるので「苦味」が恋しくなると(できるだけちゃんとした)「エスプレッソ」を出してくれる店を探して街をさまようことになる。
幸いなことに、ことエスプレッソにかんする限り、フィンランドのコーヒーをめぐる状況は進化しているようである。たとえば、今回訪ねた「Kaffecentralen」(写真↑↓)やトゥルクの「Cafe Art」のように優秀なバリスタを擁していることを「売り」のひとつとしているカフェもあるし、前回おいしいエスプレッソを飲むことのできたLiisankatuの「Espresso Edge」も健在だ。近年、「ワールド・バリスタ・チャンピオンシップ」の優勝者がノルウェーやデンマークといった「ご近所」から出ていることが刺激になっているのかもしれないし、若い世代のライフスタイルの変化といったことも、たぶん関係しているのだろう。
「Kaffecentralen」も、近所の住人やオフィスで働くひとびとが次々やってきてはテイクアウトでコーヒーを買い求めてゆく、そんなカフェとしての顔をもつ一方、店の半分はエスプレッソマシンや器具、消耗品、コーヒー豆などを販売するかなりマニアックなショップスペースになっていて、フィンランドにおける「エスプレッソ」の普及や啓蒙に力をいれていることがよくわかる。ちなみにウェブサイトによると、フィンランドでおこなわれた国内のカッピング・コンテストではこの店で活躍するふたりのバリスタが一、二位を独占したとのこと。
エスプレッソの苦味で一服つき、おみやげにコーヒー豆でもと思い見ていたら「kaffa Roastery」という地元フィンランドのロースターによるブレンド「Go'Morron」を発見、買ってみた。
スウェーデン語で「おはよう」(でいいのかな?)とネーミングされたブレンドだけにライトな飲み口が特徴的だが、個人的には
もしもぼくがフィンランドに暮らしていたらここの豆を買うかも
という感想をもった。
2003年に当時まだ大学生だったふたりの若者がスタートさせたという「Kaffa Roastery」だが、「Paulig」の独占市場ともいえるフィンランドのコーヒー業界だけにそこで勝負するというのはけっしてたやすいことではないだろう。それでも、今後彼らがそれなりのポジションを獲得するようなことになれば、こうしたちいさなロースターが次々と新規参入を図るといったことだって考えられなくもない。だいたい、コーヒーの消費量という意味ではものすごくポテンシャルを秘めた国なわけだから。そしてそうなれば、ぼくらにとってもまた、よりおいいしいコーヒーに出会えるチャンスが増すわけで、まさに言うことなしである。
ヘルシンキのおとなり、エスポーの、このあいだのUFOのような給水塔とおなじエリアにあるビーチ。
日本には、「白砂青松」という典型的な海辺の景色をあらわすことばがあるけれど、ここフィンランドではどうやら違うらしい。
白砂白樺
おかげで、コテコテの日本人の目にはどうがんばっても「海」には見えない。「湖」である。おまけに波がほとんどないのでますます「湖」にしか見えなくなってくる(連れてきてくれたえつろさんの話では、風の強かったこの日はまだ波があるほうとのこと)。
そしてこれまた面白いことに、このあたりはとても奥まった入り江のため海水に含まれる塩分がとても少ないのだという。言われてぺろっと海水を口に含んでみたのだが、
ほんとうだ、ぜんぜんしょっぱくない!飲んでしまえるくらいの(飲まないけど)うす塩!
ますますぼくの中では「湖」疑惑が高まるのだが、どうも正真正銘、ホンモノの「海」らしい。高血圧のひとにもやさしい、減塩仕様の海水浴場なのである。
ここでちょっと箸休め。
休みの日、ぶらりと『マン・オン・ワイヤー』という映画を観に行ってきたのだが、これが予想をはるかに超えてよかったのだ。
一九七四年、ニューヨークのいまはなき「ワールドトレードセンタービルディング」のツインタワーに綱を渡し、綱渡りをしてみせたフィリップ・プティという男をめぐるドキュメンタリーフィルムである。
さまざまなエピソードが、本人そして関係者(=共犯者)たちへのインタビューや記録映像、再現フィルムなどを通してつづられてゆくのだが、そのなかで気になったのは彼が「綱渡り」を「独学で」始めたということ。だれに教えられたでも薦められたでもなく、彼はみずからの意志で、その欲求のおもむくままに「綱渡りの男(=MAN ON WAIRE)」になったのだ。その意味で、かれはけっして「大道芸人」ではない。どちらかといえば「登山家」のような精神で、かれは綱の上を歩く。
ところで「綱渡り」という単語にはとても孤独なイメージがつきまとうが、「綱渡り」はけっしてひとりではなしえないということを、この映画からあらためて知った。まるでなにかに取り憑かれたかのように空を歩くことに固執するフィリップ・プティという男を「死なせないため」に捧げられた、信じがたいほどの無償の愛情と友情。ワールドトレードセンタービルディングでの綱渡りという「偉業」にどこか神聖な儀式のような厳かさを感じてしまうとしたら、それはたぶんそのピュアな愛情と友情のためだろう。
さまざまな人々の「人生」が、邦題にもなっている「綱渡りの男」ということばに収束してゆく。感動的で、また同時にほろ苦い「物語」である。
なにを隠そう、トゥルクまで足をのばしたのは「Museo Kahvila」こと「Wanhanajan Puoti」へ行くためだった。フィンランド随一のコーヒーグッズのコレクターであるオーナーが、みずからのコレクションを展示している個人ミュージアムである。
さほど広くもない店内には、壁いっぱいに所狭しと並んだコーヒー缶をはじめ、コーヒーの抽出に用いたパーコレーターの類や紅茶、砂糖、サルミアッキ(コーヒーのお供という位置づけ?)といったアイテムまでが一堂に展示され、フィンランド人とコーヒーをめぐる壮大な「オレ流」一大歴史絵巻? を繰り広げている。
ところで、「Museo Kahvila(ミュージアムカフェ)」という看板が掲げられていることもあってか、ここをどうやら風変わりな喫茶店だと思って訪れるひとも少なくないようだ。ぼくらがいる間にも二、三組の客(フィンランド人)がお茶をしにやってきたが、そのたび店のおばちゃん(=オーナーの奥さん)は「ここはカフェじゃないの、美術館なの」と言って追い返していた。そして思い出したように、ときどきぼくらに向かって「これは古い抽出器具よ」とか「これ、こんな風に見えてじつはお砂糖なの」と説明してくれる。そうか、そうだった、ここは美術館だった、とそのたびぼくらも思い出すのだった。おばちゃんは「学芸員」でもあったのだ。
ちょこちょこ話をしながら「日本でカフェをやっている」と言うとおばちゃんはたいそう感心して、「あら、日本人はお茶だけじゃなくコーヒーも飲むのね」と言う。「日本人はコーヒーが大好きだし、カフェもそこらじゅうにあるよ」と説明すると、「そうなの?へえー」とひたすら感心している。こうなったらなんとかして日本人のコーヒーに賭ける情熱の偉大さをおばちゃんに伝えねば、とぼくはヘンな使命感にかられて脳ミソをフル回転した挙げ句、「あ、あれがあるじゃないか」とバッグの中のあるモノを思い出した。
明治製菓のチョコレート「コーヒービート」(食べかけ)
旅行前、サイトウさんが「遠足のおやつ」としてくれたものだ。コーヒーをお菓子にアレンジするだけでなく、精巧なコーヒー豆のかたちにまで高めてしまうこの技術力! いまこそ、メイド・イン・ジャパンの底力を思い知るのだっ!
「この日本のお菓子をあなたにプレゼントしましょう」
そう言って、ぼくはおばちゃんに(食べかけの)「コーヒービート」をうやうやしく差し出した。するとおばちゃんは、「Oh! Coffee Beat ! Kiitos!!!」と感嘆の声をあげて受け取るのだった。
「コーヒー」がつなぐ、微笑ましくも意義深い国際交流のひとコマ。マイキーもきっと大喜びだねっ!
「おれ、マイキーじゃねーって」
もし散歩中の「ちいさん」がここを見たらなんて言うだろうとか、「出没!アド街ック天国」だったら何位にランクインするかな? とか、そんなことをかんがえながら散策するのが好きだ(ウソです)。
ところで、間違いなくちいさんも「アド街」もスルーするだろうけれど、あるいは「ぶらり途中下車の旅」の阿藤快だったらもしかして興味を示してくれるかもしれない、そんな魅惑的なオーラを放つ「物件」がこちら、トゥルクのキルップトリ(蚤の市)である。
この店があるのは、トゥルクの中心部にぽつんと取り残されたようにある古い木造建築の一角。数年前にはじめて訪れたときの記憶だと(というのも、ことしはちょうどお休みにぶつかってしまい入れなかったのだ)、中は予想以上に広くて部屋ごとに売られているものが、たとえば食器、家具、電化製品、衣料品、本といったぐあいに分かれている。そしてその様子をひとことで表現すれば、
「空き巣が入った直後の家」
もしくは
「片づけられないひとの部屋」
まさにカオス状態である。そして壁という壁には、「神は汝を愛し給う」といったような貼り紙(しかも手書き)がベタベタと貼られかなり独特の雰囲気を醸し出している。だいたい、こういったキルップトリの場合キリスト教系の団体によって運営されていることが多いので不思議ではないのだが、その貼られようが尋常でなく、そのためかなりビビりながら店内を見て回ったのがなつかしく思い出される。
そして、そんなにまでして? 店内をくまなく見て回ったにもかかわらず収穫はゼロ。日本人的に「掘り出し物」と思われるようなものは一切なく、あるのはたとえばワケのわからん電気コードだったり、だれかの足にぴったりフィットしてそうな革靴だったり、はたまた使いかけの化粧水だったり・・・要は、こうしたキルップトリの多くで目にする「定番」アイテムばかりである。
それでもぼくはこうした、その街の「空気」を凝縮したかのようなこうばしい匂いの立ちこめるお店を覗くのが好きだ。正直、「入場料」を支払ってでも入りたいくらいである。ときに、「どっひゃ~」(「ぶらり途中下車の旅」のナレーション風に)な体験をさせてくれるのは案外こういう店だったりするからだ。
よく晴れた夕方(といっても19時くらい)、野ウサギを見にいった。ヘルシンキの中心部、トーロ湾に面したオペラ座のあたりで野ウサギが繁殖しすぎて問題となっているという。
公園になっているこのあたりはまさに市民にとっての憩いの場といった感じで、ジョギングや太極拳をするひとびと、瞑想に励む中国人、合コン中の若者やただなんとなくボーッとしているひとびとでかなり賑わっている。しかも、すぐ脇を走っているのは車やトラムが行き交う大通りである。はたしてこんなところにほんとうに野ウサギが出没するのだろうか?
疑心暗鬼になりながらオペラ座の脇の植え込みをのぞいていると、おっ、いたいた、けっこうな大きさの野ウサギがぴょこぴょこ跳ねている。さらによく見ると親子連れのウサギも。写真に収めようと頑張ったのだが、あまりに警戒心が強くすばしっこいのでとても無理、あきらめた(遠くから写したところで何を撮りたかったのかすら分からなくなってしまうのがオチだから)。
そうこうしていると今度は植え込みからまだ子供の鳥が二羽、ピィーピィー啼きながら飛び出してきた。頭上で低空飛行を繰り返しながらギャーギャー騒いでいるところをみると、どうやらカモメの子供らしい。巣から出てしまい、そのまま帰れなくなってしまったようだ。
迷子のカモメの子はすっかりパニック状態で壊れたラジコンカーみたいに迷走し、ついにはオペラ座の地下駐車場へのスロープをどんどん降りてゆく。
これはヤバいと後ろから追い越して方向転換させふたたび植え込みの方まで追い立てていったのだが、親カモメはますますギャーギャー騒ぐし子カモメもホラー映画さながらに絶叫しながら逃げまくるわで、どうみても動物虐待にしか映らないのが悲しい現実であった。
しかし、、、
いつか大人になったとき、あの優しい東洋人(=店主)のことを彼(女)は思い出してくれるだろうか?いじめられたと勘違いして恨みをもったカモメから、あのエスプラナーディで目撃した哀れなアメリッカライネン(アメリカ人)のように、空中から爆撃されるようなことだけはなんとしても御免こうむりたいものだ。