12月、もう12月です。ろくすぽ年越しの準備もできないうちに、ことしもまたあっという間に暮れてゆきそうな予感。
さて、今月のお休みですが、毎週月曜日&火曜日。そして年末年始の営業は、年末は29日まで、年始は5日よりとなります。よろしくお願いいたします。
なお、今月はふたつ企画展示があります。
まず、週明け6[水]から10[日]までは「西尾ひろ子 フィンランドの香りと手作りの小物たち」展が開催されます。西尾さん手作りによるフィンランドのテキスタイルをつかったトートバッグ、その他を展示販売いたします(すべて一点もの)。また会期中はスペシャルメニューもご用意しておりますので、どうぞお楽しみに(詳細はあらためて)。
また、14[木]からは「ヴィーヴィ・ケンパイネン小品展」を開催します。フィンランドの画家ケンパイネンによるクリスマスプレゼントにも最適な水彩画の小品を、お求めやすいお値段で販売させていただきます。ぜひお楽しみに。
気ぜわしい年末だからこそのこの一杯。今月もmoiでみなさまをお待ちしております!
渋谷で以前《日曜日限定の週末カフェ》として営業されていたcafe cactusさんが、1年半ちょっとの充電期間を経て「cactus 408」として渋谷の街に帰ってきました!
今回は、渋谷のワークスペース兼イベントスペースRoom 408をホームグラウンドに毎週土曜日限定での"Reオープン"とのこと。土曜日にお時間のある方は、ぜひ明日香さん&和泉さんの「cactusシスターズ」がつくるとっておきのランチとスイーツをたのしみに足をはこばれてみてください。ちなみにフードコーディネーターとして活躍中の和泉さんは、現在「cafe『& R』」というかわいいイラスト満載のたのしいレシピ記事を雑誌「カフェ&レストラン」にも連載中。発売中の12月号はクリスマスパーティーをすてきに演出するメニューできっと役立ちますよ。お見逃しなく(しつこいようですが、同じ号ではmoi店主もコラムを書かせていただいてます)。
画像は、あいかわらず足をはこべそうにもない可哀想な店主を不憫に思って(?!)和泉さんがおいしいチョコレートケーキとともに持ってきてくださったcactus408特製コースター。坂本なおさんのイラストでお持ち帰りもOKとのこと。ほかにもいっぱいたのしい仕掛けがありそうです。
あす6日[水]より10日[日]まで、西尾ひろ子さんによる展示
『フィンランドの香りと手作りの小物たち』展
がはじまります。フィンランドの布や織物による西尾さん手作りのトートバッグなどにくわえ、フィンランドと日本の作家によるあたたかい手作り雑貨を展示販売いたします(すべて一点ものにつき、売り切れの際にはご容赦ください)。また、あわせてカレリア地方ヴオニスラハティ村の子供たちが描いたかわいいクリスマスの絵も展示しております。
なお、会期中は相当な混雑が予想されます。万が一お席に余裕のない場合でも、展示のみご覧いただくこともできますので、何卒よろしくお願い致します。
また、今週は勝手ながらドリンク&スイーツのみの営業とさせていただきます。ただし、プッラ(フィンランド風シナモンロール)や期間限定メニューとしてカレリアパイもご用意(それぞれ数量限定)しておりますので、そちらのほうもお楽しみいただければと思います。
西尾ひろ子さんの個展、「フィンランドの香りと手作りの小物たち」がはじまりました。
フィンランドや日本の古布からつくられたオリジナルのトートバッグは、どれも西尾さんの愛着やこだわりが感じられる「一点もの」ならではのていねいな作り。それゆえ、お目当てのバッグを手に入れようと初日からたくさんのお客様にご来店いただいています。
また、西尾さんが毎年訪れているカレリア地方の村ヴオニスラフティの暮しぶりが垣間見れる地元アーティストによる織物やニット製品も同時に展示されています。ヴオニスラフティの小学生が描いたクリスマスの絵も必見。
この「フィンランドの香りと手作りの小物たち」は今週いっぱいの開催、週末は混雑が見込まれますのでお早めにどうぞ。
※なお、今週はドリンク&スイーツのみの営業となります。ご了承ください。
デザイナーアリタマサフミさんの展示「世界を旅する装幀展V」が、いま日本橋のDIC COLOUR SQUAREでひらかれています(~15日。9、10は休館日)。
この「世界を旅する装幀展」は、アリタさんデザインによる新作テキスタイルを美術製本の美篶堂さんがA5上製ノートに仕立て展示、各地を巡回するというのもで、今回がその第5弾となります。
「世界の民芸に共通するエッセンス」でグローバルなデザインを志向するアリタさんですが、この夏には初めてフィンランドの地を訪れいろいろと刺激を受けてきたとのこと。「おいしい」と言いつつmoiではいつもサルミアッキを頬張っているアリタさんだけに、いつかフィンランドの民芸やカレワラからインスピレーションを得た作品も期待できる・・・かも!?
◎ アリタマサフミ×美篶堂 世界を旅する装幀展V
土曜日の夜には、(首尾よく家にたどりつければの話だが)テレビで「美の巨人たち」をみることがおおい。先週は、エド・ヴァン・デル・エルスケンの写真集『セーヌ左岸の恋』がとりあげられていた。
ヒッチハイクで、ほとんど一文無しの状態でパリにたどりついたエルスケンが、どのようにしてあのよく知られる写真集をつくり上げるに至ったのか、その「メイキング・オブ~」的なストーリーも興味深くはあったのだが、それ以上に目が釘付けになってしまったのはほかでもない、番組のなかに登場した「エルスケンの家」。
母国オランダの「エダム」にあるその家は、いまもエルスケン夫人によって守られている。かれの写真からイメージしたのは都会的でモノクロームな空間だったのだが、意外なことに、じっさいの自宅兼アトリエは牧歌的な風景のなかにたたずむ古い農家(記憶では平屋だったような・・・)を改築した、どちらかといえば雑然とした空間だった。
天井や外壁の一部には、超特大サイズに引き伸ばされたエルスケン自身によるモノクロームのポートレートがパネルのように全面にはめこまれていて、キッチンやアトリエには原色系のポップな色合いの雑貨類が雑然と置かれている。けれども、それはまったくアンバランスではなく、むしろとてもあたたかな空気をかもしだしているようにみえた。つまり、その「家」はエルスケンそのひとの深い「人間愛」のような感情を表出しているようにみえたのだ。
素朴で、人間への愛が人一倍強い若者が、まさに異邦人として孤独と闘いながら大都会パリの片隅をさまよい、じぶんとよく似た境遇の若者たちを共感とともに写しとったのこそが、この『セーヌ左岸の恋』ではなかったか。「エルスケンの家」を見たことで、ぼくにはこの写真集がかれの(その意味で)セルフ・ポートレートであるような気がしてならないのだ。
本日をもちまして、西尾ひろ子さんの展示『フィンランドの香りと手作りの小物たち』(別名「カレリア祭り」!?)は無事終了いたしました。会期中ご来店いただきましたみなさま、どうもありがとうございました!また、満席のためお入りいただけなかったお客様、ほんとうにゴメンナサイ!
この一週間の展示のため、西尾さんにはまさに「本場」の、いや、もしかしたら本場のよりもおいしいかもしれない「カレリアパイ」を特別に焼いてきていただいたのですが、終わってみればなんとその数
110個!!!
ほんとうにおつかれさまでした!でも、みなさんにピーラッカのおいしさを体感していただくことができ大満足です。機会がありましたら(これに懲りず)またよろしくお願いいたします。
たらこキューピーのような、はたまた「Hot Pepper」のキャラクターのような、フェルト製のトントゥfromカレリア。居残り組、です(あ、非売品ですのであしからず)。
荻窪の洋食屋さん「Blue Bell(ブルーベル)」でお昼ごはんを食べてきた。
ぼくは、どこか用事があって出かけるときにはきまって、その街にうまそうな洋食屋さんがないものかチェックを入れるほどの無類の洋食好きである。京都が好きな理由にしたって、そこにはいい洋食屋さんがたくさんあるからというのが相当な部分を占めている。
二年ほど前のこと、八重洲~京橋方面に用事があったぼくは例のごとくその近辺の評判のよい洋食屋さん情報について調べはじめた。そんなとき、常連のNサンが教えてくださったのが「Blue Bell」という人気の洋食屋さんだった。ところがなんと運の悪いことか、ぼくが行こうと思っていたその矢先に、「Blue Bell」は諸事情から閉店してしまったのだった。ああ、まぼろしの味。まぼろしのオムライス・・・。
ところがおとといの夜のこと、アリタマサフミさんの展示に行こうと思いふたたび八重洲~京橋方面の洋食屋さん情報をせっせと収集(?)していたぼくは、ネットで思わぬ書き込みを発見することになる。
「あの『Blue Bell』が荻窪に移転して営業中」
しかも場所を調べてみたところ、な、なんと自宅から歩いて5分弱のところ!!!ああ、うれしい。
洋食の神様、どうもありがとう(そんな「神様」がいれば、の話だが)
そんな気分である。で、さっそく雨の中フレッド・アステアばりにスキップしながら行ってきたのだが、ああ満足、大満足、である。京橋時代からの大人気メニュー「オムライス」にも(当然)惹かれたのだけれど、生来のヘソ曲がり気質が首をもたげて「ウィンナーソテー」(画像)を注文。ソフトでジューシーで、マッカラ(=ウィンナー)大好きなフィンランド人にも食べさせたいよ。なんでもこの「ウィンナーソテー」は、京橋時代「散歩の達人」などいろいろな雑誌で紹介されたほどの人気メニューで、当時からのお客様の強いリクエストにより復活したのだとか・・・。なるほど、なっとく。昔からの常連サンたちは、オムライス&ウィンナーソテーとオーダーするのが定番なのだそう。
明るい店内はカウンターメインで、ひとり客がほとんどとのこと。こだわりの味でもぜんぜん堅苦しいところはないので、女性同士、あるいは女性ひとりでも全然OKです。ちなみに「店内禁煙」。moiからもショートカットで10分弱くらいの場所、マスターに無理言ってフライヤーありったけもらってきちゃったので、ご希望のかたには差し上げます。道順も親切に教えます。
とにかくおすすめ、行くベッキー。
※営業時間、場所などは「Blue Bell」さんのブログでチェック。
北欧のひとびとはアートが大好き。街のちいさなギャラリーをのぞいてみると、若者からお年を召したご夫婦まで、さまざまなひとびとがまるで本やCDを買うような感じで絵画を買ってゆく光景に遭遇します。けっして高価な買い物をするわけではなく、どちらかというと手の出しやすいちいさな作品がよく売れるようです。冬の長い北欧ではどうしても家ですごす時間が長いので、そんな時間をより大切なひとときに変えるためのちょっとした「小道具」として、かれら北欧のひとびとにとって絵画はなくてはならないアイテムということなのかもしれません。
そんな北欧のひとびとにも人気の高いフィンランドのアーティスト、ヴィーヴィ・ケンパイネンの小品をあつめた展示が本日よりmoiではじまりました(~29日マデ)。
ヴィーヴィ・ケンパイネン「月とねこ」水彩 1997年
ヴィーヴィの作品の特徴はというと、やはりなんといってもその「色」。とりわけ、ノルディック・ブルーとでも名づけたくなるような透明感あふれる「青」のうつくしさには定評があります。今回はそんなヴィーヴィの作品のうちでも、プレゼント(出産祝いや新築・転居祝いなどで人気です)や自宅用としても飾りやすい比較的ちいさな作品ばかりをあつめてみました。
価格も、すべて水彩画の一点もので
額つき /10,000円~18,000円
額なし(シート)/5,000円~13,000円
と、たいへんお求めやすくなっています。ぜひご覧いただければと思います(展示をご覧になるだけのご利用も可能です)。
アリタマサフミさんの新シリーズ「Izumonesia」をみてからというもの、どうも「帰省」とか「里帰り」といった単語に敏感に反応してしまうじぶんが、いる。
アリタさんが、ご自身の故郷である「出雲」で目にした光景やその土地で得たインスピレーションを日本古来の「文様」を意識しつつ図案化したそれら作品群には、どこかその土地で生まれ育った人間にしか表現できない土の匂いが薫っているような気がしたからだ。そしてそんな「匂い」は、ぼくに「故郷」に対する強烈なあこがれのような感情を抱かせる。というのも、東京に生まれ、その後もほとんどの時間を東京ですごしてきたぼくにはいま、「帰省」したり「里帰り」したりする土地としての「故郷」がないからだ。そのうえ、子供のころには引っ越しが多かったせいか「地元」といえるような町すらない。だからたとえ「東京」にいても、そこがじぶんにとっての「故郷」であるという実感はいっこうに湧かないのだ。おまけに追い討ちをかけるかのように、うちの奥さんも東京生まれの東京育ち。もはや絶望的な状況だ。たとえば「東京」を離れれば事態は変わるのだろうか?
故郷へかえる。じぶんが拠って立つ場所へかえるという感覚は、いったいどんなものなのだろう。たとえば、モノがあるべき場所にきちんと収まっているような、そんな感覚だろうか。アリタさんの「Izumonesia」からは、そこから出発し、いずれまたそこに帰ってくる、そんな意志的な「矢印」をみてとることができたように思う。それゆえ、そうした明確な「矢印」をもつことなく日々をすごしているぼくにとって、それはなんともいえずキッパリと眩しい眺めでもあった。
すくなくとも、「東京ばな奈」を買って乗車率130%の新幹線にのってみたり(途中おみやげが足りないことに気づいて、「ま、いっか」とか言いつつ車内販売で「雷おこし」を買ったりする)、あるいは「小仏トンネル」付近で渋滞60kmに巻き込まれてみたり(ところで「小仏トンネル」ってどこ?)、さらにようやく辿りついた東京駅や羽田空港でNHKの取材班からマイクを向けられたりしたところで(「疲れました・・・うちに帰って早く寝たいっす」)、「帰省」や「里帰り」の本質はいっこうに姿をあらわしはしないだろう。
しかしそんなにまでしてなお、ひとを「帰省」や「里帰り」へとかりたてる「故郷」の引力は、やはりよぽど強力なのにちがいない。「故郷」への思いは、ひたすら空振りをくりかえしながら募るばかりだ。
hieroのメガネ。
もうずいぶん昔、たぶん7、8年くらい前に京都のOBJ(という眼鏡屋)で買ったものだ。すっかり古くはなってしまったものの、愛着のあるフレームなのでレンズだけ交換してなんとか使えないものかと眼鏡屋さんへもっていった。
眼鏡屋さんの話では、古くなってしまったセルフレームはレンズ交換の際パキッといってしまう可能性が高いという。フレームは、いい。パキッと折れてしまったらそれはそれでそのときだ。あきらめるしかない。ただ、問題はレンズだ。
レンズは(あたりまえだが)フレームにあわせて削るので、もしフレームがダメになってしまった場合レンズもまた無駄になってしまうという。ぼくはかなり視力が悪いので、厚さを目立たせないように加工した高価なレンズをつかわなければならない。値段にして、おそらく三万円弱。フレームが壊れてしまったあげく、三万円を支払って眼鏡屋さんを後にするなんてちょっとありえない話である。
どこかになくなっても惜しくない三万円はないものだろうか?(あるわけない)
ならばいっそ、「有馬記念」でディープインパクトに稼いでもらうという手もある。おそらく、その日圧倒的な一番人気になるはずのディープインパクトの倍率は、単勝で「1.1倍」(元返しになる可能性もあるが・・・)といったところ。なるほどね。ディープインパクトの単勝を三十万円買えばいいわけだ。
ところで、どこかになくなっても惜しくない「三十万円」はないものだろうか?
みほこさんからあずかった海外で暮らすフィンランド人向けの雑誌「SUOMEN SILTA」をパラパラと盗み読んでいたところ、カナダにあるサンダー・ベイという街が紹介されていた。
記事によると、サンダー・ベイでは住民のおよそ10%にあたる約12,000人がフィンランド系のひとびとによって占められている、のだそうだ。まさに、カナダの中の「リトル・フィンランド」といった感じである。
もともと、カナダや北米はフィンランド系の移民が多いエリアである。以前、北米のどこかに留学していたというお客様がいらしゃったことがあるのだが、そこはやはりフィンランド系のひとびとが数多く暮らしている場所で、その関係でかれは留学先の大学で「フィンランド語」を履修したと話されていた。記事の受け売りではあるが、カナダにフィンランド人による移住がはじまったのは1870年代ごろのこと。そうしたひとびとは、おもに大陸横断鉄道の建設に携わっていたらしい。だが、移住が本格的になったのは戦後、1950年代くらいのことで、多くは森林労働で生計を立てていたようだ。まだまだ貧しかった母国を離れ、よりよい生活を求めて家族ともども北米大陸に渡ったフィンランド人たちが、現在のサンダー・ベイに暮らすフィンランド系住民のいわば「ルーツ」ということになる。
サンダー・ベイの街には、リトル・チャイナやリトル・イタリーよろしく、そんなフィンランド系カナダ人たちの生活を支えるさまざまなショップやレストランが点在している。
イーッタラなどもそろえる雑貨店「Finnport」、書店「The Finnish Book Store」、「本物のフィンランドサウナをどうぞ」がうたい文句の「Kangas Sauna」、そしてカレリアパイ(2,40カナダドル 約250円)やマッカラ(10.45カナダドル 約1,100円)も食べられる1918年オープンの老舗レストラン「Ravintola HOITO」などなど。ほかにも「Gus Vuori Road」や「Kivikoski Road」など、フィンランド語のついた通りの名前があったりと「それらしさ」を感じさせてくれる。
カナダ旅行を計画中の「フィンランド好き」はいちど訪ねてみるべき!?
残すところ、ことしもあと二週間。
カウントダウンにはまだ少し早いものの、そろそろゴールを意識しながら日々をすごす、ちょうどそんな時期にさしかかってきました。さしづめ「第九」でいえば763小節め、「カツ丼」でいえばごはん三口分に肉が一切れ残っている感じといったところでしょうか!?気がつけば、年内のmoiの営業日もあと八日を残すばかりとなりました。
今年のうちにやっておきたいこと(moiに行くとか)や、やり残したこと(まだmoiに行ってないとか)があるひとは、ぜひ清々しい気持ちで新年を迎えるためにもmoiへおはこびください。
みなさまのご来店、心よりお待ちしております。
ムック『カフェ開業マガジン』(旭屋出版)にちょぴっとだけmoiも登場しています。
この本は、タイトルからも察しがつくようにカフェを開業するにあたって役に立つさまざまなノウハウが一冊にまとめられた「参考書」なのですが、そのなかの「カフェ開業のためのBlog活用法」というページでこのブログ「moiのブログ~日々のカフェ2」が紹介されています。よろしければぜひごらんになってみてください。
ところで、なにを隠そうぼくは飲食業界での経験を一切積むことなくこの世界に飛び込んだのですが(経験はたしかに自信にはつながりますが、ぼくのやろうとしていた店はある意味かなり「特殊」なので経験を積むことが一概に有効であると思えなかったのが理由のひとつ)、当時こんな本がふつうに手に入っていたらとても参考になったのに、と思います。
いつかカフェをひらきたいと考えている方にはぜったいおすすめの一冊です。
最近気がついたのだけれど、どうやらぼくは十年周期くらいでクラシック音楽にハマっているようだ。そして、ちょうどいまがその時期らしい。
ところで、ひとくちに「クラシック」といっても、じっさいのところは中世から現代まで四、五百年にわたって書かれた音楽のことを指すわけだから聴かれるべき音楽はむちゃくちゃ多い。しかも、時代や場所によって、また形式によってそのスタイルもさまざまなのだから飽きるということを知らない。そのうえ最近のクラシックCDの「価格破壊」ときたらもうすごいことになっていて、ほとんど千円札一枚あれば「うわ~名曲名演の宝石箱や!!!」(by彦摩呂)といった状態なのだから聴かない手はない。
で、そんなとある日吉祥寺で、いま上映中の映画『敬愛なるベートーヴェン』を観てきた。
「第九」完成間近のある日、急ぎの「写譜」のためにベートーヴェンの元に送り込まれたのは作曲家志望の若い女性、アンナ・ホルツ。天性の才能を備えながらも、時代特有の因習に縛られ自己を解放できない純粋なひとりの女性が、エキセントリックな天才作曲家に翻弄されながらも、おなじ崇高な音楽の魂を共有するものとして、やがてたがいに心を通わせてゆくというお話。
じっさいにあったエピソードを盛り込みながらも、作品としては完全なフィクションで、アンナ・ホルツという女性も実在しない。その意味で、そのむかし観た『マリリンとアインシュタイン』を彷佛とさせるある種の「おとぎ話」ともいえる。ところで、晩年のベートーヴェンが「難聴」による聴力の低下に苦しめられていたのはよく知られた話だ(一説によると、その原因はぼくが患っているのとおなじ神経性の難聴だという見方もある)。そしてそのことが、かれをいっそう自身の内面へ、「内なる音楽」へと導くことにつながったのだと、この映画では暗示される。晩年、ベートーヴェンが聴衆やクライアントの望みに反して、「異様」とも受け止められかねない難解な曲を書くようになっていった背景にはそうした出来事があったというわけである。
そんなこともあって、全体のなかでは「第九」よりも、最初と最後に登場する「大フーガ」のエピソードのほうがより重要な位置を占めているように感じた。当然、映画館を出た後に聴きたくなったのも、「第九」よりも「大フーガ」のほう。でも、我が家にはこの異様なテンションに圧倒される楽曲のCDがない。もちろん、さっそく手に入れたことはいうまでもない。↓まさに鳥肌モノ。
忘れもしない去年のきょう、十二月二十日ぼくは「突発性難聴」になったのだった。なんの前ぶれもなく、いつもどおり目を覚ましたら病気に、しかも難病にかかっていたのだ(一連の顛末はコチラ→◎ をお読み下さい)。
それから一年。
モーターが唸るような低い耳鳴りは二十四時間止むことがないし、月に数日は耳の調子が悪く、音が割れたり声が聞き取りずらかったりとあいかわらずだ。ただ、心配していためまいが起きていないのはラッキーといえる。それに、「招かれざる客」とはいえ、一年も「同棲」していればなんとなく「相方」のような心境にさえなってくるのだから、まったくおかしなものである。すくなくともこの病気が、いまやじぶんの体調を知るうえでの「バロメーター」のような存在になりつつある。
不便や不愉快なことのほうが多いにはちがいないが、「こうしなきゃ」ではなく「こうしよう」、そんな心持ちで日々を過ごすうえでそれは意外に役立っているのかもしれない。
洋食とはつまり、庶民のごちそうだと思うのです。とりたてて高級な食材など使わなくとも、ていねいな仕事と熟練のワザでありきたりの食材をごちそうに変えてしまう、これぞ洋食の醍醐味なのではないでしょうか。
だから洋食屋さんで、ごくごくふつうで、でもなんともいえずホッとさせてくれる味の一皿と出会ったとき、ぼくはそれを「おいしい」と感じしあわせな気分になるのです。じっさい、「オムライス」を食べようと洋食屋さんにゆくとき、ぼくの頭の中では完璧なオムライスのイメージ──オムライスとはこういうルックスをしていて、味はこうで・・・といった──が見事にできあがっています。だからこそ、目の前に運ばれてきたそのオムライスがまさに思い描いていたようなオムライスであったとき、その満足度は最高潮に達するというワケなのです。
というわけで、またまた登場、荻窪の隠れた名店Blue Bell(ブルーベル)さんのオムライスです。これぞ王道のオムライス、勝手にTHE オムライス(!)と命名させていただきます。マスターの鮮やかなフライパンさばきとともにぜひご堪能あれ!
神話のなかで「豆」がはたす《役割》について、いま読んでいる本には書かれている。
それによると、古来さまざまな地域で語り継がれてきた神話のなかで「豆」は、両義的な存在として、たとえば「生」と「死」、あるいは「男性的なもの」と「女性的なもの」といった「ふたつの世界のコミュニュケーション回路を開いたり閉じたりする役」を担う「仲介者」として機能してきたという。そう聞いて、ぼくら日本人がまっさきに思い浮かべるのは「節分」にまかれる「豆」のことかもしれない。家の内と外との境界に立ってまかれるその「豆」は、鬼を外に追いやると同時に福を内に招きいれるまさに両義的な存在にほかならない。
ところで、ぼくにとってもっとも近しい「豆」といえば、それはやはりコーヒー豆ということになる。そこで、「仲介者」としての「豆」という点に注意を払いながらコーヒーの《発見》をめぐるふたつの言い伝え(=神話)をみてみると、これがなかなか興味深いのだ。
◎ エチオピア高原発見説 この話では、「羊飼い」のカルディが「赤い実」を食べて興奮しているヤギの群れを見て不信に思い、「修道院の僧侶」にそのことを告げともに口にしたことがその起源とされている。そしてその後「コーヒー」はもっぱら僧侶たちのあいだで修業に際してもちいられる覚醒薬として重宝され、広められていった。
◎ オマール発見説 この話では、「回教徒(=熱心なイスラム教信者)」のシェイク・オマールが「赤い実」をついばみ陽気にさえずっている一羽の鳥を目にし、自身もその実を持ち帰り煮出して口にしたことがその起源とされている。そしてその後「コーヒー」は「医者」でもあったオマールによって薬品としてつかわれ多くの病人を救うことになった。
(以上、「ふたつの説」については伊藤 博『コーヒー事典』を参照)。
このふたつの言い伝えは、ともに仲介者としての豆(ここでは「コーヒー」)の存在を《発見》するのがみずから「この世界で《仲介者》としての役割をはたしているひとびとである」という点でとても似かよっている。
それはたとえば「動物」と「人間」のあいだをとりもつ「羊飼い」であり、「神」と「人間」のあいだをとりもつ「聖職者」や「回教徒」であり、「天」と「地」とを自由に行き来する「鳥」であり、また「生」と「死」のあいだでその技術をとりおこなう「医者」である。コーヒーが、「修業に際してもちいられる覚醒薬」や「病人を救う薬品」として、まさに仲介するものとして広まっていったという経緯もおなじである。
コーヒーは、なにか「大変な魔力」をもつ「悪魔的(デモーニッシュ)な恐ろしい存在」としての「豆」にまさにふさわしい。いや、そこまで考えなくとも、あの青臭い生豆が「焙煎」によって香り高いコーヒーに化けるというそのことだけでももうじゅうぶんに驚きに値する。よくいわれるように、それはまさしく《錬金術》の世界といえる。となると、日々この「悪魔的(デモーニッシュ)な恐ろしい存在」としての「豆」を扱う「焙煎人」のみなさんは、さしずめ現代を生きる錬金術師ということになるだろうか。
なるほど、錬金術師かぁ・・・。知り合いの「焙煎人」のかたがたの顔を思い浮かべながらニヤニヤしているのだ。
モイ!
二〇〇六年も、とうとうあと十日たらずとなってしまいました。そこであらためて、年末年始の営業についてごあんないさせていただきます。
◎ 年末の営業/
29日[金]まで。なお、29日は19時閉店とさせて頂きます。
◎ 年始の営業/
1月5日[金]より。
どうぞよろしくお願いいたします。では、すてきなクリスマスを!
クリスマスの営業というと、正直あまりいい思い出がない。行きつけのパン屋さんも「毎年静かなもんですよ」と、なかばあきらめ顔だ。
それでも、開店早々にmoiを設計してくださった建築家の関本竜太さんファミリーがご来店。さらに、店内でいま小品を展示中のヴィーヴィ・ケンパイネンのお知り合いの方や、友人の紹介で日フィルのヴァイオリン奏者の方が本番前の慌ただしいなか来て下さったりと、クリスマスらしい(?!)にぎやかな時間を過ごさせていただきました。その後、案の定・・・という時間がしばらくあったもののその後は盛り返し、なんとかクリスマスのトラウマから解放されそうです。
それはともかく、きょうはなぜか一万円札で支払いをされる方のオンパレードであせりましたぁ~(多めに釣り銭を用意しておいてよかった)。オープン以来「初」の勢い!!!もしや政府の公式発表どおり、景気は順調に回復の傾向にあるってこと!?
でもやっぱり、ワガママを言わせていただけるなら、できるだけ小銭でお支払いいただけるとものすごく助かります、と店主からのささやかなお願いでした。
以前このブログで紹介したモラヴィア出身の作曲家ゴッドフリート・フィンガーのCDが、↓のショップに4枚限定(12/25現在)で入荷したそうです。
◎ Xavier Records[ザビエル・レコード]さん
ぼくはたまたま都内のCDショップでみつけて手に入れたのですが、ほとんどみかけないCDなので気になる方はいまのうちかもしれません。よいアルバムですよ。あ、ちなみに、べつにバックマージンとか受け取っているワケじゃあありません。純粋なレコメンド魂ですので・・・。念のため。
スケールの大きい男といったら、やっぱりベートーヴェンをおいてほかにない。
「英雄」とか「皇帝」とか「運命」とか、そんなともすれば大仰なニックネームを思わずその作品につけたくなるひとの心理もわからないではない。いったい、ひとりの人間のどこからこんな壮大な旋律が生まれてくるのか想像すらつかないのだ。ワーグナーとか、マーラーとか、あるいは映画『スターウォーズ』のテーマ曲をつくったジョン・ウィリアムスだとか、派手だったり華麗だったりといった音楽を「書いた」作曲家ならたくさん知っている。が、ベートーヴェンのようなスケールの大きい音楽を「生んだ」作曲家はほとんどいない。
これほどまでに、スケールの大きい音楽を生んだ男なら、当然そいつはスケールのでかい奴にちがいない。ひとはもちろん、そうかんがえる。なので、世に広く知られるベートーヴェンの肖像は、ボサボサの髪に三白眼という、どれもこれもいかにもスケールのでかそうな不敵な面構えをしている。日本の総理大臣とは大違いである。じっさいには、街ゆく女性の姿をみてニタついていたり、酔っぱらって大口あけていびきをかいていたりといったこともあったのかもしれないが、そんな姿はやっぱりかのベートーヴェンには似つかわしくない。かれの音楽が、かれの(あの)肖像を作らせたのだ。
ところで、そんなベートーヴェンの音楽の中でもとりわけスケールの大きい作品といって思い浮かべるのは、交響曲第九番ニ短調作品一ニ五「合唱つき」、いわゆる「第九」ではないだろうか。
日本では、年末になると盛んにこの「第九」が演奏される。かつて、経済的に困窮していたオーケストラの楽員たちが「餅代稼ぎ」に始めたのがそのルーツといわれている。そうかんがえれば、この「年末の第九」は、平賀源内がつくった「土用の丑の日」とおなじくらいあたったイベントといえるだろう。一年をこんなスケールのでかい音楽でぐわーーーっと締めくくろうというのはたしかに、「D通」のCMディレクターも顔負けの卓抜なアイデアであるにちがいない。そこでぼくも、今年はひさびさに「第九」を聴きにいってきた。
ゲルト・アルブレヒト指揮、読売日本交響楽団。アルブレヒトはベートーヴェンとおなじドイツの人。おなじドイツ人だからといって、かれがまたスケールの大きい演奏をする指揮者とはかぎらない。ドイツ車にベンツもあれば、フォルクスワーゲン・ゴルフもあるのといっしょ(?)である。じっさい、この日の「第九」は、見事なまでにドラマティックだとかスピリチュアルだとかといった要素を排した徹頭徹尾「音楽的」な演奏だった。熟練の職人がつくった時計のムーヴメントのように、精妙かつ巧緻。一年の掉尾を派手に締めくくりたかったひとには物足りなかっただろうけれど、これはこれでユニークな「第九」ではあった。
荻窪の南口にあるHoney[ハニー]さんのシナモンロールです。
シナモンロールといっても、いわゆるシナモンロールとはずいぶん異なるイメージにまず驚かされます。差し入れしてくださったKさんによると、クルミたっぷりシナモンロールと書かかれていたとのこと(未確認)。
ラグビーボール型のパンは、ソフトフランスパンのようなややコシの強い生地でできていて、中央にはシナモンシュガーによるアイシングがほどこされています。割ってみると、中にはなんとクルミとレーズンがびっしり詰まっていて、またまた驚き。いわゆるシナモンロールというよりは、レーズンとクルミをシナモン風味の生地でくるんだといった感じでしょうか?
荻窪が生んだ、まさにシナモンロール界の異端児。
クリスマスも終わり、ことしも残すところあと数日。こんな時期ともなればお客様の足が遠のくのもいつものこと。そりゃそうだ。年末進行のおかげで仕事はいつも以上に巻きが入るし、家に帰れば帰ったで、年賀状だ大そうじだと忙しい。まあまあ、とりあえずゆっくりお茶でも・・・なんて、こっちにしても言いにくい空気が日本中に充満している。
そんなわけで、年内はまあ期待せずのんびりモードでなどと思っていたところ、きのうはことのほか忙しくビックリしてしまった。いや、それもこれもふだんから顔を出してくれる方々が「ことしの『モイ納め』です」などと言いつつ、年末のあいさつかたがた顔を出してくださったからにほかならない。お忙しいのがわかっているだけに、みなさんの気持ちに感謝もひとしお。なんだかんだと五年近く続けてきて、思いがけずその「ごほうび」をもらったみたいな、ちょっとそんなホクホク気分でもある。
なお、年内のmoiの営業はあしたまで、あすは19時閉店(18:30 LO)となりますので、どうぞよろしくお願い致します。
年の瀬の街かどで、おもしろいものを目にした。
紺色にちかいブルーの野球帽。被っているのは七十くらいの男性だ。なにがおもしろかったのかというと、その帽子のまんなかについているロゴマーク(dj hondaのキャップを例にとると「h」がついている部分。それはそうと、なぜ競馬場にゆくとdj hondaのキャップを被っているおじさんがたくさんいるのだろう?)が異彩を放っていたからである。そこにはくっきりと白い文字でこう書かれていた。
鮎
鮎?アユ??あゆ???どういう帽子なのだいったい?まさか「鮎」といっても「浜崎あゆみ」のことではないだろう。だって渋すぎるもん。ならば、鮎釣り大会で優勝した記念品、とか?でもそこには年号を示す数字も、主催者らしき名称(日本鮎釣り愛好会、略してJAFCなど)も書かれていない。あるのはただ「鮎」の一文字のみ。となればやはり自作のオリジナル「鮎」キャップだろうか。もし街でこんな帽子を被っているひとをみかけたら、鮎釣りファンなら誰だっていてもたってもいられずつい話しかけてしまうことだろう。帽子の作者にして持ち主は、それを狙っているのだ。
おなじ鮎釣りファンに話し掛けてほしい。願わくば鮎釣り仲間になってほしい。これぞまさしく「友釣り」の原理である。いかにも鮎釣り愛好家が考えそうなことだ。
ただ、気になることもある。ぼくがその帽子を目にしたのは斜め四十五度の角度から、しかも時間にしたらわずか一秒ほどのことにすぎない。あるいは目の錯覚ということもある。にしてもだ、「鮎」と見間違えるロゴマークがそんなにもあるものだろうか?
鮖(かじか)
確かに見間違えるかもしれないが、ますますなんのことやらわからないのである。
二〇〇六年から二〇〇七年へ。
日付けにあわせて「カチリ」と年号もいっしょに替わる、ただそれだけ。でも案外、そのちょっとした「カチリ」が重要なのかもしれません。時計の秒針をあわせてみたり、きれいにアイロンがけした真っ白いシャツに袖を通したり、思い出したようにそんな「カチリ」を通過することで、ぼくらの日々の営みも知らず知らずのうちに更新されてゆくのです。すべてのひとに等しく訪れる「カチリ」というちいさな音を心に刻んで、また新たな一年を迎えましょう。
みなさま、よいお年を。