さすがに三カ日に書くことって、あまりないですね。まぁ月並みですが、ひさしぶりに実家に顔をだして、愛犬のジョビンとたわむれ、いとこたちとゴハンをたべたりして・・・そんなのどかな一日でした。
おもえば、サラリーマン時代にはこんなふうにのんびりと「お正月」をすごした記憶ってないんですよね。渋谷の文化施設ではたらいていた当時は、おおみそかの晩まで事務所にいて、かろうじて元日だけは休みだったけれど二日の朝からはふたたび仕事、というのが例年のパターン。なにをするわけではないけれど、やっぱり「お正月」くらいは" 店も交通機関もぜんぶお休み "くらいのメリハリがあってもいいんじゃないかなぁなんて、個人的にはおもってます。
それにしたって、お正月のテレビ番組ってひどいですね~。ある意味新鮮というか・・・ビックリしました。仕方がないんでDVDで『シャイニング』とか観ちゃいましたよ(笑)。
プチ仕事始め。
いちおうきょうまで「お休み」なのですが、明朝の仕込みにそなえて買い出しにでかけたりと、半分くらいは「仕事モード」に突入した気分です。
ゆっくり本でもよもうか、ビデオでもみようかとかんがえていた「お正月」のすごしかたも、終わってみれば気ぜわしく過ぎていったような気が・・・。やっぱり東京を脱出でもしない限りは、理想の正月ライフの達成はムリなようです。
さて、みなさんの「お正月」はいかがだったでしょう?
J-WAVEからの「出演依頼」を断ってしまいました、というお話。
年末に、J-WAVEの某番組スタッフの方からお電話をいただいた。「フィンランドについて話してみませんか?」という。基本はミーハーゆえ、ぼくはたいていの取材には応じることにしている。どうしてもスケジュールの調整がつかないとか、取材の意図がみえない、あるいは背後に邪悪な気配を感じるとかいった場合には、ごくまれにではあるがお断りしてしまうこともある。いつもなら引き受けてしまうところだが、今回さすがに躊躇してしまったのは、ぼくがふだんこの番組をきいていて、その内容をある程度知っていたからにほかならない。
バーチャルトリップがコンセプトのこの番組では、毎週ひとつ、どこかの国が紹介される。紹介するのはその国に「ゆかりの深い人物」で、政府関係の方だったりお店のオーナーだったり、アーティストや旅行会社の方だったりとさまざま。《北欧特集》だった12月はデンマーク、スウェーデン、グリーンランドとつづいて、いよいよ「フィンランド」ではいったいだれが登場するのかと期待に胸ふくらませていたら、なんとお声がかかったのはこの「自分」だったという笑えないオチに思わず苦笑・・・。
ある程度テーマが特化されていれば、もしかしたらしゃべれなくもないかもとは思ったりもするものの、この番組でもとめられるオール・アバウト・フィンランド的な知識にかんしては、正直まったくといっていいほど自信がない。だいたい「オーロラ」すら見てませんから。そのうえ前週のオンエアに登場したのは、《グリーンランド国際サンタクロース協会公認サンタクロース》のパラダイス山元氏(J-WAVEから打診のあった前夜、自宅前でお見かけしました・・・う~む、予兆だったのか?!)。話術も巧みなパラダイス山元氏の後では、さすがに分が悪いよな~というのも理由のひとつ、か。
そこで悪知恵をはたらかせて、moiを設計した関本さんに押しつけてしまおうと画策したりしたのだけれど(笑)、けっきょく先方の事情により白羽の矢が立ったのはフィンランド政府観光局の能登さん。キャスティング的には、まさにグリグリの本命◎ ですね。いやあ~、勉強になりましたです・・・ていうか、うかつに引き受けなくてホントよかった。
きょうの東京は寒かった。17時現在の気温が「2℃」。ヘルシンキの、きょうの予想最高気温とおなじである。そりゃ、寒いさ。そしてお察しの通り、ヒマ全開な一日でした。
以前ほどには、こんな日でもヘコまないようになりました。多少は「水商売」が板についてきた、ということでしょうか・・・。こういう日には、リリーフ投手のような心境で淡々とやりすごすのです。
日々マウンドにあがらなければならないリリーフ投手なら、ときには思惑通りに抑えられないという日だってあります。けれども、その「負け」を引きずっていては次のマウンドにも差し支えようというもの。一回一回、いや、つきつめるなら一球一球を切りはなして、それだけに集中して投げることこそがリリーフ投手の「極意」だとおもうのです。カフェもおなじこと。一日一日、さらにいうなら一杯一杯に全力を注ぎつつ、でも淡々と、仕事することが肝心なのかもしれません。
きょうは、乾燥機であたためたポカポカのふとんでぐっすり眠ってあしたに備えます。おやすみなさい。
フィンランドを拠点に、コマーシャルフォトの現場などで活躍するフォトグラファーエリナ守屋さんからメールがとどきました。
エリナさんとは二度、moiのオープン前と、そして昨年お目にかかったにすぎないのですが、彼女から発せられるエネルギーにはいつも圧倒されます。日本人の父親とフィンランド人の母親とのあいだで生まれ育った彼女のテーマは、「人と文化を撮る」。実際、いそがしい広告写真の仕事のあいまをぬって、世界各地を旅してはたくさんのひとびとと出会い、そして意欲的なシリーズの数々を発表されています。
たとえば「一期一会」というプロジェクト。これは、世界を旅しながら出会ったひとびとのポートレイトに、別の場所で撮影した風景を「合成」した作品集です。ありのままを写しとるのではなく、あえて「合成」という人為的なコントロールをほどこすことで、「エリナ守屋」というひとりの旅人の「感興」が、その写真にはよりリアルにひとつのイメージとして像を結んでいるようにぼくにはおもえます。そしてそのことは、フォトグラファーとしての彼女の《思想》をとても明快に物語っているように感じるのです。
とはいえ、エリナさんの写真にあらわれる世界がフィクショナルであるということではありません。あえていうなら、それはアンリアルな世界。いま目の前にある世界そのもとはどこかちがうけれど、「こうであったらいいな」という《期待》を孕んだ遠い「現実」。モットーは「人生はあくなき探究」と語る彼女のそのまっすぐな視線の先にひらけるのはきっと、その写真のようにクリアでカラフルで、瞳には強い意志を宿らせたひとびとが息づく世界なのではないでしょうか。
気になったかたはぜひ、エリナ守屋さんのサイトを訪れてみてください。
寒い日曜日になりました。
途中までは「どうしよっかなぁ」というくらい客足もまばらだったのですが、風向きが変わったかのように突然バタバタと忙しくなった一日でした(まったくお客さまの動向だけは、どうしたって予想がつきません)。こんなときは、せっかく話し掛けていただいたお客さまにも、あまりちゃんとした返答を差し上げることもできずに心苦しいばかりです。
だいたいが一人で切り盛りしていると、いちどに4つのオーダーでもう一杯一杯、ですね(苦笑)。そのうえオーダー内容がまちまちだったりすると、これはもう、どういう手順で作業すべきかアタマの中で一生けんめい考えをめぐらせつつ、手も同時に動かしているといったありさまで、その他のことまでなかなか気がまわらなくなってしまうというのが正直なところです。こういう状況に遭遇されたかたには、ホントごめんなさい!いまから謝っておきます(笑)。
それにしても、こんな寒さのなかおいでくださったお客さまにはいつもながら感謝!ありがとうございます!
アミューズメント機器やさまざまな携帯コンテンツの開発などで知られる「TAITO」が発行するフリーペーパー、『side b』の取材がありました。
2/10から配付予定のvol.14が「フィンランド特集」ということで、moiのショップ情報が掲載される予定です。ほかにもヘルシンキやロヴァニエミからのレポート、またフィンランド政府観光局が開催しているイベント「フィンランドカフェ2005」の予告なども早々と登場するとのことなので、どうぞお見逃しなく!
『side b』は渋谷を中心にカフェ、クラブ、カラオケボックス、ゲームセンターなどで配付されているほか、今回moiでも配付させていただく予定なのでおたのしみに。
さて、ここからは「こぼれ話」。それにしても、どうして、いったいなぜフィンランド?というワケで、「理由」を伺ってみました。
お話によると、フィンランド北極圏の都市ロヴァニエミ近郊に完成した「サンタテクノロジーパーク」に、現在TAITOの社員が派遣され滞在していることから「フィンランド」という名前が浮上したとのこと。TAITOからは、昨秋を皮切りに3ヶ月交代で3人の社員がラップランドに派遣されるのだそうで、ある日突然ラップランドへの転勤を言い渡される社員の心境をおもうと心が痛みます(笑)。まさに、この正月にみた映画『シャイニング』の世界そのものですね。でも、「イナリ」じゃなかったのがせめてもの救いかも。無事帰還されることを心よりお祈り申し上げます・・・。
イタリア在住のイラストレーター/詩人で、友人の「ふじわらいずみ」さんからライブイベント『ストリングラフィ・アンサンブルとふじわらいずみ』の案内が届きました。
「ストリングラフィ」というのは、作曲家の水嶋一江さんが考案した楽器/奏法で、何本もの絹糸を空間に張りめぐらし、その糸を手で擦ることで音を出します。つまり、「空間」がそのまま巨大な弦楽器になったようなイメージでしょうか。また、糸の長さ(最長で15メートル)によって「音階」がことなるため、複数の奏者からなるアンサンブルによって演奏されます。そして、それぞれの奏者は平行にすばやく移動しながら必要な「音」を奏でてゆくのですが、その光景はまるで「ダンス」をみているかのようでまったく飽きることをしりません。
ところで、そのサウンドはというと・・・う~ん、むつかしい。それは空から降ってくる光のようでもあるし、海からやってくる波のようでもある、かな?ぼくは、98年にそのライブを体験しているのですが、ほんとうにおもしろくてすっかり魅了されてしまったのをおぼえています。とりわけ今回のライブは、ストリングラフィ・アンサンブルによる演奏と、ストリングラフィに触発されたふじわらいずみさんによる「絵」とのコラボレーションということで、さぞかし刺激的なものになるのではないでしょうか。
その全身を「音」で洗われるようなストリングラフィのライブ、ぜひ体験してみてください。
◎ ストリングラフィ・アンサンブルとふじわらいずみ
出演:水嶋一江ほか(演奏)・ふじわらいずみ(絵)
日時:1/29[土]18時30分から
1/30[日]14時30分から
会場:スタジオ イヴ(京王線代田橋駅下車 徒歩5分)
料金:おとな1,500円 こども500円(ドリンクつき)
池袋にまだ「西武美術館」があったころ、正月にはきまって絵をみにでかけた。たんなる「ひまつぶし」だから、なにをやっていようがかまいはしなかった。
たまたま、その年の正月におこなわれていたのはイヴ・クライン(1928-1962)の展覧会。無地のキャンバスやギリシャの彫像に、インターナショナルクラインブルー(IKB)と名づけられた青い顔料をただ塗っただけの作品で知られる彼は、ほかにもほとんど「奇行」まがいのパフォーマンスの数々などでモダンアートの世界ではなかば「伝説の人」である。
そのときみていたのは、《火の絵画》という作品だった。白いキャンバスに強力なバーナーで炎をあて制作したその「絵とはいえない絵」をまえに、ぼくは当惑していた。このひとは一体なにがしたいのだろう?その謎をひもとくわずかなカギがないものかと、ぼくはその理解不能な世界と格闘していたのだった。やがて、両親に手をひかれた4歳くらいの女の子がぼくのとなりにやってきた。女の子は、その作品をみるなりこう叫んだ。
雪の花火!
目からウロコだった(注 『プロジェクトX』の田口トモロヲさん風にお読みください)。そうそう、その通り。それでいいんだよ。心のなかで、なんどもそう繰り返した。「雪」と「花火」、「冷たいもの」と「熱いもの」とを組み合わせるその発想はよくよくかんがえれば矛盾した表現にはちがいないけれど、そんなことはどうだっていい。作品を「みる」というよりは、直観的に作品と対話することこそが大切なんじゃないだろうか。だいいち、そのほうが断然たのしい。それからというもの、ぼくは現代アートと気楽につきあえるようになった。その女の子の「教え」のおかげである。
さて、月日は過ぎ、その女の子も23,4歳になったはずである。はたしてどんな大人になっているのだろう。ちょっと会ってみたい。
写真は、去年の秋moiで作品展をおこなっていただいたイラストレーター、ひらいみもさんからプレゼントしていただいたテキスタイル作品。タイトルは『さいしょのひとくち』で、モチーフになっているのはごぞんじ、moiで使用しているオリジナルのカップ&ソーサーセット《eclipse》。
コーヒーをのもうとカップを持ちあげソーサーに「三日月」を発見したときの「うわぁ」という気分(?)が、「織物」によって表現されています。それにしても、こんなふうにそれを手にするひとによろこんでもらえるような食器を使わせていただけるなんて、まったくmoiはしあわせものです。
そしてきょう、その《eclipse》の「生みの親」で、フィンランドから一時帰国中の梅田弘樹さんがmoiをたずねてくださいました。ことしは、どうやらデザイナーとして新たな局面をむかえる一年になりそうとのことで、またその作品をとおしてぼくらを驚かせたり喜ばせたりしてくれるのではと、いまからとてもたのしみです。ちなみに梅田さん、先日「高円寺」を訪れたところ、そのあまりに雑然とした町並みにプチ・パニック状態に陥ったそうで・・・まさに、フィンランド人もびっくりのフィンランド人ぶりといえそうです。
世界中が異常気象に見舞われています。
フィンランドの全国紙「Helsingin Sanomat」でも、「暖冬のため湖や川に張った氷がいまにも割れそうな状態となっており大変に危険」といった記事や、「(スカンジナヴィアを襲った)冬の嵐でフィンランド各地の沿岸を中心に記録的な高潮被害」といった記事が大きくとりあげられています。「高潮」の記事によると、トゥルク港やヘルシンキのカウッパトリ(マーケット広場)などあちこちで浸水があった模様。
ところで、気象庁によるここ東京のあしたの天気は「雪か雨」。ボクの予想では「雨」。「雪」は降ってもちょっとだけ、かな?「降る、降る」と騒いだときにかぎって実際には「降らない」というのがいつものパターンだから。あ、参考までつけくわえさせていただくなら、ボク、賭け事むっちゃ弱いですから。
しかし天気予報あたりませんね。かつてのぼくの競馬予想といい勝負です。
これからは、「予報」じゃなくて「天気予想」に変えたほうがよいのではないでしょうか?本命=はれ、対抗=くもり、大穴=雪、なんて具合に。どうせなら、競馬新聞みたいに複数の解説者がでてきて「予想」するというのもいいですね。データの川村、「穴」の立花、しまいにはえりかの花まる予想やら大二郎の人情予想と、もういったいぜんたいだれを信用していいのやら・・・
それはともかく、気象庁が発表している「この半世紀の予報精度」なる資料をみるかぎり、あたかも年々「的中率」は上昇しているかのようにうけとめられます。けれども、ここでいう「的中率」はあくまでも「降水の有無」、つまり「降ると言ったのに降らなかった」あるいは「降らないと言ったのに降った」といったケースのみにかぎられた話であって、たとえば「快晴と言ったのにくもりだった」とか「寒いと言ったのに暖かかった」、「雨と言ったのに雪だった」といった、多くのひとが「ハズレた」とうけとめるようなケースはふくまれていないのが実際です。
それと同時に、天気予報にたいするぼくらの評価もますますシビアになってきています。そしてその「責任」の一端は、おそらく天気予報の側にあります。最高温度/最低温度にはじまり、降水(雪)量、降水(雪)確率や洗濯指数まで、以前にくらべて予想の項目が細分化してきているぶん「ハズレた」と感じさせる機会もふえてしまったということではないでしょうか。ひらたくいえば、「じぶんでじぶんの首をしめている」という状況。それに、天気予報についてぼくらはなかばアタってあたりまえとかんがえているようなフシもあるので、記憶にとどまるのはハズレたときだけという部分もあるでしょう。
やはり結局のところ、なにごともシンプルがいちばんということで、確度が低い情報ならばなにも必要以上にふやすことはないと思うのですが・・・とはいえ、いまさら逆戻りもできないでしょうね。なんたって、いちどはじめたものをやめるというのはなかなか勇気がいりますから。アメリカの戦争とおなじですね。
それはそうと、なぜ天気予報についてここまで熱く語っているのでしょうか?(笑)
Wさんから、フィンランド発の《超時空SFアクション大作》があるらしいとの話をきいた。タイトルは『スペース・タイム~時空を超えた使命』、2003年に製作されたフィンランド映画だ。みたわけではないのでなにも言えないけれど、宣伝文句がとにかく強烈。
フィンランド映画界が「莫大な予算と製作期間が費や」し、その「威信をかけて製作」した本編は、「『マトリックス』を彷彿とさせるワイヤーを多用したガンアクション、最新のCG技術を駆使した未来空間の演出など」圧巻のスケールで描く史上希に見る一大巨編である・・・ときたもんだ。
しかしながら、だ。莫大な予算と製作期間を費やし威信をかけて製作したというワリには、なぜかオール・フィンランド国内ロケ、しかも出演者のほとんどはフィンランド人って、これはいったいどうなのよ?さらに「準備段階から全米を中心とした全世界を視野に入れて製作」したにもかかわらず、オリジナル言語はフィンランド語だし・・・。うーむ、これはなんだかちょっとイヤな予感が(笑)。
ああ、みたい!みたくなってきた!そして後悔したい!(笑)
いえいえ、これも「愛」ですから、「愛」。
ちなみに、アキ・カウリスマキの『過去のない男』では主役を演じたマッルク・ペルトラも「悪役」で登場(らしい)。フィンランドの公式サイトもグッときます。ぜひ。
阪神淡路大震災から、きょうでまる10年。
いまから10年前の1995年1月16日、つまりあの地震の前日、ぼくは友人と横浜にいた。風が強く、空は青く澄みわたっていた。夕方、山下公園をあるいていたぼくらは、 上空の満月の異常さに気がついた。とにかくその月は異様にデカく、晴れわたった空になぜか月だけが霞みがかかったようにぼんやりと鈍くかがやいているのだった。そのときは、すぐには「地震」と結びつかなかったものの、その後の友人との会話はしばらく「月」のことに終始したのをおぼえている。そして翌朝、ぼくはニュースで地震の発生を知ることになる。
こどものころ、ある本で「新潟地震の直前にひとりの少年が血のしたたるような赤い月をみた」という話を目にしてからというもの、ぼくは地震は予知できるものと信じている。じっさい、地震が発生する直前には外気が突然黄色っぽくかすむ(「エアロゾル」という現象であることを後になって知った)ということや、放射状の雲があらわれると数日後に地震がおこることがおおいということは、身の回りを観察しながら経験的に学んだことだ。
「地震予知」の可能性をめぐっては、研究者たちのあいだでもさまざまな見解があり、当然そこには「対立」もある。けれどもぼくがみる限り、地震を予知することはできないと断言する研究者はすくないようだ。「対立」はたいてい、「予知」ということばの定義のズレに端を発しているからである。「地震予知」に否定的な研究者たちの主張は、《いつ/どこで/どのくらいの規模の地震が発生するのか》を「特定」しえないかぎり厳密な意味での「予知」とは呼べないというもので、原理的に「予知」は不可能といっているわけではない。クシャミをするとき、ぼくらはかならず直前におおきく「呼吸」する。地震を「クシャミ」にたとえるなら、「予兆」とはさしずめ、この「呼吸」にほかならない。そしてクシャミがおおきければおおきいほど、その「呼吸」も当然より「派手」であるにちがいない。となると、予知できないと言い切るほうが、むしろ科学的には「ナンセンス」だったりするのだろう。
「阪神淡路大震災」以降、宏観現象ということばをよく耳にするようになった。また、その後の急速なインターネットの普及により、そうした個々の現象の数々を不特定多数のひとびとが共有することが可能になった。ぼくの場合は「おっ?」という現象に出くわしたら、ひとまず携帯電話のカメラで撮影することにしている(画像)。そして、いくつかの「宏観現象」にかんする情報サイトをチェックすることで、じぶんが目撃した現象の《価値》をはかることにしている。無知や勘違いからくる「誤解」もすくなくないからだ。
ちかごろは、国は国民に対してどのように「危機」を伝えるべきかという議論を耳にする。けれども国は、国民がパニックに陥ることを恐れて、おそらくよほど確実な証拠をつかんでいるのでもない限り国民に危機を知らせるということはしないだろう。だからこそ、情報メディアとしてのインターネットの特性をフル活用した「草の根」的「宏観現象」の共有が威力を発揮するはずなのである。
興味のあるかたは、「阪神淡路大震災」の直後に一般市民が「予兆」として感じた現象を、「ありえね~」というものまでふくめ1500件以上採集し網羅した『前兆証言1519!~―阪神淡路大震災1995年1月17日午前5時46分』(弘原海 清 編著)をチェックしてみてください(残念ながら「絶版」のため、ぜひ図書館などで)。ちなみに画像は、先日「出勤途中」に撮影したもの。「地震雲?」という感じでしたが、その日は飛行機雲が停滞しやすい気象条件であることがすぐに判明し「ホッ」としました。
カフェとはまったく無関係なネタで(いつもながら?!)ごめんなさい!
つめたい雨が降りつづいた週末とは対照的に、きょうはあたたかな太陽の光が降りそそぐおだやかな一日だった。こんな日にきまって思い出すのは、つぎのようなフィンランド語のフレーズ。
── aurinko paistaa.
直訳すれば「太陽が輝く」。まあ、会話のなかでつかわれるぶんには「いい天気だね」くらいの意味なのだろうけれど、じつはそこにはもっといろいろな感情が織りこまれているように思われるのだ。
フィンランドではいつも、太陽のめぐみということばを実感する。北の国では、太陽は凍てついた空気を融かし、そのまばゆい光は風景の色さえも変えてしまう。光と闇、つめたさとあたたかさ、もっといえば厳しさと優しさ、よろこびとかなしみ・・・人間の感情をつかさどるありとあらゆる《コントラスト》を支配しているものは、そこでは「太陽」なのではないか、そんな気にさえなってくるのだった。
だからこそ、aurinko paistaaというこのなにげないフレーズにも、ぼくはとてもヒューマンな響きを聞いてしまう。よくシベリウスの交響曲第2番のフィナーレにかんして、「独立前夜」における《民族の自立》とその《勝利の凱歌》と説明したものを目にしたりするのだけれど、あれはたんなる《aurinko paistaa》なんじゃないかとぼくは密かにかんがえている。じっさいシベリウス自身も、「抑圧された民族の解放」うんぬんといった「標題音楽」的な解釈には否定的だったらしい。鉛色の空を突き破るようにして、まっすぐ地上に届く北の国の太陽の光をそのからだに受けるとき、そこにわきおこるのは素朴でおおらかな感謝の念であるだろう。シベリウスの音楽に、ぼくはフィンランドの力強い太陽をおもいだす。そして、世界の様相が変わるあの瞬間を。
aurinko paistaa ── そうフィンランドのひとがつぶやくとき、そこには自然にたいするかれらの深い敬意がこめられているようにおもえてならない。
きょうの出来事をつらつらと。
パリに留学中だったMさんが帰国、ひさしぶりに元気そうな顔をみせてくださいました。パリに「留学」といえば、ぼくの曾祖父もパリに暮らしていたことがあるらしい。ただ、こちらは「留学」というよりは「遊学」。いまからざっと100年ほども前、古きよき時代のお話。
そしてちょうどそのころ、1889年創業のフランスの老舗ブーランジュリーといえば「PAUL」ですが、その「PAUL」のチーズパンをおみやげに寄り道してくださったのは、イラストレータ-のみやまつともみさん。おすすめの展覧会かとうゆめこ*PULP WORKS『地球の味方』(六本木のギャラリー「SAVOIR VIVRE」 にて26日まで開催中)のことをおしえてもらいました。なんか味があって、どこかおとぼけ・・・余白からストーリーがこぼれおちてきそうな作品たち。ことしのみやまつさんは、5月に学芸大学の「tray」さんで、そして10月には吉祥寺の「Feve」さんでそれぞれ個展を開催されるそうです。お楽しみに。
ところで、昨年の秋その「tary」さんや「moi」も参加しておこなわれたイベントといえば『アートと喫茶』展。イベントはおかげさまで好評のうちに終了しましたが、その「アートと喫茶」についての記事が発売中の雑誌『カフェ&レストラン』2月号(旭屋出版)に掲載されています。12のカフェ/ギャラリーを写真でコンパクトに紹介したカラーページ(画像)と、このイベントを企画された経堂の「appel」の泉沢さん、TATTAKAさん、それに「ROBA ROBA cafe」のいのまたさんのインタビュー記事がごらんいただけます。なお、ワタクシ岩間もちらっとコメントで登場。本屋さんでみかけましたら、ぜひチェックをしてみてください。
その『カフェ&レストラン』のKさんには、カフェシュクレさんの「北欧ブレンド」のことを教えていただきました。カフェと雑貨スペースをもつ自家焙煎珈琲店で、曳船にあるそう。北欧でのまれるコーヒーをイメージしたという「北欧ブレンド」は、ぼくのイメージとはちがってかなりの深煎り(フレンチロースト?)ですっきりとした味わいでした。うちの「Oscarブレンド」にちょっとにているかな?・・・
最近、残念に感じたこと。
なんとはなしに観ていた美空ひばりをとりあげたテレビ番組で、自宅で撮られたとおぼしき60年代後半(?)のポートレートの背景に、スタンダードジャズの名盤にまじってナラ・レオンのアルバム『ナラが自由を歌う』(1965)が写っていた。
写真の感じからいって雑誌のグラビアかなにかだろうから、そこに写っているレコードはどれも彼女がふだんから愛聴していたものだったかもしれない。その番組によると、美空ひばりは日ごろから好んでジャズを聴き、内外のジャズミュージシャンとの親交も厚かったようなので、あるいはだれか彼女にナラ(のレコード)を引き合わせた人物がいるのかもしれない。
いずれにせよこの時期に、しかもこの、ナラのディスコグラフィーのなかでもとりわけ「渋い」一枚であるこのアルバムを美空ひばりが耳にしていたという事実はとても興味深い。だってもしかしたら、『ひばり ジャズを歌う』ならぬ『ひばり ボッサを歌う』が誕生していたかもしれないのだから。
ひさしびりで4年ほど前の『Helsinki Happens』をパラパラとめくっていたところ、ちょっとおもしろい記事をみつけた。題して「数字でみるフィンランド・コーヒー事情」。ひとりあたりのコーヒー消費量世界第一位を誇る「コーヒーがぶ飲み大国」フィンランドの素顔が、いまあきらかに?!(なお、この記事はデータもふくめ2001年の春時点のものです)。
・世界的なコーヒー価格は、前年を30%ほど下回った。市場の供給過剰が原因である。霜害によりブラジルのコーヒー豆が壊滅的な被害をうけた1997年には、コーヒー価格は高騰した。
これは、まあフィンランドにかぎった話ではないですね。「農産物」である以上、多少の価格の変動は避けられないといったところでしょうか。
・フィンランドでのコーヒーの小売価格は、もっとも安いときで500gあたり220円から240円くらい、これはもっとも値上がりした1995年から96年にかけての価格(500円)のほぼ半分にあたる(1FIM=20円で換算)。
これはちょっとおもしろいですね。相場の価格がそのまま小売価格にもはね返るというのは、コーヒーにかんしていえば、日本ではあまりないようにおもわれます。ある意味、フェアな印象をうけますが。フィンランドの物価からかんがえると、500gで500円はじゅうぶん安いのではないでしょうか。「生活必需品だから」ということかもしれませんね。
・昨年、フィンランドは32ヶ国からコーヒーを輸入した。ちなみに、コーヒー生産国は世界中で50ヶ国以上にのぼる。
全日本コーヒー協会のサイトでちょっと調べてみたところ、日本は40ヶ国以上の原産国から輸入しているとのこと。コーヒーにたいして「嗜好品」としての価値をもとめる日本は、よりヴァリエーション重視ということでしょうか。
・フィンランドの生豆の輸入量は、1年あたりでざっと5,500万キログラムにのぼる。これは、国民ひとりあたり10キログラムに相当する。
赤ん坊までふくんでの10キロですから、驚くべき数字ですね。ちなみに日本は、ひとりあたりおよそ3キロ強といったところです。
・500グラムのコーヒー豆から、ふつうのサイズのコーヒーカップで平均65杯分のコーヒーを抽出する。
一杯あたり8グラム弱というのはかなりすくないですね。味わうというよりも、やはりむしろ「お茶感覚」でガブ飲みするというのがフィンランド流なのかもしれません。
・昨年、フィンランドではひとりあたり160リットルのコーヒーを飲んだ。これは一日あたり平均4杯のコーヒーを飲んだ計算となり、世界記録である。
むこうのコーヒーカップはやや小さめのものがおおいので、こんな数字でしょうか。日本の平均的なカップで再計算すると、だいたい「3.5杯」といったところ。でも、じゅうぶん「世界一」の名に恥じない摂取量といえそうです。
そういえば、先日「コーヒーを一日一杯以上飲む人は肝臓がんになる危険性がすくない」というニュースがありましたが、となると「酒好き」でもあるフィンランド人は、こんなふうにコーヒーをのむことで無意識のうちに肝臓がんのリスクを中和しているのかもしれません。ここはぜひ、フィンランドにおける肝臓がんの発症率もあわせて調査していただきたいところです。
駐日フィンランド大使館のサイトがリニューアルしました。あ、みなさんもうとっくにご存知でした???ぼくは最近チェックを怠っていたもので、きょうmoiのウェブサイトをつくっていただいたえつろさんにおしえていただいて、はじめてしりましたよ。
正直なところ、以前のTOPページのデザインすらよく思い出せなかったりするのですが、シンプルながら情報提供の面でより強化された今回のリニューアルによって、いっそう多くのひとに役立つサイトとして変身したのではないでしょうか。
ちなみにmoiも、「フィンランド関連機関」→「その他:フィンランドの食べ物」というコーナーにてリンクをはっていただいています。まだのかたはぜひ、いちどフィンランド大使館のサイトをたずねてみてくださいね。
余談ですが、いまmoiでごらんいただいている『ムーミンママのお料理の本』は、以前フィンランド大使夫人からプレゼントしていただいたもの。関心をお持ちのかたはぜひ、これを参考にフィンランド料理作りに挑戦してみるなんていかがでしょう。
ところで、moiでは毎週末の午前中フィンランド語教室を開催しているのだけれど、ただいま一時帰国中のSanna先生にかわり今週からLiisa先生が「リリーフ」として登板している。
フィンランドでは、あいさつにつづいて「Mita kuuluu?」とか「Miten menee?」、つまり相手にたいして「お元気ですか?」と訊ねることになっている。で、この場合の模範回答としては「Kiitos hyvaa」もしくは「Hyvin,kiitos」、つまり「ありがとう元気です」ということになるのだけれど、これはあくまでも教科書的な回答例。Liisa先生によれば、この問いかけにたいする回答としてはつぎのような3つのパターンがあるという。
パターン1
「Kiitos hyvaa/Hyvin,kiitos = ありがとう元気です」
パターン2
「Ei mitaan erikoista = べつだん何もないです」
パターン3
「Olen viela elossa = まだ生きてます」
前出のパターン1はよいとして、残りのふたつは・・・どうなのよ?ていうか、ぜんぶで3つあるうちのふたつまでが、なんかむっちゃ「うしろむき」な感じがするんですけど・・・(笑)。まあ、ぼくらも「まあまあだね」とか「なんとか生きてるよ」とか使ったりするのでフツーといえばフツー?!
ちなみに、Liisa先生はいつも「パターン3」だそう(笑)。あ、誤解のないようつけくわえさせていただくなら、Liisa先生はとても陽気で楽しいかたですよ。
文中のフィンランド語表記について
表示の関係上、kaksoispiste(でいいのかな? 文字の上につく「・・」です) は省略させていただいています
古い話で申し訳ないのだけれど、フィンランドのレコードショップ「Lifesaver」がじつに「いい仕事」をしてくれたので、ここはひとつ、やはり書かねばならぬということで。
軽快に刻むギターのイントロにのって走りだすコンガとソフトなコーラス、そしてなんといってもメロウなボーカルの心地よさ・・・そんなフリーソウルな名曲「Standing In The Way」を歌うのは、無名のシンガーCharles Williams。1975年にリリースされたこの曲を発掘し、2002年7inchシングルとしてリイシュ-したのが冒頭にのべたLIfesaver Recordsである。では、はたしてなぜフィンランドなのか?
じつはこのレコード、フィンランドのみでひっそりとリリースされたものだからというのがその理由。Charles Williams自身はジョージア出身のアメリカのシンガーなのだが、どういう理由があったのかはともかく、かれはフィンランドにやってきた。そしてこの曲を吹き込んだというワケである。このあたりのいきさつはどうやら裏ジャケにびっちり書かれているようなのだが、フィンランド語ゆえまったく理解できないのが残念である。
ところでジャケットにはこんなフレーズが記されている。いわく「Charles Williamsはフィンランドから出たがっている」。リリースから30年の時を経て、どうやらかれの願いは叶えられたといっていいかもしれない。
残念ながらすでに入手はむずかしくなっているようですが、Lifesaver Records Oyのサイトにて試聴できます。
佐々木知子さんがフィンランドを撮った写真展が、きょうからはじまりました。
いままでにも佐々木さんにはいろいろな写真をみせていただいていたのですが、個人的にはその《空気》ごと閉じこめてしまったような写真世界がとても気に入っていたので、今回こうしてmoiで展示することができうれしくおもっています。
展示されている9点の写真はどれもフィンランドで撮影された風景写真です。とはいえ、あるいは言わなければそうとは気づかないような、それらは「ありふれた光景」でもあります。それでもやはりそこにはまぎれもなく、あのフィンランドの空気が息づいているようにおもわれるのです。日々フィンランドのひとびとが目にしているだろうようなリアルな「景色」を、ぼくは佐々木さんの写真にみているのかもしれません。
今回の展示、会期が今週いっぱいと短かめではありますが、どうぞ機会がありましたらご覧ください。
※画像は、けさ仕込みをしていたところ、朝日が投じたシルエットが佐々木さんの作品と「競演」していてきれいだったので撮ってみたものです。
◎ TOMOKO SASAKI/FINLAND Pictures 1/25[火]~30[日]
全10席のちいさな空間のため、週末は混雑が予想されます。
可能な方は平日のご来場をおすすめします。
近ごろいらっしゃらないけれどあのひと元気かなぁ?とふと思ったり、不意にあるひとのことを思い出したりすると、なぜかご本人がその当日お客さまとしてやってくるなんていうことが、よくある。いわゆるひとつの「第六感」ってやつである。接客業にたずさわった経験のある方なら、たぶん思い当たるふしがあるのではないだろうか。
ほかにも、「日によってあるメニューにオーダーが集中する」とか「一万円札で支払うお客さまが続く」とか「お客さまはかたまってやってくる」とか、飲食業界にはその世界ならではの《七不思議》が存在している。とはいえ、まだ4つしか「発見」してないけれど・・・。
それ以外でも「食べ物を口にいれるとお客さまがやってくる」とか、おなじく「トイレに行くとお客さまがやってくる」などという、ひとりで切り盛りしていなければべつだん問題とはならないようなジンクスもある。
オープン当初は、このレコードをかけるとお客さんがくるなんていうのもあったけれど、最近ではその効果はほとんどみられない。使い過ぎたせいかもしれない。「賞味期限」は守りましょう。 もっといろいろありそうだが、いまは思いつかない。残りの3つもはやく「発見」しなければ。どなたかご存知でしたら、ぜひおしえてください!
ところでいま気づいたのだけれど、「七不思議」というよりはほとんどこれ、「あるあるネタ」だな。
ひょんなことから、お店によく来てくださるanzuさんとおなじ大学の出身であることがわかった。たしか、シネクラブ「Kino Iglu」を主宰する渡辺さんもそうだったはず。そのときは、大学の近所にあった「映画館」という名前のジャズ喫茶の話から判明したのだった。
おなじ大学の出身だからといって、べつになにがどうしたというワケでもないのだけれど、都心にあるわりにはこじんまりとして地味な大学ゆえ、日ごろ世間で同窓生と遭遇する機会なんてまずめったにない。それだけに、たまにこういうことがあるとやけにうれしくなってしまうのだ。
そういえば、以前の職場でも社員の数が少ないわりにはぼくをふくめて3人おなじ大学の出身者がいて、ときどき「OB会」と称した秘密結社めいた「飲み会」をコソコソと催したりしたものだった。「学閥」とよぶにはあまりにも権力の匂いにも強力な人脈にも無縁な集団ではあったけれど、ちょうどそれくらいの、罪のないくらいの「つながり」加減が気楽で、心地よかった。
ところで、そのぼくの通っていた大学はいま「大学の案内パンフレット人気ランキング第一位」なのだそうだ。メイド・イン・フィンランドの超有名キャラクターをイメージキャラクターに採用したのが効を奏したらしいのだが、卒業生としては「そんな『第一位』でいいのか?」と言いたいところではある。
それにしても、気がつけばここにもフィンランドの影・・・
さて、コーヒーのアテはやはり「あんぱん」にかぎるという話は、まえにこのブログでも書いたとおりですが、その後、なんにんかの方から「おいしいあんぱん情報」をおしえていただいたり、実際に差し入れしていただいたりして、ますますコーヒーとあんぱんの相思相愛ぶりを確信するにいたった次第。そしてついに、これぞ理想の「コーヒーのアテ」というべきあんぱんと出会いました。それがキィニョンのあんぱん(写真)です。
キィニョンはmoiのお客様にも「ファン」がおおい、国分寺のパン屋さん。おなじみ(?)、西尾さんが差し入れてくださいました。それにしたって、どうです?見てくださいよ、このツヤと張り。くんくんと鼻を近づければ、麹種のいい香りがフワリと立ちのぼってきます。生地のかたさもちょうどいいあんばい。これがなんだか水っぽくてベチャっとしているとがっかりしてしまうところですが、ヘンに口に残らないのでコーヒーの味も邪魔されません。そして肝心なポイント、皮と甘さ控えめのあんことのバランスもいい感じです。
至福のコーヒータイムのお供に「キィニョンのあんぱん」、おすすめします。
気がかりなことがある。あす、初めてのフィンランドへ旅立つというあるお客さまのことだ。
2月にまとまった休みがとれそうなのでぜひフィンランドに行ってみたい、という彼女は、けれどもしきりにフィンランドの寒さを気にしている様子だった。迷っているひとを見かけたら手を貸してあげなさい、そう親に厳しくしつけられ育った店主としては、ここはひとつ黙って見過ごすわけにはいかない。背中を押してあげた。「どうやらことしは『暖冬』みたいなのできっと大丈夫ですよ!」と。
「なんか大丈夫そうな気がしたんで、この前、帰りがけにチケットをおさえてきちゃったんです」、それから数日してふたたびmoiをおとずれた彼女は、一週間後の1/30にフィンランドへむけて出発することをそう報告してくれた。そして、笑顔で元気に店をあとにしたのだが・・・。
暖冬だったフィンランドにも、とうとう本格的な「寒波」が到来したのを知ったのはけさのこと。きのうはなんと、ヘルシンキでもマイナス15℃を記録したらしい。さっそく天気予報をチェックしてみたところ、いくぶん落ち着いたとはいえ、それでも日中の最高気温が氷点下になる日も多そうだ。彼女が、無事「フィンランド嫌い」にならずに帰国することをただ祈るばかりである。
どなたかもしもヘルシンキの街頭で、やけに薄着で当惑している若い日本人女性の姿を見かけたら、どうか親切にしてあげてください(笑)。moiからのお願いです。
紙モノ好き、そういう種族がいるらしい。っていうか、ほかならぬぼく自身がそうなのだけれど。
「紙モノ好き」というのは、よく店の片隅に無造作におかれているようなフライヤーのたぐいをチェックせずにはいられない、そういう人々のことである。ライブであろうと映画であろうと、あるいはさまざまなイベントであろうと、そのフライヤーが伝えようとする「情報」以上に、ぼくはもしかしたらフライヤーそのものがすきなのかもしれない。フライヤーに充溢する一球入魂な感じがすきなのだ。
フライヤーは、いうまでもなく「目的」ではない。映画なりライブなりイベントなりに「関心」をもってもらい、そのうえ実際に足を運んでもらう、あるいは買ってもらうことこそが真の「目的」である。だからフライヤーのつくり手は、一枚のちいさな紙のうえであらゆる手練手管を尽くしその「目的」を果たさんとする。
どんな写真、あるいはイラストを使うのか、どんなフォントをえらぶのか、そのひとつひとつに全神経を集中する。当然、そうしてつくられるフライヤーの完成度は高くなる。ときには、じっさいのイベント以上にフライヤーのほうが魅力的だったなんていうパラドックスだって起こりかねない。たとえばレコードやCDの「ジャケ買い」なんかも、そういう意味では「紙モノ好き」のなせるワザといっていいんじゃないだろうか。
さて、そんな「紙モノ好き」にとってはこのうえなく光栄な機会が先日めぐってきた。来月リリースされるあるCDのフライヤーのために、コメントを寄せてほしいという依頼だった。もちろん、快諾したのはいうまでもない。いやいや、このCDはホント内容も折り紙付きなのだから断る理由もなかろうというもの。「紙モノ好き」の名にかけて(?!)一筆入魂にてあたらせていただきましたよ。どうか、よりたくさんのひとの「耳」にとどきますように。