きょうから7日[日]まで、4人の作家によるテキスタイル展「30×30=?」を開催中です。
ひとくちに「テキスタイル」といっても、糸で絵をえがいたようなものもあれば、生地に切れ目を入れたり、平面と組み合わせたりして不思議な効果をねらったもの、複雑に編みこまれた糸が独特のテクスチュアをあらわしているものなどさまざま。
点数はすくないながらも(ぜんぶで8点)、30cm×30cmという「テーマ」のなかでさまざまな「冒険」を試みたたのしい展示です。moiへお越しの折には、ぜひごらんください。
◎ textile exhibition 「30cm×30cm=?」
11/2[火]-11/7[日]
11時-20時(土日祝:12時-) LO.19:45
テレビでダーウィンの『種の起源』をテーマにした特番をみる。そして「強さ」という概念について、なんとなくかんがえてみた。
この地上では、万物はみな「進化」してきた。そしてその「進化」を支えてきたのは「自然淘汰」の原理にほかならない、というのが、どうやらダーウィンの学説であるらしい。「自然淘汰」というのは「強い" 種 "」のみが生き残るというかんがえかたであるけれど、ここでいう「強い" 種 "」が、かならずしもジャイアンのように腕力にものを言わせてことをおこなう存在のことでないのは非を見るよりもあきらかである。
その証拠に、ティラノサウルスははるか昔に絶滅してしまった。「自然淘汰」における「強さ」、それは言いかえるなら環境の激しい変化にも対応しうるタフでしたたかな柔軟さであるだろう。ビ-グル号にのったダーウィンがガラパゴス諸島の光景に〈発見〉したのは、たぶんそういうことだったのではないだろうか。
ところでアメリカでは、大統領選で「強いアメリカ」というスローガンのもと政策をすすめてきた共和党のジョージ・ブッシュが再選をはたした。アメリカ国民はこれまでの政策を評価し、選択したわけである。はたして「進化論」が、国家の存亡の歴史にもまたあてはまるかどうかなんて、この際どうでもいい。ただ、「アメリカ」が「ジャイアン」のような国家にならないことを祈るばかりである。
関係ないけど、あなたのジャイアン度をチェックしてみよう!
あやしげな、というよりは、どう譲ったってあやしいネーミングとパッケージのド迫力に圧倒されつつ口にしたのは、「海軍さんの珈琲」。広島県は呉市にある、昂珈琲店というところで販売しているものだ。
軍艦のシルエットに力強くはためく日章旗があしらわれたパッケージだけでもじゅうぶん物々しいのに、パンフレットにはこんなコピーまであるのだった。何かを語りかけてくる珈琲。いったい何を語りかけられてしまうのかとドキドキしながら口にしたそのコーヒーは、バニラのような甘い芳香が特徴的な深煎りのブレンドで、意外にも好みの味だったのでなにやら肩すかしをくったような気分だった。
説明によると、この「昂珈琲店」がある呉市はかつて一大軍港として栄えたまちで、そのため、この店の常連客のなかにはかつて海兵隊員として従軍していた、いわゆる「海軍さん」の姿も見かけられたという。そして、かつて「戦艦大和」の砲手をつとめていたひとりの「海軍さん」の記憶をもとに、「大和」の艦内でのまれていた味を再現したのがこの「海軍さんの珈琲」なのだそうである。
しかもブレンドにあたっては、日本海軍が駐留していた国々-ジャワ、インドネシア、ニューギニアなど-の豆をつかうという念の入れようで、そこにはいまにも語りかけてきそうな勢いがある。日章旗をみると、自動的に軍艦マーチがジャカジャカ頭の中で鳴り響いてしまうぼくのような人間は、いったいどのような心持ちでこのコーヒーをのめばいいのやら。
勇ましすぎるのもまた、考えものである。
N氏に自慢しようとおもい、ストロベリー・スウィッチブレイドのデビュー曲「Trees and Flowers」の7 inchシングルをもっていったら、敵もさるもの、おなじ曲の12ichシングルをもってきたからびっくりした。
あまりにマニアックすぎる出来事なのでだれにも公言せず封印してしまうつもりだったのだけれど、ネタがなかったので書いてしまった・・・
ちなみにこの曲、彼女らのパンキッシュなルックスとは裏腹に、オーボエの牧歌的な旋律も印象的な、清々しいネオ・アコの名曲。N氏によると、フリッパーズ・ギターもサンプリングしているのだそう。片づけしながらひさしぶりに聴いたが、やっぱりいい曲だった。
だれにでも、なにをやってもうまくゆかない、そんな日ってあるんじゃないだろうか。きょうはまさに、そんな一日だった。
ちいさなことなのだけれど、すべてにおいてタイミングがあわない・・・そんな感じ。おまけにきょうは、ちょっとした拍子にコップ3個と灰皿2個を割ってしまった(こんな派手にやらかしたのは、オープン以来はじめてかも・・・)。要は集中力を欠いているということ。
こんな日は早く寝るにかぎります。おやすみなさい。
テキスタイル展『30×30=?』は、おかげさまをもちまして終了いたしました。会期中ご来店いただきましたみなさま、どうもありがとうございました。また週末の一部時間帯、混雑のためお入りいただけなかったお客様、いつもながらごめんなさい。
ところで、moiでのテキスタイルの作品展は今回がはじめてでした。作品数も控え目でしたし、大きさも30cm×30cmというフォーマットで共通していたこともあり、ある意味空間をぜいたくにつかった展示になっていたようにおもいます。それは、作品を「鑑賞する」というよりは、むしろ「作品のある空間」に身を置くことのたのしみにつながっていました。
moiとしては、今後、インスタレーションなど「空間」をうまくつかったカフェ/ギャラリーならではの展示スタイルにもこだわっていきたいとかんがえています。
常盤新平さんのエッセイのおかげで、ひさしぶりに「アメリカンファーマシー」のことを思い出した。
アメリカンファーマシーへは、子供のころよく母親に連れられて行った。当時わが家では、ことあるごとに出かけるのは銀座ときまっていた。暮らしていたまちから銀座へ行くには、地下鉄の日比谷駅から歩くのがもっとも都合がよかったので、自然と、銀座へ行くときにはまず日比谷でアメリカンファーマシーをひやかすのが習慣となったのだ。
ふしぎな香りのするお菓子やさまざまなキャラクターが描かれたステーショナリー、アメリカの新聞や雑誌、おもちゃみたいなキッチンツールにあかぬけたパッケージのくすりなどなど、そこは子供のぼくにとってまさにアメリカそのものだった。といっても、そのころのぼくにとっては『わんぱくフリッパー』と『奥様は魔女』、それに『グラハム・カーの世界の料理ショー』がアメリカのすべてではあったけれど。
高校へ行くようになってからも、やっぱりときどきはアメリカンファーマシーへ足をはこんだ。古めかしいビルディングに大きな英語のネオンサインをかかげたその店のある一角は、まるでモノクロの映画でみたニューヨークのどこかのようだなどと勝手にかんがえては悦にいっていた。ソニプラよりも断然アメリカンファーマシーのほうをお気に入りだったのは、きっとそんなこの店特有の「空気」のせいだったろう。
去年の夏のこと、たまたま日比谷を経由して銀座まででる用事があったぼくは、ひさしぶりにアメリカンファーマシーをのぞいてみよう、とおもいたった。ところがなんとしたことか、アメリカンファーマシーは閉店していた。そして扉には、ビルの老朽化にともなう解体のため丸ビルに移転するとのはり紙が。あるべきところにその店がない、その喪失感はじぶんでも驚くほどに大きいものだった。
アメリカンファーマシーは、いまではあちらこちらのオフィスビルや駅ビルに進出しているようだ。けれども、そこに行ってみようという気分には到底、なれない。子供のころ胸ときめかせたあのアメリカンファーマシーと、それは似て非なるものにちがいないから。まったくもって、意固地なじいさんのような話ではある。
不具合は不意にやってくる。
現在、このブログったらめちゃくちゃです・・・。テンプレートも変えたわけじゃないのに、勝手にこんなになってます。さっきまでは、文字の行間とかフォントの大きさも変わってました。どうやらメンテナンスがうまくいかなかったようですが、こういうときつくづくパソコンのトラブルって天災だよなぁとおもうのです。こうした事態を前にしては、もうどうにもお手上げです。なにがどうしてどうなっちゃったのやら・・・正直想像もつきません。
このワケのわからなさといったら、頭が痛くて病院に行ったらいきなりお腹を切られたようなものであり、またコーヒーを注文したらウニイクラ丼が出てきたようなものである。などと、こんな駄文でお茶を濁しているのも、この文章だって無事に投稿できるかわからないからだ。きのうの分も、安定するまではこわくて投稿できない。
いずれにせよ、早くなんとかならないものだろうか・・・。
追記
OSによって表示が崩れたりしている模様なので、当面、いちばんまともに「読める」と思われるテンプレートでこの場をしのぎたいとおもいます。
UCCのサイトに連載中のコラム「世界の珈琲人」で、フィンランド在住のかたがフィンランド人とコーヒーにかんする文章を書かれています。
そこでも触れられていますが、フィンランドはよく一人あたりのコーヒー消費量世界一の国として紹介されます。ICO(世界コーヒー機関)による2002年の統計では、フィンランドの一人あたりのコーヒー消費量は年間11.26キロで断トツの1位です。一杯を10グラムとして換算すると、国民全員が一日平均3杯ちょっとのコーヒーを飲んでいる計算になります。
もちろんこのなかには、コーヒーを飲まないひとや赤ちゃんもふくまれているわけですから、一般にはより多く飲まれているわけです。ちなみに日本の場合、ひとりあたり一日およそ0.9杯で足下にもおよびません。フランスでもフィンランドの半分くらい、といったところですね。いかにフィンランド人が日々たくさんのコーヒーを飲んでいるかがわかります。
では、どうしてフィンランド人はそんなにコーヒーを好むのでしょう?答えは、わかりません・・・。あくまでもぼくの推測にすぎないのですが、それはフィンランド人の気質と関係があるのではないでしょうか?
フィンランド人はしばしばシャイな民族だといわれます。よく間がもたないなんていいますが、人と人とのコミュニュケーションの局面ではお茶やお酒、タバコといった嗜好品が活躍することがままあります。日本でも「ちょっとあがってお茶でもいかがですか?」とか「ねぇ、ねぇ、彼女お茶しない?」なんて具合に、コミュニュケーションの動機として「お茶」が持ち出されたりしますね。他者とのコミュニュケーションが得意ではないといわれるフィンランドのひとたちが、「お茶」(ここでは「コーヒー」ですね)を好むというのもなんとなく理解できる気がします。
すくなくともフィンランド人をみる限り、コーヒーが大好きで味わっているという印象はなく、むしろガブ飲みしてるという感じ。おなじようにシャイな民族といわれる日本人だって、もちろん例外ではありません。コーヒーこそ少ないですが、日本茶や紅茶までふくめたら、おそらくは世界有数の《喫茶大国》になるのではないでしょうか?
そんなところひとつとっても、ぼくは「フィンランドと日本ってなんか似てるよなぁ」とおもってしまうのです。
新潟中越地震の発生から3週間、いまだに余震がおさまらないばかりか、むしろ二次災害の恐れや豪雪をともなう厳しい冬の到来など、被害にあったひとびとの不安は日に日にますばかりである。
実は、ぼくのおばは今回大きな被害をうけた山古志村の出身で、その年老いた両親と兄弟はいまだ不自由な避難所での生活を余儀なくされている。そんなこともあって、今回の地震についてはぼくも他人事とはおもえずなにかと気がかりであると同時に、ささやかに募金する程度にしか力になれないことがまたもどかしくもある。
そんな矢先、ニュースで避難所でチャイをくばる外国人たちの姿をみた。かれらは、地震の報を知り名古屋からかけつけたイスラム教徒団体のメンバーたちで、阪神大震災のときにもボランティアとして同様の活動をしたという。たった一杯のチャイが、避難所で暮らすひとびとの心にあたえたものを思うと胸があつくなる。口にしたひとはきっと、このときのチャイの味を一生わすれることはないだろう。
いちばん大事なことは、たとえどんなにささやかなことであろうとも、じぶんができることを実際に行動にうつすことなのだと、かれらの姿から教えられた。被災地で活動をつづけるすべてのボランティアたちには、ほんとうに頭が下がる。
秘密のコーヒー。
フィンランドの小説家レーナ・クルーンの短編小説に、それは登場する。八月のちょっとせつない物語だ。主人公の少女ヴェーラは家でコーヒーをのむかわりに、ちかくの荒れ果てた桟橋で、生い茂った葦になかば隠れるようにしてひとりコーヒーをのむのがお気に入りだ。それを、家族たちは皮肉って「秘密のコーヒー」とよぶ。そしてある夏の終わりの午後のこと、「秘密のコーヒー」に導かれたヴェーラはひとりのふしぎな少年と《出会う》のだった・・・。
これは、カップ一杯のコーヒーとそれがもたらす特別な時間についての物語である。「場所」、つまり「秘密の桟橋」ではなく、ヴェーラを訪れるふしぎな出来事は、なにより「秘密のコーヒー」とその「時間」によってもたらされるものだ。いいかえれば、ヴェーラの「秘密のコーヒー」とは、見なれた世界を見知らぬ世界へと変えてしまう、ちょっとした「スウィッチ」のようなものである。「秘密のコーヒー」をもつ者は、あるいは、世界を二重に生きているのかもしれない。
もし、あなたのまわりに葦の生い茂った古い桟橋がなかったとしても、だいじょうぶ、あなたが「秘密のコーヒー」をもつのはさしてむずかしいことではない。まちには「カフェ」や「喫茶店」という、「秘密のコーヒー」をたのしむのにうってつけの隠れ家が用意されているのだから。ヴェーラが、ポケットにプッラ(フィンランドの菓子パン)をつっこみ、コーヒーカップ片手に意気揚々と家をとびだしてゆくように、「都会のヴェーラたち」はカフェをめざす。
秋の昼下がり、moiで思い思いのひとときをすごすひとたちを見ていると、ぼくにはなんだかヴェーラの姿がだぶってみえる。
うまい酒にはうまい肴があうように、うまいコーヒーにもやはりそれにふさわしいアテがあってしかるべきじゃないだろうか。実際、ぼくのすきないくつかの喫茶店には、まさにコーヒーのアテとよぶにふさわしいちょっとしたサイドメニューが用意されている。
京都のエスフィーファには「肉パン」があるし、おなじく京都の六曜社地下店だったら「ドーナツ」だ。残念なことにいまだ訪ねたことはないのだけれど、「ドーナツ」といえば大阪の平岡珈琲店も忘れるわけにはいかない。ケーキや手のこんだスウィーツもわるくないが、なぜだかコーヒーのアテには素朴でなつかしい味のほうが似合う気がする。
ちなみにmoiの「プッラ」こと「フィンランド風シナモンロール」は、そんなコーヒーのアテとしてメニューに加わったものなのだが、量産がきかずいまひとつ品切れがち・・・(ごめんなさい!)
ところで、ぼくが個人的にかんがえる最高のコーヒーのアテは、なんといってもあんぱんをおいてほかにない。とくに深煎り豆との相性は抜群!ぜひぜひお試しあれ!
そんなわけで、現在おいしい「あんぱん」情報をひろく募集中。とっておきの「あんぱん」をご存じのかたはぜひご一報を!
競馬に「名言」はつきものである。
たとえば、イギリスのチャーチル首相による「ダービー馬の馬主になるのは、一国の宰相になるより難しい」という言葉は有名だ。そうだろうな、きっとそうだろう、とは思うものの、つましい日々をおくる庶民にはいまひとつピンとこない。
それにくらべると、常盤新平のはぐっと庶民的で説得力がある。「府中の競馬場はひろびろとして、冬の朝などは晴れていれば、白い富士が見えた。そういう日にかぎって馬券は外れるのだった」。おそらく府中で競馬をやったことのないひとにはわからないだろうが、そう、「外れる」のだ。
パキッとした朝の空気のなか見やる「白い富士」は、「よおし、きょうはやってやるゾ」、そんな高揚した気分にさせてくれる。ところが最終レースのころともなると、うつくしい夕焼けを背に黒いシルエットとなった富士を呆然とみつめることになるのだ。馬の消えた、眼下にひろがる広大なターフ(芝生)をみるとききまっておもいだすのは、寺山修司の著作のタイトル「馬敗れて草原あり」。
こうしてみると、どうやら「名言」は馬券が「はずれる」ときにうまれるものらしい。
きわめつけはチャールズ・ブコウスキーの、けっして共感したくはない、こんな一節だろう。「競馬でやられた日には、靴下はにおうし、財布の中には1ドル札が2、3枚しか入っていないしで、どう考えたって勝ち目はない、奇蹟が起こるなんてことあるわけないと思う」。まさに、ネガティブさの極北といった言葉だが、これが「名言」といえるのは逆もまた真なりだからであって、その感覚が忘れがたくてぼくらは懲りもせず競馬をやるのである。
ふだんの日は、ほとんど家で料理をすることなどないのでせめて休日くらいはとおもうのだけれど、いざ休日ともなるとなかなか忙しくて結局ありあわせのもので済ませてしまうのがいつものパターン。
きょうは雑用に追われる一日なので、ちょっとした気分転換にホットケーキを焼いてみた。日ごろ、おひるごはんなんてゆっくり食べたことないし、匂いのしない冷たいものをちょこっとパクつく程度なので、じっくり熱したフライパンでゆっくりホットケーキを焼いているだけでもうずいぶん贅沢なことをしているような、そんな気分になってくる。
ほかほかのホットケーキをほおばって、Iさんからわけていただいたケニアンティーを手鍋で大ざっぱに沸かし、ロンドンの下町風(?)ミルクティーをこしらえる。手のこんだものはなにもない。でも、むしろこれくらいの力のぬけ具合がぼくにはちょうど心地よく、性に合っているみたいだ。
ほとんど「地縛霊」のような生活をしているおかげで、あと1ヶ月ほどでクリスマスがやってくるという実感がまるでわかない。こまった話である。11月にしてはやたらと気温が高いのも、実感がわかない理由のひとつにちがいない。
それはまあ、ともかく、moiも多少は世間並みにクリスマス気分を演出しなければいけないんじゃないだろうかということで、遅ればせながら「クリスマスカード特設コーナー」をつくりました!
素朴でノスタルジックな味わいのあるフィンランドのクリスマスカード(ほとんど一点もの、ポストカード2枚セットで300円)にくわえ、マリメッコのテキスタイルデザインでもおなじみの脇阪克二 さん、そして10月にmoiで個展をしていただいたひらいみも さんのカードなど取り揃え、販売しています。
ごらんになるだけでもOKですので、北欧らしいクリスマスカードを探しているかたはぜひmoiにお立ち寄りください。お待ちしております。
飯田橋のカフェ「Vale(ヴァレ)」のオーナー、さがらさんが来店してくださいました。
ちょうど一年ほど前、オープンにむけて準備を進めていたさがらさんがmoiをたずねてくださって以来の再会です。風のたよりにお店をオープンされたとは聞いていたものの、店名や場所がわからず気になっていただけに、忙しい合間をぬって顔を見せてくださったのはうれしいかぎりです。
お話によると、オープンはことしの3月、場所は飯田橋駅から徒歩で7分ほどの「筑土八幡」のご近所とのこと。メニューは、こだわりの茶葉を渋味がでないようにていねいに抽出した紅茶と自家製のケーキやスコーンが中心。オーガニックでからだにやさしい素材をつかった自然派のカフェです。またバリアフリー&禁煙なので、まちのカフェにはふだんなかなか入りづらいというかたにもおすすめです。
むかしながらの町並みと迷路のような路地が独特の趣きをかもしだす神楽坂界隈も、土地勘がないと「迷子」のようにさまよい歩いたあげくヘトヘトに・・・なんてことも珍しくありません。でも、途中「Vale」さんのようなお店で一服することができれば、神楽坂散策もいっそうたのしくなりそうですね。ぼくも近々、「秋の散歩」がてらお邪魔してみようかとおもっています。みなさんもお近くにおいでの折には、ぜひ足をはこんでみてください。
ヨーロッパのデザイン切手の販売をはじめました。
「使えない切手をどうするの?」なんて、ふしぎに思われるひともいるかもしれません。でも、ただ眺めるばかりでなく、封筒の封印としてつかったり、チケットゃお菓子の包装紙、写真などといっしょにコラージュしてちょっとしたパピエコレをつくってみたりと、案外いろいろなたのしみ方があるものです。それになんといっても、その国ならではの風景や動植物があしらわれていたり、その国を代表するアーティストがデザインを手がけることも少なくない「切手」には、旅心をかきたててくれる要素がたくさんあります。
いまmoiであつかっている「切手」では、やはりフィンランドのムーミン切手(200yen)が人気です。フィンランドの郵便局Postiが毎年発行する人気シリーズで、2004年版は表面にフロッキ-加工をほどこし立体的でふわふわした感触をもつたいへん凝ったつくりのもの。ちいさなフレームにおさめれば、気のきいたクリスマスプレゼントにもなりそうです。
ぼくが個人的におススメしたいのはオランダのデザイン切手。色あいやデザインがほのぼのとしていて、かわいいものがたくさんあります。なかでも1995年にディック・ブルーナがデザインしたクリスマス切手(2枚組 500yen)は、ブルーナ・ファンならずとも手元においておきたい一枚です(ちなみに「ミッフィー」は登場しません)。
moiにお越しの折には、ぜひ手にとってごらんになってみてください。
このblogをマメにチェックされているようなフィンランドマニアな方ならきっと、モンティパイソンが歌う「フィンランド」という曲のこともご存じだろう。
この曲の存在を、モンティパイソン・フリークの友人から教えてもらったのはもうずいぶんと昔のこと。ひさびさに思い出したので、さっそく調べてみた。
フィンランド フィンランド
ボクの好きな国フィンランド
ポニーで山歩きをするか、キャンプをするか
あるいは、ひたすらテレビをみてるだけ
フィンランド フィンランド
ボクの好きな国フィンランド
朝メシにする? 晩メシにする?
軽く昼メシにでもしようか?
フィンランド フィンランド
フィンランド それですべて
意訳だが、まあこんな具合にフィンランドという国がいかに退屈か?がとぼけた調子で歌われてゆく。
よく、フィンランド人に「フィンランドっていいよネ」という話をすると、「信じられない?!」という感じで首をヨコに振られることがあるのだけれど、そんな屈折感の背景にはきっとこんな「おちょくり」があったりするのだろう。だから、面とむかって「なにもないのがフィンランドのいいところだね」と言うのはちょっとはばかられる。こちらはいい意味で言ってるつもりでも、相手はきっとそうはとらないだろうな・・・。気をつけよっと。
ネタがないなぁとおもって視線をおとした先に、これがあった。馬木の耳かき。
耳の穴がせまいのか、はたまた曲がりくねっているのか、耳かき選びには苦労してきたクチ(?!)である。どれも同じじゃん?とおもわれるかもしれないが、それはとんだ思い違いだ。おなじ耳かきといえども、サジの幅、大きさ、形状、角度はまさに千差万別。ぼくの場合、ふつうに売っている耳かきだとちょっとした角度の加減で、耳の穴にサジが引っかかって「やべぇ、抜けねぇ」みたいなプチ・パニック状態に陥るのが毎度のことだった。耳かきは、だからいつも戦々恐々とおこなっていたのである。
「馬木の耳かき」と出会ったのは、かれこれ10年ほども前のことだろうか。スス竹をつかったこの耳かきは、一本一本手作りで、しかもこちらのリクエストに応じてサジの角度や幅を微調整してくれる。もちろん値段もそれなりではあるけれど、気持ちいい耳かきタイムのためならばがまんできないほどではない。こうして、サジの幅は細く、角度はできるだけゆるやかにという世界で一本の「マイ耳かき」が完成した。以後、ぼくは毎日この耳かきの世話になっているし、旅先へもかならずもってゆくほどに気に入っている。
ところで、この耳かきをつくった職人の馬木健一氏は2年ほど前にお亡くなりになっている。もはや代わりはない、ほんとうの意味で「幻の逸品」になってしまった。スペアをつくっておかなかったのが悔やまれる。
ちかごろ、くだらない夢をよくみる。くだらない夢をみるのはきまって、ブログのネタに窮しているときである。つまり、ネタがないという強迫観念が自身の深層心理にはたらきかけた結果、「夢」を介してネタをねつ造している、というのがぼくの《仮説》だ。
きょうもまた、あまりにくだらなすぎてゲラゲラ笑いながら夜中に目がさめた。ぼくはどこか異国で、「やくざな仕事」をしていた。リクエストに応じて、適当に「漢字」を書いては小銭を受けとるという、それは相当にしょぼい仕事であった。相手はわからないが、ぼくが夢の中で書いたのはこんな文字だった。
禅寺 北京 赤蛇 黄蛇
訳すと、ゼンジー北京 レッドスネーク イエロースネーク カモ~ン! となる。
くだらない。あまりにくだらないのでそこで目がさめた。そして、じぶんの「深層心理」はこの程度のレベルかとおもったら悲しい気分になった。それはそうと、なにか腑に落ちない気がしていたのだがその理由がようやくわかった。「レッドスネーク、カモ~ン!」といえば「東京コミックショー」だが、「東京コミックショ-」はゼンジー北京ではなくショパン猪狩である。なんという初歩的なミス!はぁ~、すっきりした。
・・・また、カフェとも北欧とも関係ないネタでお茶をにごしてしまった・・・。
孔雀洞雑貨舗(クジャクドウザッカテン)のワスレモノ設置展vol.2「リカキョウシツ ノ ワスレモノ」がはじまりました。
試験管をもちいた「液式万華鏡」、「乾式万華鏡」は、ガラス片が幾何学模様をつくりだすおなじみのものや底部にガラス玉やビー玉をはめこんだものなどさまざまな独創的な「万華鏡」が設置され、コーヒーを飲みながら手にとって楽しむことができます(店内にいる全員が目に「万華鏡」をあてがっている光景には思わず吹き出してしまいましたが・・・)。
ほかにも「標本箱をイメージさせるオブジェ」や「豆本」、ゼリーのような透明でプルプルした「鑞」をつかった「キャンドル」など、人気の消えた理科室のような孔雀洞の静謐な小宇宙が展開されています。
孔雀洞雑貨舗とmoiの化学反応(?)がはたしてどんな空間を生みだすのか、それはぜひご自身の目でお確かめください(12/5まで開催中)。
※画像提供/孔雀洞雑貨舗
ラジオのニュースきいていたら、東京湾に浮かぶ「ごみ埋め立て地」を人工の森として再生させようという東京都の計画について紹介していた。
とてもいい計画だとおもう。ここは、昭和48年から62年にかけて家庭用の一般ゴミなどが運びこまれてできたいわゆる「ごみの島」で、広さはおよそ88ヘクタール。「人工の森」をつくることは自然環境の再生のみならず、ヒートアイランド現象の緩和にもつながるという。東京にはすでに、明治神宮の「代々木の森」という大正時代につくられた「人工の森」の前例があり、今回の計画でもそれを《モデル》にボランティアの都民による植樹などもかんがえられているようだ。
そのニュースによると「森」の整備には30年間が費やされ、中央にはイベントにも利用できる草地の広場ももうけられるという。ぼく個人の意見をいわせてもらえば、イベントにも利用できる草地の広場なんて、いらない。願わくば、そこは「立ち入り禁止」にしてほんとうの「森」として育ててはもらえないものだろうか。
いってみれば、そこは東京湾に浮かぶ《都会のサンクチュアリ》。そしてその手つかずの「都心の秘境」のなかを、森の生態系にくわしい専門家が案内するツアーがあったり、こどものためのサバイバル教室がひらかれたり、そんなふうに活用されたらどんなにかいいだろう。すくなくとも、「都民の日」の安っぽいイベントのための会場になるよりははるかに「都民」にとって有意義だとおもうのだけど・・・。
計画の最終的なまとめは、来年2月にでるらしい。
シネクラブ「キノイグルー」のイベントに、フィンランド映画が登場です!
フィンランドの映画というと、まっさきに思い出すのはやはりアキ&ミカのカウリスマキ兄弟ですが(というか、ほかに知らない!)、今回上映されるのはフィンランドを代表する女性監督ピルヨ・ホンカサロ(Pirjo Honkasalo)の作品『白夜の時を越えて』(1998年 98min.)です。
双子の姉妹ヘレナとイレネ、サーカス小屋を舞台にふたつの魂がつむぎだす、悲痛なほどに清冽なちいさないのちの物語。撮影は、ヘルシンキをはじめフィンランド国内でのオールロケーション。サーカスの団員として各地を巡業するという設定なので、当然、フィンランド好きのかたには見逃せないいろいろなフィンランドの景色がスクリーンに登場するのではないでしょうか。
なお、今回は下北沢のCD SHOP併設のカフェ「mona-records」さんで開催されるクロセユカリ写真展「ぽつり ぽつり」のイベントとして上映されます。したがってこの作品も、クロセさんの透明感あふれる写真をイメージしてセレクトされたものとのことで、当日は写真の展示とともに映画をたのしめるというなかなかにぜいたくな仕掛けとなっています。興味のあるかたは、ぜひ足を運んでみてはいかがでしょう?
日時:12/5[日] 16:00~、19:00~
会場:mona records(モナ・レコード)[下北沢]
定員:各回30名(先着順)
料金:1,800円(嶋崎工房特製お土産つき)+1オーダー
予約:Kino Igluのサイトよりメールにてお申し込みください。
店をしめた後、あるいて10分ほどのところにある「天沼八幡神社」へでかけた。
この日はちょうど「三の酉」、「酉の市」の立つ日である。「酉の市」といったところで、ピンとこないひともいるかもしれない。それは、江戸時代からつづく開運招福・商売繁盛を願うお祭りで、毎年11月の「酉」の日、大鳥(大鷲)神社の境内に縁起物として「福」を「かきこむ」熊手を売る「市」が立つことから「酉の市」とよばれている。関西で親しまれている「えべっさん」とおなじようなものである。
生まれ育った家庭はべつに「商売人」ではなかったが、なぜか物心ついたときから「お酉さま」へはでかけていた。「初詣」は欠かしても「酉の市」は欠かさない、ぼくにとってそれは唯一の「年中行事」なのだ。でかける先はいつも新宿の「花園神社」ときまっていたのだが、「拝むならやっぱり地元の神様でしょ」ということで、去年からご近所の「天沼八幡」へでかけるようになった。
去年の熊手を納めて、一年間の商売繁昌と無病息災を願いあたらしい熊手を買いもとめる。えっ?ご利益?たとえ首の皮(しかも「薄皮」)一枚でも、こうしてなんとか生き延びているのはまさに「ご利益」、ってことで。
なんて書くとちょっとエコなひとっぽいが、実際にはそんなことはなく、どちらかというと疎いほうだったりする。それでも思わずそう書かずにはいられないほどに、店の前を掃除していて目につくのはポイ捨てされたゴミ。
最近では「路上喫煙禁止地域」になっているせいかタバコのすいがらはさほど目につかないが、かわりにひどいのがたべものの包装紙のたぐいである。路上に捨てられた、おにぎりやパン、お菓子などコンビニで買ったとおぼしきたべもののパッケージが、近ごろやたらと目につくのだ。思うに、ゴミをポイ捨てするってちょっと「良心の呵責」をともなう行為ではないだろうか?
とりわけ、こうしたパッケージのたぐいは大きいし素材もビニールやプラスチックだったりするので、捨てるのにもそれなりの抵抗感があって当然だ。それでも捨てることをためらわないひとびと、それは想像力を欠いたひとびとにほかならない。そのゴミの一時間後、一日後、一年後の様子を想像してみてほしい。すくなくともイヤな光景だとは思わないだろうか?
べつに、消えてなくなるゴミだったら捨ててもいいと言っているわけではない。いくらエコじゃないひとだって、せいぜいその程度の感覚は持ち合わせているものなんじゃないだろうか、そう言いたいだけだ。だいたい、そうした行為に対して他人がどういう思いを抱くか、まずそこからして想像できてないわけで、ことはかなりやっかいだ。
ある種の虫や動物は、しばしば「害虫」「害獣」として忌避される。たしかに、まったくもって迷惑千万な存在である。けれども、この自然界でリサイクルできないものを垂れ流しながら生きている生物なんて「人間」をおいてほかにいないのではないだろうか?とすると、地球にとってもっとも迷惑千万な存在とは、ほかならぬぼくら「人間」だということになる。とりわけエコなひとではないぼくだって、そのくらいのことはわかる。
せめてポイ捨てくらいはやめようよ。わたしは想像力を欠いた人間ですと看板をぶらさげながら歩いているような、なにもそんなイタいひとにみずから好き好んでなることもないと思うのだ。
フィンランドで研鑽を積んだピアニストの水月恵美子さんが、ひさしぶりにmoiをたずねてくださいました。
水月さんは桐朋学園大学を卒業、ソリストとして国内で活動の後、フィンランド政府給費留学生としてフィンランドにわたりシベリウス音楽院に入学します。シベリウス音楽院では舘野泉さんに師事し、同校のソリストコースを最優秀の成績で修了した後、サヴォンリンナ音楽祭、オウルンサロ音楽祭などへの出演のほか、2000年には舘野さんとともにCD「タンゴ・デュオ!」を録音するなど内外でご活躍中です。
その水月さんが、おなじくフィンランドで北欧歌曲の研鑽を積んだメゾソプラノ駒ケ嶺ゆかりさんとともにシベリウスの歌曲を全曲演奏するコンサートがひらかれます。水月さんによると、シベリウスは生涯に100曲ほどもの歌曲作品をのこしており、うつくしい曲も少なくないのですが、そのほとんどが「スウェーデン語」ということもあり実際に演奏される機会はきわめて少ないのが現実だそうです。フィンランドの自然や神話を愛したシベリウスの知られざる名曲の数々を、本場フィンランドの空気を知っているおふたりが演奏するこのコンサート、音楽好きはもちろんのこと、フィンランド好きな方にとってもまたとない機会といえるでしょう。
「シベリウス歌曲全曲演奏シリーズ」の第1回にあたる今回は、「気楽にお楽しみいただければ」というおふたりの意向から、コンサートスペースをもつチャイニーズレストランでの「飲茶ランチつきコンサート」というスタイルでひらかれます。ようやく冬らしいお天気になってきた今日このごろ、フィンランドに思いをはせつつシベリウスの音楽に耳をかたむけるなんて、なかなか有意義な日曜日のすごしかただと思いませんか?
◎ シベリウス歌曲全曲演奏シリーズ 第1回
出 演/駒ケ嶺ゆかり(M-S)、水月恵美子(Pf)
曲 目/5つのクリスマスの歌 op.1、7つの歌op.13
日 時/12月5日[日] 13:30~16:15
会 場/華空間(東急東横線 学芸大学下車徒歩10分)
料 金/4,500円(飲茶つき)
ご予約・お問い合わせは会場(「華空間」)までお願い致します。
いつのころからか、「電線に鳥」というモチーフがやたらと目につくようになった。文字どおり電線に鳥がとまっている、ただそれだけのデザイン。べつだん珍しくもないのに思わずみとれてしまうのはどうしてだろう。空を横切る「電線」にちょこんと止まる「鳥」の黒いシルエットは、どこか「音楽」を連想させる。その眺めが五線譜の上の音符を思わせるからだろうか。
画像にうつる3枚のレコード(CD)はそれぞれ時代もジャンルも異なるけれど、「電線に鳥」というスリーブデザインで共通している。それにすこぶる音楽的という意味でも。
電線にとまる4羽の鳥を、4人のアルト・サックス奏者にみたてているのはフィル・ウッズ、サヒブ・シハブら4人のプレイヤーによる競演盤『Four Altos』。
イタリアのピアニスト、エンリコ・ピエラヌンツィ率いるスペース・ジャズ・トリオの『メレディーズ』は、よくよくみれば写真。幾何学的なレイアウトがうつくしい。
ワールドワイドに活躍するエレクトロニカのアーティスト高木正勝の『ジャーナル・フォー・ピープル』には、凝視しているうちにぜんぜんちがうものにみえてくる不思議な力のようなものを感じる。
電線で小休止する小鳥たち同様、ぼくらが目にしているこの世界もまた瞬時にして飛び立ってしまう、安定をしらない一瞬の眺めにすぎないのかもしれない。
そういえば、去年のちょうどいまごろ吉祥寺のギャラリーfeveでみたひらいみもさんの作品にも、「電線に鳥」のモチーフがたくさん登場していたっけ・・・。「電線に鳥」のこと、こんどみもさんにも訊ねてみようかな。
音楽レーベルMOTEL BLEUを主宰する佐久間サンが、moiにひさびさの登場。いま業界で「ブレイク寸前」と囁かれる要注目バンド「モダーン今夜」の12/8発売の2ndアルバム『青空とマント』をこっそり聴かせてもらっちゃいました。そこで、「早耳」なアナタのためにさっそくご紹介!
ひとことで言って、勢いあります。飛行機が離陸する瞬間の、あの気分、あの高揚感、です。サンバやカリプソ、ジャズ、歌謡曲(?)などさまざまな要素が混在する独特のスタイルもさることながら、なんといってもホーンセクションやヴァイオリンまでふくむ総勢11名(!)というビッグバンドがはなつキップのいいサウンドが魅力的。ほとんどの曲の作詞作曲をこなす永山マキさんのボーカルも、歌うことのよろこびにあふれてます。そして最高の美点はといえば、とにかくポップなところ。理屈ぬきで楽しめる音楽って、やっぱりいいじゃないですか?なんかご近所の人気者って感じで、「若いコからお母さんまで、ファン層広いですよ」という佐久間サンの言葉にも納得です。
ちなみに、このアルバムに収録のナンバー「あのフレーズ」は、ことしのUNITED ARROWSのクリスマスキャンペーンCMソングとして現在J-WAVEでオンエア中とのことなので、すでに耳にされた方もいらっしゃるかもしれませんね。
来年にむけてちょっとガス欠気味というアナタは、ドリンク剤より「モダーン今夜」のCDを聴いていますぐ元気を取り戻しましょー!