2月某日、ロベール・ドアノーの写真展を観るため、虎ノ門ヒルズへ。 ギャラリーがあるのは建物の3階、セレクトショップのたち並ぶフロア。前を通り過ぎるたび、みないち様に黒い服を着た男性スタッフから会釈されます。ああ、なんとまた場ちがいなところへきてしまったと、いたたまれない気持ちに、笑 ──

おもえば、Moiやフィンランドにかかわり始めたときもおなじでした。はたして自分がここにいてよいのだろうか。そう感じていたのはフィンランドが好きであるという前提がなかったからなのかもしれません。
そのかわりにMoiがフィンランドへのいりぐちとして、フィンランドに興味をもちはじめたばかりのひと、フィンランドについてまったく知らないというひと、どんなひとにとっても開かれた存在でありますようにというおもいをもちつづけてきました。
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身近なフィンランド好きといえば、やはりユカさん。どこかでユカさんのことを書かないととおもっていましたが、すこし時間がかかってしまいました。
ユカさんは、これまでのレポートを読んでくださったことがある方にはご存知な通り、2021年4月から2023年3月までの3年間、毎週日曜朝8時におとどけしていた clubhouse「フィンランドをもっと好きになる」の配信にモデレーターとして参加してくれました(初回から約1年8ヶ月)。レポートを読みかえしてみると、フィンランドのことをほとんど知らず、たどたどしい自分の話にいつも「うんうん」とあいづちを打ってくれるユカさんがいたことに気づきます。
おどろくのは、ユカさんとさいしょに会ったのが clubhouse をはじめてから7ヶ月後だったということ。パンデミックがおさまるころには、いろいろなイベントや展示でも出会う機会がふえていきました。 ユカさんとさいごに会ったのは、ヘルヤ・リウッコ=スンドストロム追悼展の会場。そこで「またこんど、たき火しましょうね」と約束していました。
いまユカさんをおもいだすとき脳裏に浮かぶのは、なにかを好きであることの尊さです。なにかを好きになることは、だれにもことわる必要はありません。
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そこで、自分の好きなものってなんだろう? 自分の好きなフィンランドってどこにあるのだろう? ことしはちょっとペースをおとして、自分の足元をみつめてみようとおもうようになりました。そんなとき、みほこさんから一枚のポストカードがとどきました。

朝靄? それともトナカイたちの体温や息でけぶっているのでしょうか? 放牧されたトナカイたちをとらえた幻想的な写真でした。みほこさんがこの写真を撮影した門脇久芳さん(オーロラ写真の先駆者とのこと)と出会ったのは、25年前だといいます。先日公開されたアンドフィーカのYouTubeでもフィンランドとの出会いを語られていましたが、フィンランドのどんなところを好きになっていったのか、いつかみほこさんにもお聞きしてみたいです。
▶︎ アンドフィーカ「カフェトーク 北欧対談66|上山美保子さん(翻訳家)」
このトナカイの写真で思い出したのは、フィンランドを意識するまえからサーミの人々について興味を持っていたこと。フィンランドだけでなくノルウェー、スウェーデン、ロシアとまたがるサーミの文化をもっと知ることができたらいいなとおもいます。知りたいとおもうことは、好きのいりぐちであるにちがいありません。

また昨年の文学フリマで、みほこさんからおすすめされて読んだ(レポート#163 参照)ノルウェーのヨン・フォッセ(とハン・ガン)脚本による舞台『誰かひとり/回復する人間』を観ました。
男・母・父という三人の登場人物がそれぞれふたりいて、男は男、母は母、父は父、とおのおの本人(ドッペルゲンガー?)としか会話できないという、現実か妄想か、小説で描くとしたら確実に混乱してしまいそうな設定です。『朝と夕』(や、そのあと読んだ『だれか、来る』、『三部作』)におけるヨン・フォッセの文章の特異さは、止めることのできない時間の流れに放り込まれるような、戯曲作家ならではのものなのかもしれないと気づきました。
その流れで日比谷図書文化館で開催されていた「ヨン・フォッセを読む ノルウェー・北欧を読む」という展示へ。そこには、みほこさんの翻訳された『フィンランド 虚像の森』や『アイノとアルヴァ アアルト書簡集』など、フィンランド関連の書籍もいろいろと並んでいました。
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そしてもうひとつ。ひょんなことからムーミンコミックス全巻がそろいました。ムーミンのキャラクターとしての魅力はラルスの貢献が大きいはずといったところを、これからゆっくりたしかめたいとおもっています。

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さらに近況としては、年明けに突然マフラーを編んでみようとおもいたちました。編み物についてはこれまでにも、フィンランドセンター編み物クラブ、フィンランドのおばあちゃんたちの編むニット製品 Myssyfarmi、ヘヴィメタル・ニッティング、ヘラルボニーの展示など、いろいろとご紹介してきました。遠巻きに見ていただけの自分が編み棒を手にとるとはおもってもみませんでした。
オモテ、オモテ、ウラ、ウラと唱えながら編むものの、邪念が入るとすぐに見失います。行きつ戻りつをなんども繰り返しながら(はじめは戻ることさえできなかった)、毎日すこしずつ。完成間近で編み方をまちがえていたことに気づき、ぜんぶほどいて編み直し。2ヶ月かかってようやく完成しました。
無心になって編んでいるうち、フィンランドや北欧でニットがさかんな理由がわかるような気がしてきました。長い夜にひとり黙々と編みつづけるひとたちの姿が目に浮かんできました。またひとつフィンランドに近づいたようにおもいます。体験してみないとわからないことが、まだまだたくさんあります。

いろいろとたいへんな状況にあって、こころを痛めている方もたくさんいらっしゃるとおもいます。情報におぼれてしまわないように、すこしその場所から離れてみることもたいせつかもしれません。好きなことは自分自身のなかにしかありません。どうぞ好きなことがみつかりますように、また好きなことをたのしめますように。‥‥‥ そう、またこんど、たき火しましょうね。
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── フロアを一周して、ようやくギャラリーをみつけました。ドアノーの写真を前にすると、まわりのあるものすべてが消えていきます。ここがどこなのかも関係ありません。そこにあるのは自分の知らない、いつかのパリの日常。目新しさとはちがう、過去のあたらしさといえばいいでしょうか。そのものがなくなっても、そのひとがいなくなっても、時間をこえて残るもの。自分の好きなものはきっと、そうしたものなのかもしれません。
text + photo : harada
♩My Favourite Things – Blossom Dearie


