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あけましておめでとうございます
2019.1.2|facebook

あけましておめでとうございます。

テレビが故障していて「紅白」も「ジルべスターコンサート」のカウントダウンも観られず、仕方なくYouTubeで2018年を振り返りつつ「ひとり紅白歌合戦」などしてエモくなっているうち気がついたら2019年に突入していました。激動の一年がスタート。

ふだんはあまりテレビが観られないことの不便さなど感じはしないのですが、ずっと家にこもってネットをぼんやり眺めたり読書していたりすると本当に、まったくお正月感ゼロで、やはりこれは外に出て浮かれた人びとの姿でも見ないことにはと、夕方になってから近所のカフェなど行ってきました。

元日のカフェは、福袋をいくつも提げたりこれからどこかへ繰り出そうとしているような忙しそうな人たちと、ぼくのように、正月だからといってとりたててこれといってすることがないヒマ人とに客が完全に二分されていて、FBユーザーとTwitterユーザーのちがいみたいな、それはそれでなかなか味わい深いものがありましたね。

そして夜は、Amazonのプライムビデオで映画『はじまりのうた』を鑑賞。ジョン・カーニー監督の作品は『ONCEダブリンの街角で』『シング・ストリート』ともに大好きですが、これも期待を裏切らないすばらしい音楽映画でした。このあいだのラジオ番組での菊地成孔のMC然り、音楽に救われた経験をもつひとのつくるものは無条件で好きだし、また信頼できるな、という感想。

特にこの映画の中で印象に残ったのは、主人公のシンガーソングライター(キーラ・ナイトレイ)と落ち目の音楽プロデューサー(マーク・ラファロ)が、夜のマンハッタンを散歩するシーン。

プレイリストを他人に見られるのはじぶんの心情を吐露するようで恥ずかしいものだが、それをあえて見せ合おうと2分岐アダプターにつないだイヤホンでそれぞれのプレイリストに収められた音楽を流しながら夜の街を散歩するのだ。好きな曲をさらけだすことで音楽がふたりのこころを結び、たしかな絆が生まれてゆくその様子が、マンハッタンの夜景と溶け合いまったく夢のようにうつくしい。

いままで、映画に登場する「散歩」シーンでもっとも好きだったのは、『マンハッタン』でウッディ・アレンとダイアン・キートンがセントラルパークで夕立にあうシーンだったのですが、この『はじまりのうた』の散歩シーンはそれをあるいは超えたかもしれません。そして、どちらも舞台がニューヨークであることにいま気づいた。

そのほかにも、ニール・サイモンの戯曲を映画化した『裸足で散歩』もマンハッタンが舞台だったり、敬愛する植草甚一もニューヨークを散歩するコラムをたくさん残していたりと、ニューヨークはぼくのような「散歩フリーク」にとってはいつか行かねばならない聖地かもしれません。

美術館初め
2019.1.3|facebook

えっと、きのうはなにをしたんだっけかな? おそるべし休みボケ。

そうだ、あわてて雑煮を呑み込んでから竹橋へ行ったのでした。ここ数年、ぼくの「美術館初め」は東京国立近代美術館ということに決まっているのです。古今東西の所蔵品のなかから、新年に合わせて選ばれたかなりのボリュームの作品の数々が、なんと正月2日にかぎって無料で観ることができるのです。タダ! タダですよ、奥さん! オタク用語で言うところの「無銭」ですよ! しかもたいがい空いている。人ごみニガテ人間にとって、これほどありがたいことはない。軽くサーッと飛ばしつつ、好きな絵だけじっくり立ち止まって観るスタイル。

さらに言うと、2階でやっている小企画がまたあなどれない。軽めではあるけれど、それでいてなかなか尖った内容で楽しみなのです。

ことしは、テレビの旅番組の主題歌から着想を得たという企画『遠くへ行きたい』。空色のかわいらしいリーフレットの説明書きによれば、「ここでは、今いる場所から遠く離れたところへの憧れや、どこか非日常的な空間をさまよう姿などを現した作品を集めました」とのこと。じっさい、三岸好太郎や福沢一郎から難波田史男、荒川修作まで幅広い作品が並んでいますが、単体で観るとなんだかつかみどころのない抽象的な現代絵画も、こうやってひとつの大きなテーマの中で観ると案外おもしろく発見があったりするのですよね。苦いピーマンも、なかにひき肉を詰めて衣をつけて揚げてしまえば美味しく食べられる、そいう話です。ん? ちがうか。

その後、買い物のため日本橋、銀座とデパートを巡ったのですが、ふだんはけっして近寄ることのない初売りの百貨店、端的に述べて「地獄絵図」でした。そんな「地獄絵図」を前に、美術館の余韻はほとんど一瞬にしてみごと消えましたね。もう、完全にまわる順番をまちがえました。

さらに実家から初詣に行き、いとこたちと会うため親戚の家へ。それにしても、いつもぼんやり頭を悩ますのは、お賽銭の相場っていくらなんだろう?ということ。まあ、気持ちだからいくらでもよいのだろうけれど、やはりここはひとつ、まあ、年に一度のことだしちょっとガンバっているぞという印象を神サマにもあたえたいじゃないですか。とか言いつつ、結局いつも百円なのですよね。二百円とか三百円とかバラバラ投じるのもなんかちょっとちがう気もするし、となると次は五百円なのだろうけれど、百円から五百円への「壁」はなかなか高い。スイスのアイガー北壁並みに険しい。なので、いつも百円なのですね。ことしも百円。

晩ごはんはいとこのうちでご馳走になり、いとこのダンナ(アメリカ人)の家族が暮らすフロリダの写真など見せてもらったりしつつ正月2日目ものんびり過ごしました。

ちなみにこの日の歩数14,199歩、移動距離9キロ、上がった階数24階だそうです。あれ、全然のんびりしてないな。

ウサギにな〜れ
2019.1.4|facebook

日頃ほとんど休日に出歩くということがないせいか、この休暇中ちょこちょこ出歩いていただけですっかり〝人酔い〟みたいな状態になっています。どこもあまりに人だらけなので、心の中で「みんなウサギにな〜れ」と呪文を唱えながら歩いてました。まあ、なったらなったで「ピョンピョンうるせーよ」という気分になるのでしょうが。

そして昨日は、ちょっと手に入れたい実用書があったもので書店をいくつか回ってきました。池袋や新宿は避けて神保町まで出てみたのですが、神保町界隈はまだ三省堂くらいしか営業しておらず、しかもあたりをつけていた本がその三省堂になかったので結果的に無駄足になってしまったのでした。本屋さんは好きだし、その必要性も理解しているつもりではあるけれど、こういうことが続くとどうしてもアマゾンと図書館のあわせ技に頼りがちになって、あまり書店は利用しなくなってしまうのですよね。悩ましい問題。

あと、これは毎年お正月のたびに思うことなのだけど、案外本が読めない。集中力にいちじるしく欠けるせいか、家ではあまり長い時間読書できないのです。そういうぼくにとって読書がもっとも捗るのは移動中の車内。なので、山手線に一周1,000円(ドリンクつき)くらいで利用できる「読書専用車両」を連結してもらえないものかと本気でかんがえている。JR東日本さま、いかがでしょう。

けもの
2019.1.8|facebook

あっという間というほどではないにせよ、うっと唸るくらいには早くお正月も過ぎ去り、ふつうに何日か仕事をしたらすっかりもういつものペースに戻ってました。ライ○ップのリバウンドくらい早っ!!

そしてきょうはというと、定休日の店で早くも年末(!)のイベントにかんする打ち合わせに参加してきました。べつに生き急いでいるわけでは全然ないのですけどね。。

それはそうと、最近好んで聴いているのは「けもの」です。菊地成孔がプロデュースした無国籍シティポップ調な2ndもよいけれど、1stからのこういうしっとりしたSSW風の楽曲にも心揺さぶられます。聴いて欲しいだれかに届きますように。

https://youtu.be/OEpAktTuzNs

ポエムの時間
2019.1.10|facebook

いまはもう

こころは静かに澄みわたって

青空のように

かなしい

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#オチはなし

エモい
2019.1.24|facebook

「エモい」という表現の、もっとも的確な説明をたったいま思いついたので、忘れないうちここに書いておきますよ。

ひとは、それなりにちゃんと生きているひとならば、忘れたくても忘れられないことやあきらめようにもあきらめられないことなど誰しも抱え込んで生きているものだと思うのです。そしてたいがいのひとは、そうした忘れたくても忘れられないこと、あきらめようにもあきらめられないことなんかを時間の経過や環境の変化とともに少しずつ忘れたり、またあきらめたりするものだと考えているのですが、でもじつは全然そうじゃないのですよね。

それはただ、心の奥にある「引き出し」にそっとしまいこまれただけで、消えてなくなってしまったわけではないのです。そしてなにかしらのきっかけで、たとえばそれは音楽だったり風景だったり、あるいはもしかしたら匂いだったりするわけですが、不意にその「引き出し」が開かれて中からかつての、忘れられない、あきらめきれない思いが一気に溢れ出し「あの頃」にどうしようもなく引き戻されてしまう。そしてそんなとき、思わずひとはこう口にするのです。エモい。

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