建築家・関本竜太さんのトークイベントを開催します。
関本さんは、建築家のアトリエ勤務を経て2000年よりフィンランドのヘルシンキ工科大学(現「アールト大学」)に留学、帰国後の2002年「リオタデザイン」を設立、現在に至るまで住宅を中心に数々の作品を発表しています。おそらくご存知の方も少なくないと思いますが、「moi」も荻窪(2002年〜2007年)、そして現在の吉祥寺(2007年〜)ともに関本さんに内装デザインをお願いしております。
過去にも何回か関本竜太さんおトークイベントを開催、ご好評を得てきましたが、今回は雑誌『建築知識』の連載をまとめた新著『上質に暮らすおもてなし住宅のつくり方』(エクスナレッジ、2,200円+税)の発刊を記念して、快適な暮らしのため空間の隅々にに配された設計者による細やかな気配り=おもてなしの実例を紹介しつつ、いかにして心地よい空間をプロデュースするか、その極意(?)を惜しげも無く披露していただきます。もちろん、北欧フィンランドでのエピソードや「moi」の話もまじえて素人にもわかりやすく、カジュアルいお話しいただく予定です。
家を建てたいひとはもちろん、改築や部屋の模様替え、北欧のインテリアに関心のある方にとっても聞き応えのある内容になると思いますので、ぜひふるってご参加下さい。
なお、当日は会場にて『上質に暮らす おもてなし住宅のつくり方』の販売を行います。ご希望の方には関本さんにサインもしていただけますので、ぜひお求めいただけますようお願いいたします。
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関本竜太トークイベント「おもてなし住宅のつくり方」
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みなさまのご参加お待ちしております。
なんとなく風邪気味で熱っぽくもあり迷いはしたのだけれど、朝、体温を測ったら35°Cだったので八王子まで行ってきた。はじめての八王子。古くから栄えた土地だけに、街のあちらこちらには商家や近代建築がまだ残っていて東京の真ん中とはひと味ちがう風情がある。
わざわざ八王子まで出向いた理由はというと、八王子の駅から歩いて12、3分の場所にある八王子市夢美術館で開催中の展覧会『昭和の洋画を切り拓いた若き情熱・1930年協會から獨立へ』がどうしても観たかったからである。こういう「地味なことこの上ない」企画は一期一会、観られるときに観ておかないと後々悔しい思いをすることになる。ところで、「八王子市夢美術館」をカタカナに直すと「エイトプリンスドリームミュージアム」となってサンリオっぽくなるね、どうでもいいけど。
展覧会は、わざわざ来た甲斐があったという「地味いい」内容で満足。くわしいことはここでは触れないけれど、「1930年協會」はもともと佐伯祐三、木下孝則、小島善太郎、里見勝蔵、それに前田寛治という五人の若い画家が自分たちの作品の発表の場として1926(大正5)年5月に結成した芸術団体であった。とくに決まった主義主張はなく、ただ1920年代の前半、いわゆる〝狂騒の20年代〟を芸術の都パリで修業したという一点でのみつながっている友愛的なグループだったという。その後、「獨立」へとつながるさまざまなドラマがあるのだが、面倒なので割愛する。ただ、名前に掲げた「1930年」に開催された第5回展をもって活動にピリオドが打たれたのは、偶然とはいえまるではじめから終幕を知っていたかのようなふしぎな気分を催させる。
さて、チラシを手にとってみる。メインビジュアルに採用された作品はというと、佐伯祐三「リュクサンブール公園」1927(昭和2)年。たしかに「地味いい」企画にはまさに似つかわしいとはいえ、アイキャッチ的な華やかさという点ではどうにもたよりない作品である。ところが、さすがというか、実物をこの目でみるとやはりとてもすばらしくいい絵なのだった。
まずひとつは、画面の構成がきっぱり無駄がなく気持ちのいいところ。絵の勉強をしたわけではないのでよくわからないが、要はこういうことなのではないか。白線で強調したように、画面下に三角形があり、その頂点からタテに伸びてた線が画面を中央で左右に2分割している。舗道を散策する人びともまた、道の真ん中ではなく三角形のそれぞれの辺の上に置かれているため、こちらの目線は自然とそれぞれの線が交わる一点に収斂する。ただの風景画のようでいて、整然として理知的な印象をあたえるのはまったくこの周到な画面構成あってこそだろう。パリの公園に、まるで神社の参道のような静かで清らかな空気が漂う。
そしてもうひとつ。佐伯祐三のパリといえば、ぼくの印象はとにかく「どんより曇った空」であった。そして、そのためいつもどこか暗く冷たい感じがある。ちなみに、ぼくはほぼ毎日夢を見るのだけれど、どういうわけか夢に登場する世界はいつもきまって佐伯の描くパリのように曇っている。我ながら、病んでいるなァ。
ところが、である。この「リュクサンブール公園」のパリはめずらしく青空が顔をのぞかせているのである。全体の印象はいつもの「佐伯風」なので、「わぁ、青空だァ」と驚いてしまった。とはいえ、そこは佐伯のこと全開の青空というわけにはいかない。それは、薄曇りの隙間に透けてみえる青空であり、さらにご丁寧にも黒々とした梢の切れ間に恥ずかしげに顔をのぞかせた青空である。ふだんあまり気持ちをおもてに出さないひとが、なにかの拍子にふともらした微笑みのようで、ぼくはきょうこの一枚の絵を観れたことでなんだかとてもうれしくなってしまったのだった。
帰り道、駅の近くになつかしいたたずまいのパン屋をみつけた。純喫茶もいいが、こういうレトロなパン屋を街の片隅にみつけるとついうれしくなって入ってしまう。「布屋パン店」というその店は、なんと大正11(1922)年ごろの創業だという。それはまさに、佐伯祐三ら1930年協會の面々がパリの空の下、若い情熱をカンバスにぶつけていたころである。そんな偶然もまたうれしく、バターとジャムを塗ったフカフカで素朴なコッペパンをおみやげに買う。