流行りに飛びつかない、「変えない」のではなく「変わった」と(お客様に)気づかせないように変えることをもってよしとする……
東京を代表する洋菓子舗「ウエスト」の「ウエストらしさ」をめぐる論考は、また、はからずも「東京らしさ」をめぐる論考にもなっている。その意味で、この本が関西の出版社から登場したということも興味深い。
現社長を中心に、職人やウエイトレスら「ウエスト」を支える人びとの言葉には仕事への愛着がうかがえるが、どこかおっとりとしていて変にこけおどしなところがないのがいい。よくあるカリスマ社長が伝授する成功の秘訣といった趣きは皆無。アクの強さや個性より、社是である「真摯」という言葉を羅針盤にして帆船「ウエスト」号は今日も鷹揚に航海をつづけるのである。
さほどマジックに関心があるわけではないため、たびたび書店で目にしながらも触手ののびなかった一冊。ところがふとしたきっかけで手にし読み始めたところ、思いのほか〝愉しい〟一冊であった。
とある地方都市の、アマチュアマジシャンの同好会「マジキクラブ」。その晴れ舞台ともいえる発表会でのドタバタ騒ぎを描いた第一部。そして、殺人事件の発生。メンバーそれぞれの紹介にもなっている。
第二部は、メンバーのひとりである学究肌の鹿川が11のトリックを小説形式で描いた私家版『11枚のとらんぷ』がまるのまま収められている。主人公はそれぞれメンバーが実名で登場する上、後の謎解きに役立つ伏線が多数ちりばめられている。
ジャックタチの映画を彷彿とさせる、世界中の奇術師や愛好家たちが一堂に会する一大イベント「世界国際奇術家会議」の乱痴気騒ぎの中、ちいさな事実の積み重ねが犯人の姿をあぶりだしてくる第三部。そして、思いがけないシナリオの存在。自身、奇術愛好家として知られ玄人はだしの腕前をもつマジシャンでもあったという著者だけに、この章は愉悦にひたりつつ書いたであることが読者にも伝わってくる。だからこそ、読んでいて楽しい。日本の奇術史の紹介や明治時代にヨーロッパに渡った日本人奇術師の横顔なんてとても勉強になる。
作中、フランス人マジシャンが口にする「私は現象のごたごたした奇術は好みません。その代わり一つの奇術の中にある不思議さを、私は大切にいたします。一人息子のようにね」というセリフは、奇術愛好家である著者の美意識の表明であるとともに、事件の謎を解くひとつのきっかけにもなっている。
FBページ、もてあましてます。当初ブログがわりに使おうかと考えていたのですが、長文には適さないしカテゴリー分けとか検索もできないのであまり役には立ちませんね。それでもなにか書くたび反応をいただけるのはありがたいものです。というわけで、ときどき思いついたら北欧ネタでもポツポツとUPしてゆくつもり。
────
エスプラナーディ公園から、通りをはさんで向こうがわに建つビルディングを撮った。1999年の4月、はじめてフィンランドを訪れたときのことである。
なんの変哲もない重厚なビルだが、この建物の上階にはアルヴァー・アールトが内装デザインを手がけたことで知られる高級レストラン「サヴォイ」が入っている。波のような優美な曲線をもつあの有名な花瓶が「サヴォイ・ベース」と呼ばれるのは、それが元々このレストランのためにつくられたものだからである。池袋にあったセゾン美術館でひらかれた「アールト回顧展」の会場で、ちょうどそうした家具や調度品の数々をため息まじりに見た直後だったこともあって「おおお!」と思いながらシャッターを切ったのがなつかしい。とはいえ、アールトが関わったのはレストランの内装だけでべつに建物の設計を手がけたわけでもないので、気づけば手元には一枚の「どうということもない建物」の写真が残った。
写真を撮ったときには気づかなかったが、あらためて見ると手前に写った公園のベンチの曲線がなかなかに美しい。当時ビルの1階には「マリメッコ」の路面店が入っていたが、いまはたぶん「フィンレイソン」になっているはずだ。
昭和9(1934)年の大晦日、三流新聞の記者である古市加十は、ひょんなことから銀座のはずれのバーで安南国の「王様」と引き合わされる。
そのまま「王様」の妾宅へ連れてゆかれた古市は、偶然にもそこで愛人の殺害現場を目撃、さらに「王様」は謎の失踪をとげる。これはたんなる偶然なのか、それともなにかしらの罠なのか。古市はこの「特ダネ」で一発あてようとみずから事件の渦中へと身を投じる一方、その冷徹さから恐れられる警視庁の真名古刑事もまた、そこにとてつもない陰謀の匂いを嗅ぎ取り独自に捜査を開始するのだった。
政治的な思惑や安南におけるボーキサイトの利権をめぐる争い、裏切りや騙し合い、組織の腐敗など、まさに闇鍋のように混沌としたこの時代の空気に充満した傑作探偵小説であると同時に、モダン都市東京を描いた貴重なポートレイトでもある。
物語は、大晦日の宵の口にはじまり年が明けた2日未明に大団円を迎えるまでの1日半ほどの出来事を描いている。初出は雑誌「新青年」昭和12(1937)年10月号から翌13(1938)年10月号まで連載された。ざっくり言うと、一日の出来事を一年間で書くという趣向だったわけである。そのため、あらためて続けて読むとやや冗長だったりご都合主義的に感じ取られる箇所もないではないが、そのあたりの事情を汲めば気になるほどでもない。
じつは、終盤までこれは本邦初(?)の警察小説なのではないか、と興奮しながら読んだ。上層部の権力闘争や組織の腐敗と戦いながら、懐に「辞表」をしのばせつつ真実を突き止めようと孤軍奮闘する刑事の姿は、この小説のもうひとつの読みどころでもある。ところがどうしたわけか、最終章ではいきなり義理人情的な決着がなされてしまう。
「定本久生十蘭全集1」(国書刊行会)に付された解題で、江口雄輔氏は次のようなエピソードを紹介している。「軽井沢の山荘でシャンパンや生卵を摂りながら、『魔都』の最終回を口述筆記させられた、という土岐雄三の証言もある」。もしそうだとすると、この最終章での決着への違和感はやはり執筆当時の「趣向」から生まれたものといえるかもしれないが、震災から10年あまりを経て完全に復興をとげた帝都東京の近代的な「顔」とは裏腹に、いまだ精神的には前近代を引きずっていた30年代の東京の、まさに「時代の気分」といったものが臆せず表出されているようでむしろ興味深くもあるのだ。
フィンランドより一時帰国中のえつろさんから頂いたのは、ヘルシンキにあるMaja Coffe Roasteryの豆。じつはこのお店、えつろさんのinstagramなどを通して以前からちょっと気になっていたのである。
頂いたのは、ケニアAA Kirinyaga Kii農園。Kalitaのウェーブを使い、あまり時間をかけすぎないよう用心しながら淹れてみた。酸味が印象的。搾りたての果汁のよう。さらっと淹れたつもりでもボディーはしっかり。重くはないけれど味は濃い。とにかく印象的。
ちなみに、Maja Coffee RoasteryのあるLehtisaariの近くには、ぼくの大好きな美術館「Didrichsen」もある。聞くところでは、ここ最近ヘルシンキにもサードウェーブ系のロースターがずいぶんと増えている様子。Maja Coffee Roasteryも、中心部からはちょっと離れるがヘルシンキに行く機会があったらぜひ目指してみたいお店だ。
オープンしてこの夏で13年、吉祥寺に移転して8年となりますが、このたび大々的なリニューアルをすることとなりました。店内の改装等は特に行いませんが、メニューの見直し、営業時間変更、スタッフの入れ替え等、あらためてゼロから考え直すことにしました。
といっても、これはかなり大変なことです。あらためてお店を立ち上げるようなものなので、どうしてもそれなりの時間を要します。そのため、メニューの縮小、営業時間の変更、臨時休業などによりしばらくの間お客様にはご不便をお掛けすることが多くなりそうです。いつも楽しみにご来店くださっている皆様には大変申し訳なく思いますが、今後よりよい時間を過ごしていただくために必要な時間としてご理解いただければ幸いです。できれば1ヶ月ほどで完了できればと考えていますが、段階的にならざるをえないかもしれません。適宜ご案内はさせていただくつもりです。
────
とりあえず4月は下記のような営業となります
◎定休日 毎週火曜日・水曜日
◎営業時間 木、金、月 午前11時30分ー午後7時(午後6時30分L.O.)
※土日祝につきましては、当店のSNS(Twitter、FBページ、当ブログ)にて随時ご案内させていただきます。「食べログ」、紙媒体等の情報ではなく、お手数ですが当店の公式サイトにてご確認ください。
◎シナモンロールのテイクアウトはしばらくお休みさせていただきます。再開次第あらためてお知らせ致します。
◎メニュー 下記のとおり、フードメニューに変更が生じます
・スカンジナヴィアンホットドッグ
・チーズスコーン
※サーモンの北欧風タルタルサンドは、当面「木曜日のみ」のご提供となります。それ以外は、原則上記2種のみとさせて頂きます。
営業時間、メニューは限られてしまいますが、そのぶんゆったりお過ごしいただけるかと思います。店主と無駄話でもしにお立ち寄りいただければ嬉しいです。リニューアルによって、よりみなさまにとって魅力のあるカフェになるよう今後も努力を重ねてゆくつもりです。何卒よろしくお願い致します。
2015年4月1日 moi店主