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2014.9

korvapuustipäivä
2014.10.2|facebook

10月4日(土)はシナモンロール祭り!!

フィンランドでは毎年10月4日は「korvapuustipäivä」、つまり「シナモンロールの日」とされています。

元々は1999年にスウェーデンで制定されたものですが、その後スウェーデン系フィンランド人たちの間で広まり、2006年にはフィンランドでも「シナモンロールの日」が正式に制定されました。ちゃんとした国の行事です。すごいですよね。

というわけで、moiでも10月4日(土)は「シナモンロールの日」を祝してイートイン、テイクアウトとも、自家製フィンランド風シナモンロール 10%OFF にてご提供させていただきます。

テイクアウト 292円(税込み)
イートイン  351円(税込み)

となります。4日(土)限り、売り切れ次第終了とさせていただきます。テイクアウト分のお取り置きも可能です。

シナモンロールの日を、北欧の人たちと一緒に祝っちゃいましょう♪

2014年10月7日 池袋演芸場
2014.10.10|facebook

休日。台風一過の秋晴れ。なんとなく家にいるのももったいない気がして、思い立って池袋演芸場へと出かけた。家に引きこもって過ごすのも雑居ビルの地下にある寄席にこもるのも、よくよく考えてみればどちらも大差ない気がするけれど……。

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池袋演芸場 10月上席 夜の部
開口一番 小かじ「二人旅」
◎柳亭市弥「黄金の大黒」
◎柳家三三「町内の若い衆」
◎大瀬うたじ 漫談
◎橘家蔵之助「ぜんざい公社」
◎柳家小のぶ「権助魚」
◎すず風にゃん子・金魚 漫才
◎林家彦いち「長島の満月」
〜仲入り〜
◎春風亭百栄「露出さん(*代演)
◎五街道雲助「代書屋」
◎アサダ2世 奇術
◎柳亭市馬「付き馬」
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お金がないにもかかわらず吉原で遊んじゃった。そんな危なっかしい客が、昔はちょくちょくいたらしい。そんなときは、客の家まで店の従業員である「若いモン」が一緒に付いていって代金を徴収してくるという仕組みがあったらしい。それを「付き馬」といった。のどかな時代である。

「付き馬」という噺は、お金のない男が盛大に吉原で遊んだ挙句、舌先三寸、若いモンをだまくらかして逃走するというストーリー。なにも悪いコトをしていないひとを騙すお話なので、思わず「あっぱれ」と感心してしまうくらい「調子よく」いかないと、なんだか後味が悪くなってしまう。決定版は、やはりなんといっても志ん朝師匠。軽さと図太さと、天性の詐欺師といった風情である。いっぽう、市馬師の「男」もなかなかたいしたもの。朴訥として、いかにも懐具合だってよさそうだ。なんといっても、あの笑顔である。騙されるよなぁ。上機嫌で浅草じゅう若いモンを連れ回したあげく、最高の笑顔でもって「さぁ、(電車に)乗ろう!」。たまらなく可笑しい。

蔵之助師は「ぜんざい公社」。まさか、落語協会の寄席で「遭遇」するとは。もはや「専売公社」も「電電公社」も遠い過去だが、はたして「ぜんざい公社」は民営化されないのだろうか?! 

彦いち師の「長島の満月」は、郷里の「島」を舞台にした「わたくし落語」。

「幻の噺家」柳家小のぶ師のネタは「権助魚」。めったに寄席には登場しないことから、ひと呼んで「幻の噺家」。でも、ここ最近は頻繁に寄席に登場しているのでだいぶレア度はdown? それでも、彦いち師や市馬師がうれしそうにマクラで話題にしていたくらいだから、やはりまだまだ「幻」なのだろう。無駄のない、筋肉質な噺の運び。そして「間」が絶妙。魚屋を相手に「しゃあぁああ」と権助が驚きの声をあげるたび、客席の笑いの渦もどんどん大きく広がってゆくのだった。

2014年10月7日 於池袋演芸場

2014年10月14日 日暮里サニーホール
2014.10.16|facebook

人生の大半を東京で過ごしながら、荒川区に降り立ったのはこれが2度目かもしれない。東京で生まれ育ったひとはたいがいそうだと思うのだが、じっさいの(都内での)生活圏はみな案外狭かったりする。ぼくの場合もそうで、落語を聴くようになるまでは都内の東側はなじみのない土地ばかりであった。この日、わざわざ荒川区の日暮里までやってきたのも、もちろん落語を聴くためである。なんだか、見るもの聞くものすべてが新鮮だ(笑)。だいたい、駅ナカで「羽二重団子」が買えるなんて素敵じゃないか! 「本日中です」と念を押されながらも、どうにも我慢しきれず買ってしまう。まっすぐ帰っても、家に着くのは22時半だというのに……。

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雷門小助六・三笑亭夢吉 リレー落語会〜悶絶編
開口一番 雷門音助「八問答」
◎三笑亭夢吉「将棋の殿様」
◎雷門小助六「宿屋の仇討ち」
仲入り
◎雷門小助六〜三笑亭夢吉「茶の湯」(リレー形式での口演)
◎寄席踊り〜奴さん/姐さん/かっぽれ
雷門小助六&雷門音助 三笑亭夢吉(笛)
2014年10月14日 於日暮里サニーホール4Fコンサートサロン
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公式発表はまだのようだが、どうやら夢吉さんは来春の真打昇進が決定した模様。ファンにとっては、むしろ「ようやく」といったところだろうか。逸材。「将棋の殿様」は、甘やかされて育った世間知らずの殿様(どこぞの国の「将軍様」のよう)が何も言えない家来相手にむちゃくちゃな将棋をさして困らせる噺。見かねた「ご意見番」が登場、殿様をとっちめるのだが、夢吉さん演じる「ご意見番」がまた強面かつスパルタで…… ヘビに睨まれたカエルのような殿様の怯えかたが尋常でない。すごく可笑しい。小助六師匠の「宿屋の仇討ち」、お調子者の江戸っ子3人連れのひとりが「与太郎」というのは初めて聴く演出。ボケ&ツッコミ+道化という型で、これはこれでアリかもしれない。

仲入り後は、ひとつの噺を夢吉&小助六のふたりによるリレー形式で聞かせようという、ちょっと変わった趣向。なにを演るのかと思いきや、なんと「茶の湯」。なるほど、落語会のサブタイトルが「悶絶編」となっているのはそういう理由(ワケ)か。前半、密室で繰り広げられるご隠居と定吉のあやしげな「茶会」のくだりを小助六師匠が担当、店子連中を巻き込んで炎上する後半を夢吉さんが熱演。前半でご隠居以上に「お茶」にノリ気な定吉が、後半ではより邪悪なキャラクターに変貌しており、このあたり「リレー」ならではの面白さ。サゲで登場するお百姓は、長閑というよりいい加減腹を立てている様子。丹精込めて耕した畑にしょっちゅう「利休まんじゅうテロ」を仕掛けられたら、そりゃあ腹も立てるよね。

開口一番の音助さんは、「八っつぁん」と「先生」が繰り広げる数字の「8」に因んだ他愛のない言葉あそびが愉しい「八問答」。あまり聴かない噺だが、ちょっとググってみたところどうやらこの一門の十八番(オハコ)らしい。最後は、全員で三本締めで御開き。寄席ともホール落語ともちがう、のんびりなごやかな会でした。

バードコール
2014.10.17|facebook

H田さんお手製の「バードコール」。ニョロニョロ型。ちなみに「目玉」はぼくがつけました。

H田さんいわく、これさえあればたちまち小鳥さんのお友だちができるとのこと。嬉しい。できれば、人間のお友だちができるヤツも作ってはもらえないだろうか、H田さん。

HARIBO社のサルミアッキ
2014.10.22|facebook

遅ればせながら…… 今年の初め、こんな「事件」が起こっていたようです。

ドイツの菓子ブランドHARIBO社のサルミアッキ「Skipper Mix」が人種差別にあたるのではないかとの声がスウェーデンの消費者から寄せられ、それを受けて同社が該当商品を市場から撤去したとのこと。日本でも『ちびくろサンボ』問題などありましたが、レイシズムに対する欧米の反応は想像以上に徹底しているように感じられます。

ただし…… 見出しで強調されている「Blackface」については、あくまでもサルミアッキの属性であってそこに恣意性は感じられないような気もしますが(写真を見ると「魚」や「家」も混じってますしね)。

浅草
2014.10.28|facebook

薄っすらノドが痛い気もするが、ここ最近のモヤモヤした気分をなんとか晴らしたい気もあって、浅草〜田原町界隈を駆け足で散歩してきた。

お昼は観音裏、浅草見番の向かいにある「弁天」で蛤の出汁がきいた「はまぐりせいろう」を。なんというか、日本人のDNAにぐらぐら揺さぶりをかけてくるような奥行きのある旨さ。丼ものを含め、お品書きにのっているメニューをすべて制覇したい!! その他、「ルスルス」や洋菓子「レモンパイ」へも寄り道。「亀十」は、相変わらずの行列につき断念。無念…… 夢に出るかも。

ところで、浅草の街を歩いていると頻繁に出くわすのが観光用の人力車。耳をすますと、さりげなくだがずいぶんと親切丁寧に車夫がお店の紹介をしている。もしかして、お店から広告料をもらっていたりするのだろうか?

桂米朝『落語と私』
2014.10.29|review

前書きによると中学生・高校生を対象に書き下ろされたものとのことだけれど、落語初心者よりは、ある程度落語に親しみ、さらにもっと落語の世界の深奥を覗いてみたいというひとにこそ最高の水先案内となりうる一冊だと思う。

米朝版「落語概論」のような体裁をとってはいるが、演者としての豊富な経験に裏打ちされているだけに内容は、濃い。松本尚久『落語の聴き方、楽しみ方』とともに、時々手にとっては読み返したい。

東京建築探偵団『建築探偵術入門』
2014.10.29|review

およそ30年ぶりの復刊。「東京建築探偵団」は、明治〜大正〜昭和(戦前)に建てられた「西洋館」のもつ《異物性》《用途の多様性》《デザインの多様性》に注目、そうした「西洋館」を自分の目と足で見つけ出し、生け捕りにしようという知的な狩猟のような試みである。

冒頭、「建築探偵『九つの心得』」が箇条書きにされているが、そのなかの「二、建物は手で見るをもって上とす」にはこんなふうに書かれている。「すぐ写真を撮るのは下」。町でこれという建物と出会ったら、まず眺め、手で眺め、そうしてペンを握りスケッチをすること。なぜなら「写真頼みの記憶は色褪せやすい」からである。納得。

ここに取り上げられた「西洋館」は、この30年の間にかなりの数が姿を消した。バブル期の再開発で取り壊されたものが多いような気がする。メンバーのひとり藤森照信氏があとがきに言うように、たしかにその意味ではもはやこの本はガイド本としては役立たずということになる。が、しかし、その後も、東日本大震災、2020年に開催予定の東京オリンピックを理由に古い建物はどんどん、なんの未練も躊躇もなく取り壊されている昨今、ぼくらも「建築探偵」にならって、自分たちが生きた時代を、ひとりひとりがその目と足と手で記憶に刻んでゆくべきときなのかもしれない。そういう意味で、いまだアクティブな一冊。

古川緑波『ロッパ食談 完全版』
2014.10.29|review

さしずめ、喜劇人ロッパの〝グルメブログ〟といった内容。

江戸っ子にもかかわらず蕎麦は食えず、寿司屋に行っても「こはだ、あなご、玉子」くらいしか食べられない。いっぽう、さすが男爵家に育っただけに物心ついたころからフォークとナイフを器用に操り西洋料理に親しむ反面、おでんや天ぷらといった「下司(げす)な味」をこよなく愛する。その偏食と大食が、こちら読者としてはかえってチャーミングである。

ロッパによれば、洋食や洋菓子の場合、おなじ店のおなじメニューでも戦争を境にすっかり味が変わってしまったという。もちろん「むかしの味」の方が、よかった、ということになる。ロッパとも親交のあった食通の映画監督.山本嘉次郎もたしか同様のことを言っていたと思う。戦争は、ことほどさように、ありとあらゆるものを変えてしまったのだ。

長井好弘『新宿末広亭―春夏秋冬「定点観測」』
2014.10.29|review

タイトルにあるように、1999年5月下席から2000年5月中席までの一年間、新宿末広亭に足を運んでの「定点観測」がこの一冊のテーマである。

読んで感じるのは「寄席は生きもの」ということ。お客さん、演者、天候……

さまざまな要素の組み合わせいかんによって寄席の表情もくるくる変わる。著者が通いつめた時期が、いわゆる「落語ブーム」前夜のもっともゆるみきった時代であったのも、逆に「寄席」が主役の読み物としてはかえっておもしろい。たとえば、いま2014年におなじことを試したとしても、こんな空気感は出ないのではないかなぁ。結果的に、ある意味しっかり「時代」を切り取ってしまっているところが興味深い。

堀井憲一郎『青い空、白い雲、しゅーっという落語』
2014.10.29|review

寄席の珍プレー好プレー集。

軽薄調の文体ゆえ「うっそじゃねーの」と思わず疑ってしまいそうになるけれど、たぶん実際に寄席で起こったであろう《事件》の数々……。後半の落語家10人へのインタビューは読み応え十分。

杉江松恋『ミステリマガジン700【海外篇】』
2014.10.29|review

短編集ゆえストーリーに深みを、トリックに巧緻さを求める向きには食い足りないかもしれないが、錚々たる名手による小品はそれを補って余りある魅力を放つ。

個人的には、『毒薬の小壜』のシャーロット・アームストロング、『偽のデュー警部』の読者へのささやかなプレゼントのようなピーター・ラヴゼイ「十号船室の問題」が購入の決め手。

松家仁之『火山のふもとで』
2014.10.29|review

ふだん単行本で小説を買うことはあまりないのだけれど、友人の編集者に勧められ、なんどか手に取ることになりそうとの予感もあって購入。予感は的中。

浅間山のふもとにたたずむ、老建築家の「夏の家」こそがこの小説の主人公である。端正な造型を身上とする建築家と、彼を敬愛する個性的な所員たち。大規模なコンペに立ち向かう彼らと、そこにさざ波を起こす魅力的な女性たちの存在。新人としてアトリエに就職した青年の瑞々しい感性によって切り取られた「夏の家」の生涯。

堀江俊幸『雪沼とその周辺』の《静けさ》を愛するひとにぜひ。

『古今亭志ん朝』河出書房新社編集部
2014.10.29|review

本人による芸談、対談、志ん朝に縁のある、また志ん朝を愛する人物によるエッセイ、後輩芸人たちへのインタビューからなるアンソロジー。掲載されたインタビュー等の大半は石井徹也氏がおこなっている。資料として演目一覧も所収。

読み進めてゆくうちに、いくつかのキーワードが浮上。

◎ 黒門町
いわずと知れた八代目桂文楽。独自の美意識に貫かれ、磨き上げれた楷書の「芸」。若き志ん朝は、みずからの範をこの黒門町にしていたようである。父として、師匠として、草書の「芸」の巨人、志ん生を身近に見ていたため、逆方向に突き進んでいったようだ。談志いわく、よくもわるくも「作品派」。

◎ くどさ
あるいは、わかりやすさ。芝居が好きで、役者をめざしたほどの人ゆえ、客席からみたときのわかりやすさ、イメージの共有を徹頭徹尾考え抜いたひとであったようだ。たしかに、説明調でありくどいのだが、聴いているときにはあまりそれを意識させないのは志ん朝の生まれ持った「芸品」のなせる技なのではないか。

◎ 太陽
「志ん朝師匠と関わりを持ったことがある人は、師匠のことを話すとき、本当にうれしそうな顔をする」と編集後記にあるように、後輩芸人たちのインタビューはしばしば志ん朝のことを「太陽のようなひと」と語り、しくじったときの経験までもうれしそうに語っている。

志ん朝の人となりを知るにつけ、落語の世界をあっという間に吹き抜けた一陣の、爽やかな風のように思う。

原田マハ『楽園のカンヴァス』
2014.10.29|review

文句なしにおもしろかった。

「税関吏」「日曜画家」と揶揄されるアンリ・ルソーが晩年に遺した大作の真贋をめぐる、ミステリ仕立ての物語。ヤドヴィカ、ジョセフ、織絵、ティム、そしてジュリエット。ルソーの作品を愛してやまない人々の手によって、はたしてその絵は「助けられる」のか?

さまざまな「謎」は提起されるが、最後まで明かされることはなく、読者の想像力に委ねられる。こうして、読者もいっしょに「夢」をみる。

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