もちろん、ぼくはコーヒーを飲むのも淹れるのも大好きです。なので、ポットやドリッパーなど家にはいろいろな種類のコーヒーを淹れるための器具が転がっていますが、じぶんでドリッパーをつくってしまおうなんて考えてみたことは一度だってありません。
ところが、実際にオリジナルのドリッパーつくってしまったひとがいるのです。それが、(おそらく)世界でもっともあたらしく、もっとも洗練されたフォルムをもつコーヒーの器具「ドーナツドリッパー」の作者、中林孝之さんです。
この愛らしいデザインのドリッパーがいかにして生まれたのか? 「ドーナツドリッパー」で淹れるとどんな味のコーヒーになるのか? そもそもどんな「思い」で考案されたのか? そんなちいさな「?」の数々をぜひ直接中林さん自身の「ことば」で聞いてみたいと考え、こんなイベントを企画してみました。題して、
「ドーナツドリッパーができるまで」
当日は中林さん、さらに『休みの日には、コーヒーを淹れよう。』の著者で、焙煎人の狩野知代さんをお迎えして「ドーナツドリッパー」誕生のエピソードに耳を傾けるとともに、中林さんの実演により「ドーナツドリッパー」を使っておいしくコーヒーを淹れるコツを教えていただきます。また、当日は狩野さんがこの日のために特別に焙煎してくださったオリジナルブレンドを「ドーナツドリッパー」で抽出、いっしょに召し上がっていただきます。
連休中のひととき、コーヒーのあたらしい楽しみ方をひとつ増やしてみませんか? みなさまのご参加お待ちしております!
──
◎ ドーナツドリッパーができるまで
・日時 5月4日[火祝]
・時間 1)13時30分~ 2)16時~
※各回とも90分程度を予定。内容は同じです。
・おはなし 中林孝之(TORCH)
狩野知代(GLAUBELL)
岩間洋介(moi)
・参加費 2500円(コーヒーつき)
お早めのお申し込み、お待ちしております!
うっかりしていたら、もうゴールデンウィーク直前なのですね。そこで遅ればせばがら、ゴールデンウィークの営業についてご案内させていただきます。
4月29日[木祝] 正午~19時(18時30分LO)
※ドリンク+スイーツのみ
↑上記のとおり変更になっております。
4月30日[金] 正午~20時(19時30分LO)
5月 1日[土] 正午~20時(19時30分LO)
5月 2日[日] 正午~20時(19時30分LO)
↓「福田の珈琲缶 おひろめ会」参加します
5月 3日[月祝] 正午~20時(19時30分LO)
5月 4日[火祝] イベントのみの営業
↓「ドーナツドリッパーができるまで」
5月 5日[水祝] 正午~20時(19時30分LO)
5月 6日[木] お休み。振替休日とさせていただきます。
↓こちらもよろしくおねがいします
◎ 福田の珈琲缶 おひろめ会
5/2[日]正午から16時まで、代官山の「cholon」さんでmoi店主がコーヒーを淹れさせていただきます。イラストレーター福田利之さんのポップなオリジナル珈琲缶のおひろめ会です。当日会場には福田さんもご来場予定ですので、ぜひお散歩がてらお立ち寄りください。moiの自家製シナモンロールクッキーの販売もあります。
◎ ドーナツドリッパーができるまで
ドーナツドリッパーの考案者、中林孝之さん(TORCH)、狩野知代さん(GLAUBELL)のおふたりをお迎えして「コーヒーとデザインの話」をしていただきます。
ゴールデンウィークも、みなさまのご来店を心よりお待ちしております!
ちょっと探し物があり、以前(去年? いや、おととし?)つかっていた手帳をパラパラとめくっていたのだった。すると、ページの片隅にこんな殴り書きを見つけた。
ホルモン好きは、ホルモンのどこが好きなのか?
そういえば…… なんとなく思い出した。「ホルモン番長」と異名をとる(?)編集者の知り合いが、いままで行ったなかでもっとも感動的なホルモンを食べさせるお店に連れて行ってくれることになったのだ。ところが、ぼくはそんなにホルモンが好きではない。けっして食べられないというわけではないが、いままでの乏しい経験上「おいしい」と感じたことがない。つまり、ホルモンの「うまさのツボ」がわからないのである。そこで、こうなったら単刀直入に聞いてみるべきだろう、そうぼくはかんがえた。味なのか、歯ごたえなのか、それとも見た目(ってことはないだろうが)なのか…… しばしの沈黙の後、かの「ホルモン番長」はこう答えた、
油。
油、なのか。それでなんとなく理由がわかったような気がした。ビールと油はきっと合うのだろうな。油+ウーロン茶、もしくは油+ぬるくなったビールをちびちびと、ではホルモンの「うまさ」が伝わらないのも当然だ。猫に小判、下戸にホルモン、そういうことである。
さらに手帳をめくってゆくと、こんどはこんな殴り書きが現れた。
なぜ外人は声が大きいのか?
答えもそうだがその前に、そもそもなぜぼくはそんなことを知りたがっていたのか、それをだれかに教えてほしいのだ。
ちかごろでは、めっきり文章を手で書くということがなくなってしまった。おかげで恐るべきスピードで漢字が書けなくなってゆく昨今…… 。ついこのあいだもぼくが書いたメモをみたスタッフから、「送りがな、間違ってますよ」と指摘され恥ずかしい思いをしたばかりだ。
それだから、という理由でもないが、文章を書くときにはPCに向かう前につとめてペンを片手にアイデアを練るよう心がけている(といっても、このブログをはじめ全部が全部というわけではないけれど)。じっさい、キーボード上だけで完結した文章とそうでない文章とを後になって読みくらべると、あきらかにその完成度にちがいがあるような気がするのだ。機械などでよく、ある部分に「遊びがない」などといった表現をすることがあるけれど、まさにそんな感じ。
文章をアメ玉にたとえれば、書く以前にペンを手に構想を練るという行為は舌の上でアメ玉をころがすようなものである。ゆっくりと、舌の上でアメ玉をころがすことでその甘みや味、香りをたしかめるのだ。ときには、そうしているうちにちがう味に変化しているなんてことも、ある。それにひきかえ、いきなりPCにむかって書く文章は読み直すといつもどことなく性急で、口に放り込んだアメ玉をガリガリかじっているような気分になってしまうのだった。
文章を書く以前に、かんがえる道具としてぼくがいつも世話になっているのは、ドイツの文具メーカーSTAEDTLERの「Triplus finliner」というペン。軸の太さ、全体の軽さ、なめらかな書き味とそのどれをとっても理想的で、エンピツの持ち方の悪いぼくにしばし「手で書く」という行為のわずらわしさを忘れさせてくれるスグレモノである。
だいたい文章の構想を練るなどといえば聞こえはいいが、じっさいのところは白い紙に単語や短いセンテンス、ワケのわからないイラストなどを書きつけた落書きにすぎない。とはいえ不思議なもので、見えない水蒸気があつまってひとつの雲をかたちづくってゆくように、こうしたイタズラ書きが漠然とした「ことば」にカタチをあたえ文章になってゆくような気がするのだ。そして、「かんがえること」と「書くこと」とを無理なく同期させてくれるという点で、このSTAEDTLERのペンは「かんがえつつ書き、書きつつかんがえる」という作業に欠かせない「道具」といえる。
まあ、それはともかく、そろそろ原稿に手をつけなきゃならないのだが……