青天の霹靂、とはまさにこのこと。
先ほどフィンランド政府の文化担当者の方から連絡があり、国外においてフィンランド文化の普及や理解に貢献した人物、団体等に贈られる「Punainen Uuso勲章」がモイに贈呈されることになったというのです!
とはいえ、いまの心境は驚きよりはむしろ、えっ、ウソでしょ?って感じです(笑)
思えば数年前、海外で生活するフィンランド人のためにつくられている雑誌でモイを取り上げていただいたり、当時の駐日フィンランド大使ご夫妻にご来店いただいたりしたこともあるので、あるいはそんなことも影響したのかもしれません(↓その際の雑誌の画像)
まだ現物が手元にないため実感は湧かないのですが、どうやらこの勲章は「Punainen~」というだけに真っ赤で鮮やかな色の勲章のようです。そういえば、日本でも紫綬褒章とか黄綬褒章とか「色」がついていますよね。
とりあえず、
くわしい受賞理由などはこちらのウェブサイトでお読み下さい(日本語です)。
東京は桜の開花宣言の後しばらく気温の低い日が続いたこともあって、いつもの年よりずいぶんと長く満開の花を楽しめている気がします。吉祥寺も、井の頭公園ではまだまだお花見に興じるひとが後を絶たないようです。春めいてきたここ最近はまさに「散歩日和」、そんな気がします。
そんな散歩好きで、しかも雑貨好きなら、ぜひこの本を手に取りましょう。雑貨カタログ特別編集『雑貨を探して てくてく散歩―原宿・表参道・青山/目黒通り/自由が丘/恵比寿・代官山/吉祥寺/谷中・根津・千駄木/横浜/湘南』です。
モイも吉祥寺編でご紹介いただいています。あるき疲れたら、北欧の森を感じさせる空間でぜひおいしいコーヒーを召し上がって下さいね。お待ちしております。
ずっと観なきゃ観なきゃと思っていた名作(?)『新幹線大爆破』を、ようやく観ることができた。一九七五年公開の東映映画である。
千五百人の乗客をのせた東京発博多行きの超特急「ひかり」号に、時速が八〇キロ以下になると自動的に起爆装置のスイッチが入るという恐ろしい爆弾が仕掛けられるというお話で、去年の夏に映画館で観た『狂った野獣』と同じ路線のパニックムービー(こちらも同時期の東映作品)。
すごい、すごいとは聞いていたが、ほんとうに、スゴかった。
まあ、細かいところは実際に観て確かめてもらうしかないのだが、二時間半という尺の中に、スリルやアクション、人情話に政治風刺、権力批判や文明批判、笑い、ドタバタ、推理や人間の死生観といったすべてが凝縮されている感じ。そして大事なことは、つねにどんなときにもそれが娯楽作品であることを忘れていないところ。極上のエンターテイメントとは、まさにこういう映画を指して言うのだろう。一九七〇年代この国には、死に物狂いで「娯楽映画」をつくっている人々がいたのだ。残念なことだがもう二度と、この日本からこういう作品は生まれることはないにちがいない。
それはそうと、もしこの映画を観るときは、ぜひ仲間といっしょにツッコミを入れながらワイワイと観てほしい。面白さが二倍、三倍とふくらむこと必至だから。なにをかくそう、ぼくも仲間七人で観たのだがめちゃくちゃ盛り上がった。そして観る相手は、誰でもたぶんだいじょうぶ。誰が観ても絶対に楽しめてしまうところに、映画が娯楽の王道だった時代の作品がもつあきらかに次元のちがう「底力」があるのだ。
雑誌『料理通信』2009年05月号の特集「コーヒーの今がわかる!」に掲載していただいています。
最近は本格的なエスプレッソを提供する「バール」が日本でもふえていて、世界の檜舞台で活躍するような腕の立つバリスタもたくさん登場していますが、個人的には日本人にとってのコーヒーはやっぱりハンドドリップだよなぁと思ってしまうのでした。やっぱり日本のコーヒーカルチャーは「喫茶店」という空間なくしては語れない、って感じなのです。みなさんはいかかでしょう?
でもその一方で、そんな「喫茶店」の文脈のなかで語られるべき(?)「バール」も登場してきていて今後の動向に注目です。
書店等でみかけましたら、ぜひ手にとってみてください。
「カジヒデキ スウェーデンで強盗の被害 」
歌手・カジヒデキ(41)が仕事で滞在中のスウェーデンで4日(現地)に強盗に襲われて、25万円相当の撮影機材を奪われていたことが6日、分かった。関係者によると、カジは新曲「パッションフルーツ」(5月20日発売)のプロモーションビデオ撮影のため、スウェーデンに滞在。撮影の合間にカジがひとりで機材のそばにいたところ、いきなり後頭部を殴られて失神し、望遠レンズなどを盗まれたという。現地の病院で診察を受けたが問題はなく、5日には仕事を再開した。
↑デイリースポーツonlineより
この事件は南スウェーデン市のKroksbäck地区の路上で、カジヒデキのビデオクリップを撮影している最中に起こったもの。撮影チームが休憩を取って、カメラマンがチームに同伴した彼らの子供の写真を撮るために現場を離れたとき、カジはパイナップルのような衣装を着たままで機材を警備するためにその場に残された。
そこに3人組の男が現れて彼を襲撃。警察によると、彼は衣装がはじけて中の詰め物がなくなるほどに力強く殴られ一時的に気を失い、意識を取り戻したときには2万クローネ(25万円相当)の撮影機材が強奪されていたとのこと。
スウェーデンの警察は現在犯人を捜索中だが、5日朝の段階ではまだ容疑者を特定できていないとのこと。
↑natalieより(傍線は筆者ですが・・・)
手の込んだ宣伝?いや、やっぱりエープリルフールはこれくらい気合いいれなきゃね・・・と思ったら、
どうやら本当だったみたいですね。無事で何よりでした。
と同時に、
四十過ぎても「パイナップルのような衣裳」を着てもいいんだ!
ちょっと、勇気づけられました(着ないけど)。
この一ヶ月くらいのあいだ、ずっと風邪を引いている。
ずっと、というよりも正確には断続的に、という感じ。寝込むほどではないにせよ、ようやく治ったというころに、またあらためて風邪を引くといった具合。思い返すと、ちょうどこの一ヶ月に三回風邪を引いたことになる。なんなんだ、いったい。
このあいだ健康診断を受けたときは、その前に一週間ほど風邪っぽくてやっと症状が消えたころだったので、もう大丈夫そうですからと薬を断って病院を出たら、その日のうちに鼻水が止まらなくなり匂いもしなくなってしまい、こんなことなら薬をもらっておくべきだったと後悔した。そしてその二週後、その風邪もほぼ完治したころにこんどは健康診断の結果を聞きに病院に行ったのだが、その二日後にまたまた風邪を引いた。
さすがに三度目の風邪はしつこく熱も出てきたので、月曜日の開店前に病院で薬をもらってきた。なんかいろいろな薬を六種類くらい。そのなかに、三日間毎日服用するとその後七日間効き目が持続するという「魔法のような薬」があり、いまはそれを飲んでいる。
貴重な休みはとうとう熱を出して一日寝込んでしまったものの(ああ、もったいない)、魔法の薬の効果で今度こそすっきり身体から風邪が抜けてくれそうな予感がする。
みなさんも風邪にはくれぐれもお気をつけ下さい。
ここのところ、ひとことで言えば、弱っている。一ヶ月くらい風邪をくりかえしていたのもそのひとつなのだが、なんというか心身ともに弱っている感じ。
なんとなく原因をかんがえていたら、自律神経系がちょっとおかしなことになっているんじゃないだろうかと思い当たった。年明けからぼーっと過ごすような休みが一日もなかったというのもあるが、それ以上に仕事でもプライベートでも、いつになく日頃やりなれないことや新しいことと取り組む機会が多かったため、無意識のうちにずっと緊張しっぱなし、交感神経がつねに昂ぶっているような数ヶ月だったのだ。
ふだんは山とか海よりも、街の中で人混みに紛れているほうがリラックスできるなんて言っているぼくではあるが、さすがにこの状況はなんとかしなければならない。そうだ、リセット、リセット。とはいえ、リセットの方法を心得ているようならもっとこんなふうになる前になんとかできたはず。それでもあれこれない知恵を絞って、「正解」かどうかすらよくわからないままひとつの答えを導き出した。
そうだ、森へゆくのだ。
そしてここ東京で、気軽にゆける森といったら「明治神宮」である。さっそく、朝、用事を済ませたその足でいってきた。明治神宮、もしかしたら浪人時代に初詣ででかけて以来かもしれない。だとすれば、数えるのも億劫なくらいに昔の話。
森へゆくのだから、アプローチも肝心だ。あえて原宿からではなく、代々木方面の「北参道」から入る。案の定、はるか先まで続く参道にほとんど人影はみあたらない。鳥の声と梢を渡る風の音、それにザクッザクツという砂利道をあるくじぶんの足音だけを聞きながら、ひとりのんびりと進んでゆく。
途中、本殿でお詣り。手をあわせて目をつぶると、どこからともなく一陣の涼しい風がうわぁーっと吹いてきてなんとも清々しい。それにしても本殿の周囲を見渡すと、ほとんどが外国からの観光客で不思議な気分になる。とりわけアジア系のひとたちをずいぶんみかけたのだが、明治天皇とはいえ天皇を祀っている神社なのに大丈夫だろうか、とついつい余計な心配をしてしまった。
つづいて、「明治神宮」の御苑にも入ってみる。いまにも雨の降り出しそうな平日の昼下がり、しかもここは有料(五百円)ということもあってますます人影はまばらになる。というか、怖いぐらいに誰もいない。鬱蒼とした森の中を、順路をたどって散策する。相変わらず鳥の声と風の音、じぶんの足音にくわえて、ときどき虫の羽音や池で魚が跳ねる音が耳に入る程度。視界はもっぱら木々の緑だけだ。この「御苑」の片隅には「清正井」という、加藤清正が掘ったと伝えられる井戸がある。見たところ井戸というよりは湧き水という感じなのだが、不思議なのはその造りで、なぜだか地面に埋め込まれるようにして桶があり、そこからこんこんと水が湧いているのだ。ここはなんでも、都内屈指の「パワースポット」としてよく知られる場所で訪れるひとが後を絶たないらしいのだが、いつまで待っても誰かがやって来そうな気配は一切なく、おかげで「『気』浴び放題」だった。ほかにもここには菖蒲田があり、しばらくしたら菖蒲の花も咲き訪れるひとも一気に増えるのだろうが、静かに散歩したいひとはあえてこの時期がいいんじゃないだろうか。
帰りは「表参道」から原宿へ。途中、参道の脇に一本だけ不自然にモミの木が植わっていて、そこにあった立て札によるとそれが「代々木」という地名の由来なのだそうだ。代々、立派なモミの木が生えることからその一帯を「代々木」と呼ぶようになったのだとか。はたして、これって有名な話なのだろうか。ちなみにいま植わっているのは戦争で焼失してしまったため戦後新たに植え直したモミの木だそうで、それを知ってしまうとなぜだか残念な気分になるのだった。
ところで、ここ明治神宮の森が人工の森であるというのはよく知られた話だ。神社がつくられた九十年ほど前に植林され、手を入れることでここまでなったのだそうだ。ちょっとにわかには信じられないけれど。逆にいえば、百年あれば森はつくれる。これはすごい「教え」じゃないだろうか。フィンランドの森にしたって、その大半はひとが長い時間をかけて手を入れ育ててきたものだと聞いたことがある。夢の島や臨海副都心の埋め立て地が百年後、明治神宮のような森に育っていたら百年後の東京はずいぶんと美しい場所になっているんじゃないだろうか。オリンピックよりも、百年後の人々に森を残す。そういうお金の使い方がなぜできないのか、ひとりの東京都民として残念でならない。
さて、ここ数ヶ月の自分をこれでリセットできたかどうかは定かでないが、都心にあって、正味一時間ちょっととは思えない時間の過ごし方をしたことはまちがいないようだ。ちなみに写真もすこし撮ったのだが、ひさしぶりにフィルムカメラで撮ってしまったため今回は画像なし。いずれ機会があったらアップしようと思う。
ムック『おしゃれかわいい 北欧インテリアvol.2』のショップガイドにて、moiをご紹介いただいています。
ちなみにこの本では、いまをさかのぼること七年前、アールトの椅子をフィンランドから運んでくるのに尽力していただいたt.a.l.oの山口太郎サンも大々的に登場されています。そして彼の背後に写り込んでいる看板こそ、かつてヘルシンキにあったアンティークショップ「Ostaa ja Myy」(買ったり売ったり、の意)のもの!アールトの椅子が無造作に積み上げられ、ティモの鍋やアンティのポットがごろごろ床に転がっていて、しかもそのどれもがお手頃価格という夢のような店。もちろんいまモイで使っているアールトの椅子(ぜんぶUSED)も、関本竜太サンを介してここから手に入れたものです。ちなみにひとつだけ、いまだに「Ostaa ja Myy」のステッカーが貼られたままの椅子もあります。そんな思い出深いいまは亡きショップの看板が、ここ日本の、しかも太郎サンの店にあるというのはちょっとうれしい「発見」でした。だって、太郎サンの店って「Ostaa ja Myy」の匂いがプンプンするもんね。
そのほか、五反田の「kirpputori」の島田さん(ごぶさたしております!)も登場されていますね。みなさんのご活躍を誌面で確認できてとてもうれしいです。
スコーンのつけあわせのジャムを、いい感じにすくえる実用的かつかわいいスプーン。
そんなスプーン、もちろんお店では売ってません。そこで、moiの2Fにある「木とり舎(ことりしゃ)」さんにお願いしてオーダーメイドで作っていただいちゃいました(画像)。
材質はウォールナット。ジャムを入れている器のサイズにあわせ、最後まできれいにすくえるよう工夫してデザインしていただきました。柄の部分が丸みを帯びたデザインになっているため、指を軽くねじるようにするとヘラの部分がいい具合に回転してうまくすくえるのです。
さっそく今日から大活躍です。moiにお越しの折には、ぜひ「木とり舎」さんにもお立ち寄りくださいね。
きのうは一日中ひどい土砂降りだった。
おかげで週末だというのにまるで呪いをかけられたかのごとくヒマな一日で、こんなときには自分の店の底力のなさを突きつけられ絶望的な気分になる。そしてそんな気分を引きずりながらの帰り道、ビデオ屋で何気なく手に取ったのが
『死ぬまでにしたい10のこと』
という映画。死ぬほどヒマだったから、ってこと?我ながら単純すぎやしないだろうか?
ちなみストーリーはこんな感じ。
主人公のアンは23歳の若さにして、失業中の夫とふたりの子供をもつ母親。生活はけっして楽とはいえず、実家の庭のトレーラーハウスで寝起きしながら大学の清掃の仕事をして家計を支えている。しかも実の父親は、なにをやったかは語られないが刑務所暮らしの身だ。とはいえ、そんないまの生活が不満かといえばかならずしもそういうわけでもなく、家族とともにある日々の生活にささやかなしあわせを見いだしてもいる。ただ、17歳で初恋の相手とのあいだに子供ができ結婚してしまったこと、結果的に高校を卒業できなかったことが心のどこかで引っかかっている様子。そんなある日、体調の不安から病院で検査を受けたところ卵巣に深刻な腫瘍がみつかり、余命がわずか2、3ヶ月しかないことを告げられるのだ。アンは悩んだ末真実を誰にも明かさず、ひとり死ぬまでにすることをリストアップし密かに実行することを決意する・・・
手触りとしては『エターナル・サンシャイン』にも似て、現実と夢(混濁する意識の中でみる夢?)とがせめぎあうどこか波打ち際のような世界で起こる出来事を見ているかのよう。アンのリストも、途中からはやけに予定調和的になっていき現実味が薄らいでゆくのだ。それはあたかも、スクリーンに映しだされたアンの脳の中の映像であるかのように。そう思って観れば、ひどくエゴイスティックだったり調子よすぎるように感じられることもなんとなく腑に落ちてしまう。なかなか巧いなあ。
ところでこの映画のちょっとしたツボは、なんといっても登場する音楽だろう。ブロッサム・ディアリーの曲が流れるばかりか、「ちいさな体とちいさな声で、83歳になるいまも現役でニューヨークのクラブで歌っているんだ。こんど行ってみよう」なんて登場人物にわざわざ語らせてしまうとはビックリである。そのブロッサム・ディアリーも、ことしの2月に亡くなってしまった。
ほかにも印象的なのは映画のなかでなんども登場し、アンも口ずさむビーチボーイズの名曲「God Only Knows」だ。じつは、きのうはお店でこの曲をゲイリー・マクファーランドが彼の友人たちといっしょに演奏したバージョン↓
を繰り返しかけていて、家に戻って映画を観たらおなじ曲が登場したのでその偶然の一致にも驚かされた。
ほかに印象に残ったのは、デボラ・ハリー(ex.ブロンディー)が生活に疲れたアンの母親役を好演していたこと。セリフとはいえ、まさかデボラ・ハリーの口から「バリー・マニロウは真人間よ」なんて言葉が聞けるとは、この映画を観た甲斐があったというもの。この面白さがわかるひと、めちゃくちゃ少なそうだけど。
ほかにも、過食症気味のアンの友人を見つめる子役の憎悪に満ちたまなざしは、まちがいなくアカデミー助演女優賞ものだった。
ところで、もし自分がアンとおなじような立場に追い込まれたとしても絶対に「死ぬまでにやることリスト」なんて作らないだろうな。10個もリストアップするのがただただ面倒くさいし、死ぬ前まで「やらなきゃならないこと」に追われるなんてイヤだなぁ。あえて「死ぬまでにしたいひとつのこと」を挙げるなら、ズバリ
「好き勝手する」
ダメだこりゃ、である。
パガニーニの弾くヴァイオリンをめぐっては、まことしやかにこんなうわさが囁かれていたらしい。
あいつは悪魔に魂を売り渡して、ひきかえにあの腕前を手に入れたんだ。
ギャンブルとオンナを好み、痩せて浅黒く、けっして美男子とはいえないのにナポレオンの妹ともスキャンダルになるほどよくモテた。周囲のオトコたちからしたらさぞかし不愉快な、いけすかないヤツだったにちがいない。
そんなパガニーニという人物を、ぼくはなんとなくカリスマ的人気を誇るロックスターのようなものとしてとらえていたのだが、死後に教会から埋葬を一時拒否すらされ、その遺体は各地を転転とする羽目になった(ウィキペディアより引用)なんていう逸話を聞いてしまうと、どうやら実際のところはもっとオカルト的な存在として本気で周囲をビビらせていたのかもしれない。
怪優クラウス・キンスキーが演じるのは伝記に登場する生身のパガニーニ本人ではなく、そんな「伝説」と化した、当時のひとびとのなかで肥大化したモンスターとしてのパガニーニなのである。むしろこの、色々な意味で、やりたい放題の映画を観るかぎり、じぶんのモンスターっぷりを爆発させるためその「材料」としてパガニーニというスキャンダラスな人物を「利用」したようなフシもないわけでなく、おそらくこの映画をパガニーニ本人が観たら「いや、俺ここまで鬼畜じゃないっすから」と冷や汗を流しながら抗議するにちがいない。
ひとことで言うなら、エロ・グロ・ナンセンスの幕の内弁当にアートのふりかけをまぶした感じ?いや、ほんとうはなんとなくキンスキーの「やりたかったこと」は分からないではないのだが、キンスキーのディストーションかけまくりのパガニーニ像はさすがにちょっと行き過ぎというか、あ~あ、やりすぎちゃったのねと思わずにはいられない。監督、脚本、主演がキンスキー本人だから、だれもブレーキかけれる人間がいなかったのだろう。役者クラウス・キンスキーと数々の作品で交流のあったヴェルナー・ヘルツォーク監督による映画『キンスキー、我が最愛の敵』(←未見)では、当時キンスキーが入れ込んでいた『パガニーニ』の監督をヘルツォークが引き受けなかったことを悔やむ場面があるらしいのだが、それは完成した『パガニーニ』を観たヘルツォークが「もし俺が監督してたら、もっとちゃんと評価されるような作品として残してやれたのに」と映画監督として、またなにより盟友として無念に感じたからじゃなかったろうか?これはあくまでも勝手な想像だけれど。
それにしても、好き好きだからなんともいえないけれど、そして、この手の映画には割と好意的なぼくではあるけれど、これはちょっと予想を上回る《酷い》映画だった。いったいこんな映画、公開時はどこの劇場でやったんだよ、と思って調べたら
元の職場
だった・・・。しかもオープニング記念作品(笑)。オープン当時ぼくはまだ入社前だったので事情はわからないのだが、よくやったなぁ。音楽モノだからいいと考えたのか。試写を観ずに決めるってことはまずないはずなんだけど・・・。いまとなっては上映しちゃったことじたいタブーかも。
ほんと、おススメしません(笑)。
ゴールデンウィークの予定はもうお決まりですか?まだの方、いっしょにmoiで映画を観ませんか?
5/5[火祝]、6[水祝]の二日間、moiでは初めての試みとしてキノ・イグルーさんとのコラボレーションにより映画の上映会「ISO ROBA」をおこないます!
そして、せっかくmoiで観ていただくのだからとセレクトしたのは、北欧フィンランドが生んだ世界的な映画監督(&キノ・イグルーの名付け親でもある)アキ・カウリスマキの長編第2作
『カラマリユニオン』
15人の「フランク」がヘルシンキを舞台に繰り広げる史上最短距離の(?)ロードムーヴィーです。正直ちょっと、いや、かなりマニアックな作品ですが、なにをかくそう、ぼく自身アキ・カウリスマキ監督の映画の中でもとりわけ大好きな作品なのです。理由は、
その1 フィンランド好きにはたまらないオール・ヘルシンキ・ロケ!
その2 ときにヌーヴェルヴァーグを思い出させるスタイリッシュな映像、そして音楽!
その3 青い!驚くほどに饒舌!まさにロケンロー!
荒削りながらも、近年の作品にはないパワーを感じさせてくれる作品、みなさんといっしょに観ることができましたらとてもうれしいです。ぜひふるってご参加ください!お待ちしております!!!
◎ シネクラブ「ISO ROBA」
日時: 5/5(火・祝),5/6(水・祝)
各日 ①15:00~/②18:00~(各回15名限定です)
会場: 吉祥寺 moi
4/28追記 おかげさまをもちまして、すべての回につきまして「満席」となりました。どうもありがとうございました。