北欧をはじめとするアンティークやインテリア雑貨のバイヤーとして活躍されている田中さんが、一日限りの北欧雑貨の「蚤の市」を開催されます。
当日は、ストックホルムやヘルシンキのアンティーク見本市で買い付けたGustavsberg、Arabiaなどの北欧アンティーク陶器やムーミンヴィンテージなどの北欧雑貨の数々が展示・販売されるとのこと。また、あわせて私物、非売品のエアラインノベルティグッズの販売も予定されており、こちらの売上はUNICEFに寄付されるそうです。思わぬ掘り出し物と出会えるかもしれませんよ。お時間のある方は、散歩がてらぶらりと覗いてみてはいかがでしょう。
・日時:6月17日[日] 12時~18時
・会場:TRADE WING 神宮前サロン
くわしくはコチラ→◎ をごらんください。
静かでおだやかな土地に行きたい、そう考えたとき、まっさきに思い浮かんだのは松江、そして出雲のことだった。
出雲へは羽田から飛行機で約一時間、松江はさらに車で三十分ほど走ったところに位置している。松江の中心部にさしかかると、左手に宍道湖、右手に松江の町並みを見ながら車はしばらく宍道湖の湖畔の道を進んでゆく。そのとき、なぜだかぼくは無性に「なつかしい」という感情にとらわれたのだった。
実をいえば、ぼくがここ松江を訪れるのは三度目のことである。「なつかしい」と感じたとしても不思議はない。けれども、ぼくが感じた「なつかしさ」は、どうやらそうした質のものではないような気がしてならないのだ。それは、初めてヘルシンキに降り立ったとき、初めてにもかかわらずなぜか「なつかしい」と感じたあのときの感じにとても似ている。
車はというと、あいかわらず湖畔の道を走っている。右手にはマンションやパチンコ屋、オフィスビルといった何の変哲もない地方都市の景色。ところが、左手を見ると、そこにはただ広々とした美しい湖の眺めがひらけているばかりだ。右を見るか左を見るかで、その視界はまったく異なってしまう。つまり、いまぼくは都市と自然の、ちょうど境界線上にいるというわけだ。もっといえば、松江という土地がそれじたい「境界」なのであって、そこでぼくは思いのままに自然に逃げたり、都会に戻ったりできるということである。それは、ざわざわした都会の喧噪にはうんざりだが、かといってまるっきり自然の中では、思いっきり「アウェー」すぎてくつろげない、ぼくのような人工的な環境のもと生まれ育った人間にとっては好都合である。
鴨川の川べりに下りるだけで自然に帰れる「京都」しかり、すこし離れれば海にも森にもほど近い「ヘルシンキ」しかり、どうやらぼくは都市と自然というふたつの「顔」をあわせもつ土地にこそ強く惹かれるらしい。そして、さいしょに感じた「なつかしさ」とはたぶん、そこに「自分の居場所」をみつけたことからくる、いわば「幸福感」であり「安心感」であるといえるかもしれない。
出雲、そして松江を歩いていると、喫茶店はおろか、ファーストフードのお店すらほとんど目にすることはないというのに、和菓子屋とそば屋はやたらと目につく。そんなわけだから、ほとんど必然的にと言うべきか、毎日お昼には出雲そばを食べていた。
まず最初に入ったのは、「一色庵」というお店。じつは十年ほど前に旅したとき、偶然入った「松本そば」というお店がとてもおいしかったので今回もまた行くつもりになっていたのだが、そこは数年前にすでに店じまいしてしまったという。そこで、その「松本そば」で修業した職人さんの店だという「一色庵」をめざしたというわけだ。
ここで注文したのが、「鳥そば」。
いきなり変化球からはいってしまった・・・。あたたかいつゆ(ソバ湯)のなかにソバが入っていて、上にはニンジン、ショウガ、刻みのり、それに甘辛く煮た鶏肉がのっている。つゆそのものには味がなく、そばつゆを入れて味加減を調節する。さらに、食べているあいだにだんだんつゆのとろみが増して固まってくるので、そのつど「ソバ湯」を足して薄めながら食べるという、ある意味驚きの新食感!?こちらでは「釜揚げ」を注文すると、このスタイルで登場するのがフツーらしい。寒い地方ならではの、体がよく温まりそうなメニュー。とはいえ、いまは夏・・・いきなり汗だくでのスタートである。
続いて入ったのは出雲大社のお膝元、稲佐の浜にほどちかい「平和そば本店」。
最寄りの駅からぶらぶらと二十分ばかり、照りつける太陽のもと熱中症に怯えながら歩いたのだが、驚くべきことにその間わずか数人ほどの人影しか目にしなかった。横断歩道ではバイクが、こちらが道路にさしかかるよりもはるか前からブレーキをかけて道を渡り切るまで待っていてくれる。こんなところでお店なんてやってゆけるのだろうかと余計な心配をしながら扉をあけると、なんと店の中は相席アリのほぼ満席状態。みんな車やバイクでやってくるらしい。なるほど、歩いているひとなんていないはずだ。
ここで注文したのは「三色割子蕎麦」。ところで「割子」は、「わりこ」ではなく「わりご」と濁って発音するのが正解。いや、前日となりに腰かけていた地元のおばあちゃんがそう言っているのを聞いてはじめて知ったのだけれど・・・。
ちなみに今回入った三軒のうち、個人的にいちばん好みだったのはここのソバ。いつでも行ける地元のひとがうらやましい。それにしても、居合わせた常連さんがいきなり「カツ丼!」と注文したのには驚かされた。ある意味、なんて贅沢なことなんだ!
最後に入った店は、松江で地元のひとに人気だという「中国山地蕎麦工房ふなつ」。人気というだけに、前日と同様ほとんど外はゴーストタウンだというのに、一歩店に入ると空き待ちの行列状態。松江、出雲のひとびとはほんとうにソバが好きなんだなぁとあらためて感心する。ここでは、シンプルに「割子そば」を注文。
ここのソバの特徴をひとことでいえば、ワイルド&ストロング。「最強の51歳」ことビリー・ブランクスもビックリのタフなそばである。コシの強さはもちろん、粗挽きゆえのザラつきが舌に残る感じだ。関東のソバとくらべると、あきらかに「出雲そば」の場合「食べたぁ」という充足感が強い。それだけ素朴かつ日常的な食べ物ということなのだろう。
と、こんなにも書き並べた後で言うのもなんだが、ぼくはぜんぜん「そば」に対する特別なこだわりはなく、決して「おいしい」とは思わないまでも平気でコンビニで売られているソバを食べてしまうような人間である。なので、「出雲そば」についていろいろと知りたいひとはこちらのサイトでぜひ勉強してみてください。
宍道湖の夕日はすばらしい。「日本の夕陽百選」にも選ばれているらしい。じっさい、静かな湖面のむこうに大きな夕陽がゆっくり沈んでゆくさまを眺めていると、時間がたつのさえ忘れてしまう。
松江にはいくつかの「夕日スポット」があるが、宍道湖の湖畔にたたずむ島根県立美術館(設計は菊竹清訓)もそんな「名所」のひとつ。美術館のテラスはそのまま水際につながっていて、宍道湖をのんびり眺めてくつろぐことができる。とりわけこの時期には閉館時間を日没後三十分としているので、展示と夕日をセットで楽しめるという趣向だ。ちなみにこの日、日没は19時25分だったので閉館時間は19時55分だった。
夕日待ちをしているあいだ、暮れゆく空に幻日(げんじつ)という現象をみることができた。画像の中央よりやや右上部分にひときわ明るく七色に輝いている光がそれだ。
そのメカニズムについては、なんど説明を読んでもわからないし、仮にくわしい人に説明してもらったとしても理解できないと思う。要は、虹みたいなものである(たぶん)。
夕日が沈んでゆくとき、一羽のアオサギがこちらに背を向けてじっと杭に止まったまま夕陽の方角をみつめていた。みとれていたのだろうか?
松江というと、小泉八雲ことラフカディオ・ハーンを思い出すひとも少なくないだろう。
じつは、今回あらためて記念館などをみて知ったことなのだが、ラフカディオ・ハーンが松江で過ごした時間はわずか一年三ヶ月ほどにすぎない(その後赴任した熊本での生活は約三年)。とはいえ、『怪談』や『知られぬ日本の面影』といった代表作がこの土地での生活から誕生し、そこで妻をめとり、後に日本に帰化するにあたっては「出雲」にかかる枕詞である「八雲」をその名前としていることなど、彼が生涯にわたって出雲や松江を愛し続けていたことがよくわかるのである。また、この地方のひとびとも「へるんさん」と親しみをこめて彼を呼んでいたらしい。
当然、松江にはそんなラフカディオ・ハーンゆかりの場所がいろいろある。
ハーンが、妻セツとともに過ごした家。塩見縄手と呼ばれる、松江でもっとも趣のあるエリアに建つ武家屋敷である。並びにある記念館では、彼が好んだというキセルのコレクションや使用人に用事を言いつける際に吹いたほら貝(!)などがみれる。当時海外で出版された単行本の装幀は、ウィリアム・モリスばりの見事なアール・ヌーヴォー様式。かんがえてみれば、二十世紀初頭+ジャポニスムといえばまさにアール・ヌーヴォーの王道、その意味で彼はまさしくモードな存在だったといっていいかもしれない。
下の画像は、ハーンのエッセイにも登場する月照寺の大亀の石像のアタマ。
夜な夜な松江市内をうろついては人を喰らい、大暴れしたという伝説が残っている。まじかに見ると予想を上回るデカさで、高さは鼻先の部分でだいたいぼくの身長(171cm)ほどもある。
「(松江の)三十三ある町のそれぞれに、独自の怪談が残っているのではないかと思う」と、随筆「神々の国の首都」のなかでラフカディオ・ハーンは書いている(池田雅之訳)。事実、松江の神社仏閣で耳にしたり、妻セツから聞いた話をもとに彼はあの『怪談(Kwaidan)』を書いたのだった。
この『怪談』のなかでもとりわけ有名なのは、やはりなんといっても「耳なし芳一」ではないだろうか。当然(?)、松江にはこの「耳なし芳一」の銅像が存在する。記念に写真でも撮ってやろうと見にいったのだが、これがリアルに怖い。ファンシーな「耳なし芳一」というのもどうかとは思うが、なにもここまで怖くしなくたっていいのでは?おまけに急に暗くなってポツポツ雨まで降ってくるし・・・。というわけで画像はなし。
でも、いちばん怖かったのはバスの中でのことだ。松江には、旅でここを訪れたひとのために、市内の主だった観光スポットを周遊する路線バスが運行されている。一回百円、一日乗車券は五百円と手ごろだし、観光スポットを通過するごとにテープで解説が流れるのもありがたい。
それはバスが「松江大橋」にさしかかったときだった。車内には、松江大橋の工事をめぐるこんなエピソードが披露される(以下、バスガイド風の口調でお読み下さい)。
「この松江大橋の工事は難航をきわめ、何度も失敗をくりかえしますが、あるとき、たまたま通りかかった源助を人柱に立てたところ工事は無事成功・・・」
え、えーっ?!思わず叫んでしまった。というのも、「たまたま通りかかった源助を」のくだりが、あまりにもごくフツーのことといった感じにさらりと流されてしまったからにほかならない。「さすがにしょっちゅうとはいわないけど、わりとよくあるみたいだよ。たまたま通りかかった人を人柱にしちゃうみたいな。」そんな感じの軽さだ。いくらなんでも怖すぎる。
この「不運な源助」については、ラフカディオ・ハーンも書いている。それによると、どうやら「襠(まち)のついていない袴(はかま)をはいて橋を渡った最初の男が橋の下に埋められる、という決まり」があり、それにかなったのが「源助」だったというのが真相らしい。その後、ハーンが松江に滞在中、新しい橋の架け替えがあったそうなのだが、そのときにも「人柱」にまつわるさまざまなデマが流れ、おかげで多くのひとびと(おもに田舎の老人たち)がその橋に近づかなかったらしい。彼は、このエピソードを「都市神話」の類として理解している節もあるが、果たしてじっさいのところはどうなのだろう?
いずれにせよ、松江の街を歩くときにはじゅうぶん気をつけたほうがいい。
「出雲へ行くのなら、一畑電車にゆられてのんびり行くのがおすすめ」とは、地元出身のデザイナーアリタマサフミさんからのアドバイス。その理由は、二輛編成のかわいい電車が出発してすぐにわかった。車窓に延々とつづく見事な宍道湖の眺望は、まさに、湖畔をなぞるようにして走る一畑電車ならではのものだ。
海とは異なり、湖にはどこか「母性」を思わせるところがある。おだやかで深々とした「母性」をその中心に抱く土地、それが松江であり、出雲なのである。
ところで、窓上広告といえば、東京では「英会話スクール」だとか「転職情報誌」だとか、要は「あなたの人生、本当にこのままでいいの?」と焦らさせるものばかりである。もちろん、ここ神話の国でそんな不粋な広告を目にすることはない。見上げればそこにあるのは、出雲神話をモチーフとしたイラストレーション。
それにしても、一畑電車の運転手はよくはたらく。ワンマンカーの上、いまだ多くの駅が無人駅のため検札や精算をすべてひとりでこなす。ときには運転室から飛び下り、ホームでお客になにやら声をかけたりもする。おまけに、途中でスイッチバックがあるため、最後尾まで移動して運転を続けるのだ。のどかな風景の中のんびりと走る電車の運転士は、案外忙しかった。
途中一回の乗り換えを経て、約一時間ほどで終点の「出雲大社」駅に到着。
出雲大社のお膝元にもかかわらず、昭和初期に建てられたという「出雲大社」駅の駅舎は擬西洋風のモダンなつくり。壁には、ご丁寧なことにカラフルなステンドグラスまではめこまれている。
そのため、改札を出た客たちはみな口々にこんなふうに叫んでいた。
欧米か!(←ウソ。)
ちなみに、大社駅で下車した乗客たちを見回してみると、若い女性のひとり客×2、女性同士×2(うち一組は外国人)といった案配で圧倒的に女子率高し!さすがは縁結びの総本山である。なんか、ここの参道でナンパしたらめちゃくちゃ成功率高そうだなぁなんて、そんな罰当たりなことくれぐれも考えないように?!