2月です。そろそろ「花粉」も飛びはじめました。憂鬱な季節の到来です。「地球温暖化」のせいでしょうか、毎年「飛散」が前倒しになっているような気がしてなりません。
さて、昨年の9月から「試験的」に毎月第一土曜日を「禁煙デー」としてきましたが、今月より新たに
毎週土曜日を「禁煙の日」
と改めさせていただきます。その他の日につきましてはこれまで通りです。タバコの煙が苦手な方は、どうぞ「土曜日」をご利用ください。また、愛煙家の方にはご理解の程お願い致します。
以上、よろしくお願いします!
※画像は、ことしの「フィンランド航空」のカレンダー(英語版)のイラストの一部です。
原稿がいっこうにはかどらない。おかげで、バンドのメンバー(「欽ちゃんバンド」風)から新曲を二曲も催促される、という夢までみてしまった。なんてこった。
夢のなかで、ぼくはかんがえた。とりあえず一曲は、高校生のころに作ったあの曲(実話)でごまかそう。残りの一曲はぶっつけでこしらえるより仕方ない。そして、ほとんどアドリブで作ったその曲は、なぜか「クリスマスソング」なのだった(しかもご丁寧なことに「鈴の音」入り)。
目がさめてからもしばらくは、その曲はほぼ完全なまま頭の中を流れていた。とりわけイントロのアレンジが印象的である。よし、いけるっ!
なんだか原稿も書けちゃいそうな気分(なわけないか)。
店を挟み撃ちするようにして(陰謀!?)、朝から二カ所で道路工事が始まってしまいました。
よって、きょうの店内かなりやかましいです。何卒ご了承ください。
なお、道は通れますが歩きにくいのでお足元に気をつけてください(特に自転車はいったん降りないと通れません)。
以上、緊急現場レポートでした。よろしくお願いします。
朝七時に起きて「原稿」を書いたのだった。テーマがテーマ(「修業」)だったので、ほんとうに苦労した。だって修業してないんだもん。
それはともかく、午後四時のミーティングまでに「ちゃんとした」原稿を書き上げなければならない。「大先生」じゃあるまいし、「締め切り」を延ばしてもらうというワケにはゆかないのだ。なんとか昼過ぎには書き上げたのだが、ひさびさに脳ミソを使った気がする。顔のシワが増えれば増えるほど、いっぽうで脳ミソのシワは減ってゆくという「自然の摂理」に対抗するためには、やはりときにこうした「緊張」も必要である。しかしこういうときに限ってなぜか邪魔が入る。わずか数時間のあいだに書留が二回と宅配便が二回訪ねてきた。どーなってるんだ、いったい。コントじゃないんだから。
原稿を無事送りホッとしたのも束の間、思えばまたあの季節が巡ってきた・・・確定申告。憂鬱だ。
ふり返ってこれを書いているのだが、火曜日はあたたかかった。いや、あたたかいを通り越してむしろ暑いくらいだった。日なたで二十度はあったんじゃないだろうか。昼ごはんに入ったうどん屋では、まだ二月のあたまだというのに出入口のドアを開け放って営業していた。どうかしている。これもやはり地球温暖化のせいなのだろうか。moiによく来てくださるアメリカ人(←ブッシュ嫌い)のデーヴさんは、映画『不都合な真実』を観るべきだと言っている。また、あるアメリカの研究チームの報告によると「二〇四〇年夏には、北極の氷はほぼ消滅する」ともいう。二〇四〇年といったらたかだか三十数年後の話である。大丈夫なのか?地球は。
そういえば、ここのところ必ず毎年「異常気象にかんするニュース」を耳にしているような気がする。そもそも、「異常」が毎年あったら、それはもはや「異常」とは言わないんじゃないだろうか・・・。それにしても、こうやって年々着実に温暖化が進行していったとしたら、ぼくのような暑さと湿度がとにかく苦手な人間はいずれ東京には住めなくなってしまうかもしれない。庭にバナナがなっていたり、道ばたに水牛が寝そべっていたり、スニーカーの中にサソリが潜んでいたりする東京はまっぴらご免である。そんな東京を逃れ、すっかりあたたかくなってしまった北海道にでも「移転」したほうがよさそうだ。
北海道あたりの「優良物件」をご存知のかた、ぜひご一報を!連絡乞う?!
リヒテルというピアニストが、ノルウェーの作曲家グリーグのつくった小品ばかりを弾いているCDを聴いた。『Grieg: Lyrische Stucke』
グリーグというと、フィンランドの作曲家シベリウスとならんで北欧を代表する作曲家のひとりである。よって、このふたりの音楽にはどことなくおなじ種類の空気が流れているような気がしてならない。ところが、こうしてまとめて聴いているうち、そこには明らかなちがいがあるように思えてきたのだった。
何がちがうかというと、グリーグの音楽には「山」がある。「高み」から見やる「眺望」がある。湾曲した半島に絡みつく急坂があり、山あいに沈む夕日があり、眼下に広がる入江やフィヨルドにこだまする声が、ある。対して、シベリウスの音楽にあるのはひたすらに続く雪原であり、湿地であり、松や白樺が生い茂る森であって、そこでは太陽は一気に一面を照らし出す。
あくまでも感覚的な印象にすぎないとはいえ、ノルウェーとフィンランドのちがいがこんな風に、そこで生まれ育ったふたりの作曲家の音楽に刻印されていたとしても不思議はない。ちなみにグリーグはことし没後百年、いっぽうシベリウスは没後五十年、まとめ聴きするにはいい機会かもしれない。
きょう、いい話を聞いた。常連のKさんの話である。
Kさんは大学時代(といっても、わずか四年ほど前のことだが)中国の上海に留学していた。音楽好きの彼女は、留学中も日本から持ち込んだ大量のMDをスピーカーにつなげてよく聴いていたという。
秋も深まりだいぶ肌寒くなってきたある日のこと、彼女は上海にあるじぶんのアパートでいつものように音楽を聴いていた。ラベルを確認し、MDをセットして「PLAYボタン」を押す。すると、スピーカーから流れてきたのはラベルに書かれているのとはまったくちがう、ずいぶん前に放送されたメル・トーメを特集したラジオ番組だった。メル・トーメといえば、フランク・シナトラやビング・クロスビーらと並ぶ往年のジャズ・シンガー。自身もジャズを唄うというだけに、見かけによらずKさんはシブい趣味の持ち主なのだ。
雨で灰色にかすんだ上海の街を眺めながら、インスタントコーヒー片手に、しばらくKさんはその思いがけず流れてきたメル・トーメの歌声に耳傾けていたそうだ。いまでもなにかの拍子にメル・トーメを耳にすると、コーヒーの香りに包まれて雨にかすんだ上海の街を眺めたあの日のことがいっぺんによみがえり、そしてなんともいえない気持ちになるという・・・。
さて、残念でした。
話はこれでおしまい。胸を焦がすような一生に一度の恋も、異国の地で孤独に揺れる女性の心理もここには出てこない。それでも、この話を聞いて「ああ、なんかいい話だなあ」と思ったとしたら、そのひとはきっと「音楽好き」にちがいない。そう、「音楽」というのはほんらい、こんなふうに「生きられて」はじめて「聴かれた」といえるのではないだろうか?そう思えば、世の中にはこんなに音楽であふれているというのに、ほんとうの意味で「聴くことのできる」音楽はものすごく少ない。そもそも、それはさまざまな偶然が重なって思いがけず「生きられる」のであって、意図的に「生きること」すらできないのだから。
そしてKさんの話は、そんなことをぼくにあらためて思い出させてくれるものだった。
からだの疲れからか、目が冴えてやけに早く起きてしまったのだが、おかげで「とてもきれいな朝焼け(三日月つき)」を見ることができた。 asayake
しかし、こんなパーフェクトな朝焼けを見ると、ついプラネタリウムを思い出してしまう(BGMはグリーグの「朝」)というのはどこか間違っている気がしなくもない。
めでたいなぁ~。遂にホセゴンこと、Jose Gonzalez(ホセ・ホンザレス)の来日公演が決定!!!しかも、たった一日限りの日本公演の日が・・・火曜日(=moiの定休日!)。というわけで、もちろんチケット予約しましたさ。ニシムラさん、情報ありがとうございます!
ちなみに「ホセゴン」の正体はというと、素晴らしい歌心あふれるアルゼンチン系スウェーデン人のシンガーソングライター。去年、サンフランシスコの坂道を二十五万個の「スーパーボール」が転がり落ちるSONY(UK)の「BRAVIA」のCFに起用されて一躍脚光を浴びてました。
ライブ、楽しみだぁ。
お店を続けていると、ときどきこんなことに遭遇する。それまでちょくちょく顔を出してくれていたお客様が、ある日を境にパッタリ姿をみせなくなってしまうのだ。
moiをオープンする前、bar bossaのはやしさんから聞いて印象的だったのは、「短いあいだに頻繁に来店されるお客様は往々にして定着しない」という「教え」(?)である。はたして、その通りだった。いちど来店された後、しばらく週に一、二回といったペースでお店に足を運んでくださるようなお客様がときどきいらっしゃるのだが、そうしたお客様の場合、たいてい一、二ヶ月もするとまったく姿を現さなくなってしまう。こういうお客様は、いわゆる「熱しやすく冷めやすい」といったタイプなのだろう。なにかあたらしい対象へと、彼(彼女)の興味が移ってしまったにちがいない。
いっぽうで、そんな頻繁とはいえないまでも、たとえば月に一回くらいの割合でずいぶんと長いこと通ってくださっているようなお客様もいる。こういうお客様が、あるとき急に姿をみせなくなってしまったとしたら、これはもう相当に気になるのである。引っ越してしまったのだろうか?それとも体調でも崩されているのだろうか?もしかしたら、なにか失礼なことでもしたのだろうか?などといろいろ考えてしまうのだ。
ところで、先日ラストオーダーぎりぎりに飛び込んできたのは、そんなしばしば通ってきてくれているお客様のひとりで、仲のよい若いカップルだ。会話をしたことはないけれど、たいていは週末にふたりで、月に一、二回のペースで足を運んでくださる。いつもと様子がちがうのは、店に入るなりデジカメで写真を撮ったりしていること、あとは注文するのにずいぶんと迷っていることだろうか。オーダーを受けたメニューをひととおりお出ししてしばらくすると、「実は・・・」と男性が声をかけてきた。
話によると、そのお客様は翌日引っ越しを控えていて荻窪を去ることになったのだという。でも、moiのことがたいへん気に入っていたので最後に絶対来ようと、引っ越し前夜の慌ただしいなかふたりして足を運んでくださったとのこと。なるほど、そうだったのか。写真を撮ったり、注文を決めるのに悩んでいた理由がこれでわかった。そして、声をかけてくれたことをとてもうれしく感じたのだった。だって、もしこの二人がある日姿をまったくみせなくなったとしたら、きっと気になって仕方ないと思うから。
まだしばらくは荻窪を訪れる必要がありそうなので、そのときにはきっと立ち寄ります。そう言い残しておふたりは帰っていった。お元気で。また会いましょう。
PS.「記念撮影」ということで一緒に撮っていただいた写真。ノリで応じてしまいましたが、やっぱり照れくさいのでぜひ「消去」しておいてください(笑)。
ちかごろやけに、moiの前で立ち止まるひとが多い。なので、ぼくはもしかしたら最近もっともよく「立ち止まるひと」を見ている人間のひとりと言えるかもしれない。
そんな「立ち止まるひとウオッチャー」であるところのぼくがみるかぎり、「立ち止まるひと」は往々にしてつぎのような一連の動作をとるものである。つまり、
歩みを止める→中をのぞきこむ→上を見上げる→ふたたび歩きだす
である。これを、「笑い」について分析したフランスの哲学者アンリ・ベルグソンよろしく「分析」してみると、
発見→確認(1)→確認(2)→諒解
となる。つまり、
なんじゃこりゃあああ→ああ、なるほどね→フーン
と置き換えられる。ところが、「確認(1)」が「諒解」に結びつかないため、moiの前で「立ち止まるひと」の多くはさらなる「確認」=上を見上げるという行動に出るわけだ。「なんじゃこりゃあああ」のままでは終われないという意識が、ひとを見上げさせる。
そこからもうひとつわかるのは、「立ち止まるひと」の多くは入り口の上部にお店を説明するなにものかがあると認識しているということである。そしてそれが、しばしば彼らの「なぞ」を解決する糸口になりうるということを彼らは経験的に知っているということにほかならない。かんたんにいえば、
肉屋の「上」には「肉」と書いてあるし、クリーニング屋の「上」には「クリーニング」と書いてある
そう理解しているのだ。じゃあ最初に上を見上げればいいじゃないかと思わないでもないが、ひとは得てして「奥ゆかしい生き物」なのでそうはしないのである。
話を戻すと、moiの前で「立ち止まるひと」は中をのぞき込んでもそれが「何屋」であるかわからないので、やむなく次なる確認として上を見上げることになる。しかしながら残念なことに、moiの入り口の「上」にはなにもない。場合によっては、大家さんが干している布団が目に入るだけ、である。したがってmoiの前で「立ち止まるひと」の多くは、確認の手だてを奪われ、みなどこか悲しげな表情でその場を離れてゆく。
それならば、
「うなぎ」
と「上」に書かれていたとしたら彼らはそれで「納得」してしまうのだろうかなどと、どうでもいいようなことを考え実験してみたくて仕方ないわけだが、そうなると場合によってはmoiで蒲焼きを焼かなければならなくなるので、「立ち止まるひと」を眺めては「おっ、上を見てる、見てる」などとつまらないことに感心するにとどめている。
余談だが、常連のデイヴさんは「立ち止まったひとからチャージもらえば?」などと言う。なるほど!グッドアイデア!売上倍増必至、である。
以前お知らせしましたが、雑誌『カフェ&レストラン』での連載コラムがスタートしました!
タイトルは「カフェをやるひと、バーをやるひと」で、渋谷のおしゃれなバールbar bossaのマスター林伸次さんとぼくとが、毎回ひとつの「お題」についてそれぞれコラムを書きます。続けてゆくなかで、「カフェをやるひと」と「バーをやるひと」の物の見方、考え方の違いが際立ってゆくようだと面白いのですが、はたしてどうなることやら・・・。キャッチボールを楽しむように、おたがいの投げるボールの感触を確かめながらよい連載にしてゆきたいと思っています。
第一回となる今回は、とりあえず自己紹介的なニュアンスもこめて「ちいさなお店にこだわる理由」というテーマでお送りします。「東京」というどデカい都市を舞台に日々「ちいさなお店」で孤軍奮闘しているマスターふたりが、それでもやっぱり「ちいさなお店」が好きな理由を語ります。
そしてもうひとつ、この連載でぜひチェックしてほしいのはイラストレーター日置由香さんによるイラストです。ページの余白からストーリーがこぼれ落ちてきそうな、ウィットに富んだすてきなイラストが毎回この連載にリズムを与えてくれそうです。全体をキリッと引き締めてくれるサンク・デザインの保里正人さんによるページレイアウトにも注目です。
ほかにも、watoさんとcactus408のizumiさんによる楽しいイラストが盛り沢山のレシピページ「cafe『&R』」や、Kino Igluの有坂さんによる連載などなど読みどころ満載です。また特集ページには、ぼくのお気に入りの荻窪の洋食屋Blue Bellさんも登場していますよ。
本屋さんなどでみかけたら、ぜひ手に取ってみてください!
Talvi tuli(冬が来た).
一日中つめたい北風が吹いたきのう、フィンランド語のリーサ先生がそう言いながらmoiに入ってきた。確かに。ことしの冬は、冬と呼べるような日がないまま春に突入しようとしていたから。
「じゃあ、あしたは雪が降るかもね」などと冗談を言っていたら、雪こそ降らないものの、けさの東京は0.2度でこの冬一番の寒さだとか。なるほど、顔がこわばるような寒さはことし初めての気がする。
でも、こういうピリッとした寒さは嫌いじゃない。むしろ、冬はやっぱりこうでなくっちゃねとさえ思う。身が引き締まるようなフィンランドのあの空気を思い出し、かえってうれしいくらいだ。みんながからだを縮こまらせて足早に歩くようなこの寒さも、こんな調子で楽しめてしまうのだからまったくフィンランド好きでよかった・・・。
とするならば、あの鬱陶しい日本の夏を気持ちよく過ごすために、とりあえずバリ好きにでもなってしまうというのもアリなのだろうか?!
この時期ホットな話題といえば、まちがいなく(!?)花粉症の話である。べにふうき茶がいいらしい(フィン語教室のmacoさん情報)とか、「ふき」をアク抜きせずに食べるとけっこう効くようだ(イラストレーターの早川さん情報)とか・・・。とにかく、この時期「花粉症」に苦しむ人はおなじ境遇にある人に対して「同志」、あるいは「戦友」のような感情を抱くものだ。もしもの話だが、道にふたりの人が倒れていて、しかしそのうちのひとりしか救うことができないとしたら、ぼくは迷わずマスクをしている方を助けることだろう。じゃあ、万が一そのうちのひとりがハセキョーだったら?もちろんハセキョーを助ける(マスクをしていなくても)。なにごとも、ケース・バイ・ケースに考えるべきだと思う。ちなみに石原慎太郎都知事は、おととし花粉症を発症したとたん突如として問題意識にめざめ花粉症対策の急務を声高に唱えるようになった。いい傾向である。東京オリンピック(への出馬)を中止して、そのぶんの予算をすべて「花粉症対策」につけかえるなら、ぼくの清き一票を彼に投じてもよいのだけれど・・・。人気低迷にあえぐ安倍総理も、この点にさえ注目すれば支持率30%アップもかたくない。有能なブレーンが不在なのだろうか?花粉症だとカミングアウトするだけで、会議では無理だと思っていた企画が通り、タクシーは真面目に最短ルートで走り、定食屋では頼みもしない小鉢がサービスでついてくる。とにかく、いまこの時期、世の中を動かしているのは「花粉症」である(・・・なわけないか)。
フィンランドのうまいものはカレリアにありというわけで、昨年もこちらのブログにてご案内させていただいた、西尾ひろ子さん主催による『カレリア~お料理の旅』がことしも開催されます。
この旅は、毎年フィンランドのカレリア地方にある風光明媚な村ヴオニスラハティに滞在し、フィンランドのすばらしい自然を満喫しながら美味しい料理の数々を学んでこられている西尾ひろ子さんによるプライベート・ツアーですが、フィンランド大好きなmoiのお客様にもぜひ体験していただきたく、昨年よりブログ等にてご案内させていただいているものです。
ことしは、「すばらしいフィンランドの夏をぜひ知ってもらいたい」という村長さんの強いリクエストにより五月下旬の開催となりました。滞在中の「お楽しみ」は以下の通り:
◎ サリ・タスキネンさんによる「お料理教室」。フィンランドでもっともおいしい(?)カレリア地方の家庭料理の数々を、一緒に作りながら満腹になるまで満喫できます!
◎ フィンランド人にとっての「原風景」ともいわれるコリ国立公園を、船で湖を渡って訪れます。
◎ ピエリネン湖での魚釣り、彫刻家エヴァ・リューナネンのアトリエやバーテリ教会訪問。
◎ 村の小学校を訪問し、子供たちや村の人々と交流を深めます。
もちろん、他にも盛り沢山のツアーです。
日程は、
5/25[金]出発 成田より、ヘルシンキ経由でヴオニスラハティへ。
26[土] ヴオニスラハティ
27[日] 同上
28[月] 同上
29[火] 同上
30[水] ヴオニスラハティからヘルシンキへ移動。ヘルシンキ泊
31[木] ヘルシンキから夕刻発のフィンランド航空で成田へ。
6/1[金] AM成田着
となります。
このツアーについてぜひ詳しくお知りになりたいという方は、より詳細な内容が決定次第、西尾ひろ子さんよりメールにてご案内させていただきますのでmoiまでメールをお送り下さい。