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11月のれんらく帳
2005.11.1|info

11月です。ヘルシンキでは、すでに初雪も降ったとのこと。一歩一歩、季節は冬へとむかっています。でも、そのぶんコーヒーがおいしい季節です。

今月は、毎月曜日(7日、14日、21日、28日)、そして1日[火]、29日[火]をお休みとさせていただきます。28[月]・29[火]は連休となりますので、お間違いのないようよろしくお願いいたします。

また、来週からmoiでは3つ展示が続きます。

◎ 11/ 8[火]~20[日]
 小野寺真理『My Planet 2005』 シルクスクリーン、ステンドグラス
◎ 11/22[火]~27[日]
 山之内晶子 個展
◎ 11/30[水]~12/11[日]
 moeとおいしい仲間たち クリスマスカード展

ぜひお楽しみに!なお展示期間中、週末は時間帯によって混雑が予想されます。可能な方は平日のご来店をおすすめします。

では、今月もmoiでお目にかかりましょう!

こどもの絵
2005.11.2|book

こどもの描く絵がすきだ。それは、たとえば街でこどもの絵をあしらったジャケットのレコードなどを見かけると、内容にかかわらずついつい手にとってしまっている自分に気づくといった調子だ。

こどもの絵には「味」がある。「ヘタ」ではない、「味」である。「下手」というのは、いっぽうに「上手」という意識があって、それに対して「ヘタだ」ということにほかならない。けれども、無心に描くこどもにあって「上手」という意識は存在しない。だから当然「下手」も存在しない。すべからく「味」である。たとえば「ダダ」と名乗るひとびとは、この「味」に芸術的価値を見ようとした一群であったろう。けれどもその「試み」が成功しているとは言いがたい。というのも、かれらが描く絵はたいてい分別のある大人が作為的に「下手」に描いた絵にしか見えないからだ。こどもの絵は、こどもにしか描けないところに価値がある。

このあいだ、一冊の古本をみつけた。『子どもの絵-成長をみつめて-』という本だ。東山明と東山直美というひとの共著である。読み始めてまもないのだが、読んでいていろいろと発見があった。

まず、こどもの絵の表現をとおしてその発達過程をみてゆくと、成長までにいくつかの段階があるという。その過程は、あるいは「味」から「下手」へともいいかえられるかもしれない。はじめの段階は「なぐりがき」である。これはこれで「味」がある。つぎにあらわれるのは「円や線」だ。円と線だけで描くもっとも原初的な人物画(たいていは「おとうさん」だったり「おかあさん」だったりする)はこの時期に登場する。そして「認識力」の段階がつづく。数の認識が絵に反映されるようになるのがこの時期だ。「下手」の芽生えかもしれない。「正しい認識」イコール「正しい絵」という「ものさし」が、おとなから押しつけられるようになるからだ。あとは「空間関係」、「自己主張」、「写実・客観性」そして「持続力」へとこどもの絵は《発達》を遂げてゆく。

ここでぼくがおもしろいと思ったのは、「認識力」の段階である。「数」をおぼえることで、こどもは、それまで三本だったり七本だったりした手の指を「指は五本」という認識にしたがって絵を描くようになる。けれどもここがいかにもこどもらしいところなのだが、こどもの認識力はじぶんが興味をもったものごとにしか向けられない。

それは、この本に登場するK子(四歳九ヶ月)が描いた「おとうさん」の絵である。指は両手ともにきっちり五本ずつ描かれている。ところが、だ。どうしたことかK子は、「おとうさん」のスーツのボタンを「20個ぐらい」描いてしまったのだった。どういうスーツなんだ。K子にはボタンの数は興味がなかった。そういうことなのだろう。すごいじゃないか、これぞ「こども」だ。「興味ないしー」とか言って無視しようとする「おとな」はすくなくないが、興味がないからといってボタンを20個も描いてしまう、それが「こども」の底力である。

分別あるおとなであるところのぼくとしては、こどもの絵に対してはこう言うほかない。こどもの絵はパンクだ。

X'masリース展@WILL cafe
2005.11.3|event

あまり考えたくはないのだけれど、今年も残すところあと二ヶ月です。そしてその前には当然「クリスマス」もやってくるわけで。

今年こそあたふたせず穏やかにクリスマスを迎えたいという方、国立のWILL cafeで8日[火]からひらかれる「Yukiko Masuda クリスマスリース展」(~11/20(sun))に行かれてみてはいかがでしょう。

フラワーアーティストの増田由希子さんが、「すこしずつ拾いあつめた自然のカケラ」を使ってつくるすてきなクリスマスリースやオーナメントの数々。あったかい香り漂う優しい空間に、一足はやく手作りのちいさなクリスマスがやってきます。

会期中は、WILL cafe×増田由希子による"お菓子とオーナメントのコラボ作品"も登場予定とのこと。そろそろ気分をクリスマスモードに、なんて考え中の方、ぜひこの「クリスマスリース展」でいいスタートを切ってください。

なお会期中に限り「日曜日も営業」とのことですので、日頃なかなか訪れるチャンスがないという方もこの機会にどうぞ。場所、営業時間などはWILL cafeのWEBサイトをチェックされてみてください。

80日間世界一周
2005.11.4|music

ジェラルド・ウィギンズというひとについてはなにもしらないが、映画『80日間世界一周』の音楽をピアノトリオ編成のジャズアレンジで聴かせてしまうという粋な企てにのせられて、思わず手にした一枚。

ジャズの演奏家のなかには、オーディエンスに対しても真摯な態度でその音楽と接することを要求するタイプが存在するいっぽうで、オーディエンスのざわめきやその場の空気までをも味方につけてしまう、そんなタイプもまた存在するようにおもう。このレコードをきくかぎり、ジェラルド・ウィギンズというピアニストはどうやら二番目のタイプであるらしい。

ヴィクター・ヤングのスコアによる有名なテーマ曲も、ボールルームの優雅さを思わせるようなオリジナル・ヴァージョンに対して、ここにきかれる音楽はもっとエネルギッシュで、ひとびとの歓声が波のようにわきおこる週末のカジュアルなレストランバーを思い出させる。スタジオレコーディングであるにもかかわらず、ウィギンズたちの演奏がライブのような臨場感を感じさせるのは演奏家としてのかれらのスタンスのあらわれであるにちがいない。

ヴィンス・ガラルデイとおなじくらい、理屈ぬきでたのしい心おどらせるジャズがそこにある。

インカの絵
2005.11.5|art & design

これはインカの絵。当時3歳だったフィンランド人の女の子、「インカ」が描いてくれたものだ。

顔のように見えなくもないが、顔ではない。なにかというと、森と湖、夏のフィンランドの風景を描いている。そのときぼくら大人たちは、「ケサモッキ」と呼ばれる、フィンランド特有の素朴なサマーハウスについて話していたのだった。そのかたわらで、インカがおもむろに描きだしたのがこの絵だ。どうやら左はしの黄色い四角形が「ケサモッキ」であるらしい。

描きおわったこの絵をインカはプレゼントしてくれたのだが、じつはこの絵は「完成品」ではない。いや、もらったときはたしかに「完成品」だったのだが、すっかり「完成品」ではなくなってしまったと言うべきだろうか。なんか禅問答のようになってきたが、そうなのだ。そうとしか言いようがない。

その絵は最初、濡れていた。正確に言うなら、「濡らした絵」をくれたのだ。つまり「湖を描いたのだから、それは濡れていて当然だ」、そうインカはかんがえたのだろう。だからって本当に水で濡らすことはないだろう、そう思わなくもないが、そこがこどもの発想のすごいところである。かつてダリは「ロブスター柄のTシャツをつくって、本物のマヨネーズをつけて売ろう」と仲間たちに提案したそうだが、そうなるとダリはこどもで、こどもはダリなのかとますます禅問答めいてくるのだが、そんなことはまあどうでもいいことである。ただ、パフォーマンスという名前の「作為」がないぶん、こどもの絵のほうがずっとインパクトがあるとかんがえてしまうのはぼくだけだろうか。

そのインカもいまや7歳、小学生である。パワフルな「味」が、彼女の絵から消えていないことを祈るばかりである。

数字にみるフィンランド?!
2005.11.6|finland

家に帰ったら、テレビで倖田來未というひとが97万枚もCDが売れたのにチャートの第一位になれなかったと悔しがっていた。

それにひきかえ、このあいだ紹介したフィンランドのバンド「Quintessence」は、CD8,000枚を売り上げただけで国内チャートの第8位になったらしい。

いかにもフィンランドの小ささを如実に物語るデータではある。

コーヒーなみなみ問題
2005.11.7|cafe

なぜmoiでは、カップになみなみとコーヒーが注がれてでてくるのか、という問題です。

なんか飲みにくいなと感じているかたもいらっしゃるかもしれませんが、はじめにひとくち、ストレートで味わっていただきたいからというのがその答えです。といっても、べつにコーヒーに砂糖やクリームを入れないでほしいと言っているワケでは、断じてありません。お好きなようにたのしんでください。実際ぼくだって、ときには気分次第で砂糖やクリームを入れて日々のコーヒーをたのしんでいるのです。

とはいえ、コーヒーの味は千差万別です。酸味の強いもの、苦みの強いもの、すっきりとしたもの、濃厚なもの・・・。おそらく、ふだん砂糖やクリームを使われるかたは習慣的に、あるいはほぼ無意識のうちに一杯のコーヒーに対して使う砂糖やクリームの量を決めていらっしゃるのではないか、そんな気がします。けれども、その味に少なからぬ幅のあるコーヒーに対して、たとえば「角砂糖をふたつ」といったモノサシでは、つねに安定して「じぶん好みの味」をつくりだすことは容易ではないはずです。

ところが、moiではなみなみとカップにコーヒーがつがれているため、いきなり砂糖やミルクを入れると、場合によってはコーヒーが器からあふれてしまいかねません。そこでやむなく、最初にひとくちだけストレートでコーヒーを口にふくむことになります。「あ、わりとスッキリしてるな」とか「お、けっこう苦いな」とか。そして、そんな「味」の印象をいったんつかんでいただくことが、なにより「じぶん好みの味」をみつけるための近道だと思うのです。「いつもよりほんのちょっと砂糖を少なめにしよう」とか「クリームは多めのほうがよさそうだな」とか、いろいろ調節してみるたのしさもそこにはあるかもしれません。いままでその味にピンときていなかったコーヒーも、ちょっとした配合のバランスで好みの味に変わってしまう、そんなことだってあるのです。

というわけで、moiではコーヒーがなみなみ、なのですね。でも「なみなみ」すぎて、席まで運んでゆく途中、勢いあまってすこしこぼしてしまうことがときどきあります・・・スイマセン・・・。

小野寺真理作品展《My Planet 2005》
2005.11.8|event

小野寺真理さんの作品展《My Planet 2005》がはじまりました(20日まで)。

一昨年の秋につづき、moiでの小野寺さんの作品展は2回目となります。前回も登場した「国旗シリーズ」や「ゴリさんシリーズ」の新作にくわえて、今回はステンドグラスの卓上ランプやオブジェ、ドールハウスなども展示されています。

ポップでヴィヴィッドな「小野寺ワールド」をぜひお楽しみください。

会期中、週末の午後の時間帯を中心に混雑が予想されます。平日、あるいは時間帯をずらしてのご来店をおすすめいたします。

「酉の市」へ行くときは
2005.11.9|column

ことしもそういう季節になった。「酉の市」である。

たしか去年も書いた気がするのだけれど、「酉の市」は物心ついたときから毎年欠かさず通っている、ぼくにとっていわばもっとも親しみぶかい年中行事のひとつといえる。商売人というわけでもないのに、なぜだか「酉の市に行くこと」はわが家の重要なイベントになっていた。そして子供の時分のぼくにとって、「酉の市に行くこと」はイコール境内に立つ「見世物小屋」とお詣りの後の「外食」であった。毎年「酉の市」を心待ちにしていたのも、まさにこのふたつがあったればこそ、である。

それが「商売人」になって、ぼくにとって「酉の市に行くこと」の意味もだいぶ変わった。切実になった、ともいえる。店を出してからは、それまでの新宿にかわって鎮守の神様である「天沼八幡」の「大鳥神社」に出かけるようになった。それでもやはり、「ささやかな楽しみ」としてお詣りの後にはどこかで食事を済ませてから帰るのだけは相変わらずだったけれど。

ことしも、「一の酉」だったきょう、店を閉めてから「酉の市」へと出かけるつもりでいたところ、お客さまのおばあちゃんの口からある衝撃の事実(?!)が告げられたのだった。いわく、「『お酉さま』で熊手を買ったらね、寄り道なんかしないでまっすぐ家に帰らなきゃダメよ。寄り道するとね、せっかくの「福」をそこに置いてきちゃうことになるからね」。ガーン!!!というわけでおばあちゃんも、買った「熊手」をいったん家に戻って置いてから、わざわざmoiに来てくださったのだという。いや、べつに帰り道に寄ってもらっても全然よかったんですけど・・・などと心のなかでつぶやきつつ、そうか、そうだったのか、道理でね、と妙に納得してしまったのだった。

そんなこんなで、当然まっすぐ帰りましたよ、家に。授かったばかりの「熊手」をしっかり抱きかかえるようにしてわき目もふらずに。でも、そんなときに限って魔が差すとでもいうか、不意にビデオが借りたくなったり、コンビニでなにか買わなきゃいけないような気になったりしてまったく油断もスキもあったもんじゃない。あぶないあぶない。邪念を払い払いしながら無事、家に到着!

さてさて、驚愕の新事実に揺らいだことしの「酉の市」、果たしてそのご利益やいかに。

北欧 白夜の湯
2005.11.10|column

北欧ブームもついにここまできたか。正直な感想である。

その入浴剤の袋には、大きくこう印刷されているのだった。「北欧 白夜の湯」。袋には雪のつもったログハウス風の建物とモミの木のイラストが、さらにご丁寧なことに屋根の上にはサンタクロースまで描かれている。それだけでも、もうじゅうぶんすぎるほどのインパクトだと思うのだが、そんな程度ではゆるしてくれない。とにかく、ベタな北欧のイメージをこれでもかとばかり押しつけてくるのだ。「雪白 ユキノシタ成分配合」と書いたさらにその横には、わざわざ「ホワイトスノーの色」と念が入っている。ただひとこと言わせてもらえば、横文字に直せばいいってもんでもないだろう、そう言いたいところだ。

ためしに裏をみると、これまた気になる部分に気づいてしまった。「北欧 白夜の湯(愛称)」とある。この「(愛称)」がいかにも意味ありげだ。おそらくは、「登別の湯」とか「草津の湯」みたいに北欧のどこかに「白夜の湯」という温泉郷があって、金髪の老若男女がおそろいの浴衣姿で温泉まんじゅうの湯気の中そぞろ歩いているものと思いこんでしまう輩がいるんじゃないかという配慮からそうしているにちがいないが、はたしてそんな輩がほんとうに存在するのだろうか。よくわからない。フィンランドの地図に「温泉マーク」があったら、まあ、それはそれでうれしくないわけではないけれど。

ただ、たいがいブームとよばれるものがそうであるように、ここにもまたイメージ先行から生じる誤解が存在する。この「北欧 白夜の湯」の袋には「静寂の色と香りでくつろぎ星空入浴」とも書いてあるのだが、残念なことに「白夜」には「星空」は見られない。白夜なんだから。あえて言うなら「北欧 極夜(きょくや)の湯」となるのだろうが、はっきりいってそんな湯はイヤだ。

とはいいつつも、「白夜の湯」につかりながら思わず「はぁ~極楽、極楽」などとつぶやいてしまうぼくに、「ゲイシャチョコレート」をわらう資格はない。

シベリウス歌曲全曲演奏シリーズ 3
2005.11.11|music

ピアニストの水月恵美子さんから「シベリウス歌曲全曲演奏シリーズ第3回」のごあんないをいただきました。

このコンサートはピアニストの水月さんとメゾ・ソプラノの駒ケ嶺ゆかりさんが、シベリウスがのこした歌曲を数年がかりで全曲演奏してしまおうという意欲的なシリーズです。第3回目となる今回は、シベリウスが「都会の喧噪を嫌って」ヘルシンキから郊外のヤルヴェンパーへと住まいを移した時期に作曲されたふたつの歌曲、「5つの歌op.38」「6つの歌op.50」が演奏されます。とりわけ「5つの歌」は「秋をテーマとした作品」ということで、いま、この季節にこそ耳にしたい作品といえそうです。

演奏をする水月恵美子さんは、桐朋学園大学を卒業後、フィンランド政府給費留学生として「国立シベリウス音楽院」に留学、フィンランドを拠点に活躍するピアニスト舘野泉さんに師事し同校のソリストコースを最優秀の成績で修了、フィンランドのサヴォンリンナ音楽祭、シベリウスウィークをはじめ国内外で活躍されています。ちなみに水月さんは、ときどき顔を出してくださる「moiのご近所さん」でもあります。駒ケ嶺ゆかりさんもまた、フィンランドで舘野泉さんそしてマリア・ホロパイネンさんに師事し北欧歌曲のエッセンスをたっぷり吸収してきた、いわば北欧歌曲のオーソリティーといえる方。フィンランドの「空気」をよく知っているおふたりだからこそ、シベリウスの音楽への理解もいっそう深いものがあるはずです。

コンサートは、11/27[日]13時半から東急東横線「学芸大学」駅下車徒歩10分の「華空間」にて開催されます。コンサートの詳細、ご予約は「華空間」WEBサイトにてぜひご確認ください。

グロギ
2005.11.12|finland

フィンランドをはじめ、北欧の国々でおなじみのクリスマス・ドリンクといえば「グロギ(グロッグ)」です。

かんたんに言えばスパイシーなホットワインということになるのですが、ワイン以外にもウォッカやアクアヴィット、マデラ酒を加えたり、ジュースをつかったノン・アルコールのものがあったり、またスパイスの種類もまちまちだったりして、いろいろなレシピにあたってみても「これが正しいグロギです」という答えにはたどりつけません。

じつは去年のいまごろも、季節のメニューとしてノン・アルコールの「グロギ」をだそうと思い試作を重ねてはみたものの、どうも納得のゆくものができずけっきょく止めてしまったのでした。

そして、ことしもまた思い出したかのように「グロギ」の試作をはじめました。先日は、リサーチがてら(?!)はじめて「moomin Bakery and Cafe」をたずね「グロギ」を飲んできました(画像)。

まあ、あまりレシピにはこだわらず、moiオリジナルのグロギをつくるつもりで試行錯誤してみたほうがよいのかな?と、いまはそんな感じです。無事完成のあかつきには、近々メニューにもおめみえすることでしょう。

小野寺真理作品展、あと一週です
2005.11.13|event

にぎやかに開催中の小野寺真理作品展『My Planet 2005』も折り返し地点、残すところあと一週間となりました。

自他ともに認めるゴリラ好きの小野寺さんですが、なんでも創作にあたっては「ゴリ神様」が降りてくるのだとか・・・は、はぁ・・・。たしかに、見事なゴリっぷり(?!)です。ゴリラの体のラインなどは、まさにゴリ好きにしか表現できないリアルさを感じます、ハイ。

というわけで、お時間のある方はぜひ「小野寺ワールド」で楽しんでいただきたいと思います。なお、週末の土曜、最終日となる日曜日は時間帯によって混雑が見込まれますので、ご都合のつくかたはゆっくりご覧いただける「平日」のご来店をおすすめします。

模様のようなイラスト展
2005.11.14|art & design

御茶ノ水のカフェ「STYLE'S GOOD FOOD SERVICE」ではじまった、イラストレーターひらいみもさんの作品展『雪の毛布』をみてきました。

みもさんの展示は、去年ここmoiでも作品展『森のカモメ』がひらかれているので、憶えていらっしゃる方も多いかもしれません。

今回の展示では、「模様のようなイラスト展」というサブタイトルが物語るとおり、いつものおだやかさはそのままに、より簡潔なうつくしさへの意志を感じさせるような作品が並んでいます。みもさんによると、制作にあたっては会場である「STYLE'S」さんがもつ独特の《強い空間》を意識して、遠めに眺めてもパッとわかるようなシンプルな構図にこだわったのだそう。まるでそれらの作品が、ずっとむかしからそこにあったかのように見えるのはきっとそんな繊細な心配りがあってこそ、なのでしょうね。

ひらいみもさんのすてきな作品に触れて、心の冬支度もすこしだけ進んだような気がします。みなさんもぜひ。展示の詳細については、コチラをごらんください。

ところで、きょう「STYLE'S」さんを訪ねたのは夕方のこと。みもさんは昼過ぎにお帰りになったとのことでお目にかかれなかったのですが、なんと、水道橋へと向かう道の途中でむこうから歩いてくるみもさんと偶然にも遭遇!!!こんな偶然もあるんだねぇと、おたがいビックリでした。そういえば、去年フィンランドへ行ったときにも偶然にもフライトがみもさんご夫妻と一緒だったりと、なにやら不思議なご縁を感じます。

いろいろな意味で、やばい
2005.11.15|column

じぶんの書いた字があまりにきたなすぎて、買い物に出たのはよいけれど、肝心の「買い物メモ」が判読不能。

どうやら「○ース」と書いてあるらしいのだが、「ソース」でも「ムース」でも「ジュース」でもない。じゃあ、いったいなんだ?スーパーの真ん中で、メモをじっとにらんでしばし考えてはみたものの、「答え」がどうにも思いつかない。やむなくほかの買い物だけして戻ってきたのだが、いまだにわからない。かといって、いまのところ買い忘れて困ったということもない。

いったいなに書いたんだ、オレ?

中央線雲!?
2005.11.16|column

環状八号線、いわゆる「環八」が通るここ荻窪近辺は、むかしから《環八雲》とよばれる公害の一種が出没することでもしられている。そして、この夏、世田谷~杉並一帯に水害をもたらした記録的な集中豪雨についてもまた、この「環八雲」との関係が云々されている。

で、この雲である。

この日の朝7時ごろ撮影した写真なのだが、これはいわゆる「環八雲」ではない。「環八」とは直角に、ちょうど「JR中央線」の線路に沿って東西方向にのびている。あえていうなら《中央線雲》!?

見渡しても、ほかにはまったく雲が見当たらないのに、なぜか屋根のような帯状の雲がずーっとのびていてただならぬ印象を受けたので、とりあえず写真におさめてみた。秋はいろいろな雲が出現するのでおもしろいといえばおもしろいのだが、そのぶん不穏な印象の雲も多くなるのでまぎらわしい。

あ、とりあえずmoiのCDプレーヤーはいまのところふつうに動いていますので。

ヒッピ
2005.11.17|finland

アールトが動いた!アールトがしゃべった!ってなにかの宣伝みたいだが、そうじゃない。フィンランドの放送局、YLEのサイトでみることのできるアルヴァー・アールトのインタヴュー動画の話だ。

この情報は、サルミアッキとビールを愛する謎の東洋人サルミアッキネンさんからおしえていただいたのだが、この動画がみられるYLEのアーカイヴはかなりおもしろい。くだんのインタヴューは1962年7月2日のニュース番組からの映像で、よくわからないがフィンランド・アカデミーの会長への就任がきまったことかなんかをしゃべっているのだろうか?内容はともかく、アールトが動いている、アールトがしゃべっている、ただもうそれだけで感無量(?!)である。言葉がわからないぶん、あ、笑ってる、笑ってるよ、とかヘンなところに感動のツボがあるのだった。

また、1948年のヤン・シベリウスのインタヴューである。さすがにこちらは音声のみだが、当時83歳のシベリウスは「生涯に眉間に7本のシワを刻みつけた男」の名に恥じないくぐもった声で訥々と語っている。テンション、低いぞー。

だが、個人的にもっとも注目したいのは60'sフィンランドのヒッピー・ムーブメントにかんする映像である。そうか、ヒッピーの波はやはりフィンランドにまで到達していたのか。まちがいなく、この国はヒッピーが生息する最北端だったはずである。いったい、フィンランドのヒッピーの生態はどんなものだったのか。だいたいこんな北国で、ケルアックの『路上』よろしく放浪生活をしていたら、待ち受けているのは確実に「死」である。凍死。あるいは、夏のあいだだけ期間限定でヒッピーだったりするのだろうか。気になるところだ。

それはともかく、ひとつ《発見》もあった。「ヒッピー」はフィンランド語で「Hippi(ヒッピ)」という。ヒッピ、である。長靴下でもはいてるのか、おまえは。

手触りのあるCD
2005.11.18|music

そのうち「本」はこの世から姿を消すだろうなんて、まことしやかにいわれていた時期があった。アナログレコードがCDにとってかわられたように、「本」もまた、紙にかわる記録メディアの普及にともないその形態を変化させざるをえないだろう、そんな話だったようにおもう。たしかに、現代は「本」が売れない時代といわれる。けれども、それはたんに「活字離れ」のせいであって、「本」がなにかべつのメディアにとってかわられたせいではない。その証拠に、「本」はいきている。

おなじように、ituneをはじめとするネット上の音楽配信が普及すれば、やがては「CD」というメディアは姿を消すだろうという意見もある。たしかに、一曲単位でいながらにして買い物ができてしまう音楽ダウンロードは便利にはちがいない。では、いずれすべての音楽がネット上で流通するようになり「CD」というメディアが存在しなくなるのかといえば、ぼくはそうはおもわない。なぜなら、「本」にも「CD」にも手触りがある。そうしてぼくらは、その手触りこそを愛しているからだ。「イタリア人って、人の手を介したものにしかおカネ出さないんだよぉ」と、ミラノ在住のイラストレーターで詩人のふじわらいずみちゃんは言っていたけれど、それはとてもまっとうな精神だとつくづく思う。他人が淹れてくれるコーヒーがおいしいのも、またおなじ理由。手のぬくもりや手触りのないものに、ほんとうの意味での愛着を感じることはできない。すくなくともぼくはそうだ。

すっかり前置きが長くなってしまったけれど、このコンピレーションCD『わたしとボサノバ』にはたしかに「手触り」が、ある。

これは、あまたあるボサノヴァのコンピレーションCDのひとつであることにちがいはないけれど、決定的になにかがちがうとすれば、それは名曲をただ羅列したり、こと細かな説明文をつけたりすることでボサノヴァの魅力を伝えようとするものではないというところにある。じっさい、このCDにはジョアン・ジルベルトやナラ・レオンのポートレイトも、ボサノヴァの歴史や秘密のエピソードも一切ない。かわりにあるのは、フードコーディネーター松長絵菜さんの手による何枚かの写真と、ボサノヴァの名曲からその名をとった『おいしい水』というタイトルのちいさな小説だけ。CDに収録されているのも、かならずしもよく知られた曲ばかりではない。ひとつひとつの曲は、読みさしの本や毛糸玉、あるいは食べかけのサンドイッチのように、ひっそりと置かれているにすぎないのだ。

教科書的な、あるいはベスト・オブ~的な「ボサノヴァのCD」を求めるむきには、この『わたしとボサノバ』はあまりおすすめできない。けれども、真夜中に、親しい仲間たちがひざを寄せ合ってちいさな声でささやくように歌い、育まれてきた「ボサノヴァ」という音楽、つまり世界でもっとも「手触り」を大切にしてきた音楽のエッセンスを伝えるには、あるいはこのCDの《スタイル》ほどふさわしいものはないかもしれない。

手もとに置いて、その手触りをたしかめながらぜひ耳かたむけてほしい一枚。

CD『わたしとボサノバ』(ユニバーサルミュージック)
・選曲と小説執筆/林 伸次(BAR BOSSA/BOSSA RECORDS)
・写真撮影/松長 絵菜
・ジャケット・デザイン/保里 正人(サンク・デザイン)

富士山とともに...
2005.11.19|column

けさ、ふと気づいた。なんだかんだいって、ぼくの生活のそばにはいつも「富士山」があったのだ、と。

いま住んでいるのはマンションの4階だが、まわりに視界をさえぎるような高い建物がないせいで、廊下から「富士山」をのぞむことができる。あさ、出かけるためにドアをあけると、その目線の先には「富士山」があるのだ。

思いかえせば、これまでぼくはぜんぶで6軒の家に暮らしてきたが、そのうちの4軒の家で「富士山」をのぞむことができた。東京の団地とマンションで3軒、残りの1軒は父親の転勤で二年間暮らした静岡県沼津市の一軒家だった。べつだんそういう家ばかりを選んできたというワケでもないのに、通算するとざっと30年弱、ぼくは「富士山」のみえる家に暮らしてきたことになる。かといって、日々それを意識しているのかというとぜんぜんそんなことはなく、よく晴れた朝などには「お、きょうはきれいに見えてるな」なんて軽く確認するにすぎない。

けれども、やはり「富士山」はすごい。なにが「すごい」って、いつも目にしているはずなのに、にもかかわらず何回に一回かは「スゲェ!」と無意識に言わせてしまうところが「すごい」のだ。さすがは「日本一の山」だけのことはある。けさもつくづく思ったのだが、その威容はまた、異様でもある。なにやら怖さすらある。黒々とした山並みを尻目に、真っ白い雪をまといひと際高く、力強く突き出た「富士山」からは、まさに「霊峰」と呼ぶにふさわしいオーラを感じる。じっさい、みればみるほど「富士山」の存在はとても唐突で、「富士山」があるというだけで、その風景はなにか非日常的にすら思えてくるのだった。

こうしてあらためてみると、知らず知らずのうちに「富士山」から「目にみえない力」をもらってきたような気にもなって、きっとこういう《感情》そのものがひろい意味での「アニミズム」なのだと思う。

小野寺真理作品展、終了しました
2005.11.20|event

本日をもちまして、小野寺真理作品展「My Planet2005」は無事終了いたしました。

ポップな小野寺ワールドに、いつになくガラス越しに中をのぞきこむ子供率の高い楽しい展示となりました。会期中ご来店いただきましたみなさま、どうもありがとうございました。

佐藤千織展
2005.11.21|art & design

織物作家・佐藤千織さんの作品展がひらかれるという話を、公私共々お世話になっているみほこさんから教えていただきました。

佐藤千織さんは日本とフィンランドでテキスタイルを学び、フィンランドでも個展をひらかれた経験をもつ作家さんですが、なんと日本で個展をひらかれるのは10年ぶりとのこと。フライヤーは、ペーパーヤーン(紙糸)でこしらえたアザミの花のようなインスタレーションがとてもきれいいです。また会場となる「淡路町画廊」も、大正時代の蔵を改装したギャラリーとのことで一見の価値がありそうです。

お時間のある方は、ぜひ足をはこんでみてはいかがでしょう?

○ 佐藤千織展『Chiori Sato Textile Works 2005』
 11/28[月]~12/3[土] 11:30~19:00(最終日は17:30まで)
 淡路町画廊(JR「お茶の水」駅/東京メトロ「新お茶の水」駅/「淡路町」駅より徒歩3~4分)

やまのうちあきこ展、はじまりました
2005.11.22|event

きょうからmoiでは、やまのうちあきこ作品展がはじまりました(~11/27[日]まで)。

板にアクリル絵の具で描いた絵画4点と小物2点、空間をぜいたくにつかった展示となっています。半抽象の植物や風景が、moiの空気をどんなふうに変化させているか、実際にその目でたしかめていただければと思います。

都内も、ここのところの寒さでようやく木々が色づいてきた感がありますが、晩秋の一日、お散歩がてらぜひmoiにお立ち寄りください!

オオヤさんのコーヒー
2005.11.23|cafe

京都の山里で、まいにち黙々とコーヒー豆を焼きつづける焙煎人オオヤさんのコーヒーです。京都では「オオヤさんのコーヒー」として知るひとぞ知る存在だというこのコーヒー、お世話になっている編集者Kさんが届けてくださいました。

オオヤさんは、焼き上がった豆をみずからの手で京都市内のカフェや喫茶店に納品します。生産性という面からすればあきらかに効率の悪い、こういう「手続き」にあえてこだわるひとがぼくはすきです。送り手から受け手まで、そのあいだに介在するものが少なければ少ないほど、伝わるものもまた大きいとおもうからです。いま世間を騒がせている「欠陥マンション問題」を例にとるまでもなく、いろいろなひとやものが絡めば絡むほどものごとはややこしくなり、夾雑物も多くなってしまいます。

さて、いただいたコーヒー豆は、エチオピア・モカ シダモG2(イルガチェフ)の中深煎りというもの。表面がつややかに黒光りするその豆は「中深煎り」というよりはむしろ「フレンチ」くらいの印象ですが、口にすると思いのほかさらりとしていて驚かされます。さすがにボディはしっかりしていますが、後味は透き通っているといった感じでしょうか。おいしいストレートは、それだけでじゅうぶん複雑で奥深い味がするものです。

コーヒーカップよりも、ちょっといびつな素焼きのうつわで飲みたい、そんなあたたかい味のする「オオヤさんのコーヒー」なのでした。

冬にきくべき2枚
2005.11.24|music

すきでやっていることとはいえ、毎日なにかしらをネタに文章を書くというのはそれはそれでけっこう大変だったりもするのですが、そういえばこんな切り抜け方もあったのね・・・というわけで、きょうは常連おくむらクンがおすすめする「冬にきくべき2枚」のご紹介です。

まずはマイケル・ジョンソンという、いまにも走りださんがばかりの名前をもつシンガーの、1977年に発表したセカンドアルバム「Ain't Dis Da Life」です。

うんうん、これはよいですね。ケニー・ランキンやジェイムス・テイラー好きなぼくとしては、まさにど真ん中。冬に、ちょっと暖房が効きすぎた室内で顔をほてらせながら聴きたいです。たとえるなら、六畳一間の「鍋パーティー」のあの感じが、このアルバムにはあります。友だちや家族との、時間を忘れるなごやかなひととき。そしてふと窓の外に目をやると、いつしか雪が・・・。フルートが絡むフォーキーモダンなワルツ「Circle of Fifth」、それに雪が降ったあくる日の晴れた朝を思わせるラスト「Mr.Arthurs Place」がお気に入りです。アン・サリーのざっくりとした感じが好きなひとにもおすすめですよ。

ということで、このアルバムの「ほくほく度」は・・・シチュー四杯。

つづきましては、その名もずばり「High Winds White Sky(邦題「雪の世界」)」というアルバム。カナダのシンガーソングライター、ブルース・コバーンが1971年に発表したセカンドアルバムで、ジャケットからしてすでに「雪景色」です。

こちらは、先ほどのマイケル・ジョンソンとは対をなす「冬」の情景。このアルバムの主人公は、おそらく冬の或る日を「ひとり」で過ごしています。つまり、モノローグです。思えば、雪に閉ざされた冬はそれじたいがすでに「密室」のようなもの、嫌が上にもひとを内へ内へと向かわせる季節です。こたつでミカンの皮など剥きながら、とりとめもなく物思いに耽ったりなどしているはずです。秋を振り返ったり、ときにはやがてくる春を思ったり・・・振り子のようなその「思い」の振れ幅を、ぼくらはこのアルバムに聴くことができます。ベン・ワットの「North Marine Drive」やキングス・オブ・コンビニエンスとおなじく、男子ウケの世界とも言えるかもしれません。一曲、一曲を取り出すのではなく、全体で味わってこそ魅力の伝わるアルバムだと思います。

ということで、このアルバムの「ほくほく度」は・・・ブランケット三枚。

以上、ネタ提供はおくむらクンでした。Kiitos!

カフェ&レストラン12月号
2005.11.25|publicity

リニューアルして、ずいぶんとスッキリした印象になった雑誌『カフェ&レストラン』。現在発売中の12月号では、moiのスイーツでおなじみのWILL cafeさんが登場しています。

「WILL cafeが提案する、クッキーをコーヒーのお供に」というタイトルで、「浅煎り」&「深煎り」のコーヒーにあうクッキーをそれぞれ2種類ずつぜんぶで4種類、セレクトしています。

おなじみの「スパイスクッキー」から、「みそとゴマのショートブレット」なんていうちょっと冒険のメニューまで、ぜんぶレシピつきで公開中です。お菓子づくりに興味のある方はまさに必見!要チェックです。本屋さんでぜひ。

アートになった北欧のお菓子
2005.11.26|art & design

スウェーデンの作家リサ・ラーション=スンドリングから届けられた銅版画の作品。タイトルは「キヨスクのキャンデー」とあるのだが・・・

こ、これは例のアレ、黒くてなんともいえない味のグミ「ラクリッツ(Lakrits)」」・・・ですね。本人によると、子供のころの思い出を描いた作品だそう。

ちなみに、とぐろを巻いた「ゴムホース」のようにみえるのも「ラクリッツ」。こんな感じです。

なんでも、あちらの子供たちは両端からそれぞれ食べていって、どちらがよりたくさん食べられるかを競ったりするのだとか。なんか、イヤな遊びだな。

さて、この北欧マインドあふれる?!作品に興味をそそられた方は、ぜひ12/8[木]から池袋 東武の美術画廊・小サロンで開催(~14[水]まで)される『フィンランド・エストニア絵画展~トントゥからのおくりもの~』にご来場ください。北欧の作家たちによるかわいいアートが目白押しですよ。乞うご期待!

やまのうちあきこ展、終了しました
2005.11.27|event

やまのうちあきこ作品展は、おかげさまをもちまして終了させていただきました。すべての作品をつうじて、「赤」が静かに主張しているような展示でした。会期中ご来店いただきましたみなさま、どうもありがとうございました!

ことしも「moiでmoe展」
2005.11.29|event

恒例になりましたイラストレーターmoeさんの作品展「moiでmoe展」が、ことしもあしたからスタートします。

クリスマスカードをはじめとしたグリーティングカードの数々や、プレゼントにも最適な流木フレーム入りの貼り絵など、ほのぼのとした「moeちゃんワールド」がことしもmoiを飾ります。また、WILL cafeさん、Figueさん、Little bakerさんら「おいしい仲間」とのコラボ商品も並びます。

会期は12/11[日]まで。みなさま、ぜひお立ち寄りください。

秋葉原のカフェ
2005.11.30|cafe

十数年ぶりで秋葉原へ行った。じつは、秋葉原へ行ってしまったのはちょっとしたアクシデントのようなものだったのだけれど、せっかく秋葉原まで来たのだから例のカフェに行ってみよう、そう思い立ったのだ。

もちろん、ここで想像力豊かなアナタは「だんな様、おかえりなさいませ~」という例のアレを思い出すにちがいないが、残念ながらそうじゃない。ぼくが行ったのは、大阪の老舗喫茶店丸福珈琲店が、この秋初めて東京に出店したCAFE丸福珈琲店である。

丸福といえばストロングと言われるほど、ここのブレンドは濃厚な苦みをもつことで知られている。先代が考案したという、一見ヴェトナムコーヒーのドリッパーのようなオリジナルの器具で抽出されるそれは、たしかに、いやむしろ実際のところ想定外の「苦み」であった。まさに、ストロング。一説には、「濃くてようけ入っとったら得」という大阪の客の心理を反映した結果では?という話もあるが、実のところは「先代の好みだったから」という案外フツーの理由らしい。

ところでこの「CAFE丸福珈琲店」は、わざわざアタマに「CAFE」と冠がついていることからもわかるとおり、丸福珈琲店がカフェ・スタイルを打ち出した新業態のショップである。内装もとてもこじゃれていて、ぱっと見ただけでは大阪の老舗喫茶店の経営とはとても思えない。聞くところによると、この丸福珈琲店の本店がある界隈は、なんでも相当にストロングな、つまり濃~い場所であるらしい。どうせこういうコーヒーを堪能するのであれば、ぜひとも本店で、これまた相当にストロングなたたずまいの客たちに混じって小さくなりながら(?!)味わいたいものである。これぞまさしく、苦~い体験。

2005.12
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2005.10