トーベとムーミン展

【トーベとムーミン展〜とっておきのものを探しに〜】レポート|心に描く画家トーベ・ヤンソン

【トーベとムーミン展〜とっておきのものを探しに〜】が、2025年7月16日より東京・六本木の森アーツセンターギャラリーではじまりました。「ムーミン」小説の第一作目『小さなトロールと大きな洪水』(1945年)が出版されてから80年となる今年は、さまざまな記念の催しがおこなわれています。

「ムーミン」にまつわる展覧会ではいつも、作品を鑑賞しているみなさんがまるで物語に登場するキャラクターのようにみえてきます。こちらにはリトルミイのような女の子、あちらにはヘムレンさんやフィリフヨンカのようなご夫婦。この日もたくさんの仲間たちが会場へおとずれていました。

トーベとムーミン展
The door is always open.

それはきっと「ムーミン」をはじめとするトーベ・ヤンソンの作品が、すべてのひとに開かれているから。そしてトーベ・ヤンソンには、だれもがどこかにもっている「とっておきのもの」を見つける才能があったから。はたしてトーベ・ヤンソンはどのようにして作品を生みだしてきたのでしょうか。

【トーベとムーミン展】では、ヘルシンキ市立美術館(HAM)の協力のもと、前半の第1章は「トーベ・ヤンソン」の油彩画や公共施設の壁画などに焦点をあて、後半の第2章では「ムーミンと仲間たち」と題して、「ムーミン」小説、コミックス、絵本の世界を紹介していきます。


第1章 トーベ・ヤンソン

トーベとムーミン展
会場風景:油彩画

芸術家の両親を持ち、幼い頃から画家になることを夢見ていたトーベ・ヤンソン(1914年ヘルシンキ生まれ)は、自身のことを「根本において画家である」と考えていたといいます。しかし「ムーミン」の世界的な評価により、「画家」という一面に光があてられることは、近年まであまりありませんでした。

1930年代から60年代まで時系列にならぶ油彩画をみていくと、色づかいの多彩さや表現方法の変化を感じることができます。初期の作品ほどその色が重くみえるのは、戦争という時代の空気でしょうか、それとも絵画に対するトーベのシリアスさがあらわれているからでしょうか。

トーベとムーミン展
会場風景:アトリエをイメージした展示スペース

トーベの初個展は1943年、29歳のとき。翌年には念願だったアパートメント最上階にあるアトリエを借ります(以降、晩年まで暮らす)。会場の一角には、そのアトリエをイメージしたアーチ型の窓があり、ヘルシンキの風景(画像)を望むことができます。トーベも日々この景色を眺めながら、作品づくりに励んでいたのでしょう。

こちらのコーナーで注目したのが、冨原眞弓さんに宛てられたトーベ直筆の手紙。冨原さんは多くのトーベの小説の翻訳を手がけられ、トーベと交流がありました(冨原さんの遺作となった評伝『トーヴェ・ヤンソン──ムーミン谷の、その彼方へ』が7月8日に筑摩書房より刊行されました)。

トーベのやさしさがにじむ文面とともに、「ムーミン」人気によって世界中から手紙が届くようになり困惑していたであろうトーベが、親しい人だけに描いたというマークが冨原さんへの手紙に残されていたことも印象的でした。

トーベとムーミン展
遊び(アウロラ病院小児病棟の壁画のためのコンペティション用スケッチ)(1955)

2026年にはトーベ・ヤンソン・ギャラリーをオープンする予定だというヘルシンキ市立美術館で開催された回顧展【Tove Jansson – Paratiisi】(2024年10月〜2025年4月)では、公共施設の壁画を中心としたトーベの作品が紹介されました。その一部を本展でもみることができます。

第二次世界大戦後の復興期に描かれたテンペラによる習作やフレスコ画(複製)は、とてもやわらかく明るい色彩が印象的です。病院、小学校、保育園といった子どもの施設のために描かれたからでしょうか、ムーミンの仲間たちも登場し(それまで絵画作品でトーベが「ムーミン」を描くことはほとんどなかった)、とても開放感があります。「ムーミン」小説やコミックスを経て、トーベがあらたに探しあてた画家としてのスタイルのようにも感じられます。

こうした大きなフレスコ画は、まずトレーシングペーパーに木炭で原寸大の線画を描き、それを壁に貼って転写、着色するという方法が用いられたそうです*。コトカ市の保育園のために制作された「フェアリーテイル・パノラマ」(映像)では、線画と着色されたあとの壁画をみることができます。

*「フィンランドムーミン便り|ムーミン公式サイト」より
https://moomin.co.jp/news/blogs/673b0e032996a

トーベとムーミン展
「ムーミン・オペラ」ポスター(1974)

1949年には、かつて交際していた舞台監督ヴィヴィカ・バンドレルの発案により、「ムーミン」がはじめて舞台化されました。トーベは脚本だけでなく、衣装や舞台デザインまで担当する力の入れようでした。

展示されている舞台のスケッチをみていて、ふと気づきました。きっとこうした舞台の経験から、小説『ムーミン谷の夏まつり』(1954年)の劇場のシーンが生まれたのではないでしょうか。そこには、ジャンルを横断し、さまざまな表現に挑戦しつづけるトーベの探究心をみることができます。

また1974年に上演された「ムーミン・オペラ」のポスターやムーミンママのハンドバッグを模したパンフレット原画などもはじめて目にすることができました。そのパンフレットの図案が展覧会グッズとしてトートバッグやポーチになっているので、ぜひ会場特設ショップでご覧ください。


第2章 ムーミンと仲間たち

トーベとムーミン展
会場風景:挿絵没入映像エリア入り口

第1章では、おもに画家としてのトーベ・ヤンソンをみてきました。トーベのすばらしさは、描く才能だけでなく、書く才能にも恵まれていたこと。つづく第2章では、トーベの本の世界へと入っていきます。

はじめて「ムーミン」の小説を読んでから、これまでずっとムーミン谷のような世界にあこがれてきました。だれもが自分らしく生きることを許されている世界。トーベ・ヤンソンが教えてくれたのは、現実の世界でもそうしたものをみつけられるということなのかもしれません。

トーベとムーミン展
ムーミン・トロール(1988)

「ムーミン」の挿絵原画をご覧になったことがある方は、その緻密な描写に驚かれたことがあるとおもいます。たった一枚のちいさな挿絵からでも、キャラクターの性格、感情、動き、状況、空気などが感じられます。それらはまちがいなく絵画制作や政治風刺雑誌『ガルム』(15歳から携わっていた)での経験によって育まれたものだとおもいます。

スケッチのサイズや形がまちまちなのは、アトリエに散らばった紙片を拾いあげてアイデアを書き留めていたため(その様子はアルマ・ポウスティ主演の映画『TOVE』〔2021年日本公開〕でも観ることができます)。なにかの誌面裏に書かれた「ムーミン」のスケッチには「HARU 1988」とありました。夏のあいだ、トーベがパートナーのトゥーリッキ・ピエティラといっしょに過ごした無人島「クルーヴ・ハル」で描かれたのでしょう。

トーベとムーミン展
会場風景:たのしいムーミン一家

トーベが書いた「ムーミン」小説は全9作。物語ごとのスケッチがカラフルな壁面ならび、そこにムーミンの仲間たちの言葉が添えられています。「ムーミン」を読んでいると、どこかでかならず胸にひびく言葉をみつけることができます。当然のことながら、それらはトーベの言葉であり、 本を開けばいつだって、ムーミンの仲間たちがトーベの想いを伝えてくれます。

もしかすると、だれかの心になにかを描くことができるのは、絵筆ではなく言葉なのかもしれません。トーベは言葉をつかって、小説を描いていたといえるのではないでしょうか。トーベ・ヤンソンは、最後までずっと「画家」でした。

トーベとムーミン展
トーベ・ヤンソン「ムーミンたちとの自画像」ムーミンキャラクターズコレクション(1952)

みなさんも【トーベとムーミン展】の会場で、トーベ・ヤンソンが残してくれた作品をとおして「とっておきのもの」を探してみてはいかがでしょうか。森アーツセンターギャラリーでの会期は、9月17日まで。その後、北海道、長野、愛知と巡回する予定です。

©️Moomin Characters™️ ©️Tove Jansson Estate

text + photo : harada

トーベとムーミン展 ポスター

トーベとムーミン展
~とっておきのものを探しに~

会期:2025年7月16日(水)~9月17日(水) ※会期中無休
開館時間:10:00~18:00 (金・土・祝前日は10:00~20:00)
 ※入館は閉館の30分前まで
 ※土・日・祝日および平日のうち特定日 (8/12~15, 9/16,17)は日時指定予約制
会場:森アーツセンターギャラリー (六本木ヒルズ森タワー52階)

主催:朝日新聞社
企画協力:ヘルシンキ市立美術館
後援:フィンランド大使館
協賛:インペリアル・エンタープライズ、NISSHA
協力:ライツ・アンド・プランズ、s2、フィンエアー、フィンエアーカーゴ、TOKYO MX
問い合わせ:050‐5541‐8600 (ハローダイヤル)

展覧会の詳細は、展覧会公式サイトにてご確認ください。
https://tove-moomins.exhibit.jp/