フィンランドを代表するセラミック・デザイナー/アーティスト、ヘルヤ・リウッコ=スンドストロムの追悼展が東京・成城の緑蔭館ギャラリーで開催されました。主催は、猫の言葉社。2016年【ヘルヤの花束展】、2017年【ヘルヤの世界展】につづき、同会場で3回目となる展示会です。
会場には、大小さまざまな陶板、マグカップ、燭台、時計、フィギュア、置物などが展示され、部屋の角には花々にかこまれた彼女の写真が飾られていました。こうして彼女の作品がたくさん集まったところをみられるというのはとても貴重な機会だったのではないでしょうか。
アラビア製陶所に最も長く在籍したアーティスト
ヘルヤ・リウッコ=スンドストロム(Heljä Liukko-Sundström)は、1938年6月15日、フィンランド南西部にある町ヴェフマー(Vehmaa)に生まれ、ミュナマキ(Mynämäki)で幼少期を過ごしました。フリーアートスクール、ヘルシンキ芸術デザイン学校(現アールト大学)で学んだあと、1962年にアラビア製陶所へ入社。1967年から2003年までアラビア美術部門(1932年設立)に在籍し、その後も2021年までアラビア・アートデパートメント協会のメンバーとして、同じ工場の建物で仕事を続けました。
2005年には、アラビア製陶所のデザイン部門で出会って以来、親友となった陶芸家のオッリ・ヴァサ(Olli Vasa, 1942-2021)とともに、フンッピラ(Humppila)に自身のアトリエ《Ateljé Heljä》を設立。旧工場と行き来しつつ、アトリエではオリジナル作品などを制作してきました。そうして生涯現役アーティストとして活躍しながら、今年2024年5月21日に永眠しました(享年85歳)。
普通の家庭にアート作品を
陶板、マグカップ、動物のフィギュア、テーブルウェアといったアラビアの陶製品のデザインでよく知られるヘルヤ・リウッコ=スンドストロム。フィンランドのほとんどの家庭に彼女のデザインしたものがあるといわれるほど。彼女の入社したころのアラビア美術部門には、ビルゲル・カイピアイネン、トイニ・ムオナ、ルート・ブリュックといった先達のアーティストたちがいました。いまでは歴史上の人物のような彼らと同じ時間、同じ場所で制作していたことを想像すると、彼女の陶芸家としての存在がより大きく感じられてくるようです。
しかし、そうしたアーティストたちによるアート作品はやはり高価であったため、普通の人々には手の届かないものでした。そこで彼女はセラミック版画という手法を用いた、より安価な陶芸作品の大量生産をアートディレクターであったカイ・フランクに提案しました。普通の家庭にアート作品を置いてほしい、芸術はお金のためにあるのではないと考えていたからです。また彼女は、ペイヤス病院 (Vantaa)、フンッピラ教会 (Humppila)、サンモンラハティ校 (Lappeenranta) のためにパブリックアート作品も制作しています。
陶板による絵本と猫の言葉社
1994年に教授の称号を授与、2001年にプロ・フィンランディア・メダルを受賞するなど、フィンランドで高く評価されてきたヘルヤ・リウッコ=スンドストロム。そんな彼女の日本での人気を支えてきたのが、今回の追悼展の主催である猫の言葉社(Kissan kieli OYというフィンランド語の社名も○)といっても過言ではないでしょう。猫の言葉社は、ロングセラー(初版は1981年)となっているフィンランド留学体験記『フィンランド語は猫の言葉』の著者、稲垣美晴さんが代表の出版社で、ヘルヤさんが制作した11冊の絵本のうち、4冊を邦訳・出版しました。
フィンランドで1977年に出版されたデビュー作『いつまでも大切なもの|Heljän lempeitä satuja』は、3つのおはなしのオムニバス。ぬいぐるみ、老猫、古い洗濯機といった言葉のないものたちの声をとおして、社会に疑問をなげかけます。1981年の3冊目『地平線のかなたまで|Jäniksenpoika』は、彼女のトレードマークともいえるウサギが主人公。「私たちみんなが必要とされています」をテーマに、教師であった母に捧げられています。
6冊目の『天使に守られて|Oma enkelini』は2004年の作品。「私の人生を見守ってくれる天使たちへ」という序文にあるように、彼女はとくべつな守護者の存在を信じているとインタビューでこたえています。2008年の『なかなおり|Toi rusakko』は8冊目。そこに描かれた「あなたのままでいてほしい」という想いは、子どもたちへのメッセージであるとともに、それまで歩んできた道を彼女自身が肯定しているようにも感じました。
はじめて彼女の絵本をひらいたときに驚いたのは、すべての挿絵が陶板の写真であったことです。なぜそのような手間のかかる制作方法を選択したのでしょうか。そのこたえは彼女がなぜウサギをモチーフにした作品を多く制作したのかという質問と同じように、ヘルヤさん自身にしかわからないことなのかもしれません。
もちろん陶芸というものが彼女にとっていちばんの表現手段であったこと、陶板の一枚いちまいで物語がすでに語られていたこと、陶板ならではの色や光を封じこめられたこと‥‥、いろいろな理由が考えられます。そうしたなかでいちばんの理由はやはり、普通の家庭で芸術を楽しんでもらいたいという彼女の願いにつきるのではないでしょうか。絵本をひらくとそこには、たくさんの彼女のアート作品がおはなしといっしょに並んでいるのですから。
我が家の陶芸家からのことば
1966年から毎年のように個展や合同展を開催してきたヘルヤさん。ハメーンリンナ市立博物館では2023年10月27日から2024年9月29日にかけて、生前最後の展覧会となった【Heljä Liukko-Sundström – Kotiemme keramiikkataiteilija|我が家の陶芸家】が開催されました。今回の追悼展をみるにあたっていちばん知りたいとおもっていたのは、ヘルヤ・リウッコ=スンドストロムの作品のどんなところにフィンランドの人々が魅力を感じていたのかということでした。
それは彼女の作品がとても素朴に感じられ、ある意味で幼さの残るものだとおもっていたからです(もちろんそれはピュアであるということでもあります)。彼女の絵本を読み、実際の作品を目にしたときに伝わってきたのは、哀しみをたたえた優しさ、ユーモアのある親しみやすさ、想像していた以上の鮮やかさといったものでした。そして「我が家の陶芸家」であると誰もが感じられること、それこそが彼女の魅力だったのでしょう。
会場の受付にあったプレートをみたとき、すぐに彼女のことばだとおもいました。ヘルヤさんのホームページにはこんなふうに書かれています。── “Ilon tuottaminen ja ikävän torjuminen.”
長く生きるということは、それだけ別れを多く経験するということ。家族や親友を亡くしたとき彼女は哀しみが消え去ることは決してないとおもったそうです。しかしそれは同時に、たくさんの出会いに恵まれたということでもあります。よろこびを拾いあつめて、退屈なんて放り投げなさい。写真のなかのヘルヤさんがそう微笑んでいるようでした。
ヘルヤ・リウッコ=スンドストロムは、陶芸のなかに永遠をみつけたと語っています。陶磁器というものは過去をふりかえることを可能にして、自然からうまれた素材はまた自然へと還っていく。彼女の作品や絵本が、世界中の普通の家庭でいつまでもいつまでも愛されていくことを願っています。
text + photo : harada
参照:
猫の言葉社
https://nekono-kotoba.com
Helja
http://www.helja.fi
Kotiliesi
https://kotiliesi.fi/terveys/parisuhde-ja-seksi/…
Ilta Sanomat
https://www.is.fi/asuminen/…
Hämeenlinnan Kaupunginmuseo
https://hmlmuseo.fi/en/nayttely/helja…
ヘルヤ・リウッコ=スンドストロム追悼展
会 期:2024年11月15日〜11月20日
時 間:10:00〜16:00(最終日は15時まで)
会 場:緑蔭館ギャラリー A館
所在地:東京都世田谷区成城6-15-13
主 催:猫の言葉社