たとえおなじ気持ちでも表す言葉はひとそれぞれ。言葉はあまりに小さすぎて、気持ちはほとんどこぼれ落ちてしまう。それでも気持ちを伝えるためには言葉しかないのだろうか ──
*
clubhouseのレギュラー配信が終了して3ヶ月、みなさんいかがおすごしでしょうか? 今回は2024年6月21日に東海大学 湘南キャンパスで行われた公開講義【知のコスモス:フィンランドのモダニズムから日本の「いま」を考える 〜地域性、持続可能性、良い生活〜】についてのレポートをお届けします。最後までどうぞおつきあいください。
ジンジャーとピクルズや
最寄り駅から大学のある駅まで約2時間、ちょっとした小旅行。いつも各駅電車に乗るのはゆっくりと本が読めるから。この日持ってきたのは『あいたくて ききたくて 旅にでる』(PUMPQUAKES)。50年にわたり東北の民話をもとめて採訪してきた著者の小野和子さんによる一冊。ちょうど東海大学前駅に着くころ読み終えた。
この日も安定の雨降り、ビニール傘をさして大学へ続く坂道をのぼる。東海大学には縁もゆかりもないのだけれど、10年近く前からごくたまに訪れてきた。静かでとても好きな町。それでも少しずつ風景が変わっていくのを感じる。近頃かならず立ち寄る場所(といってもまだ4度目)が、2023年4月に新店舗をオープンされた ginger&pickles というカフェ。
アールトの家具にアラビアの食器、スウェーデンの絵本など北欧のインテリアやアイテムに囲まれた落ち着いた雰囲気のお店で、北欧家具taloともお付き合いがある。前回映画『AALTO』の試写会に訪れたときと同じようにお店の方が声をかけてくた。「もしかしたら今日の講義を聞きにいらっしゃいました? もうすこし時間がありますよね。雨ですし、どうぞゆっくりしていってください」。
気づけばいつも注文しているベジカレーがお昼ごはん。メニューにはいろいろな種類の焼き菓子があり、地元産の野菜をつかって、ヴィーガンにも対応している。スペシャルティコーヒーも豊富で産地や豆の特徴を教えてもらいながら選ぶことができる。
ゆっくりしているうちに小降りになってきたので、講義がはじまるまで周辺を散歩することにした。
あめふり山と富士山
東海大学名誉教授で椅子研究家の織田憲嗣さんの展覧会【椅子とめぐる20世紀のデザイン展】(日本橋髙島屋S.C.)の会場で、北欧学科の柴山由里子准教授が橋本優子さん(近代建築・デザイン史家)と出会ったことで、今回の講義が実現したという。織田さんから「日本一のキュレーター」であると柴山さんは聞いていたそう。たびたび口にしているけれど、いつか織田コレクションのある北海道東川町へ行ってみたい。
長年、宇都宮美術館の学芸員として勤務されていた橋本さん。京都国立近代美術館でインターンをしていたこともあると聞いて、以前取材に訪れた【リュイユ─フィンランドのテキスタイル:トゥオマス・ソパネン・コレクション展】を思い出した。現在は宇都宮大学大学院で「大谷石」に関する研究(感性工学、文化地質学、近代建築史)をされている。この「大谷石」というのは宇都宮の大谷地区で採掘されてきた石材で、建築家フランク・ロイド・ライトが日本の風土を意識して好んで使ったという(帝国ホテルライト館、自由学園明日館など。ちなみにライトの弟子、遠藤新の展覧会が7月12日から福島・新地町で行われる)。
また大谷町には大山阿夫利神社があり、その本社が伊勢原の大山。東海大学のキャンパス周辺からもその姿がよく見える。いつもどこか守られているような感覚がある。大山は別名で「あめふり山」とも呼ばれ、オオヤマツミが祀られている。このオオヤマツミの娘コノハナノサクヤヒメにまつわる民話が、読み終えたばかりの『あいたくて ききたくて 旅にでる』にも出てきていたので驚いた。コノハナノサクヤヒメは富士山の祭神ということで、大山は富士山の父という位置付けらしい。
フィンランドの風土とモダニズム
さて、本題の「フィランドのモダニズム」とはどのようなものなのか。デザイン史では、アーツ&クラフツ運動 → アールヌーヴォー → モダニズム(近代主義) → アールデコ → 流線型 → 戦後デザインと変遷していくと説明されているそうだが、橋本さんによるとそれほど単純なものではないとのこと。
工業化と資本主義の申し子であるモダニズムやモダンデザインは、当時の先進国(英・仏・米・独・伊など)がリードしていたため、地域性というオプションは存在しなかった。それは政治的・経済的に優位にある国の論理がおしつけられることを意味し、先進的とはいえ全体主義的なものであった。
橋本さんはそのことに異を唱え、各国、各地域、各町、各村、それぞれにそれぞれのモダニズムがあるのではないかと考えるようになった。これを風土的モダニズム(ヴァナキュラーモダン)という。そこで注目したのが、フィンランドをはじめとする北欧のモダニズムである。
*
フィンランドの魅力やフィンランドらしさというものは一体どこにあるのか? それはこれまでもずっと考え続けてきたこと。今回の講義で「風土」という視点からあらためてフィンランドをとらえて直してみると、視界がクリアになっていくように感じた。
風土とは、地域によって異なる物質的環境と精神的基盤だと定義される。もしかするとフィンランドに惹かれるのは、そうした風土というものに日本との親和性を感じられるからではないだろうか。両国ともメインストリームから外れたオルタナティブな場所であったから。
そんなフィンランドの風土を代表するものが、フィンランド東部の北カレリアにあるコリの風景。硬い珪岩(変成岩)に針葉樹・広葉樹が生い茂る丘(標高354m)で、フィンランドの芸術家たちがこぞって「フィン人」の心を探しにいく場所。絵画(エーロ・ヤルネフェルト)、音楽(ジャン・シベリウス)、写真(I.K.インハ)、小説(ユハニ・アホ)など多くの作品に残されている。
コリについて「フィンランドの富士山と考えるといいですね」と橋本さん。なるほど、富士山だからか! と当時の芸術家たちのこだわりにようやく合点がいった。
サーリネンからアールトへ
民族叙事詩『カレワラ』を精神的な支柱としたナショナル・ロマンティシズムとは、フィンランドの風土を探す旅だった、とも云えるかもしれない。そんなフィンランドの風土や美意識を造形として残そうと考えた建築家のひとりがエリエル・サーリネン。彼は、アーツ&クラフツ運動や新芸術(アールヌーヴォー、ユーゲントシュティールなど)の影響を受けながら、フィンランドにおける風土的モダニズムの先駆者として活躍した。
ヘルマン・ゲセリウス、アルマス・リンドグレンらとともにGLS建築設計事務所として、パリ万国博覧会のフィンランド館(1900年)、ポホヨラ保険会社ビル(1901年)、自邸兼アトリエのヴィトレスク(1903年)などを設計。その後、風土的モダニズムの集大成として建設されたのが、ヘルシンキ中央駅駅舎(1904-1919年)である。20世紀の駅舎建築の中で最も美しいもののひとつといわれているそうだ。
近代を象徴する鉄道において、ヘルシンキ及びフィンランドの中心であると訴求する建築であることを目指したサーリネン。鉄筋コンクリート造に硬い石を貼った外観、4体の巨人像など土着的な印象を残す。また現在カフェ・エリエルとなっている駅舎内には、エーロ・ヤルネフェルトの描いたコリの壁画が飾られている。
サーリネンは、アメリカ移住前にフィンランドでの最後の仕事としてカレワラ会館の設計をしていたが、カレワラ協会の資金難により実現しなかった。その代わりに、アクセリ・ガッレン=カッレラ装幀・挿絵による『カレワラ』が出版された。
ここで思い出すのが、2021年にパナソニック汐留美術館で開催された【サーリネンとフィンランドの美しい建築展】。入場してすぐのところにガッレン=カッレラ装幀の『カレワラ』、終盤にカレワラ会館についてのパネルがあり、もしかしたらそこまで考えられた展示構成だったのかもしれないと今になって想像した。
*
次に登場するのが、アルヴァル・アールト。橋本さんが「アルヴァル・アールト」と呼ぶのがうれしい(人名はできるかぎり発音に近い表記にしたほうがいいとおもう派、笑)。ここでマルセル・ブロイヤーによる世界初の金属パイプ椅子(ワシリーチェア)とアールトのパイミオチェアの違いを説明してくれた。
ブロイヤーが目指したのは、座り心地よりも斬新な工業製品としての椅子。一方アールトが目指したのは、人間に優しいかどうか。ブロイヤーの椅子をみて、寒い国に金属は痛い(視覚的に痛く、触ったときに冷たい)と考えたアールト。家具職人オット・コルホネンと共同で、どこにも痛い要素のない人間工学的にもすぐれた新しいタイプの木製椅子を生み出した。そうして新しい科学技術で風土的モダニズムをつくろうと設立されたのがアルテックであるという。
これまでアールトの代表的な建築でもあるパイミオサナトリウムについて、普通にある病院と変わらないような外見なのにどこが特別なのだろうとずっと考えていた。けれど橋本さんの解説ですこし腑に落ちた。
まず当時大規模で機能的な公共建築を建設する場合、鉄筋コンクリートでなければありえなかったということ。そしてまだ治療法が確立していなかった結核療養所という性格上、明日死ぬかもしれない人もおり、冬には陽が当たらない厳しい環境で安らぎや癒しが必要であった。そのため色や光を特別大事に、創意工夫が凝らされていたこと。
こうして先進的モダニズム(機能主義)に限界を感じたアールトは、自然、風土、空間、社会の調和を求める人間主義を掲げ、多様性や持続可能性といった21世紀のデザインの潮流を先取りしていくことになる。そして今日、世界中の建築家やデザイナーから尊敬をあつめているように、アールトは地域性を保ちつつ、独自のモダニズムで普遍性をも獲得した。
フィンランド・デザインの原点
ところで、講義で紹介されていた橋本さんの著書『フィンランド・デザインの原点 くらしによりそう芸術』(東京美術)を読んでいて印象に残ったことがいくつかある。
まず、ポホヨラ保険会社ビルの正面玄関にあるヒルダ・フロディンによる彫刻。扉の左右にふたつずつ人物の顔があり、その下に「POHJOLA」と「KULLERVO」という文字が彫られている。どうして『カレワラ』の登場人物のなかでとりわけクッレルヴォを選んだのか常々疑問に思っていた。なんとクッレルヴォという名の保険会社もこのビルに入っていたそうだ。
そしてカイ・フランクの「キルタ(ギルドの意)」に込められた想い。彼は、作家至上主義や徒弟制、社内デザイナーの囲い込みを否定して、協働・交流を奨励した。フィンランド・デザインがポピュラリティを得る原動力になったはず。またカイ・フランクは3度来日して各地でデザイン指導を行なった。講義でもその指導を受けたデザイナー森正洋さんによる白山陶器についての紹介があった。
さらに「リ・デザイン」という考え方。これは「完成されたデザインの高度な最適化」を目指すもので、フィンランド・デザインの特徴ともいえる。マリメッコ、イッタラ、アラビア、アルテックなど様々な企業が過去のデザインを時代に合わせて復刻し、それが現在でも人気を博している。この「リ・デザイン」こそがフィンランド・デザインの息の長さの秘訣にちがいない。
そのほか、ミラノ・トリエンナーレなどにおけるフィンランド手工芸友の会事務局長のヘルマン・オロフ・グンメルスによるフィンランド・デザインの国家的PR戦略(手工芸友の会にそこまでの影響力があったとは!)。いま国立西洋美術館に収蔵され常設展で公開されているアクセリ・ガッレン=カッレラ『ケイテレ湖』についての記述も(カッレラの由来がアトリエ名からというのも驚き)。
フィンランド・デザインだけでなく、フィンランドのモダニズム建築やデザインの源流となったフィンランドの芸術まで一望できる入門編としてもわかりやすい一冊だと思う。
*
講義の最後の質問で、スウェーデン文学を研究している上倉あゆ子准教授から「言語を学ぶことは、その国のことを学ぶことにつながる」という言葉があった。その国の気候、風土、生活、暮らしから固有の単語や表現が生まれるという。それはフィンランド語を学び始めるときに考えたことと同じことだった。
フィンランドのモダニズムには、いまの日本にとっても有効なヒントがまだまだ隠されている。フィンランドと日本には、風土や美意識へのまなざしに共通点がある。そこで重要なのが違いを認めるということ。グレゴール・ポールソンの「もっと美しい日用品を(Vackrare Vardagsvara)」という言葉を目指しながら、独自の発展を遂げたフィンランド・デザイン。民藝運動によって再発見される以前から培われてきた日本のものづくり。これからの「良い生活」を考える上でも、デザインとものづくりの重要性は変わらない。
── 大事なのはきっと言葉ではなく、お互いの気持ちを想像すること、ちがいを認めること、そして信じることだよ。それでは今回はこの辺で、またいつか。
text : harada