軽井沢へ行ってきました。とはいえ、報告できることなんてまるでありません。だいたい、なにもしない、どこにもいかないのが「目的」だったもので・・・。
こんなふうに書くと、なにやら日々仕事に追い立てられているような印象ですがべつだんそういうわけでもなく、どちらかといえばただそういう性分だからというほかありません。
しないとなると、ぼくはほんとうになにもしないのです。PCは持っていかないし、本もけっきょく読まずじまい。それでも、偶然テレビでフリッツ・ラングの映画『死滅の谷』(1921)をみれたのは拾いものでした。「名前」こそ知ってはいたものの、実際みる機会には恵まれなかったドイツ表現主義の巨匠の作品。
そして、暗い中庭を見下ろしながらぼんやり耳傾けたティエリー・ラング(なぜだかきょうは「ラング」つながり!)によるピアノ・トリオの濃密な音楽-空間。ただ、天候の加減で思っていたほどきれいな星空を拝めなかったのは残念でしたけれど。
時間がカチカチと、じぶんのからだに刻みこまれてゆくようなそんな一日でした。
やはり、報告できることはなにもありません・・・。
ただ、きょうは寒かった~!それも当然、きょうの軽井沢の最高気温はなんと3℃!おまけに風もあって、ほんの2、30分散歩しただけなのに耳がちぎれんばかりに痛くなって、顔までこわばってくる始末。これはヤバいと、あわてて旧軽銀座のミカドコーヒーに逃げこみあたたかいブレンドで一服つきました。
いや、実をいえば、さむいさむいと文句を言いながらも名物「モカソフト」も注文してしまいましたけれど・・・。いつもながら甘いものに弱いです。
けっきょく昼すぎには軽井沢をたち、東京にもどってきました。東京駅に着くまでは疲れもなくいい休養になったとおもっていたのですが、買い物がてら新宿に途中下車したのが運のツキ。雑踏の人波に、すっかりまた疲れはててしまったのでした・・・。
いよいよGWということで、地味な街「荻窪」をしみじみ歩く(笑)「お散歩ガイド」をさせていただこうかと思います。
さて、中央線における荻窪の最大の特徴(?)はというと、駅が高架じゃないという点にあります。それはイコール南北の移動がめんどうということでして、結果的にそのことが駅の南と北とでぜんぜん雰囲気がちがう「荻窪」という街の個性を生みだすことにつながっています。わかりやすく言うと、南は「山の手」、北は「下町」といった感じでしょうか。そこで今回は、ここmoiのある駅の北側エリアをご紹介します。
まず、荻窪の駅でホームに降り立ったあなたを最初に歓迎してくれるのは焼き鳥の匂いとけむりです。ホーム新宿寄りの階段から改札を出て左、地上に出るとすぐ右手にその原因「鳥もと」があります。いつもにぎわっていますが、なぜか地元の人からは行ったという話をあまり聞かない不思議なお店でもあります。その「鳥もと」をふくめ、ロータリーの右側一帯は戦後の面影がそのまま残るエアポケットのようなエリアです。
金物屋、履物屋、中古レコードの月光社など昔ながらの商店にまざって、ちいさな居酒屋や風俗店がひしめいています。隣接して「HP」の本社ビルがあるところが好対照でおもしろいですね。行列のできる中華そば「春木屋」、地元のひとに人気があるラーメン「十八番」、それに昔ながらの喫茶店「邪宗門」もこのエリアです。ちなみに青梅街道をはさんで向いがわ「寿通り」は商店街というよりも、ほとんど昭和の町並みを再現した映画セットのようだったりします。
駅を背に、ロータリーのむこうを走るのが青梅街道。青梅街道を渡る信号の左手には、「むらさき×黄色」という狂人的カラーセンス(笑)が冴える交番があります。道を渡ると「ブックオフ」。広い。くまなく見ると「掘り出し物」が見つかったりと案外あなどれない。ただし、かなり疲れますけど。「ブックオフ」を正面にみて左手、最初の角をはいるとそこが「教会通り」商店街。moiに行くつもりが迷ってしまった...というひとのほとんどはまず間違いなくここに迷い込んでしまったひとです(笑)。
乗用車がやっと一台通れるか通れないかといった細い道がうねうねと続きます。入ってすぐの右手には、若いコに人気のショップ「PX」の支店があります(本店はmoiからほど近いところに)。さらに進んで右手の路地の奥には、「バブ」のCMでもおなじみ(?)「さとうコロッケ店」があります。あげたてをぜひ。さらにうねうね歩くと、人気の「ラーメン二葉」、となりはカレー屋さん「フェリスフー」です。沼田元気なアナタが泣いてよろこびそうなレトロなクリ-ニング屋さんもこのあたり。
そしてやはりなんといっても、ハチミツ専門店「ラベイユ本店」ですね。ちなみに、昨年リニューアルした「ラベイユ」さんのサイトを手がけたのは、moiとおなじくデザイナーの遠藤悦郎さん。ぜひ、みくらべてみて下さい。アンティークなたたずまいのヘアサロン「荻窪美粧」をすぎ、ぐいっとカーブを切るとそこが終点、道なりに進むと右手に東京衛生病院があらわれます。
なにをかくそう、ぼくがうまれた病院です。moiの照明プランをお願いした梅田かおりさんがうまれた病院でもあります。病院食がベジタリアンフードであることもよく知られています。1Fの売店では、「黒ごまペースト」や「ピーナッツクリーム」など、系列の三育フーズがつくる食料品が売られていて人気です。それにしても、荻窪の駅北エリアはまさに「昭和のテーマパーク化」していますね。
衛生病院をすぎると、すぐ「若杉小学校」につきあたります。いまや杉並区でいちばん生徒数の少ない小学校だそうで、廃校になるとのウワサも...。その若杉小につきあたったら左へ、ちょっと歩けば、ハイ、いらっしゃいませ!moiへ到着。一服しましょう。
せっかくですので、駅までのジモティ御用達のルートもお教えしましょう。moiを出たら、そのまままっすぐ青梅街道を渡りましょう。渡ったら左折、最初の角(酒屋さんのところ)を右折です。そして左手に「路地」がみえたら、左折。ちいさなスナックや居酒屋がひしめく細い「路地」です。ずんずん歩くと、荻窪駅の「西口」に到着。たぶん駅からの、これが「最短ルート」です(駅からくるときは、西口改札を出て右、階段を降りて正面の「セガミ薬局」左横の「路地」を入ります)。
というわけで、いずれ駅の南側エリアもご紹介させていただきます。
と、まあそんなわけで、梅雨の日本をしばし離れ、あしたから一週間ほどスウェーデン&フィンランドへいってまいります。その間、ブログの更新はおやすみさせていただきますが、また戻ってから「旅日記」などアップできればとかんがえておりますので、どうぞよろしくお願いします。なお、同様にメールのチェック、返信などもしばしできなくなりますが、あしからず。
19日[日]に帰国しますが、20[月]は定休日、21[火]、22[水]はイベントのみの営業となりますので、カフェ営業の再開は23[木]よりとなります。
旅で得たものをなんらかのカタチでみなさんにフィードバックできるよう、五感をフル回転させて動きまわってきたいと思います。では、またお休み明けにお目にかかりましょう!moimoi!
ヘルシンキを経由して、夕方ストックホルムにたどりつく。ヘルシンキではどんよりと曇っていた空も、もうすっかり晴れあがっている。日射しは強いものの空気はまだ相当につめたい。ホテルではまずトイレをチェック。はじめてフィンランドを訪れたとき、便器が「アラビア」製なのにひどく感激(?)したものだが、案の定ここスウェーデンでは「グスタフスベリ」製なのだった(写真)。だからといって、でてきたコーヒーカップに「TOTO」のロゴがはいっていたら、うれしいというよりむしろイヤな気持ちすらおぼえるのだから、人間なんて勝手な生き物である。
とりあえず荷物をひろげると、あとは一息つこうという話になってさっそく街にでた。日曜日の夜(とはいえ、まだまだ昼間の明るさなのだが)にしては若い子たちを中心に人出が多い。少ないながら営業している店もある。このあたり、ヘルシンキとはだいぶ様子がちがうようだ。セルゲル広場の界隈をぶらぶら歩いていると、チェーン系を中心としたさまざまなカフェが目につく。さすがは「fika(お茶する)」という言葉をもつお国柄である。
飛行機の中で食べてばかりいたせいで、残念ながらあまりお腹はへっていない。そこでヒョートリエットにほどちかい「マクドナルド」でお茶を濁すことに。じぶんたちをふくめ、店内はなぜか「外国人」だらけ。さまざまな言語、さまざまな肌の色にあふれた「移民」のおおい街なのだ。出発前、いろいろなひとから聞かされていた「ストックホルムは都会だよ」という言葉の意味が、そんなところからも実感される。
コーヒーを頼むと、スティッグ・リンドベリの「アダム」をモチーフにしたカップで出てくる(写真)。そう、「便器」を、ではなくて「便器」も(笑)作っているあの「グスタフスベリ」社を代表するデザイナー、リンドベリの不朽の名作をこんな気のきいたやりかたでリメイクしているのだから感心してしまう。どうやら、ラージサイズでオーダーすると「葉っぱ」の図柄で人気の高い「ベルソ」で出てくるらしいのだが、さすがに胃がガボガボなのでやめておく。ほかにも、かなり早い時期から店舗デザインを若手のデザイナーに任せたりと、スウェーデンのマクドナルドはおもしろい試みをいろいろやっている。ただし、サラダはまるで「鳥のエサ」のようだし、店内にはやたらとゴミが目立つしで、なんか「基本」が抜けてしまっているあたりがちょっと問題のような気がしないでもないが。
まだまだ沈みそうもない夕陽のなか、ホテルへと帰る。思えば、ながいながい一日の終わりである。
よく晴れている。天気予報によると、きょうはだいぶ気温が低いらしい。「ストックホルムはデカい(もちろん「ヘルシンキ」とくらべての話だけれど)」知人たちは口をそろえて、そう言う。忠告に従って、今回はできうる限り地下鉄で移動しようときめている。歩けそうなところでも地下鉄で。旅ははじまったばかりなのだ。中央駅の窓口で、まずは乗り放題のツーリストチケットを手に入れる。旅行者向けには、美術館や博物館などでも利用できる「ストックホルム・カード」というのがあるが、移動だけのために使うのなら断然割安な「ツーリストチケット」がおすすめである。
さっそく地下鉄にのって、建築家グンナー・アスプルンドの手になる「森の火葬場」へ(この話はまたべつのところで)。ふたたび地下鉄にのり、昼過ぎ、ソーデルマルムあたり。とにかくちいさくて気のきいた店が好きなので、今回の旅は「ソーデルマルム」だけでいいや、と極端にいえばそんな感じなのだ。ただ、行きたいギャラリーやショップのいくつかは月曜日で閉まっている。そこできょうは、メインストリートの名前と位置関係をアタマに叩きこむこと、くわえておもしろそうなショップが集中していそうな通りを発見することに重点を置いて、ひたすら歩く。やっぱり、けっきょく歩くのだ。でもこうして歩いているうち、街もだんだん親しげな表情になって、やがておもしろい店のありかをこっそり教えてくれたりするものなのだ。
こうして出会ったのが、壁の赤と白のツートンがかわいいZOUK cafeである(写真)。
近所のおじさんやショップの店員たちがふらりとやってきては、慣れた様子でオーダーしてゆく。そんな気取らない空気が心地いい。そしてここでおいしかったのが、なんといっても「キャロットケーキ」(写真)。ごらんのとおり、相当に荒っぽいつくりである。ニンジンが、これでもかとばかりザクザクとはいっている。素朴だけど、「そこでしか味わえないおいしさ」と出会えるのが北欧の醍醐味かもしれない。
北欧で「キャロットケーキ」はポピュラーなのだろうか、旅の途中あちらこちらのカフェでみかけたが、この店のやんちゃなキャロットケーキの味がぼくには忘れられないのである。
そしてまたも地下鉄を乗り継ぎ、エステルマルムへ。
ソーデルマルムのカジュアルな空気とはガラリと変わり、こちらはちょっと銀座ふう。相方のたっての希望で、「スヴェンスク テン」の本店へゆく。ふと気づくと、店内に流れるのははっぴいえんど「風をあつめて」。ストックホルムで「はっぴいえんど」。なんとも不思議な取りあわせだが、おかげでストックホルム滞在中、ずっとあたまの中ではこの曲がぐるぐると・・・。でも、この曲の「テンポ」にいまの「東京」は似合わない。むしろこの街の「テンポ」のほうがよほど似合っているかも、とそんなことをかんがえながら。
夕食は旧市街「ガムラスタン」で。味はというと、いわゆる「観光地」にふさわしいレベル。スープの殺人的なしょっぱさが理解できない。食後は腹ごなしをかねて、散歩しながらホテルへともどる。きりっと引きしまった空気が、この日の《最高のデザート》だった。
きょうもまたよく晴れた。午後には船でここストックホルムを発ち、ヘルシンキへと向かわなければならない。とにかく追われるようにして、ソーデルマルムへ。
アセる原因はほかでもない。じつは、今回まだほとんどなにも仕入れられていないのだ。初めてで勝手がわからないということもあるが、目をつけていたものも実際に手にとってみるとたいしたことなかったり、また値段が見合わなかったりで結局いまひとつピンとくるものと出会えていない。午前中は雑貨屋、セレクトショップ、それに本屋などをひやかして歩く。
ソーデルマルムは庶民的な雰囲気の街だ。こじゃれたインテリアショップなどにまじって、チープな古着屋やアジアン・テイストの雑貨屋などが点在するその雰囲気は、さしずめ中目黒 meets 高円寺といったところ。
ここで案外気に入ってしまったのが、「Sodermalm Saluhall」というイケてないショッピングセンター。まあ、言ってしまえば荻窪の「タウンセブン」のようなものである。ここの1階はちょっとした市場のようになっていて、魚屋や肉屋、それにパン屋、デリカテッセンのような店がひしめいていて魅力的。次回訪れるなら、この近辺に宿をとってここで食事を調達するのも悪くないななどと思う。
それにしても、こちらにやってきてからというもの朝ゴハンをはりきって食べすぎてしまうせいで、昼になってもお腹がすかない。困ったものだ。まあ、毎度のことではあるのだけれど。そこで、さきほどの「Saluhall」の中にあるカフェ「Soder Espresso」でケーキとコーヒーで済ますことにする。ケーキはブルーベリーをつかったもので、表面にはクランブルがのっている。「ソースをかけるか?」と尋ねるのでよくわからないままうなずくと、ほとんどソースの中でケーキが溺れているような状態になっていて衝撃をうける(写真)。
おそるおそる口に運ぶと、セーフ、甘さ控えめのフワフワのカスタードソースでしつこさは感じない。むしろケーキの甘さを中和してくれるようだ。近所のビジネスマン、ベビーカーを押した若いママ、お年寄りから若者まで気楽におとずれ「fikaする」、そんな普段着感覚のカフェなのだ。その後、お目当てのギャラリーでスウェーデンの作家の作品をチェックし、本屋や文房具屋ですこしだけ仕入れをして慌ただしくこの街をあとにした。
ストックホルムから、一晩かけてヘルシンキへと向かう客船「シリヤライン」が出航する港は市内のはずれ、ちょっと不便なところにある。そこで話のタネにと、ちょっと贅沢してタクシーに乗ってみることにする。スウェーデンのタクシーは、ベンツやボルボのステーションワゴンが主流。ぼくはできれば「ボルボ」に乗りたかったのだが、ガ~ン!やってきたのはこともあろうに「三菱」・・・(笑)。炎上することもなく、無事港に到着。
午後5時30分、波ひとつない静かな海を白亜の巨大客船がゆったりとすべりだす。船上のお楽しみは、なんといってもビュッフェディナー。なかなかおいしいとの評判だったのだが、いや、確かにおいしい。昼ゴハンをパスした甲斐あってムキになって食べる。食べる、また食べる。「シリヤライン」を利用するひとは、ケチをせずにビュッフェディナーを予約しましょう。きっと元は取れます。ちなみに相席になったスウェーデンの女子高生二人組は、からかい半分に横のフィンランド人一家のマネをしながらもの凄い勢いで「ゆでエビ」の山を片づけていた。それにしても、デザートまでいった後で、さらに「ゆでエビ」を山盛りにして戻ってきたのには驚きを通り越して恐怖すらおぼえた。しかもジュースといっしょに。大丈夫か、アイツら・・・。
日付けが変わるころ、船はフィンランド領のオーランド島に寄港する。誰もいないデッキに立ち、次第にちいさくなってゆくオーランドの港の灯りをながめる。とてもきれいな眺めだった(写真)。船内に戻り「Robert's Coffee」で買ったあたたかいコーヒーを飲めば、すっかり冷たくなってしまった体も少しずつあたたまってくる。キャビンのテレビでは、船内のディスコの様子をナマ中継している。ミラーボールが廻るダンスフロアでは、生バンドが演奏するアバの調べにのってなぜかチークを踊るイケてない人々の姿・・・オレの白夜にかすむオーランド島の印象を返してくれ・・・こうして海上の夜はふけてゆく。
ただいま!フィンランド。移動に船をつかったのはほかでもない。この眺めが、欲しかったのだ。
大型客船のデッキから一望のもとに見渡すヘルシンキの街は、さながら「箱庭」のよう。飛行機が普及するまでの長いあいだ、外国からこの国を訪れるひとびとのほとんどが目にしたであろう眺めがここにある。武藤章『アルヴァ・アアルト』(鹿島出版会)によれば、この港の一角に建つビルディングを設計したアールトは、かなり工事が進むまで中に入ろうとはせず、もっぱら離れた埠頭から建物を眺め、満足げに引き返すだけだったという。この国を最初に印象づける「眺望」の完成度こそが、あるいは彼のこだわりだったのかもしれない。
昼下がりの「マーケット広場」は、すでに夏のにぎわいを見せている。いちごやプラム、鮮やかな緑色をした「エンドウマメ」を売る屋台。魚のくんせいや色とりどりの花々、さまざまなお土産物を売る屋台のなかに、なにやらちょっと風変わりな屋台を発見した(写真)。
名づけて「ヘルシンキの母」。手相を観つつ、いろいろな相談にのっている模様。友人の画家ヴィーヴィ・ケンパイネンも、夏のあいだ、ここでじぶんの描いた絵を売っている。
ちなみにmoiのプッラのレシピは、このヴィーヴィから教わったものである。そして、いつもかならず顔をだすギャラリー、それにお気に入りのガラクタ屋へと向かう。このガラクタ屋は去年、うちの母親が古布でこしらえた飾り物と交換に、無理矢理ディスカウントさせて逃げた思い出(?!)の店である。気難しげな店のおばちゃんが入るなりニヤニヤしていたところをみると、どうやらこちらの顔を覚えいたらしい。まいったなァ。
歩き疲れるときまって、ぼくは苦いコーヒーがほしくなってしまうのだ。けれどもフィンランドで苦いコーヒーにありつくのは至難のワザだ。どこに行っても酸味の強いコーヒーばかり。そこでエスプレッソがうまいと評判のカフェ、「Espresso Edge」でひとやすみすることにする。
イタリア製のマシンを巧みにあやつり、きれいなおねえさんが淹れてくれるエスプレッソがまずかろうはずもなく・・・フィンランド初日、まだまだこの足は止まることを知らないのであった。
おかげさまで、本日も晴天なり。今回滞在しているホテルの窓からは、アルヴァー・アールト設計による「フィンランディア・タロ」をのぞむことができる。ソファーで読書していてふと目を上げれば、そこに白亜のフィンランディア・タロの姿が・・・こんな贅沢、そうあるものではない。
この日、さいしょに向かったのはDESIGN MUSEO。ちょうどいま、「マリメッコをつくった」そういっても過言ではないデザイナー、マイヤ・イソラの回顧展『マイヤ・イソラ~その人生、芸術、マリメッコ』が開催されているのだ。彼女のテキスタイルから感じられるのは「手」のぬくもりにほかならない。人間の手が描くからこそうまれる、ある種の「グルーヴ」。とりわけ素描にみられる「線」の、どこまでも単純でありながら、豊かでつややかな質感。相方いわく「迷いのない線」。納得。
DESIGN MUSEOを出てしばらく南下すると、地元で人気の「Cafe Succes」にたどりつく。ここは有名な「Cafe Esplanad」の姉妹店で、名物の顔の大きさほどもあろうかという超特大シナモンロールももちろん用意されているが、今回はランチをかねて「サーモンスープ」をチョイス。
大きなサーモンのかたまりがごろごろはいったサラリとしたスープ「Lohikeitto」は、フィンランドの代表的なたべもののひとつ。たっぷりとした器にもられたスープと大きなパンで、すっかり満腹に。一見ごくふつうのカフェだけれど、おしゃれな内装のお店より、じつはこういうお店ほどウケるのが「フィンランドらしい」。
「Cafe Succes」からさらに南下をつづけると、そこはヘルシンキの古くからの高級住宅街「エイラ地区」。観光客はほとんど訪れないけれど、「建築工匠」とよばれるひとびとが設計したユニークなフォルムや装飾をほどこした個性的な住宅が建ちならぶこの一帯は海にもほどちかく、まさに絶好の「お散歩コース」である。
ふくよかな緑の木々と白や紫のリラの花、鳥のさえずりしか聴こえてこない静かな邸宅街をステッキ片手に散歩する身なりのよい老紳士・・・ここで目にした光景はまるで「白日夢」のような、ベルエポックのヘルシンキ。
あるきつかれたら、小さなヨ16dットハーバーに面したカフェで一服するのがいい。カイヴォプイストには「Cafe Ursula」が、よりエイラの近くなら「Cafe Carusel」がある。きょう立ち寄ったのは、「Carusel」のほう。
気温もぐんぐん上昇するこんな日は、まさに「海カフェ」ですごすのにうってつけの日というわけで、どこからともなくお客さんもどんどん集まってくる。店内がすいているのはほかでもない、みんな日光浴ができるテラス席に陣取ってしまうから。とにかく、日なたから日なたへと移動するのが北欧のひとびとなのである。
けっきょくまた、きょうもずいぶんと歩いてしまった。でも、まだ夕方。仕入れもようやく調子が上がってきたことだし、まだまだ歩みを止めるわけにはいかない。
いざトゥルクへ、のはずだったのだが・・・。移動にかかる往復4時間弱の時間をヘルシンキでの仕入れにあてたほうがよいだろうという話になり、残念ながら今回は断念。個人的にはあの「ビミョー」な空気がきらいではないので、またチャンスがあればぜひ行きたいものだ。
さっそくHKLの窓口でツーリストチケットを買い、まずは地下鉄でハカニエミへ。おなじ「マーケット広場」でも、港に面した「マーケット広場」とは異なり、こちらはずっと地元密着型。マーケットホールは、食料品を中心とした一階と雑貨や骨董、おみやげを扱う店がならぶ二階とにわかれていて、客層も地元のおばちゃんや「おのぼりさん」風情のフィンランド人観光客などがほとんどだ。二階のまんなかには「休憩所」といった感じのカフェがあって、地元のおばちゃん、おばあちゃんたちが話に花を咲かせている。
ふと見ると、おばあちゃんたちが食べている「カレリア風ピーラッカ」がめちゃくちゃうまそうではないか。というわけで、急きょ予定を変更、ここで早めのランチをとることにする。
ほんらい家庭料理であるため、おいしい「ピーラッカ」にありつこうと思ったらどこかの家庭でごちそうになるしかないというのが実際のところなのだけれど、ここの「ピーラッカ」はそれでもかなりイイ線をいっているのではないだろうか。おばあちゃんの味覚を信用してよかったよ。
気づけばすっかり荷物が大きくなってしまったのでホテルに引き返し、仕切り直し。トラムにのって「ヒエタラハティ」へ。ここはフリマでよく知られているのだが、うっかり入れ替えの時間帯(清掃が入るため、午後にいちど全員が撤収する)にあたってしまったため出直すことにする。事前にチェックしていた店をのぞきながら、なかばキレ気味に「おやつタイム」である。
フィンランドのケーキというと主流はやはり焼き菓子で、日本人がイメージするようないわゆる「パティシェ系ケーキ」にはめったにお目にかかれない。フィンランド人にとっての「おやつ」は、ケーキよりはむしろ「プッラ」と呼ばれる菓子パンのたぐいなので、あまりニーズがないというのが実際のところなのかもしれない。いずれにせよ、そんなヘルシンキでパティシェ系のケーキが食べたくなったら、なにがなんでも「Kakkugalleria」に行くべきだ。
このお店をはじめて訪れたのは2001年のこと。当時ヘルシンキ在住だった建築家の関本竜太さんに連れてきてもらったのだった。残念ながらそのときお店はお休みだったのだけれど、すっかり気にいってしまい、以後ヘルシンキにきたらかならず立ち寄ることにしている。
今回はケーキをテイクアウトし、フィンランド人にならい近くの公園で太陽の光をいっぱい浴びながらたべてみた。友人や恋人と、あるいはひとりでと、思い思いの時間をのんびりすごすひとびとのいる「シアワセな景色」を見やりながら、こちらもしばしゆったりとしたひとときをすごす。
一服ついたら、さあ出発。あしたはいよいよ帰途につく日、のんびりしている時間はない。さてと、買い付け買い付け。
青空はのぞいているものの、はるかかなたには入道雲がもくもくと湧きおこっているのがみえる。午前中が「勝負」だな。そこでホテルをチェックアウトするまえに、24時間有効のツーリストチケットがまだあと30分ほど使えることを確かめてトラムにのりこむ。
行き先は、この旅行中で三回目になる「ヒエタラハティ」のフリーマーケット。ここはプロとシロウトが混在して出店しているので、数やメンツも日によってまちまち、ふたをあけてみないことには実態がつかめないのである。ここまでのところはややハズレ気味。使いかけの化粧品とか壊れた携帯電話、なにに使うのかもはやわからない電気コードなどなど、シロウトが家庭に眠っている不要品をもってきて並べているといった感じ。それでも、英語の得意でないおばあちゃんとカタコトのフィンランド語でコミュニュケーションをしていると、「まあ、あなたったらフィンランド語をしゃべるのねぇ」などと言いつつ、頼みもしないのにおマケしてくれることが二度ほどあった。ラッキーなこともあるのだ。よく晴れた週末ということもあって、きょうは店も客もいままででいちばん多い。目についたものをいくつか買いこむ。
大急ぎでホテルにもどるとチェックアウトをすませ、荷物を預けたらふたたび街へ。荷物の量はかなり大変なことになっている。ワレモノもおおい。前日ポストオフィスに確認したところ、ダンボール一箱を日本まで送るとだいたい送料が9,000円ほどもかかるという。そんな無駄はとてもできないということで、とにかくかつげるだけかついで、引きずれるだけ引きずってとゆこうという話になった。
大聖堂のあたりですこしおみやげものなどを買い、最短ルートでひたすら駅へと引き返すと計ったように通り雨が降りだした。昼食は、サノマタロの「Wayne's Coffee」でソーセージのキッシュとコーヒー。軽めにすます。もともとここには「modesty」というコーヒーショップがあったのだが、「modesty」がスウェーデン資本の「Waynes」に買収されたため、いまはこんな具合になっている。
ガラス張りのビルディングの吹き抜けに位置しているため店の雰囲気が大きく変わったというほどではないのだが、なんだかちょっと寂しい。今回の旅で、ヘルシンキの街はよくもわるくも変わっていた。もちろん、その変化の度合いは東京にくらべれば微々たるものかもしれない。それでも、確かにあったはずのものがなくなっているという現実は、この街もやはり、たとえそれが東京よりはずっとゆるやかな速度であるにせよ、確実におなじ方向へむかって変化しているのだという現実をつきつけてくる。東京がもはや失ってしまった「時間」を、ここヘルシンキにもとめるということがいかにナンセンスかということくらい、もちろんぼくだって了解しているつもりだ。けれどもmoiをオープンするとき、それに力を貸してくれた誰もがみな、フィンランドで感じたあのゆるやかな時間と空気とを東京の片隅で感じられる場所をつくろう、そんな気持ちでつながっていたのもまた事実なのだ。「変わらない」ということ、それもまた強い意志に裏打ちされたひとつのスタイルにちがいない。
つぎにこの国をおとずれるとき、いったいそこはどんな表情をもってぼくらを迎えてくれるのだろう。たのしみなような、そしてすこしばかりこわいような。
Terve!
一週間ほどごぶさたしておりましたが、さきほど無事スウェーデン&フィンランドの旅から帰ってまいりました。おかげさまでことしは天候にも恵まれ、まばゆい太陽の光とさわやかな空気に満ちあふれた「北欧の夏」を満喫することができました。旅で出会った印象にのこる物や事など、またあらためてこちらでご紹介できればと思っています。
もちろんことしも、足を棒にして重い荷物を引きずって連れ帰ってきた「おみやげ」の数々、なんらかのかたちでみなさまにご披露させていただく予定です。ことしは若干アイテム数は少なめですが、写真のようなアラビア社のヴィンテージや人気のノヴェルティー雑貨などを掘り出してきましたので、どうぞお楽しみに!販売方法などは、また詳細が決定次第お知らせいたします。
なお、カフェ営業は23日[木]から再開します。みなさまのお越しを心からお待ちしております!
ストックホルムの地下鉄は揺れる。むちゃくちゃ揺れる。乗り物酔いしそうなくらいに揺れる。
さしずめ、運転のヘタなひとのクルマに乗っているようなそんな感覚だ。さいしょは、たんにヘタクソな運転手にあたってしまったのだろうくらいにかんがえていたのだ。けれど、乗った列車が列車ぜんぶがそうなのだから、問題はもうすこしべつのところにありそうである。たとえば車両だとか、レールだとか。
じっさい乗客はみな、老いも若きもかならず走行中は手すりにつかまっている。きっとみんな「地下鉄は揺れるもの」、そう思っているのだろう。
ストックホルムで地下鉄に乗ろうというかたは、そこのところ覚悟しておいてください?!
ヘルシンキ中央駅のすぐかたわらにある「Posti(中央郵便局)」といえば、日本人観光客の多くがいちどは足をはこぶ人気のスポット。とりわけ、郵便博物館と切手やポストカードをあつかうショップは人気の的で、行けばかならず日本人と出くわす、そんな場所でもある。
その「Posti」のなかに、じつはとても使い勝手のいいカフェスペースが2カ所ある。まずは、「Kirje kahvila」。
博物館の入り口わきにあるここはスペースもちいさくつい見逃してしまいがちだが、なかなかの穴場的カフェである。とりわけ、「スープ」は気軽なランチにうってつけだ。店名どおり、ここで手紙を書いてそのまま投函する、そんな使い方もいいかもしれない。
もうひとつは、2階にある「中央郵便局のレストラン」という名前の「Ravintola Paaposti」。
ランチはサラダランチ、スープランチ、それにビュッフェスタイルのデリのランチで、月曜日~金曜日の10時半から13時半までやっている。値段はけっして安くはないが、明るく開放的なスペースが心地いい。どうやらここは「Postiの社食」を兼ねているらしく、昼時ともなると郵便局の職員たちが気ままにランチをほおばっている姿をながめることができる。
ランチといえば、北欧では「社食」や「学食」にかぎらずビュッフェ・スタイルをとっている店がすくなくない。これはなかなかよく考えられたスタイルだ。ビュッフェ・スタイルというと、日本ではホテルの「ランチビュッフェ」や「ケーキ・バイキング」のようについ食わなきゃ損、損みたいな世界になって結果「暴飲暴食」を悔やむことになりがちだが、本来はその日の体調やおなかの空き具合によってじぶんでメニューや量をコントロールできる合理的なシステムなのである。
日本でも、こんなカジュアルなビュッフェ・スタイルがもっと一般的になってもいいかもしれない。
ヘルシンキにある古くからの住宅街「エイラ地区」の一角で、石を積み重ねた外壁を取り壊している光景に出くわした。
壊しているのかと思いきや、よくよくみると一個一個の「石」にチョークで番号がふってある(写真)。どうやらこの番号、後で元通りに修復するための手段らしい。一個一個の石を取り外しそれらをふたたび元あった場所に戻すなんて、手間、ひま、おカネ、そのどれからしても効率的な作業とは言いがたい。だいたいが、考古学の話ではない。リフォームの話である。
これがもし日本であったなら、すぐさま分厚いカタログを手にしたリフォーム会社のセールスマンがやってきて、「この機会にぜひ、丈夫で長持ち、しかも新技術で本物の御影石の光沢を再現した『エクセレント高級外壁シリーズ『みやび DX』」に変えてみてはいかがでしょう?』などと提案するにきまっている。ところがここフィンランドでは、まるでそんな選択肢ははなっから用意されていないかのように、悠長な顔でひとつひとつ外壁の石を取りはずしているのである。
ここがいわゆる「高級住宅地」だからかというと、かならずしもそういうわけでもない。じっさい、公共工事の現場でもおなじような光景を目にした。さすがに番号まではふっていなかったが、街路の石畳をわざわざはずして道路工事をしていたのだ。いっそのこと、この機会にアスファルト舗装にでもしてしまえばよいと思うのだが、まったくそんな気配すら感じられない。あったものをあったままの状態に戻す、それはこの国のひとびとにとってごくごく当たり前のことなのだろう。
よく北欧は「エコロジーの国」などといわれるが、それはなにか大がかりなプロジェクトを通じて学ばれるべきものではなく、実際にはごく自然に、日々の営みのなかで育まれてゆくものであるにちがいない。そして北欧という場所は、おそらくそういう土壌なのだ。
「森の火葬場」。今回の旅で、もっとも印象深かった場所。
広大な森となだらかな丘陵に抱かれるようにしていくつかの教会と火葬場、そして無数の墓地が点在するそこは、1940年、建築家のエリック・グンナー・アスプルンドとジーグルド・レウレンツの手によってストックホルム郊外につくられた。アスプルンドはときに「北欧近代建築の父」とも呼ばれ、アルヴァー・アールトにもたいへん大きな影響をあたえたひとである。
じつは当初、ここを訪れる予定はなかった。「森の火葬場」のことは以前から知っていたし、そのすばらしさについて何人かのひとの口から聞かされていたにもかかわらず。その理由をひとことで言えば、「『火葬場』という特殊な場所にゆくという感覚がわからなかったから」である。漠然とした恐怖心のようなものもあったし、なによりそこは「興味本位に訪れるべきではない不可侵の聖域」という印象がつよくあった。けれども北欧へと旅立つ数日前、やはりそこを訪ねるべきではないか、訪ねなければ後悔するかもしれないという思いがもくもくと湧きおこり、けっきょく予定に組み入れることにしたのだ。決断はまちがっていなかった。
さて、この旅行記を終えるためには、どうしたってこの場所について書かなければならないとずっとかんがえていた。けれども、遅々として筆が進まなかったのは、ここで受けたつよい印象、そして感じた情感は、けっして「ことば」によって語りうるものではないということがわかってしまったからだ。ここはだれかのために心静かに祈りを捧げる場所、つまり「『ことば』を必要としない場所」なのだ。
じっさい訪れた「森の火葬場」は、思いのほか殺風景でも、陰鬱でもなかった。ふくよかな木々の蒼(あお)、木立をわたる風の音、色とりどりの可憐な花々やキノコ、リスやさまざまな鳥たちの声とその姿、そしてこうした景色のなかに完全に溶け込んでしまったかのようにみえる慎ましいたたずまいの建物と無数の墓標群ーそこに立ち、たくさんの「いのち」の声が語りかけてくるものをききながら、むしろ、ぼくの心はとても平和におだやかになってゆくのを感じていた。
もうひとつ、どうしてもつけくわえたいのは、ここはアスプルンドとレウレンツというふたりの建築家によってつくられた場所にちがいないけれど、それだけではけっしてないということだ。ここを散策していた数時間に、ぼくはほんとうにたくさんのひとびとの姿を目にした。シャベルと花を手にお参りにきた老人たち、葬列に参加する老若男女、そしてこの場所ではたらく大勢のひとびとの姿だ。その姿からは、かれらがいかにこの場所を愛し、誇りに思っているかがひしひしと伝わってきた。かれらひとりひとりの思いと献身的なしごとがあってはじめて、この場所はいつまでも守られ、「特別な場所」でありつづけることができるのだ。そしてもしかしたら、そこでもっともぼくを感動させたものは、じつのところそんなさりげないかれらの「姿」であったかもしれない。
さて、お送りしてきました「旅のカフェ日記」はこれにておしまいです。ご愛読ありがとうございました。
夏のフィンランドでは、天気さえよければあちらこちらの公園でこんなゆるい光景を目にすることができる。日が長いので、ようやく太陽が沈みかけ肌寒くなってくる深夜ちかくまで、ひとびとは芝生にこしかけビール片手におしゃべりに興じている。ハッピーで、なんともぜいたくな眺めだ。
ところが、一夜明けて散歩に出ると目にはいってくるのは・・・日本でいえば、さしずめ「お花見の後」のようなこんな光景。
そういえば、あちらの新聞でも若者のゴミ放置が問題にされていたような・・・。北欧というと「エコロジーの国」というイメージをもっているひともおおいことだろう。じっさい、「リサイクル」などについては市民生活に根づいている印象をうける。けれどもその一方で、ゴミの分別が日本ほどきっちりなされていなかったり、こんなふうにあっけらかんとゴミをポイ捨てしていったりと、極東からやってきたガイジンの目に映る「エコの国」はどうにもアンバランスなものだったりもする(そのために市の清掃局があるのだ、という理由なのかもしれないけれど・・・)。
余談だが、下の写真を撮っていたらおばちゃんたちから笑われてしまったよ。「変な外人」と思われたんだろうな、きっと(笑)。
この夏、海外への旅行を計画されているという方、たくさんいらっしゃるのではないでしょうか?
ここmoiでもゴールデンウィークあたりから来月くらいにかけて、お客さまや知り合いを中心に出国&帰国ラッシュがつづいています。「行き先」はもちろん、北欧。なんでも、旅行代理店の調べによるところではこの夏の人気旅行先第一位は「ハワイ」なのだとか・・・。
いっぽうmoiにおけるランキングはというと、第一位はやはり「フィンランド」、つぎにくるのは「スウェーデン」や「デンマーク」、さらに「ノルウェー」や「エストニア」がそれにつづくといった感じ。残念ながら、ハワイに行く、あるいは行ってきたという話はほとんど耳にしたことがありません。すくなくともこの空間にかんする限り、フィンランドはハワイをもしのぐ人気の観光スポットといえそうです。・・・う~ん、なんかまちがっているような・・・。
以前、BSE問題にかんれんして「日本の常識は世界の非常識」と発言してひんしゅくを買った政治家がいましたが、どうやらmoiの常識はかなりの非常識ということになりそうです。
山手線をつかって池袋から渋谷まで通っていたころのこと、車窓から一瞬ちらりと姿をみせるある「建物」のことが気になって仕方なかった。それは、目白と高田馬場とのあいだの丘の上にそびえたつ白亜のモダンな建造物だった。そこで、長年の「なぞ」を解くべく、その「正体」をたしかめに目白へと行ってきた。
目白駅から歩いて10分ほど、急な坂をのぼりつめた丘のてっぺんにその「建物」はあった。
スパニッシュ・コロニアルというのだろうか、白亜の壁とアーチ状の窓が印象的な建物である。門柱には「日立目白倶楽部」という表札がかかっているが、こちらのサイトによると、もともとは学習院大学の寄宿舎として昭和初期に建てられたものだという。山手線からみえるのはこのエントランスのちょうど裏側の部分で、その窓からは新宿の高層ビル群がきれいに見わたせるはずである。日立製作所社会貢献部のみなさま、どうか一年に一度くらい一般向けの「見学日」を設けていただけないものでしょうか?
このすぐちかくにもうひとつ、目を引く建物がある。日本バプテストキリスト教目白ヶ丘教会だ。
この教会を設計したのは、建築家の遠藤新。フランク・ロイド・ライトのもとで、「旧帝国ホテル」や池袋にある「自由学園明日館」の建築にたずさわった人物である。閑静な住宅街に静かに溶け込む教会の姿は、ここ東京ではめったに出会うことのできない眺めではないだろうか。
さらに足をのばすと、やがて「おとめ山公園」へとたどりつく。名前の由来は、この一帯が徳川将軍家のお狩り場であったため「立ち入り禁止」であったこと(「御留山」)からきているもので、「乙女」がいるわけでも、ましてや「お留ばあさん(推定81歳)」がいるわけでもないので、あしからず。
それにしてもここはすごい。一歩足を踏みいれれば、そこは「公園」というよりも文字通りの「山」である。都心にこんなスポットがぽっかり残っているなんて、ちかくを何度も通っていながらかんがえたことすらなかった。散歩にはわるくないけれど、人気がないのと木々が鬱蒼と茂っているため、女性のひとり歩きは避けたほうがいい。
周辺には、まだまだ風情のある古い住宅や洋館などが残っているものの、途中、解体や改築の工事現場に幾度も遭遇した。古い建物やそうした街並がすきな方は、ぜひ、いまのうち足を運んでおいたほうがいい街だとおもう。
あさって2/5[日]放送のテレビ番組「世界遺産」は、満を持して「森の火葬場(スコーグスシュルコゴーデン)」の登場です。ストックホルム近郊にあるこの場所がいかにひとの心を打つ空間であるかは、ぜひこちらをご覧ください。どうぞお見逃しなく!
行こうときめていたところから偶然はいったところまで、今回の京都旅行では7つのカフェや喫茶店に立ち寄りました。
◎ 喫茶 雨林舎(二条)
二条の路地にある町家カフェ。「なんでこんなところに?」とmoiではよくお客様から尋ねられますが、そう尋ねるひとの気持ちがよくわかりました。なんでこんなところに?雨の日に、ここで小説など読みながらお茶していると、おもいっきり自分に酔えそうです。外がわがカリッとしたホットケーキ、おいしかったです。ちなみにBGMは、カエターノ・ヴェローゾでした。
◎ 六曜社地下店(河原町三条)
いうまでもなく、京都に行けばかならず立ち寄る喫茶店です。変わらないであることのすばらしさを、ここはいつも教えてくれます。いつ訪れてもおなじ時間が流れているので、4年ぶりにたずねたという気がぜんぜんしません。きのうもおとといも、そのまえも足をはこんだような、そんな錯覚に陥ります。インド、あいかわらずのうまさでした。BGMは、モーツァルトのピアノコンチェルト。
◎ マエダコーヒー本店(蛸薬師通烏丸西入)
朝ごはんに行きましたが、たいそうなにぎわいでした。近くには京都芸術センター(元明倫小学校)に併設された「明倫店」というのもありますが、こちらはより「地元度」が高いですね。ここの特徴は、ウェイトレスのみなさんの声がとてもよく通ることではないでしょうか。たぶん、みっちり鍛えこまれるのでしょうね。ところが想定外の応対になると、一転、とたんに声がちいさくなってしまい、そこがまたいいところだったりします(笑)。ところで、こういうとき「萌え」と表現をするのは正しい使い方なのでしょうか?BGMは、特になし。
◎ スーホルムカフェ京都店(四条烏丸)
早めの晩ごはんの後、どこかでお茶がしたくてたまたま入ったカフェ。新宿にもあるし、わざわざ京都に来てまでと思ったものの、「COCON烏丸」の中にあるここは、その贅沢な空間の使い方を味わうだけでもじゅうぶん価値がありました。おまけに、案内されたのが「エッグチェア」の「特等席」(なんたって一脚50万円也ですからね)だったので、余計にくつろいでしまいました。BGMは・・・憶えてない。たぶん、クラブジャズっぽいやつ。
つづく
東京に暮らしていると、カフェや喫茶店はなにか「目的」をもってゆくところ、そんな気がしてきます。疲れたから、ともだちと会うから、おなかがすいたから・・・。いっぽう京都では、年代や性別を問わずなんとなくふらりとカフェや喫茶店にやってくる、そんなひとたちが目立つように感じられます。だから心なしかお客様も、ふわっと店に入ってくる、そういう感じがするのです。
◎ イノダコーヒ四条支店(四条通東洞院東入る)
イノダといえば「本店」や円形カウンターの「三条支店」がおなじみですが、四条駅のあたりに宿をとることの多いぼくは、おなじイノダでももっぱらこちらにお世話になっています。場所柄、これから東京にもどるという最後の最後に立ち寄ることが多いせいか、ここでコーヒーを飲むと「あ~あ、もう帰んなきゃならないのかぁ」というちょっと寂しい気分になります。条件反射ですね。BGMは、なし。
◎ マエダコーヒー四条店(四条通西洞院西入る)
朝ごはんを食べようと四条通りのイノダまで行ったのですが、あいにく開店時間までまだ間があったため、けっきょく泊まったホテルの横にあったこの喫茶店に入りました。「四条店」とはなっているものの、あの「マエダコーヒー」とはおよそ似ても似つかない「渋い」外観のお店です。moiとおなじくらいの大きさのお店を、寡黙なマスターと、その奥様とおぼしき年配のおふたりで切り盛りされています。界隈のビジネスマンの常連さんが多いらしく、マスターはそんなお客様の顔を見ると「いらっしゃい」と声をかけるでもなく、注文をきく前に即コーヒーのセットに入っています(笑)。絶妙な「間」でした。BGMは、KBS京都放送のラジオ。
◎ SARASAかもがわ(荒神口)
今回の旅でいちばん気に入ったのがココ。どうひっくりかえったって、東京でこういうカフェをつくるのは不可能です。ある意味、「町家カフェ」以上に京都らしい、そんなカフェだと思います。ちょうどいい湯加減のお風呂につかっているような心地よさが、ここにはあります。いい湯加減のお風呂から上がるのが辛いように、こんな店が近所にあったら日常生活に支障をきたしてしまいそうです。自家焙煎しているというコーヒーも、まじめにおいしいコーヒーでした。余談ですが、このあたりの鴨川のたたずまいが、なんだかのどかでぼくはとても好きです。そしてBGMはジャンゴ・ラインハルトでした。
進々堂やエスフィーファ、それに北大路のカフェジーニョなど、行くつもりでいたのにけっきょく次回の宿題になってしまったカフェや喫茶店もたくさんあります。「宿題」をかたづけに、そう遠くない将来また京都を訪れたいものです。
法然院にいってきた。京都へでかけてもほとんど神社仏閣には縁のないぼくであるが、今回ここだけは行こう、そう決めていた。
ちょっとあやしげなぼくの知識では、貴族や裕福な商人らがお金や財産を寺に寄進することで「徳」を積み、「極楽浄土」ゆきの切符を手にするいっぽうで、その他大勢の、そうした財力をもたない市井のひとびとは「地獄」に落ちざるをえないのかと悲嘆にくれ、あるいは自暴自棄になっていた時代、財力や寺への寄進などとは関係なく、どんなひとであろうとただ「念仏」さえ唱えれば等しく「阿弥陀如来」によって救われ「極楽浄土」へと迎え入れられる、そう説いたのが「法然」というひとだった。
そんなふうにいうと、まるで「念仏」が「魔法の呪文」のようにきこえるがそういうことではない。ここでいう「念仏」、つまり「南無阿弥陀仏」というのは、ひらったく言ってしまえば「神様~」という究極にシンプルな呼びかけのことばにすぎない。ひとは、思わぬピンチに立たされにっちもさっちも行かなくなったとき、つまりじぶんの力だけではもはやなんともしがたいと知ってしまったとき、おのずとじぶん以外の何者かに助けを求めてしまうものである。そうした救いを求める心の叫びこそが、つまり「念仏」である。そして、 「阿弥陀如来」はすべての助けを求めるひとびとを救いたいという「願い」を立てて仏さまになったのだから、当然その呼びかけに応えてくれるはずである、そう「法然」はかんがえた。
こうした「浄土の教え」を、ぼくは勝手に「『気づき』の信仰」ととらえシンパシーを抱いてきた。思わず「神様~」と叫んでしまうような絶体絶命のピンチというのは、またじぶんの「限界」を知り、けっしてひとりでは生きてゆけないことに気づく、そうした唯一無ニの「チャンス」でもある。去年の暮れに突然体調を崩したとき、ふしぎなことに、じぶんのことや周囲のことがそれまで以上にクリアにみえ、かえってさわやかさのような感覚をおぼえた。じぶんの「限界」を知ったこと、他人のやさしさを知ったこと、その「気づき」のよろこびが、たぶん病気のつらさを凌駕してしまったのだろうと思う。そしてちょうどそんな折、「東京カフェマニア」を主宰されているサマンサさんのブログをとおして出会ったのが梶田真章さんの『ありのまま』という本である。
今回たずねた「法然院」の貫首(住職)をつとめる著者によって、そこには日々をていねいに暮すことのすばらしさが淡々とした口調でつづられている。梶田さんのことばには、大上段に構えたようないかめしさや説教臭さはまったく感じられない。読んでいると、口にふくんだ「水」のようにすーっとじぶんのからだに浸透してゆくのがわかる。そして、このタイミングでこのような本に出会えたのをラッキーと思うとともに、なにか強い「縁」のようなものを感じたのだった。
この日、かつて法然が「念仏」を唱えたというゆかりの地で、ボソボソと「南無阿弥陀仏(ありがとう)」と唱えてきた。
ブルース好きはメンフィスを、アールト好きはユヴァスキュラをめざす。そして喫茶店好きはといえば、そう、京都をめざす。
というわけで、唐突ですがこの連休をつかって京都にいってきました。去年の暮れに病気をし、以後お店をしばらく休んだり治療をしたりするなかで、いままでになく自分のこと、そしてモイについてかんがえる時間を多くもつことができました。ならばいっそのこと節目の年ということで、いろいろ感じたりかんがえたりする一年にするのもわるくない。こうして4年ぶりの京都旅行は突然にやってきたのでした。
なんといっても京都の喫茶店とそこに集うひとびとの姿は、モイにとってはいわば「永遠のお手本」のようなもの。思えばそんな様子がまぶしくて、うらやましくて、ぼくはここ東京に「モイ」という場所をつくったのでした。
時間にしたらたったの二日ほどの滞在でしたが、それでも京都という街はぼくにとってはやっぱりなんだかまぶしくて、そしてうらやましくなる場所でした。夏にはモイもまる四年、「京都」に4センチくらいは近づけたでしょうか?
京都のベーカリー、hohoemi(ホホエミ)のシナモンロールです。鴨川のほとり、荒神橋のたもとにあります。
白粉をほどこしたようなルックスが「舞妓さん」を思わせる、京美人なシナモンロールです(無理矢理ですが)。これをかぶりつきながら鴨川の河原を散歩したい誘惑になんども駆られましたが、写真を撮らねばという「使命感」でなんとかホテルまで持ち帰りました(撮影終了とともに胃袋に消えたのはいうまでもありません)。
お味はというと、外はしっかり、中はもっちりでなかなかユニークな食感のシナモンロールでした。ちなみに、砂糖のアイシングだとばかり思っていた表面、じつはバタークリームのようなもので、持ち歩いているあいだにすっかり「化粧崩れ」してしまったのが悔やまれます。
京都旅行の戦利品。
おなじみ「アンクルトリス」のデッドストックのてぬぐいです。トリスウィスキーのノヴェルティーと思いきや、「サントリー 純生」というロゴと酒屋さんの店名、そして電話番号がプリントされています。オリジナルの「純生」ブランドは1967年から82年にかけて販売されていたとのことなので、その時代に販促用として配られたものと思われます。
それはともかく、やはり注目は「アンクルトリス」の衣裳でしょう。なんと、ヴァイキングのコスプレをしています。高く掲げた右手には盃が、そしてその上には「SKAL」(=乾杯)とノルウェー語がプリントされています。
どうやらどこに行っても、けっきょく「北欧」に呼ばれてしまうようです。
船橋といえば「中山競馬場」というぼくのイメージを一気に払拭してしまったのが、そう、先月オープンした「イケア船橋」の存在。なにはともあれ、やはり一発「視察」に行かにゃあならんでしょう、というわけで、早速いってまいりました。
平日の昼間だというのに、中はとにかく人、人、人。賑わってます。でも、本気モードで買い物に集中しているひとはすくなく、自分もふくめ「とりあえず来てみました」という冷やかしの客がほとんどといった印象。
ところで、お客様から事前に収集した情報によると、際立っているのは
・とにかく安い
・食料品コーナーがなかなか充実している
というふたつの点。
値段は、たしかに「安い」です。びっくりするほど安いものもけっこうあります。当然、「中国製」とかが多いです。個人的には、大物の家具などでいいなあと思うものがいくつかありましたが、小物類はあまり欲しいと思うものがありませんでした。いちばん魅力的だったのは、「キャンドル100ピース350円」。これくらいの値段なら、ケチケチせずに使えるのに。あと、やはりお国柄というべきか照明器具のヴァリエーションは豊富でした。
そして食料品コーナー。ここはエキサイトしました。リンゴンベリーのシロップやサーモン、ニシンの酢漬けにはじまり、スウェーデンビール、冷凍の肉だんご、クラウドベリージャムから「例の黒いグミ」まで、いままで北欧でしか買えなかった食料品を安く手に入れることができます。本当はもっと買い込んできたかったけれど、荷物になるのでグッとこらえました。
というわけで、気づけば消耗品&食料品ばかりに目がいってしまった「初IKEAレポート」でした。
食べる。本当のことを言うと、「イケア」へでかけた「最大の目的」はそこにあったのでした。実際、到着するなり脇目もふらずレストランへ直行。
まずは、スウェーデンではおなじみ、リンゴンベリーのジャムを添えた肉だんごとサーモンのソテー、それにパンとサラダです。冷凍と知っていても、やはり気軽に北欧気分を味わえるのはいいですね。
そして、こちらの「メロンまんじゅう」のようなルックスのものは「プリンセスバーケルセ」。スウェーデンではおなじみのケーキです。緑色のマジパンの下は、スポンジケーキ&生クリーム&ラズベリージャム。ご想像のとおり甘いです。甘いですが、そういうもんなんだから仕方ないです。おそらく、常時これを食べられるのは日本中でただここだけでしょう。
ほかに「シナモンロール」もあったのですが、こちらは次回アップします。とりあえず、北欧好きならそれなりに「酔える」空間だと思います。
船橋にある「IKEA」のカフェで食べたシナモンロールです。
「ミニシナモンロール」とあってサイズは小ぶりです。形は、おなじみの「渦巻き状」。生地はやわらかく、バターの量が多いのかパイ生地に近い印象です。全体的には、前回ご紹介した「Pen Station Cafeのヨーロピアンシナモンロール」に似ています。スパイスは、カルダモンの風味が強めの北欧風。
フィンランドのシナモンロール「コルヴァプースティ」とくらべると、形、そして生地に明らかな違いがあります。スウェーデンでは「シナモンロール」を食べたことがないのでよくわかりませんが、フィンランドのシナモンロールはやはり個性的な存在のようです。
もうじき、うかつに外も歩けなくなる季節がやってくる(←花粉症のため)。心おきなく散歩できるのもいまのうちだ。そこで、銀座へ出たついでにひさびさに「浜離宮」まで足をのばしてみる。
浜離宮といえば手入れのゆきとどいた日本庭園としてよく知られているけれど、あいにくぼくは「庭園を愛でる」などという高尚な趣味は持ち合わせていない。ただただぶらぶらと、季節柄まだ人気の少ない庭園を歩きながら「光」や「色」が織りなす即興的な景色にいちいち目を奪われたり感心したりしながら、「やっぱりたまにはこういう時間も必要だよなぁ」などといまさらながらに思ったりするのだった。
ところで、ここ「浜離宮」には彫刻家だったぼくの曾祖父がこしらえた銅像がある。
「可美真手命」と書いて「ウマシマデノミコト」と読む。『古事記』に登場するらしいのだが、くわしいことは知らない。むかしは正門から入ったすぐのところに立っていたと思うのだが、いつのまにか庭園の中央あたりに移設されていた(たぶん)。
静かでおだやかな土地に行きたい、そう考えたとき、まっさきに思い浮かんだのは松江、そして出雲のことだった。
出雲へは羽田から飛行機で約一時間、松江はさらに車で三十分ほど走ったところに位置している。松江の中心部にさしかかると、左手に宍道湖、右手に松江の町並みを見ながら車はしばらく宍道湖の湖畔の道を進んでゆく。そのとき、なぜだかぼくは無性に「なつかしい」という感情にとらわれたのだった。
実をいえば、ぼくがここ松江を訪れるのは三度目のことである。「なつかしい」と感じたとしても不思議はない。けれども、ぼくが感じた「なつかしさ」は、どうやらそうした質のものではないような気がしてならないのだ。それは、初めてヘルシンキに降り立ったとき、初めてにもかかわらずなぜか「なつかしい」と感じたあのときの感じにとても似ている。
車はというと、あいかわらず湖畔の道を走っている。右手にはマンションやパチンコ屋、オフィスビルといった何の変哲もない地方都市の景色。ところが、左手を見ると、そこにはただ広々とした美しい湖の眺めがひらけているばかりだ。右を見るか左を見るかで、その視界はまったく異なってしまう。つまり、いまぼくは都市と自然の、ちょうど境界線上にいるというわけだ。もっといえば、松江という土地がそれじたい「境界」なのであって、そこでぼくは思いのままに自然に逃げたり、都会に戻ったりできるということである。それは、ざわざわした都会の喧噪にはうんざりだが、かといってまるっきり自然の中では、思いっきり「アウェー」すぎてくつろげない、ぼくのような人工的な環境のもと生まれ育った人間にとっては好都合である。
鴨川の川べりに下りるだけで自然に帰れる「京都」しかり、すこし離れれば海にも森にもほど近い「ヘルシンキ」しかり、どうやらぼくは都市と自然というふたつの「顔」をあわせもつ土地にこそ強く惹かれるらしい。そして、さいしょに感じた「なつかしさ」とはたぶん、そこに「自分の居場所」をみつけたことからくる、いわば「幸福感」であり「安心感」であるといえるかもしれない。
出雲、そして松江を歩いていると、喫茶店はおろか、ファーストフードのお店すらほとんど目にすることはないというのに、和菓子屋とそば屋はやたらと目につく。そんなわけだから、ほとんど必然的にと言うべきか、毎日お昼には出雲そばを食べていた。
まず最初に入ったのは、「一色庵」というお店。じつは十年ほど前に旅したとき、偶然入った「松本そば」というお店がとてもおいしかったので今回もまた行くつもりになっていたのだが、そこは数年前にすでに店じまいしてしまったという。そこで、その「松本そば」で修業した職人さんの店だという「一色庵」をめざしたというわけだ。
ここで注文したのが、「鳥そば」。
いきなり変化球からはいってしまった・・・。あたたかいつゆ(ソバ湯)のなかにソバが入っていて、上にはニンジン、ショウガ、刻みのり、それに甘辛く煮た鶏肉がのっている。つゆそのものには味がなく、そばつゆを入れて味加減を調節する。さらに、食べているあいだにだんだんつゆのとろみが増して固まってくるので、そのつど「ソバ湯」を足して薄めながら食べるという、ある意味驚きの新食感!?こちらでは「釜揚げ」を注文すると、このスタイルで登場するのがフツーらしい。寒い地方ならではの、体がよく温まりそうなメニュー。とはいえ、いまは夏・・・いきなり汗だくでのスタートである。
続いて入ったのは出雲大社のお膝元、稲佐の浜にほどちかい「平和そば本店」。
最寄りの駅からぶらぶらと二十分ばかり、照りつける太陽のもと熱中症に怯えながら歩いたのだが、驚くべきことにその間わずか数人ほどの人影しか目にしなかった。横断歩道ではバイクが、こちらが道路にさしかかるよりもはるか前からブレーキをかけて道を渡り切るまで待っていてくれる。こんなところでお店なんてやってゆけるのだろうかと余計な心配をしながら扉をあけると、なんと店の中は相席アリのほぼ満席状態。みんな車やバイクでやってくるらしい。なるほど、歩いているひとなんていないはずだ。
ここで注文したのは「三色割子蕎麦」。ところで「割子」は、「わりこ」ではなく「わりご」と濁って発音するのが正解。いや、前日となりに腰かけていた地元のおばあちゃんがそう言っているのを聞いてはじめて知ったのだけれど・・・。
ちなみに今回入った三軒のうち、個人的にいちばん好みだったのはここのソバ。いつでも行ける地元のひとがうらやましい。それにしても、居合わせた常連さんがいきなり「カツ丼!」と注文したのには驚かされた。ある意味、なんて贅沢なことなんだ!
最後に入った店は、松江で地元のひとに人気だという「中国山地蕎麦工房ふなつ」。人気というだけに、前日と同様ほとんど外はゴーストタウンだというのに、一歩店に入ると空き待ちの行列状態。松江、出雲のひとびとはほんとうにソバが好きなんだなぁとあらためて感心する。ここでは、シンプルに「割子そば」を注文。
ここのソバの特徴をひとことでいえば、ワイルド&ストロング。「最強の51歳」ことビリー・ブランクスもビックリのタフなそばである。コシの強さはもちろん、粗挽きゆえのザラつきが舌に残る感じだ。関東のソバとくらべると、あきらかに「出雲そば」の場合「食べたぁ」という充足感が強い。それだけ素朴かつ日常的な食べ物ということなのだろう。
と、こんなにも書き並べた後で言うのもなんだが、ぼくはぜんぜん「そば」に対する特別なこだわりはなく、決して「おいしい」とは思わないまでも平気でコンビニで売られているソバを食べてしまうような人間である。なので、「出雲そば」についていろいろと知りたいひとはこちらのサイトでぜひ勉強してみてください。
宍道湖の夕日はすばらしい。「日本の夕陽百選」にも選ばれているらしい。じっさい、静かな湖面のむこうに大きな夕陽がゆっくり沈んでゆくさまを眺めていると、時間がたつのさえ忘れてしまう。
松江にはいくつかの「夕日スポット」があるが、宍道湖の湖畔にたたずむ島根県立美術館(設計は菊竹清訓)もそんな「名所」のひとつ。美術館のテラスはそのまま水際につながっていて、宍道湖をのんびり眺めてくつろぐことができる。とりわけこの時期には閉館時間を日没後三十分としているので、展示と夕日をセットで楽しめるという趣向だ。ちなみにこの日、日没は19時25分だったので閉館時間は19時55分だった。
夕日待ちをしているあいだ、暮れゆく空に幻日(げんじつ)という現象をみることができた。画像の中央よりやや右上部分にひときわ明るく七色に輝いている光がそれだ。
そのメカニズムについては、なんど説明を読んでもわからないし、仮にくわしい人に説明してもらったとしても理解できないと思う。要は、虹みたいなものである(たぶん)。
夕日が沈んでゆくとき、一羽のアオサギがこちらに背を向けてじっと杭に止まったまま夕陽の方角をみつめていた。みとれていたのだろうか?
松江というと、小泉八雲ことラフカディオ・ハーンを思い出すひとも少なくないだろう。
じつは、今回あらためて記念館などをみて知ったことなのだが、ラフカディオ・ハーンが松江で過ごした時間はわずか一年三ヶ月ほどにすぎない(その後赴任した熊本での生活は約三年)。とはいえ、『怪談』や『知られぬ日本の面影』といった代表作がこの土地での生活から誕生し、そこで妻をめとり、後に日本に帰化するにあたっては「出雲」にかかる枕詞である「八雲」をその名前としていることなど、彼が生涯にわたって出雲や松江を愛し続けていたことがよくわかるのである。また、この地方のひとびとも「へるんさん」と親しみをこめて彼を呼んでいたらしい。
当然、松江にはそんなラフカディオ・ハーンゆかりの場所がいろいろある。
ハーンが、妻セツとともに過ごした家。塩見縄手と呼ばれる、松江でもっとも趣のあるエリアに建つ武家屋敷である。並びにある記念館では、彼が好んだというキセルのコレクションや使用人に用事を言いつける際に吹いたほら貝(!)などがみれる。当時海外で出版された単行本の装幀は、ウィリアム・モリスばりの見事なアール・ヌーヴォー様式。かんがえてみれば、二十世紀初頭+ジャポニスムといえばまさにアール・ヌーヴォーの王道、その意味で彼はまさしくモードな存在だったといっていいかもしれない。
下の画像は、ハーンのエッセイにも登場する月照寺の大亀の石像のアタマ。
夜な夜な松江市内をうろついては人を喰らい、大暴れしたという伝説が残っている。まじかに見ると予想を上回るデカさで、高さは鼻先の部分でだいたいぼくの身長(171cm)ほどもある。
「(松江の)三十三ある町のそれぞれに、独自の怪談が残っているのではないかと思う」と、随筆「神々の国の首都」のなかでラフカディオ・ハーンは書いている(池田雅之訳)。事実、松江の神社仏閣で耳にしたり、妻セツから聞いた話をもとに彼はあの『怪談(Kwaidan)』を書いたのだった。
この『怪談』のなかでもとりわけ有名なのは、やはりなんといっても「耳なし芳一」ではないだろうか。当然(?)、松江にはこの「耳なし芳一」の銅像が存在する。記念に写真でも撮ってやろうと見にいったのだが、これがリアルに怖い。ファンシーな「耳なし芳一」というのもどうかとは思うが、なにもここまで怖くしなくたっていいのでは?おまけに急に暗くなってポツポツ雨まで降ってくるし・・・。というわけで画像はなし。
でも、いちばん怖かったのはバスの中でのことだ。松江には、旅でここを訪れたひとのために、市内の主だった観光スポットを周遊する路線バスが運行されている。一回百円、一日乗車券は五百円と手ごろだし、観光スポットを通過するごとにテープで解説が流れるのもありがたい。
それはバスが「松江大橋」にさしかかったときだった。車内には、松江大橋の工事をめぐるこんなエピソードが披露される(以下、バスガイド風の口調でお読み下さい)。
「この松江大橋の工事は難航をきわめ、何度も失敗をくりかえしますが、あるとき、たまたま通りかかった源助を人柱に立てたところ工事は無事成功・・・」
え、えーっ?!思わず叫んでしまった。というのも、「たまたま通りかかった源助を」のくだりが、あまりにもごくフツーのことといった感じにさらりと流されてしまったからにほかならない。「さすがにしょっちゅうとはいわないけど、わりとよくあるみたいだよ。たまたま通りかかった人を人柱にしちゃうみたいな。」そんな感じの軽さだ。いくらなんでも怖すぎる。
この「不運な源助」については、ラフカディオ・ハーンも書いている。それによると、どうやら「襠(まち)のついていない袴(はかま)をはいて橋を渡った最初の男が橋の下に埋められる、という決まり」があり、それにかなったのが「源助」だったというのが真相らしい。その後、ハーンが松江に滞在中、新しい橋の架け替えがあったそうなのだが、そのときにも「人柱」にまつわるさまざまなデマが流れ、おかげで多くのひとびと(おもに田舎の老人たち)がその橋に近づかなかったらしい。彼は、このエピソードを「都市神話」の類として理解している節もあるが、果たしてじっさいのところはどうなのだろう?
いずれにせよ、松江の街を歩くときにはじゅうぶん気をつけたほうがいい。
「出雲へ行くのなら、一畑電車にゆられてのんびり行くのがおすすめ」とは、地元出身のデザイナーアリタマサフミさんからのアドバイス。その理由は、二輛編成のかわいい電車が出発してすぐにわかった。車窓に延々とつづく見事な宍道湖の眺望は、まさに、湖畔をなぞるようにして走る一畑電車ならではのものだ。
海とは異なり、湖にはどこか「母性」を思わせるところがある。おだやかで深々とした「母性」をその中心に抱く土地、それが松江であり、出雲なのである。
ところで、窓上広告といえば、東京では「英会話スクール」だとか「転職情報誌」だとか、要は「あなたの人生、本当にこのままでいいの?」と焦らさせるものばかりである。もちろん、ここ神話の国でそんな不粋な広告を目にすることはない。見上げればそこにあるのは、出雲神話をモチーフとしたイラストレーション。
それにしても、一畑電車の運転手はよくはたらく。ワンマンカーの上、いまだ多くの駅が無人駅のため検札や精算をすべてひとりでこなす。ときには運転室から飛び下り、ホームでお客になにやら声をかけたりもする。おまけに、途中でスイッチバックがあるため、最後尾まで移動して運転を続けるのだ。のどかな風景の中のんびりと走る電車の運転士は、案外忙しかった。
途中一回の乗り換えを経て、約一時間ほどで終点の「出雲大社」駅に到着。
出雲大社のお膝元にもかかわらず、昭和初期に建てられたという「出雲大社」駅の駅舎は擬西洋風のモダンなつくり。壁には、ご丁寧なことにカラフルなステンドグラスまではめこまれている。
そのため、改札を出た客たちはみな口々にこんなふうに叫んでいた。
欧米か!(←ウソ。)
ちなみに、大社駅で下車した乗客たちを見回してみると、若い女性のひとり客×2、女性同士×2(うち一組は外国人)といった案配で圧倒的に女子率高し!さすがは縁結びの総本山である。なんか、ここの参道でナンパしたらめちゃくちゃ成功率高そうだなぁなんて、そんな罰当たりなことくれぐれも考えないように?!
ひとことで言うなら、「出雲」はピースフルな土地だった。
出雲大社を訪れるひとはふつう、駅を出たらそのまま参道を通り境内へと吸い込まれてゆく。ところがぼくらは参道から逸れて二十分ほど歩き、『古事記』にも登場する「稲佐の浜」へと出た。来る途中、電車のなかで見たあのポスターにも描かれていた場所である。
夏には海水浴客らで賑わうとのことだが、この時期人影はまったくみあたらない。しかも海は驚くほど静かで、耳を澄ましてもただ上空を旋回するトンビの声が聞こえてくるばかり、波音さえも届いてこない。そうしてさまざまに「青」の階調を変えながら、やがて海ははるか彼方で待ち受ける空と溶け合いひとつになる。空と海との境界が失われるところは、古代のひとにとってはまたあらゆる「境界」が失われるところでもあったろう。じっさい、旧暦の十月ここ出雲にあつまってくる八百万(やおよろず)の神々はみな、海よりここ「稲佐の浜」に到着し「大社」へと向かうと信じられている。まるで真空状態にあるようなこの静かで平和にみちた浜辺に佇んでいると、なるほどそんな信仰も理解できるような、そんな気分になってくるのだった。
稲佐の浜からは、「神迎の道」を歩いて出雲大社へとむかう。その名前どおり、稲佐の浜に到着した八百万の神々が「竜蛇さま」(神々の到来を告げるため竜神がつかわした蛇)を先頭に通るための道である。浜に立つ石灯籠が、そこがまた出雲大社の「入口」であることをあらわしている。幅にして約三メートルほどのその道には、翁の顔をあしらった瓦屋根をもつ黒っぽい塀の家並みや、あるいはいかにも古そうなちいさな社なども見受けられるものの、おおかたは床屋や中華料理屋が居並ぶごくふつうの住宅街の道と変わらない。観光客のためではなく、あくまでも長い歳月をそこで過ごしてきた出雲の人々ひとりひとりのための「心の道」なのだと思う。参道に近づくと、竹でつくられた小さな桶に思い思いの花を挿し軒先に飾る家が目立つ。こうした自然体の「もてなし」にあって、マニュアル主導の「ホスピタリティー」にないもの、それは吹き抜ける風のような清々しさではないか。
はじめにも書いたが、「出雲」は実にピースフルな土地である。日本最古の神社がある「聖地」にもかかわらず、いかにもといった感じの強力な磁場のようなものが一切感じられない。いや、それはたまたまぼくが「スピリチュアル」だとか、「パワースポット」だとかいったものに無頓着なせいもあるだろう。そうしたものを感じたいひとにとっては、あるいは「ビンビン感じられる場所」ということだってあるかもしれない。けれども、そのどこまでも平和でのどかな町を散策しているうちに、ぼくはむしろこのような土地こそ日本の神さまが棲む場所としてはふさわしいような気になっていた。
こんもりとした山と波静かな海に囲まれたこの豊かな土地で、踊りを舞ったり酒をのんだり、相撲に興じたり、ときには「兄弟げんか」をしたりもしながら、日本の土地を大きな手のひらでつつむように守っているおおらかな神さまたち……。日本人ならだれでも心当たりのあるおおらかな信仰心のルーツを、なんだかそこで垣間見た思いがしたのだ。
そして、出雲大社へやってきた。
木製の大鳥居が立つ「勢溜(せいだまり)」から、いよいよ参道がはじまる。前に訪れたときはまだ小学生だったし、ぜんぜん記憶になかったのだけれど、今回とても驚いたのは参道がかなり急な下り坂になっていることである。てっきり神社というものは、だいたいが高い土地に建てられるものとばかり思っていたからだ。戻ってきて調べたら、実際この「下り参道」というのは珍しいらしい。
だいぶ下ったところから撮影したのだが、それでもまだまだ下っている。緑に覆われているということもあるけれど、「おおやしろ」といわれる建造物がまったくといってよいほど目に入らない。いったい、どうしてこんな谷底のような土地に社を構えたのだろう?不思議に思ってちょこちょこ調べてみたものの、それらしき記述にあたらない。ただ、『古事記』の中には出雲大社のはじまりをめぐるこんなエピソードが登場するという。出雲大社の祭神である大国主命(おおくにぬしのみこと)は、「国譲り」の条件として「私の住む所として天子が住まわれるような壮大な宮殿を造ってくれるのなら、国を譲り、世の片隅で静かに暮らしましょう」と言ったというもの。つまり、これはまったくの推測でしかないのだけれど、国を譲った大国主命の隠遁の地であるからこそ、それにふさわしい場所として、海と山に囲まれた谷底のようなこの土地が選ばれたということなのかもしれない。
小さな橋を渡り松並木の参道をしばらく歩くと、青銅の鳥居が現れ、「拝殿」を臨むことができる。
ラッキーにも(?)バスガイドさんの団体と遭遇。これだけ大勢のバスガイドといっぺんに出くわすということは、たぶんそうあることじゃないだろう。ちなみにガイドさんたち、触ると一生お金に不自由しないといわれる「銅鳥居」に、若さにまかせて思いっきり触ってます。もちろん、オトナはそういうことはしません。恥じらいながらめいっぱいしがみつく、これ正解。
これが、「拝殿」。
重さ1.5トン、長さ8メートルという巨大なしめ縄がかかっている。1.5トンといわれてもピンとこないというひとのために説明すると、「KONISHIKIの5人分」である。長さは「猫ひろしの5人分」。ていうか、KONISHIKIってそんなに重いんだ!ちなみに「神楽殿」には、重さ5トン(KONISHIKIの17.5人分)の「しめ縄」もある。
拝殿の奥に隠れるようにしてあるのが、国宝の「本殿」である。本殿へは一般の参拝客は入れないうえ、周囲をぐるりと塀が囲んでいるせいで様子を窺うことすらむずかしい。まさに隠れてあるのだ。
西洋人としてこの本殿への昇殿をはじめて許されたラフカディオ・ハーンは、興奮を隠しきれない様子でこんなふうに記している。「神道の真髄は、書物の中にあるのでもなければ、儀式や戒律の中にあるのでもない。むしろ国民の心の中に生きているのであり、未来永劫滅びることも、古びることもない、最高の信仰心の表れなのである」(池田雅之訳)。ふだんはなんのためらいもなく前を素通りしているにもかかわらず、なにか特別なことがあったり、お正月になったりするとごく当然であるかのようにいそいそと「お詣り」にでかける神社の存在というのは、たしかにラフカディオ・ハーンの言うとおり「心の中に生きている」ものなのかもしれない。
松江は抹茶色の町だ。江戸時代、茶人のお殿様がいたからにちがいない。じっさい、町をあるいていてやたらと目につくのは和菓子の店、それにお茶屋さんだ。旅の途中、マクドナルドやスタバはいちどだって目にしなかったというのに。
京都、そして金沢と並ぶ「茶の湯」の町として知られるここ松江は、たしかに町全体が抹茶のような深々とした、また清々しい「緑」に覆われていた。
松江に茶の湯を広めた不昧公(ふまいこう)こと松平治郷の墓所のある月照寺はまた、「山陰のあじさい寺」としても知られている。天気予報でみた「傘マーク」はいったいどこに消えてしまったのだろう。予想外の夏の太陽に、あじさいの花もなんとなく当惑気味。
不昧公の墓所に供えられていた白い百合の花に、これまた鮮やかな緑色したアマガエルを発見。こうやってずっと、雨が来るのを待ちかまえているのだろうか。
ちなみにこれは、その名もずばり「不昧公」というデザート。無糖の抹茶ゼリーに、白玉、あずき、それにアイスクリームがのっている。
松江をあるき、その町の空気を吸っていると、ここで抹茶を点てることはごく自然なことと思えてくるから不思議である。それはたぶん松江が、抹茶の色と香りが似合う町だからにちがいない。松江の土にはきっと抹茶がしみこんでいるのだ。
東京に戻ったら、ぼくもいつもコーヒーを淹れているような気分で抹茶を点ててみよう。
というわけで、なにかと影響をうけやすいぼくは、東京にもどってから薄茶を点てているのである。お抹茶は不昧公直々に命名したという銘茶「中之白」。もちろん松江で買ってきたもの。 ウス茶糖
とはいえ茶道の心得は皆無ゆえ、ひたすら見よう見まねでやっている。いままでインスタントコーヒーを飲んでいたひとが、不意に自分でコーヒーをドリップするようになった感じとでも言おうか。つまるところコーヒーにせよ抹茶にせよ、それじたいを味わうこと以前に、コーヒーを淹れる、抹茶を点てるというそのプロセス、その時間を味わうことこそがぼくは好きなのだとあらためて思った。
もちろん「かたち」に興味がないわけではないがさすがに敷居が高い。bleu et rougeさんのおっしゃるとおり、ナンチャッテな茶道教室なら大歓迎、やる気マンマンなのだけれど……
松江城の天守閣を臨む高台に、不昧公の好みにあわせてつくられた茶室「明々庵(めいめいあん)」がある。このあたり、木々が鬱蒼と生い茂るちょっとした台地になっていて、かつてその麓で暮らしていたラフカディオ・ハーンによると、ウグイスやフクロウはもちろん、ときにはホトトギスの啼く声まで聞かれたそうだ。
待合から茶室につづく明々庵の「露地」。
岡倉天心によると、「露地」の役割とは「外界とのつながりを断ち、新鮮な感受性を呼び覚まして、茶室での美的体験を存分に味わえるように備えさせる」(大久保喬樹訳)ことにある。つまり、このほんの短い小道で、客は自分自身をリセットするのだ。茶室でお茶をふるまわれることで「リセット」されるのではなく、「露地」で「リセット」することによって茶室での体験がよりいっそう特別なものになるというわけだ。もし、喫茶店や居酒屋にも「露地」があったなら、店で会社や家庭の愚痴をこぼすひとが減るかもしれない!?
日ごろ雑然とした場所で生活しているせいか、茶室の清潔かつ簡潔な空間には単純にあこがれるものがある。そういうところに住めないのなら、そういう気持ちを呼び覚ましてくれる空間を身近につくるというのも手だろう。moiもそういう場所になれたら最高なのだけれど。
← 茶室をのぞきこむ怪しげな人影(=店主)。
おまっとさんでした。たべものシリーズです。
せっかく山陰まで来たのだから地のものを、できればカジュアルに楽しみたい。そう思って出かけていったのが、松江駅近くの「根っこ」というお店。地元で人気らしく、OLやサラリーマンらでずいぶんと賑わっていた。すっかり気に入ってしまったぼくらは、けっきょく二晩連続で通ってしまったのだった。
まずは付き出し。あん肝煮、骨せんべいとおかひじき、それに葉ごぼうという取り合わせ。
続いては「地魚の三種盛り」、手前からノドグロ、トビウオ、それに白バイ(ジョン&パンチではない)。
ノドグロは、関東ではアカムツという名前で知られている魚。たぶんはじめて食べたと思うのだけれど、脂がのっていてとても美味しい。
鳥取で作られている無添加ソーセージ。ふわっふわ。
「宍道湖七珍(しんじこしっちん)」のひとつ、いまが旬のモロゲエビの唐揚げ。背わたが少ないうえ皮もとても柔らかいのでアタマからシッポの先まで、平気でバリバリ食べれてしまう。
こちらは、しまね和牛のタタキさん。
豆いっぱいのピザには三種類の豆がはいっている。そのなかではじめて口にしたのはワレット豆。サヤエンドウとインゲンを足して2で割ってデカくした感じ。やわらかくて、ちょっと甘味があってさやごと食べれる。島根県産とのことで、およそ東京では見たことがない。美味しいのに……。帰りにスーパーマーケットによってひと袋買ってきた。たっぷり入って百八十円也。
刺身が脂がのっていてとても美味しかったので、オススメというノドグロのしゃぶしゃぶに挑戦する。
口の中ですっと溶けてしまう感じ。あまりにも火が通りすぎるとほろほろっと崩れてしまうので、サッと湯にくぐらす程度がちょうどいい。
そのほか、撮影する間もなく胃袋に消えていったのは白イカの生干し。地元でつくられているざる豆腐や新たまねぎのサラダ、それにこのお店のルーツであるおでんの盛り合わせ(八十歳をすぎたおばあちゃんが元気に厨房に立ち煮込んだもの)も美味しかった。
ごちそうさま!
旅のたのしみのひとつに、旅に携えてゆく本を選ぶというたのしみがある。結局ほとんど読まないままに帰ってきてしまうことが多いとなると、やはり「選ぶ」という行いのうちにたのしみを見い出しているといったほうが正しそうだ。
今回携えていったのは二冊。まずは、星新一『ほら男爵現代の冒険』。
はじめて出雲・松江にいった小学生の夏、もっていった本だ。そのころクラスの「学級文庫」では星新一の本が大人気で、たぶんそんなこともあって持っていったのだと思う。行きの寝台列車(ブルートレイン)で読むつもりだったのだが、はじめて乗る寝台列車がうれしくそれどころではなかった。
深夜まで、うれしくて列車の中を行ったり来たりくりかえしているうち「ちょっと、ぼく?」、車掌さんに呼びとめられた。
「鼻血出てるよ」
興奮のあまり鼻血を出していたのだった。「ちょっと待ってて」と言うと、車掌さんはトイレットペーパーをぐるぐると腕に巻きつけもどってきた。「ほら、これをつめときなさい」と手渡され鼻にトイレットペーパーをつめて眠ったので、けっきょく本は読まなかった。というわけで、ある意味リベンジである。
大人になって読む星新一は、あらためて面白い。軽快な文体とスパイスのようにぴりっとくるシニカルな表現、それに「近未来」への洞察の深さ……子供のころに全部読んじゃったというひと、あらためてこの夏読み直してみてはどうだろう。
もう一冊は、岡倉天心『新訳・茶の本』。
出発前、ちょうどこの本をめぐってとても刺激的な企画を進行中のKサンからメールをいただいた。じつはずいぶん前のこと、この本を読もうと思い立って岩波文庫版を手に入れたのだが、そのあまりにも格調の高い訳文に圧倒されあっという間に逃げ出したのだった。けれどこれもなにかの偶然、せっかく「『茶の湯』の都市」に出かけるのだしもういちど挑戦してみるか、と気をとりなおした。調べてみるとこの『茶の本』、いろいろな翻訳者による版が存在している。
大久保喬樹氏によるこの訳文はとてもこなれていて読みやすいうえ、各章につけられた解説も親切だ。日本人とはいえ「茶道」についての知識なんてまったく持ち合わせていず、しかも日本的な美意識からもほど遠い生活をしているのだから、ある意味ぼくも「外国人」みたいなものである。あらためて感心することや驚かされることもすくなくない。なかにはなんとなく納得したり、また理解できたりすることもあり、「ああ、やっぱり日本人なんだなぁ」とあらためて感じてみたり……。
「不可能を宿命とする人生のただ中にあって、それでもなにかしら可能なものをなし遂げようとする心やさしい試みが茶道なのである」
なんて、わかったようなわからないような、でもちょっとぐっとくる一文ではある。ストーリーよりもむしろ、ちょっとした一文の印象のほうが強烈に記憶に残る、これはもしかしたら本を旅先で読んだときならではの特徴といえるかもしれない。
東京にもどってすぐ、「石見銀山」の世界遺産登録が決定。さらに今週の土曜日には、松江を舞台にしたテレビドラマ『島根の弁護士』(仲間由紀恵主演)が放映されるという。また、cactus408のいずみさんからも島根にいくつか気になるお店があるとの熱い(?)メールが……
これはもしやちょっとした島根ブーム!?
おそらく半年後には「クウネル」が松江・出雲特集を組むことでしょう(笑)。
散歩をしていて発見、思わずギョッとしたのは松江の中心部、宍道湖の湖畔にたつ須衛都久(すえつぐ)神社のこの鳥居。くぐれないじゃん!
いったい、どうしてこんなことになってしまったのか?「いやぁ、たまたま気づいたらこんなになっちゃってね」ってことはないだろう。それにだいたい、どうしてこのままにしているのか?気になって仕方ないのである。
一応、ぐるりと回りこむとちゃんとくぐれる別の鳥居があるので参拝客が困ってしまうということはなさそうである。もともと湖畔の埋め立てかなにかをする前にはこの神社は宍道湖の水辺にあったらしく、どうもこの鳥居も湖に面した水際にあったらしい。
が、けっきょく理由はわからずじまい。理由を知っているひとがいたら、ぜひ教えてもらいたいものである。
さいしょの日に行った島根県立美術館では、ちょうど有元利夫の回顧展「有元利夫-光と色 想い出を運ぶ人」がひらかれていた。
その名前はもちろん、作品も本の装幀やCDのジャケットなどでよく見かけてはいたもののこれまでまとめて観る機会には恵まれていなかった。どれもルネッサンスのフレスコ画を思わせる世界だが、その世界はまたどこかSF的でもある。すべての作品を貫くムードは、「静寂」というよりは「真空」であり「無重力」といった感じ。それにしても、いくら平日の夕刻とはいえ、だだっ広い展示室にはぼくら以外だれもいない。完全な貸し切り状態、ぜいたくといえば、ぜいたくだが……
会場には、ところどころ有元が遺したエッセイなどからの一節が抜粋して紹介されているのだが、そのなかにこんな一文をみつけた。それは、彼の絵画のなかでよく人物や花が「臆面もなく」宙に浮いていることに対して彼なりに解釈をほどこしたもので、それを彼は「エクスタシーの表現」だと言う。そしてその一節はこうしめくくられていた。
どうせ浮ぶとなれば、青い空に白い雲。
切り取られたある一節だけとりあげてああだこうだと言うことはそもそもがまちがいだが、時間からも空間からも解き放たれた無我の状態、そのもっともピュアな姿を青い空に浮ぶ白い雲に有元は「みた」のではないか。そういえば、かれの作品に描かれる雲、いびつなひし形がななめにずれながらいくつか折り重なったような独特のフォルムをもつ雲もいままさに刻々と姿を変えているそのさまを描いているようで、一見とても「静的」な印象のあるかれの作品に通奏低音のようなリズムをこっそりもたらしている。
そのときぼくは、飛行機のなかで読んでいた『茶の本』に登場するタオの老人の話をかんがえていた。「天にも地にも属さないために天地の中間に住んでいた」という老人の話だ。そうか。それが「天」であれ「地」であれ、なにかに属するということは、その「属すること」と引き換えに「重力」をもつということでもある。
有元利夫の絵、ひとの生活と自然とのあたかも「波打ち際」のような松江という土地、空と海とが溶け合い、この世とあの世とが交感する出雲、葦原中国(あしはらのなかつくに)と神話にいわれるこの日本の土地……
今回の旅を方向づけたのは、思えば、「どうせ浮ぶとなれば、青い空に白い雲」というこのちょっと詩的な一節だった。「あいだ」や「中間」や「境界」や「際(きわ)」をそこかしこに「発見」し、そのつど「重力」から解放されてゆく旅。呼ばれて、よかった。
松江をたつ直前、一時間半ほど時間があいたので松江の中心部、茶町、京店から殿町あたりといったかつての繁華街を散歩してみた。
こういってはなんだが、寂れていた。梅雨時の平日の昼下がりといったことを差し引いても、老舗旅館や観光客相手の店がならぶ町並みはあまりにも閑散としている。空き店舗もやたらと目立つ。みじかい旅のなかでぼくが出会った松江、それに出雲がすばらしく豊かな場所だったことを思うと、そのあまりのギャップに戸惑わざるをえない。
松江や出雲ではどこでも-町のまんなかでさえ-、ちょっと手をのばしさえすれば自然の息づかいを感じ取ることができ、その自然の恵みであるふんだんな海の幸や山の幸は旅人の胃袋をみたしてくれた。豊穣のシンボルである大黒さま、つまり大国主命がここ出雲の地に祀られていることはたんなる偶然ではないのだと、この土地を歩くとよくわかる。同時にそこは「茶の湯」の都であり、小泉八雲が愛した素朴な人々が語り継ぐ神話と伝説の都市であることも忘れられない。
にもかかわらず、この豊かな土地であるはずの島根県がどうもけっして「豊か」ではないらしいのだ。じっさい2005年のある調査によると、ここ島根県の「人口減少率」は秋田、青森についで第三位だという。その土地で暮らしてゆけないから若者は仕事を求めて県外へと流出してしまう。結果いよいよ高齢化に拍車がかかり生産力は減衰する。悪循環である。路線バス(市バス)にのって気づいたのだけれど、ここでは高齢者からも運賃をとっている(割引制度はあるらしい)。高齢化が著しい場所ほど、逆に老人福祉が手薄になるという矛盾である。
いまの時代、殺伐とした土地であっても、大きな自動車工場のひとつもあればその土地は「豊か」に潤おう、そういう時代である。そういう時代に生きているのだから、それをむやみに否定してもしょうがない。ただ、すべての価値の尺度をそこに寄せていってしまうということについてはやはり疑問が残る。この目で見て触れた松江、出雲が「豊か」ではなかったとはけっして思えないからだ。乱暴に言えば、「豊かさ」にはたぶん質的な豊さと量的な豊さとがあるのだろう。島根県の「豊かさ」は、「量的な豊さ」こそを「豊かさ」だと定義する資本主義社会にあっては、手のひらですくった水のようにみすみすこぼれ落ちてしまうものなのだ。
茶の湯についてかんがえてみる。それはもともと武士のものだった。信長や秀吉といった戦国時代の武将たち、つまり現代に生きるぼくらよりもずっとシリアスに現実と向き合っていたひとびとが「茶の湯」を愛し、茶人を庇護してきたというのはなんとなく不思議な気がする。生死をかけて権力の座を奪い合う血なまぐさい日常と、「茶の湯」というどこかスローな儀式とのあいだの関係性がいまいち見えにくいからだ。けれども、よくよくかんがえれば「量的な豊さ」を極めようとする武人が、むしろそれゆえ「質的な豊さ」を必要としていたというのは自然なことである。天下をとるような人物は、「量的な豊さ」の有限を知っている。その虚しさを埋めるためにも、おそらく「質的な豊さ」を味わうセレモニーとしての「茶の湯」を渇望したのかもしれない。俗世を離れた極限的に小さな世界でパンパンに膨張した風船のような密度の濃い時間を過ごすことで、「量的な豊さ」に埋没しそうな自分自身をリセットしたのではないか?ちなみに、「量的な豊さ」のみに走る経営者たちの行く末については、ここ最近のニュースをみればおわかりのとおり。
生まれたときにはすでに、わけがわからないまま「量的な豊かさ」を追求する経済原理にからめとられてしまっているぼくらもまた、戦国武将にとっての「茶室」のような仕掛けをたぶん求めている。戦国武将のようにみずから進んでそうしたシステムに飛び込んだわけではないぶん、本当はぼくらのほうがずっとそういう「仕掛け」を必要としているのだ。無自覚なだけに始末が悪い。けっきょく、さまざまな「ストレス」として表面化してはじめて気づくのだ。
静かでおだやかな土地に行きたいと思って松江・出雲へと出かけたぼくは、思えばおなじ理由でフィンランドへも出かけていたのだった。ふたつの都市がもつ波長は、ぼくにとってとても似ている。それは「質的な豊さ」を実感できるという意味で似ているのであり、いってみればそこには「茶室」のような仕掛けがある、ともいえる。不意におこるその土地へ行きたいという直観には、どうやら従ったほうがいいみたいだ。
さて、22回にわたってお送りしてきたこの「松江、出雲の旅」もそろそろおしまいです(だいだい気も済んだので!?)。一応、念のためお知らせしておくと、実際の旅はたったの二泊三日でした(笑)。呆れつつも忍耐強くおつきあいくださったみなさま、ありがとうございました。
午前中打ち合わせを済ませた後、新幹線で福島にやってきました。およそ13年ぶり(?)の福島。目的は墓参りです。
ほんとうは日帰りするつもりだったのだけど、たったの10,900円で往復の新幹線代+ホテルの宿泊代までついてしまうという激安プランを発見したので一泊することにしました。ちなみに、ふつう「片道の新幹線代」だけでも9,000円・・・いったいどういう価格破壊なんだ。
ところで福島というと、ぼくの場合「とにかく暑い!」という印象しかない。盆地なので蒸し暑く、空気がまったく動かないような暑さ。わかりやすく言うと、蒸しタオルでぐるぐる「す巻き」にされたような暑さといったところ。なので相当にビビりつつやってきたのですが、幸いなことに(?)こちらは強い雨が降ったり止んだりの空模様。蒸し暑さこそあるものの、わりかし過ごしやすいです。ホッ。
せっかくなのでのんびりしていきたいところなのですが、明日は明日でまた夕方から打ち合わせがあるので、昼には福島を発ち東京に戻ります。
駆け足で京都へ行ってきました。写真をごらんいただければわかる通り(!?)「社員慰安旅行」です。また、しっかり働いてもらわなきゃなりませんからね・・・。
今回は、あまり時間もなく思ったほど回ることができなかったり、お気に入りの喫茶店の味がじぶんの好みとはちょっと違う方向にシフトしてしまっていたり、体調がいまひとつだったりといろいろありましたが、カフェ大好き大阪人にしてmoiの常連さんでもあるマンマンデーさんイチ押しのELEPHANT FACTORY COFFEE SHOPがとてもすばらしく、そんなモヤモヤした気分を吹き飛ばしてくれました。
コーヒーを口にふくむと一瞬ふわりと日だまりの匂いがします。けっして堅苦しいというワケではないけれど、すべてにおいて「節度」の守られた気持ちのよいお店。きっと「社員」も満足してくれたことでしょう。
「社員」のプロフィールはこちら
話は前後するが、秋に京都へ行ったのは二度目のことだ。十年くらい前、遅い「夏休み」で来たときは一週間ずっと京都にいて、これといった予定も立てずぶらぶらとコーヒーを飲んだりレコード屋をひやかしたり、ときには神社仏閣まで足をのばしたりとひとり気ままにすごしたのだった。おかげで、京都市内だったらたいていの所へは地図なしでたどりつく自信がある。
ところで、京都では広隆寺にも行った。広隆寺も二度目で、やはり秋だった。もちろんお目当ては有名な「弥勒菩薩半跏思惟像」で、建物の中は修学旅行の学生たちでとてもにぎやかにもかかわらずなぜかその仏像の周囲だけは空気がしんと静まりかえっているように感じられて不思議だったことをおぼえている。今回は微妙にオフシーズンだったのか広隆寺の広い境内は閑散としていて、「弥勒菩薩像」のある建物も人影はまばらだ。
正直なところ、ぼくはとりたてて「仏像」に興味はない。前ここにきたのも「なんか有名だからとりあえず」といった程度の理由だし、今回は今回で奥さんが見てみたいというので来たにすぎない。でも来ちゃったのである、しかも空いているのだ。せっかくだからゆっくり見てみよう、そう思い正面に立ってじっくりと眺めてみた。
それとなく気づいてはいたのだが、よくよく見るとこの「弥勒菩薩半跏思惟像」はものすごく華奢な体つきをしている。女の子のようというか、いまどきの女の子のほうがもっと骨格も肉づきもいいんじゃないか。ウェストなんてすごく細くて平べったい。しかも小首をかしげているのでいっそう頼りなげに映る。ところがである。この「弥勒菩薩」は小首をかしげつつ頬に手をあてて「どうしたらすべてのひとびとを救うことができるのか」と考えているのだという。そんな壮大なこと考えちゃって大丈夫なんだろうか?だって、そのカラダですよっ。
子供のころ、さんざん特撮ヒーローもので育った世代としては「救うもの」に対してはそれ相応のイメージがある。重要なのは、いかにも「救ってやるぞ」という気合いがバシバシ伝わってくるような迫力である。そういったパッションが、どこからどうみてもこの「弥勒菩薩」からは伝わってこないのである。いにしえのひとはどうしてもっとマッチョなキャラの「弥勒菩薩像」にしなかったのだろう?
それはたぶん、「救い」ということに対するとらえかたのちがいなのだろう。仏教の「救い」についてはまったくなにも知らないのだが、すくなくとも座礁した船から投げ出されたひとをぐぅわああーと荒れ狂う海に飛び込んで助け出すといった意味での「救い」でないことはわかるし、ボランティアとして地震の被災地におもむき疲れ切ったひとたちを元気づけようと長渕剛の「乾杯」を熱唱するといった意味での「救い」でないこともたしかだ。へこんでいるとき、無理矢理元気づけようとあれこれ頑張られるよりも、こちらの話にじっと耳を傾けてもらうだけでかえって気分も軽くなり現実に立ち向かう気力もわいてくる、といったことがある。腕力ではなく、そういう包みこむような愛による「救い」、いわゆる「慈愛」についてこの華奢な仏さまは伝えようとしているのではないだろうか。
ところで近ごろは、線の細い華奢な男子がウケるのだろうか?街を歩くカップルをみてそう思うときがある。広隆寺の「弥勒菩薩半跏思惟像」を眺めていたらそんなことを思い出したのだ。となると、イマどきの女子は男子に腕力よりも慈愛を求めているということになるのだけれど・・・。そういえば、そんなカップルはやっぱり圧倒的に女子がしゃべりまくっていて男子はひたすら聞き役に徹している。もちろんその表情にはアルカイックスマイルをたたえて。
写真は、京都にでかけたときの「定番」になりつつある荒神口の「かもがわカフェ」。こういうお店はやはり、京都ならではと思うのだ。自家焙煎のコーヒーもおいしい。
八月、夏休み、どこかに行きたい(近場で、しかも涼しいところにね)。近場で涼しいところ、といえばどこだろう?
新幹線にのって軽井沢あたりの高原へ、というのも悪くない。が、夏の高原というのはじつのところそう涼しくはないものだ。空気が澄んでいる分、日射しは東京よりもはるかに強烈。しかもクルマなしで(←世界でもっともデンジャラスなゴールドカードホルダー)こういう土地に遊ぶというのは無謀というか、ほとんど不可能である。そのむかし、清里で熱中症になりかかった苦い経験が脳裏をよぎる(車で5分とあったので歩けると判断したら、30分ちかく店も自販機すらもない炎天下を歩くはめになったのだ)。
いっそ水族館へ、というのもひとつの手だろう。だが、ちょっと待て。夏休みの水族館なんて、ヘタしたらサカナの数より子供の数のほうが多かったりするものだ。涼しげに泳ぐサカナの前を、嬌声をあげながら駆け回る無数のコドモ・・・プラス、マイナス、ゼロ。ぜんぜん涼しくなんてない。
それならば、というわけで午前十時上野発の「スーパーひたち」に乗り込んだのだった。目的地は「水戸」。正確にいえば「水戸芸術館」である。館内の現代美術ギャラリーではいまジュリアン・オピーの大規模な個展がひらかれている上、さらに音楽ホールではこの日の午後、19世紀に製作されたピアノによる一時間強のコンサートもおこなわれる。
特急列車にのって片道およそ一時間で水戸に到着。バスにのりかえ水戸芸術館へ。その後は場所を移動することなく興味深いコンサートと展覧会のふたつを堪能、あとはおいしいコーヒーをのめる店を探して、名物の納豆でも買って帰ればちょっとした小旅行のできあがりである。《つづく》
京都の朝がイノダからなのだとすれば、茨城の午後はやはりサザからということになるだろうか。せっかくなら勝田の本店を訪れたかったのだが、残念ながら時間がなかったので水戸芸術館にほどちかいデパート内の支店でがまんすることに。待つ事しばし。たくさんのカップの中から選ばれて出てきたのは、おなじみアラビア社の「Paratiisi」。水戸まで来てもやっぱり待っているのはフィンランド、か。
そういえばもうひとつ。芸術館のすぐ目の前にはマリメッコの「UNIKKO」を看板のように大々的につかった美容室もあった。でも、なんだかちょっと残念な感じではあったなあ。《つづく》
水戸へ行くことにしたのは、ちょうどいま水戸芸術館の現代美術ギャラリーでひらかれているジュリアン・オピーの個展を観たかったからだ。などというと、なんだかわざわざジュリアン・オピーを観るために水戸まで行ったように聞こえるかもしれないがべつにそういうわけではなく、以前からちょくちょくその作品を目にする機会があってなんとなく気になっていた作家の展示と、東京をはなれてどこかに行きたいというささやかな願望とが、たまたま「水戸」という点の上で交わったといった程度の意味である。
ジュリアン・オピーの、今回はBlurのベスト盤ジャケットに代表されるようなポートレイト、電光掲示板などをつかった動く人物、それに日本の浮世絵にインスパイアされた風景画といった最近の作品をあつめた展示だったのだが、とりわけぼくにはポートレイトがおもしろかった。遠目には同じようにしかみえない作品が、近くでみるとそれぞれ異なる技法―シルクスクリーンだったりフェルトのような起毛材だったり、あるいはカッティングシート(?)や液晶モニターを使ったものだったり―で描かれている。このあいだ雑談のなかで、「技法」にもっと注意を払って作品を観れば、作家がどんな主題をどのように描きたかったのか?よりくっきりと伝わってくるかもしれないなとあらためて、いまさらながら気づき目からウロコな思いをしたばかりなのだが、ジュリアン・オピーの場合はどうだろう?通る道(=技法)はちがっても、けっきょく行き着く場所はおんなじなんだ、と言っているかのよう。ここで、行き着く場所とはつまりポートレイトの対象となっている存在の揺るぎなさ、だろうか?
電光掲示板やアニメーションによる「動く人物」も、ひとを妙な気分にさせるシリーズだ。ダンスをしたり歩いたりしているひとびとの動きはやけにリアルで生々しい。ところがその身体の生々しい動きに反して、その頭はすべてたんなる「円」なのだ。それは記号をもった肉体なのか?それとも肉体をまとった記号なのか?これもじつは、『歩くジュリアンとスザンヌ』とか『下着で踊るシャノーザ』といった具合に「顔」ではなく、身体の動き、その特徴によって描かれるポートレイトなのだ。その意味では、「右手」だけ描かれたポートレイトもありかもしれないし、ことによったら発せられた「ことば」、「声」によるポートレイトというのだってありかもしれない。しかしそれ(もっともわかりやすい特徴としての「顔」)を「省く」ことによってではなく、あえて「円」という記号に還元してしまうことで新しいポートレイトの可能性を暗示してみせたオピーというひとは、やっぱり自覚的に現代を生きる先鋭的なアーティストのひとりなのだった。
ところで旅にはおみやげがつきものということで、水戸芸術館がこのオピー展のため特別にこしらえたという「オピー金太郎飴」である。だれに見せても「三谷幸喜」としか言ってくれません。
無事、フィンランドから帰国しました。
滞在中は前半お天気が悪く日中の最高気温がなんと! 6度なんて日もあったのですが、後半はなんとか晴れてくれ多少は「夏らしさ」も堪能することができやれやれです。
とはいえ、ヘルシンキ、トゥルク、それにエスポーといろいろ面白いスポットを見て回ることができ、思っていた以上に内容の濃い旅となりました。また、追々いろいろなかたちでみなさんにお伝えできればと思っています。
とりあえず時差ボケ? と白樺かなにかの花粉でややヘロヘロなので本日はここまで。金曜日からは通常営業ですのでぜひお店でお目にかかれればと思っております!
白くもやけた東京(正確には、千葉)。いつもの風景。
いつもとちがっているのは、ここが成田の「第二ターミナル」だということ。四年前までは、確かにフィンランド航空は「第一ターミナル」だったはずなのに。迷うことなく列車の切符を「第一」まで買い悠然と乗っていたのだが、なぜか不意に気になり携帯で調べたところ「フィンランド航空=第二ターミナル」となっていて面食らった。知らずに「第一」に行っていたら泣きをみるところだった。しかしこの話を誰にしたところで、「えっ、いつも第二ですよ~」と相手にしてくれない。四年とは、じつにそういう長さなのだ。
相手にしてくれないついでに言えば、飛行機が離陸するときいつも味わうのは「深海魚の気持ち」である。海底から引き揚げられ内蔵が口から飛び出してしまうチョウンアンコウは、きっとこういう感じなのだろう。
もちろん、そんなこと、誰に言っても共感してくれない。地球に優しくする前に、少しは深海魚もいたわったらどうなんだ。飛行機が飛び立つとき、いつもかんがえているのはだいたいそんなことである。
どんな街に出かけても、きまって行く場所といえば「喫茶店」と「レコードショップ」。その街の「気配」をダイレクトに感じることのできる場所だから、というのは後からとってつけたそれらしい言い訳にすぎなくて、実際のところは、ただたんにそういう「習性」なのだろう。
今回も、ヘルシンキに着いて早々に向かった場所はレコード屋。いましも店では「Es」ことサミ・サンパッキラのインストアライブが始まろうとしている。とはいえ、お客はせいぜいぼくらも含めて10人といったところ、店頭にニューアルバムを派手にディスプレイするでもなく、かといってそれらしきMCがタイミングよく差し挟まれるといったことも、ない。はたしてこれでプローモーションになっているのかと、こちらが思わず不安になるほど。
ところでこれはまったくの偶然なのだけれど、ぼくは彼サミ・サンパッキラのDVDを持っている。2年半ほど前、たまたま新宿のタワレコで手にとったのがそのDVDだった。
「やあ、サミ、ぼくはきみのDVDを持っているんだ」
なんて、パーティーでのアメリカ人のようなスマートな会話術をもたないぼくはイベント終了後店内の商品を一通りチェックし、なにくわぬ顔で店を後にしたのだった。
3番、1番、8番に4番、今回は天気があまりよくなかったし、移動もけっこう多かったのでいつもより「トラム」のお世話になった。
ヘルシンキの音といってまず思い浮かべるのは、ぼくの場合、あの喧しいカモメの鳴き声と、それになんといっても「トラム」の音だ。鉄の重たい塊がレールの上をゆっくり通過してゆくその冷たい響きを耳にするたび、「ああ、ヘルシンキに来たんだなあ」と実感することになる。
ところで、路面電車の音がほかの乗り物のそれと決定的にちがうところは、路面電車の場合、行ってしまった後もしばらくその「余韻」がそこにとどまっているという点にある。高さにすれば地上50センチメートルのあたり、それはコォーンとなんとなく名残惜し気に漂っているのだ。とりわけ「雨の日」には。いや、ただ自分が立っているのと同じ地面を走っているせいでその震動が静かに身体に残ってそんなふうに感じられるだけの話かもしれない。にしても、路面電車の音にはほかの乗り物にはない、どことなく「人懐こさ」のようなものがある。
なんて、
相変わらずそんなこと考えているのはぼくくらいかもしれないけれど、もしヘルシンキの街にあのトラムの音がなかったら、ぼくはこの街にこれほどまでの親しみを感じることがあったろうか?
ヘルシンキの街をそぞろ歩きしていると、どの地区にもきまってひとつやふたつ、わざわざ目指してゆくほどではないにせよ通り過ぎてしまうにはあまりに惜しい、そんな風情の地元のひとたちから愛されているパン屋さん(Leipomo)があったりする。
これは、「かもめ食堂」ことカハヴィラ・スオミとおなじ「Pursimiehenkatu」にある「Kanniston Leipomo」のシナモンロール(手前)。雨の中、入れ替わり立ち替わりやってくるご近所の老若男女の存在が、ここのパンがいかに地元に根づき彼らの生活の一部として息づいているかを伝えてくれる。
素朴にして飽きのこない、普段着のシナモンロール。
今回のフィンランド旅行ではヘルシンキ在住のデザイナー、えつろさんにずいぶんとお世話になった。えつろさんはモイのウェブデザインをしていただいた方。という以上に、日本のフィンランド関係者? にはおなじみの方でもある。
えつろさんの車で、エスポーをあちらこちら案内してもらっている途中「発見」したのが、まるでUFOのようなこの物件(写真上、右手)。
ハウキラハティという場所にある給水塔だ。って、えっ? これが給水塔? という感じの驚くべき近未来的プロポーションである。調べてみると、建造は1968年。そう、1968年といえば建築家マッティ・スーロネンが手がけた「UFO住宅」こと「FUTURO」とおなじ年。「1968年」はフィンランド人にとって「UFO元年」だったのだろうか?
えつろさんによれば、この給水塔は「ハイカランペサ(コウノトリの巣)」という名前のレストランにもなっている。ノキアの本社が近いことから「接待」などでよく使われにぎわっているらしい。
ちなみに後になって知ったことだが、レストラン名にもなっている「ハイカラ」とはフィンランド語で「コウノトリ」という意味なのだった。70年代に活躍したフィンランドのプログレバンドにその名もずばり「Haikara」というのがあって、てっきり「はいからさんが通る」の「ハイカラ」からとられているものだとばかり思っていたのだが、なんだ、そういうことだったのか・・・
追記 みほこさん情報によればこのレストラン「Haikaranpesä」、景色はもちろんビュッフェのお料理がなかなかおいしいことでも評判なのだそう。お値段も、ランチで38ユーロとなかなかに立派ではありますが。さすがはみほこさん、いいところでお食事されていると違ったところでも感心(笑)。
追記その2 この給水塔が「現在は使われていない」というのはぼくの勘違いだったようで、えつろさんによると現在もしっかり稼働しているそうです。というわけで、訂正させていただきました。&ご本人から「知らないひとがいない」なんてことはないのでお手柔らかにとの指摘がありましたのでソフト? に言い換えさせていただきましたが、、、ご本人が思っている以上に実は「有名」だと思いますよ(笑)。
フィンランドの旅では、「サイトウノート」が役に立った。フィンランド語クラスのサイトウさんが、みずからまとめた旅の会話帳を貸してくれたのだ。実際の会話の場面でこの「サイトウノート」が大活躍するということはなかったものの、パラパラめくっては大いに楽しませてもらった。
そこには、
── カギを部屋に閉じこめてしまいました。
── ハムを200グラム下さい。
── お腹の具合が悪い。
といった(おそらく)実体験にもとづくと思われる文例もあるのだが、第三者にはまったく意味不明な文例も多々登場する。
── 中心街からBemboleへはどう行くか知っていますか?
── Bemboleは中心街から離れてる?
さらに、
── このバスはどこ行き? Bembole?
いったい「Bembole」ってどこなんだ???(注 その後本人に確認したところキミ・ライッコネンの生地であることが判明)
ほかには、
── キミにはがっかりだ。
どんな場面で使えというのか・・・
さて、そんな「サイトウノート」にこんな文例をみつけた。
── スオミでは、木曜日に豆スープを飲みます。
そう、フィンランドでは「木曜日は豆スープの日」なのである。街角のカフェのランチも「豆スープ」(写真)。そして「豆スープ」には、以前いちどだけモイでも出したことのあるフィンランド流パンケーキ「パンヌカック」が添えられる。
── スオミでは、木曜日に豆スープを飲みます。そしてパンヌカックを食べます。
「サイトウノート」の応用編である。
わっ、フィンランドっぽい! だってテントが「マリアンネ」色だもん、と思ったひとはなかなかのフィンランド通(?)。
トゥルクのカウッパトリ(マーケット広場)は土曜日ということもあってか、以前訪れたときよりもずっと賑わっていた。野菜やくだものを売るテント、魚や肉を売るテント、ちょっとした生活雑貨や衣料品を扱うテントなどが所狭しとひしめいているのだが、そんななかでもとりわけ目立っていたのが花屋さんのテント。夏ならではの光景といえるかもしれない。ただしこの日気温はたったの7度だったのだが・・・。
広場の片隅には、パンや焼き菓子のテント、それに粉屋さん(写真下)なんかも出ていたりして、ここが生活密着型の、たとえば日本のどこか地方都市の朝市のような場所であることが実感できる。午後には特設ステージで地元新聞社主催のイスケルマ(日本の昭和ムード歌謡にそっくり)の「のど自慢大会」が開かれ、年配のひとびとが盛り上がっていた。
でも、じつはいちばん印象的だったのは広場の片隅にかたまってスパスパとタバコを吸っているばあちゃんたちの一団。この国の女性のパワフルさを象徴する貫禄十分、迫力満点な眺め、でした。
今回の旅で行った唯一の観光スポットらしい場所といえばココ、「トゥルク大聖堂」。
旅行4日目にして初めての青空、というのはよいにしても、とにかく寒い。寒すぎる。そこで大聖堂にある「domcafe」で暖を取ろうとかんがえたのだが、朝の10時半前に到着したのにあいていない・・・。しかも、以前訪れたときは扉があいていて教会の内部も見学できたのに、この日は扉もしっかり閉ざされたままで中にも入れない。だいたい、教会の周辺にまったく人影が見あたらないのだ。大袈裟でなく、広場も含め見渡すかぎりぼくら以外だれもいないってどういうことよ、ホント。
で、なぜかヒジョーに中途半端な場所に意味ありげに一脚ポツンとイスが放置されているのだった。
仕方がないのでなんとなくトゥルクの街を見守るボランティア警備員(?)をやってみたのだが・・・不毛だな。
日本人のパブリックイメージとはちがって? 、案外じっさいのフィンランドはこんなんだったりもする。
宣伝カーかと思いきや、フツーのバス(たぶん)。行き先に「練馬営業所」とか書いてあるような、ごくごくふつうの市バスである(おそらく)。
たとえばどこかに出かけようと思ってバス停で待っていたら、むこうからやってきたのがよりによってこんなバスだったら、と思うとひどく気が滅入る。なにせ、一本やり過ごすにしてはフィンランドという国は寒すぎる。
まあ、百歩譲ったとして乗るのはいい、乗るのは。問題はむしろ降りるときだ。いったいこんなバスからどんな顔をして降りてこいというのか。
とりあえずは、中指の一本も突き立てておいたほうがよさそうだ。
とはいえ、こんなふうに観光に来た東洋人が写真を撮ってしまったりするくらいだから宣伝効果は上々ということだろう。
レザーヘブン・ドット・コム 夜露死苦っ!
フィンランドは、さすがに「一人あたりのコーヒー消費量世界一」になるほどの国だけあって「コーヒーを飲む」には困らないが、いざ「コーヒーを楽しむ」となると途端にむずかしくなる、そんな印象のある国だ。いいわるいの問題ではなく、いってみれば「コーヒー」というものに対する距離感がぼくら日本人とはまるっきり違っているのだ。
カフェでは相変わらずコーヒーメーカーでコーヒーを落とし、お客はじぶんでカップに注いで席につく。ときには半分煮詰まってしまったようなコーヒーに出くわすこともあって、油断ならない。しかもどこに行ってもちょっと酸味のある、極端に言ってしまえば「おんなじ味」のコーヒーが出てくるので「苦味」が恋しくなると(できるだけちゃんとした)「エスプレッソ」を出してくれる店を探して街をさまようことになる。
幸いなことに、ことエスプレッソにかんする限り、フィンランドのコーヒーをめぐる状況は進化しているようである。たとえば、今回訪ねた「Kaffecentralen」(写真↑↓)やトゥルクの「Cafe Art」のように優秀なバリスタを擁していることを「売り」のひとつとしているカフェもあるし、前回おいしいエスプレッソを飲むことのできたLiisankatuの「Espresso Edge」も健在だ。近年、「ワールド・バリスタ・チャンピオンシップ」の優勝者がノルウェーやデンマークといった「ご近所」から出ていることが刺激になっているのかもしれないし、若い世代のライフスタイルの変化といったことも、たぶん関係しているのだろう。
「Kaffecentralen」も、近所の住人やオフィスで働くひとびとが次々やってきてはテイクアウトでコーヒーを買い求めてゆく、そんなカフェとしての顔をもつ一方、店の半分はエスプレッソマシンや器具、消耗品、コーヒー豆などを販売するかなりマニアックなショップスペースになっていて、フィンランドにおける「エスプレッソ」の普及や啓蒙に力をいれていることがよくわかる。ちなみにウェブサイトによると、フィンランドでおこなわれた国内のカッピング・コンテストではこの店で活躍するふたりのバリスタが一、二位を独占したとのこと。
エスプレッソの苦味で一服つき、おみやげにコーヒー豆でもと思い見ていたら「kaffa Roastery」という地元フィンランドのロースターによるブレンド「Go'Morron」を発見、買ってみた。
スウェーデン語で「おはよう」(でいいのかな?)とネーミングされたブレンドだけにライトな飲み口が特徴的だが、個人的には
もしもぼくがフィンランドに暮らしていたらここの豆を買うかも
という感想をもった。
2003年に当時まだ大学生だったふたりの若者がスタートさせたという「Kaffa Roastery」だが、「Paulig」の独占市場ともいえるフィンランドのコーヒー業界だけにそこで勝負するというのはけっしてたやすいことではないだろう。それでも、今後彼らがそれなりのポジションを獲得するようなことになれば、こうしたちいさなロースターが次々と新規参入を図るといったことだって考えられなくもない。だいたい、コーヒーの消費量という意味ではものすごくポテンシャルを秘めた国なわけだから。そしてそうなれば、ぼくらにとってもまた、よりおいいしいコーヒーに出会えるチャンスが増すわけで、まさに言うことなしである。
ヘルシンキのおとなり、エスポーの、このあいだのUFOのような給水塔とおなじエリアにあるビーチ。
日本には、「白砂青松」という典型的な海辺の景色をあらわすことばがあるけれど、ここフィンランドではどうやら違うらしい。
白砂白樺
おかげで、コテコテの日本人の目にはどうがんばっても「海」には見えない。「湖」である。おまけに波がほとんどないのでますます「湖」にしか見えなくなってくる(連れてきてくれたえつろさんの話では、風の強かったこの日はまだ波があるほうとのこと)。
そしてこれまた面白いことに、このあたりはとても奥まった入り江のため海水に含まれる塩分がとても少ないのだという。言われてぺろっと海水を口に含んでみたのだが、
ほんとうだ、ぜんぜんしょっぱくない!飲んでしまえるくらいの(飲まないけど)うす塩!
ますますぼくの中では「湖」疑惑が高まるのだが、どうも正真正銘、ホンモノの「海」らしい。高血圧のひとにもやさしい、減塩仕様の海水浴場なのである。
なにを隠そう、トゥルクまで足をのばしたのは「Museo Kahvila」こと「Wanhanajan Puoti」へ行くためだった。フィンランド随一のコーヒーグッズのコレクターであるオーナーが、みずからのコレクションを展示している個人ミュージアムである。
さほど広くもない店内には、壁いっぱいに所狭しと並んだコーヒー缶をはじめ、コーヒーの抽出に用いたパーコレーターの類や紅茶、砂糖、サルミアッキ(コーヒーのお供という位置づけ?)といったアイテムまでが一堂に展示され、フィンランド人とコーヒーをめぐる壮大な「オレ流」一大歴史絵巻? を繰り広げている。
ところで、「Museo Kahvila(ミュージアムカフェ)」という看板が掲げられていることもあってか、ここをどうやら風変わりな喫茶店だと思って訪れるひとも少なくないようだ。ぼくらがいる間にも二、三組の客(フィンランド人)がお茶をしにやってきたが、そのたび店のおばちゃん(=オーナーの奥さん)は「ここはカフェじゃないの、美術館なの」と言って追い返していた。そして思い出したように、ときどきぼくらに向かって「これは古い抽出器具よ」とか「これ、こんな風に見えてじつはお砂糖なの」と説明してくれる。そうか、そうだった、ここは美術館だった、とそのたびぼくらも思い出すのだった。おばちゃんは「学芸員」でもあったのだ。
ちょこちょこ話をしながら「日本でカフェをやっている」と言うとおばちゃんはたいそう感心して、「あら、日本人はお茶だけじゃなくコーヒーも飲むのね」と言う。「日本人はコーヒーが大好きだし、カフェもそこらじゅうにあるよ」と説明すると、「そうなの?へえー」とひたすら感心している。こうなったらなんとかして日本人のコーヒーに賭ける情熱の偉大さをおばちゃんに伝えねば、とぼくはヘンな使命感にかられて脳ミソをフル回転した挙げ句、「あ、あれがあるじゃないか」とバッグの中のあるモノを思い出した。
明治製菓のチョコレート「コーヒービート」(食べかけ)
旅行前、サイトウさんが「遠足のおやつ」としてくれたものだ。コーヒーをお菓子にアレンジするだけでなく、精巧なコーヒー豆のかたちにまで高めてしまうこの技術力! いまこそ、メイド・イン・ジャパンの底力を思い知るのだっ!
「この日本のお菓子をあなたにプレゼントしましょう」
そう言って、ぼくはおばちゃんに(食べかけの)「コーヒービート」をうやうやしく差し出した。するとおばちゃんは、「Oh! Coffee Beat ! Kiitos!!!」と感嘆の声をあげて受け取るのだった。
「コーヒー」がつなぐ、微笑ましくも意義深い国際交流のひとコマ。マイキーもきっと大喜びだねっ!
「おれ、マイキーじゃねーって」
もし散歩中の「ちいさん」がここを見たらなんて言うだろうとか、「出没!アド街ック天国」だったら何位にランクインするかな? とか、そんなことをかんがえながら散策するのが好きだ(ウソです)。
ところで、間違いなくちいさんも「アド街」もスルーするだろうけれど、あるいは「ぶらり途中下車の旅」の阿藤快だったらもしかして興味を示してくれるかもしれない、そんな魅惑的なオーラを放つ「物件」がこちら、トゥルクのキルップトリ(蚤の市)である。
この店があるのは、トゥルクの中心部にぽつんと取り残されたようにある古い木造建築の一角。数年前にはじめて訪れたときの記憶だと(というのも、ことしはちょうどお休みにぶつかってしまい入れなかったのだ)、中は予想以上に広くて部屋ごとに売られているものが、たとえば食器、家具、電化製品、衣料品、本といったぐあいに分かれている。そしてその様子をひとことで表現すれば、
「空き巣が入った直後の家」
もしくは
「片づけられないひとの部屋」
まさにカオス状態である。そして壁という壁には、「神は汝を愛し給う」といったような貼り紙(しかも手書き)がベタベタと貼られかなり独特の雰囲気を醸し出している。だいたい、こういったキルップトリの場合キリスト教系の団体によって運営されていることが多いので不思議ではないのだが、その貼られようが尋常でなく、そのためかなりビビりながら店内を見て回ったのがなつかしく思い出される。
そして、そんなにまでして? 店内をくまなく見て回ったにもかかわらず収穫はゼロ。日本人的に「掘り出し物」と思われるようなものは一切なく、あるのはたとえばワケのわからん電気コードだったり、だれかの足にぴったりフィットしてそうな革靴だったり、はたまた使いかけの化粧水だったり・・・要は、こうしたキルップトリの多くで目にする「定番」アイテムばかりである。
それでもぼくはこうした、その街の「空気」を凝縮したかのようなこうばしい匂いの立ちこめるお店を覗くのが好きだ。正直、「入場料」を支払ってでも入りたいくらいである。ときに、「どっひゃ~」(「ぶらり途中下車の旅」のナレーション風に)な体験をさせてくれるのは案外こういう店だったりするからだ。
よく晴れた夕方(といっても19時くらい)、野ウサギを見にいった。ヘルシンキの中心部、トーロ湾に面したオペラ座のあたりで野ウサギが繁殖しすぎて問題となっているという。
公園になっているこのあたりはまさに市民にとっての憩いの場といった感じで、ジョギングや太極拳をするひとびと、瞑想に励む中国人、合コン中の若者やただなんとなくボーッとしているひとびとでかなり賑わっている。しかも、すぐ脇を走っているのは車やトラムが行き交う大通りである。はたしてこんなところにほんとうに野ウサギが出没するのだろうか?
疑心暗鬼になりながらオペラ座の脇の植え込みをのぞいていると、おっ、いたいた、けっこうな大きさの野ウサギがぴょこぴょこ跳ねている。さらによく見ると親子連れのウサギも。写真に収めようと頑張ったのだが、あまりに警戒心が強くすばしっこいのでとても無理、あきらめた(遠くから写したところで何を撮りたかったのかすら分からなくなってしまうのがオチだから)。
そうこうしていると今度は植え込みからまだ子供の鳥が二羽、ピィーピィー啼きながら飛び出してきた。頭上で低空飛行を繰り返しながらギャーギャー騒いでいるところをみると、どうやらカモメの子供らしい。巣から出てしまい、そのまま帰れなくなってしまったようだ。
迷子のカモメの子はすっかりパニック状態で壊れたラジコンカーみたいに迷走し、ついにはオペラ座の地下駐車場へのスロープをどんどん降りてゆく。
これはヤバいと後ろから追い越して方向転換させふたたび植え込みの方まで追い立てていったのだが、親カモメはますますギャーギャー騒ぐし子カモメもホラー映画さながらに絶叫しながら逃げまくるわで、どうみても動物虐待にしか映らないのが悲しい現実であった。
しかし、、、
いつか大人になったとき、あの優しい東洋人(=店主)のことを彼(女)は思い出してくれるだろうか?いじめられたと勘違いして恨みをもったカモメから、あのエスプラナーディで目撃した哀れなアメリッカライネン(アメリカ人)のように、空中から爆撃されるようなことだけはなんとしても御免こうむりたいものだ。
とは、アキ・カウリスマキの映画『カラマリ・ユニオン』の冒頭、15人の男たちがこの町からの「脱出」を決意して読み上げる口上の中の一節。そしてじっさい、この町には坂が多い。こんな気持ちよく晴れ上がった日ならともかく、情け容赦なく道が凍てつく冬の季節、このあたりを移動するのはけっしてたやすいことではないだろう。のんきな旅人でもそのくらいはよくわかる。
昼間は大丈夫だと思うけど、まあ、気をつけて
現地の友人からそう言われたこのあたりは、たしかに観光客がカメラなどぶらさげてヘラヘラ歩くには不似合いな一帯である。ポルノショップや怪しげなマッサージ店が軒を連ね、パブの前では飲んだくれのオヤジどもが昼間っからたむろしている。あまり目つきのよろしくない人々も少々。とはいえ、まあ、ここはヘルシンキ。東京でいえば歌舞伎町や大久保あたり、浅草の裏通りに深夜のセンター街を歩くくらいの心づもりでいればなんとか対応できるだろう。じっさい聞いたところでは、大久保あたりではうかつに写真なんて撮れないらしいし。ポケットに忍ばせておいて、撮りたいときはさっとシャッターを切る。そんな芸当のできるコンパクトのフィルムカメラがこういうときには威力を発揮する。
ホームレスにジロジロ見られながら歩いていると、底抜けに陽気なチャイニーズのおやじから中国語で話しかけられた。奥さんいわく、「さっき食事の配給所みたいなとこに並んでたよ、あのひと」。「同胞」と思われたのだろうか? それともそこまで町に溶け込んでいた? いや、そんなこともないと思うのだが(笑)。
とはいえ、ちょっとスノッブな匂いのある「Design District」よりも、案外このあたりの「猥雑さ」のほうが肌に合うというのもまた、事実。近ごろでは若いアーティストたちが好んでこのあたりに居を構えているらしいが、なにかをつくりだそうというひとびとにとってヘルシンキは少しばかり「清潔」すぎる気もしなくない。かえってこれくらいがちょうどいいのかもしれない。
ところで、戻ってから何人かのお客様にこんなふうに言われたのだった。
「ブログにフィンランドの写真とかアップされるんですか?」
すでに何回かアップしていたころだったのでこちらもいまひとつ要領をえず、あ、いや、もうちょっとずつアップしたりしてますけど・・・なんて応えていたのだが、どうやらそんなことみなさんよくご存知といった様子。これはいったいどういうこと!?
そして気づいたのだ。もしかしたら、みなさんが期待しているのはいかにも北欧らしいさわやかな写真なんじゃないだろうか、と。そういえば、たしかに夏のフィンランドへと誘うような清涼感あふれる写真なんてほとんど紹介していない(そもそも、ないのだが)。それどころかアラビア、マリメッコ、かもめ食堂といった「定番アイテム」すら登場していないといったありさまだ。
どうやら気づいてみれば、ぼくの目にはもう、ユルくて味があってキッチュな魅力をたたえた、そんなお茶目なフィンランドしか飛び込んでこなくなってしまったらしい。
それはたとえばこんな写真に表れている。
言うまでもなく、街角にひっそりたたずむ写真館のショーウィンドウなわけだが、もちろんこの写真の「ツボ」はといえば右下の仲良しおばあちゃん二人組のポートレイトである。「ヴァップ」に撮られたものだろうか、ふたりの頭に乗っかっているのは卒業式で授与される「白い学生帽」。ということは、
ふたりは学生時代からの親友なんだね?
なんて、写真館のショーウィンドウをのぞきこみながら思いに耽っている観光客はたしかにそう多くはないだろう。
そしてこんな写真にも。
街角でみつけたヒップホップデュオ、NIKO ja TAPSAのフライヤー。おでことおでこの引っつき加減がいかにも妖しく、目がはなせない。こういうお茶目なものを「発見」しては、日本に戻ってからネットで検索して「素性」を調べ上げる。旅の醍醐味、である。
さらには、こんな写真だって。
にぎわう日曜日のハカニエミのマーケット広場。というよりも、「主役」はむしろ写真の中の味のある(あり過ぎる?)オヤジたちの姿。おなじマーケット広場でも観光客相手のカウッパトリよりハカニエミのほうに足が向いてしまうのは、こういう普段着のフィンランド人(ジャージ姿の、という意味ではない)に混じってお店をひやかしたりしているとちょっとだけその土地と親しくなれそうな気がして、その感覚を楽しんでいるということなのだろう。
雨のイソロバ。
Iso-Robaとは、Iso-Roobertinkatuという「通り」の通称。真ん中がちょっとしたプロムナードのようになっているとはいえ、エスプラナーディのような華やぎ? を欠いたごくごくふつうの商店街。そんなとりわけスペシャルじゃない感じが気に入って、ゴールデンウィークの映画イベントではタイトルとしてこの「イソロバ」という名前を拝借したのだった。街角にさりげなく佇むちいさなシネクラブ、そんなイメージだ。
関係ないけど、「メリー・ポピンズ」のことをフィンランドでは「マイヤ・ポッパネン」って言うんですね。
車に乗り込もうとするひと。
20世紀初頭の「ユーゲント・シュティール」の建物が並ぶカタヤノッカやエイラ、クルーヌンハカあたりは、ぶらぶらたてものを眺めながら散歩しているだけで楽しいエリアだ。日本語版はなかったけれど、インフォメーションに行くとそんなヘルシンキ市内のユーゲント・シュティールを紹介する建築マップも配布されている。
この柵の感じ・・・。学校、なんでしょうね。子供たちの気配が感じられないのはもう夏休みだから。
肉屋のトラック(たぶん)。グッドデザインです。無骨なはずなのに、街にしっくりなじんでいる。
シルタサーリ。このおだやかな眺めが好きで、いちど水辺にたつホテルに宿泊してみたいと思うのだが予算オーバーでまるっきり無理。せめてベンチに腰掛けて、のんびり本など読んで過ごしたいもの。とはいえ、じっとしているのがもったいない、そんな旅人にはそれもなかなか難しいというのが現実だったりするのだが。
公園の片隅のキオスキは、夏だけオープンするこじんまりとしたカフェになっている。イナタいけどやたら落ち着く。ここはいろんな意味でオープンなカフェ、なのだ。
ちなみにここの公園、地元のひとびとが日々丹精こめて手入れをしているおかげでヘルシンキの他のどこよりも一年中きれいな花々を咲かせるのだと教えてくれたのは、映画『かもめ食堂』のアソシエイト・プロデューサーとしてもおなじみの森下圭子さん。なるほど、ちいさいけれど、こんなにもみんなから愛されている、なんてしあわせな公園なのだろう。
フィンランドへ旅立つ前、「ミスター・サルミアッキ」ことユッシさんからのリクエストは、ユッシさんお気に入りのLEIJONAのサルミアッキを買ってきて欲しいというものだった。念のため説明しておくと、サルミアッキというのは「世界一マズい」などと表現されることも多い漆黒のグミである。
で、もちろん、しっかりLEIJONAのサルミアッキは早々にゲットしたわけだが、ここはやはりぼくの「サービス精神」と言うのだろうか? 、ユッシさんの「コレクション」にいまだ登場していない「珍品」はないものかと、ついついスーパーのお菓子売場で目を皿のようにしてしまう自分がいるのだった。
というよりは、
まっ、自分が食べるわけじゃないから、できるだけ変なヤツにしちゃえ
っていうのが正直なところ。で、発見したのが上の写真のコイツである。パッケージを見るかぎり、AITOというスウェーデンのメーカーのものらしい。ずいぶん昔に買ったサルミアッキ本によればドクロ型のサルミアッキというのはとりわけ珍しいものでもないのだが、スーパーマーケットで売られているのは初めて目にしたので迷わず買ってしまった。とはいえ、もちろん自分が食べるつもりは毛頭ない。
ところが、さすがは「ミスター・サルミアッキ」。ユッシさんは「必要以上に」親切なのだった。そして「お裾分け」という名のもと、このオドロオドロしいサルミアッキを食べるはめになってしまった自分が、いる。身から出たサビ。後悔先に立たず、である。
肝心の味はといえば、本体はともかく、周囲にまぶしてある粉末の永遠に溶け合わないハーモニーのような「あまじょっぱい刺激」が、不愉快この上ない波動となって容赦なく押し寄せてくる。ほんとうに、まったくこんなもん買ってきたのは一体どこのどいつだ! と怒鳴りつけたい気分である。
いまはなきヘルシンキのカフェ、MUUSA(ムーサ)。当時ヘルシンキに暮らしていた建築家の関本竜太さんが、「とっておきのカフェ」と言ってこっそり教えてくれたのがここだった。
おばちゃまがひとりで切り盛りするこじんまりとしたカフェだったが、カウッパトリ(マーケット広場)のすぐ目と鼻の先という位置ながらほとんど観光客の目には留まらないという絶妙のロケーションで、地元のひとびにとってはちょっとした「隠れ家」として愛されているようだった。
その後、映画「かもめ食堂」の特典DVDでも小林聡美さんが(森下圭子さんのおすすめということで)紹介していたので、知っている方、あるいは実際に行かれた方もいるにちがいない。上の写真はぼくが行った、たしか2004年か05年に撮ったもの。どうやら2007年にクローズしたらしい。
MUUSAがすでにないことは知っていたのだが、Kirje kahvila(キリエカハヴィラ)までがなくなっていたのには正直ショックをうけた。
じつはなにをかくそう、カフェとポストカードショップを併設した空間という点でいまのモイをつくるときイメージをふくらますうえで参考にしたのが、かつてヘルシンキ中央郵便局(Posti)の一角にあった「手紙カフェ」という名前のこのカフェだったのである。取材のときなどよく、「ヘルシンキの中央郵便局に『手紙カフェ』というのがありまして」なんて説明していたのだが、、、これからは「過去形」で話さなくてはならないようだ。
写真は現在のものだが、かろうじてWayne's Coffeeのコーヒーサーバーが設置されているものの、残念ながらかつての面影はまったくないといっていい。それにしても、Waynes(←フィンランド人は何と発音するのだろう? ヴァユネス? それともふつうにウェインズ?)のヘルシンキにおける増殖ぶりはここ数年さらにエスカレートしているようだ。個人的には、そんなに面白い話ではない。
ところで、かつて「MUUSA」があった場所には、いまべつのカフェができている。強い風と冷たい霧雨を避けて逃げ込んだそこは、KULMA KAHVILA(クルマ・カハヴィラ)という、兄サンが一人で切り盛りする店だった。
四年も経てば、世の中いろいろ変わるのはいたしかたないこと。フィンランドだってまた例外ではないのだ。
フィンランドでは自分のため3枚のCDを手に入れた。
まずは、Emma Salokoski Ensembleの2枚目のアルバム「Veden Alla」。
エンマ・サロコスキのアルバムはファーストをもっている。2、3年前、どうしても欲しくてフィンランドにゆく斉藤さんにお願いをして買ってきてもらったのだった。やけにユーロが高いころで、確実に3,000円以上した憶えがある。フィンランドではCDはエラく高いのだ。その後、たしか去年、ファーストにボーナストラックを追加した日本盤が出ている。透明感のあるボーカルが清々しいノルディック・ボッサ。ほとんどすべての曲がフィンランド語で歌われているのも魅力的。たまたま、ウーデンマーンカトゥにあるIvana Helsinkiのショップをのぞいたときちょうどかかっていたのもこのアルバムだった。
昨年リリースされたこのセカンドは、前作の世界観をより深く掘り下げたつくりでアルバム全体としての充実度はぐっと高まった印象。最後に寄ったストックマンのCD売場で9.9ユーロになっていたため購入。
そしてヴァイオリニストPekka KuusistoとジャズピアニストIiro Rantalaのデュオによるライブ盤「Subterraneo」。ことしの1月にケーブルファクトリーで収録されたもので、タンゴやジャズを非常にくつろいだ雰囲気で演奏している。Special Thanksに「名前はわからないけど、収録中静かにしてくれていたとなりのスタジオのヘヴィメタバンドのみなさん」とあって笑ってしまった。こういうアルバムは、まず確実に日本では出ないので18.8ユーロでも購入(にしても、高いなぁ)。
ヘルシンキの場合、STOCKMANNのCD売場でもANTILLAのTOP10でも、Digelius MusicやLevykauppa AXといったCDショップでもCDの値段自体はそんなに変わらない。値段は定価と、半額程度のディスカウントコーナーの二種類になっている。ただ、前者のような母体の大きなショップのほうがディスカウントになっているCDの種類や量は多い気がするので、お目当てのCDがあるひとはまず先にそういったショップでチェックしたほうがいいかもしれない。
ちなみに余談だが、以前紹介したDVDでビル・エヴァンスが招かれて演奏していたヘルシンキの邸宅はこのペッカの実家である。
さらにもう一枚、アキ・カウリスマキの映画で使われている音源をあつめたコンピ「Juke Box : Music In The Films Of Aki Kaurismaki」。二枚組で23.5ユーロ。やっぱり高いが、以前少し日本で出回ったときに買い損ねたままだったので迷わず購入。じつはなにより聴きたかったのは、『真夜中の虹』のエンディングに登場する「虹の彼方に」。歌っているのはフィンランドの国民的歌手で、「キング・オブ・イスケルマ」ことOlavi Virta。
実は買おうと思ったけど止めたのは、The Stance Brothersのアルバム「Kind Soul」。ザ・ファイブコーナーズクインテットのテッポ・マキュネンのプロデュースによる、ヴァイブをフィーチュアしたものすごくクールなクラブジャズ。買うのをよしたのはおぼろげながら日本盤が出ていたような記憶があったからで、19ユーロも出して買っておきながら日本でもっと安く出回っていたら悔しいと考えたからだ。結果は正解。このあいだCDショップで手に入れた国内盤は2,500円弱でボーナストラック入り。
フィンランドでCDを買うひとは、国内盤の有無や値段、輸入盤の入荷状況など出発前にざっと調べておいたほうが安全だ。
世界最小のアールト建築。
ヘルシンキの中心部、エロッタヤ(Erottaja)にポコッと建つ地下入り口である。奥行きはそこそこあるものの、正面からみるとご覧のとおり、ひとが一人通れる扉が三つ並んだだけのコンパクトさ。
60年代初頭にアルヴァー・アールトのアトリエではたらいた経験をもつ武藤章『アルヴァ・アアルト』(鹿島出版会)によると、「冬戦争」直後の1940年におこなわれた地下防空壕のコンペで一等を穫ったプランだそう(実際に完成したのは1951年)。
おなじ本によれば、このときのアールトの案は
広場の地下に防空壕を設け、その入口を交通分離帯の中におき、しかも入口の周囲をガラス張りにすることによって交通機関の視野を妨げないようにする
というものだった。
一見気づかなくても、ちょっとしたディテールが紛れもなくアールト。
現在は地下駐車場の入り口となっているため利用者以外なかに入ることはできないが、地下がちょっとした商店街のようになっていた時代もあるようだ。かつては防空壕の一角が「公衆便所」として利用されていたようで、先ほどの本にはおもいっきり「地下の公衆便所の入口」と紹介されている。
ぼくらは、ここに車を停めていたえつろさんにくっついて地下の駐車場まで下りることができた。地下鉄の駅とおなじく、いざというときにはいまでも「シェルター」として活用される。もちろん、そんなことにはけっしてなりませんように。
アルヴァー・アールトの設計によるトゥルン・サノマット(トゥルク新聞)の本社ビル。引きで撮ってもあまり面白くないので(シロウト的には)、あえて変な角度から撮ってみた。
愛嬌のない、古ぼけたビルにしか見えないのだけれど、設計されたのが1928年から29年にかけてと聞けばビックリする。だって、80年前だよ! 昭和4年! あのやたらとドッシリした造りのヘルシンキ中央駅の駅舎が完成したのが1919年なわけだから、当時のひとびとの目にトゥルン・サノマットのある意味「色気」のない建物はどんな印象に映ったことだろう。
ところで散歩の途中、偶然みつけたのがこの瀟洒なホテル↓。
もともとはイギリス人実業家の邸宅として建てられ、80年代からホテルとして使われている(とホテルのウェブサイトには書かれている)。そして1920年代にはアルヴァー・アールトがここに事務所を構えていた時期もあったようだ。こんなチャーミングな空間の中であんな過激なプロポーションの建物を構想するというのは、やっぱり先進的な感覚をもったひとなのだろう。一般的には、この作品をプロローグにして、つづく「パイミオのサナトリウム」で一気にアールトの「個性」が爆発すると言われている。
それはそうと、なんとかならないかと思うのはアールト建築のトイレの問題(男子の小のほう)だ。
といっても、じっさいぼくが入ったのはフィンランディアタロとアカデミア書店のあるビルくらいなものだが、(小)便器どうしの間隔があまりにも狭いので便器はあるのに並んで使用することができないのだ。フィンランディアタロでコンサートを聴いたときには、休憩中律儀にひとつおきに使用していて行列ができているのだった。仮に便器が6個並んでいたとすると、3個しか使えないということ。だったら最初から4個にすればいいのにという話なのだが。さすがに相手がアールトともなると、「あのぅ、先生、便器の間隔がちょっと・・・」なんて言えなかったのだろうか?
ヘルシンキのクルーヌンハカ。時間つぶしに雨の中、ひとりでぶらぶら散歩していて出くわした小劇場。
ぱっと見は地味なのだけれど、よく見るとたくさんの「色」が絶妙に配分されていて思わず「きれいだなぁ」と呟きながらシャッターを切った。カメラを持っていないときにはたぶんけっして目に飛び込んでこないかもしれない風景。
トゥルクの大聖堂。
なんとか「侵入」できないものかと、建物の周囲をぐるぐる歩いていて発見したのがこの壁に埋め込まれた石碑だ。ラテン語? もちろん読めないが、歴史の重みだけはぼんやり感じられた。
こちらもトゥルク。駐車場の壁の、ずいぶんと高いところに貼られていたステンシルっぽいポスター。塀によじ登って片手で撮影。写真を撮りたいがどうにも恥ずかしいというときは、心のなかで「旅の恥はかき捨て、旅の恥はかき捨て」と念仏のように唱えることにしている。
破れっぷりがステキ。
ヘルシンキのカフェ、CAFE LUFTのシナモンロール。
フィンランド基準からするとやや小ぶり、見た感じでは冷凍だろうか? 甘みがやや強く、どちらかというとスイーツっぽいところもそう感じるゆえん。焼き色がかなりしっかりついているが、たぶんそれも冷凍だからじゃないだろうか。
でも、案外このシナモンロールがおいしかったりするのであなどれない。手作りの素朴なシナモンロールもいいけれど、このレベルのシナモンンロールが手軽に食べられるのならそれもよし。冷凍なら、どこのブランドのものかこっそり教えてほしいくらいである。
ちなみにLUFTがあるのはカッリオのはずれ。周囲はポルノショップやパブ、ちょっといかがわしい雰囲気の漂うタイ式マッサージの店などが数多くあるエリアだが、通りをはさんだ向かいには大きな銀行があるせいでお昼にはスーツ姿のビジネスマンやOLもたくさん訪れる。むかし中目黒にあった「オーガニックカフェ」をもっと素っ気なくしたような雰囲気で、フィンランドにはめずらしい、日本人がイメージする「カフェ」に近い雰囲気をもつお店。夜にはDJが入ってパーティーがおこなわれたりもするらしい。
ヘルシンキの下町、丘のてっぺんにひっそりたたずむちいさなレイポモ(パン屋さん)、K.E.Avikainenのシナモンロール。
この場所で40年以上商売を続けてきたというおばあちゃんのつくるシナモンロールは、まさに「コルヴァプースティのお手本」と言いたくなるようなすばらしいカタチ、そして味。カルダモンとシナモン、砂糖のバランスもほどよく、しっかりした焼き色もぼくの好みにぴったりなのでした。
ところで、こういうお店を訪ねるときには、なんといっても「お行儀よく」しなければならない。その町に暮らすひとびとが大事に守り、育ててきた場所にお邪魔するわけだから。そこに流れる「空気」を乱さないようよくよく注意をしなきゃいけない、そう思うのだ。
つたないフィンランド語(というよりは単語の羅列?)でいろいろと買い込んで、(他に誰もお客様がいらっしゃらなかったので)記念に一枚パチリと写真を撮らせてもらって店を後にしたのだった。
2002年の7月、「moi」を荻窪にオープンしたときぼくはウェブサイトに、一杯のコーヒーは
「生活にとっての句読点のようなもの」
と書いた。
仮にこの世の中に「句読点」が、つまり「、」や「。」が存在しなかったとしても、ぼくらは文章によってコミュニュケーションすることはできる。じゃあ、「句読点」なんて不必要なんじゃないかと問われれば、あるいはそうかもね、と答えることだろう。と同時に、それについてはぼくはこんなふうにもかんがえる。なくてもいいけど、でもあったほうが全然いいものなんじゃないかな?、 と。
なんだか理屈っぽくなってしまったけれど、ぼくはこの「句読点」をそのまま「カフェ」、あるいは「一杯のコーヒーとともにカフェですごす時間」と言い換えてもかまわないんじゃないかと思っている。カフェもまた、なくてもかまわないが、でもあったほうが全然いいもの、だからである。
ところでこれはちょっとした愚痴と思って聞いてほしいのだが、残念ながら、ぼくの暮らす東京でカフェを取り巻く状況は相変わらず厳しい。まずは「不必要」と思われるものから削ってゆく、そんなとき、お茶をする時間(そして、お金)はいちばん最初に削られる対象であり、いちばん最後になってようやく戻ってくるものであるらしい。「句読点」を削ってもとりあえず文章は成立するから・・・。そんな論理の下、こうして生活から「句読点」が消えてゆく。
「句読点」を欠いた生活はしかし、それを欠いた文章とおなじで味気なく、息苦しい。旅行や大きな買い物は文章にたとえれば段落を変えるようなもので、一時的なリセットになったとしてもまた「句読点」のない生活がつづけば呼吸困難になるのはあきらかである。べつにコーヒーである必要はないけれど、風通しよく生きるためにほんとうに必要とされているのは「段落を変える」ことではなく、日々の暮らしのなかに適当なタイミングで「、」や「。」を打つことなのだ。ぼくはそう思っている。
そしてだから、それでもぼくはカフェをやっている。
ヘルシンキという街は、ぼくに言わせれば、「句読点」のもつ意味を知っているひとびとが暮らす土地である。街のそこかしこに、生活に精妙なリズムをもたらす「句読点」がある。都市の真ん中に、ちょっとひと息つくのにうってつけの公園があり、森があり、水辺がある。そしてもちろん、カフェがある。
白状すれば、ぼくはフィンランドで飲むコーヒーの味は好みではない。でも、フィンランドのカフェで、そこに暮らすひとびとに混じってコーヒーを飲む時間がとても好きだ。機能的なもの、合理的であることを重んじるはずのフィンランドのひとたちが、「時間がないんだから省いちゃえ!」とはならずに、あのように足繁くカフェに入りコーヒーをすすっている姿は意外でもある。かれらの合理的な発想の裏側に、一見「無用」とも思えるカフェですごす時間があったのか!、そんな感じである。
今回のフィンランドの旅でぼくは15、6軒ほどのカフェに入り、そこで思い思いの時間をすごすひとびとを眺め、また黙々と仕事に打ち込むひとびとの姿をみた。それはまた、ぼくにとってはなんともしあわせで、また眩しい光景だった。そしてそんな光景を眺めながら、
「この仕事もなかなか捨てたもんじゃないな」
なんて、性懲りもなく相変わらず食えないことをかんがえていたりするのだった。
さてと、
なんとなく切り上げるタイミングをつかめないままだらだらと続けてきたこの旅行記ですが、とりあえずこのあたりで(いい加減)終わりたいと思います。いつもながらお付き合いくださいましたみなさま、どうもありがとうございました!
秋の大型連休、みなさん満喫してらっしゃいますでしょうか? あしたは火曜日、したがって通常でしたら定休日にあたりますが、連休中ということでモイは営業致します。なお、振替のお休みは24日[木]となりますのでよろしくお願い致します。
さて、先日お休みをいただき長野県の戸隠に行ってきました。戸隠といえば、世間では
── ソバ好きの聖地
であると同時に、パワースポットとして
── スピリチュアル好きの聖地
ということになるのでしょうが、ぼくは単純に
── 森、
ひたすら森を満喫してきました。耳を澄ませばきこえてくるのはただ鳥の声ばかり、そして鼻腔には土と木、そして草の湿った匂いしか入ってきません。かつては当たり前だったのでしょうが、東京で暮らしている限りこんな経験、まず出来ません。必要最小限だけ人の手が入っている感じ、いわゆる「里山」ですね。
鬱蒼とした森の小道を抜けてたどり着いたのは、小鳥ヶ池。もちろん? 誰もいません。怖いくらいに、静か。
こちらは戸隠神社の「中社」。こういう自然の一部のようにひっそりと佇んで、周囲から「浮いて」いない神社は個人的に惹かれます。
翌朝は「奥社」へと、片道2kmほどの「参道」を歩いてゆきました。「参道」といっても玉砂利が敷き詰められたようないわゆる「参道」ではなく、むしろ印象は山道に近い。前半はゆるやかな上り坂ですが、途中からは急な勾配、そして石段が続きます。そしてなんといっても圧巻なのは、途中に続く樹齢400年超(!)の杉並木。
写真がブレていて見づらいですが、写真の真ん中下あたりに立っているのがぼくです。杉の巨大さが分かるのではないでしょうか? しかしあらためて森を歩いてみると、昔のひとが「森」に対して畏敬の念を抱いた気持ちがよく分かります。森は人間のコントロールの及ばない不可侵の領域であって、森にあってはこの自分でさえ、キノコや草花や小動物とおなじちっぽけな存在なのだということを思い知らされます(中沢新一なら、それを「対称的思考」と呼ぶでしょう)。森に行くと、確実に人間は慎ましくなりますね(笑)。
さて、そんなふうに森を散策しながらずっとフィンランドのことを考えていました。いよいよ今週の土曜日に迫った、「ピロイネンカフェ」でお話しさせていただく事柄を頭の中でまとめていたのです。果たして森のパワーか? ずいぶん整理されてきて自分でも楽しみになってきました!
すでに予約は終了しているかもしれませんが、当日はぶらっとお越し頂いても自由にお入りいただけますので(しかも無料!)、軽い気分で遊びにいらしていただければと思ってます。
PS.本物の森には、「森ガール」は生息していませんでした・・・
旅のメモ~風まかせ 仙台篇
【行ったところ】
・仙台レコードライブラリー(レコ屋)
・利久(牛タン)
・haven't we met(カフェ)
・金蛇水神社(かなへびさん)(神社仏閣/岩沼市)
・AS TIME(喫茶店/自家焙煎)
・保原屋(うつわ・工芸品)
・小判寿司(すし店)
・デ・スティル コーフィー(自家焙煎珈琲店)
・vol.1(レコ屋)
・三瀧山不動院(神社仏閣/仙台四郎)
・カフェモーツァルトアトリエ(カフェ)
・せんだいメディアテーク(複合文化施設)
・IWASA COFFEE PRODUCT(喫茶店/自家焙煎)
・仙台パルコ(廃盤レコード&中古CD掘り出し市)
・青葉亭(洋食/牛タン)
【教えていただいたものの行けなかったところ、買えなかったもの】
以下は、街を歩いていて気になったけれど諸般の事情により入れなかった店、口頭もしくはツイッターで教えていただいた「仙台」のおすすめ一覧です。時間切れのため今回は訪れることができませんでしたが、次回仙台に行くときには確実に役に立つことでしょう。情報をくださったみなさんにあらためて感謝!!! です。みなさんが仙台を訪れる際の参考にも、ぜひ!
・火星の庭(ブックカフェ)
・Cafe Loin(カフェ/松島)
・ブラザー軒(西洋料理/中華料理)
・Cafe de Ryuban(カフェ/自家焙煎)
・地底の森ミュージアム(博物館/美術館)
・東北福祉大学・芹沢銈介美術工芸館(博物館/美術館)
・グリーンカフェレコーズ(カフェ/バー)
・喜久福(お菓子/おみやげ)
・づんだかん(お菓子/おみやげ)
・霜ばしら(お菓子/おみやげ)
・賣茶翁(おみやげ/お菓子/甘味処)
・鮨勘(すし店)
・三吉(おでん)
・Gokochi Curry(カレー)
・プリン家(もちろん、プリン)
聞いてはいたが、仙台はとてもいい街だった。モイのコーヒー&ティーカップをデザインしてくれた梅田弘樹さんとかおりさんご夫妻が、フィンランドから帰国後に住んだ街が仙台。すっかり気に入って、ついには家まで建ててしまった。その気持ちもよくわかる。ちょっとヘルシンキにも似ていなくもない、そんな仙台。ほんとうは梅田夫妻にも会いたかったのだが、いかんせん昨日の今日なので先方に迷惑をかけてもいけないので今回は連絡しなかった。残念。
仙台は予想以上に立派な都市(人口はヘルシンキの倍くらい)だったが、街中に緑が多く、車道も歩道も広くてとても歩きやすい。中心部の主要な道は碁盤の目のようになっているので初めて訪れる観光客にもわかりやすいし、徒歩での移動がメインのぼくのような旅行者には平坦なのもいい。その反面、街のそこかしこに「昭和」の匂いをプンプン感じさせる路地や横丁、市場が迷路のように存在していてワクワクさせてくれる。もちろん、車や電車に少し乗れば海や山にもかんたんに足を運ぶことができるのだから、なんて贅沢なのだろう。短い滞在ではあったけれど、東京から比較的かんたんに行くことのできる街のなかでは、かなり快適ですっかり気に入ってしまった。
仙台2日めは、朝8時半にホテルをチェックアウトして、帰りの新幹線が発つ20時過ぎまでの丸半日たっぷり歩き回った。まあ、基本的にはコーヒー屋とレコード屋が中心なのだけれど。それにしても今回はろくすぽ下調べもしないままに飛び出してしまったのだが、ツイッターに寄せられる耳寄りな情報にはずいぶんと助けられた。仙台が地元の方、かつて住んでらっしゃった方、旅行で訪れたことのある方…… 思いがけずいろいろな方からリアルタイムで「おすすめ」を教えていただきとても楽しかった! 気になったけど行けなかった店、買えなかったおみやげも多数、もったいないので、あらためて教えていただいた情報を出かけた場所とともにまとめておこうと思う。
7月14日は「パリ祭」、そしてそんな一日。
2010/07/16[金] ゆうべは、23時半くらいに家に戻った。
途中、乗っている新幹線の車内で「SOSボタン」が押されたとかでトンネル内で急停車。車内トラブルの確認のためというアナウンスが流れた後10分ほどしてふたたび動き出したものの、遅れを取り戻すためか猛スピードで宇都宮までぶっ飛ばす。迷作『新幹線大爆破』の緊迫したシーンが脳裏をかすめる(笑)。宇都宮ではホームを走ってゆく警官も目撃し、緊張はいよいよ最高潮に!? けっきょくここでも5分ほどロスタイムで、東京には10分遅れで到着した。仙台で買い込んだレコードを少しだけ聴いて就寝。
仙台でリフレッシュして、あたらしい朝がきた、希望の朝が、といった感じで気持ちよく目覚める。寝起きの一杯は、「デ・スティル コーフィー」のフルシティ。マンデリン主体の、すっきりしていながらもどこか野趣あふれる香りが好み。
かんがえたり、かんがえなかったり、かんがえるのをやめてみたり、そんな毎日がふたたびはじまる。あまりつぶやきもせず、一日が終了。
7月15日は、そんな一日。
きょうは、巷で話題のいま最高にクールな動画を紹介するぜ!(アメリカの健康器具のCM風)。それは、
です!!!
いきなり「前面展望」と言われても、おそらくたいがいのひとはピンとこないでしょう。かく言うぼくも、数週間前まではそうでした。
かんたんに説明すると、鉄道マニアが電車の最前部にカメラを据え付け撮影した動画を、YouTubeなどの動画サイトに個人的な楽しみのためにUPしたもの、それが「前面展望」なのです。ためしに動画サイトへ行き、【前面展望】というキーワードで検索をかけると全国津々浦々の鉄道路線の〝前面展望〟動画が一覧に出てきて驚かされます。
ぼくはいわゆる〝鉄ちゃん〟ではありませんが、それでも子供のころは電車に乗れば運転席に顔をひっつけて景色をみる、特急列車の写真を撮りに同級生と早起きして駅にゆく、初めてのった寝台列車で興奮のあまり鼻血を出す、程度のごくありふれた乗り物好きの少年ではありました。とはいえ、大人になったいまでも電車やバスに乗れば車窓からの風景をぼんやり飽きもせず眺めているような人間なので、ひょんなことからこの「前面展望」動画を発見したときにはちょっとした感動でした。
さて、では「前面展望」をどう楽しむか、それはひとそれぞれ色々な楽しみ方があるにちがいありません。マニアにはマニアにしかわからない、そんな「ツボ」がきっとあるのでしょう。ぼくはといえば、たいがいこうした「前面展望」動画を就寝前、寝床にもぐりこんでスマホで見ています。車窓にひらける長閑な郊外の景色など眺めているとちょっとした旅気分を味わえますし、なにより日常のおだやかな世界の中に張り詰めた心も身体も溶けてゆくようです。余計なBGMが一切ないのもいいですね。
京都の叡山電車、堀江敏幸の小説世界を思わせる西武国分寺線や西武多摩湖線のそこはかとないサバービアな空気感もたまらないのですが、ひとつ〝推し路線〟を挙げるとすれば、JR青梅線の「御嶽ー奥多摩」間の前面展望ということになるでしょうか。
夏の瑞々しい緑の中をゆっくり走る単線のローカル線。にわかには東京都内とは信じがたい景色が続きます。ひとの気配のないひなびた駅舎、カーブを抜けトンネルをひとつ越すたびに山々の懐に深く分け入ってゆくような景色の変化、そして白眉は終点・奥多摩駅の手前にある全長1,270メートルの氷川トンネル。1分半ばかり続く暗闇の後、カーブの先にぼんやりと出口の丸い光がみえてくるとホッと安心します。奥多摩の廃線が舞台になっている中村弦の小説『ロスト・トレイン』を読んだひとなら、このままパラレルワールドに迷い込んでしまう錯覚をおぼえるかも。
そして、今宵も〝前面展望の旅〟は続くのでありました。