あけましておめでとうございます。酉年にちなんで、先日美術館で出会った一枚の「鳥」の絵を。
畑中優 「意志*」 2011年
板・油彩 15.7×22.6cm
これは、仏文学者で音楽や美術にかんする著作も多い粟津則雄がかつて収集し、その後練馬区立美術館に寄贈した約100点の美術作品のうちのひとつで、いま開催中の『粟津則雄コレクション展〝思考する眼〟の向こうに』と題された企画展示のなかでもとりわけ目を引いた一枚である。粟津則雄は、こうした絵画を書斎の壁に飾り思索や執筆のあいまあいまに楽しんでいたという。「〝思考する眼〟の向こうに」というサブタイトルはそこからきているのだろう。
身を低くしてじっとたたずむ鴉のすがた。動きを止めたその身体は完全に背景に溶け込み、もはや区別もつかないほどだ。だが、その眼はというと、時がくるのをじっと待ちかまえる眼、待機する眼である。身じろぎひとつしないその身体を描きながら、同時に、画家の眼は、やがて時が満ち力強く飛翔する彼のすがたをたしかにとらえている。
* 画題は公式サイト上では「意思」となっているが、出品リストに準じ「意志」と表記した。
Bunkamuraザ・ミュージアムで『マリメッコ展 デザイン、ファブリック、ライフスタイル』をみる。
時代の変遷とともに、マリメッコはどう変わり、また変わらなかったのか。そんなところを気に留めながら会場をみてゆく。
創業者であるアルミ・ラティア、そして初期のマリメッコを支えたヴオッコ・ヌルメスニエミは、たとえばワンピースのデザインひとつとっても直線的で素っ気なく、だが、そこがまた革新的に映る。それはどこか、男性/女性の区別がないフィンランド語の3人称を思い起こさせたりもする。
60年代から70年代になっても、アルミ=ヴオッコの路線は忠実に踏襲される。ワンピースのデザインは相変わらず直線的で素っ気ない。けれども、ヴィヴィッドな色彩やカラフルな図案を大胆に導入することでよりポップに、たっぷりと時代の気風を孕んだものになっているところがおもしろい。マリメッコで仕事する人たちは、そういう変えていい部分とけっして変えてはいけない部分とを十分に理解した上で、日々試行錯誤しているのではないか。
これは、去年マリメッコを特集した雑誌『MOE』のインタビューでお話ししたことでもあるのだが、マリメッコのデザインは一貫して〝大きい〟。ここで〝大きい〟というのはなにも図柄がデカいということではなく、おおらかで、自由で、のびのびとした拡がりをもっているという意味である。
たとえば、マリメッコと聞いてまず思い出されるであろうマイヤ・イソラの代表作「ウニッコ」。咲き乱れるポピーの花々は、布の上にあふれ、風に揺れ、ついには布をはみ出してどこまでも続いてゆくようにさえ見える。「ウニッコ」が、巷にあふれる凡庸な花柄とあきらかに異なる点はそこに、まさにその〝大きさ〟にある。繊細さや緻密さ、ツンと取り澄ましたような洗練よりも、重視されるべくは動感であり、ときにちょっと乱暴なくらいのエネルギーのほとばしりなのである。会場に並んだ図案の数々をみれば、なにもそれはマイヤ・イソラにかぎった特徴などではなく、現代にまで脈々と受け継がれてきたマリメッコのいわば〝伝統〟なのだということに気づくはずだ。マリメッコで仕事をしたデザイナーはたくさんいるが、デザイナーは違えども並んだ作品のすべてから共通して〝マリメッコっぽい〟としか言いようのないある種の〝匂い〟が感じられるのは、つまりそういうことなのだろう。
後半では、マリメッコで活躍したふたりの日本人、脇阪克二と石本藤雄が紹介されるが、マリメッコの〝伝統〟の上に日本人ならではの〝几帳面さ〟〝細やかさ〟を加味した彼らの図案のユニークさは、やはりマリメッコという磁場からしか生まれ得なかったいちがいない。
マリメッコというブランド名が、〝マリーのための服〟という意味をもっていることはよく知られている。では、「マリー」とは一体だれなのか? それはおそらく、社会で活躍するすべての女性の総称なのではないだろうか?(★)。それを身につけることで、自由に生き生きと活動的になれる洋服をマリメッコは一貫してつくり続けてきた。今回の展示をみて、1951年の創業以来、こうした〝社是〟に一点のブレもないことにあらためて感嘆するとともに、なるほどフィンランドの街路ですれ違うマリメッコの衣服を身につけた女性たちがみな一様に堂々としている理由がわかった気がした。
(★)マリメッコのMariについては、公式サイトによると創業者アルミ〈Armi〉のアナグラムとのことです。フィンランドのえつろさん、情報ありがとうございます。。