みなさんこんにちは。
街のはずれのちいさな個人店にとっては「向かい風」の日々が続いています。とりわけここ1、2年は身近なところでも残念な報らせが多く心の折れそうな日々ではありますが、ふと思い出しては足を運んでくださるお客様、身にあまるような言葉をかけてくださるお客様、そんなお客様の支えがあってこそなんとかかんとかつながっている、そんな感じをいっそう強く抱いています。
そこで、そんないつも足を運んでくださるお客様のみなさんに少しでもよろこんでいただきたく、2016年2月より新たに「3つのサービス」をスタートすることにしました。
以上の3つです。くわしくは下記をお読みいただければと思います。
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ひさしぶりに水曜日のカフェ営業を再開します。
ただし、営業時間は夜フィンランド語クラスがある都合上11時30分〜18時(17時30分L.O.)となります。
また、1〜2ヶ月に一度くらいお休みをいただきます。お休みにつきましては月末にSNS(ブログ、FBページ、ツイッター)を通じてお知らせ致します。
土日祝日をふくむ毎日開店時間より14時までを「ランチタイム」とし、軽食メニューをドリンクつきのサービス価格にてお召し上がりいただけるようします。詳しくは以下をご覧ください。なお、提供メニューは事情により変更になる場合もあります。
◎ 水、木 11:30(祝日の場合12:00)〜14:00
◎ 金、月 11:30(祝日の場合12:00)〜14:00
◎ 土、日 12:00〜14:00
お誕生月にあたるお客様は、当該月中なんどでもカフェでのご飲食代が10%引きになります。
会計時に、誕生日のわかるものをご提示ください。その場で割引させていただきます。
なお、こちらはご本人様のカフェでのご飲食代(テイクアウトは含まず)のみに限らせていただきます。
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上記3つのサービスは、2016年2月1日よりスタートさせていただきます。みなさまのご利用を心よりお待ちしております。
街のちいさな個人店の「ともしび」は、みなさまひとりひとりが守ってくださっている「あかり」です。今後ともいっそうのお引き立てを何卒よろしくお願い致します。
2016年2月1日 moi店主
ここ数日、鼻水がとまりません。ああ、ついに花粉シーズン到来だなぁと思いつつ、薬を処方してもらうため病院を訪れたところ、なんとインフルエンザの判定が出てしまいました。病院で体温をはかったら35度だったのですが。。
先生も、当初は「(熱がないし)検査する必要ないんじゃないかなぁ」とおっしゃっていたのですが、客商売だし念のためにとこちらからお願いして検査していただいたところ判定が出てしまったので先生も、ぼくもビックリしてます。こんなことってあるのでしょうか?
とはいえ、万が一お客様やスタッフにうつしてしまうようなことがあってはいけないので、日曜日まではお休みさせていただくことにしました。週明け以降の営業はまたあらためてお知らせいたします。休みが続いてしまうので、来週はちょっとイレギュラーな営業時間で対応するかもしれません。
ひとまず、ご来店予定のお客様には大変ご迷惑をおかけいたしますが、何卒よろしくお願い致します。。
菊志ん師匠には寄席が似合う。
浅めの出番で高座に上がり、それまで重たかった客席の空気をガラッと変えて下がってゆく、そんな場面に幾度か出くわした。〝仕事人〟という呼び名がぴったりの噺家。
じつはなにをかくそう、師匠がトリを務める日に寄席を訪ねるのは今回が初めて。火焔太鼓、浜野矩随、寝床、百川、子別れ、明烏、しじみ売り。初日からここまでに掛けたネタをみずからのブログに師匠が挙げていた。さて、今日はなにを掛けるのだろう? 菊志ん師匠らしい、カラッと明るく楽しい噺だとうれしいのだけれど。
それはともかく、である。昨晩の鈴本演芸場の客席は様子がヘンだった。噺の途中で突然立ち上がり舞台に背を向けて仁王立ちする男がいるかと思えば、スーツ姿のおっさんグループはいちいち茶々を入れて水を差す。ビニール袋のガサガサ音は終始鳴り止まず、振り返って睨みつけるおばあちゃんがいる。気持ちはよくわかるが、こちらとしてはどうにも落ち着かない。浅草ならいざ知らず、鈴本でここまでのことはあまりない。とはいえ、寄席に通っていればこういうことだってあるのだし、そんな客席だからこそ百戦錬磨の寄席芸人たちの仕事ぶりに触れるいい機会かもしれない。そんなふうに考えて諦めることにした。
開口一番は、小せん師匠の弟子のあお馬さんで「金明竹」。達者な前座さん。言い立ても早口言葉風の一辺倒ではなく、ゆっくり喋ってみたりと変化をつけて工夫がある。そもそも骨董品の名前からしてすでに呪文のようなのだから、早口じゃなくても、上方の訛りでなくてもけっきょく与太郎やおかみさんには通じないのである。
続いて、二つ目の志ん吉さんは「子ほめ」。八五郎は、ガサツというよりはテキトーな感じ。いっそのこともっと軽い人物にしちゃっても面白いかも。鏡味仙三郎社中は、仙三郎と仙成のふたり。仙成さんは初めてだが、早回しのスピード感は若いだけあってさすが。急病の圓太郎師匠に代わり登場したのは燕路師匠。「パンフレットに私の名前は出ておりませんが、深く考えずにただ身をまかせていただければ極楽にお連れすることになっております」と「だくだく」へ。絵に描いたネコに、わざわざご丁寧に「タマ」と名前まで入れるところが面白い。客席も一気に温まる。燕路師匠、かっこいい。
菊千代師匠は、娘の縁談をめぐり母親と娘の奉公先のおかみさんとがとんちんかんなやりとりをする「お千代の縁談」。自作のネタだろうか。いかにも寄席らしいマギー隆司先生のマジックにほっこり。馬石師匠の「鮑のし」は、甚兵衛さんが大家のところにアワビを届けるくだりまで。はたして目論見どおり一円は貰えたのだろうか。なんか、きっと貰えそうな雰囲気だったな。
一朝師匠が中入りだと、ちょっと得をしたような気分になる。その上、師匠お得意の威勢のいい江戸言葉が〝炸裂〟する「三方一両損」ときたら、もう文句なし。大岡裁きの見事さよりも、「こいつら絶対また喧嘩する」という苦笑いのほうが勝る「三方一両損」。絶品。
ホームラン。勘太郎先生が、最近逮捕された清原に似ているというまさにタイムリーな話題から。いつものテレビショッピングネタだが、最近ご無沙汰だったので初めての製品も登場。スマホで客に商品を検索させたりと、ざわつく客席をあえて巻き込んでの今夜は浅草仕様!? はじめて聴く鬼丸師匠は、自作の「新・岸柳島」。大学時代、小田急線の車中でヤンキーに絡まれた出来事をネタにした新作。サゲを聴いてなるほど納得。面白い。ヒザは二楽師匠の紙切り。ハサミ試しの「桃太郎」は誰も取りにこないのに、師匠が「ご注文はありますか?」と口にした途端5人くらいが一斉に大声で叫んだのには驚いた。二楽師匠、すかさず「落ち着いてください」。お題は、浅田真央、流し雛、浦島太郎と織姫の雪合戦(同時に叫んだふたつのお題を合体)。
いよいよ主任の菊志ん師匠登場。「戻ってくる芸人がみんな顔を紅潮させているのできっと今日のお客様はやりやすいのでしょう」と、まずは持ち上げつつさらりと牽制。さすが。
旅先で実際にあったちょっとコワい出来事のマクラから、旅の乗合船がサメに取り囲まれてしまう「鮫講釈」へ。おなじ噺でも、主人公が上方のひとで金比羅参りの帰りの出来事だと「兵庫舟」、お伊勢参りの江戸っ子が主人公だと「桑名舟」と名前が変わるのだとか。ということは、「桑名舟」の後半に講釈師が登場し、「五目講釈」を披露すると「鮫講釈」になるということか。
前半は、江戸っ子二人組と同船した上方のひとによる謎かけ。客席から入る茶々もうまく取り込んで噺を進める師匠。講釈師、一龍斎貞山の弟子で貞船(ていせん)先生が登場するところでちょっと地噺風に「うまい」講釈師の説明がおもしろおかしく入るのだが、こういう説明は講談にあまりなじみのない人間にはありがたい。「鮫講釈」のなかには、最後の一席なのでいろいろな読み物をあえてミックスして…… という型もあるようだが、菊志ん師匠の「鮫講釈」に登場する貞船先生は一見立派にみえるが、そのじつ胡散臭くも思える人物。緊張で混乱しているのか、はたまたテキトーなのか判然としない。やけっぱちな感じもする。
五目講釈に入ってからは、そのスピードと勢いとに圧倒されたか、すっかり酔漢も大人しくなってしまった。あの客席にしてこのネタだったのだろうか。さながら菊志ん師匠の技アリといったところ。
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2016年2月9日
上野・鈴本演芸場2月上席夜の部
開口一番 柳家あお馬「金明竹」
◎ 古今亭志ん吉「子ほめ」
◎ 鏡味仙三郎社中(太神楽曲芸)
◎ 柳亭燕路「だくだく」
◎ 古今亭菊千代「お千代の縁談」
◎ マギー隆司(奇術)
◎ 隅田川馬石「鮑のし」
◎ 春風亭一朝「三方一両損」
〜仲入り〜
◎ ホームラン(漫才)
◎ 三遊亭鬼丸「新・岸柳島」
◎ 林家二楽(紙切り)
主任:古今亭菊志ん「鮫講釈」
歴史に名を残す画家たちの〝最後の日々〟を、身近で接した女性たちの眼をとおして描き読後に静かな余韻を残す短編集。
登場するのはマティス、ドガ、セザンヌ、そしてモネの4人。たとえば、マティスをとりあげた『うつくしい墓』は、老いてなお枯れることを知らない天才のインスピレーションとその創造を支える周囲のひとびとの献身的な愛を若いメイドの眼をとおして語らせながら、それが同時にマティス晩年の傑作《ロザリオ礼拝堂》誕生の隠れた物語にもなっている。
それぞれの物語には、共通して女性たちが早朝「窓を開ける」シーンが登場する。 それは、刻々と迫る敬愛する老画家との「別れ」へのカウントダウンであり、また、〝最後の日々〟を共にできることへの「歓び」をあらわしているのではないか。
実在の画家たちが登場するとはいえすべてはあくまでもフィクションであり、そういうことがあったのかもしれないし、またなかったのかもしれない。けれども、そうした事実関係の詮索よりも、史実をもとに、その隙間をていねいにパテで埋めてゆくような作者の驚くべき想像力と知的な遊び心をこそ楽しむべき本なのだと思う。これもまた、「絵」を愛するひとつの方法にちがいない。
徳島アアルトコーヒーの庄野さんが発行するZINE「Hemisphere」の第4号が出ました。特集は「town」。庄野さんの人柄を反映して、今回も多彩な執筆陣が参加しています。ぼくもまた、前号に引き続き文章を書かせていただきました。
執筆陣は次のとおり
ところで、庄野さんからの依頼は「〝town〟というお題でなにか書いて下さい」というシンプルなもの。迷った挙句、ぼくはかつて吉祥寺に移る前5年半ほどお店をやっていた荻窪という街のこと、そこで出会い、(たぶん)街を後にしたひとりのお客様とのエピソードを、コール・ポーターの「町を出よう」というスタンダードナンバーに引っ掛けて書かせてもらいました。「カフェ」とは、出会いの場所であると同時に時間であり、ときにその記憶でもあるということ。
どこかで、なにかの折に手に取っていただければ幸いです。なお、当店でも現在お取り扱いしておりますのでご希望の方はぜひお求めください。
きょう2月14日は「ヴァレンタインデー」ですね。
この日不二家のハートチョコレートを貰えるか否かが、昭和の小中学生男子には人生を左右するほどの一大事でありました。そう、「不二家ハートチョコレート」は当時の少年にとってはゴディバの数百倍も価値のある、言ってみれば〝オトコの勲章〟のようなものだったわけですよ!!! すみません、つい興奮してしまいました……。
しかし、いつしか「義理チョコ」なる慣習が蔓延し、ついには「友チョコ」なる新語まで登場しここにきて完全に「ヴァレンタインデー」もサードウェーブ化したのではないかと思われる昨今ですが、こうした〝ガラパゴス化〟をすでに先取りしていたと思われるのがフィンランドにおける「ヴァレンタインデー」です。
フィンランドで「ヴァレンタインデー」といえばそれは「友達の日」のことであり、性別に関わらず親しいひと、日頃お世話になっているひとにカードを贈ったり、花や本をプレゼントするのが通例となっています。さすがは、3人称に男女の区別がない国フィンランド! ヨーロッパで初めて女性の参政権が認められた国フィンランド! 聞くところによると、じっさいフィンランドではクリスマスに次いで郵便局が忙しいのはこの「ヴァレンタインデー(友達の日)」なのだとか。毎年「友達の日」には、特別に記念切手も発行され人気を博します。ことし2016年の切手を飾ったのは、アンネ・ヴァスコさんのイラスト(画像)。個人的には、鳥のしっぽに蝶々がのっている絵柄がお気に入り。
ところでヴァスコさんといえば、2011年の来日時イラストレーターの福田利之さんとともにここmoiでのトークイベントに出演してくださったので、憶えている方もあるいはいらっしゃるかもしれません。
そして思うのです。もうそろそろ、日本の「ヴァレンタインデー」も「友達の日」ってことでいいんじゃね? と。
きょうは、巷で話題のいま最高にクールな動画を紹介するぜ!(アメリカの健康器具のCM風)。それは、
です!!!
いきなり「前面展望」と言われても、おそらくたいがいのひとはピンとこないでしょう。かく言うぼくも、数週間前まではそうでした。
かんたんに説明すると、鉄道マニアが電車の最前部にカメラを据え付け撮影した動画を、YouTubeなどの動画サイトに個人的な楽しみのためにUPしたもの、それが「前面展望」なのです。ためしに動画サイトへ行き、【前面展望】というキーワードで検索をかけると全国津々浦々の鉄道路線の〝前面展望〟動画が一覧に出てきて驚かされます。
ぼくはいわゆる〝鉄ちゃん〟ではありませんが、それでも子供のころは電車に乗れば運転席に顔をひっつけて景色をみる、特急列車の写真を撮りに同級生と早起きして駅にゆく、初めてのった寝台列車で興奮のあまり鼻血を出す、程度のごくありふれた乗り物好きの少年ではありました。とはいえ、大人になったいまでも電車やバスに乗れば車窓からの風景をぼんやり飽きもせず眺めているような人間なので、ひょんなことからこの「前面展望」動画を発見したときにはちょっとした感動でした。
さて、では「前面展望」をどう楽しむか、それはひとそれぞれ色々な楽しみ方があるにちがいありません。マニアにはマニアにしかわからない、そんな「ツボ」がきっとあるのでしょう。ぼくはといえば、たいがいこうした「前面展望」動画を就寝前、寝床にもぐりこんでスマホで見ています。車窓にひらける長閑な郊外の景色など眺めているとちょっとした旅気分を味わえますし、なにより日常のおだやかな世界の中に張り詰めた心も身体も溶けてゆくようです。余計なBGMが一切ないのもいいですね。
京都の叡山電車、堀江敏幸の小説世界を思わせる西武国分寺線や西武多摩湖線のそこはかとないサバービアな空気感もたまらないのですが、ひとつ〝推し路線〟を挙げるとすれば、JR青梅線の「御嶽ー奥多摩」間の前面展望ということになるでしょうか。
夏の瑞々しい緑の中をゆっくり走る単線のローカル線。にわかには東京都内とは信じがたい景色が続きます。ひとの気配のないひなびた駅舎、カーブを抜けトンネルをひとつ越すたびに山々の懐に深く分け入ってゆくような景色の変化、そして白眉は終点・奥多摩駅の手前にある全長1,270メートルの氷川トンネル。1分半ばかり続く暗闇の後、カーブの先にぼんやりと出口の丸い光がみえてくるとホッと安心します。奥多摩の廃線が舞台になっている中村弦の小説『ロスト・トレイン』を読んだひとなら、このままパラレルワールドに迷い込んでしまう錯覚をおぼえるかも。
そして、今宵も〝前面展望の旅〟は続くのでありました。
残念なお知らせです。
先ほど取引先のパン屋さんより、サーモンの北欧風タルタルサンド(現在水曜日、木曜日のみ提供中)に使用しているパンの製造中止についての連絡がありました。時期については4月中とのことでしたが、まだはっきりしないとのことです。
「サーモンの北欧風タルタルサンド」はオープン当初からのメニューであり、14年間変わらない味で提供をしてきました。パンについても、素材同士のバランスを考えいろいろ探し回ってみつけた商品だっただけに大変残念ではありますが、「これはこれで美味しいね」と言っていただけるような代替品をこれから探そうと思っています。
長らくこの味を楽しみにご来店いただいていたお客様には大変申し訳ないのですが、何卒ご理解の程よろしくお願い致します。
なお、3月いっぱいは確実に入手可能なので、「まぼろし」になる前に現在の「サーモンの北欧風タルタルサンド」の食べ納めにぜひご来店いただけますようお願い致します。
*3月いっぱいは現在のパンを使用。その後は変更になりますが、代替品がみつかるまでしばらくの間休止する可能性もあります。
◎ 鉛色の空に冷たい北風。そんな塩梅なので、当然のごとくお客様の少ない1日でした。それにしたって、オーダーの入ったドリンクがすべて「あたたかいコーヒー」、コーヒー100%というのは13年超の営業で初めてのこと。もっとお客様の少ないときもあったというのに。まさに〝椿事〟です。
◎ 先日お会計の際、毎週のようにお茶をしに来てくださっていたお客様から声をかけていただきました。転勤のため、5年間の東京暮らしにピリオドを打ち関西方面に戻ることになったとのこと。ガクッ、毎度こういうときは膝から力が抜けるような感覚に陥ります。いや、ほんと大袈裟でなく。とはいえ、ある日を境にパタッといらっしゃらなくなったらそれはそれは心配なので、声をかけていただけてありがたかったです。長い間どうもありがとうございました。どうぞお元気で、また会える日まで。
ところで、そのお客様もそうなのですが、常連のお客様には関西出身の方が占める割合がけっこう大きい気がします。京都や神戸、大阪には昔からいい喫茶店が多いですが、そのせいか暮らしの中に「喫茶店で一服」をうまく取り入れているひとも少なくないようです。そんなこんなで、「喫茶文化は西高東低」というのは以前からのぼくの持論です。
◎ それはともかく、水曜日のカフェ営業を再開して約1ヶ月が過ぎましたが、どうもやはり水曜日はお客様が少ないですね。苦戦中。あ、お客様が少ないから水曜日も休みにしたんだっけ? なんていまさらながら思い出してみたり。でも、毎週のように来てくださる方もいらっしゃるのでしばらくは様子をみたいと思います。場合によっては、火曜日を営業して水曜日を休むという手もアリ!? すくなくとも、髪の毛を切るぶんにはそちらのほうが好都合ではあるのですが。まだ「正解」はわからない。
◎ 昨日のこと。散歩の途中、阿佐ヶ谷と高円寺のまんなかあたりで、ふた月ほど前に見た夢のなかに出てきた「家」と出くわした。大きな三角屋根の平屋で築5、60年くらいの、画家のアトリアのような、ちょっと温室のようなたたずまい。板壁は、薄く空色に塗られている。夢のなかではたしかにその「家」に入っているので室内の様子もなんとなく想像できるのだが、答え合わせできないのがちょっと残念なような、でもやっぱりそれでいいような。
◎ ついに、いきつけの肉屋でひとことも発することなく品物が出てくるまでになってしまった。「楽でいいか」と思う反面、「いつもの」くらいは言わせてくれ、そんな気もしないではない。「いつもの」とはつまり、たくさんの「いつものじゃないヤツ」の中から選びとられた〝このひとつ〟のことを指すのであって、その意味でハードボイルドに登場する私立探偵は、(いつも同じものにしか口にしないくせに)バーのカウンターで「いつもの」とオーダーすることでじつは選択することの〝自由〟を担保しているわけである。
◎ デイヴ・ブルーベックのアルバム『タイム・アウト』(1959)をひさしぶりに聴き、またしても冒頭の「ブルー・ロンド・ア・ラ・ターク」にやられる。「ブルーなロンド、トルコ風に」。モーツァルトやベートーヴェンは、初めて耳にするオスマントルコの軍楽隊によるエキゾチックなリズムに霊感を得て「トルコ風」の作品を書いたわけだが、20世紀の作曲家デイヴ・ブルーベックはその18世紀のモード(流行)に、さらに「ブルース」という1950年代式のエキゾチックなモード(流行)を異種交配することでこんな曲を生み出した。さすがはダリウス・ミヨーの弟子である。ミヨーには、西欧音楽にブラジルのダンスミュージックをかけあわせた『屋根の上の牝牛』という名曲がある。もしも「ジャズピアニスト」という肩書きでここまで有名になっていなかったとしても、デイヴ・ブルーベックの名前は「コンポーザー」という肩書きで音楽史の上に輝いていたにちがいない。
20世紀のサロンで「トルコ風」を披露する(?)デイヴ・ブルーベック・クワルテットのライブ映像。
▷ Dave Brubeck Quartet - "Blue Rondo à la Turk," live
◎ 平日の営業時間内をひとりで切り盛りするようになってからそろそろ一年が経つ。たまたまお客様が集中するとどうしてもバタバタしてしまうのだが、先日、そんな気配を察した常連のお客様が注文後にひとこと、「ゆっくりでいいわよ」と声をかけてくださった。ゆっくりでいいと言われて「はい、そうですか」とあからさまにスピードダウンするわけではないのだけれど、気持ちにゆとりが生まれ落ち着いて作業に集中できるのでこういう状況にあってはまさに「救い」のひとことといえる。この仕事、こういう生身の人間とのふれあいなくしてはとてもじゃないが続かない。
◎ ここのところ繰り返し、ハインリッヒ・シュッツの「わがことは神に委ねん」SWV.305を聴いている。クラシックはそこそこ聞きかじってきたつもりだったが、まだまだこんな凄い音楽があったのだ。正直ビックリしている。
この曲は、シュッツの「小宗教コンチェルト第1集op.8」のなかの一曲である。この作品集をシュッツは、そのためにドイツの人口が三分の一にまで減ってしまったとされる「30年戦争」のさなかに発表している。まさに、戦時下の音楽。厳しいながらも、ざわついた心を鎮め、きっぱりとした歩調で正しい道筋へと人びとを導いてゆく小さな灯火のような音楽である。タイトルは、ごく少ない人数でも演奏可能であることを意味していて、じっさい、ぼくが聴いているのもテルツ少年合唱団の数名のソリストたちによる演奏だ。人数が少ないぶん、そこには切々とした魂の叫びがあり、「歌」というよりもむしろ「声によるドラマ」といった印象を抱く。
思うに、シュッツはこの曲集をドイツ各地の村の教会で信仰心の厚い人びとによって演奏されることを前提に作曲したのではないだろうか。この作品を演奏することで、たとえ荒廃したドイツ全土に離ればなれになっていようとも、人びとの信仰は守られ、心をひとつにすることができる。戦時下の音楽の果たすべき役割について、シュッツは深いところでかんがえたひとだった。それは、おなじく乱世にあって、「御文(おふみ)」というかたちで各地に散らばった門徒たちに弥陀の教えを正しく伝えようと心を砕いた蓮如にも通じている。