そう最初聞かされたときにはずいぶんと意外な思いがした。「森」というと、ひとの手の及ばない深く暗い、でも魅力的な空間といった漠然としたイメージがあったせいだろう。グリム童話やカレワラ神話を引き合いにだすまでもなく、魔法使いや動物たちが破天荒な物語を繰り広げる場所、それがぼくにとっての「森」であった。それが「ひとの手が入っている」と聞いたことで、神秘のヴェールは無惨にも剝がれ落ち、味気ない生活の場所に変わってしまったような気がしたのだ。
ところが、そんな一方的な思いを打ち消してくれたのは、来月「モイの部活#1 CD絵本『ラヤトン 無限の森へ』おはなし会」に参加してくださる映画監督・柴田昌平さんの作品だった。ひとつは、NHKで放映されたドキュメンタリー
『世界里山紀行~フィンランド』
そしてもうひとつは、柴田さんがフィンランドで出会い、ついには日本語版を自費出版までしてしまった本
『フィンランド 森の精霊と旅をする』
である。このふたつの作品に触れてぼくが理解したのは、
なるほど! フィンランド人って「森のひと」なのか
ということである。もっと具体的に言えば、
森の一部として、森に生きるひと
ということになるだろうか。フィンランドの人たちにとって、森は「生活の糧」を恵んでくれる豊かな土地であると同時に、人がそこで生まれ育ち、最後にはそこで土に還る聖なる土地でもある。だから、「フィンランドの森には人の手が入っている」と言うとき、それはけっして自然を切り拓いて開発するという意味ではない。そこに生きるものとして、そこがより豊かな土地となるようできうる範囲で森を整えている、そういう意味なんじゃないだろうかとぼくは感じている。
さて、ラヤトンというヴォーカルグループについて、なにを隠そうぼくはほとんどなにも知らない。おととしフィンランドを訪れたとき、ちょうどヘルシンキで彼らのライブがあることは知っていたが、興味がなかったのでそのままスルーしてしまったくらいだ。ただ、耳を澄ませば、彼らの歌声がいわゆるジャズやポップスのハーモニーとちょっと違っていることに気づく。歌声というよりは、仲間どうしで交わし合う「呼び声」、あるいは風の音、水のさざめきのような自然の音のようにもきこえる。そして、ああそうか、やっぱり彼らも「森のひと」なのか、と気づかされる。
そんなぼくの勝手な思い込みはともかく、今回の「おはなし会」は「ラヤトンの歌声」から始まって、フィンランドの森やそこに生きる人たちの息づかいまで感じ取ることができそうな気がして、いまからワクワクしているところだ。当日はせっかくなので、参加してくださるみなさんをあたたかい飲み物とキャンドルの灯りでおもてなししたいとかんがえている。
お時間のある方は、どうかぜひぜひご参加ください。お待ちしております♪