2010年になりました。みなさま、
新年あけましておめでとうございます。
ことしも一年、moiをどうぞよろしくお願い致します!
ところで、お正月といえば初詣、初詣といえば
おみくじ
ですよね。というわけで、moi特製おみくじを考案してみました。
おみくじというと、ふつう大吉とか中吉とか、小吉とか末吉とかだいたいそんな感じだと思うのですが、「moiみくじ」では、アナタのことし一年のキャラクターを占います。
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直観で、お好きな「いきもの」↓をクリックしてね。リンク先の占い結果に飛びますよ。
あたらしい年に、あたらしい習い事を!
というわけで、1月よりフィンランド語クラス(入門編)を新設いたします。北欧フィンランドをコンセプトにしたカフェで、たのしくフィンランド語を学んでみませんか?
ご興味のある方は、クラスの概要をご案内させていただきますので下記アドレスまでメールにてお問い合わせ下さい↓
なお、今回の募集は毎週金曜日20時30分~21時30分のクラスのみとなります。ご了承下さい。また、定員に達し次第締め切らせていただきますのでお早めにお問い合わせ下さい。
みなさまのご参加、お待ちしております。
1/5 おかげさまをもちまして今回の募集は締め切らせていただきました。たくさんのお問い合わせ、どうもありがとうございました。またの機会によろしくお願い致します。
早くも今年になって買い替えたモノがふたつ。ひとつはフライパンで、もうひとつは携帯電話。
フライパンは正月になぜか無性に餃子が食べたくなって、わざわざまるで人が重箱の中のゴマメみたいにひしめきあう新宿のデパ地下まで行って買ってきたにもかかわらず、どうやら焼くときに引いた油の量が少なかったらしく皮がフライパンにひっついてもう餃子なんだか破れた靴下なんだかわからないようになってしまい、「金輪際、鉄のフライパンなんか使ってやるものか」と叫んで即刻アマゾンで購入(「お急ぎ便」のお試しに登録中)したのだった。もちろん、マーブルコート。ものぐさにはやっぱりマーブルコートだ。炒め物をしつつ、一方で洗い物をしても焦げない。夢のように、実用的。実用的であることは、なんて楽チンなのだろう。これでアラビヤンやきそばだって上手に作れるってもんだ。
携帯電話は、もう去年からバッテリーの調子がいまいちだった。まだ2年半ほどしか使っていないというのに、ほぼ毎日充電しないと使えないような状況が続いていたのだが、ついつい「お正月」という言葉の響きにうかれてしまい携帯で写真を3枚も撮ったのがいけなかった。満タンにして家を出たはずのバッテリーが、たったのそれだけで残量ゼロになっていたのだ。もちろん、そのまま携帯電話の販売店へ直行。長年にわたったノキアとのつきあいは、意外なほどにあっけなく終わったのだった。そしてけっきょく、購入したのは「iphone」。あまのじゃく的には「安直すぎる」気もしたのだが、まあ、いままで「ipod」すら持っていなかったわけだしいいかというわけで。
ところで、ぼくがよくヘルシンキのマニアックな情報を集めたいときにのぞいているブログで「WE LOVE HELSINKI」というのがあるのだが、そのポッドキャストがなかなかいい(当然かなりマニアックという意味で)。ポッドキャストといっても、彼らがセレクトした音源をコンパイルしたミックステープのようなもので「フィンランドのカフェアプレミディ」と言えばわかるひとにはきっと、わかるはず。エピソードを片っ端から「iphone」にダウンロードして聴いている。けっして万人向けではないけれど、40年代から70年代にかけてのフィンランドのレア音源を聴けるという意味ではおすすめだ。ブリタ・コイヴネンとかライラ・キンヌネン↓とか、個人的には「大発見」。
以前は、お正月になるときまって美術館に行っていた。「家にいてもつまらないから」というのがその理由だが、だからといって人でゴッタ返すデパートなど行く気にもなれず、自然と、いかにも閑散としていそうな地味(!)な展覧会を選んで足を向けるようになった。必然的にモダンアートなどが多くなったが、西武美術館での「イヴ・クライン展」など、いまにして思えばのんびり観ることができたおかげで鮮明に印象に残っている、そんな展覧会も多い。
ひさしぶりにそんなことを思い出して、ことしのお正月は国立近代美術館で「早川良雄 "顔"と"形状"」という展覧会を観てきた。
展覧会情報によれば、早川良雄は1917年大阪に生まれ、2009年に92歳で亡くなるまで長年にわたり戦後のグラフィック・デザイン界を牽引、後進に多大な影響を与えてきた人物、とある。このプロフィールからすれば、早川良雄の肩書きは「グラフィックデザイナー」ということになるだろう。とはいえ、ぼくは会場に並んだ代表作の数々を観ながらずっと
じっさいのところ、早川良雄というひとの「肩書き」は何なのだろう?
と考えていた。思い浮かんだのは、
グラフィックデザイナー
イラストレーター
画家
アートディレクター
エディター
などなど。そしてじっさいのところは、おそらくそのすべてが早川良雄の「肩書き」なのにちがいない。もちろんそれは、早川良雄が仕事を始めた頃の日本ではまだそうした職能が細分化されていなかった、ということもあるだろう。「商業広告」という言葉がそれらすべてをざっくりと語って、それ以上でも以下でもなかった時代。そして早川良雄の作品には、そのようにしてひとりの人間の頭のなかで完成されたものに特有のごわっとした手触りがある。それがすごくいい。展示された作品の中には最晩年である2009年に制作されたデパートのポスターなどもあるのだけれど、「分業化」が当たり前になったいまの時代にあってなお、早川良雄の作品からその独特の「手触り」が失われていないことに驚かされる。
分業化による仕事の効率化やある種の「抜け目なさ」の代わりに、広告美術の世界からこうした「手触り」のようなものが消えつつあるとしたら、それはやっぱりとても淋しいことじゃないだろうか?
吉祥寺の献血ルーム「吉祥寺タキオン」では、きょうから2/1まで献血ルームのスペース内にで「moi」の紹介を目的とした展示をおこなっています(「木とり舎」さんと合同)。
じつはきのう搬入のため初めて訪れたのですが、昨年末にリニューアルしたこの献血ルーム、まるでカフェかデザインホテルのラウンジのような雰囲気で、思わず「吉祥寺の駅前にこんな快適な空間が!」と驚きの声をあげてしまいました。勝手に病院みたいなところを想像していたのですが、空間デザインも含め少しでもドナーを増やそうといろいろな工夫を凝らしているようです。今回の展示企画は、献血に訪れたひとに吉祥寺の街をもっと知ってもらい、それと同時に吉祥寺に来たひとに献血ルームの存在を知ってもらう、そういう流れをつくってゆくための試みとのこと。ぼくがいた間にも献血を終えた若い女の子や主婦が、ひとり、あるいはふたりでお茶をしながら備えつけの雑誌を読んだり、話に花を咲かせていたりと、ほんとうにカフェのような光景を目にすることができました。
moiは、エントランスにお店でつかっている食器などを展示しているほか、奥のソファースペースに日ごろは店に出していないフィンランドのポスターを展示しています。日ごろから献血に協力されているかたはもちろん、気にはなるけどなんとなく機会がなくて・・・という方はぜひこの展示期間中に、吉祥寺で、いかがでしょう?
ところで、搬入のときに教えてもらったのですが、
いま、ツイッターの世界では「モイ!」というあいさつが流行っている
とのこと。ホントですか、それ???
ぼくがまだ会社勤めしていたころ一緒にイベントをやっていた友人たちが、来月2/11(祝)に「HAUS of PIANO」というタイトルで音楽イベントを開催します(Cay@表参道)。
3組の奏者たちが織り成すピアノの音色にそっと聞き入ってほしい。
と、コピーにあるとおり、このイベントのキーワードは「ピアノ」。出演は、中島ノブユキ、トウヤマタケオと生駒祐子、そしてARAKI Shinの3組。いずれもジャンルにとらわれることなく、「ピアノ」という楽器を通してみずからの音楽の可能性を探り、表現しているアーティストばかり。ゆえに、日本のみならず海外での評価も高い。
休日の夕暮れ時、ゆったりとくつろいだ雰囲気の中で先鋭的な響きと出会う。そんな、ありそうでなかったコンサートでもクラブイベントでもない一夜限りの「ピアノの家」。なにを聞かされるのか、それは幕が開いてみなければわからない。でも、騙されたと思って「もてなされて」みるのも悪くないと思うのだが。
イベント「HAUS of PIANO」のチケット入手方法などは公式サイトでご確認ください。
ツイッターにかんしてはいままでまったくなんの興味も持たずにきたのだけれど、このあいだ書いたようにその世界では「モイ!」というあいさつが流行っているという話を小耳にはさんだり、あるお客様からお店でやってみたら案外面白い効果があるかもよ、といった意見を伺ったりするうちにがぜん興味が湧いてきた。
というわけで、ただいまマニュアル的な本を手に「勉強中」。
とはいえ、ツイッターをやっているという話を周囲でまったくといっていいほど聞かないので、ひとまずは有名人のツイッターなどをのぞいている。いつのまにかブログが消えていた松尾スズキがこんなところでつぶやいていたり、稲川淳二のつぶやきが残念なことにそんなに怖くはなかったり、つぶやきシローがまるで水を得た魚のようなつぶやきっぷりだったりとそれなりに興味は尽きないものの、いまのところまだその魅力が実感できていないのが正直なところ。まあ、しょせんはひまつぶしなのだし遊び半分で始めてみるのもアリかとただいま思案中・・・。
というわけで、
手探り状態のままツイッターをはじめてみました。マニュアル本に書いてある順序にしたがって
まずは登録してみよう
↓
知り合いをみつけてフォローしよう
↓
つぶやいてみよう
を実践中。Twitterをやっているみなさん、これからやってみようかなと考え中のみなさん、どうぞよろしくお願いします。
ちなみにこのツイッターではピュアなつぶやき(ときどきぼやき)に加え、限定メニューの案内やコーヒー豆の入荷情報などもリアルタイムでおこなってゆく予定です。ぜひ参考にしていただければ幸いです。
moikahvila(moiのツイッター)はこちらからどうぞ。
moiでは、新規アルバイトスタッフ(1名)を募集します。
コーヒーやカフェの仕事に興味のある方で、フィンランドや北欧が大好きな方、いっしょに働いてみませんか?応募を希望される方、関心をお持ちの方はお電話(火曜日以外の営業時間中)にてご連絡をお願い致します。
◇勤務地
吉祥寺(JR、京王「吉祥寺」駅より徒歩7分)
◇仕事内容
ホール、キッチン(かんたんな調理を含む)等のカフェ業務全般、物販およびイベント補助など
◇勤務時間
10時~22時 シフト制
◇条件
土日祝日に働くことのできる方
週3日程度はたらくことのできる方
1日4~6時間はたらくことのできる方
◇応募資格
経験不問ですが、責任感のある方を希望します
学生不可
ご応募お待ちしております。よろしくお願い致します。
T内サンがL.A.に行くという話を聞きながら、自分の「ロスアンジェルス」に対するイメージのあまりの貧困さ加減に愕然としたのだった。
以下、ぼくのL.A.についてのイメージのすべて……
ヤシの木が植えられた通りを、
Tシャツに短パン(耳にはipodのイヤフォン)姿の外人がジョギングしていて、
その傍らをオープンカーが「オラオラオラァ」と追い越してゆく。
北欧ばかりでなく、少しはアメリカにも目をむけたほうがよさそうだ……。
「ミドリ」の愛称で知られる文具メーカー、デザインフィルさんのウェブサイトにて「moi」をご紹介いただいています。「手紙の書き方」というコーナー内の
特集「お手紙カフェ」
です。「お手紙カフェ」といっても、とりたてて切手を販売しているわけでもポストがあるわけでもないのでなにか申し訳ないのですが、ポストカードを買ってついでに手紙を書きたいという方には、言っていただければカラーサインペンの貸し出しサービスなどありますのでご利用下さい。
ところで、
手紙を書く機会って少ないのでちょっと腰が引けてしまうところ、あると思うのですが、この「手紙の書き方」というページには時候の挨拶といった基礎知識からエンボッサーやシールなどカスタマイズのグッズまで紹介されていてなかなか便利です。
以前から「コメントが書き込めない」という話はときどき聞いてはいたのですが、最近また何人かの方々から
「禁止ワード」に引っかかって書き込めない、「禁止ワード」になりそうな言葉なんて使ってないのに……
という声をいただきました。スパムコメントがひどかったため少しずつ加えていったのは事実なのですが、ふつうのコメントに引っかかりそうな単語は思い当たらず……なぜでしょう。
そこでとりあえず、思いきって「禁止ワード」をぜんぶ外してみましたのであらためてよろしくお願いいたします。それにしても、何度見てもモンティ・パイソンの「スパム」には笑えます。
ツイッターを始めて一週間。自分のフォローした人々の「つぶやき」が、投稿された順番で次々と並ぶその脈絡のなさに最初こそ戸惑ったものの、「つぶやきの化学反応」とでもいうべきこんな予想を超えたやりとりが生じるところにツイッターの醍醐味があるのかもしれない。
──
ツイッター上でぼくが紹介したある雑誌について、常連のお客様からこんなメッセージが寄せられたのだった。
今度モイ行ったらよませてもらおう
「了解。声かけて下さい。」とぼくが応じると、そのやりとりを目にした出版社を経営する知人がこんなふうにメッセージを返してきた。
出版社としては悲しいやりとり。購入してくれるとありがたいのですがね(苦笑)。
ごもっとも。そしてぼくは、かんがえる。
じゃあ、いったい「買ってもらえる本」と「買ってもらえない本」、「にぎわっているカフェ」と「にぎわっていないカフェ」の違いってなんなのだろう?
と。きょうはとってもヒマなので、この問いかけはぼくにとって切実だ。とかく日ごろからお客様の動向に敏感になりがちなぼくらは、ついつい「ウケがいい」「ウケがよくない」といった切り口でお客様が「それ」を必要としているか否かを判断しがちである。でも、ぼくらがほんとうに心を砕くべきは
いかに濃いものをつくるか?
というところにあるんじゃないだろうか。「濃い」というのは、そこでしか手に入らない情報であったり、わざわざそこに行かなければ口にすることのできない味であったり、つまり「他に代わりがない」ということだとぼくは思う。「他に代わりがない」ようなものであれば、ひとはそれを買って自分の手元に置いておきたくなるし、わざわざ足を運んででも味わってみたいと思ってくれる、ま、そう信じたいじゃないですか?
そしてけっきょく、「でも中身が濃いものであれば、きっといつか必要になって購入してくれるでしょう。そのきっかけになるかもしれません。カフェも出版社も、(難しいけれど)いかに濃いものを作れるかが勝負のような気がしています。」と返事をしたのだが、たまたま目をやったぼくのタイムライン(ぼくのフォローした人のつぶやきが、どんどん時系列でアップされる「ぼく専用の伝言板」のようなもの)に、そんなやりとりを一切知らないべつの人物から偶然こんな「つぶやき」が寄せられているのを発見したのだった。
日々、むかつくことって数知れずあります。他の誰かが意識せずしていることが癪に触ることもありますが、悲しいかな、時々、明らかに人をおとしめようという、悪意ある人に出会うことがありんす。そんなとき見つけたこの本… 『ムカつく相手を一発で黙らせるオトナの対話術』あとで買ってみます
なんだかんだいって、やっぱり「ウケ」なのか?