10月です。
衣がえの季節になりましたが、とはいえまだまだ暑いですね(ぼくだけでしょうか?)。長袖はまだ着られません・・・半袖に上着くらいがちょうどいいのですが、外出からもどってよくよくかんがえたらただ持ち歩いていただけで一度も袖をとおさなかったなんてこともしばしば・・・。やっぱり体質的に「北欧向き」なのかも。
さて、10月のお休みですが、
毎週月曜日&火曜日
となります。9日[月祝]もお休みとなりますのでお気をつけください。
また、9月をもちまして春夏メニューの「ウス茶ミルク」は終了。今月からは秋冬メニューとしてあたたかい「チャイ」をお楽しみいただいております。あわせてよろしくお願い致します。
では、今月もmoiでみなさまのご来店をお待ちしております!
このごろ、周囲のひとから「ディープインパクト、残念だったねぇ」とよく声を掛けられるのは、もちろん、みんながぼくの「競馬好き」を知っているからにちがいない。
結論からいえば、ほんとうに残念、これにつきる。「ディープインパクト」の関係者のみならず、おそらく日本のすべての競馬ファンは心のどこかで(しかも相当の確率で)ディープインパクトの「凱旋門賞」制覇を確信していたはずだから、である。レース後TVに映った武豊の表情は「険しい」というよりはむしろ「茫然自失」といった感じで、その表情がかえって、いかに彼が勝利を確信してこのレースに臨んだかを浮き彫りにしていた。
注)以下、「競馬」に多少なりとも関心のある方のみお読みください(笑)
それにしてもディープはなぜ負けたのか?
レース直後、なんども繰り返されるリプレイの映像をみながらずっと首をひねっていた。足りなかったのは(つまり、それが「敗因」ということになるのだが)、いわゆる「二の足」、つまり最後の直線でのもうひと伸びだった。こういう場合、ふつう直線にいたるまでの道中になんらかの理由があるものなのだが、リプレイをみたかぎりでは原因らしきものは見あたらない。優勝候補の人気馬(すべて古馬)がことごとく沈没し、ダークホースの「三歳馬」が1、2着を占めたことから判断するなら、やはり敗因は「斤量」にあったとしか思えない。
今回の「凱旋門賞」では、三歳馬が56kgの斤量に対して、四歳以上の古馬が背負うのは3.5kg重い59.5kg。ちなみに、いままでディープインパクトが背負った最高の斤量は58kgだから、ふだんよりも1.5kg重い斤量での戦いだったわけだ。三歳馬と四歳馬で3.5kgもの斤量差をつけるというのがはたして妥当かどうか(日本のG1レースではふつう2kg差)、最近の「凱旋門賞」ではことごとく四歳馬が敗れ三歳馬が勝っているという事実からみても、今後再考すべき課題だと思う。
ただし敗れたとはいえ、さすがは「ディープインパクト」と思わせる感動的なひとコマもあった。ゴール前での叩き合いでいちど先頭を奪われた後、一瞬もういちど差し返しているのだ。バテバテになりながらも最後にみせたすさまじい勝負根性、これこそが勝負のために生まれてきたサラブレッドだけがもつうつくしい本能にほかならない。星飛雄馬が「ど根性」で「消える魔球」を開発し、フィンランド人がフィンランド版「根性」である「シス」の力で大国からの独立をなしとげたように、ディープインパクトが「凱旋門賞」を制することはできなかったけれど、その姿は感動的で崇高ですらあった・・・
ところで、このブログって、いったいなんのブログだったっけ?
SAMI SANPAKKILAのDVDを紹介する。
SAMI SANPAKKILAは、フィンランドの都市タンペレで「FONAL RECORDS」というインディー・レーベルを主宰する映像作家/ミュージシャンである。そしてこのDVDは、サブタイトルに《EARLY FIMLWORKS 1996 TO 2006》とあるように、かれが手がけた映像作品をまとめたもの。
収められているのは、ミュージックビデオ6本。ショートフィルム8本の計14タイトル。
ミュージックビデオは、TV-Resistori、OFFICE BUILDING、Islajaなど、「FONAL RECORDS」に所属するアーティストのビデオクリップがほとんど。
着想が面白いのは、《北欧のファナ・モリーナ》と呼ぶにはちょっと無理のあるIslajaの作品。OFFICE BUILDINGの作品は2本収録。『進め!電波少年』のオープニングを思い出した。それにしても真冬の屋外で撮影しているにもかかわらず、息が白くなっていないのはなぜだろう?空気が澄んでいるせい?などと、すっかりSAMIくんのセンスとは関係ないところで感心している自分を発見・・・
ショートフィルム8本のうち3本は「ストリート・シリーズ」とでも名づけられそうなもので、それぞれブリュッセル、アムステルダム、そしてタンペレの「書き割り」のような街並を、移動しながら早回しで撮影している。
ほかには、モーツァルトの「レクイエム」で踊るダンサーの映像が、身体表現×映像表現のコラボレーション的試みという意味で興味深かった。
残り4本は、「ひたすら雪のつもった森を走り回っているひと」「ひたすら走り幅跳びをしているひと」「ひたすらハンマーで自動車を壊しているひと」「ひたすら眠っているひと」(「スターどっきりマル秘報告」《寝起き編》風)をひたすら撮影しループさせている作品。
と、ここまで書いてきて、いかに自分がこの手の作品を紹介する人物としては「不適切」かがよーくわかった。興味のあるひとは、ぜひじぶんで買って観るように。
小学生のころ、将来の夢はサラリーマンになることだった。
ふつうだったら、男の子はスポーツ選手や宇宙飛行士、女の子は保母さんやケーキ屋さんといったところをあげるものなのだろうが、どうしたわけか「サラリーマン」。3才や4才の子供ならともかく、小学生ともなればある程度「ものの道理」だってわかってくる。とりたててスポーツや学業に秀でているわけでもないじぶんが、スポーツ選手や宇宙飛行士、ましてや総理大臣なんてなれるはずもなく、しょせん無理ならいっそのこと「水戸黄門」くらい言っておこうか、そんなノリだったように思う。ただし「水戸黄門」が「将来の夢」の対象になるかどうかについては意見のわかれるところだろうが。
ずいぶんニヒルな小学生にきこえるだろうか?けっしてそんなことはない。ふだんは団地のエレベーターホールでスライディングに失敗し気絶のあげく救急車で病院に運ばれるような、そんないたってふつうの小学生であったのだ。ただ、そんな「ふつうの小学生」であったぼくが将来の夢として「サラリーマン」をあげたのには、やはり当時のさまざまな環境といったものが影響していたにちがいない。じっさい、じぶんにとってもっとも身近な「男」である父親をふくめ、団地に暮らす大人の「男」はそのほとんどが「サラリーマン」であった。そのため、和菓子職人のせがれがごく当然のことのように和菓子職人になるように、じぶんもまたごく当たり前のようにサラリーマンになるのだろうとかんがえていたのだ。むしろそれ以外には思いつかなかった、といったほうが正しいかもしれない。
それでも、ぼくはぼくなりにそこに「夢」をみてもいた。ぼくがめざしていたのはずばりカッコいいサラリーマン。しかも、小学生のぼくがかんがえるカッコいいサラリーマンとは、髪を七三にわけてスーツをビシッと着こなし丸の内あたりを闊歩しているサラリーマンのことなのだからすこしばかり背伸びすれば手に届きそうな、ずいぶんとハードルの低い「夢」ではあった。
それから三十年あまり。気がつけば、どうしたわけか店のカウンターで日々コーヒーを淹れているじぶんがいる。
その間、「サラリーマン」も体験してはいるけれど、それは小学生のぼくが思い描いていたような「夢」とはずいぶんとかけはなれた姿のサラリーマンであった。かといって、夢破れたといった挫折感があるわけでもなく、いってみれば、あらためてその程度のスケールの「夢」だったんだなぁとくすぐったい思いが胸の奥をかすめるくらいのものである。もしも、いま突然ぼくの目の前に「神様」が現れて「お前の子供のころの『夢』をかなえてしんぜよう」などと口にしたとしたら、さてどうしたものか、すっかり困惑したあげく丁重にお断りすることだろう。せめて、「七三」だけは勘弁してもらえないものだろうか。
どちらかといえば、壮大な「夢」にむかって邁進するよりは、むしろ生きている途上にぽつぽつと現れる分岐器(ポイント)のような地点で、そのつど右に進んだり左を選んだりしながらそのときどきの風景を眺めているほうがどうも性に合うような、そういう気がしている。
いま、ある「宿題」と格闘中です。
お尻に火がついてからようやく走り出すという性癖は、小学校時代からまったく変わりません。困ったものです。
ブログの更新が滞りがちですが、どうぞご容赦を!
うっかり忘れていました、このカテゴリー。
最近、荻窪の駅ビルにもできた「神戸屋キッチン」のシナモンロールです。
やや小ぶり、生地はペストリー系でロールのしかたに律儀さ(?)を感じます。ひとくちにシナモンロールといっても、生地が「パイ」のようなペストリー系か、より「パン」のような薄力粉系(?)かで味わいがまったく異なり、当然好みもここで大きくわかれるような気がします。ちなみに、フィンランドのシナモンロール「コルヴァプースティ(Korvapuusti)」は、その点でゆくとパン系の最右翼といえそうです。
じっさいに口にしてみて、この「神戸屋キッチン」のシナモンロールは、以前ご紹介したイエンセンのシナモンロールにちょっと似ているように感じました。ただ、けっこうバターを多く使っているようなので、焼きたてを早めにたいらげてしまうのがおいしくいただくコツかもしれません。
4つの「目的」をはたすため(?!)上野にある「国際こども図書館」にいってきた。
目的その1/「北欧からのおくりもの~子どもの本のあゆみ」 いま開催中の、北欧各国の絵本、児童書をあつめた展示「北欧からのおくりもの~子どもの本のあゆみ」を観る。年代別の展示によって、北欧各国における絵本や児童書のあゆみが俯瞰できるというのがポイント。デンマーク、スウェーデン、ノルウェー、そしてフィンランド(アイスランドやラップランドのものあり)と地理的にはとてもちかいにもかかわらず、絵のテイストが国によってすこしずつちがっているのがおもしろいところ。それぞれの国の、こどもの「嗜好のちがい」が投影されているということでしょうか?本によっては資料室で実物を手に取って読むことができるそう。
目的その2/「江戸絵本とジャポニズムコーナー」を体験する このブログにもちょくちょくご登場いただいているピアニストの新澤健一郎さん。現在フィンランド人のギタリスト&ドラマーとともに日本各地でのライブツアー中ですが、その新澤さんがこの「江戸絵本とジャポニズム」の音楽を担当されているのです。でも、いったいどこで体験できるのかよくわからず、けっきょく聴けずじまい・・・。この「図書館」、サイン表示がちょっとわかりづらいところがありますね。どこでどういうことが体験、学習できるのか、かんたんなリーフレットがあればいいのにと思いました。でも、くだんのコーナーはオフィシャルサイトの「絵本ギャラリー」でネットからも体験できるそうです。
目的その3/たてものを観る ここ「国際こども図書館」は、ちょうど100年前に建てられた建造物を修復・改修して使われています。そして、このリノヴェーションにたずさわったのが建築家の安藤忠雄。外観は一見したところほとんどそのままですが、ガラス箱のようなエントランスやガラス張りのバルコニーが新たに追加されているのが目立ったところでしょうか。建築についてくわしいことはわかりませんが、違和感なく気持ちよくすごせる空間でした。
目的その4/「まのいいりょうし」を読む いまとりかかっている「宿題」のため、こどものころ愛読していた「まのいいりょうし」というお話をもういちど読みたいのですが、残念ながらこのお話がはいっていたはずの平凡社『えほん百科』が手元にもうありません。調べたところ、ここの蔵書にその『えほん百科』があるということなのですが・・・ところが、あるべきはずのところにそれはなく、かといって誰かが閲覧している気配もない。というわけで、けっきょくのところ読めずじまいに終わったのでした。
初の「国際こども図書館」訪問は、打率5割でもちょっと不本意な結果・・・
呼ばれるというのはたぶん、こういう感覚をさしていうのだろう。
「国際こども図書館」で用事を済ましたあと、上野駅にむかうため公園の入り口まで行ったのだが、まだすこし時間に余裕もあるしということで谷中方面へと芸大のわきをぶらぶら歩いていった。しばらくすると、目の前に一軒の古い木造民家があらわれた。門のかたわらには、手書きの立て看板が立てかけられている。読むと、なんと
『あたたかいフィンランド』展
とあり、横にはカタカナでフィンランド人らしき名前が書かれているではないか!!!恐る恐るのぞいてみると、古い民家の居間に写真やドローイングなどが展示されている。
ごくたまに上野をたずねても、このあたりまでやってくるということはほとんどなかったのでこんな場所があるなんて知らなかったし、しかもそこでフィンランドにかかわるイベントと出会おうとは・・・まさにおどろきである。
この展示は、フィンランド人の女性フォトグラファーアリエッタ・カイラさんの写真と、フィンランドとのかかわりも深かった日本人画家青島三郎さん(故人)の油絵、そしてその「魂の友」として親交の深かったイルッカ=ユハニ・タカロ=エスコラさんのドローイングという三部構成となっている。
会場には青島さんの奥様、そしてアリエッタさんのおふたりがいらしゃっていろいろなお話しをさせていただいた。
青島さんは、90年代初頭にヘルシンキでなんどか展覧会をなさっていて、なかにはヘルシンキ中央駅の吹き抜けに大きな作品を飾るというイベントもされている。いっぽうアリエッタさんは、いま芸大の教壇に立っているご主人とともに半年前に日本に来られたとのこと。なんでも「和菓子」が大好きで、そこからいろいろなインスピレーションを受けているそうだ。ちなみにアリエッタさん、どこかでここ「moi」の話を耳にしていたそうでたいへんビックリされていた。
そしてもっと驚いたのは、ぼくらがここを訪れたとき先客がひとりいらしゃったのだが、それがなんと荻窪に住んでいるmoiのお客さんだったこと!!!「あの、moiの方ですよね?」と声をかけられたときにはホントおどろいた。彼もたまたま散歩中だったそう。もし「びっくりマーク」が目に見えたとしたら、きっとこの日この空間にはたくさんの「びっくりマーク」が浮かんだり落ちたり、もしかしたら天井に突き刺さっていたりしたことだろう。
◎ なお、この展覧会「あたたかいフィンランド」展は、10/23[月]まで上野桜木一丁目の市田邸で開かれています(14、15日はお休み)。くわしい住所、開館時間などはコチラをごらんください。ちなみに、いま「北欧からのおくりもの~子どもの本のあゆみ」を開催中の「国際こども図書館」からは徒歩で5~6分のところですので、ぜひあわせてどうぞ。
そうそう、きのうの記事でご紹介した上野桜木で開催中の展覧会「あたたかいフィンランド」に関連して、ひとつイベントがあるそうです。
いま、写真家としてこの展示に参加中のアリエッタ・カイラさんのご主人、パヌ・カイラさんによる講演会《日本とフィンランドの木造建築》です。
アリエッタさんのお話によると、パヌさんはオウル大学の教授で、おもに木造建築の修復・保存について研究をされているとのこと。そして、この春からは東京芸術大学でも教壇にも立たれているそうです(語学苦手なもので、ちょっと違ってたらごめんなさい)。ちなみに下の写真はパヌさんの著書、『ハウス・ドクター』というタイトルです。
講演会の日時は以下の通り。事前の申し込み等は不要、直接会場においでくださいとのことです。関心のある方、ぜひ参加されてみてはいかがでしょう。
◎ 講演会「日本とフィンランドの木造建築」
日 時/10月22日[日] 14時から
会 場/市田邸(上野桜木)
※「あたたかいフィンランド展」会場
講 師/パヌ・カイラ
参加費/無料
ひとにはさまざまな《過去》があるものだ。たとえば、かつてmoiの店主が「少年ファイターズ」の会員、しかもその「第一期生」だったりとか。
ことさら好きでもない「日本ハムファイターズ」のファンクラブに入ったのは、たしか小学一年生のとき。「後楽園球場」での試合終了後、会員を募集しているのを目にした父親が、ほら入れ、入れ、とぼくをうながし入会させてしまったのである。かといって父親が日ハムファンだったかといえばまったくそんなことはなく、ただ誕生したばかりのチームのファンクラブにじぶんの息子を入れてみたかっただけではないか、と睨んでいる。ようは「あたらしもの好き」なのだ。
そんな父はたいへんにおっちょこちょいなところがあって、「少年ファイターズ」のイベントとして開催されたサイン会では恥ずかしい思いもした。それは若手選手がこどもたちにベンチでサインをしてくれるものだったのだが、父はそのなかに一人の選手をみつけ、「あれは大下選手にちがいない」と言うのだった。だがぼくには、絶対にちがうという確信があった。大下選手といえば当時のスター選手のひとり、ところがその日参加していた選手たちはといえば、こう言っては申し訳ないが若手の無名選手ばかり、どうかんがえたってそこにあの大下選手がいるはずはなかった。だいいち背番号がちがった。にもかかわらず父はその選手に近づき、大きな声で「大下選手サインお願いします」とぼくの『ベーブルース物語』をさしだした。すべての点でまちがってはいたが、それでもその選手はニヤニヤしながらサインをしてくれた。サインははっきりとこう読み取れた。「鵜飼」。その日から、ぼくは鵜飼投手のファンになった。
ところで、ぼくが小学生のころといえば、とにかく野球というスポーツが絶対的な人気を誇っていた時代、当然のように、小学生の男子はみなひいきチームの野球帽をかぶっていた。断トツで人気があったのはやはりジャイアンツ、ほかには阪神や中日がちらほらいるといった具合で、パリーグの、しかも日本ハムの帽子などかぶっている子供は全校じゅう見渡してもほとんどみつからないといったありさまであった。しかも「少年ファイターズ」の特典として、野球帽は市販のものとは異なるツバの広い、ロゴマークが刺繍されたプロ仕様のものだったのでよけいに目立った。放課後の草野球では、太り気味の体型に日ハムの帽子をかぶり、豪快なフォームからこどもに似つかわしくない「重い」球を投げ込み三振を奪い取ったものである。いわゆる「ちびっこ江夏」時代である。ただし、その後豪快すぎるフォームがたたって肩を壊しやむなくアンダースローに転向したため、「ちびっこ江夏」の名前は返上したが。
優勝とは無縁のファイターズの試合は、おなじ後楽園球場をホームグラウンドとしていたジャイアンツとは対照的にいつもガラガラだった。「少年ファイターズ」には外野席への入場がフリーパスという特典もあったので、けっこう足しげく球場へ通った。高学年になると、つられて入会してしまった「少年ファイターズ」の同級生と連れ立って球場へ行くようにもなった。「探検」と称して球場内をほっつき歩き、「ネット裏」に忍び込んだり「太平洋クラブライオンズ(現在の『西武ライオンズ』の前進)」ファンのガラの悪さにビビったり・・・ファイターズの応援にゆくというよりは、気づけばいつもファイターズが試合をやっている「遊び場」に行くという感覚になっていた。
こうしてなんとなく、ずるずるとぼくはファイターズのファンをやっている。積極的に声援をおくるというほどでもないが、なにかのはずみで野球の話がでれば迷わず「ファイターズファン」だと公言する。なんといっても、そう口にしたとたんその場の空気がいっぺんになごむところが気に入っている。周囲に敵をつくらない、そういう戦闘集団なのだ、ファイターズは。「万年Bクラス」のイメージながら身売りもせず、よって20年以上もおなじ「日本ハムファイターズ」という名前で存続しつづけている、そういうチームはパリーグで唯一「日ハム」だけである。そういう「しぶとさ」もまた「日ハムらしさ」であるかもしれない。
さて、そのファイターズが本拠地を東京から北海道へと移し、あの新庄が入団し、ついには25年ぶりに「リーグ優勝」までしてしまったのはご存じのとおり。それでもあいかわらず、やっぱりファイターズはあのファイターズのままで、そこはかとなくゆるさをにじませたチームであるところがぼくにはなんともうれしかったりするのだ。
きのうとはうってかわって、「13日の金曜日」であるきょうはヒマな一日でした。
とはいえ、「三度目のチャレンジにしてようやく見つかった」という方や「どうしても来たかった」と大阪からの出張のついでに時間をやりくりしてご来店くださった方などなど、いつにもまして「めざしてくるお客様」の割合が多い一日でした。
こうしたわざわざ来てくださるお客様はたいてい、お店に入ってこられた瞬間にわかったりするものです。というのも、みなさんきまって「こんにちは」とにこやかな笑顔で入ってこられるからです。
ニコニコと入ってきて、またニコニコと出てゆかれる。そんなお客様と出会った日には、こちらもなにかすてきなプレゼントをもらったようで、ほくほくとした気分のまま一日が過ぎてゆきます。
さるスポーツ紙の記者をしているお客様から聞いた話だ。
かれは仕事柄、横浜スタジアムに張りついて取材することが多いのだが、なぜか中日戦のときにかぎって客席の埋まり方が独特なのだという。つまり、たいていの試合では客席は「外野席」から埋まってゆくのに対し、中日戦だけは三塁側の内野席から埋まってゆくのだそうだ。
「さすが名古屋のお客さんはお金持ちですねぇ」、そうかれは言う。ぼくもまた、「名古屋といえば、いまや『日本一景気のいい都市』ですもんねぇ」とあいづちを打つ。
が、待てよ。中日戦だからといって、わざわざ名古屋のひとが大挙して横浜まで押し寄せるものだろうか?となると「名古屋のひと」ではなく、「名古屋出身のひとにお金持ちが多い」のか?あるいはもっと、「中日ファンにお金持ちが多い」のか?
おもしろいネタにはちがいないのだが、考えだすときりがないのが困りものである。誰でもいいから「真実」をおしえてはくれないものだろうか。
オレ、三重県出身の中日ファン(東京都在住)、カネ持ってます!
とか。・・・スッキリするのだが。
おいしい創作料理系おばんざいが食べれるということでつとに知られる京都の「吉田屋料理店」のレシピブック、『京都 吉田屋料理店』(吉田裕子著)を手に入れた。
料理本(とりわけレシピブック)というのは、たいがい二種類にわけることができるように思う。ひとつは、実用的で、そのままアレンジなしにすぐにでも使えてしまうもの。たとえば、雑誌「オレンジページ」などがその代表選手だろうか。そしてもうひとつは、けっして実用的ではないけれど、たくさんのヒントや刺激にあふれていて想像力をかきたてられるもの。有名なシェフやパティシエが著したものは、たいていこちらに属する。
この本は、どちらかといえば「後者」にあたる。あくまでもベースは家庭料理だけれども、京都ならではの食材やジビエなどもとりいれているのでそのままつくるのはなかなか難しい。けれども、技術的にものすごく込み入っているというわけではないし、エスニックやイタリアンなどをとりいれたアイデアも多く、食材を置き換えてみたり、もうひとひねりしてみたりとアレンジする楽しみを刺激してくれる。ササッと家でつくれそうな気軽なレシピからお酒のアテ、そしてデザートまで、個性的な「料理店」のレシピは想像力も豊かだ。
日々、こうしてコーヒーを淹れているぼくですが、じゃあいったいその「きっかけ」となったのはどんなコーヒーだったのだろう?、そう思って、ちょっとした文章を書いていたところ、2/3ほど書き上げたところである雑誌からほぼおなじ内容で原稿依頼があり、偶然とはいえびっくりしました。
ある意味《原点》な「ふたつのコーヒー」について書いています。掲載されたらまたお知らせさせていただきます。
フィンランドで声楽家として活躍するソプラノ歌手佃揺子さんのチャリティーコンサートが開催されるそうです。 シベリウス、マデトヤといったフィンランドの作曲家の歌曲をはじめ、ドヴォルザーク、ブラームス、チャイコフスキー、さらには山田耕筰といった日本の歌曲まで幅広い「世界の歌」を楽しむことのできるコンサートです。なお、収益の一部は日本フィンランド協会渡邊忠恕記念奨学金に寄付されるとのこと、当日お時間のある方は会場を訪れてみてはいかがでしょう。
◎ 佃揺子《世界の歌シリーズ~平和の祈り~》
出演:佃揺子(S) 高橋雅代(Pf)
日時:11月17日[金] 18時30分~19時30分(開場18時15分)
会場:音楽の友ホール(営団地下鉄「神楽坂」駅より徒歩約1分)
料金:チャリティーのため「寄付」をお願いします
秋はブラームス、そう清少納言が言わなかったのは、ひとえに清少納言がブラームスを知らなかったから(←あたりまえ)にちがいない。と、まあそれほどまでに、秋にブラームスの音楽は似つかわしいと思うのだ。
オーケストラ、室内楽を問わずブラームスならどれもいいのだけれど、ぼくはここのところ「原点」に立ち返って(?!)交響曲、しかも交響曲第一番を聴きたい気分である。そこで、以前実家から持ってきたきりそのままになっていたワルター指揮のCDを聴いてみた。ところがこれが、(ぼくにとっては)まったく意味のわからないエグい演奏で聴き通すのがつらいほどで参ってしまった。
ブラームスの交響曲、とりわけこの「第1番」は着想から完成までになんと21年(!!)もの歳月を費やした力作として知られている。じっさい、なんどもなんども推敲を重ねた作品らしく、この音楽の構成は緻密で隙がない。なにかを足すことも引くことも許さないような、そういう迫力すら感じられる。よって、小手先ひとつでなにかをしようなんてまさに愚の骨頂、茶室に花柄のカーテンをぶらさげるようなものである。
というわけで、あわててこれぞ理想の演奏と思えるようなCDを買ってきた。クルト・ザンデルリンク指揮シュターツカペレ・ドレスデンによる一枚である。
こういう、ひとつひとつレンガを几帳面に積み上げてゆくような職人的仕事こそがこの曲にはふさわしい。もちろんそればかりではない。そこかしこに聴くものをはっとさせるような「匠の技」が散りばめられていて、感心させてもくれる。こんなブラームスが聴きたかったのだ、ぼくは。
しかも、である。こんな見事な演奏が半永久的に楽しめて、このCDなんと一枚たったの1,000円(!!!)である。これを価格破壊と呼ばずしてなんと言おう。これがテレビショッピングなら、ここでいっせいにサクラのおばちゃんの歓声が上がるところだ。「のだめカンタービレ」の千秋真一指揮R☆Sオーケストラによる演奏も気になるところだが(!?)、やはり一枚をということであればクルト・ザンデルリンクが振ったものがおすすめである。
ブラームスはザンデルリンク、清少納言ならきっと、そう言うことだろう。
いつもよりすこし早起きして、早めに開店準備を済ませる。モイとは目と鼻の先くらいの距離にある「杉並公会堂」でおこなわれる日本フィルハーモニー交響楽団の「公開リハーサル」を聴くためだ。
「公開リハ」は、6月にも足を運んでいるのできょうで二回目。お店をもったとき、ああこれでコンサートには行けなくなるなぁ、と思ったのだが、ゲネプロとはいえ、こうしてプロのオーケストラの演奏をごく近所で、しかも「無料」(!)で聴けるのだからまったくラッキーな話である。
きょうのゲネでは、あす、あさっての定期演奏会で演奏されるプログラムの前半部分、R・シュトラウスの交響詩「ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら」とオリヴァー・ナッセンのホルン協奏曲の二曲がとりあげられた(指揮/沼尻竜典、Hrn/福川伸陽)。
今回は指揮者が日本人なので、細かい指示や楽団員とのやりとりがしっかり聞き取れるのでなかなか面白い。ただ、R・シュトラウスの音楽はなんとなく支離滅裂な感じがあまり好きになれない。もう一曲のホルン協奏曲はイギリスの作曲家オリヴァー・ナッセンによる1994年の作品で、いわゆる「現代音楽」。ナッセンはモーリス・センダックの絵本『かいじゅうたちのいるところ』をオペラ化したりもしている。
このホルン協奏曲はけっしてわかりやすいメロディーがでてくるといった部類の音楽ではないけれど、大きな音の塊がすこしづつ色やかたちを変えてゆく、まるで「雲」のような音楽。現代の音楽といえば「ややこしい」印象があるが、ぼくのような素人にとっては、むしろこんな風に勝手気ままにイメージの世界に遊ばせてくれる太っ腹な音楽という気もする。
ちなみに日本フィルの公開リハーサルは、11月15日、そして11月22日にも杉並公会堂で予定されている。
ナッセン:かいじゅうたちのいるところ ユニバーサルクラシック
秋空に誘われて・・・?きょうはなぜか開店直後からお客様が続き、15時にはサンドイッチ、moiプレートともに売り切れてしまいました。週末でも「完売」ということはそう多くないので、ほんとうにビックリです。
やむなく15時以降はスィーツ&ドリンクのみとさせていただきましたが、軽食めあてだったお客様には申し訳ありません。予想もつかず、かといって傾向もないので対策もできないという、客商売はまったく難しいものです(と、なにげに言い訳です)。
まさに「女心と秋の空」ならぬ「お客心と秋の空」でございます。
日々フィンランド語に精進されているTさん(「どうぶつ占い」は「トラ」)よりの差し入れ、高級スーパーマーケット「成城石井」のシナモンロール(ラージ)です。
このシナモンロール、「ラージ」というだけあってとにかくデカい。そのデカさは、かたわらのもこみちの顔と比較していただければまさに一目瞭然。
くるくるとロールしたパン生地にたっぷりのレーズンとやや強めのシナモン、そして上にはアイシングとまさに典型的な「アメリカンスタイル」のシナモンロールです。パンがパサついておらずなかなかおいしいシナモンロールではありますが、メタボリック・シンドロームの恐怖に怯えることなく完食することはまず困難でしょう。
哲学者のような風情で水辺にたたずんでいるゴイサギをみたいと思い、散歩がてら善福寺池まで行ってきた。
サギやカモ、カワウやアヒルなどいろいろな水鳥をたくさんみかけたが、残念なことにお目当ての「ゴイサギ」がみあたらない。「ゴイサギ」の姿をもとめてふらふら池のほとりをさまよっていると、いきなり足元にカモとニワトリを誤ってかけあわせてしまったかのようなヘンなルックスの鳥が現れギョッとする。
家にもどって調べてみたところ、この「ヘンな鳥」の正式名称は「バリケン」というのだそうだ。変な名前!それもそのはず、もともとは中米から南米にかけて棲息する鳥だという。それを家禽用に品種改良したものが輸入されたはいいが、逃げ出したり捨てられたりしてこんなふうに水辺で暮らしているらしい。ネットで調べてみると、この「バリケン」も「捨て鳥」として善福寺池に住みついたそうだ。
それにしてもこの「バリケン」、目の前を散歩中の巨大な犬が通ろうが、目と鼻の先でネコが昼寝していようがまったくもって我関せずといった風で、かなりマイペース。写真も撮られなれているせいか、カメラをむけてもまったく動じない。堂々たるものである。カモやアヒルもやたらと人なつっこいし、どうも善福寺池という場所は独自の生態系ができてしまっている感じだ。
ゴイサギはけっきょくみれずじまい。でも、生い茂った葦のかたわらにきれいなルリ色をしたカワセミを発見!いちど実物をみてみたいと思っていたのでちょっとうれしい。ただ、距離があったので写真に撮れなかったのがすこし残念だ。
また、どこかで「ヘンな鳥」と遭遇したいなぁ。
「Real Design」という月刊誌の取材をうける。《コーヒー特集》のなかでハンドドリップをしているカフェ、喫茶店を4店ほど紹介するとのこと。
こうした取材の場合、誌面にはふつうメニュー写真、店内のイメージカット、そしてまれにお店のオーナー、スタッフの写真が掲載される。moiの場合、「お店のオーナー」の、ということはつまりぼくの写真が掲載されるわけだが、こういうときいちばん多いのはコーヒーを淹れているポーズの写真である。先日も常連のT内サンから、
「いつもコーヒーを淹れているポーズですねぇ」
とツッコまれたばかりだ。実際そうなのだが。
ところで、どうして「決まったポーズ」になってしまうのかといえば理由はふたつある。ひとつは、先方からのリクエストである。
なんとなくお店の風景の一部として、できるかぎり自然なかたちで人物もいれたい、そういうとき「なにか作業しててもらえますか?」という話になる。だが、だからといって大きくのばしたピザの生地をひとさし指の先でくるくる回すというわけにもゆかないので(だいたいできないし)、結果的に「コーヒーを淹れているところ」に落ち着く。
もうひとつ、こちらからリクエストするというケースもある。
「では、オーナーさんの写真いただけますか?」となったとき、「はい!」と即座にエビちゃんのようなカメラ目線で決めポーズができればよいのだが、ふだん写真なんて撮られなれていないのでそうはいかないものだ。そうはいったとしても、むしろキモチ悪いし。で仕方ないので、「じゃあ、いまコーヒー淹れるんで適当に撮っていただけますか?」となるわけだ。
こうして今回もまた、いつものポーズで写真が掲載される予定・・・。T内サンにツッコまれる前に先言っておきます。