moiにあたらしい看板が登場。
オープン以来つかってきた看板は、4年の月日のあいだ幾度となく突風にさらわれ、ときに道ゆくひとの荷物に引っかけられ、ついにはあるとき小学生に体当たりされて撃沈、その看板としての役割を完全に終えることとなったのでした。そして数ヶ月の時を経て、ついに、しかもまったくあたらしい装いでの再デビューとなりました。
ところで、このコンパクトかつユニークな看板の製作者は、moiの常連ヒガさんです。ちなみにヒガさんは、6月におこなわれた『荻田宗明・珈琲絵本展』での斬新な展示方法の「仕掛人」でもあります。じつは、はじめは、以前つかっていた看板のスタイルを踏襲するようなものをとかんがえていたのですが、
・道ゆくひとの邪魔をすることなく、
・ちょっとの風で飛ばされることのない程度に頑丈で、
しかも
・さりげなく「moi」の存在をアピールするような
そんな宮沢賢治の詩のような(?!)リクエストを伝えたところ、ヒガさんから上がってきたのはこんな不思議な看板のアイデアでした。
というわけで、これからは
さながらmoiのロゴが空中を浮遊しているような、あるいはまた地面からすくっとのびる植物のような世界にひとつだけの「看板」がmoiのお客様のご来店を「Tervetuloa!」と歓迎いたします。
フィンランドのジャズピアニストヤルモ・サヴォライネンのCD「Grand Style」。
ずいぶん前から探していたものの、フィンランドでも見つけることができずなかばあきらめていたのだけれど、リクエストを出しておいたところ、先日フィンランドツアーから無事帰国したピアニストの新澤健一郎さんがゲットしてきてくださった。なんでも、共演したギタリストニクラス・ウィンターのすすめで立ち寄ったヘルシンキのDigelius Musicであっけなく発見したとのこと。Digeliusの存在は知っていたのだけれど、なぜだか民族音楽系に強い店という印象があり、そっち方面にまるっきし興味のないこともあってまったくのノーマークだった。ところが新澤さんの「証言」によるところでは、「とにかくジャズ系ではヘルシンキ随一の品揃え」とのこと、レコ屋砂漠のフィンランドでは貴重な存在、次回は絶対訪ねなければ。
それにしても、新澤さんにここを教えたニクラスはかつて Electromagnetというジャズファンク系のバンドでヤルモといっしょにプレイしていたそうで、あいかわらず世界は、じゃなくてフィンランドは狭いのだった。
中華料理屋で「マコモ茸」をたべた。エリンギのようにもみえるがエリンギほどには弾力がなく、若いタケノコのような食感がおもしろい。
ところが、ここにきて衝撃の真実(?!)を知ってしまう。
マコモ茸はキノコではない!
その名前が、ちかごろ女子高生などがよく携帯ストラップにつけたり通学バッグにぶらさげていたりするアレにそっくりだったので、てっきり「キノコ」の一種と信じて疑わなかった。じつは、「マコモ茸」の正体とは「池や沼などに茂生するイネ科の水生植物「マコモ」の若芽のこと」なのだそうだ。セリやウドのようなれっきとした「野菜」というわけ。
ところで、ことしのフィンランドは記録的な少雨でベリーはほとんど壊滅状態、このままでは秋の味覚キノコも心配される。ただ、圭子 森下・ヒルトゥネンさんにれば市場には黄金の「あんず茸(ジロール)」(『かもめ食堂』でもたいまさこさんの旅行鞄につまっていたアレですね)が並びはじめたとのこと。
フィンランドの秋はもうそこまで来ている。そういうことのようだ。
ピーコです。「HEL LOOKS」、それは「ジャージ天国」フィンランドに咲いた徒花たちをあつめてつくった可憐な花束(ブーケ)。
モード系からゴスロリ、果ては意味不明のゴーイング・マイ・ウェイな人々まで、ポップでキュート、パンクでヒップでそうとうアブないヘルシンキのストリート・ファッションのすべてが、ここをみれば手にとるようにわかってしまうのです。しかもひさしぶりにのぞいてみれば、夏を迎えてフルパワーで更新中!?
さあ、みなさんもピーコを気取って「HEL LOOKS」でファッションチェック!!!
★情報提供は「幅広い趣味をお持ちの」Jussiサンでした。
用事ついでに「信濃町」で下車して、「長崎ちゃんぽん」をたべてきた。つい先日、「リンガーハット以外の長崎ちゃんぽん」がたべたかったというLaiheliinaさんが教えてくださった「満てん」という店である。
なんでもここは、銀座にある長崎料理の老舗「吉宗(よっそう)」が満を持して(?)オープンした長崎ちゃんぽん&皿うどんの店だそうで、カジュアルに本格的な長崎料理がたのしめる。メニューをみると、定番のちゃんぽんや皿うどんのほかにも「茶わん蒸し」や「きびなごの刺身」といった郷土料理系サイドメニュー、それに「味噌ちゃんぽん」や「カレーちゃんぽん」といった創作系など充実のラインナップ。あちこちの「ちゃんぽん」を食べているわけではないので味についてはとやかく言えないものの、(Laiheliinaサンのように)無性に「ちゃんぽん」や「皿うどん」がたべたくなったときにはまた来よう、と思う。
そういえば、ともだちの話では盛岡冷麺で有名な「ぴょんぴょん舎」もつい最近銀座に支店をオープンしたそうである。なかなか、《麺食い》にはうれしいニュースかも。
その昔、『台風クラブ』という映画があった。台風の接近とともにテンションが高くなってしまう中学生たちの物語って、いくらなんでもあまりにも乱暴すぎる説明ではあるけれど。
どうしてそんなことを思い出したのかというとほかでもない。台風8号が接近中の東京の夕焼けがあまりにも強烈だったから、である。
「恐ろしい」と感じる一方で、自然がときおり見せるこうした不穏な相貌はまた、どうしようもなく美しく魅力的なものでもある。そういえば、静岡で暮らした中学時代には、ともだちとチャリンコを飛ばして荒れ狂う海を見にいったことなど思い出す。いまだってそうだ。空や雲、月などのちょっとした変化を見逃すことができない。胸騒ぎがしてじっとしていられず、やたら誰かに知らせたくなってしまうのだ。どうやら、いまだ「中学生」から進歩していないらしい。
きょうもきょうでいてもたってもいられず外に出て写真を撮ってきたところ、戻ると同時に「すごい不思議な空」とともだちからのメールが。
「台風クラブ」の会員が、ここにもひとり。
本日より、フィンランド語の翻訳/通訳をはじめフィンランド文化の紹介でおなじみのしらねみほこさん所蔵の書籍、雑誌、CDなどを一部店内にて展示販売しています。
題して、
「みほこさんの本棚から~泣く泣く処分市」
文学、政治、語学、デザイン、絵本など硬軟とりまぜおよそ50点ほどが出品されています。なかには、こってこてのスオミ・ロック(笑)のCDも(イスケルマではございませんので、念のため)。プライスは、定価の約1/2~1/3くらいとたいへんお買い得!もちろん、早いもの勝ち&売り切れ次第終了となりますので、moiにお越しのおりにはぜひチェックしてみてください!
都合により、というのはパン屋さんがお盆休み中だからなのですが、
今週の土曜日、日曜日はサンドイッチをお休みさせていただきますので、ご了承ください。
軽食は、チーズスコーンの「moiプレート」のみのご提供となります。
スイーツは、ファンの多いサクサク&ふわふわ「スコーン」のほか、パウンドケーキが2種「あんずケーキ」&「レモンとポピーシードのケーキ」、トライフル、そしてもちろん「おやつセット」もあります。また、もしかしたら「プッラ」もご用意できるかも・・・?!
というわけで、この週末も暑そうですが、どうぞお茶しにがてら「フィンランドの風」を感じにいらしてください。お待ちしております!
ミュージシャンの伊藤ゴローさん(aka.MOOSE HILL,naomi & goro)と話しをしていたら、ひさしぶりにじっくりとフェデリコ・モンポウに耳傾けてみたくなった。
夏の日にモンポウを聴く。モンポウは光の音楽だ、とおもう。しかもその光は、あらゆるものごとの輪郭をくっきりと照らしだす強い光だ。けれども、モンポウはまた同時に影の音楽だ、ともおもう。なぜなら、強い光はいつも強い影をともなっているものだからである。すべてを白日の下に曝けだす明晰な「光」と、反対にすべてを容赦なく呑みこんでしまう漆黒の「影」。モンポウの音楽はそんなふたつの、相反する表情をもっている。
ところで、「強い」光と「強い」影―モンポウの音楽は「光と影の」音楽である以上に、じつのところ「強さの」音楽である。
『内なる印象』『ひそやかな音楽』といったタイトルが物語るように、モンポウの音楽には「寡黙」「内省的」「静謐」といったキーワードがよく似合う。深みへ、より深みへと、音楽をたよりにその一生をかけて自分じしんの内面への旅をつづけた《求道者》モンポウ。だからこそ、かれによって選ばれた音符はそのひと粒ひと粒がものすごく濃い。たとえていえば、熟しきっていまにもはちきれんばかりになった果実のような。ちかごろこのCDばかりくりかえし聴いているぼくはたぶん、この圧倒的なまでの音の「強度」にやられているにちがいない。
当時81才の作曲家自身よるこのCD、『ひそやかな音楽』はもちろん、『前奏曲集』も『歌と踊り』も涙が出るほどすばらしいけれど、あえて一曲といわれれば『内なる印象』からの「哀歌:2」。右手と左手が織りなす《対話》の、なんという意味深さ!
土曜日、そして日曜日と、どうしたわけか、この週末ときたら「Oh No!」と思わずアメリカ人のようにオーバーアクションで叫びたくなる《事件》が立て続けに発生!
土曜日。東京は猛烈な雷雨。ごく近所でも落雷による停電があったそうだ。それにしても、ちかごろの雷雨はどうして週末のかき入れ時を狙いすましたように発生するのだろう。神様、いったいボクがどんな悪いことをしたのですか?と、思わず「家なき子」のように天を仰ぎたい気分である。
しかもそれだけじゃない。「津波」である。
接客中ふと気づくと、入り口からどわぁ~んと水が押し寄せてくるではないか(やや誇張気味)。居合わせたお客様の「証言」によると、どうやら路肩すれすれに走ってきたタクシーが豪雨で川のようになっていた路肩の水を巻き上げた結果らしい。
Voi Ei!
日曜日。きのうとはうって変わりふたたび東京に夏空がもどってきた。「打ち水」が必要なくらいの暑さである。
そして接客中、ふと外に目をやると犬がお散歩中。ゴールデンレトリバーだろうか、かなりの大型犬だ。うんうん、やっぱり動物っていいよねなどとムツゴロウ先生のように無邪気な笑みをたたえてその様子をみつめる。が、
ん?ちょっと待ったぁ!!!オシッコしてる?!
なんといっても相手は大型犬、オシッコの量だってハンパではない。蛇口の壊れた水道よろしく、ジャージャーととめどなく出てくる。こちらはなすすべもなく、ただ茫然と見守るばかり・・・ったく、とんだ「打ち水」だよ。
Voi Ei!!!
最近の要チェックブログはといえば、スウェーデン在住のベーシスト森泰人さんの「Mori's Glanta」。
スカンジナヴィアン・ジャズに関心のある方はもちろん、北欧での生活や旅についても紹介されていて「北欧好き」にもなかなか興味深い内容だと思います。なかには、去年そのCDを紹介したシンガーLINDA PETTERSSONの結婚式の模様などという激レア情報も!7月にはあのジョージー・フェイムとも共演したのですね。
これで来日情報もいちはやくチェックできそう。
インターネットで『東京カフェマニア』を主宰されているサマンサさんこと川口葉子さんの新刊『カフェの扉を開ける100の理由』(情報センター出版局)が出版されました。
旅先や散歩の途中で出会った数々のカフェとその印象が、静かな落ち着いた語り口でつづられたすてきなエッセイ集です。
じつは、ここmoiも【話せば長くなりそうな場所をめぐる散歩】という章のなかで取り上げていただいています。おなじ章では、ほかにふたつのカフェが紹介されています。
ひとつは、神宮前にある「J-Cook」。そしてもうひとつは、かつて表参道にあった「Posset Pot」です。
「キラー通り」からすこし入った路地にたたずむ「J-Cook」は、いつも変わらずにそこにあることのすばらしさを教えてくれるカフェです。その証拠に、このお店は近所に事務所をかまえフリーで仕事をしているひとびとたちから絶大な支持を受けています。じつはそのむかし、ぼくをここに連れていってくれたのもそんなひとりだったのですが、なんとその知人と川口さんにここを紹介した人とが同一人物であることがこの本を読んで判明(笑)。ふしぎな縁を感じます。
もうひとつの「Posset Pot」については残念ながらぼくは記憶にないのですが、その名前だけは数人の友人たちの口から聞き知っていました。それだけきっと、ひとの記憶に静かな余韻を残すようなカフェだったのでしょう。
そんなふたつの《名店》とともにmoiが紹介されているなんて、なんだか場違いな感じがして気恥ずかしいったらないのですが、よく恥をかいてこそ人は成長するなどともいいますので恥を忍んでページの上に居座ろうかと思います。
先日、「店内を禁煙にできないだろうか?」という声がこちらのブログにいくつか寄せられました。そこで、現時点でのこの問題に対するmoiの考え方についてここに書かせていただこうと思います。
まず、ぼく自身「非喫煙者」ですので禁煙を望むみなさんの意見についてはよくわかりますし、不快な思いをされたみなさんに対してはたいへん心苦しく思います。ただし、残念ながら現時点でmoiを「完全禁煙」とすることは不可能です。
その理由は、経営上の問題ということにつきます。
じっさい4年間お店のカウンターに立って見てきたかぎり、予想以上に、お客様のなかで喫煙される方の割合が多い。とりわけ、週一回以上足を運んでくださる方々に喫煙者の占める率が高いという現実があります。いま、moiが「完全禁煙化」に踏み切ったとしたら、おそらくすぐさま経営が立ち行かなくなってしまうことでしょう。
たしかに、交通機関や公共施設、公道、そして職場や家庭といった空間での「禁煙」は時代の流れといえるでしょう。しかし、巷を見回したかぎり「禁煙」を導入している飲食店は驚くほど少ないのではないでしょうか?なんの後ろ盾ももたない個人経営の店にとって、現時点での「禁煙」の導入はあまりにもリスクが大きいと言わざるをえません(実をいえば、こうした「経営上の事情」をお客様に向けて書くという行為はたいへん不本意なことなのですが)。
ふつう、飲食店が「禁煙」を導入する「ワケ」は大きくふたつ考えられます。ラーメン店やセルフ系カフェのように客の「回転率」を上げたい場合。平たくいえば「食ったらすぐ帰れ」という意志の婉曲的な表現ですね。「ランチタイム禁煙」などという露骨なのもありますが・・・。もうひとつは、お店の性質上「禁煙」にせざるをえない場合。たとえば「WILL cafe」さんなどがそうですが、菓子類をつくるキッチンとお客様のくつろぐフロアがつながっているため、販売するお菓子への影響をかんがえて「禁煙」としているようなケースです。
もちろん、オーナーの「主義」でそうしている飲食店もなくはないでしょうが、自宅を改装してつかっているため家賃が発生しない、あるいはべつに副業をもっている、といった事情がない限りはなかなか厳しいはずです。
とはいえ、moiのようにたいへん小さなスペースでは、喫煙されない方にあたえる不快感や負担は並々ならぬものがあるということも十分承知しているつもりです。
moiでは、これまで「消極的禁煙」という態度をとってきました。moiではあらかじめテーブルに灰皿は置かれていませんし、原則としてリクエストされない限りは灰皿をお出しすることもありません(もちろん、あらかじめタバコを吸われると知っている方に対してはそうもゆかないのですが)。これは、もし喫煙せずにいられるのなら極力「禁煙」にご協力くださいという消極的な「メッセージ」のつもりです。
事実、こうした意図を汲んで周囲に配慮しながら喫煙をコントロールされている方々がいらっしゃるということも付け加えさせていただきたいと思います。
ただし、禁煙を望む方々もすくなからずいらっしゃることと思いますので、これを機会に実験的な試みとして月一回の「完全禁煙デー」を設けたいと思います。具体的には、当面
◎ 毎月第一土曜日を「完全禁煙デー」
とさせていただきます。初回は9月2日[土]となります。
さて、ここでお願いです。「言うは易し、行うは難し」とことわざにもあるように、こうした制度を導入することじたいはオーナーの決断ひとつ、かんたんなことです。しかしながら、継続するためにはみなさんのご協力がぜひとも不可欠です。
こうした「試み」の成果が売上の数字をともなって実感することができれば、今後さらに日数を増やすことも検討できますし、またその「成功」が他の店舗にも波及してゆくといった可能性も十分にかんがえられます。つまり、この月に一回の「完全禁煙デー」はみなさんとともにつくる「はじめの一歩」といえます。
もし、この「完全禁煙デー」という試みにご賛同いただけるなら、ぜひmoiに足を運んでください(ゆえに、あえてこの記事ではコメント欄は設けません)。 これが、店主からのお願いであり、回答です。
喫煙者の方も、非喫煙者の方も、ぜひこの趣旨をご理解の上ご協力の程よろしくお願い致します。
思いのほか、Oさんが貸してくださったスクリッティ・ポリッティ(Scritti Politti)の「新作」(7年ぶり!)がすばらしく感激している。
「スクリッティ・ポリッティ」の名前をきいて「なつかしい~」と反応するのは、おそらくオーヴァー・サーティーファイヴだろうか。そんな「オトナ」の財布の中身を狙ってか、ちかごろ80年代に活躍したバンドの再結成や、ニューアルバムのリリースといったニュースをよく耳にする。若い時分それなりに聴きこんだミュージシャンであればこそ、こうした「動き」には警戒しなければならない。ただ、昔の名前で出ています、それだけの場合もすくなくないからだ。
ぼくにとって、スクリッティもまたこうした「警戒」の対象にちがいない。けれども、CDプレーヤーが演奏をはじめたとたんそんな杞憂は吹き飛んだ。そして、不意打ちのようなよろこびが訪れる。
とてもよい。
それは、ひとことでいえば、フレッシュなのだ。そこにあるのは、「過去」に頼るでも「現在」に媚びるでもない、現在進行形のスクリッティ・ポリッティのサウンドであった。7年間というブランクを、いったいどんなふうにして過ごしていたのか予測もつかないが、その音を聴けば「このひとは、じぶんの音楽についてずっと考えてきたのだなぁ」ということが手に取るようにわかる。すくなくとも、これはけっして一朝一夕につくれるようなアルバムではない。逆にいえば、このサウンドが完成するためには7年間の発酵期間が必要だったということだ。
「スクリッティ・ポリッティってなに?」
つまりフロントマンのグリーン・ガートサイドは、そういうひとびとにこそこのアルバムを届けたいにちがいない。
いつもmoiのために、おいしいケーキやらスコーンやらを焼いてくださっているWILL cafeのくるすさんには、お菓子をつくる以外にもうひとつ、隠れた「顔」がある。それは、
ハコ職人。
お菓子を発注するさいには、その時点での在庫と商品の動きを予想しながら内容や量を決めるので毎回、どうしても荷物の大きさは変わってきてしまう。ところがくるすさんは、既存のさまざまなダンボール箱を解体し、それらを切ったり貼ったりすることで、毎回そのときどきの荷物にぴったりあった大きさのハコをこしらえてしまうのだ。いったい、どこをどうしてどうすればこんな立派なハコができあがるのか?まったく、その器用さには舌を巻くばかりである(ちなみにぼくは、「展開図」とかめちゃくちゃ苦手でした)。
そして、そんな「IQ明らかに低め」なぼくにとっては、この箱根寄木細工のようなハコを開けるのがまたひと苦労なのである。
ここか?と思ってカッターを入れるも、ハズレ。なら、ここだ!と思うもまたもやハズレ。えーい、じゃあここだっ!ハズレ。チクショー。ハズレ。こうなったら、こうしてやるっ!あれ?開いちゃった・・・ってな調子。
そしてその光景はあたかも、
── クロマグロの実演解体ショー
なのであった。
先日、その取材の模様をお伝えした雑誌『カフェ&レストラン』9月号が好評発売中。
《名店・人気店が選んだカフェの道具》という特集のなかで、オリジナルのカップ&ソーサーセット「eclipse」にまつわる誕生秘話(?)をご紹介しています。
この取材にあたっては、実際の使用感やオリジナル食器を依頼することになったいきさつについては、「使う人」という立場から店主であるぼくが、またこのようなデザインができあがった背景については「作った人」という立場からデザイナーの梅田弘樹さんがインタヴューをうけました。このカップ&ソーサーの魅力を立体的にお伝えすることができていればよいのですが。また、特集のタイトルバックでは梅田さんの手によるこの「eclipse」のデザインスケッチが本邦初公開!どうぞお見逃しなく。
ほかにおなじ特集では、大坊珈琲店の「カフェオレボウル」やカフェ・ド・ランブルの「ドゥミタッス・カップ」、それに名古屋の「milou(ミル)」さんや「YAMA COFFEE」さんなども登場しています。
専門誌のため値段はちょっとお高め(1,580yen)ですが、コーヒーまわりの「道具」などに興味のある方には「永久保存版」の充実の内容になっていておすすめです。
たとえ渋滞60kmだろうが、はたまた乗車率200%だろうが、毎年この時期になると耳にする「帰省」という単語には魅力的な響きがある。それは、帰るべき「田舎」をもたないばかりか、子供のころから引っ越しが多く「地元」と呼べる場所すらもてないまま大人になってしまったぼくだから、にちがいない。それでも、もしこのぼくに唯一《ふるさと》らしき場所があるとしたら、それはきっと静岡県にある「沼津」という街であるだろう。
父親の転勤のため、ぼくがその街に暮らしたのは小学校六年の二学期から中学二年まで、たったの二年半にすぎない。それでも、海にも山にもほど近く、たんぼや畑、映画館や工場があって、お金持ちもそうでない人もいるこの土地は、都会の団地しか知らなかったぼくにいろいろなものを見せ、いろいろなことを教えてくれた。ぼくがこの街から「学んだ」ものははかりしれない。だから、ただただこの街の匂いが無性になつかしくて、いまでもときどき足を向けてしまうのだ。まるでそこがじぶんにとっての《ふるさと》であるかのように。
話は変わる。ある日の店での会話。ちょくちょくmoiに足を運んでくださるお客様が、言う。
「実家に行ってきた帰りなんです」
「へぇ~、いいですね。ご実家はどちらですか?」
と、ここまではよくありがちな「客」と「店のひと」との会話にすぎない。ところが、それをきっかけにそのお客様が「沼津市」の出身で、しかもなんとぼくの通っていた小・中学校の「後輩」であることが判明!そればかりか、ぼくの住んでいた家と彼女の実家とがせいぜい2、300メートルほどしか離れていないことも!!!これにはさすがに驚いた。
マルトモだ、石橋プラザだ、スルガレジャーセンターだと年甲斐もなく盛り上がったまではよかったのだが、後からよくよくかんがえてみれば、ぼくがそこに暮らしていた時分には、まだ彼女はそこにはいなかった(厳密にいえばこの地球上に存在していなかった)ワケで・・・
ことはなかなかに複雑なのであった。
※画像はそのお客様からいただいた、実家の畑でおじいちゃんが育てたというメイド・イン・沼津の「大葉」。
報道によると、元カルチャークラブのフロントマン、ボーイ・ジョージが警察への虚偽通報の罪に問われ、裁判所からマンハッタンの路上で清掃活動をおこなう5日間の「地域奉仕活動」を命じられたそうである。「New Wave」の旗手として一時代を築いたポップスターが、人目の多いマンハッタンの路上で落ち葉やらゴミやらを拾うのだ。相当に「屈辱的」であったにちがいない。
そこで、こんな「奉仕活動」をかんがえてみた。
「ブック○フ」でアルバイト5日間。
「らっしゃいませ!コンニチワー」。ああ、いやだいやだ。ぜったいに無理だ。あの異様なテンションにはついていけない。むしろいっそのこと、心静かに落ち葉を拾っていたいのだ。
よかったね!ボーイ・ジョージ。
午前中はたしか晴れていたはずなのに、店を開けるころにはどんよりとした曇り空。灰色の雲間からは弱々しい太陽がときどき顔をのぞかせる。
◎ Stay in the Shade / Jose Gonzalez
こんなあいまいな空模様には、ホセ・ゴンザレスのナイーブな歌声を。Nさんから教えてもらったアルゼンチン系スウェーデン人のシンガーソングライター。このEPは、最近耳にしたなかでも飛び抜けて好きな一枚で、初対面の人に「こういうのが好きなんです」と名刺代わりに手渡したいくらいだ。けっして「明るいひと」という印象はあたえないだろうけれど。本当に、すごくいい。
◎ The Prince of Wales / Devine & Statton
ところで、アリソン・スタットンの歌声も曇り空によく似合う。ウェールズの空もきっと、こんな感じなのだろうか?いま読んでいる本、ロアルド・ダールがみずからの子供時代を追想した『少年』にもウェールズの街がよく登場する。ちょっとした偶然。
◎ わたしとボサノバ / オムニバス、ナラ・レオン 他
曇り空の気分はキープしつつも、ボサノヴァですこしだけ方向転換を図る。渋いけれど佳曲ぞろいの、"ありそうでなかった"選曲が心憎い。
◎ Juventude/Slow Motion Bossa Nova / Ronaldo Bastos、Celso Fonseca 他
手が離せなくなったらセルソ・フォンセカに逃げる。これ、いつものパターン。いい意味で中庸、ピッチャーでいえば優秀な「中継ぎ」タイプ。ぜひ、一家に一枚セルソ・フォンセカ。
◎ ラップランドに愛を込めて/Souvarit
Jussiさんのリクエストによる、哀愁のスオミ・ボッサ(笑)。というよりは、むしろ、まんまボサノヴァ調昭和歌謡の世界。『吹雪きに散った二人の愛が・・・』、司会の玉置宏です。
◎ エテパルマ~夏の印象~ / 中島ノブユキ
フィンランドから、スペイン経由でブラジル、そしてアルゼンチンへ。ジャズ~クラシック~ワールドミュージックと自由に横断する気鋭のピアニストによる、いま局所的に超話題となっている一枚。「大人の女性」とは、たぶんこういうのを聴く女性のことでは?
◎ プレイヤーズ&オブザヴェーションズ / トールン・エリクセン
夕陽がさしてきたので。ノルウェーのシンガー、トールン・エリクセンによるこの二枚目のアルバムは、たそがれどきのオスロのカフェのイメージ(オスロ、行ったことないけど)。そしてなんといってもアレンジが最高!まさに絶妙の味つけ。
◎ Jussara/Jussara Silveira
店内には男子ニ名。そこで、ブラジルのシンガー、ジュサーラ・シルヴェイラが歌うジョルジ・ベンのちょっとロックっぽいナンバーをどうぞ。でも、いちばんのお気に入りはシコ・ブアルキの「Desencontro」のカバー。プールからあがった後のようなけだるい感覚は、まさにこの季節ににつかわしい。アントニオ・カルロス・ジョビンの孫、ダニエルが弾く夢見心地なフェンダー・ローズ。この曲は、cafe vivement dimancheの堀内さんが選曲したCD「ハワイアナス・モーダ・ヴィーダ」でも聴ける。
◎ ディスガイセズ / スチュアート・シャーフ
閉店の時間まであとわずか。シンガーとしてよりも、むしろプロデューサー、あるいは腕利きのミュージシャンとして知られるスチュアート・シャーフが、1975年に残したたった一枚のソロアルバム。おだやかで、やわらかなその歌声。にぎやかに閉店を迎える日もあれば、こんなふうにひそやかに閉店を迎える日もある。これが日々のカフェ。
さて、今週のケーキはひさびさに「コーヒーシナモンケーキ」の登場です。コーヒーとシナモンの相性のよさはもちろん、ほんのり効いたアニスの風味が大人っぽいWILL cafeさん自慢の定番アイテムです(写真提供/WILL cafe)。
そしてもう一種類は、WILL cafeのくるすさんが先日旅先の伊豆で出会った、「日向夏(ひゅうがなつ)」というオレンジをつかった季節感のあるパウンドケーキです。
ぜひ、お楽しみに!
※このあいだ、「コーヒーシナモンケーキがまた食べたい」とおっしゃるお客様がいらっしゃったので、あえて告知してみました。 このブログを読んでくださっているとよいのですが・・・
女性向けポータルサイト「Woman.excite」のなかのライフスタイル・ブログ「Garbo<ガルボ>」でmoiが紹介されています。
ぜひコチラからごらんください。
◎ 「荻窪のmoi」 Garboグルメーカフェ コンシェルジュ/山村光春
週2便、しかもつねに満席状態というフィンランド航空の成田―ヘルシンキ線に、「悲願の増便」の可能性が出てきた。
じつはそれ以前に、「○月から増便になるらしい」というウワサは小耳にはさんでいたのだけれど、これでいよいよ現実味を帯びてきた。
増便されれば旅行の計画もより立てやすくなるし、「(満席のため)やむなく関空便にまわる」といった「時間の無駄」も解消される。ぜひがんばって「増便」を実現してもらいたいものだ。
近々(?)の「正式発表」を心待ちにしたい。
夏休みといえば宿題。宿題、といえば読書感想文。というわけで、映画『チャーリーとチョコレート工場』の原作者でもある、作家ロアルド・ダールの『少年』を読んだ。
この『少年』という本はけっして「自伝ではない」、そうダールは言う。ではなにかというと、それは六歳から二十歳にかけて彼の身に実際におきた「数多くの事件」-なかには「滑稽な出来事もあれば苦痛にみちた出来事もある。思い出すに不愉快なこともある」-を綴ったエピソード集といった体裁をとっている。
ダールの言葉どおり、ページを開くとそこには大胆で機知に富み、それでいて人一倍ナイーヴな「少年」の記憶が顔をのぞかせる。両親の祖国ノルウェーで過ごす、家族そろっての極上の夏休み。友人や兄弟と仕掛けた「いたずら」の数々。なかには、「靴紐の形をした甘草入りのアメ(リコリス・ブートレース)」の思い出も・・・
でも、この本でいちばん多いのは学校生活の話題、とりわけ不可解で窮屈な校則や、教師や上級生からうける理不尽な仕打ちに対する「怒り」にかんするものだ。そして、読み進むにつれこちらまで熱くなってしまった。というのも、じぶんの「高校生活」にもすくなからず似たような状況があったからにほかならない。
ぼくが通っていたのは都内にある私立の男子校で、「進学校とはいえない程度の」進学校だった。そこでは体罰は日常茶飯事。見上げるような高い塀に囲まれ、すべての窓という窓には金網がつけられた校舎は、まさに陰気な監獄そのものといえた。そして校内を仕切っているのは、柔道部や剣道部の顧問をつとめる数人の「生活指導」の教師たちで、竹刀片手に廊下をガニマタで闊歩するのが連中の日課だった。
とりわけ、いま思い出しても凄かったのは「始業時間」の光景だ。始業時間になると、校門のかたわらに立つ顔色のわるいフランケンシュタインのような守衛がボタンを押す。すると、天井から鉄製の自動ドアが降りてきて校門をシャットアウトするという仕掛けだ。当然、遅刻を免れようと生徒はみなその「けっして止まらない」自動ドアの下をくぐり抜けることになる。これが毎朝「儀式」のように繰り広げられていたのだから、よく事故が起こらなかったものだと思う。ほかにも、校則で禁じられていた「パーマ」がみつかり、そのまま近所の床屋に連れていかれ丸坊主にされたクラスメートもいた。
ロアルド・ダールは書いている。「みなさんはなぜわたしが学校における体罰をかくも強調して書くのかと不思議に思われるに違いない。その答えは、要するに書かずにいられないからである」と。そして「わたしにはそのこと(教師や上級生ががほかの生徒たちを傷つけるという事実)がどうしても納得できなかった。いまだに納得していない」とも。ぼくもまた、「納得」できずにいる。
そんな高校生活でのぼくの「たのしみ」はといえば、いかにスマートに校則を破るかであった。髪型や制服や持ち物、放課後の過ごし方などなど、周到な準備をもって「校則を破る」ことに快感をおぼえていたのだ。おかげで、全身「校則違反だらけ」にもかかわらず、高校生活を通じていちども「敵」に捕まったことはなかった。「夜の校舎 窓ガラス壊してまわった」なんて「敵」を喜ばすだけでなんの「反抗」にもなっていない、そう考えていた。出し抜いてなんぼ、そんなことばかり考えている皮肉で屈折して暗い高校生だったのだ。
唯一残念なのは、ぼくに「文才」が足りなかったこと。もしあったなら、きっといまごろロアルト・ダール顔負けのシニカルな小説をたくさん書いていたことだろうに。
雑誌『Coyote』NO.13、特集《森と湖、小屋の島~フィンランドのみじかい夏》が発売中。
ツリーハウスビルダー小林崇による「木をめぐる旅」(写真/大森克己)、イラストレーター谷山彩子がめぐる「カレリアの食卓」など、ヘルシンキ中心の「雑貨/デザイン/建築」路線とは一線をかくす特集内容です。
なかでもおすすめは、綴じ込みの「ヤンソン家の夏の栞」。トーヴェ・ヤンソンの弟ペールウロフによる文と写真でヤンソン家のにぎやかな「夏休み」を再現しています。なお、翻訳とエッセイは「かもめ食堂」のコーディネーターとしても八面六臂の活躍の森下圭子さんです。必読!
だいすきな建物が、またひとつ東京の街から姿を消そうとしている。
銀座へでかけたついでに、近々解体されることになる「三信ビル」へ足をはこび「さよなら」を告げてきた。なぜか子供のころから、日比谷の一角に建つこのビルがだいすきだった。外観はけっして目を引くようなつくりではないけれど、一歩足を踏みこんだときに広がるアーチの美しさ、そしてなんといってもディテールの装飾がすばらしかった。たとえば、二階のバルコニーの鉄柵を留めている真鍮製のビス。ひとつひとつ花を模した彫刻がほどこされたそれは、細部にまで徹底的にこだわりぬいたこの建物のもっともチャーミングな部分だとおもう。
テナントに洋書屋やカフェ、高級そうなフランス料理店や外国のエアラインの事務所などが軒をつらねるその空間に立つと、「まるでどこか外国に来たような」気分になったものだ。そして大人になった後も、近くまでくればいつも扉を押して用事があるわけでもないのに通り抜けたりする。「三信ビル」はぼくにとって、時々しか会わないけれど、会えばいつも可愛がってくれる親戚のおじさんのような存在なのかもしれない。
すでにほとんどのテナントが立ち退きを完了し、人気のないビルディングの中はとても薄暗く静かだった。建物の半分は封鎖され、残念なことに二階のバルコニーへ上がることもできない。「移転先がみつからない」という理由でいまだ営業を続けているただ一軒のテナント「ニュー・ワールド・サービス」のネオンだけが、最後のいのちのともしびのように寂しげに光っているのが印象的だった。
きのうのつづきで、「銀座」という街のことをかんがえている。
きょうは「銀座」に行こうー子供のころのぼくにとって、親が口にするその言葉はまさに《魔法の呪文》そのものだった。「銀座に行くんだ」―ただそれだけでもう心はおどり、胸は高鳴った。色とりどりのネオンライト、尖塔のある教会、眩い光をはなつショーウィンドウ、コロセウムのような「日劇」の建物、たくさんの映画館、モダンな風情の近代建築の数々、ふしぎな匂いのする外国のお菓子や雑誌を売るドラッグストア、そして華やかに着飾った人々・・・日比谷から有楽町、そして銀座へと移動するその道のりは、さながら歩くスピードで変化するカラフルでポップなカレイドスコープといえた。
カラフルでポップ・・・そんなイメージが、たしかにかつての「銀座」にはあった。
スタン・ゲッツが、ヴァイヴ奏者のカル・ジェイダーとともに吹き込んだ曲にその名もずばり、「GINZA SAMBA」というのがある。作曲したのは、スヌーピーとチャーリー・ブラウンでおなじみのTV番組『ピーナッツ』シリーズのサントラを手がけたピアニスト、ヴィンス・ガラルディ。初めて訪れたトーキョー、ギンザ、明滅するネオンライトや交差点のヘッドライトの光の洪水、せわしなく行き交うひとびとの姿・・・そんな光景を興奮しながらスケッチしたかのような、スリリングで軽快な、まさに「銀座」の名に恥じない一曲だ。
カラフルでポップといえば、さらにもうひとつ、こんな「銀座」もあった。
かつて売られていた不二家のお菓子に「ザ・ギンザ」というのがあったのをおぼえているひと、いったいどれくらいいるだろう?いろいろなかたち、味のキャンディーやチョコレートを一袋に詰めたものなのだが、その楽しさ、にぎやかさが「ザ・ギンザ」というネーミングにぴったりだった。
残念なことに、いまの「銀座」はカラフルでもないしポップでもない。ではどこかべつにそんな街、そこに行くというだけで心が浮き立ってしまうような場所があるかといえば、さて、どうだろう?思いつくだろうか?
ペトゥラ・クラークの歌う「恋のダウンタウン」。はたまた、シュガーベイブが歌う「ダウンタウン」。かれらが歌う「ダウンタウン」には、カラフルでポップで、だれもが「主役」になれる場所、そんな意味がこめられていたようにおもう。そして、そんな「街」をもてなくなってしまったぼくらは、やっぱりすこしさみしい。
目が世界になれてしまったときに、いつもきまって観る映画がある。チャールズ&レイ・イームズによる「Blacktop: A Story of the Washing of a School Play Yard(1952)」がそれだ。
バッハの「ゴールドベルグ変奏曲」をBGMに、校庭に流された洗剤の様子をただひたすらに撮影した10分ほどのショートムーヴィー。くもったレンズを乾いた布でぬぐったように、これを観ると世界の眺めが一変する。
「校庭を洗い流す」とサブタイトルにはあるけれど、洗い流されているのはむしろ、日々の生活のなかですっかり手垢だらけになってしまった自分のほうなのだ、といつも気づく。