#084 秋の空気に包まれて

11月に入りました。すっかり秋ですね。秋は一年のうち最も五感を刺激される季節だと思います──

Moi!フィンランドをもっと好きになる84回目のレポートをお届けします。メニューはこちら。

  • 北極星を真上に見上げて
  • エスキモー女性の革パンツ続報
  • 国境の町〜フィンランド・カレリア地方
  • ヘレン・コルパク写真展+ザリガニパーティー
  • Jusin Maunula講演会
  • 島塚絵里さんと語るマリメッコのデザイン

北極星を真上に見上げて

今回、最初の報告はフィンランドから戻られたミホコさんから。

ポルヴォーやトゥルク、ヘルシンキといった街の様子や、現地の展覧会レポートなどがミホコさん自身のブログで綴られています。ブログのタイトルは、『無名戦士』の作者VäinoLinna(ヴァイノ・リンナ)による三部作『ここ北極星の下で|Taällä Pohjan tähdenalla』から。

なかなかフィンランドへ行くのが大変な時期でもありますが、フィンランドに対するミホコさんならではの視点も楽しいので、より深くフィンランドを知りたい方や、いつかのフィンランド旅行の参考にもおすすめです。まだまだ続くそうですので、ぜひ!

▶︎ 北極星を真上に見上げて

次に紹介してくれたのが、今月19日から始まる「フィンランド映画祭」について。さっそくチケットを確保したとミホコさん。またユカさんによると、今回一回しか上映しない『ガール・ピクチャー』に人気が集まっているそうです。そちらが観たいという方はお早めにどうぞ。

▶︎ フィンランド映画祭2022


エスキモー女性の革パンツ続報

二番目の報告は岩間さん。前回話題に上った“アアルトベース”の最初のネーミング“Eskimoerinden Skinnbuxa”について。この名前がいったいどこから来たものなのかが気になり、持っている本や資料などをあらためて調べてみたそうです。

初期のアールトはイタリアなどの影響を受け、新古典主義的な設計を多く残しました。ですが、突如トゥルンサノマット新聞社ビル(1929年)に代表される機能主義へと舵を切ります。「時代の流行などもあったかもしれないけれど、アールト、お前の身になにが起こったんだ」と言いたくなると岩間さん。

そんなドラスティックな変化のあるアールト。“アアルトベース”に見られる「波」のモチーフが現れたのは、ヴィープリ図書館(1935年)。音響設備の整っていなかった当時、広い講義室の奥まで声が届くようにと、天井を波形(反響させるため)にしたと一般的にはいわれているそうです。

“Eskimoerinden Skinnbuxa”という名前が現れたのは、翌1936年。1938年に、ラプアの町で開催された農業祭ために設計した建物は、そのまま“アアルトベース”の形をしたものだったそうです(調べてみると、そのパビリオンは“Metsä“という名でした。元祖メッツァ・パビリオン!)。またニューヨーク万博(1939年)のパビリオンの内装でも、その「波」のモチーフがありましたと岩間さん。

イ:まさかグリーンランドのイヌイットの画像まで調べるとは思わなかった、笑。
ハ:アールト(aalto|波)の名前は関係ないんでしょうか?
イ:そういう話もありますね。アールトって本名?
ミ:本名ですね。アールトはスウェーデン系ですが。
ハ:ネーミングの由来を知っている方はぜひ情報を。
イ:眠れないのでお願いします、笑。

最終的に“アアルトベース”と呼ばれていることからも、あまり名前にはこだわっていなかったのかもしれません。もしかしたら誰かに「アールトって名前なんだし、波でデザインしてみたらおもしろいんじゃない?」とかなんとかいわれてデザインしたなんていう可能性もあるかもしれないなぁと妄想がふくらみます。


国境の町〜フィンランド・カレリア地方

ヴィープリの話が出たところで、先日観たドキュメンタリー番組の話をユカさんから。舞台はフィンランドのカレリア地方。ロシアと国境を接するこの地域では、昨今の社会情勢で町の暮らしが一変したそうです。

ロシアから来る人たちを顧客にしていたお店が閉店せざる得なくなってしまったり、ロシアから移住してきた方のロシアに残っている親との関係、駅の検問所近くで営業しているレストラン、ロシアに買い物に行っていたフィンランドの年金生活者の方の話などが紹介されていましたとユカさん。

▶︎ NHKBS1「国境の町~フィンランド・カレリア地方~」

ハ:国境の町というのは他のフィンランドの地域と何か違う特徴があるんですか?
ユ:いえ、とくに変わらないような。
イ:前に国境を旅する番組があって、小さい町に大きなスーパーが並んでいたのを見たことがあります。
ユ:ありましたね。以前、イマトラを旅したことがあるんですが、当時は車が行列していました。
イ:影響がとても大きいだろうね。

そしてもうひとつ、ミホコさんからテレビ番組のお知らせ。

NHKスペシャル「超・進化論『植物からのメッセージ~地球を彩る驚異の世界~』」の中で、ミホコさんが翻訳された『フィンランド 虚像の森』(新泉社)に登場するエピソードが紹介されるそうです。放送は本日6日21時から(再放送は11月10日午前1:10~)。

▶︎ NHK「超進化論」


ヘレン・コルパク写真展+ザリガニパーティー

先週10月31日から11月4日にかけて、フィンランドセンター主催による『第五回スウェーデン系フィンラン人文化ウィーク〜Hallå Tokyo』が開催されました。「新しい顔ぶれ、新しい物語」をテーマに、これまで日本に紹介されていなかったスウェーデン系のデザイナーやアーティストの方々を迎えて、毎日さまざまなイベントが行われました。

そのうち、火曜日から表参道ars galleryで6日まで開催されていたヘレン・コルパク写真展。ユカさんは初日にガイドとして在廊しました。ヘレン・コルパクさんは美術評論家としての顔も持つ写真家です。

イ:ユカさんの知り合いの方もたくさん来られたのでは?
ユ:はい、友人、通りがかりの方やカメラを抱えた方まで、いろんな方がいらっしゃいましたね。
ミ:どんな感じの作品でしたか?
ユ:本職は美術評論家で、15年間にわたって妹を取り続けています。スナップや日常などの写真ですね。

その日はアーティストトークもあり、自分もオンラインで視聴しました。島で育ったヘレンさんは写真を勉強するため、16歳でヘルシンキへとやってきたそうです。5歳年下の妹をモデルに撮っている理由として、少女から女性へと変化していく様子を撮りたかったとヘレンさん。

また美術評論家として「アートってどうやってなにを観たらいいのですか?」という質問をよく受けるそうなのですが、「まずはリラックスして、自分自身がなにを感じるのかを考えてほしい。ルールはないので、難しく考えずに楽しんで作品を見てください」と仰っていました。「また今回の写真は日常を写したものなので、それらを見てご自身の日常の中の素敵な瞬間を思い出してくれたらうれしい」と。

そしてユカさんは、最終日のザリガニパーティーに参加しました。料理担当はリラ・ダーラナ。カンタレッリ(アンズ茸)のキノコトーストや、山盛りのザリガニをオープンサンドにして、デザートにはクランベリーのキャラメルソース。みんなでスウェーデンの歌をうたって、最後は恒例のLetkajenkkaへ。

イ:ユカさんのザリガニ愛は深いですよね。
ミ:ザリガニとお酒?
ユ:いえ、ザリガニです!
イ:ところでカンタレッリ、どうやって仕入れたのかな?
ユ:日本では毒キノコ扱いだったりしますね。

というわけで、アンズタケ(学名:Cantharelluscibarius)について少し調べてみると、日本のアンズタケは海外のものとは別種であるという研究結果が、信州大学農学部の山田明義准教授によって数年前に発表されていました。110年間、同種だと考えられていたそうです。日本固有種の学名は、Cantharellusanzutake。キノコの世界は奥深い。


Juslin Maunula 講演会

最後は自分の報告です。WAFINのSさんにお誘いいただき「Hallå Tokyo」の初日に開催されたJuslin Maunulaによる講演会に参加しました。

JuslinMaunulaは、建築とファッションを融合させるというコンセプトで設立された、建築家のリッリ・マウヌラさんとファッションデザイナーのラウラ・ユスリンさんによるデザインチーム・ブランドです。講演会当日はリッリ・マウヌラさんが登壇されました。

講演会の最初は、新しく着任されたタンヤヤースケライネン駐日大使のお話から始まりました。社会には多様性が重要であり、マイノリティを尊重するものでなければいけないということ。スウェーデン系の多く暮らすオストロボスニア地域はフィンランドで最も住みやすい場所だと言われていること。作家のサカリアストペリウスや作曲家のエーリク・ベリマンなど素晴らしい才能を持つ人たちがおり、歴史的にも文化的にも重要であること。など。

そしてリッリさんによるスライドを使った講演へ。artek(インスタレーション)、marimekko(デザイン)、Kalevala(ジュエリーデザイン)、Finarte(絨毯デザイン)、Tikkurila(コンセプト設計)といった、これまで手がけてきた様々なメーカーとのコラボレーションが紹介されました。

Juslin Maunulaが大切にしていることは、手作業を大事にすること、大胆なカラーコンビネーション、伝統にとらわれずオープンマインドであること、そしてサステナビリティなどについて問題解決者でありたいとリッリさんは話していました。またラウラさんとの間には、建築家/デザイナーといった垣根はなく、細部までシェアしながら、すべてを一緒に手がけているそうです。ちなみにリッリさんの尊敬する日本のデザイナーは倉俣史朗だそうです。

▶︎ Juslin Maunula


島塚絵里さんと語るマリメッコのデザイン

そして土曜日には、東京立川のGREEN SPRINGSで開催されていたTACHIKAWA LOPPISへ行ってきました。季節ごとに開催されているイベントですが、人出が戻り前回よりも賑わっているような印象でした。

大人気のistutのお菓子は、自分が到着した15時前にはすでに完売でした。今月18日から開催される東京蚤の市にも出店されますので、来場を予定されている方はお楽しみに。

ruskaのMさんともお話をすることができました。ARABIAの食器を中心に、オンラインショップではヌータヤルヴィのガラス製品も取り扱われています。直接手にとって、お店の方からお話をうかがうことができるのがこうしたイベントの醍醐味ですね。

そして今回一番の目的が、kinologueの森下さんとテキスタイルデザイナー島塚さんのトークショー「島塚絵里さんと語るマリメッコのデザイン」でした。マリメッコでも活躍された島塚さんのご紹介から、映画『ファブリックの女王』の日本公開の際おふたりでフィンランドの関係者たちの元へ訪れたお話、アルミ・ラティアが率いていた頃のマリメッコからグローバル化を進める現在の代表ティーナ・アラフータ=カスコについてなど、マリメッコにまつわるいろいろな話が聞けました。

島塚さんによると、マリメッコはやはり50年代から60年代にかけて偉大なデザイナーたちを擁していたことが大きい。アルミ・ラティアにチャレンジするように切磋琢磨しながらデザイナーと経営陣が一緒に作り上げていく姿勢や、若いデザイナーたちを積極的に採用していくといった核となる価値観は今も変わっていないのではないでしょうか、と。

マイヤ・イソラについては、古びない素晴らしいデザインを残しマリメッコらしさを作ったデザイナー。自由を大切にしていたのでフリーランスで活動しながら、いつもテーマを持って取り組んでいたところをリスペクトしているそうです。

また島塚さんは、実際にマイヤ・イソラに会ったことのある脇坂克二さんにその印象をうかがったことがあるそうです。「シャイで寡黙で、ネイティブアメリカンの酋長みたいだった。内側は情熱で燃えている」とか。アルミ・ラティアとマイヤ・イソラの対照的なふたりの関係性があればこそのマリメッコだったのかもしれませんね、と森下さん。

会場では、そんなマイヤ・イソラの映画が来年3月に劇場公開されることが発表されました。マイヤ・イソラ、そしてマリメッコのデザインがどこからやってきたのかなど、あらためて深く知ることのできる映画だと思います。マリメッコが好きな方やデザインに興味のある方はぜひ!


── 色とりどりの自然や、虫の声に落ち葉をふみしめる音、食べ物の香りに焚き火の匂い、握った手のあたたかさ、どうぞ素敵な秋をお過ごしください。それでは今回はこの辺で、次回もお楽しみに。

text:harada

#84|Autumn’s In The Air – Mercury Rev