一人というのはときに寂しいものですね、やはり。あるいは、年齢的なものからくる心細さもあるかもしれない。週末うっかり家族連れでにぎわう場所に行ってしまったときなど、どこにも自分の居場所がないようないたたまれない気分になることもある。
では、一人がわるいことばかりかというともちろんそんなことはない。わかりやすい言葉を使えば、まず自由がある。もっぱら自分のためだけに使うことのできる時間があるというのは、やはり贅沢ですばらしいことと感じる。自由を手にするための担保と思えば、その程度の寂しさ、たかが知れている。
永井荷風もスナフキンも、きっとこの点については同意してくれるのではないか。じっさい、永井荷風やスナフキンくらい達観してしまえばもはや寂しさなど感じなくなるのかもしれない。
寂しさの正体を欠如の感覚、つまり本来あるはずのものがないことからくるよるべなさだとするならば、それが本当にあるべきものなのか、なんとなくあったらいいなといった程度のものなのか、そのあたりはよく考えてみる必要がありそうだ。
もし、自分にとって真にあってしかるべきものならばそれにふさわしい行動をとればよいのだし、たんなる気の迷い(哲学者のアランが言うところの“情念”)にすぎないのであれば笑ってやり過ごせばいい。
答えはシンプル。
それだけにまた、むつかしい。
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text + photo : iwama