candle

それまで言葉としてしか知らなかった「白夜」というものを、じっさいに体験したのはいつだったろうか。一年でももっとも日が長くなる、たしか6月のフィンランドだったはずだ。

白夜と聞いて、漠然とながらさぞかし夜が明るいのだろうといった程度の想像は誰でもつく。だが、はたしてそれがどの程度の明るさかとなると、やはり自分でじっさいに体験してみないことにはなかなかピンとこないのではないか。

ぼくが、白夜なるものをはじめて体験したのはフィンランドでも南に位置する首都ヘルシンキだった。そこでは、時間を押し伸ばしたかのように陽はじわじわと傾いてゆく。ようやく夕暮れどきを迎えたのは、日付が変わるか変わらないかといった時間であったと記憶している。

長い夕暮れの後、しばらく街は水彩画のような淡い青に浸される。その静寂もあいまって、まるで松本竣介の描いた街に迷い込んだ気分だ。それは「薄暮」という表現がしっくりくる色であり時間であった。

数時間後、けっきょく完全な闇に街が覆われることはないまま、朝は何食わぬ顔で戻ってきた。

夜ほどには暗くなく、だが昼のように明るくもない。つまり、そういった時間が白夜なのだとそこでぼくは理解したように思う。そして、明るい夜でも、ましてや暗い昼でもない薄暮というあいまいな時間に、静かにゆらめくローソクの焔はじつによく調和する。

北欧の人びとが好んでキャンドルを用いる理由は、照明が不要なほど明るいわけではないが、かといって強い光を必要とするほど暗くもない薄暮の時間が長いからなのではないだろうか。そんなことも同時にかんがえた。

薄暮とはいえないまでも、梅雨時の東京もまた、かなりの時間を明るくもなく、だが暗いというほどでもない時間が占める。照明器具の煌々とした光はまだつけたくない。しかし、そうはいってもなにも明かりがないというのも侘しい。

そんな時間に、ぼくは北欧の人びとにならってキャンドルにあかりを灯してみるのだ。

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text + photo : iwama