Aakkosetとは、フィンランド語でアルファベットのこと ──。
Moiのスタッフがそれぞれ思いつくまま自由に選んだフィンランドのことばから、ささやかな日常の風景をお届けします。
今回のアルファベットは【O】です。
白飯
国連の世界幸福度ランキングで、フィンランドは4年連続第一位だったという。これは、一人あたりの国内総生産(GDP)のような経済指標だけでなく、他者への寛容さや国への信頼度といった主観的な評価をも盛り込むことでより実際の感覚に近いところで『幸福度」を比較しランクづけしようという試みである。
ところで、ぼくの愛読書にフランスの哲学者アランが著した『幸福論』がある。アラン先生は、幸福であるために、ひとは不幸に陥らないようくれぐれも用心する必要があるという。そして、不幸に陥らないためにもっとも重要なのは不要な「情念」に囚われないことである。
ここでサッカーを例にとってみる。サッカーをやっていたり、スポーツ観戦が趣味のひとにとって、サッカーは「おもしろい」ものだろう。反対に、サッカーにまったく興味がなかったり、なにかよくない思い出があるひと(ワールドカップの年に彼女とケンカ別れしたとか)からしたら「サッカーなんてつまらない」と言い放つかもしれない。
同じサッカーがあるひとにはおもしろく、また別のひとにはつまらない。しかし、これは言うまでもないことだが、「サッカー」自体がおもしろくなったり、あるいはつまらなくなったりするというわけではない。自分で自分の「情念」をサッカーに投影して、おもしろがったりつまらながったりしているという、ただそれだけのことである。サッカーは、ただのサッカーに過ぎない。
アラン先生に叱られるのを覚悟で言えば、この世界の、もしかしたら子どもや恋人も含め自分以外の存在のすべては「白飯」のようなものかもしれない。しかし、面倒くさいことに、人間は自分以外の存在に対して自分の「情念」を投影せずにはいられない生きものである。
白飯に、頼まれたわけでもないのに勝手にカレーをかけてみたり、天ぷらをのせたり、野菜のうま煮をかけたりして、カレーライスや天丼、あるいは中華丼にしようとする。そして、カレーをかけたつもりなのに「親子丼」だったと言っては怒ったり、悲しんだり、落ち込んだりするのである。こうしてひとはぐいぐい不幸に絡め取られてゆく。
幸福なひとは、カレーライスは「情念の産物」であることを知っている。カレーライスとは、白飯に自分の望みでカレーをかけたものに過ぎないからだ。だから、必要に応じていつでも「白飯」と「カレー」とを分けて捉えることができる。情念という敵の正体さえ知ってしまえば、世界は白飯とおなじくらいシンプルであたたかく感じられるだろう。幸福への、それが最初の一歩となる。
Onnellinen = しあわせ
text : iwama
フィンランドをもっと好きになる
学ぶ。習う。勉強する。そういうことが好きという方はどのくらいいるでしょうか? かつて学校へ通っていた頃にはあれだけ試験や宿題が面倒に感じていたのに、いま思うとなにを嫌がっていたのだろうと不思議な気持ちになることがあります。もしかしたらただ忘れているだけかもしれませんが。
近頃では知らないことを知ることや新しいことを教わることはなかなか楽しいことだなと感じることが多くなってきました。とはいえなにかの役に立つか立たないかというのはあまり関係なさそうです。大きな目的もはっきりとした理由も。「そんなことだから身につかないのだ!」ともうひとりの自分の声が聞こえてきそうですが、まあまあ落ち着いて ──。
今いちばん関心があるのはもちろんフィンランドのこと。フィンランドや北欧が好きというみなさんどなたもとても詳しくいろいろな経験をされているので自分にはまったく敵いません。それでもそれぞれに愉しまれている様子を眺めながら、みなさんを惹きつけるフィンランドの魅力はどこにあるのだろうといつも考えています。
以前フィンランドにはいろいろな入り口があると聞きました。森や湖といった自然はもちろん、アートやデザイン、建築、ファッション、音楽、スポーツ、サウナに歴史、そしてその暮らしなど。そう、ムーミンも忘れてはいけません。突然ぽんと飛び込んだ自分には入り口もなにもなかったのですが、毎日フィンランドの情報にふれたり、話を聞かせてもらったりする中で、自分にもフィンランド的ななにかがあることに気づきました。とくに自然や季節に対する姿勢や想い、哲学のようなものへの共感。
そうこうしているうちにいつのまにかフィンランドがちょっと好きになっていたようです。
え?!ちょっと? と笑われてしまうかもしれません。それでも1日1日、昨日より好きになれているような気がします。フィンランドがとても好きな人から、ちょっと好きな人、これから好きになるかもしれない人に、もっと好きになってもらえるように、これからもじっくりと好きになっていけたらいいなと思っています。
学習というのは好きになった瞬間、楽しみに変化します。どうして好きになるのかといえば、共感する部分を自分の中に見つけることができたからではないでしょうか。反対にいえば何かを好きになることで元々あった自分自身の好きな部分に気づくような。それは好きなものが多ければ多いほど自分をもっと好きになれるということなのかもしれません。
さて、もうひとりの自分はわかってくれたでしょうか、笑。
Opiskelu = 学習
text : harada