Aakkoset とは、フィンランド語でアルファベットのこと ──。
Moiのスタッフがそれぞれ自由に選んだフィンランドのことばから、ささやかな日常の風景をお届けします。

今回のアルファベットは【 I 】です。

Ihana

ヤバい

声に出して言う

長引くステイ・ホームで、知らない場所をあてもなく散策したり、ひとと会って他愛のない会話に興じたりする機会がすっかり減ってしまいました。なにより深刻と思われるのは、この一年半あまり、なにかに感動したり、それを他人と共有したりする時間もまた薄れてしまっていることです。

たとえば、見事な夕焼けを目にして感動するのは大切ですが、じつはそれにも増して重要なのは「きれい」と口に出して言うことです。「すごい」でも「ヤバい」でもいいのだけど。

声に出して言うことで、ひとはその瞬間をだれかと分かち合うことが可能になります。仮にひとりだったとしても、ことばによって、ひとはいま心が動いたことを手応えをもって知ることができるのです。

うっとりと夕日に見とれているとき、それはカメラにたとえれば、ファインダー越しに世界をふたたび見出しているのと同じです。そしてその世界は、シャッターを切るかわりに「きれい」と声に出して言うことではじめて自分の心に定着します。一葉の写真みたいに。

ことばにすることは、その意味で、いつでも好きなときに開くことのできるアルバムをつくるようなものです。アルバムが分厚ければ分厚いほど、もしかしたらひとはこの長いステイ・ホームを耐え抜くことができるのかもしれません。

大人はとかく、「カワイイ」や「ヤバい」を連発する若者に眉をしかめがちですが、すてきな景色をたくさん発見し、パシャパシャと素早くシャッターを切りまくるその姿をぼくはとてもうらやましく感じます。白く曇ったレンズを拭かなければならないのは、むしろ大人のほうかもしれません。

text : iwama

Ilta

夕暮れ

帰り道の記憶

前回のコラムで岩間さんが書いていた「青い時間」。その少し前にはまた別の時間が流れていますね。オレンジの時間、夕暮れです。

太陽が沈んでいくと空がオレンジ色に染まる。毎日のように繰り返されて、何度も何度も眺めてきた景色なのに、どうしていつも美しいと感じてしまうのだろう。どうしてだろう、なぜだろう、そんなふうに答えを見つけられないことこそが美しいと感じる理由なのかもしれない。

懐かしさや郷愁というものを想うとき、思い浮かぶのはそんな夕暮れどきの帰り道のこと。きっと終わったばかりのきょう一日の出来事を心の中でふと思いかえす時間だからなのだろう。楽しかったことや後悔したこと、うれしかったことや恥ずかしかったこと。毎日の回想の記憶が積み重なっているから、帰り道そして夕暮れはいつもどこか懐かしい。

思い出すことや振り返ることはどこか後ろ向きな印象があるけれど、大切にしたいという気持ちの表れなのだとおもう。いつかすべてを忘れてしまう時がやってくるとしても、その時がくるまでは覚えていたい。たとえなんの意味もなかったとしても。 うん、生きることって意味じゃない。

街の夕暮れも好きだけれど、やっぱり海の夕暮れがいちばんいい。空と海のあいだ、水平線の向こうにゆっくりと消えていく太陽。ああそうか、夕暮れを最後まで見届けることができるから、そうおもうんだ。少しでも長くその時間の中にいたいと願うから。

夕陽が眩しいのは、これまでの記憶が輝いているからだよ、きっと。

text: harada

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