aakkoset

Rakastaa|Runo

Aakkosetとは、フィンランド語でアルファベットのこと ──。

Moiのスタッフがそれぞれ思いつくまま自由に選んだフィンランドのことばから、ささやかな日常の風景をお届けします。

今回のアルファベットは【R】です。


愛する

これは自分もふくめての話だけれど、外見や生活環境などが自分と似ている相手に対し無自覚的に“近しさ”といった感情を抱いてしまうということがある。

しかし、言うまでもないことだけれど、それは一方通行の思い込みにすぎない。あるいは、願望といっていい。

ひとは誰しも個別の人格をもっており、それは絶対的なものだ。たとえ血を分けた家族といえどもそれは変わらない。

にもかかわらず、自分に似ているというだけで物事の感じ方や考え方まで似ているのではないかと勝手に思い込んでしまう。そして、その思いが伝わらないととたんに怒り出し、悲嘆にくれ、裏切られたなどといって駄々をこねるのだ。

ネットに流布する韓国や中国に対するヘイトスピーチのなかには、こうした一方的な“近しさ”の感情が受け入れられないことへの苛立ちに端を発すると思われるものもすくなくない。

見た目も似ているし地理的にも近いのになんでこんなに考え方や感じ方がちがうのか、と。これが、たとえば南米やアフリカのひとでも同じように思うだろうか。

だが、この一方的に抱いた“近しさ”の感情は裏を返せば「自分のことを理解してくれて当然だ」「相手も自分とおなじように感じるはずだ」という傲慢さのあらわれでもある。そこには、一個の人格をもつ他者に対するリスペクトが決定的に欠いている。初対面の相手にいきなり距離感ゼロで接触するような話ではないか。

そして、それを「片思い」と「愛」のちがいと言ってもいいかもしれない。

ところで、フィンランド語の学習につきまとうむずかしさのひとつに「R」の発音がある。巻き舌が日本語の発音にはないため、どうしても訓練が必要になる(ただし“江戸っ子”を除く)。これがうまくできないと、「R」と「L」の違いが判りづらくなってしまうのだ。

もちろん、フィンランド人がオギャーと泣くかわりにルルルと巻き舌で叫びながら生まれてくるわけではない。ちゃんと練習するのだそうである。

それでも、なかには練習してもうまく巻き舌を習得できないフィンランド人もいるらしい。知り合いのフィンランド人から聞いた話だ。そしてそういうひとは、「Rakastaa」がうまく発音できないためいざというとき愛の告白ができないのだそうだ。

本当だろうか?

aakkoset

Rakastaa = 愛する
text : iwama


詩とフィンランド

「翻訳された詩は、詩なのでしょうか?」 ── かつて詩人の管啓次郎さんにこんな質問をしたことがある。この先、直接お会いできることは一生ないかも知れず、とても失礼なことだと承知のうえで、どうしてもこの機会を逃したくないと思ってのことだった。

別の言語に翻訳された時点で「詩」のなかにある魔法は消えてしまう(と考えていた)。それなのにどうして翻訳された「詩」というものが存在するのだろうか。「詩」とは語り得ないものを言葉にするものだから、単語の選び方や行間、時代やその背景を知っているかどうかによって理解の深さが大きく異なるはず。いや、そもそもこの理解という言葉が「詩」にはそぐわないのかもしれない。理由を解読することなんて、「詩」というものからいちばん遠くにあることだと思うから。

だとしたら「詩」がわかるというのはどういうことだろう。管さんは「詩はどこにでもある」と言った(とても詩的な言い方で。ここで管さんから聞いたそのままを言葉にするとやはりその瞬間に自分の感じたきらめきが消えてしまう)。それはきっと「詩」を見つけることができるのは自分でしかないということ。「詩」を読むことは、自分のなかにある「詩」と出会うことなのだと思った。

詩は自分のなかにある。

それは「フィンランド」についても同じように考えられるかもしれない。

「フィンランド」や「北欧」というとき、その言葉の表面にあるイメージにとらわれすぎないようにしようと考えてきた。幸か不幸か、自分には「フィンランド」に関する知識も「北欧」へのあこがれもほとんど持ち合わせていなかったため、真っさらな気持ちで見つめることができた。

「フィンランド」に夢を見ること、「フィンランド」の現実を語ること、「フィンランド」を楽しむこと、「フィンランド」を消費すること、それぞれにそれぞれの「フィンランド」がある。そこで自分にできることといえば、一歩離れて「フィンランド」を翻訳すること。もしかしたらそれはもうすでに「フィンランド」ではなくなっているのかもしれない。けれど「フィンランド」を通して、自分の大切にしているモノや、ヒトや、コトを伝えることができたらいいなと考えている。

そしてもうひとつ。ここにも「フィンランド」があるよ、あそこにも「フィンランド」があるよ、と気づかれにくい「フィンランド」のありかを指さすこと。もしもそこからあなただけの「フィンランド」を見つけてもらうことができたなら。

フィンランドはあなたのなかにある。

aakkoset

Runo = 詩
text : harada