Aakkosetとは、フィンランド語でアルファベットのこと ──。
Moiのスタッフがそれぞれ思いつくまま自由に選んだフィンランドのことばから、ささやかな日常の風景をお届けします。
今回のアルファベットは【N】です。
煙草を吸うひと
ムーミンの作者として知られるトーベ・ヤンソンが、ひとりのアーティストとして一歩を踏み出すその「前夜」を描いたフィンランド映画『TOVE/トーベ』がいま公開中です。
公開されたスチール写真のなかで印象的な一枚に、アルマ・ポウスティ扮する若きトーベが煙草をふかしながらキャンバスに向かう姿をとらえたものがあります。ここ最近の映画としては珍しく、この『TOVE』では劇中ほかにも数多くの喫煙シーンが登場します。
じつは、トーベ・ヤンソン自身なかなかのヘビースモーカーだったらしく、この映画と同じ頃、26歳のときには『煙草を吸う娘』と題された自画像も描いていますし、毎夏を過ごした無人島暮らしを記録した『ハル、孤独の島』という映像作品でもくわえ煙草で作業をするトーベとパートナーのトゥーリッキの姿を見ることができます。どうやら、トーベにとって煙草は生涯なくてはならない友人のような存在だったようです。
そんなわけですから、ムーミンに登場する「スナフキン」という名前が「嗅ぎ煙草のお兄さん」といった意味であることを知ったときにもさほど驚きませんでした。スナフキンが、「嗅ぎ煙草」ではなく、物語ではパイプの愛用者であることが不思議に思われたくらいです。
ちなみにトーベ・ヤンソンの母語はスウェーデン語であったため、スナフキンはSnus mumrik(スヌス・ムムリク)」と表記されます。フィンランド語では舌を派手に噛みそうなNuuskamuikkunen(ヌースカムイックネン)という名前になりますが意味は変わりません。名前ではなくあだ名、「ほら、ときどきテントを張っているあの“嗅ぎ煙草のお兄さん”」って感じでしょうか。
ところで、20年ほど前に初めてフィンランドを訪れた際、街で煙草を吸っている人が多いなあという印象を持ちました。そこで日本とフィンランドの喫煙率について調べてみたのですが、毎日喫煙する人の割合は日本16.7%に対しフィンランド12%(OECDによる2019年のデータ)と日本の方がずっと多いのです。要は、早くから屋内での喫煙が禁止されていたフィンランドでは建物の外に出て一服する人が多く、より目についたということだったようです。
その一方で、喫煙者の男女比ではフィンランドが男女ともに大きく変わらないのに対し、日本では男性と女性とで大きな開きがあります。成人男性の喫煙率は、日本では27.1%と女性のおよそ3.6倍です。女性だけを見れば、喫煙率はフィンランドの方が日本よりも1.4倍ほど多いということになります。
些細なことですが、こうしたデータからも日本とフィンランドのちがいが薄っすら見えてくるような気がするのですが、さて、いかがでしょう。
Nuuskamuikkunen = スナフキン
text : iwama
涙の別れ
Näkemiin. この言葉を耳にしたり、目にしたりすると、頭の中にすぐセミの姿が浮かんできます。
毎年、夏が終わりに近づくといつまでセミは鳴いているのだろうと、その鳴き終わる日を気にしています。自分の中ではセミの声が聞こえなくなったら秋になった証拠です。いつから秋がはじまるのかどうしても知りたいのです。
しかし聞こえていることに気づくことは簡単なのですが、聞こえなくなったことに気づくのはなかなか難しいものです。ああ、そういえばここ1週間ほど聞いていない──。それではいつ秋になったのか正確にはわかりません。
たいていそんな感じで、来年こそは秋のはじまりを見極めたいと誓うのですが。
ところでこの「さようなら」という言葉が好きです。さようならは苦手だけれど、そう、言葉のほう。「左様なら」、そのあとに続く言葉を言わないところがよいです。みなまでいうな、わかっておる(武士になった気分で)。ひかれる後ろ髪をたちきるようなその言葉を、話せるようになった幼児から、おじいさん、おばあさんまで口にするのですから。
そして「それならば」と手を振る。さて、誰かと別れるときどうして手を振るのでしょう。悲しみを抑えきれなくて涙を流す代わりでしょうか。別れるもの同士が余計な言葉を喉の奥にとどめるためでしょうか。それともここにいるよという存在証明でしょうか。
セミは夏に別れを告げます。現時点では10月7日が今年最後の夏の日でした。手も振らず、振り返らず、「それじゃ」となにも言わずに消えていくクールな感じもいいけれど、さんざんミンミン泣いたあと、さっと姿を消すセミもそれはそれで正直でいいなぁなんて。
泣けミーン。
Näkemiin = さようなら
text : harada