レトロスイーツ 魅惑の洋菓子天国

大正時代から昭和にかけて登場し愛されたモダンでクラシックなレトロ菓子を紹介します。

レトロスイーツってなに?
2018.5.8|sweets

先生! レトロスイーツってなんですか? ーーそんな質問がよいこのみんなから飛び出す前に、まずちょっとその定義について説明しておきましょう。

下記の3つのうち、どれかひとつ以上あてはまるものをここでは「レトロスイーツ」と呼びたいと思います。

1. レトロな洋菓子
2. レトロな菓子店
3. 洋風の和菓子

まず【レトロな洋菓子】とは、おもに明治、大正から昭和の初期にかけて日本に紹介され、広まり、その時代の人びとによって食され、愛された洋菓子を指します。それらはもともとは西欧から入ってきたものですが、当時の環境や職人の技術などさまざまな制約によって日本独自のスタイルに微妙に変化していきます。また、そうしたプロセスにおいて生まれた日本人の手によって考案された「メイド・イン・ジャパンの洋菓子」もここに含みます。

洋菓子の黎明期、明治、大正から戦前に創業した【レトロな菓子店】には、その歴史に裏打ちされた技術やこだわりがそれぞれあるものです。ゆえに、こうしたお店で考案された洋菓子には、たとえその「商品」じたいの歴史は浅くともやはりそうしたお店ならではの「感性」が隅々にまで行き渡っているとかんがえます。店の伝統に根ざしたクラシックな菓子、それがここに分類されます。

西欧から遠く離れた島国ゆえに誕生したハイブリッド、それがここで言う【洋風の和菓子】です。日本における洋菓子のルーツをたどってゆくと、たとえば「凮月堂」のようにもともとは和菓子舗としてすでにその礎を築いていたお店もすくなくありません。こうしたお店では、和菓子の職人たちが見よう見まねで西洋菓子を作り上げてゆくなかで日本人の嗜好に合わせたり、またときにはたとえば餡子のような和菓子の素材、製法を応用した「洋風の和菓子」が創作されました。このブログは日本ブランドの洋菓子をおもに紹介してゆくものですが、和菓子の店でしばしば目にする商品がここに含まれるのは以上のような理由によります。

ここまで読んでいただいてすでにお分りのとおり、「レトロスイーツ」とは、つまり西洋菓子との「未知との遭遇」によって開かれた新たな日本の食文化を意味しています。そしてだからこそ、「レトロスイーツ」はただたんに懐かしさだけでなく、目を輝かせながら「洋行帰りの伯父さん」のみやげ話に夢中になる少年のように、いつだってわたしたちの舌をワクワクさせよろこばせてくれるのです。

なお、このブログではひとつの記事につきひとつのお菓子をご紹介します。構成は、つぎの4つのパートからなっています。

・その商品、店に対する個人的な印象、思い入れなど
・味の紹介 あらかじめ筆者の個人的な感想であることをお断りしておきます
・うんちく お店の歴史、商品にまつわるエピソードなど
・基本データ お店の創業年、お菓子の発売年、ウェブサイトなど

なお、最後に記事を執筆した年月日を記しておきます。お店の移転、閉店、価格の変更などについては逐一データの訂正は行いません。あくまでも執筆時点での情報であり、またひとつの記録であることをご了承ください。

時事新報社家庭部編『東京名物食べある記』昭和5(1930)年より銀座千疋屋の店内風景

モロゾフのカスタードプリン
2018.5.9|sweets

◎ かため原理主義者のためのプリン

不意に、どうしようもなくプリンが食べたくなる。いますぐプリンが食べたい。そんな経験、きっと誰にだってあるだろう。いや、あるはずだ。きっとあるよ。少なくとも俺にはある。

そんなときは、近くにデパートがあればモロゾフの「カスタードプリン」を、コンビニやスーパーしかなければアンデイコの「こだわり極プリン」を買う。かんたんに入手でき、しかもどちらもハズレがない。

一、生地はかため
一、カラメルソースは苦め

という厳格な評価基準をクリアした「かためプリン原理主義者」のための身近な逸品。とりわけ、モロゾフのカスタードプリンは、はじめて口にした子供の時分からずっと変わらず〝心のベストテン第1位〟に君臨している。

開封前のカスタードプリン。尊い。

◎ 変わらないことのよさ

卵と牛乳のさっぱりとした味わい。香料はあくまでも控えめ。ずっと変わらないなつかしい味だ。

レトロスイーツの魅力は、まず「変わらないことのよさ」にある。見た目もそうだし、味もそう。変わらないからこそ、はじめて口にした幼いころの幸福な記憶に容易にアクセスすることができるのである。だから、たとえ巷でなめらかなプリンがもてはやされそうとも決して日和ってはほしくないのだ、モロゾフのプリンだけは。

皿にうつしたカスタードプリン。すごく尊い。

◎ モロゾフのプリンは「東京生まれ」

そのルーツを遡れば神戸へとたどりつくモロゾフではあるけれど、公式サイトによれば、意外にもこのプリンは「東京生まれ」ということになるらしい。

昭和37(1962)年、「銀座にほど近い場所に開業したモロゾフ日石ショップという喫茶店」のオリジナルメニューとしてそれは誕生した。「モロゾフ日石ショップ」の場所は定かではないが、店名に「銀座の近く」「1962年開業」というキーワードを掛け合わせて推理すれば、それはおそらくかつて内幸町の西新橋交差点にあったビルディング「日石本館」(1962年8月竣工)のテナントだったと思われる。いずれにせよ、もともと喫茶メニューであったものが、その評判により全国販売されるいまやモロゾフの看板商品にまで成長したというわけである。

また、モロゾフのカスタードプリンといえばガラス製の容器に入っていることでもおなじみだが、これも喫茶メニュー時代に陶製の容器で焼成されていたことの名残である。もちろん理由はそれだけではなく、「内部までじっくり均一に加熱できるため、絶妙なやわらかさを保ちつつカラメルソースの浮きを押さえ、おいしさをやさしくそっと閉じ込め」るという〝効能〟があるそうだ。プラスチックでいいから50円安くして! などとつい考えてしまう自分の思慮の浅さに反省しきり。

◎ DATA

店舗名/モロゾフ
創業年/昭和6(1931)年 ※公式サイト記載のデータに基づく
商品名/カスタードプリン
発売年/昭和37(1962)年 ※喫茶メニューとして
価 格/300円+税
購 入/全国のデパート、駅ビルなど
WEB/http://www.morozoff.co.jp
※2018年5月10日現在(最新情報は各自ご確認ください)

◎ おまけ

美味しくいただいた後の空き瓶で、特製「コーヒーゼリー」を手作りしてみました。

豊島屋の鳩サブレー
2018.5.10|sweets

◎ 堂々の第3位

あるマーケティング会社が日本全国の銘菓の「認知度」について調査したところ、北海道の「白い恋人」、静岡県の「うなぎパイ」につづいて第3位にランクインしたのがこの豊島屋の「鳩サブレー」だった。京都の生八つ橋や長崎のカステラ、三重の赤福餅よりも上位である。関東で生まれ育った自分にとっては、物心ついたときからよく目にし、また口にしていた身近な存在ではあったが、まさかここまで「メジャー級」だとは思いもしなかった。正直おどろいた。

◎ 鳩サブレーはハトのかたちをしているからえらい

「鳩サブレー」は、ハトのかたちをしている。発売された明治の末から、若干の変化はありつつもずっとハトのかたちをしている。いやいや、これはなかなかすごいことじゃないか。実際、もしただの丸いかたちだったなら、はたしてここまで人気商品に育っただろうか?

考案した豊島屋の初代は、鶴岡八幡宮の本殿に掲げられた「八幡宮」の「八」の字が向かい合ったハトのデザインになっていることから「ハト型」を思いついたというが、抜き型をデザインし、さらに目や羽を描き込むやり方は練り切りをつくる発想に近い。いかにも和菓子屋的だ。つまり、サブレという洋菓子に和菓子職人の発想がミックスされて「鳩サブレー」は誕生したのである。とはいえ、これにより「たい焼き」同様、アタマからいくか? シッポからいくか? という葛藤もまた生じたわけであるが……。

もうひとつ、開封するときギザギザから破るのではなく、あえて袋の端をハサミで切ってみてほしい。すっとサブレを引っ張り出せるかと思いきや、ぴったりはまっていて取り出せないのだ。持ち帰るとき、袋の中で暴れて割れてしまうことのないよう計算されているのである。もらったハトがぜんぶ割れていたら悲しいからね。「認知度第3位」の裏には、じつはこんな工夫が隠されていた。

◎ シンプル素材が引き出す対応力

さて、ひと口かじってみよう。──粉と卵と砂糖の味しかしない!! 実際のところ、原材料の表記をみてもこれらに膨張剤が加わるだけである。そうか、牛乳すら使っていなかったか。選びぬかれた素材×奇跡の配合。これぞ、こうしたシンプルな材料をつかったお菓子の「おいしさの方程式」である。

さらにもうひとつ、これが「鳩サブレー」の最大の武器でもあると思うのだが、素材がシンプルゆえどんな飲み物とも合うのである。コーヒー、紅茶はもちろん、ぼくはもっぱら日本茶とともにいただくことが多い。緑茶の苦味に、カルメ焼きのような焦げ砂糖の香ばしい香りと甘みがぴたりとハマる。また、ホットミルクは小腹がへったときに。ロングセラーの秘訣は、この、相手を選ばない「対応力」にあるとみた(そういえばイチロー選手も、「球の速さ」や「飛距離」以上にメジャーリーガーとして通用するために必要なのは「対応力」であると断言してたっけ)。

◎ サブレーでよかった

サブレには、どこか懐かしい響きがある。鳩ビスケットでは感じが出ないし、鳩クッキーでもしっくりこない。だからといって鳩せんべいというわけにもいかないだろう。やはりそこは「鳩サブレー」じゃなきゃダメなのだ。

ところで、調べてみるとサブレーの語源についてはいくつかの説があり、真偽のほどについてははっきりしない。

たとえば、「sablé」がフランス語で「砂っぽい」という意味をもつところから「砂のように」さっくりした食感を指しているという説。また、フランスのサブレ=シュール=サルトという地方でそれがつくられたからその土地の名前を採ったのだという説。さらには、17世紀に実在したサブレ公爵夫人の名前に由来するという説もある。料理自慢で甘いものに目がない夫人が、このお菓子でルイ14世紀をもてなしたのだとか……云々。

たまたま西洋人からもらったお菓子の味に感激し、手探りでこのほろほろした甘い焼き菓子の試作を重ねていた豊島屋の初代は、ある日、それを口にした友人で欧州航路の船長がこう言うのを聞いた。「コイツはワシがフランスで食ったサブレーちゅう菓子に似とるゾ!?」。初代はこれによって初めて「サブレー」なる焼き菓子の存在を知ったのだが、ふだんは語感がなんとなく似ているというただそれだけの理由から、「三郎」「鳩三郎」などと呼んでいたのだそうだ。亡くなるまでずっとそうだったという。

ということは、もしもすっかり「三郎」が気に入ってしまった初代が強引にそれを商標にしていたら、あるいはいまごろ日本中のサブレは「三郎」と呼ばれていたかもしれない。そうだ、ココナッツサブレじゃなくて「ココナッツ三郎」だ。だれなんだ? 芸人かよ。

鎌倉みやげに頂いた本店オリジナルのパッケージ。時期的に(?)修学旅行生バージョン。

◎ DATA

店舗名/豊島屋
創業年/明治27(1894)年
商品名/鳩サブレー
発売年/不明(明治30年代後半~40年代初め)
価 格/600円+税(5枚入り)
賞味期限/製造日より常温で40日
購 入/鎌倉本店ほか、神奈川県、東京都内のデパート等、オンラインショップ
WEB/http://www.hato.co.jp
※2018年5月8日時点(最新情報は各自にてご確認ください)

◎ おまけ

鳩サブレーが好きすぎて、ひたすら〝鳩サブレー〟を自作しつづけている方のブログがスゴいです。

参考資料:
◎ 鎌倉豊島屋公式サイト
◎ お土産菓子の全国認知度ランキング~ネタとぴ
◎ 池上俊一『お菓子でたどるフランス史』(岩波ジュニア新書)

上野凮月堂の「東京カステラ」
2018.5.15|sweets

◎ まぼろしの〝東京〟カステラ

カステラの起源はといえばもちろん長崎ということになるわけだが、じつはかつてここ東京には専用の銅釜で焼いた東京独自のカステラ、「長崎カステラ」に対して「東京カステラ」とでも呼ぶべきカステラの別バージョンが存在したという。そして、そんな話を小耳に挟んでからしばらくたったころ、上野にある「凮月堂」ではいまでも昔ながらの製法によってその「東京カステラ」が作られているということを知ったのだった。そこで、東京都美術館で開催中の「プーシキン美術館展ーー旅するフランス風景画」を観にいったついでに、さっそく「凮月堂」のある上野広小路まで足を伸ばしてみた。

◎ はしっこ好きにはたまらない「六面焼き」と「江戸っ子好み」のさっぱり味

昨年(2017年)11月にリニューアルした上野凮月堂本店で、その「東京カステラ」は食べることができる。建物は1階が菓子類の販売とイートイン、2階がレストランというつくりで、以前のいかにも「喫茶室」然とした佇まいとくらべるとずいぶんモダンな印象に変化した。フロアには大きなテーブルとカウンター席が用意されており、店内での飲食は先に入口右手のレジで支払いを済ますというセルフスタイル。

噂の「焼きたて東京カステラ」はプレーンが1個300円(税込)。お好みでハチミツ、ホイップクリーム、小倉あんなどのトッピングや、表面をバナーであぶるカラメリゼなども可能。今回はあまりゴチャゴチャさせたくなかったので、おすすめのホイップクリーム(80円)のみプラスしてみる。

さて、まずは見た目から。こんがりキツネ色のキューブ型。和菓子の「六方焼」を思い出す。大きなサイズを一枚焼きにした上で切り分ける「長崎カステラ」に対し、専用の釜でひとつひとつ焼き上げるのが特徴の「東京カステラ」は外側の六面すべてに焼き目がついているので、パンの耳、お菓子のはしっこが大好きというひとにはもうそれだけでたまらないはず。

ナイフとフォークがついてくるが、思いのほかしっかり外皮が焼けているのと弾力性があるのとでかなり切りづらい。口に放りこむ。水飴を使わないため、おなじみのカステラ特有のしっとり感はなく、甘さも控えめ。紅茶といっしょにお皿にひと切れ、ふた切れのせられて登場しがちな「長崎カステラ」よりは、だいぶドレスダウンした質朴な味わいといえる。

ブールミッシュの創業者でお菓子の歴史についてたくさんの本を著している吉田菊次郎は、この素朴な「東京カステラ」をめぐって、「幾分のアレンジはあったにせよ、これこそが日本に伝わったカステラの原形に近いものと申してよいかと存じます」と述べている(吉田菊次郎『西洋菓子彷徨始末』(朝文社)。「長崎から京に上がり、時間をかけて芸術的に昇華されていった奔流とは別に、江戸に飛び火した一部が、あまり物事にこだわらない江戸っ子気質よろしく、たいして手も加えられずそのままの製法ですなおに伝承されてきたもの」と考えてよいのではないか、と(同上)。となれば、ここはひとつ江戸っ子らしく(?)手づかみでムシャムシャ頬張りたいところである。

断面(上手に切れなかった……汗)

◎ 凮月堂こそ日本の洋菓子の源流のひとつ

競馬好きのあいだではおなじみのトリビアのひとつに、すべてのサラブレッドの血統をさかのぼるとたった3頭の牡馬にたどり着くというのがあるが、日本の洋菓子店をその師弟関係、本家分家、シェフの系列といったつながり、つまり「血統」からたどってゆくとおおむねふたつの系統に行き着くのだそうだ。ひとつは、かつて外国航路を運航していた「日本郵船」の厨房出身者たち、そしてもうひとつがここに取り上げた「凮月堂」である。

現在の「凮月堂」は、まず初代から続く「本店」の系統と、5代目の下で番頭をつとめ、のれん分けを受けた米津松蔵の「米津凮月堂」の系統というふたつからなる。

本店の伝統を現在も受け継ぐのは、明治38年に「分店」として開業した「上野凮月堂」である。昭和30年代に総本家である「本店」が休業してしまったため、現在「本店」の流れを直接汲むのはこの上野凮月堂のみとなっている。

明治6年にのれん分けされた「米津凮月堂」は、松蔵のふたりの息子によって引き継がれてゆく。長男の和吉は2代目松造として両国若松町の「米津凮月堂」を継ぎ、次男の恒次郎は南鍋町(現在の銀座6丁目)に「米津凮月堂分店」を開く。

進取の気性に富んだ恒次郎は、明治17年から明治23年までアメリカ、イギリス、そしてフランスで洋菓子、そして西洋料理を学んで帰国、「米津分店」のメニューにはこの成果がたっぷり注ぎ込まれる。菓子のみならず、戦前「南鍋町の風月」がうまい西洋料理を食わせる店として永井荷風や古川ロッパらに贔屓されたのは、まさに恒次郎の業績あってのものだろう。また、この「分店」からはのれん分けにより横浜、大阪、長野、甲府、函館など日本全国に「支店」が誕生している。そしてこれらの「分店」「支店」から巣立って、その後日本の洋菓子界を背負って立つことになる者もいた。横浜の「米津凮月堂」で菓子職人への第一歩を踏み出した「コロンバン」創業者、門倉國輝がそうである。

◎ DATA

店舗名/上野凮月堂
創業年/明治38(1905)年 ※凮月堂本店の創業は宝暦年間にまでさかのぼる
商品名/焼きたて東京カステラ
発売年/不明(江戸時代?)
価 格/プレーン300円(税込)
購 入/イートインのほか公式サイトでも購入可
WEB/http://www.fugetsudo-ueno.co.jp

霧笛楼のマドレーヌ(プレーン)
2018.5.16|sweets

◎ 「新発売」のマドレーヌ

到来物の霧笛楼の「マドレーヌ」。横浜の元町に店をかまえる仏蘭西料理店「霧笛楼」には残念ながら一度も入ったことはないが、いっとき、そう、もうずいぶんと昔になるけれど、よくこの界隈を徘徊していたので店の名前を聞いただけで少しなつかしい。

調べてみると、この「マドレーヌ」はごく最近、今月(2018年5月)の初めに店舗限定で先行発売をはじめたばかりの商品らしい。それにしても、なぜ? あえていま? マドレーヌなんだろう。マドレーヌといえばレトロ菓子のなかでも定番中の定番、しかも家庭でも気軽に作られるお菓子のひとつであり、ましてやいまそれが流行っているというわけでもない。となれば、店の名前を賭けたよほどの自信作と思っていいのではないだろうか。どうやら、これは期待できそうだ。

◎ ツンデレ系

このマドレーヌを手にしたとき、まさか「新発売」とは思いもよらなかった。だって、見て、このパッケージだよ。なんとも「レトロ」な雰囲気を醸し出しているではないか。完全に騙されました。

そもそも、「霧笛楼」が開店したのは昭和56(1981)年のこと。よって、このブログで定義する「レトロな菓子店」にはあたらない。ただ、開港当時のヨコハマをブランドコンセプトにしているだけにこのような落ち着いたパッケージになったのだろう。なかなかよいと思う。

かたちは貝殻型ではなく、平たい菊の花状の円形。本来マドレーヌといえば貝殻型なのだが、日本に伝わったときに他のお菓子と間違えて円形型が広まってしまったのだとか。こういう「齟齬」にまた、〝レトロスイーツ〟の面白さがある。

ふっくら膨らんだ表面はほどよくキツネ色。ただし気泡が多く見た目はさほどよくはない。ところが、ひとくち齧って驚いた。ーー「え? マドレーヌってこんな美味しかったっけ?!」

はたして写真から内側のキメ細やかさが伝わるかどうか…… さっくりした食感、口の中でほろほろ崩れると同時に粉の香りが一気に広がる。外側の無骨さとは裏腹に、なんて中身の繊細なことか。まさにツンデレ系。ちなみにレモンは使っていないようだ。もし横浜に住んでいたら、これを手土産にするときっとよろこばれると思う。

◎ ムッシュウ・バロスの思い出

マドレーヌの生まれ故郷は、フランス・ロレーヌ地方の都市コメルシー。かつてコメルシーの駅では、マドレーヌを一杯に入れたカゴを首からさげた女性たちが到着する長距離電車を待ってマドレーヌを売り歩くという「峠の釜飯」的な光景が繰り広げられていたという。その後、鉄道網の発展とともに一地方の郷土菓子であったマドレーヌも各地へと広まり、知られるようになり、ついには世界的にも愛される銘菓へと成長したのである。

学生時代、フランス語を教えてくれたムッシュウ・バロスはなかなかユニークな人物で、役者をやったり、またアールヌーヴォー期の絵はがきのコレクターとしても有名なひとであったが、そのムッシュウ・バロスがよくこんなことを言っていたのをいまでもときどき思い出す。──ガレットやブイヤベースを食べようと思えばパリでも食べられる。でも、それはほんとうじゃない。ほんとうのガレットを食べようと思ったらブルターニュへ、ほんとうのブイヤベースを食べようと思ったらマルセイユへ、君たちは行かなきゃだめなんだ。

いつかコメルシーの、ではなくコメルシーでマドレーヌを食べてみたいものだ。

コメルシー駅の「マドレーヌ売り」たち(19世紀後半)

◎ DATA

店舗名/横濱元町 霧笛楼
創業年/昭和56(1981)年
商品名/マドレーヌ(プレーン)
発売年/2018年5月
価 格/216円/個(税込)
購 入/2018年5月18日現在、霧笛楼元町仏蘭西菓子店のみにて先行発売中。
WEB/http://www.mutekiro.com

神戸屋100周年記念「サンドウヰッチ物語」
2018.5.22|sweets

◎ 昭和12年のハムサンド

通りがかりにふと覗いたら、パン屋の神戸屋のショーケースに見慣れないパッケージを発見した。中身は、ごくシンプルなハムサンドが3切れ。パッと見には寂しいが、「1937(昭和12)年 世界一周飛行を終えた純国産飛行機の帰国歓迎式 そこに集まった外国のお客様が召し上がったサンドイッチ」を再現とのふれこみに負け、スイーツではないのについついうっかり手が伸びた。

説明によれば、これは今年2018年11月に創業100周年を迎える神戸屋が、それを記念して発売する「復刻シリーズ」のひとつとのこと。しかも、一ヶ月間のみの限定発売と聞けばやはり買わない手はない。

そこで今回は、レトロなスイーツを取り上げるというこのブログの趣旨からはいきなり外れるが、この〝レトロな軽食〟を「箸休め」ならぬ「匙休め」と称して特別にご紹介しようと思う。

◎ 大阪で産声をあげた〝神戸〟屋のひみつ

神戸屋は、「神戸屋」というくらいだから「神戸のパン屋」なのだろうとずっと思っていた。調べる気にすらならないくらい当然の事実、そのくらい固く信じていた。ところがなんとこの「神戸屋」、じっさいには大阪が発祥のパン屋さんであった。

「神戸屋」という屋号ついては、創業者がかつて神戸のパン屋ではたらいていたころ、大阪へ「神戸のパン」を配達、販売していたことに由来するという。港町「神戸」にはむかしから、いや、おそらくいま以上にハイカラなイメージがあったろう。そしてそのイメージが、じっさい「パン」という舶来の食べものを売る上では大きな武器になる。創業者の桐山政太郎は、パンを売り歩くという経験を通じてそのことを身をもって実感したのではないか。そういう嗅覚もまた「商才」のうちだ。

大正7(1918)年、「神戸屋合資会社」として大阪に産声をあげた「神戸屋」は、昭和11(1936)年5月に直営の「神戸屋今池店」をオープンさせる。これはいまでいうところの「ベーカリーカフェ」ということになるが、当時はまだパン料理や飲み物も楽しめるパン屋の存在は珍しかったし、給仕してくれる店員たちの制服姿も話題になった。そして、この今池店の成功が翌昭和12(1937)年4月、無事ヨーロッパから帰着した「神風号」の歓迎式典で来賓にふるまうためのサンドイッチを製造するという大役をもたらすきっかけとなる。

昭和12(1937)年5月21日正午過ぎ、欧亜連絡飛行94時間17分57秒という世界記録を樹立した純国産の偵察機「神風号」は、東京への帰還に先立って大阪の城東練兵場に姿をあらわす。当日はあにくの雨模様にもかかわらず、地上では5万人もの人びとが〝英雄〟の凱旋を祝った。着陸した「神風号」の搭乗員ーー飯沼正明操縦士と塚越賢爾機関士のふたりは、オープンカーに乗せられて格納庫を会場にした歓迎会へと向かう。そして、この「歓迎会」の場でおもに列席した外国人らにふるまわれたサンドイッチこそ、ここに復刻された〝1937年のハムサンド〟の原型にほかならない。

◎ 人力作業でこしらえられた1万人分のサンドイッチ

神戸屋に残された記録によると()、当日受注したサンドイッチの数はなんと1万人分!!! とはいえ、いま使われているような性能の良いスライサーはもちろん、冷蔵庫すらないような状況のなかで1万人分のサンドイッチを製造するというのはあまりに無謀であり、沸き立つ祝勝ムードに押されるようなかたちで「損得抜きで注文を受けた」という。

残念なことに、当時いったいどのようなサンドイッチがつくられ、どのように提供されたのか、その記録は残っていないらしい。そこで、高性能のスライサーもなく、冷蔵庫もないような状況のもと1万人分のサンドイッチを人力で製造するとしたら…… というシミュレーションのもと検討を重ねた末、いわばひとつの結論としてつくりあげられたのがこのレシピなのである。

中身は、熟成ロースハム、ファットスプレッド(油脂の割合が低いマーガリン)、ディルの風味のピクルスのみ。ハムは、二つ折りにしているものを重ねているので見た目以上にボリュームがある。ほんのり香るディルが爽やかで全体に「上品」な印象。パンも、生野菜が使われていないため水っぽくなっていないのがいい。標準的な、ハム+レタス+からしバターのハムサンドよりも個人的には旨く感じられた。

◎ おまけ

「100時間の壁」を突破して無事ロンドンに到着した「神風号」は、その後ヨーロッパ各地への親善飛行へと飛び立つ。昭和12(1937)年4月16日、ベルギーの首都ブリュッセルの飛行場に着陸した「神風号」は、やはりここでも熱狂的な歓迎を受ける。さらにここでは、もうひとつ、ワイドショー的なネタも生まれた。

ブリュッセルでは、当時の駐ベルギー大使・来栖三郎が「神風号」のふたりを飛行場で出迎えた。太平洋戦争の歴史にもしばしば登場、その名前が刻まれる外交官である。このとき、花束贈呈の役目をふたりの少女が引き受けたのだが、ひとりは大使の令嬢「輝」であり、もうひとりはちょうどベルギーに留学中だった当時17歳の天才ヴァイオリニスト諏訪根自子だった。

諏訪根自子は、「神童」「天才」と評価される実力もさることながらその美少女ぶりでも騒がれる存在だったため、この「神風号」の乗組員への花束贈呈というセレモニーは日の丸を背負って世界にはばたくヒーローとヒロインとの出会いといったドラマティックな調子で報じられ紙面を飾った。当時の彼女の音源を聴きつつサンドイッチをパクつくというのも、また一興かも。

◎ DATA

店舗名/神戸屋
創業年/大正7(1918)年
商品名/100周年記念サンドウヰッチ物語「熟成ロースハムサンド」
発売年/2018年5月1日(5月末までの期間限定&数量限定)
価 格/530円+税
購 入/神戸屋各店舗
WEB/http://www.breads-studio.com
※情報は2018年5月21日現在のものです。

参考資料:
萩谷由喜子『諏訪根自子 美貌のヴァイオリニストその劇的生涯』(アルファベータブックス)
深田祐介『美貌なれ昭和 諏訪根自子と神風号の男たち』(文春文庫)

イナムラショウゾウの特製苺ロール
2018.5.27|sweets

◎ みにくいあひるのこ

ロールケーキにはどこか、アンデルセン童話の「みにくいアヒルの子」のようなところがある。れっきとしたケーキでありながら、その発祥はいまひとつ明らかでない。また、ケーキ屋での扱われ方もなんとなくぞんざいだ。じっさい古い記憶をたどってみると、ケーキ屋よりはむしろ、それはよくスーパーの棚であったり鄙びたたたずまいのパン屋の陳列棚で見かけられた気がする。専門店まで登場するほど、いまやロールケーキの世界は百花繚乱である。それでもなお、その「主戦場」はやはりコンビニやスーパーなのではないだろうか。

そんななか、実力派パティシエの手になる渾身のロールケーキが存在する。パティシエ・イナムラショウゾウのスペシャリテ「苺ロール」がそれである。それはいかにも「ロールケーキらしい」ロールケーキでありながら、フランス菓子店の陳列棚に似つかわしい、まさに〝優美なハクチョウ〟のようなロールケーキなのである。

◎ 渦巻きに隠された職人の技

谷中の、というより谷中墓地の一角にその店「パティシエ イナムラショウゾウ」はある。便利な立地というわけではない。売り場面積わずか3坪ほどのこじんまりとした店にもかかわらず、そこではいつも警備員のおじさんがドアに張り付いて訪れる客の整理をしている。すごいなあ、と唖然とするも、そういう自分だってロールケーキを買うためだけにわざわざ谷中まで来ているのである。

ところで、そもそもロールケーキとはなにか? ごくかんたんに言ってしまえば、それは平たく焼いたスポンジケーキにクリームもしくはジャムを塗りくるくると巻いただけの素朴な菓子であり、またその素朴さを慈しむ菓子といえる。たしかに見栄えはいいかもしれないが、個人的には、色とりどりのフルーツをいっしょに巻き込んだりするのは感心しない。ロールケーキの素朴さを楽しむ上でそれは蛇足だからである。

イナムラショウゾウの「特製苺ロール」は、てっぺんのイチゴの飾りを取ってしまえば、スポンジケーキ、いちごジャム、それに生クリームというシンプルなつくりである。そうそうそれでよいのだ、ロールケーキは。「分かってるなあ」という感じ。

しかしそうなると、さて、どこにこだわればよいのか? その答えは、渦巻きにある。薄めに焼き上げたスポンジケーキをしっかり巻き込んだイナムラショウゾウの「苺ロール」は、そうすることで最後のひと口まで同じバランスでケーキと自家製いちごジャムの甘酸っぱい香りとが口の中に広がるよう周到に考え抜かれているのだ。まさしく正真正銘のロールケーキでありながら、しかしそんじょそこらのロールケーキとは一緒にしてはいけない逸品。レトロスイーツとしてのロールケーキが、こんな具合に思いがけない飛躍を見せるあたり日本の洋菓子の世界の面白さだとつくづく思う。

◎ ロールケーキに似合う器(うつわ)

素朴なレトロスイーツには、ちょっと懐かしいガラスのお皿を合わせてみたい。古道具屋で気に入ったものを見つけられればそれに越したことはないが、現実には理想的な器と巡り会うのはそうたやすいことではない。そこで、イーッタラ、ヌータヤルヴィなどと並ぶフィンランドを代表するガラス工房「Muurla(ムールラ)」のプレートなどおすすめである。

デザインは、リストマッティ・ラティア。彼は「マリメッコ」の創始者アルミ・ラティアの息子で、これはおばあちゃんの家で過ごした日々を回想した「ノスタルジー」というシリーズのひとつ。その名の通り、1950年代の暮らしぶりを彷彿とさせる質素で無骨なデザインが、ロールケーキの穏やかな渦巻きを引き立ててくれることだろう。

◎ DATA

店舗名/パティシエ イナムラショウゾウ
創業年/平成12(2000)年
商品名/特製 苺ロール
発売年/2000年?
価 格/480円(税込)
購 入/パティシエ イナムラショウゾウ 東京都台東区上野桜木2-19-8
※持ち帰りのみ
WEB/http://www.inamura.jp
※2018年5月25日現在

浅草アンヂェラスの「アンヂェラス」
2018.5.29|sweets

◎ 私的「浅草みやげ(レトロスイーツ部門)」第一位の逸品

和菓子なら向島の言問団子や梅園の粟ぜんざい、亀十のどら焼きに、焼き菓子なら観音裏のルスルス…… 浅草散歩のおみやげはいろいろあるけれど、レトロスイーツ好きならやっぱりどうしたってこれは外せない。昭和21年創業の喫茶店「アンヂェラス」の名物にして、屋号をそのまま商品名にしたロールケーキの「アンヂェラス」である。

手土産には、まず3つの条件を備えていることが望ましい。第一に「味」。これはもちろん。第二に「見た目」。そして最後にもうひとつ、「パッケージ」である。

さて、今回ご紹介する「アンヂェラス」だが、「味」については次の項でくわしく述べるとして、まずは「見た目」である。定番は、ビターなチョコレートとホワイトチョコの2種類。大きさは直径3センチ、長さ9センチほどの棒状で、シックな外観がレトロ菓子にふさわしい。バタークリームを使っているため、日持ちが冷蔵庫で5日間と長めの設定になっているのも贈りもの向きだ。

そして「パッケージ」だが、こちらもまたレトロスイーツらしい凛とした空気を漂わせている。4本以上の場合、パリの街並み(モンマルトル?)が描かれたオリジナルの包装紙を掛けた紙箱に、銀色のリボンをきりっと結んで手渡してくれる。こういう包みは、やはりそういう「よさ」の分かるひとにこそプレゼントしたいと思わせる。

◎ 浅草に残されたささやかな奇蹟

海苔巻きという「下地」があるせいか、日本でのロールケーキ人気は他のどの国よりも高く思われる。当然、ひとくちにロールケーキと言っても、さまざまな趣向を凝らしたオリジナルのレシピが数多く存在する。「アンジェラス」はなにより、まるごと1本が一人分という切り分け不要のロールケーキというところがユニークだ。ロールケーキまるごと一本食べたい!!! そんな欲求を無理なく叶えてくれるのだ。なんて素晴らしい!!!

ダークチョコレートは、ココアのスポンジにコーティングのチョコレートは甘過ぎない大人の味わい。コーヒーとの相性もいい。一方、ホワイトチョコレートはやや甘みが強めで、こちらは紅茶や緑茶など少し渋みのあるお茶といっしょに楽しみたい。そして、どちらも中に使われているのはバタークリーム。小ぶりながらも満足感があるのは、なによりこのコクのあるバタークリームの旨味あってこそ。

いまや世界中からたくさんの人びとが訪れる国際観光都市「浅草」の片隅に、こんなシックな洋菓子を提供する店が残っていることはささやかな〝奇蹟〟だとぼくには思えてならない。

◎ 「絵を洗う」話

レトロなお店を愛好することの楽しみのひとつに、思いがけず本や映画の中でそのお店と出くわす楽しみが挙げられる。洲之内徹は、作家であると同時に独自の審美眼で数多くの画家たちに光を当ててきた美術商としてもよく知られている。その洲之内徹の随筆をあつめた代表作『気まぐれ美術館』(新潮社)のなかに「アンヂェラス」が登場する。

彼は、浅草に行くと「ほぼ無意識に、条件反射のように」アンヂェラスに立ち寄りコーヒーを飲むことを習慣としていた。あるとき、店内に飾られた森芳雄の油絵がたばこの脂と埃でひどく汚れていることに気づく。いちど気づいてしまったが最後、どうにも気になって仕方ない。とうとう「絵を洗わせてほしい」旨を画家本人を経由して店に頼み込んだ洲之内は、後日めでたく店の了解を得て助手の女性とふたり一日中「アンジェラス」の三階にこもって絵を洗い、額にガラスを嵌めてほっとする。

帰り際、みずから願い出たことだからと報酬を断る洲之内らに、店の主人は「ケーキらしい」箱をふたつそれぞれに持たせてくれたという。「ケーキらしい」というのは、彼が箱の中身を確認しなかったからである。ひとり暮らしではケーキなど持て余してしまうと連れの女性にそのままあげてしまったというが、もしかしたら、その箱の中身は「アンジェラス」ではなかったか? だとしたら、冷蔵庫にしまって毎日少しずつ楽しむこともできたのに…… 筋金入りの「甘党」からすると、まったく洲之内はもったいないことをしたものである。

◎ 「礼拝堂」をイメージした落ち着いた喫茶室

お菓子もだけど、じつは「アンヂェラス」の内装も気に入っている。どこか地方の町の片隅にひっそりたたずむ木造の教会のような落ち着いた空間。じっさい調べてみると、クリスチャンだった創業者が「礼拝堂」をイメージしてつくったのだとか。先代みずからデザインした椅子やテーブルといった調度もかわいらしく、模様替えするならこんな雰囲気を参考に…… と思わず似たような家具を探してしまった。

◎ DATA

店舗名/アンヂェラス
創業年/昭和21(1946)年
商品名/アンヂェラス
発売年/不明
価 格/330円(税込) 箱入り 4本1,320円(税込)〜
購 入/浅草「アンヂェラス」
住 所/東京都台東区浅草1-17-6 月曜定休
WEB/http://www.asakusa-angelus.com

レトロスイーツのある風景 #1
2018.5.31|sweets

昭和9(1934)年4月に公開された松竹映画『限りなき舗道』(成瀬巳喜男監督)より。

ロケに使われているのは、銀座6丁目の電車通り(現「中央通り」)東側にあった喫茶「コンパル」。いまGINZA SIXが建っている場所にあたる。 ガラス面を大きくとった明るい店内。その窓の向こうを路面電車が走る。

鉄板でホットケーキを焼くコックは白衣に帽子、蝶ネクタイ。

ホットケーキの上にはまん丸いバター。四角いバターを板で挟んでぐりぐりやると丸いバターができる。むかし実験したことがあるが、きれいな球状にするには力加減が重要。ちょっとしたコツが要る。

この年の秋「コンパル」は失火により全焼してしまうので、いまとなっては貴重な映像だ。

あんですMATOBAの「シベリヤ」
2018.6.4|sweets

◎ 仮説「シベリアはどこからきたか?」

人間は挟みたがる動物である。ーー美味しいものを美味しいものでサンドしたら、ものすごく美味しいものができるんじゃないか、そう考えるのはごく自然なことである。生まれながらに持ち合わせた人類の本能である。子供のころ、好みの厚さにスライスしたチーズをうす焼きせんべいで挟んで食べることにハマり、すんでのところで肥満児になりかけたぼくが言うのだから間違いない。

水ようかんをカステラでサンドした「シベリア」というお菓子がある。最近では、ジブリ映画『風立ちぬ』でその存在を知ったというひともけっこういるようだ。この「シベリア」が登場したのは明治時代の終わり、あるいは大正時代の始めごろと言われている。ただし、どこの誰が最初につくったのか? その点についてははっきりとしない。そりゃそうだ。思うに、「シベリア」は日本のそこかしこで、おそらくほぼ同時多発的に生まれたにちがいないのだから。

「シベリア」が誕生した当時、「カステラ」と「ようかん」といえば数あるお菓子の中でもとりわけ人気のある、いわば〝ツートップ〟といった存在であったろう。そんなあこがれのお菓子ふたつを前に、「挟みたい……」という欲求にとらわれた人間はけっして一人や二人ではなかったはずだ。そこかしこにいた。少なく見積もっても全国の津々浦々に数十人、あるいは百人くらいはいたかもしれない。そして、ついにその野望を叶えた者、つまり「ようかんをカステラで挟んで食べた者」は、当然、周囲の人間をつかまえてその〝武勇伝〟を自慢せずにはいられなかった。「あのさ、ようかんをカステラで挟んで食べてみたらめっちゃ美味しかったんだよね」。

もちろん、それを聞いた者はさっそく自分もためしてみたにちがいない。まだやっていない誰かをつかまえて自慢するために、である。伝言ゲームじゃないが、なかにはカステラをようかんで挟んでしまうおっちょこちょいもいたかもしれない。そして、耳ざとい商売人たちはさっそく商品化して自分の店の棚に並べた。それが評判となり、広く世間に「シベリア」が認知されるに至ったのである。--もちろん、証拠はない。

◎ あんこ屋さんのシベリア

浅草の観音裏の交差点、かつて吉原に遊びにゆく男たちが馬の背に揺られて通った「馬道」にもほど近い一角に「あんですMATOBA」なるパン屋はたたずんでいる。一見したところ、こう言ってはなんだが、とりたててこれといった特徴もないごくふつうの街場のパン屋である。ところが、じつはこの「あんですMATOBA」、そのルーツを大正13(1924)年にまでさかのぼることのできる「あんこ屋さん」のアンテナショップなのである。

母体は業務用の餡を製造販売している「的場製餡所」という会社で、関東大震災の翌年に日本橋の箱崎町にて創業、終戦後になってここ浅草に移転したと会社案内には書かれている。製餡所のパン屋さんだけに、主力商品はもちろんあんぱんである。つぶあん、こしあんにはじまり、かぼちゃ、ずんだ、栗、焼き芋と20種類ものあんぱんが並ぶ店頭は圧巻だ。なかには、うぐいすあんを中に入れてしまった「メロンあんぱん」などという〝武闘派〟まで存在する。そんななか、ひっそり冷蔵ショーケースに鎮座ましましているのが「シベリヤ」※ である。

ところで、ときどき勘違いをしているひとがいるけれど、カステラのあいだに挟まっているのは「あんこ」でも「ようかん」でもなく「水ようかん」であり、またそこが重要なポイントでもある。カステラという甘いケーキで挟んでいながらもベタベタしすぎず、また重くなりすぎないのは、なによりそれが「水ようかん」だからと言っていい。おそらくこのかたちに落ち着くまでにはさまざまなドラマがあったのではないか。

さて、その「あんですMATOBA」の「シベリヤ」だが、玉子の味のしっかりするきめ細かいカステラとさっぱりめの水ようかんのバランスがすばらしい。アガーでなく、寒天で固めた水ようかんだったらこうはいかなかったろう。それぞれが主張しすぎると、「あ、いまオレの口の中にはようかんさんとカステラさんがいるな」と感じてしまいがちだが、この「シベリヤ」ではそういうことはない。ベストフレンド。あんこ屋さんのつくった「シベリア」は、あんこを知り尽くしたプロなればこその精妙なバランスを感じさせるつくりなのだった。 ※「シベリア」については、「シベリア」と「シベリヤ」というふたつの表記が混在している。「シベリア」という表記のほうが一般的なようだが、レトロスイーツ的には「シベリヤ」という表記も捨てがたい。たとえば『甘話休題』の古川緑波は「シベリヤ」と書いている。今回の「あんですMATOBA」の場合、商品名は「シベリヤ」である。そこで、具体的に商品に関する記述の部分では「シベリヤ」、一般的にこの菓子全体にかんする記述については「シベリア」と使い分けた。

◎ DATA

店舗名/あんですMATOBA
創業年/大正13(1924)年「箱崎製餡所」として創業
商品名/シベリヤ
発売年/不明
価 格/220円(税込)
購 入/ホームベーカリーあんですMATOBA
住 所/東京都台東区浅草3−3−2
WEB/http://www.matoba-seian.co.jp/andesu
※2018年6月1日現在

マツヤのロシアチョコレート
2018.6.6|sweets

◎ 「モロゾフさんのチョコレート」が食べたい

きっかけは一冊の本だった。革命の混乱の中、祖国ロシアを脱出し、たどりついた神戸で亡命者としてチョコレートをつくり、広めたモロゾフ父子の波乱に満ちた生涯を描いた川又一英『大正15年の聖バレンタイン:日本でチョコレートをつくったV.F.モロゾフ物語』(PHP研究所)である。

かいつまんで紹介すると、モロゾフ父子は、現存する菓子メーカー「モロゾフ」の創業者である。大正15(1926)年に神戸で産声をあげた「モロゾフ菓子店」は、それまでの国産チョコレートの常識を覆す手の込んだ高級チョコレート菓子により在留外国人や富裕層の邦人らを主な客層として人気を得たが、昭和11(1936)年、契約上のトラブルから父子は会社を離れ、それと同時にみずからの名前であるにもかかわらず「モロゾフ」という屋号を掲げることを禁じられてしまう。やむなく、「バレンタイン菓子店」、戦後は「コスモポリタン菓子店」という屋号で店を切り盛りし、平成18(2006)年に廃業するまで80年間にわたって日本の地でチョコレートをつくりつづけた。

つまり、モロゾフ父子直系のチョコレートは「モロゾフ」から「バレンタイン菓子店」へ、さらに戦後になって「コスモポリタン製菓」へと受け継がれ、その廃業とともに途絶えたことになる。しかし、食べられないとなるとよりいっそう食べたくなるのが人情というもの。なんとか食べることはできないか、どこかにこれらの店で修行し、その後独立開業したひとはいないものか……。そんなことをかんがえて調べてみたところ、新潟にある「マツヤ」という菓子店の創業者が戦前、モロゾフ父子のもとで修行時代を過ごしたひとであることがわかった。しかも、代替わりした現在も「ロシアチョコレート」を店の看板商品として掲げていると知り、「モロゾフさんのチョコレート!」とさっそく買いに走ったのだった。

◎ ロシアにはない!? ロシアチョコレートの謎

マツヤの公式サイトによれば、先代の松村喜代司は、戦前ロシア人の職人の下で「ロシアチョコレート」の製造技術を身につけたということになっている。

先代、松村喜代司は昭和2~3年頃に当時の「モロゾフ」(現:コスモポリタン)で修行し、チョコレートやキャンディー作りの技術を学びました。修行を終えた後は、東京のチョコ・キャンディメーカー「タガミ」にてチーフを努める等し、その後独立。東京目黒でチョコレートショップ「ローヤルチョコ」を開きました。

昭和2、3年ごろとすると、「モロゾフ菓子店(コンフェクショナリー・F・モロゾフ)」がそろそろ軌道にのり、製造力を高める目的で日本人の職人を起用し始めた当初ということになる。このころはまだ息子のバレンタインも修行中の身であったことから、松村がそこで教えを受けたのはおそらくハルビンから連れてきた職人だったろう。彼らもまた命がけで祖国を離れ、行き場を失った白系ロシア人たちであった。

さて、ではモロゾフ父子がつくりマツヤにその伝統が引き継がれている「ロシアチョコレート」とは、はたしてどのようなものなのか。

一応、ロシアチョコレートとはポマードカと呼ばれるクリームやドライフルーツ、ゼリーなどをチョコレートでくるんだお菓子ということになるが、ざっと調べてみたかぎり、おそらく「これがロシアチョコレートだ」といった明確な特徴や定義は存在しないのではないか。さらに言えば、「天津丼」が中国に存在しないのと同様、「ロシアチョコレート」なるお菓子も現在のロシアには存在しない。それは帝政ロシア時代、貴族や裕福な商人に愛された高級チョコレート菓子のことを指し、モロゾフ父子が、革命を逃れて外国に渡った白系ロシアの職人の手を通して「ロシアチョコレート」として日本に広め、定着させたものだからである。

◎ ロマンを味わうチョコレート

いよいよ「マツヤ」のロシアチョコレートを食べてみる。

マツヤのチョコレートは、マトリョーシカをかたどったこの化粧箱も人気のひとつだ。じっさい、プレゼントにしたら喜ばれそう。箱を開けると、中には色とりどりの包装紙にくるまれたチョコレート菓子が1個ずつ12種類。イラストもレトロでかわいいし、なによりデザイン的にはキリル文字がいい味わいを醸し出している。

ロシアチョコレートは、まず「センター」と呼ばれる中身をつくり、それをチョコレートでコーティングしてつくられる。最初にあげた『大正15年の聖バレンタイン』には、職人たちが厨房でチョコレートをつくる様子が描かれているが、その光景とマツヤの公式サイトで公開されている「作業工程」とをくらべてみるとほぼ変わっていないことがわかる。手作業による戦前のチョコレートづくりが、驚くことにほぼそのまま現在にまで引き継がれているのだ。ひとつひとつ、愛おしみつつ口に運びたくなる。

たとえば「チョコクリーム」は、まずベースとなる練乳と砂糖を煮詰めてつくったポマードカにビターチョコを加え、大理石のボードの上に流して冷やし固める。次にそれを一口大に切り分け、チョコレートでコーティングしたら出来上がり。濃厚でまろやかなリッチな味わい。バレンタイン ・F・モロゾフがつくったこのチョコレート菓子に、父親のフョードルは「ムーンライト」という美しい名前をつけて店に並べた(『大正15年の聖バレンタイン』)。

12種類の味は同封のリーフレットにそれぞれ説明されてはいるが、ここはひとつ包装紙の好みでチョイスして、どんな味と出会えるかという楽しみ方をおすすめしたい。栄華をきわめた帝政ロシア時代のチョコレート菓子が、はるか遠い極東の島国に漂着し、根付き、いまもひっそりと可憐な花を咲かせている。マツヤのロシアチョコレートの隠し味は、ロマンである。

モロゾフ父子の生涯について興味を持たれた方には、いま入手しやすい本としてこちらがおすすめです。

『チョコレート物語 一粒のおくり物を伝えた男』佐和 みずえ

◎ DATA

店舗名/ロシアチョコレートの店 マツヤ
創業年/昭和5(1930)年 「ローヤルチョコ」として東京・目黒にて創業
商品名/ロシアチョコレート
発売年/昭和5(1930 )年?
価 格/1,280円(税抜き) 12個入りマトリョーシカ化粧箱
購 入/そごう横浜店催事にて購入 オンラインでも購入可
住 所/新潟県新潟市中央区幸西1丁目2-6
WEB/http://www.choco-matsuya.com
※2018年6月5日現在

レトロスイーツのある風景 #2
2018.6.8|sweets

佐藤ちひろさんの刺繍によるショートケーキ。

佐藤さんは、デンマークで出会った「エスカ」と呼ばれる刺繍入りの小箱を日本に紹介している作家さんです。写真は、佐藤さんがほどこした刺繍をポストカードにしたもの。

ところで、日本ではおなじみの「ショートケーキ」ですが、じつは外国には存在しないって知っていましたか? まさに〝日本生まれの洋菓子〟なのです。起源については諸説ありますが、一般に広く知られるようになったのは昭和30年代以降ではないかといわれています。フレッシュなイチゴに生クリームをたっぷり使うショートケーキにとっては、鮮度こそがなにより肝心。ショートケーキが普及するには、家庭用冷蔵庫の普及が必須だったというわけです。

クリームの純白とイチゴの赤、こうして刺繍にしてもよく映えます。

横浜・喜久家のラムボール
2018.6.12|sweets

◎ 「港」のスイーツ

港町には「港のおんな」がいるように、また「港の菓子」がある。横浜の元町に店をかまえる喜久家の「ラムボール」は、まさにそんな「港の菓子」のひとつ。

ところで、港にはふたつの「顔」がある。外国からの「入口」という顔と、外国への「出口」という顔である。日本にやってくる「洋菓子」も、ほぼこのふたつの「顔」を経由している。カステラや金平糖、ボーロといったお菓子は、よく知られるようにポルトガルから長崎の出島という「入口」をとおして日本に到来した。神戸や横浜といった居留地に暮らす外国人から日本の職人に伝わったレシピもすくなくない。

そのいっぽうで、外国へと渡った日本の料理人が寄港地でたまたま口にし、それがきっかけとなって日本でもつくられるようになったレシピもある。前者が受け身であるのに対して、日本人がじっさいに本場のものを口にし、日本人の口に合うかをよく吟味したうえで日本の食材や風土環境、当時の設備に合わせてアレンジしているという点でこちらはより積極的といえる。

こうした日本から出て未知の甘味と遭遇した人びとの多くは、当時日本郵船の外国航路でパンやデザート作りに携わっていた職人たちだった。吉田菊次郎『西洋菓子彷徨始末〜洋菓子の日本史』によれば、日本で洋菓子づくりに携わっている人びとのルーツをさかのぼると大きくふたつの流れに分類することができ、そのひとつが「日本郵船」出身者の流れだという。そしてじっさい、今回とりあげる「ラムボール」をつくっている喜久家の創業者・石橋豊吉もまたかつては「日本郵船」の外国航路でパンや菓子を焼くベーカー部門ではたらく一人であった。

大正13(1924)年の創業当初からつくられていたという「ラムボール」の発祥(※)についてははっきりとしたことはわからない。居留地だった横浜では、こういうお菓子をつくって欲しいという外国人からのリクエストに応えてつくられるようになったものも少なくないという。この「ラムボール」が、あるいはそういうお菓子のひとつだった可能性はじゅうぶんある。ただ、欧米ではクリスマスのお菓子としてポピュラーな「ラムボール」だけに、ある年のクリスマスにどこか停泊した港町でこれを口にした石橋氏がそのレシピを持ち帰り、後にじぶんの店でつくり売るようになったとかんがえるとなんとなくロマンティックではないだろうか。

※横浜ではホテルニューグランドもまたラムボールをつくっているが、こちらは終戦直後、GHQに接収されていた時代に持ち込まれたレシピが起源とされている。

参考記事:
元町の老舗洋菓子店「喜久家」のオリジナルスイーツ「ラムボール」誕生秘話を徹底レポート! はまれぽ.com

◎ ラム好きのラム好きによるラム好きのための

喜久家の「ラムボール」は、1個がゴルフボールくらいの大きさのチョコレート菓子である。パティスリーのケースに並んだ独創的で華やかなケーキに慣れてしまった目には、ずいぶんと大人しく映るのはいたしかたないところ。じつは、この「ラムボール」がボール状の、正真正銘の「ラムボール」になったのは昭和10年くらいのことで、それまでは大きく焼いたものを四角く切り分けて売っていたのだとか。四角だった時代にはどういう商品名で売られていたのだろう……。

さて、今回は、その「ラムボール」を2個購入。バラの花が描かれた専用の化粧箱がまたなんとも昭和な雰囲気で、レトロスイーツ愛好家にはうれしい。さっそくふたを開けると、とたんにラム酒の芳醇な香りがふわっと立ちのぼり鼻腔をくすぐる。

「ラムボール」は焼成せず、ケーキの切れ端をラムレーズンなどと一緒に丸め、しばらく寝かせた後にチョコレートでコーティングしてつくられるため、生地はとてもしっとりしている。そして押し寄せるラム酒の香り……。とはいえ、けっしてしつこいわけではないあたり工夫を感じさせる。ただ、子供やアルコールが苦手な人はご用心(注意書きあり)。

ところで、今回は、ひとつを賞味期限(1週間)ギリギリまで寝かせた上で食べてみた。はたしてどんな変化があるか? 生地がよりしっとりとしたのはもちろん、全体に味の調和がとれたようだ。チョコレートにしっかりと覆われているせいか、ラム酒の香りが飛んでしまうということもなかった。まさに、大人の横浜みやげにうってつけである。※

ひとことで言えば、大人の味。好き嫌いはあるかもしれない。すくなくとも、「下戸」と言っていいくらいなのに子供のころからラム酒の香りに目がなくうっとりしてしまうぼくにとっては、わざわざこれを買うためだけのために横浜まで行ってしまいたくなる、そんなお気に入りのレトロスイーツ。横浜に遊びにいくときにはぜひチェックしてもらいたい。

※ハマっ子目線の横浜ガイド本で、喜久家の「ラムボール」が「ハマっ子が選ぶ使える手土産第1位!!」に!
横浜本 今まで無かった、横浜を愛する街ラブ本。 (エイムック)

◎ DATA

店舗名/喜久家
創業年/大正13(1924)年
商品名/ラムボール
発売年/不明(創業当初から販売との説もあり)
価 格/2個480円(税抜き)
購 入/横浜・元町本店

ほかに、横浜駅相鉄ジョイナス内にも売店あり
WEB/http://kiku-ya.jp/
※2018年6月5日現在