遅ればせながら、「moi」のFacebookページをopenいたしました。
そんなにコワくはないよという、いまにして思えばやや含みのあるお客様からの勧めにうっかりノセられ作ってはみたものの、正直なところはたして何をやっていいのやら、また何ができるのやらまったく理解しておりません……。これから少しずつ勉強していきたいと思いますが、こんな使い方もあるよ、あんなふうに活用しているお店があるよ、といった情報がありましたらぜひお教えください。ちょっと長めの文章やイベント告知などは、おそらくこちらが中心になってゆくことと思います。
また、避暑地のペンションにありがちな「思い出ノート♡」よろしく、ちょっとしたコメントなどもお気軽に残していただければ幸いです。よろしくお付き合いの程お願いいたします。
15年前。はじめて訪れたフィンランド。
「とても静か」という首都ヘルシンキでの感激は、内陸の都市ユヴァスキュラに移動したとたん「とにかく寂しい」に変わった。あのアルヴァー・アールトが青年期をすごし、いまも街には数々の建築作品が残っている。しかも、「アルヴァー・アールト美術館」もあるといういわば「聖地」である。にもかかわらず、よく言えば「鄙びた」、わるく言えば「寂びれた」その街には、地方都市の駅前にありがちな「アールトのまちへようこそ」といった類いの看板ひとつ立っていないのである。こんなことでよいのですか! と若干いらだちながらちいさな街をぐるぐる徘徊したのをおぼえている。
ところが、ヘルシンキとはちがい、いまにして思えばユヴァスキュラで出会った人たちはやけにみな素朴で人なつこく、たっぷりとした愛嬌をもっていた。やたらと話しかけてきて、話が通じないとわかるとめっちゃ怒りながら去っていったちいさな女の子。極めつけは、いきなり街頭で「マサヒコハラダ〜」と大声で手をふってきた赤ら顔のおじさん。「マサヒコハラダ」って…… いくら長野オリンピックの翌年とはいえ渋すぎるセレクト。だいたい、声がデカいよ、おっさん。誰もいない街頭に「マサヒコハラダ」がこだましているじゃないか。
寂しいけれど、やけに愛嬌がある。なんだかふしぎと心に残る場所、それがぼくとってのユヴァスキュラだ。
毎週水曜日は、13時より夕方まで店頭にてフィンランド風シナモンロールを販売しております。カフェはお休みです。
moiのシナモンロールは、フィンランドの友人Viiviさんちのレシピをもとに作っています。15年前、はじめて口にした〝フィンランドのシナモンロール〟。小振りで、やさしい甘さのそれを「おいしい、おいしい」と頬張っていると、帰り際、Viiviさんは残りをぜんぶ袋に入れて渡してくれたのでした。その後は、シナモンロールがいっぱいに詰まった袋を小脇にかかえての旅となりました(笑)。
そんな、思い出のつまったフィンランドの味をぜひご賞味いただければと思います。すぐお召し上がりになりたいという方には「あたためサービス」もしておりますのでお気軽にお申し付け下さい。ご来店お待ちしております。
きのうは、所用で日比谷の帝国ホテルへ。
なにを隠そうこのわたくし、帝国ホテルは子供のころからの行きつけの場所である。いや、正しくは、帝国ホテルの中にとある行きつけの場所がある、と言うべきか。
週末、父親に連れられて映画館に出かけ、上映後、用を足してから帰ろうとすると「まだ行くな」と父は厳しい口調で命令を下すのであった。トイレに行きたくて前屈みになっているぼくを尻目に、父はずかずかと道を隔てた高級ホテルへと突進してゆく。そして馴れた様子で重厚な扉をあけ、くるぶしくらいまで埋まりそうな深紅のフカフカの絨毯を踏みしめて脇目もふらず歩いてゆく。その堂々たる背中。思わず「たのもしい」と尊敬のまなざしでみつめるぼく……。
やがてトイレの前までくると父は足を止め、「行ってこい」そうぼくに目で促す。ようやく用を足してすっきりしたぼくに、父は満面の笑顔でこう言うのだった。「な、キレイで気持ちいいだろ?」。そして、そのままホテルを後に家路につく。え? 帰っちゃうの? それだけのために来たのかよ!!!
こうしたことがたびたびあったせいか、いまではすっかり帝国ホテルの建物を外から見ただけで尿意を催すようになってしまった。あ、ちなみに、きのうはちゃんと帝国ホテルにお金を落としてきたのでお許しくださいね、帝国ホテルさん。まあ、もちろんトイレにも行ったけど。
得意先のお屋敷で酒をご馳走になり、すっかり上機嫌の植木屋さん。隠し言葉を使った隠居夫婦の優雅なやりとりにいたく感激し、無謀にも、さっそく自宅でおかみさん相手に真似ようと試みるのだが……。
友人を巻き込んでの、植木屋さん夫婦のドタバタが可笑しいおなじみの落語「青菜」。兼好師の「青菜」は、聞きなれた先代の小さん師バージョンとはちがい、おかみさんもまたことのほかノリノリなところが面白い。そして、肝心な「菜のおひたし」を友人から断られたときに見せる植木屋さんの一瞬の表情、そこからの暴走ぶりは、まさに兼好師の独壇場といったところ。
ゲスト=今回の「この人」は、好楽一門より弟弟子にあたる二つ目、好の助さんが登場。お父さんはナポレオンズの〝メガネのほう〟ことボナ植木氏。噺に入って、これはもしや一之輔タイプの逸材?! と思いきや、肝心の「鮑のし」の由来の言い立てでつっかえてすっかりグダグダになってしまうあたり、惜しい!! ビシッとキメてくれていたら……。それでもまた「聴いてみたい」と思わせる、たしかに妙なおかしみをもった人ではある。
開口一番は、兼好師の弟子けん玉さんが、圓生一門で最初に教わる噺だという「八九升」を口演。天然? 高座返しで出てくるたびに会場がどっとウケるという、なんともいえないフラがある前座さん。
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開口一番 けん玉「八九升」
◎三遊亭兼好「祇園祭」
◎三遊亭好の助「鮑のし」
仲入り
◎三遊亭好の助「贋金」
◎三遊亭兼好 「青菜」
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2014年6月4日 於なかの芸能小劇場
雨の朝。「雨かぁ、嫌だなぁ」とブツブツ言っていたのはその昔、サラリーマンをやっていたころの話。商売を始めてからは、それが「雨かぁ、参ったなぁ」に変わった。
店を始めて10年あまり、日々いろいろなことが起こるけれど、雨の日、とりわけ雨の週末を心穏やかに過ごす術だけはいまだ体得できない。もっとも、以前お客様から伺った話では、駅ビルはそういう天気のときほど混雑して儲かるらしいが……。
いちど6月のヘルシンキで、まさに梅雨のように一週間、毎日雨に降られっぱなしだったことがある(もちろんフィンランドに「梅雨」はありません)。画像はそのとき、カフェめぐりをしていたムンキニエミでのひとコマ。
ぼくはカフェでコーヒーをすすりながら、おそらく「定位置」であるだろう店の片隅でのんびり新聞を読んでいる常連のおじさんを眺めたり、窓の外の濡れた舗道と雨に洗われて鮮やかさをました白樺の緑とのコントラストに心奪われたりしつつ、それなりに〝雨の日のカフェ〟の風情を楽しんでいたのだけれど、いまにして思えば、きっとお店のひとは「参ったなぁ」という心境だったにちがいない。
サイトーさんから〝上物の〟ディルをいただいた。サイトーさんとは、フィンランド語クラスのメンバーとしてオープン当初からお世話になっている「斉藤さん」のことなのだが、ときおりそのサイトーさんから、おそらく末端価格にして2,300円くらいはするであろう〝上物〟のディルがこっそり届けられる。
じつは、サイトーさんのご実家は長野県でリンゴ農家を営んでいらっしゃる。気候といい、土壌といい、まさにディルの栽培にはうってつけの環境である。そこでサイトーさん、帰省するたび、頬っかむりをして夜陰に乗じてタネをまき(想像です)、しばしば雑草と勘違いしたお母さんに情け容赦なく刈り取られながらも(実話です)、丹精込めてディルを育ててきた。残念なことに、「最近、畑の隅っこにやたらおかしな雑草が生い茂るようになった」というお母様の認識だけは変わらない様子だが。
そんなサイトーさんちのディルからは、野趣に富んだすばらしく瑞々しい香りが感じられる。それは、北欧のマーケットでドサッと無造作に売られているディルの姿を思い起こさせる。サイトーさんちのディルとくらべたら、街で売られているビニールハウス育ちのディルなんぞは、まるで都会育ちのもやしっ子のようにひ弱である。だから、ときおりなんの前触れもなく届けられるこの〝上物〟を、いつも心密かに待ちわびている。
というわけで、この〝サイトーさんちのディル〟でいまならもれなく〝トリップ〟できます、北欧へ。
先日スウェーデンのミステリを読んでいたら、頑固で人間臭いベテラン刑事がブラックコーヒーにシナモンロールを浸して食べるシーンがでてきたのですが、あれは「Doppa」というスウェーデン北部ではポピュラーな食べ方だったのですね(昨日シェアした「フィンツアー」さんの記事より)。ちなみにぼくは、いたいけな少年時代、トーストを紅茶に浸してクタクタにして食べるのが好きで親から薄気味悪がられていました…… Doppaも一度チャレンジしてみようかな。
本日水曜日は、【フィンランド風シナモンロールのテイクアウトの日】です。13時より店頭にて販売いたしますので、ご家庭で人目を気にせずお好きな食べ方でお楽しみください! ご来店お待ちしております。
https://www.facebook.com/finntour/photos/a.223158657752402/658150224253241/
家賃のカタに取り上げられた与太郎の道具箱をめぐって、大家と江戸っ子気質の棟梁とが派手な喧嘩をくりひろげるおなじみの落語「大工調べ」。棟梁のキレのいい啖呵が最大の聞かせどころとされるこの噺を、あまり滑舌のよろしくない萬橘師匠は、まったくべつのアプローチから組み立て直しあたらしい風を呼び込んでいた。
いいオトナが意地を張り合ったあげく、引くに引けなくなっている。ふつう、なんとなく棟梁の側に肩入れして聴いてしまいがちな「大工調べ」だが、萬橘バージョンでふたりの関係はどっちもどっち、同じである。頭は固いが、かといってまったく話が通じないというわけでもない大家と、侠気ある人物である反面、ときに職人らしいぞんざいさが目立つ棟梁。
それに対して、意地やプライドとはまったくちがう地平をふわふわ生きている落語界きっての「ゆるキャラ」与太郎。でも、そんな与太郎にも、この萬橘バージョンではちゃんとした取り柄があたえられている。棟梁いわく「釘を抜かせたら右に出る者がいない」。そして見事、与太郎はふたりの心に刺さった「意固地」という釘も抜いてしまうのである。
聴き終わったとき、なんだかほっこりした気分になる「大工調べ」というのも珍しい。さすがは萬橘師! 鳥人間コンテストばりにハラハラさせる啖呵も、こうなってくるとむしろチャーミング。
ゲストの一之輔師は、「子は鎹」。梅雨も人情噺もあまり得意ではない自分にとって、ちょうどいい加減の湿り気。子供の名前が「金坊」だったような気がしたのは、子供の様子が、一之輔師がよくかける「初天神」の「金坊」のその後を思わせるものだったからかもしれない。
馬るこさんは、「野ざらし」をサゲまでしっかりと。ゴチャゴチャ言わず、おかしな幇間(たいこ)が来てしまい「あれれ?さっき釣ったのは馬の骨だったのかぁ?」とふつうにサゲればふつうに腑に落ちるよね、と再確認。それにしても、馬るこさんにかかるとなぜも「先生」や「ご隠居」がああも胡散臭くなるのだろう。やっぱりドクター中松好きだから!?
開口一番は、三遊亭こうもりさん。9月に二ツ目に昇進、名前も「こうもり」から本名の「とむ」に変わるとのこと。しかし、末高斗夢って本名だったんですね……。
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オープニングトーク 出演者全員+広瀬和生
開口一番 こうもり「都々逸親子」
◎鈴々舎馬るこ「野ざらし」
◎春風亭一之輔「子は鎹」
仲入り
◎三遊亭萬橘「大工調べ」
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2014年6月10日 於下北沢タウンホール
北欧でおなじみ(らしい……)スウェーデン風エッグコーヒーのレシピ。卵かけご飯ブームがあったくらいなので、いつか「卵コーヒー」ブームだってやってくるかも!?
衝撃の映像は39秒あたり…あれ?殻も…
http://youtu.be/x5Csyf9x19Y
来週は「夏至」。東京もずいぶんと日がのびた。日没直後、19時前後の数分間、いわゆる「ブルーモーメント」を目にすると白夜の北欧が恋しくなる。
初めて白夜の北欧を訪れたとき、じつはちょっとばかり肩すかしを食った気分だった。いったいなにが起こるのだろうとワクワクして待ちかまえていたら、たんに「昼間が長い」だけだったからである。とにかくいつまでも昼が長く、午前零時を回ったくらいからしばらく夕方が続き、その後ブルーモーメントがやってきて、と思ったら、朝になっている。そんな感じ。
むしろ興味深かったのは、夜の10時くらいに街を散歩するとふつうの昼間と変わらない明るさにもかかわらずたいがいの店は閉まっていて、人影もまばらなことである。〝昼間なのに〟街はすっかり寝静まっている。まるでゴーストタウンに取り残されたみたいで、それはなんとも奇妙な感覚であった。
あたまの中を整理するのにしばらく時間を要したが、その後ようやく自分なりの答えをえた。
まず、「昼間が長い」というのはまちがっている。「昼」と「夜」とは、いつもと同じバランスで存在している。ただ、「日がのびた」だけの話である。ところが日本に暮らしている自分は、昼は明るいもの、夜は暗いものという「通念」に囚われてしまっているおかげで、「なんで昼間なのに寝静まっているのだろう?」なんて感じてしまったのではないか。
「白夜」というのは、まさに明るい夜のこと。つくづく、Midnight Sunという単語に「白夜」という漢字をあてたひとはエラいと感心する。
というわけで、本日もお店でお待ちしております。
※写真は6月半ば、ホテルの窓から撮った午前零時すぎのヘルシンキの様子。
FIFAワールドカップがはじまった。2014年の開催地は、ブラジル。先ほど終了したコロンビアーギリシャ戦がおこなわれたベロオリゾンチは、ミナス・ジェライス州の州都。そのベロオリゾンチで活動するシンガーソングライター、LG ロペスがなかなかいい感じである。
プロフィールは不明。おそらく本人名義のCDも出ていないようだが、YouTubeにたくさんの自撮りMVを公開している。〝自撮りMV〟といえば、先日「あらいぐま父さん」ことH田さんに教えていただいた女性シンガーソングライター、クラリッシ・ファルカォンを思い出すが、こちらは後ほど日本ーコートジボワール戦がおこなわれるヘシーフェの出身。
LG ロペスが活動するミナスといえば、古くは(といってもまだ現役だが)ミルトン・ナシメントにはじまり、トニーニョ・オルタ、ロー・ボルジェス、アフォンシーニョやセルジオ・サントス、最近ではアントニオ・ロウレイロまで、そこには枯れることのない音楽の泉があるのでは? と思わせるほど数多くの秀でた才能を輩出してきた地。このLG ロペスもまた、おそらくそんな「泉」から湧き出てきたひとりなのだろう。
自宅やその周辺で、ひとりで、ときに友人たちと撮影されたMVは、いかにもブラジルのアーティストらしいざっくりとしたそのくつろいだ空気感が魅力的だ。スタジオで作り込んだサウンドよりも、さまざまな「ノイズ」すらも自分のサウンドに昇華してしまう包容力こそが、このひとの「武器」といえそうだ。
サッカー観戦のインターバルに、思わず声をだして笑ってしまうラストふくめ、そんな彼の魅力あふれるMV「Musica da Vila」をお楽しみ下さい。そしてサッカーが終わったら、ぜひ吉祥寺へ。
http://youtu.be/ftMXWLWWUko
水曜日はシナモンロールの日。13時〜夕方まで、店頭にて焼きたてのシナモンロールを販売いたします。テイクアウトは週3日のみなので、ぜひこの機会をご利用ください。
ところで、もはやフィンランド好きにとって《バイブル》と言っても過言ではない映画『かもめ食堂』(万が一、フィンランドに興味があるのにまだ観ていないというひとがいたら、今月中に全員観ておくように! 宿題です! 笑)。もう公開されてから8年も経つんですねぇ……しみじみ。ひさびさにDVDで観てみましたが、とりわけシナモンロールを焼くシーンはこちらにまで匂いが伝わってきそうで毎度ワクワクしてしまいます。
そういえば、先日旅行中とおぼしきフィンランド人のご夫妻が来店されたのですが、シナモンロールを食べながらふたりで顔を見合わせては何度も頷きあっていたのが印象的でした。こちらは、キッチンの陰で小さくガッツポーズ笑。
明日、みなさまのご来店をお待ちしております。
今週の土曜日は、フィンランドの人びとが心待ちにしている年中行事ユハンヌス(夏至祭)。
フィンランドはじめ北欧には、この夏至祭のときにおこなう独特の《花占い》があるそうです。
夏至祭の前夜、野原で摘んだ7種類(もしくは9種類)の花を枕の下に入れて眠ると、夢に将来のパートナーが現れるのだとか。画像は、そんな「夏至祭の花占い」を描いたタルリーサ・ヴァルスタのシルクスクリーン。たくさんの型紙を用いて和紙に刷ったものに、さらに手で彩色をほどこすという手の込んだ技法でつくられています。
実物は、日曜日まで銀座「北欧の匠」で開催中の「北欧の作家たち」展で観ることができますので、ぜひ夏の北欧を感じにご来場下さい。夏至祭の前夜、部屋にこの絵を飾ると、もしかしたら夢に将来の伴侶が現れる……かも!?
21日、22日は〝夏至祭〟の週末。白夜とは縁のないここ日本でも、いつまでも明るい空を見上げてちょっと得した気分になったりします。ふだんは「昼」と「夜」との橋渡し役でしかない「夕方」が、この季節ばかりはまるで「主役」のように振る舞うのです。
そんな夏至祭の週末だから、長い夕刻を「特別に」に楽しむのもいいのではないでしょうか? 本を読んだり、音楽を聴いたり、あるいは誰かとおしゃべりをしたり。
ももちろん部屋の電気はつけずに、ゆっくりと暮れてゆく夏の光を味わいたいものです。できれば夏の花を飾り、夏至祭のシンボルである「かがり火」のかわりにキャンドルを灯すのもおすすめです。
そして、美味しく淹れたコーヒーや紅茶のお供には、ぜひカルダモンたっぷりの北欧風シナモンロールをお楽しみください。
というわけで、宣伝です(笑)。
土曜日、日曜日はお持ち帰り用の「フィンランド風シナモンロール」をご用意しております。正午開店ですが、11時過ぎくらいには焼き上がりますのでスタッフにお声掛けいただければお求めいただけます。メール(info@moicafe.com)によるご予約も承っております。
最近ピックアップしていただいた「リビングむさしの」さんによる当店のシナモンロールの紹介記事↓
http://mrs.living.jp/musashino/shopping/reporter/1540123
画像は、おそらく80年代前後のものと思われるイーッタラのキャンドルホルダーです。
Hauskaa Juhannustaa!! 楽しい夏至祭を!!
以下、お得な情報なのでよろしければ「シェア」して下さいね。
スウェーデン映画『なまいきチョルベンと水夫さん』(1964年)が7/19よりいよいよ日本初劇場公開されます。原作は、『長くつしたのピッピ』などで知られるアストリッド・リンドグレーン。白夜の北欧を舞台に、子どもたちが繰り広げるひと夏の大作戦。ロッタちゃんシリーズや『やかまし村の子供たち』など、スウェーデンの児童文学から生まれた映画には良質な作品が多いので楽しみです。そして、オーレ・エクセルのキュートなポスター(画像)にも注目!
「moi」ではタイアップ企画として7/19〜8/末まで、この『なまいきチョルベンと水夫さん』の半券を持参のお客様に限り、お会計時カフェでのご飲食代を「10%OFF」させていただきます。ぜひご利用下さい。
ご来店お待ちしております!!
なお、映画の詳細につきましては『なまいきチョルベンと水夫さん』オフィシャルサイトをご覧ください↓
http://www.suifusan.com/index.html
ようやく行けた。「のんき夜行」という名の落語会。ずいぶんと前から気にはなっていたのだけれど、なかなかスケジュールが合わなくて……。
どこが気になるのかというと、まず登場する噺家の顔ぶれが、前座さんをふくめて「ツボ」なところ。毎回会場が変わるという趣向もおもしろい。そしてなにより、ほかの落語会と決定的にちがうのは、チラシのデザインが洒落ている点(笑)。
じつはぼくもその昔、友人たちと「トラベリンワード」というイベントをやっていた時期がある。
毎回ひとつのことば(word)を、数人のアーティストたちによってそれぞれ映像、音楽、そしてスポークンワードによって表現してもらうという内容で、旅するように、毎回場所をちがえるというのを「決まり事」としていた。そんなわけだから、勝手にこの「のんき夜行」に対してシンパシーを感じていたというのもある。
この日ぼくがでかけたのは、「のんき夜行」第14夜。出演は三遊亭兼好師(開口一番には、注目している前座さんのひとり、三遊亭わん丈さん)。会場は、廃校になった小学校の校舎をアートスペースとしてリノベーションした「3331 Arts Chiyoda」のB104教室。
ようやく参加してみての感想は…… 場所を除けば、まぁ、まぁ、ふつうの落語会といった印象。それはそうである。落語の場合、当日の天候や客の顔ぶれなどをみて、その日のネタを直前に噺家自身が決めるのが一般的である。なので、主催者サイドの意向を反映させるのはたやすいことではないし、あまりやるべきでないという気もする。なので、とりたてて不満があるわけではない。
ただ、もし可能なら、毎回ペラ1枚でもいいので席亭の顔が見えたり、思いが感じられたりするようなセンスのいい「配りもの」があればもっと親しみ深い会になるのではないだろうか。「のんき夜行」の、のんきな「乗客」のひとりとして。
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のんき夜行 第14夜
開口一番 三遊亭わん丈「桃太郎」
◎三遊亭兼好 「たがや」
〜仲入り〜
◎三遊亭兼好 「お化け長屋」
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2014年6月18日 於3331 Arts Chiyoda B104教室
「たがや」という地噺で、聴く者を緩急自在にグイグイ引っ張ってゆく兼好師の手綱捌き、お見事でした。「お化け長屋」は、昨年に続いて二回目。落語の「笑い」って、基本、ディスコミュニケーションから生まれる「おかしさ」という気がする。引っ越してくる身勝手な職人ばかりでなく、じつは長屋の住人同士も意思疎通ができているようでその実チグハグだったり……兼好師は、そのチグハグを言葉としぐさで浮き上がらせるのがすこぶる巧い。
おそらく6、7年くらいまでは、店の周辺でバッグなり洋服なりなにか「マリメッコ」のものを身につけているひとをみかけたら、たいがいそのひとたちは「ウチのお客様」であった。じっさい、それより以前、荻窪で店をやっていたころには、いらっしゃる数組のお客様におけるマリメッコ着用率が100%というおそろしい(?)出来事も体験している。当時はまだ「ルック」が取り扱いをする前で、日本での販売は限られていたことを思えば「異様」といっていい事態である(じつは、70年代から80年代にかけて「西川ふとん」が扱っていた時代には、ごくごくふつうにデパートでもみかけたものだったが)。 つまり6、7年くらい前までは、「マリメッコ」を身につけているひとというのは、多かれ少なかれ「フィンランド好き」もしくは「フィンランドに行ったことがある」ひとびとといえた。
その後、「ルック」という商社が「マリメッコ」を扱うようになったのが2006年のこと。奇しくも(?)映画『かもめ食堂』の公開とおなじ年である。表参道を皮切りに、全国にショップ展開するようになった「マリメッコ」は、折しも「北欧ブーム」の波に乗りあちらこちらでその商品を目にするようになる。ぼくの感覚では、「マリメッコ」のブランドイメージから「フィンランド」という〝属性〟が薄れてきたのは2010年あたりからではなかったろうか。おそらく、いまマリメッコを愛用しているひとたちのなかには、それがフィンランドの企業であるということを知らずに使っているひとが少なからずいるにちがいない。勝手な話だが、全身マリメッコできめたひとが、「moi」の前を素通りしてゆくのはなんともいえず切ない(笑)。
プラダがイタリアの、コーチがアメリカのメーカーであることを意識しつつ愛用しているひとがどの程度存在するものなのか、ぼくは知らない。けれども、おそらくそう多くはないだろう。なにかが普及するときに、こうした一般化、普遍化は避けられないし、それはまったく悪いことではない。
とはいえひとりのフィンランドおたく的には、あのフェミニンな花柄のうちに隠された、「セックス・国際主義・因習の打破などが活発に討論される時代」にあって「ファッションというよりもむしろ生活様式と受け止めることができる」(セーゲルスタード『現代フィンランドデザイン』1968より)というマリメッコの〝メッセージ性〟が忘られてしまうことにはつい一抹の寂しさを感じてもしまうのだった。
現在は京都在住で、東京に来るたび顔を出してくださるUさんより、ご自宅の畑で穫れたジャガイモ《インカのめざめ》のお裾分け。
鮮やかな濃い黄色と栗のようなホクホクした食感が特徴のこのジャガイモ、ここ東京では限られた時期にしか手に入らないうえ、手に入ってもあまりモノがよくない。ふつうのジャガイモにくらべて熟成が早く、切ってみたら中身がすべて真っ黒に空洞化していて買ったばかりの数キロが全滅などということも一度ならずあった。
いただいた《インカのめざめ》は、やや小振りながらも味が濃くて本当においしい。少し塩をふってやると、ぐんと甘みが増す。〝ごちそう〟というのはきっと、こういうことをさして言うのだろう。
北欧の人たちの〝スパイス好き〟は筋金入りで、さまざまな料理にふんだんにスパイスが使われる。なかでもカルダモンは、北欧の食卓になくてはならないスパイスの「王様」といえるだろう。たとえば、アラビア社製の保存ビンには「Kardemumma(カルダモン)」と書かれたものがふつうに見受けられるほど。
フィンランド風のシナモンロールにも、当然、このカルダモンがたっぷり使われている。「これはもしかしたらシナモンロールというよりもカルダモンロールなのではないか?」と不思議に思うひとも、なかにはいるかもしれない。でも、このカルダモンのピリッとした風味が、コーヒーや、また紅茶などに抜群に合うのである。「moi」ではシナモンロールをつくるとき、フィンランドの味に近づけるためこのカルダモンにはいろいろ気を配り、手をかけている。
個人的なことを言うと、じつは、かつてはあまりこのカルダモンの風味が得意ではなかったのだが、フィンランドに通っているあいだに気づけばすっかり大好きな香りになってしまっていた。だって、ありとあらゆる菓子パン(Pulla)にはほとんどすべて入っているんだもん。回避不能(笑)。
というわけで、あす水曜日は、ご自宅でそんなカルダモンをふんだんに使ったシナモンロールをお楽しみいただける日です。焼きたてを、13時より店頭にて販売いたします。カルダモンには胃腸の消化を促す作用もあるとのことなので、きっと食べ過ぎてもオーケー、なはず……。
ご来店お待ち申し上げております!!
このあいだ、フィンランド人のお客様がニヤニヤしながらこのポストカードを買われていった。
イラストレーター谷山彩子さんが描いた「コスケンコルヴァ」の瓶。
フィンランドに詳しいかたなら当然ご存知だろうが、「コルケンコルヴァ」とはフィンランドでもっともポピュラーなウォッカの銘柄である。さまざまなアルコール度数、フレーヴァーが用意されており、なかには「サルミアッキ入り」などという〝過激〟なものもある。空港の免税店でも入手可能なので、ちょっとした〝武勇伝〟を必要としているアナタにおすすめ。
ところで、こういうとき、ぼくはつねに物事を反転してかんがえるようにしている。
《ヘルシンキに行ったら、フィンランド人が経営する「Maido(まいど!)」という甘味処があり、そこで「菊正宗」の瓶を描いたポストカードを売られていた……》。
…… ニヤニヤじゃすまんね。爆笑モノだよ。
夏越しの祓(なごしのはらえ)。
6月晦日(30日)、神社へ御参りに行き上半期の厄を祓うと、悪い流れがリセットされて下半期にむけてよいスタートが切れるのだとか……。
そこで、けさはいつもより少し早く家を出て、近所の神社に御参りをしてから店にきました。大きな神社だと境内に茅(ちがや)で作られた大きな輪っかが設えられておりそれをくぐって本殿に向かうらしいのですが、近所の神社の参道には、その「茅の輪」の代わりに質素な門のようなものがあったので、くぐって御参りしてきました。
個人的には、特にどの宗教、宗派を信心しているというわけではないのですが、やはり日本に暮らしていると、日本の風土に根ざした年中行事がいちばんしっくりなじむような気がします。
先日、丸の内の三菱一号館美術館で観た『ヴァロットン展〜冷たい炎の画家』でもっとも衝撃を受けたのが、戦争と戦時下の人間の姿を木版画によって表現した一連の作品だった。これらの作品は、その後1917年に一冊にまとめられ『これが戦争だ』というタイトルで出版される。
爆撃を受けた無人の家、有刺鉄線につかまり逃げられなくなった傷ついた兵士、もはや敵か味方かすらわからない暗闇の中、ナイフを手に殺し合う人々といった凄惨な光景を、あえて黒と白だけで描写する。ヴァロットン自身は、あれほどまでに鮮やかな色彩の使い手にもかかわらず……。
彼は、ここではあくまでもひとりの「観察者」にすぎない。あえて感情を差し挟まず、自分が目にした「戦争という現実」をありのまま伝えようと徹しているのだろうか。黒と白だけの世界。あるいはそれが「戦争」なのかもしれない。そしてモノクロの作品集の表紙にあしらわれた、鮮やかな「赤」。
集団的自衛権について、さまざまな意見があるのは理解できる。ただ、「不謹慎」という言葉の下、ツイッターやフェイスブックから「おいしい食べもの」や「かわいい動物」の写真が消えるような日本にだけはなってはならない、そうかんがえるのである。
お客様の流れが途切れたので、すかさずCDプレーヤーに「ジョンゴ・トリオ」のCDをセットし、かけてみた。これは当店ならではの、ヒマなときにお客様を呼び込む「切り札」的なジンクスである。
CDをスタートして最初のお客様がやってきたのが、およそ2分48秒後。さらに10分もたたないうちに2組のお客様がご来店。相変わらずすごい「ご利益」だぜ、ジョンゴ様は。
ちなみに、ジョンゴ・トリオというのは60年代から70年代にかけて活動していたブラジル・サンパウロ出身のジャズサンバのグループである。どういうわけか、荻窪でお店をやっていた当時から、困り果てたときにジョンゴ・トリオのCDをかけると不思議にお客様がやってくる。とはいえ、無駄にかけてもダメ。「困り果てたときに」、これがポイント。親鸞上人が説くところの「悪人正機」、南無阿弥陀仏である。
もしもこうして財を築くことができたなら、ぼくはきっとここ吉祥寺の街角にちいさな3体のお地蔵さんを建てることだろう。「じょんご地蔵」だ。そしてやがては「じょんごさま」として、吉祥寺村の人びとから厚い信仰を寄せられるにちがいない……。ただ、惜しむらくはこの「まじない」が効いている時間は、ひどく短い。
お菓子と映画…… について語れるほど映画を観ているわけではないけれど、ストーリーのなかでお菓子が〝印象的に〟登場する映画はどうやら無条件で好きなようだ。
きのう観てきたウェス・アンダーソン監督の『グランド・ブダペスト・ホテル』もそのひとつ。コーテザン・オ・ショコラというお菓子が何度も、しかもとても重要なところで登場する。なにより、『グランド・ブダペスト・ホテル』という映画じたいが、ファシズムの台頭によって失われてしまった「昨日の世界」をカラフルな砂糖でコーティングした、まさにお菓子のような作品なのだ。
毎度引き合いにだす荻上直子監督の『かもめ食堂』も、フィンランド風のシナモンロールなくしては成立しえない映画だろう。なぜなら、日本人にとっての「おにぎり」同様、それはフィンランドの人びとにとっての〝ソウルフード〟、いわば〝おふくろの味〟だから。かたちが丸いか三角か、海苔は全体を包んでいるか、帯のようになっているか、具は梅干し、おかか、シャケ…… といった具合におにぎりにその家庭ならではの塩梅(あんばい)があるように、フィンランドのシナモンロールにも、100の家庭でつくられたシナモンロールがあればそこには100の味がある。
もうひとつ、個人的にどうしても忘れられないのはエットーレ・スコラ監督の『マカロニ』。
ひさびさに再会を果たしたかつての戦友。すっかり初老となった男たちを演じるのは、ジャック・レモンとマルチェロ・マストロヤンニというアメリカとイタリアを代表するふたりの名優である。かたや世界的企業の重役として世界を股にかけて活躍する偏屈なビジネスマン、かたや地元ナポリの下町に暮らす、なにより家族を愛する陽気で平凡なおっさん…… せっかくの再会も、長い時間と生活環境のちがいから生じた〝溝〟のおかげでギクシャクするばかりだ。
そこに登場するのが、ババ・アッラ・パンナというお菓子。調べると、どうやらサバランに生クリームを添えたようなものらしい。そして、ナポリの街角で、初老の男たちを青春時代へと連れ戻してしまうのがほかでもないこのババ・アッラ・パンナなのである。
なるほど、お菓子には〝ドラマ〟があるらしい。
というわけで、本日水曜日は【フィンランド風シナモンロールのテイクアウトの日】です。みなさまのご来店、心よりお待ち申し上げております!
ヘルシンキは、ひとも街もゆったりしていた。よく、フィンランドを旅してきたひとからそんな感想を聞くことがあります。街のサイズも人口もちがうので、たしかにそう感じたとしても不思議ではありません。でも、もうひとつ、北欧の人たちが総じてしっかりとコーヒーブレイクをとることもその理由のひとつではないか、ぼくはそうかんがえています。聞いたところによると、フィンランドの会社の雇用契約には「コーヒーブレイクをとる権利」がちゃんと謳われているのだとか。句読点のない文章がそうであるように、コーヒーブレイクのない生活もまた、どこか居心地の悪いものかもしれません。
ここのところよりいっそう強く感じるのですが、日本にはどうも《イベント》が多過ぎるような気がしてなりません。そして、あまりにも《イベント》が多過ぎると、自然と呼吸が浅くなります。
テレビやラジオから伝えられる事件、TwitterやLINE、Facebookなどを通して目に触れる出来事、行事や催事など文字通りの「イベント」などなど、ひとくちに《イベント》といってもいろいろです。共通しているのは、それらがどれも〝自分の日常とはちがうところ〟に起こるものだということ。それゆえ、どんなに楽しいイベントでも、イベントが続くと自分の生活のリズムが乱されて疲れてしまうのではないでしょうか。
たとえ短い時間でも、コーヒーブレイクには自分のリズムを取り戻す〝たしかな効き目〟があります。だからこそ、フィンランドに行くたび、日本にももっと日常的にカフェで過ごす習慣が根づけばいいのにと思ってしまいます。パソコンを持ち込んで仕事をするためではなく、花に水をやるように、自分に〝コーヒーカップ一杯分の時間〟をもたらすために。
さて、そろそろコーヒーでも淹れましょうか。
雨の日にうってつけのメニューがあります。
その名も「雨の日の楽しみ」というフィンランドの紅茶。良質の茶葉にドライフルーツや花などを程よくブレンドした、香り高いフレーバーティーです。雨のしずくをあしらったパッケージは、マリメッコにもデザインを提供しているアンティ・エクルンドの監修。
すでに雨の日に注文された経験のある方ならお分かりのとおり、フレーバーティーはほんのり空気に湿度を帯びた日ほどいっそう香りを豊かに感じていただけるのでおすすめです。また、すこし砂糖を加えていただくと味覚と嗅覚のバランスが整って、やはり香りが際立ちます。まさに「雨の日ならではの楽しみ」。
いっしょに召し上がっていただくなら、さっくりと軽く仕上げたスコーンをぜひ。ふたつに割るとフワッと立ち上がる粉の香りをお楽しみ下さい。
雨の日には雨の日の楽しみを。ご来店お待ちしております。
モイのシナモンロールは、フィンランド人の画家ヴィーヴィ・ケンパイネンさんに教わったレシピが元になっているのですが、これはいまから十数年前、はじめてヴィーヴィさんの家を訪ねた折のエピソードです。
リビングで、コーヒーとお手製のシナモンロールをいただきながら談笑する大人たちのかたわらで、当時3歳になる娘のインカが床に座りこんでなにやら一生懸命に絵を描いていました。たしか、大人たちはそのとき、フィンランド人の夏の過ごし方について話をしていたのでした。というのも、ヘルシンキから湖水地方へと向かう車窓からみえた湖と、そのほとりにポツポツとおもちゃを置いたような小屋の様子がとても印象に残ったからです。
ヴィーヴィさんたちの説明によればそれは「ケサモッキ」と呼ばれるもので、直訳すると「夏の家」、つまりフィンランドの人たちがひと夏を過すための別荘とのことでした。別荘と聞くと、日本人には都会の生活をそのまま海なり高原なりどこか過しやすい土地に移したものといったイメージを抱きますが、フィンランドの「別荘」とはごくごく質素なもの、水道やガスすら敷かれていないものも少なくないと聞き、このひとたちにはスナフキンのような「森に生きるひと」のDNAがしっかり刻み込まれているのだなと感心した記憶があります。
しばらくして、インカが一枚の絵をぼくに差し出しました。緑色の線で描かれた円の周囲に茶色や青い色を配し、ひとつ、黄色く塗られた四角形を置いたその絵は、なんとなくひとの顔のようにもみえます。ただ不思議なのは、インカはその絵をキッチンに持っていき、わざわざ真ん中あたりを水で濡らして持ってきたこと。絵を濡らすとは大胆不敵、さすがは芸術家の娘と感心したものの、何を描いたのか、どうして濡らしてあるのか、その理由は判らないままです。
じっと絵をみつめているうち、「あっ!」と気づきました。そう、インカは大人たちの会話を聞いて、湖とそのほとりに建つ黄色い壁の「夏の家」を描いてくれたのでした。紙を濡らしてきたのは、なるほど、そこが「湖」だったからにちがいありません。彼女がそのときプレゼントしてくれた絵は、「宝物」としていまもぼくの手元にあります。
トーヴェ・ヤンソンの『ムーミン谷の彗星』には、「冒険」に出たムーミントロールがママの焼くおやつの匂いで我が家の近くまで帰ってきていることを知る場面があります。そして焼きたてのシナモンロールの匂いは、しばしばぼくをムーミン谷ならぬ、ケンパイネン家のリビングで過したあの平和な午後のひとときへと連れていってくれるのです。
さて、あすは水曜日。13時より吉祥寺の街角で「シナモンロール屋さん」をやっています。焼きたてを召し上がれ!
◎「ムーミン谷」をさがして
北欧の民話などからおなじみの「ムーミン」物語を読み解くことで、そこに新たな魅力を見出した話題の本『だれも知らないムーミン谷』(朝日出版者)。
モイでは、著者の熊沢里美さんをお招きしてトークイベントを開催いたします。1987年生まれの熊沢さんが、いつ、どのようにしてムーミンと出会い、どのようなきっかけでこの本を執筆するに至ったのか、フィンランドに取材旅行をした際の写真やエピソード等まじえながらお話しいただきます。
トーヴェ・ヤンソン生誕100周年の今年、あらためてムーミンの物語を読んでみたくなるような好奇心をくすぐるイベントにぜひご参加ください。
日 程 8月6日(水)
時 間 19時30分開演(19時開場、21時終演予定)
場 所 カフェ モイ[吉祥寺]
出 演 熊沢里美(文筆家)
参加費 2千円(フィンランド風シナモンロールつき)
◎お申し込み方法は下記のとおり
お名前、ご連絡先電話番号、人数を明記の上、メールにてお申し込みください。件名は「ムーミン谷」としてください。折り返し、受付確認メールの到着をもって受付完了とさせていただきます。
みなさまのご参加お待ちしております。
「ぼくには、おかしをやいている、いいにおいがしてくるように思えてしかたがない」(ヤンソン『ムーミン谷の彗星』下村隆一訳)。 鼻をぴくぴくさせながら、ムーミントロールは考えます。そうして、冒険からの帰り道、ムーミントロールはじぶんたちがムーミン谷へ、ムーミンママがおやつを焼いて待っているなつかしい我が家へ帰ってきたことを知るのでした。
ぼくはこの、ママが焼くおやつの〝匂い〟からムーミンが我が家のありかを知るという一節がとても好きなのですが、いま手元にある下村隆一訳では、このときムーミンママが焼いていたのは「しょうがビスケット」ということになっています。クリスマスには欠かせないあの「Pepparkaka」でしょうか? でも、いま手元にないので調べようがないのですが、たしかおなじ部分を引用したサミ・マリラ『ムーミンママのお料理の本』では、それが「シナモンロール」だった気がしてならないのです。じっさい、それは「ムーミンママの往復ビンタ」と称された「フィンランド風シナモンロール」のレシピのページで見た記憶があるからです。
まあ、どちらであったところで特になにが変わるというわけでもないのですが、〝個人的には〟ここはやはりフィンランドの「ママの味」シナモンロールであって欲しいと思ってしまいます。
はたして原文のスウェーデン語では「Pepparkaka」なのか、それとも「Kanelbullar」なのか、重箱ならぬ白樺のカゴの隅を突っつきたい気分でいっぱいの今日このごろです。
それはそうと、あす水曜日は《フィンランド風シナモンロールのテイクアウトの日》。13時より、店頭にて焼きたてを販売いたします。メール、Twitter、このFacebookページのメッセージなどからお取り置きも可能です。お気軽にどうぞ。
鼻をぴくぴくさせながら、どうかモイまでたどりついて下さいね。
夕暮れどき、暇だったので外に出てパチリと撮ってきました。しばらくの間、外壁と耐震工事のため足場が組まれていたりしましたが、ようやくそれも撤去されてすっきりとした外観が戻ってきました。ちょっと嬉しい。
この季節、東急百貨店の角から大正通りを少し歩くと右前方に見えてくるこんもりとした「緑」が、「moi」を探しているひとには「目印」になってくれます。
おなじ建物の一階には、お店が4軒。洋服の「TIGER MAMA」さんと花屋の「4ひきのねこ」さん、そして6年ちょっと前、ほぼ同時に入った雑貨の「CINQ plus」さんとウチです。撮った写真をよくよく見返したら、ケヤキの木の陰に入って「moi」だけ写っていませんでした。ちょっと悲しい。
ヘルシンキとかストックホルムとかそぞろ歩いていると、思わずカメラを向けたくなるような印象的で、魅力的な《街角》と出くわしたりしますが、この吉祥寺の一角も負けず劣らずフォトジェニックで、わざわざ歩いてくる価値アリの《街角》だと密かに思っています。
なつかしい写真をみつけた。かつて、荻窪にあった時代の「moi」で撮られた数点の写真。
この写真を撮ってくれたのは、カメラマンの根津修平さん。修平さんとはじめて会ったのはまだお店を始める前、2001年のヘルシンキでだった。当時、修平さんはヘルシンキに暮らしていたのだ。
そのとき、ぼくはやはりヘルシンキに建築留学中だった関本竜太さん(「moi」の内装をデザインしてくださった方)といっしょに路線バスに揺られていた。関本さんの案内で、とあるデザイナーさんのお宅をめざしヘルシンキの郊外に向かっていたのである。
関本さんの話では、親しくしているヘルシンキ在住の日本人のなかに「修平という面白い男」がいるのだが、今回は時間がなくて紹介できないのがかえすがえすも残念とのことだった。
出発して10分ばかり経ったころだろうか、突然、ぼくらを乗せた路線バスがエンストを起こし道ばたで止まってしまった。運転手のおじさんの懸命の努力の甲斐もなく、バスに動きだす気配はない。ついにあきらめた運転手は、ぼくらにむかって言うのだった。「ここで降りて次に来たバスに乗ってくれ」。
「途方に暮れる」とはまさにこのこと。だいたい、ここは一体どこなんだ?
と、そのとき、関本さんがつぶやいた。
「あれぇ?」ん、なんだ、なんだ? 「それ、修平のアパートですよ」
向かい側に建つアパートを指差して関本さんは言う。
なにそれ? 新手の「ドッキリ」!?
さっそく携帯で連絡をとったところ運よく修平さんは在宅中、「はじめまして」とあいさつしてコーヒーをごちそうになったのだった。まったくもってウソのようなホントの話。
さて、先日18日、記念すべき「12周年」当日のことである。現在は長野県で暮らしているその修平さんがひょっこり現れた。実際に会うのは、そう、おそらく7年ぶりくらいだ。
もしや…… ぼくは思って尋ねてみた。案の定、修平さんはその日が「12周年」ということを〝知らなかった〟。やっぱり。そして、新聞紙でくるんだでっかい大根を差し出して言う。「これ、ぼくが畑でつくったんです。えっと、じゃあ、お祝いってことで、へへ」。
修平さんというのは、こういう男なのである。
あたたかいコーヒーのマグサービスをはじめます。
価格は700円(税込み)。容量は、通常のおよそ2杯分です。moiではあたたかいコーヒーの「おかわり」を300円で提供しておりますが、「きょうはたっぷり飲みたい気分」という方はあらかじめこのマグサービスをご利用いただくことでよりお得にお楽しみいただけるようになりました。
また、このサービスではフィンランドの著名なテキスタイルメーカーFinlaysonのパターンを使用したマグカップで提供させていただきます。ていねいにドリップした徳島アアルトコーヒーのアルヴァーブレンドを、フィンランドデザインのマグカップでゆったりお召し上がりください。
明日7/30のテイクアウト分限定で、当店の【フィンランド風シナモンロール】をムーミンのワックスペーパーで包んでみました。
以前からお持ち帰り用のシナモンロールになにか一工夫できないかとかんがえていたのですが、ちょうどムーミンのワックスペーパーなるものを入手したので、明日のテイクアウト分に限り写真のようなかたちでお渡ししたいと思います(実際には、ラップで包装したものをさらにワックスペーパーにて個包装しています)。
焼きたてですのでそのままお召し上がりいただいてもかまわないのですが、ラップでくるんだ状態でレンジで20秒、さらにオーブントースターで軽く温めていただくことでより焼きたてに近い風味をお楽しみいただけます。そして、ムーミンのワックスペーパーで包んでお召し上がりいただければ手を汚すこともありません。
お求めいただいたシナモンロールをご自慢のシチュエーションで写真に撮って、「#シナモンロール 」のハッシュタグを添えてFB、ツイッター、インスタグラム等に投稿していただけたら楽しいなと思います。〝カフェモイ夏のシナモンロールまつり〟(笑)。ご来店お待ちしております。
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なお、明日の【フィンランド風シナモンロール】の販売につきましては下記の通りです
時間 13時〜16時
場所 moi店頭にて(テイクアウトのみです)
予約 お取り置きを希望のお客様は、メール、FBのメッセージなどから個数、お名前、ご来店予定時刻をお知らせ下さい。
本が、宝石と等しく語られるような時代があったのだということを、きのう一枚の写真をとおしてあらためて理解した。
新宿にある紀伊國屋書店ではいま、「紀伊國屋ビル竣工50周年」を記念してさまざまなイベントがおこなわれている(ということを、きのう立ち寄ったときはじめて知った)。その関連で、階段の踊り場に旧「紀伊國屋ビル」の古い写真が2枚ほど飾られていたのだが、思わずその美しい佇まいに目が釘付けになってしまった。
設計は、1964年に竣工した現在の建物とおなじ前川國男。いわずと知れた日本のモダニズム建築の巨匠である。迷いのない直線によって構成されたその空間には、凛とした空気が漂う。とてもじゃないが、ふらっと入って立ち読みなどできないような敷居の高さ。いまでいえば、さしずめ「宝石店」のような雰囲気だ。
思えば、ある時代まで、本はだれもが容易に手にできるものではなかった。当然、値段も高かった。むかしの小説やエッセイを読んでいると、本をとても大事に扱う人々やアクセサリーのようにして本をあえて裸で持ち歩く大学生などと出くわす。書物とは、そうした時代にあっては、その人物の知性を象徴しいっそう輝かせる宝石だったのだろう。
古い写真のなかにある紀伊國屋書店の内観は、まさにそのようなものを扱うにふさわしいアカデミックな佇まいである。
夏の朝、すっと気持ちよく目がさめると、〝動物〟という本来のありかたからすれば、こうやって明るくなったら目を覚まし、暗くなったら眠りにつくという生活こそが、そもそも人間にとってのいちばん幸福な生き様(いきよう)なのではないか、と思えてくる。
我が家の寝室は、2面ある窓のうち一方にしかカーテンを付けていないおかげで夏には4時くらいになればぼんやり薄明るくなってくるし、窓でも明けていようなら騒々しい鳥の声にどうしてもいちどは目が覚める。いっそ、そのまま起きてしまえばよいようなものだが、床についた時間から逆算し、「あと、2、3時間は寝ておかないとしんどいな」などとかんがえてふたたび眠りにつく。現代にあっては、体内時計よりも、機械仕掛けの時計が刻む〝時間〟のほうがはるかにエラいのである。
「住みやすい国ランキング」といったものがあると、しばしばその上位を北欧の国々が占めていたりするけれど、そう思うと、あくまでもそれは「機械仕掛けの時計に従って生きる現代人にとって」のものであって、人間がじぶんの体内時計とともに生きる〝豊かさ〟とはまたべつの〝ものさし〟によって計られた基準であるということがわかる。だって、夏はほぼ一日じゅう太陽が沈まず、冬は反対に太陽が姿をみせない北欧の国々の自然環境は、他の生きもの同様、冬眠でもしないかぎりはとてもじゃないが暮らしやすいはずはないからである。
アイザック・アシモフのSF小説『鋼鉄都市』では、都市全体を巨大な鋼鉄製のドームによって覆ってしまうことでなんとか快適な環境を保持している〝未来の地球〟の危うい姿が描かれる。ある意味、北欧の都市もまた、さまざまな現代の利器と社会システムという〝ドーム〟によって「住みやすさ」を維持する〝鋼鉄都市〟といえるかもしれない。
北欧とくらべれば、はるかに体内時計にしたがって生きやすいここ日本が本来めざすべき〝豊かさ〟とは、24時間遊べる(ということは、つまり24時間働ける)コンビニエンスな暮らしではなく、もっとべつの社会システムによるものだと思うのだけれど。
夏の暑い日に、カフェや喫茶店で〝あたたかい〟コーヒーを飲むのは最高である。カンカン照りの道を汗だくになりながら歩いているときは、絶対アイスコーヒーと心に決めていたはずなのに、けっきょく店に入って注文するのはいつも〝あたたかい〟コーヒー。
エアコンの効いた店内に腰を落ち着け、注文を終え、豆を挽く音に耳を澄ませる。ていねいにハンドドリップされたコーヒーがカップに注がれ、目の前にサーブされるころにはちょうどいい具合に汗も引き、ゆっくりあたたかい飲み物を楽しみたい心持ちになっているのである。なので、そういう、いわば〝間合い〟のない店では、あえてホットは頼まずアイスで済ませたりすることもある。ただ、個人的には、作り置きのお店とか立ったままドリンクが出るのを待っていなければならないようなお店はあまり得意ではないので、そんなには行かないのだけれど。
ところでモイのメニューブックには、ふつう「ホットコーヒー」とか「コーヒー」とか書かれるべきところをあえて「あたたかいコーヒー」と書いている。もちろん、意味は変わらない。日本語の〝あたたかい〟という語感が好き、ただそれだけの理由である。
もしお客様が、物理的に「温度が高い」というだけでなく、そこに「人心地(ひとごこち)がつく」「エンジンが温まる」「おだやかな時間が流れ出す」といった、そんなニュアンスまで感じ取っていただけたならしめたもの。コーヒーカップ一杯分の時間が、よりたっぷり豊かになることは間違いない。
夏の暑い日、カフェや喫茶店で飲むあたたかいコーヒーには、じつは〝間合い〟という目に見えない〝オマケ〟がついてくるのである。
今年の「プロムス」より、フィンランドの指揮者ヨーン・ストルゴーズと北極圏の都市ロヴァニエミを拠点とするラップランド室内管弦楽団による演奏会の模様がオンデマンドで公開されています。2014年8月9日、ロンドンのカドガンホールでおこなわれた「サタデーマチネ」でのライブ録音。
コンサートでは、バロックから近現代までさまざまな作品がとりあげられていますが、どれも夏の土曜日の昼下がりにふさわしく涼やかでチャーミングな楽曲ばかり。
「フランス6人組」のひとりとして知られるアルテュール・オネゲルが1920年の夏、アルプスをのぞむスイスの景勝地ヴェンゲンで作曲した交響詩「夏の牧歌」。フィンランドのヤン・シベリウスが合唱用に書いた曲をみずから弦楽合奏にアレンジした組曲「恋人」は、《恋人》《恋人のそぞろ歩き》《別れ》の3曲からなるロマンティックな音楽だ。スウェーデンのトランペッター、ホーカン・ハーデンベルガーをソリストに迎えての「エンドレス・パレード」は、イギリスの作曲家ハリソン・バートウィッスルによって書かれた1987年の作品。ヴィヴラフォンと弦楽合奏、そしてハーデンベルガーの美音と超絶技巧によって描かれる、さながら北園克衛の抽象詩のような美しい世界。アンコールに演奏されるのは、フィンランドの指揮者にして作曲家ニルス=エリク・フォグシュテットが映画用に書いた「ロマンス」。短いながらも、レーヴィ・マデトヤやトイヴォ・クーラに通ずる甘い旋律が楽しめる作品である。
寝苦しい夜中や真夏の早朝、ぼんやり聞き流すには悪くないプログラムだと思います。4週間限定の配信なのでお早めに。
http://www.bbc.co.uk/programmes/b04d1jc6
ここのところの銀座の変わりようには、行くたび驚かされる。4丁目の交差点にあった「サッポロ銀座ビル」、6丁目の「松坂屋」につづき、とうとう3丁目の「松島眼鏡店」まで閉店してしまった。ここは、小学生のとき天体望遠鏡を買ってもらった思い出の店である。おまけに8丁目の「カフェーパウリスタ」まで改装のため閉店中。あの空間、改装しなくていいのに……。
いっぽう、ここ数年、中央通りを歩いていてやたら目につくのは中国系の観光客たち。集団で行動するうえ総じて声がデカい、しかも舗道の真ん中で荷物整理をしていたりするので(笑)余計に目立つ。一瞬、「ココハ中国デスカ?」と錯覚してしまうほど。
「銀座」という土地の成り立ちについて、中沢新一は著書『アースダイバー』のなかでこんなふうに解説する。
江戸時代、海を埋め立ててこしらえた「銀座」にはそれゆえ歴史がない。やがて江戸幕府は、「貨幣の生産と販売をコントロール」する目的で、京都から銀の職人たちをそのなにもないのっぺりとした土地に移住させる。「銀座」という地名の由来である。
銀座がその後、貴金属店や広告代理店、たくさんのホステスを擁する歓楽街として繁栄しつづけてきたのは、中沢によれば、掘り出された鉱物にさまざまな処理を施すことで「銀」という「高い価値物」を取り出す「婆娑羅な」風体をした職人たちの独特の職能への「記憶」がいまなお人びとのなかに生きているからということになる。いわれてみればたしかに、銀座という土地で幅を利かせてきたのは、みな「付加価値」でひとを惹きつけることに長けた人びとだったという気がしてくる。見た目は変わっても、なにもない下地にその時代時代にあった「化粧」を施しターゲットを惹きつける、そういう銀座という土地の〝本質〟には、じつはなにも変わったところはないのである。
銀座はいま、まさにその新たなるターゲットにむけて化粧直しの真っ最中なのかもしれない。あまりおもしろくはないけれど、しかたない。
あれはあれで嫌いではないけれど、雑然としていて、チープかつ混沌としたヴィレッジヴァンガードの店内は、よくもわるくもいまの日本人の趣味やライフスタイルをとてもわかりやすく象徴しているようにみえる。「とりあえず」という気分で買った雑貨、使っているのかいないのかよくわからない便利グッズやガジェットの類いであふれかえった日本人の中流家庭のすまいが、あの空間のむこうに透けてみえるような気がするからだ。「あったらいいなをカタチにする」企業が人気のこの国だが、「あったらいいな」の反対語は、あるいは「なくてもそれほど困らない」かもしれない。
照明デザイナー石井幹子さんの『フィンランド〜白夜の国から光の夢』(NHK出版)は、20年ちかく前にはじめて手にとって以来、たびたび読み返してきたぼくのいわば〝バイブル〟である。
1965年、27歳で単身フィンランドに渡った著者は、ストックマン・オルノ社でその修行生活をスタートする。当時、主任として切り盛りしていたのは、かのリサ・ヨハンソン=パッペ女史。迷いのない線で光の道筋をデザインした照明器具は、とてもうつくしい。
パッペ女史のアシスタントとして日々をすごすなかで、石井さんは日本のデザイナーとはあまりにちがう「一つのデザインをじっくり時間をかけて、ゆったりとした環境でのびのびとやっている」彼女らの仕事ぶりに驚かされる。「どうして、そういうことでやっていけるのですか」と尋ねる石井さんに、ストックマン・オルノ社のデザイナーたちは口を揃えてこう答えたという。「一つのデザインをつくったら、これが30年、40年と売れればいいのです。一つのデザインの寿命が長ければ、そんなに次々といっぱいつくることはないのです」。
たとえいくらデザイナーがそう考えたとしても、消費者がそれを望んでいなければ、つまり、ひとつのデザインを長く愛するより新しいデザインをつぎつぎ乗り換えてゆくことのほうによろこびを見いだすならば、そうした仕事のやりかたは受け入れられないにちがいない。デザインをつくるのはデザイナーであると同時に、じつはきっと消費者なのである。
ひさしぶりの池袋演芸場。トリの鯉昇師はじめ、なかなか豪華な顔付けである。
瀧川鯉昇師のネタは夏らしく「船徳」。船宿に居候している若旦那、みずから船頭を買って出たはいいが「竿は三年、櫓は三月(みつき)」という世界、そうかんたんにいくはずがない。若旦那があやつる船はふたりの客をのせ、ギラギラと真夏の太陽が照りつける隅田川へと危なっかしくも漕ぎ出すのであった……。
まず、鯉昇版「船徳」では勘当された若旦那の徳さんは「質屋の倅」という設定。これがオリジナルなサゲにつながる。とにかく噺の隅々にまで笑いが詰まったこの鯉昇版だが、とりわけいっぱしの船頭気取りの徳さんのしぐさー 鉢巻きの締め方や竿の扱いなど ーがいかにも「まずは見た目のカッコよさ」にこだわる(でもぜんぶ不器用という)「若旦那あるある」で、いちいちおかしい。船が「ななめに」揺れるのも斬新。パニックに陥った客が気を静めようとタバコを吸おうと試みるが、「ななめに」揺れるおかげでうまく火がつかない。この場面のふたり客によるアクロバティックなやりとりの面白さは、さながら古い無声映画のコメディーを観ているかのよう。ついに、文字通りすべてを放り出す船頭。そして思わず呆気にとられる未曾有の(?)サゲへ。
志ん朝師も小三治師も「船徳」はおかしいが、この鯉昇師の「船徳」も最高。聴かせる「船徳」は若旦那のたたずまいがよく描けている、というのが本日の結論。
遊雀師で「電話の遊び」を聴いたのは2度目。遊びにでかけるのを番頭から止められた大旦那が〝テレフォン芸者遊び〟に興じるというごく馬鹿げた噺。そうして、こういう馬鹿げた噺を遊雀師が演るとほんとうに馬鹿馬鹿しくって…… 最高。
桃太郎師「浮世床」。決着は「じゃんけん」でつける囲碁、王様不在の将棋、与太郎もチョイ役で登場し「本」へ。が、『太閤記』に入るまでがひたすら長い。横から訂正が入るたび、音読とおなじ口調で「そうだ」と繰り返して済ますのがおかしい。小三治師「出来心」の「花色木綿」同様、反復の美学(?)。
笑遊師のアレは、いったいなんだったのか…… いや、「替り目」なのだけれど。「元帳」までもたどり着かずダジャレであがってしまった。たんなる「よっぱらい」。
ふだん縁遠いせいか、たまに芸協のベテラン勢の高座に接すると日ごろ聞き慣れた噺がちょっとちがう演出で聴けたりするのが、また興味深い。とくに寄席に頻繁に登場する師匠方の場合、長年高座にかけるたびに剪定を重ねてでできあがった独特の型をもっているようである。蝠丸師の「へっつい幽霊」がまさにそんな感じ。マクラもふくめ15分でおさまるコンパクト版。幽霊は「左官の長五郎」ではなく「半ちゃん」。オリジナルは先代の小さん師? そこに「粗忽長屋」や「狸賽」「家見舞」などべつの噺がちょいちょい浸食してくるという、まさに「寄席のお客さん」を意識したアレンジ。サゲは、もういい加減博打からは足を洗ったらどうなんだと言われた幽霊が、「足がないので洗えません」というもの。
二つ目の夢吉さんは、「自分が田舎者のせいか、どうも江戸っ子気質というのは胡散臭くみえてしまう」とマクラで触れつつ「絵に描いたような」江戸っ子が登場する「強情灸」へ。「おい!」と思わずツッコミたくなるくらいの、過剰な江戸っ子っぷり。馬鹿馬鹿しさを突き抜けて、ある意味、一編のファンタジーにまで昇華されていた。すばらしい。この夢吉さんを筆頭に、芸協は個性派の二つ目がのびのび育っている印象。小助六師や鯉橋師など若手真打ち含め、もっともっと寄席に登場するようになれば足繁く通うのだけれどなァ。
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開口一番 昔昔亭喜太郎「転失気」
◎三笑亭夢吉「強情灸」
◎ぴろき ギタレレ漫談
◎三遊亭遊雀「電話の遊び」
◎桂米福「持参金」
◎北見伸、スティファニー
◎柳家蝠丸「へっつい幽霊」
◎昔昔亭桃太郎「浮世床」
仲入り
◎宮田陽・昇 漫才
◎三遊亭笑遊「替り目」
◎桂竹丸 漫談
◎鏡味正二郎 太神楽曲芸
◎瀧川鯉昇「船徳」
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2014年8月19日 於池袋演芸場
カッリオ地区はヘルシンキのダウンタウン。ダウンタウン(下町)なのに、場所は、急な坂道を登った丘にある。いまでこそ新進アーティストらがこぞってアトリエを構える注目エリアなどと紹介されるけれど、元々は観光客にはまず縁のない〝労働者の町〟だった。
アキ・カウリスマキの映画『カラマリ・ユニオン』では、日々の生活に疲れた風采のあがらない男どもが、そのカッリオ地区を捨て海辺の高級住宅地エイラ地区へと無謀な〝逃避行〟を試みる。じっさいの地図上では、カッリオ地区からエイラ地区へは余裕で歩ける程度にしか離れていないというのが笑えるところだが、にもかかわらず、そこに生きる人びとの暮らしには天と地ほどの隔たりがある、というのがシニカルなことで知られる監督の言いたいところなのだろう。
2008年にカッリオ地区を散策したときには、真っ昼間でもそこかしこによっぱらいが徘徊し、教会の近くでは食事の配給に並ぶホームレスたちが列をなしていた。向こうからやってきたチャイニーズとおぼしきおっさんが、「いま配給やってるぜ」と嬉しそうに教えてくれたのもそのときだ。異国の街で腹を空かせたホームレスとでも間違われたのだろうか。いや、たしかにそのときお腹はペコペコだったのだけれど……。
カッリオ地区のてっぺん、カタツムリのような渦巻き状の道を登り切ったところに小さなパン屋さんがある。おばあちゃんが焼くシナモンロールは、「よくぞここまでたどりついたね」というご褒美のような味がした。
フランキー堺主演の映画『羽織の大将』(昭和35)で、安藤鶴夫は〝念願の〟映画デビューをはたす。やがて落語家になる主人公の大学時代の恩師「安鶴先生」役で登場しているのだ。そして拾い読みしていた『ある日その人』と題されたエッセイに、そのときの興味深いエピソードをみつけた。
安藤鶴夫いわく、なにより苦労したのは寄席でかつての教え子の高座姿を目にした「安鶴先生」の演技だったという。そのとき、まばらな寄席の見物客を相手に、フランキー堺扮する前座の小文(こぶん)が演じていたのは「廿四孝」という噺。安鶴先生は、それを見て「ちぇッ、なんて下手な野郎なんだい」としかめっ面をしなければならないのだが、それができない。どうしてできないかというと、フランキー堺の落語があまりに達者するぎるからである。「軽くって、さらさらとしていて、いきがよくって、愛きょうがあって、いやなんとも巧い」。演技しようにも、うっかり「演劇評論家・安藤鶴夫の耳が、高座のフランキーの落語をきいているから」演技できないのだという。じっさい劇中で披露される落語はどれも、たしかに見事としかいいようがない。そういえば、入門した小文が兄弟子から一番太鼓の叩き方を教わるシーンもあるのだが、こちらも「ドラマー」らしい器用さで華麗にこなしている。
映画じたいは、落語家になる夢をかなえた才気あふれる若者が、時代の寵児としてマスコミに祭り上げられたあげく人生の歯車を狂わせてゆくというほろ苦いストーリー。〝おいしい〟役どころでで準主役級の活躍をみせるのは、なにかと小文の世話を焼く兄弟子役の桂小金治。
小金治(二代目小文治の弟子で、先代の文治の弟弟子)といえば、子供のころワイドショーやクイズ番組の司会者としてよくテレビに登場していた記憶がある。じっさい、小金治は将来を嘱望されていたにもかかわらず、二つ目時代に芸能人として売れまくってしまったため落語界からは遠ざかり、けっきょく真打ちに昇進することもなく高座から引退してしまった。まるでこの映画の主人公そのものだが、小金治が芸能人として活躍するようになるのはさらに数年後のことである。昭和のなかごろは、どうやら落語家にとってなかなか誘惑の多い時代だったようだ。
みなさんアイスバケツチャレンジって、おもしろいですか? 先日行った寄席での、ある落語家の発言である。それをきっかけにALSという難病について広く知ってもらおうという本来の意図はひとまずおいておくとして、「氷水をかぶる」という行為そのものに「おもしろさ」を感じるかどうか、そこにアメリカ人と日本人のユーモア感覚のちがいがあるのではないか、そう落語家は言いたいのである。
そういえば、子供のころよくパイをぶつけられたアメリカ人が顔じゅうクリームだらけにしてキャアキャア言っている姿をテレビなどで見たりしたが、あれにしても、まあ、おもしろくないとは言わないまでも「そこまでかよ」という感じはあった。たしかに、あのときの感じに似ていなくもない。
そう思ってしまうのはなんだろう、日本には日本の、アイスバケツを超えるユーモアとインパクトを兼ね備えた《お家芸》的パフォーマンスがあるからだろうか。
たとえば、教室で牛乳を一気飲みする(この場合、手を軽く腰にあてるのがルール)、天井からかなだらいが降ってくる(ぶつかった後のリアクションまでで一連の流れ)、熱湯コマーシャル(アイスバケツはあくまでもオプション)などなど……。オフィスで、口といわず鼻の穴といわず牛乳を逆噴射するビル・ゲイツ…… 落ちてきたかなだらいで眼鏡がずり落ちたビル・ゲイツ…… ウィンドウズの起動よりもスピーディーに浴槽から飛び出してくる、ビル・ゲイツ。見たい、ものすごく見たい。そして次は石破官房長官を指名だ。
まあ、それはともかく、ここのところ有名人のみなさんは氷水をかぶるかぶらないでほめられたりけなされたりと大変だ。今回についていえば、知名度という点ではこれ以上申し分のないビル・ゲイツが参加したことで第一の「目的」はほぼ達成したといえるのではないか。すくなくとも、パフォーマンスで盛り上がるレベルはすでに終了している。今回「拒否」した有名人の方々は、またなにかべつの機会にでも率先して牛乳を一気飲みするなり、頭上でかなだらいをキャッチするなり、熱湯コマーシャルに挑戦するなりすればよいと思う。
ところで、今年も昨晩「24時間テレビ〜愛は地球を救う」が終わった。番組内の「目玉企画」ともいえる100kmチャリティーマラソンもすっかり恒例である。今年のランナーはTOKIOのリーダーだったらしい(テレビを観る習慣がないので未確認)。話題性があったり人気があったりするひとが困難に挑むことでチャリティーじたいに関心をもってもらおうというのがこの企画の意図であり、その意味ではこれも「アイスバケツ」と同じである。あえて言えば、ユーモアのかわりに〝汗と涙と感動〟によって関心を引き寄せようというところがいかにも日本的という気がする。うーん、あまり好みじゃない。むしろ、牛乳の一気飲みとかかなだらいとか……。
あす9/7(日)のシナモンロールは、いつもにくらべてより「フィンラン度」がUP!!!
先日、フィンランド帰りのAさんより、シナモンロール用に調合されたフィンランドの「シナモンシュガー」をおみやげにいただきました。日本ではもちろん入手できないものなので、モイではいつも本国の味に近づくよう独自に調合しています。
というわけで、あす9/7(日)はフィンランドのシナモンシュガーを使って焼いてみようと思います。いつもよりすこし味がちがうかもしれませんが、そのあたりもお楽しみいただければと思います。テイクアウト、イートインともたっぷりご用意の上お待ちしておりますので、吉祥寺でさらに一歩本場に近づいた「北欧の味」を堪能してください。
なお、ご予約もメール、FBのメッセージから受け付けております。ご利用ください。
中秋の名月。日ごろせかせか動き回っている日本人でも、この日ばかりはとっくりお月様を眺めたい気分になります。
とはいえ、予報によると今夜は雨。どうやら「お月見」は難しそうな気配です。それならいっそ、moiで「月見コーヒー」なんていかがでしょう。カップを上げると…… ほら、ね。ぽっかりお月様が浮かび上がります。満月ではないけれど。
その名も「eclipse(月蝕)」というのがこのコーヒーカップの名前。2002年、荻窪にmoiをつくった際、当時フィンランドで活動していたデザイナー梅田弘樹さんにつくっていただいたオリジナル。フィンランドの工場で、長年ARABIA社で石膏職人をしてきたエーロ・コスケラ氏の協力の下、誕生しました。柔らかみのある白色も、ちょっと丸みを帯びたフォルムも、いかにもフィンランドならではという気がします。ちなみに、以下のリンクから「eclipse」製作中のコスケラ氏の様子を梅田さんがレポートした記事を読むことができます↓
http://www.japandesign.ne.jp/HTM/REPORT/Helsinki/03/
とてもちいさかった(いまでもちいさいけれど)荻窪時代のmoiのテーブルにあわせて、できるだけ食器が少なくて済むようにと考えられた「eclipse」のデザイン。器を横にずらすことでできたスペースに、シナモンロールなどちょっとしたお菓子をのせることができます。「用の美」という、日本と北欧に共通のデザイン思想を凝縮した傑作だと、ずっとぼくは思っています。
以前、友だちから貰った『THE STORY OF A MUG』というちいさな本を、ときどき見返しては楽しんでいる。タイトル通り、一冊まるごとマグカップの本である。
帯によると、この本は「イーッタラの〝ローカル・マグ・イニシアティブ〟という活動の一環として、2008年にスウェーデンで出版された」とのこと。編集は、2人組のグラフィックデザインユニット〝Byggstudio〟。ポップで、いい感じに肩の力の抜けたつくりは、マグカップという日常的なアイテムに似合っている。コーヒーを飲みつつ、けさもパラパラとページを繰っているとフィンランドのイラストレーター、マッティ・ピックヤムサがお気に入りのマグカップについて語っているページをみつけた。いわく、
《厳密にいえば、マグカップというよりソーサーなしのティーカップなんだけど、ビルゲル・カイピアイネンが1968年にデザインしたアラビアの〝ブラックパラティーシ〟がお気に入りです》。
そして、カイピアイネンというデザイナーから刺激をもらっていると語るマッティは、こんなふうにしめくくっている。《こんなふうに良質で、しかも想像力にあふれたマグカップさえあれば、退屈な一日もずっと気楽にスタートできるんじゃないかな?》
みなさん、お気に入りのマグカップはお持ちですか?
〝まるごと食べられるオレンジのシロップ煮入り紅茶〟。今年もはじめます。
よいオレンジが手に入る時期を選んでフィンランド家庭料理研究家・西尾ひろ子さんがコトコト煮込んでこしらえたものを、毎年ようやく涼しくなってきたこの時期を見計らってメニューに載せています。
おかげさまで毎年楽しみにしていただいているお客様も少なくなく、ひと月ほどでシロップ煮のストックが底をついてしまいます。追加でつくることができないので、なくなったらそれでおしまい。ごくごく限られた期間しか提供することのできないメニューです。
濃い目にいれたディンブラの底には、柔らかくて甘くて香り豊かなオレンジの輪切りが……。もちろん皮までお召し上がりいただくことができます。機会がありましたらぜひお楽しみください。
10月4日(土)はシナモンロール祭り!!
フィンランドでは毎年10月4日は「korvapuustipäivä」、つまり「シナモンロールの日」とされています。
元々は1999年にスウェーデンで制定されたものですが、その後スウェーデン系フィンランド人たちの間で広まり、2006年にはフィンランドでも「シナモンロールの日」が正式に制定されました。ちゃんとした国の行事です。すごいですよね。
というわけで、moiでも10月4日(土)は「シナモンロールの日」を祝してイートイン、テイクアウトとも、自家製フィンランド風シナモンロール 10%OFF にてご提供させていただきます。
テイクアウト 292円(税込み)
イートイン 351円(税込み)
となります。4日(土)限り、売り切れ次第終了とさせていただきます。テイクアウト分のお取り置きも可能です。
シナモンロールの日を、北欧の人たちと一緒に祝っちゃいましょう♪
休日。台風一過の秋晴れ。なんとなく家にいるのももったいない気がして、思い立って池袋演芸場へと出かけた。家に引きこもって過ごすのも雑居ビルの地下にある寄席にこもるのも、よくよく考えてみればどちらも大差ない気がするけれど……。
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池袋演芸場 10月上席 夜の部
開口一番 小かじ「二人旅」
◎柳亭市弥「黄金の大黒」
◎柳家三三「町内の若い衆」
◎大瀬うたじ 漫談
◎橘家蔵之助「ぜんざい公社」
◎柳家小のぶ「権助魚」
◎すず風にゃん子・金魚 漫才
◎林家彦いち「長島の満月」
〜仲入り〜
◎春風亭百栄「露出さん(*代演)
◎五街道雲助「代書屋」
◎アサダ2世 奇術
◎柳亭市馬「付き馬」
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お金がないにもかかわらず吉原で遊んじゃった。そんな危なっかしい客が、昔はちょくちょくいたらしい。そんなときは、客の家まで店の従業員である「若いモン」が一緒に付いていって代金を徴収してくるという仕組みがあったらしい。それを「付き馬」といった。のどかな時代である。
「付き馬」という噺は、お金のない男が盛大に吉原で遊んだ挙句、舌先三寸、若いモンをだまくらかして逃走するというストーリー。なにも悪いコトをしていないひとを騙すお話なので、思わず「あっぱれ」と感心してしまうくらい「調子よく」いかないと、なんだか後味が悪くなってしまう。決定版は、やはりなんといっても志ん朝師匠。軽さと図太さと、天性の詐欺師といった風情である。いっぽう、市馬師の「男」もなかなかたいしたもの。朴訥として、いかにも懐具合だってよさそうだ。なんといっても、あの笑顔である。騙されるよなぁ。上機嫌で浅草じゅう若いモンを連れ回したあげく、最高の笑顔でもって「さぁ、(電車に)乗ろう!」。たまらなく可笑しい。
蔵之助師は「ぜんざい公社」。まさか、落語協会の寄席で「遭遇」するとは。もはや「専売公社」も「電電公社」も遠い過去だが、はたして「ぜんざい公社」は民営化されないのだろうか?!
彦いち師の「長島の満月」は、郷里の「島」を舞台にした「わたくし落語」。
「幻の噺家」柳家小のぶ師のネタは「権助魚」。めったに寄席には登場しないことから、ひと呼んで「幻の噺家」。でも、ここ最近は頻繁に寄席に登場しているのでだいぶレア度はdown? それでも、彦いち師や市馬師がうれしそうにマクラで話題にしていたくらいだから、やはりまだまだ「幻」なのだろう。無駄のない、筋肉質な噺の運び。そして「間」が絶妙。魚屋を相手に「しゃあぁああ」と権助が驚きの声をあげるたび、客席の笑いの渦もどんどん大きく広がってゆくのだった。
2014年10月7日 於池袋演芸場
人生の大半を東京で過ごしながら、荒川区に降り立ったのはこれが2度目かもしれない。東京で生まれ育ったひとはたいがいそうだと思うのだが、じっさいの(都内での)生活圏はみな案外狭かったりする。ぼくの場合もそうで、落語を聴くようになるまでは都内の東側はなじみのない土地ばかりであった。この日、わざわざ荒川区の日暮里までやってきたのも、もちろん落語を聴くためである。なんだか、見るもの聞くものすべてが新鮮だ(笑)。だいたい、駅ナカで「羽二重団子」が買えるなんて素敵じゃないか! 「本日中です」と念を押されながらも、どうにも我慢しきれず買ってしまう。まっすぐ帰っても、家に着くのは22時半だというのに……。
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雷門小助六・三笑亭夢吉 リレー落語会〜悶絶編
開口一番 雷門音助「八問答」
◎三笑亭夢吉「将棋の殿様」
◎雷門小助六「宿屋の仇討ち」
仲入り
◎雷門小助六〜三笑亭夢吉「茶の湯」(リレー形式での口演)
◎寄席踊り〜奴さん/姐さん/かっぽれ
雷門小助六&雷門音助 三笑亭夢吉(笛)
2014年10月14日 於日暮里サニーホール4Fコンサートサロン
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公式発表はまだのようだが、どうやら夢吉さんは来春の真打昇進が決定した模様。ファンにとっては、むしろ「ようやく」といったところだろうか。逸材。「将棋の殿様」は、甘やかされて育った世間知らずの殿様(どこぞの国の「将軍様」のよう)が何も言えない家来相手にむちゃくちゃな将棋をさして困らせる噺。見かねた「ご意見番」が登場、殿様をとっちめるのだが、夢吉さん演じる「ご意見番」がまた強面かつスパルタで…… ヘビに睨まれたカエルのような殿様の怯えかたが尋常でない。すごく可笑しい。小助六師匠の「宿屋の仇討ち」、お調子者の江戸っ子3人連れのひとりが「与太郎」というのは初めて聴く演出。ボケ&ツッコミ+道化という型で、これはこれでアリかもしれない。
仲入り後は、ひとつの噺を夢吉&小助六のふたりによるリレー形式で聞かせようという、ちょっと変わった趣向。なにを演るのかと思いきや、なんと「茶の湯」。なるほど、落語会のサブタイトルが「悶絶編」となっているのはそういう理由(ワケ)か。前半、密室で繰り広げられるご隠居と定吉のあやしげな「茶会」のくだりを小助六師匠が担当、店子連中を巻き込んで炎上する後半を夢吉さんが熱演。前半でご隠居以上に「お茶」にノリ気な定吉が、後半ではより邪悪なキャラクターに変貌しており、このあたり「リレー」ならではの面白さ。サゲで登場するお百姓は、長閑というよりいい加減腹を立てている様子。丹精込めて耕した畑にしょっちゅう「利休まんじゅうテロ」を仕掛けられたら、そりゃあ腹も立てるよね。
開口一番の音助さんは、「八っつぁん」と「先生」が繰り広げる数字の「8」に因んだ他愛のない言葉あそびが愉しい「八問答」。あまり聴かない噺だが、ちょっとググってみたところどうやらこの一門の十八番(オハコ)らしい。最後は、全員で三本締めで御開き。寄席ともホール落語ともちがう、のんびりなごやかな会でした。
遅ればせながら…… 今年の初め、こんな「事件」が起こっていたようです。
ドイツの菓子ブランドHARIBO社のサルミアッキ「Skipper Mix」が人種差別にあたるのではないかとの声がスウェーデンの消費者から寄せられ、それを受けて同社が該当商品を市場から撤去したとのこと。日本でも『ちびくろサンボ』問題などありましたが、レイシズムに対する欧米の反応は想像以上に徹底しているように感じられます。
ただし…… 見出しで強調されている「Blackface」については、あくまでもサルミアッキの属性であってそこに恣意性は感じられないような気もしますが(写真を見ると「魚」や「家」も混じってますしね)。
薄っすらノドが痛い気もするが、ここ最近のモヤモヤした気分をなんとか晴らしたい気もあって、浅草〜田原町界隈を駆け足で散歩してきた。
お昼は観音裏、浅草見番の向かいにある「弁天」で蛤の出汁がきいた「はまぐりせいろう」を。なんというか、日本人のDNAにぐらぐら揺さぶりをかけてくるような奥行きのある旨さ。丼ものを含め、お品書きにのっているメニューをすべて制覇したい!! その他、「ルスルス」や洋菓子「レモンパイ」へも寄り道。「亀十」は、相変わらずの行列につき断念。無念…… 夢に出るかも。
ところで、浅草の街を歩いていると頻繁に出くわすのが観光用の人力車。耳をすますと、さりげなくだがずいぶんと親切丁寧に車夫がお店の紹介をしている。もしかして、お店から広告料をもらっていたりするのだろうか?
JJazz.Net内の人気コーナーにて、bar bossaの林さんから音楽についてインタビューしていただきました。自分が過去に聴いてきた音楽とあらためて向き合うことは、なかなかスリリングな体験でした。インタビューでは音楽のことだけでなく、お店をつくるにあたっての経緯などにも触れています。また、人生の曲がり角で出会った10曲もセレクトさせていただきました(リンク先にて視聴可)。
こうして並べてみると、なんだかやたらと節操がない感じを受けますが、それはきっとぼくが音楽を「趣味」として掘り下げるよりも、その時々の自分の姿を映す「鏡」のようにしてつきあってきたせいかもしれません。熱心に聴いていたのに、あるときを境にぷいっと離れてしまったり、そうかと思うと、またやたらと情熱的に聴き始めたり、そんなふうにしてこれからも付かず離れずといった具合にひとりの「聴き手」として音楽とともに人生を歩んでゆくのだと思います。
人気コーナーにお呼ばれして舞い上がっちゃってる感じあり(笑)、またJJazz.Netと知りながらジャズを一曲もセレクトしていないという手抜かりもあったりするわけですが(笑)、お時間のあるときにお読みいただければ幸いです。また、もし聴いたことのない音楽がありましたらほんのさわりだけでも聴いてみていただければと思います。
https://www.jjazz.net/jjazznet_blog/2014/11/bar-bossa-vol39.php
旅の途中、飛行機でみる映画はたのしい。どういうからくりかは知らないが、日本ではまだ公開されていない作品が上映されたりもする。とはいえ、そんなたのしい機内上映のひとときが、ときに〝拷問〟になったりもするのだから侮れない。
機内で、『イエスマン〝YES〟は人生のパスワード』という映画を2回みたことがある。正確に言うと、1.8回。冴えない主人公が胡散臭い自己啓発セミナーに翻弄される話なのだが、繰り返しみるほど気に入ったのかというとまったくそんなことはない。俳優にしたって、主演のジム・キャリーはともかく、相手役のズーイー・デシャネルなどはできれば自身の出演作リストから抹消したいのではないか。本人に訊いたわけではないから断言はできないけれど。
それはともかく、眠くなかったし、持参した本もあらかた読んでしまったのでぼくはなんとなく、この『イエスマン』をみはじめたのである。さして面白くもない(好きな方がいらっしゃったらゴメンナサイ)。それでも、最後の15分あたりになると俄然ふたりの恋の行方が気になりだした。ところが、である。ようやく面白くなりはじめたそのとき、「これより着陸態勢に入ります」とかなんとかいって突然モニターが真っ暗になってしまったのである。気になる。結末が、気になるじゃないか!!!おかげで、旅のあいだアタマの中はずっと「人生のパスワード〝YES〟」でいっぱいだった。
そんなわけで、帰りの飛行機では機内上映がはじまるのを待ちかまえて『イエスマン』をみた。しかしながら、機内のモニターというのは早送りができない。けっきょく、最後の15分のために退屈な90分を繰り返すはめに。そして期待した後半15分の展開はといえば…… ほぼ想像通りであった。
フィンランド航空が、座席ごとにモニターのついた機体を導入したのはかなり遅かったのではないか。少なくとも10年ほど前までは、映画は客席内に設置された大型のスクリーンでみるほかなかったし、当然好みの作品を選ぶといったこともできなかった。
ある年、ヘルシンキへと向かう機内で上映されていたのは『解夏(げげ)』だった。さだまさし原作による小説の映画化で、ざっくり言うと、大沢たかおが視力を失う話である。夏の北欧をめざすのんきな観光客がみる映画としては、それはあまりに重く、暗かった。
またべつのある年、ヘルシンキへと向かう機中で上映されていたのは『スクール☆ウォーズ』であった。かつてテレビで大ヒットした『スクール☆ウォーズ〜泣き虫先生の7年戦争〜』を映画化したものである。直情型の若い教師が、ラグビーを介して不良少年や落ちこぼれたちと心を通わせてゆく。教師役は照英。さすがにみる気になれずイヤフォンは使わなかったが、それでも目を開けていれば嫌でもスクリーンに映し出される映像は目にはいってくる。困ったものだ。1列前に座ったビジネスマンとおぼしきフィンランド人男性の目に、いったい「泣き虫先生」の姿はどのように映っているのだろう? 荒廃した校内でバイクを乗り回すリーゼント姿の若者をみて、うっかりレニングラードカウボーイズの日本版と勘違いしたりしないだろうか? 余計なことを考えていると、ついうっかりスクリーンを見入ってしまう。いかんいかん。そうして目を離しても、試合シーンのたび、イヤフォンから漏れたピィーーーーッという甲高いホイッスルの音が機内に響きわたるのだった……。
以下、持論。機内で上映する映画についていえば、あまり「新作」であることにこだわらず、もはや定番と化した「名作」のほうがかえって安心感があるのではないか。
むかし働いていた職場にあったカフェで、ギャルソンたちが山ほどのピンバッジをエプロンにつけているのを見て「カッコいいなァ」と思っていた。
真似をして、この仕事を始めてからじぶんもエプロンにピンバッジをつけるようにした。すると、カンバセーションピースとでも言うのだろうか、それをきっかけにお客様から声をかけていただける機会が増えた。もしかしたらギャルソンたちもまた、そんな目的をもってたくさんのピンバッジをつけていたのかもしれないな、といまは思っている。
フィンランドの「徽章店」で買った国旗のピンバッジ。手芸作家の石川奈々さんからいただいたフェルト製のmoiのロゴ。イラストレーターの日置由香さんが描いたイラストを元にmoiでつくったコーヒー豆ピンバッジ。これは、大坊珈琲店の大坊さんにも気に入っていただいているようだ。そして、韓国の友人ユンジョンからもらった髭バッヂ。さらにきょう、新たに加わったのは北海道に移住した咲子さんがつくった白樺の靴バッヂ。
どれにもひとつひとつ、かけがえのない思い出がある。
フィンランドの〝あたたかいクリスマス〟をテーマにした展示『ランミンヨウル』が、今年も谷中のギャラリーTENにて開催されます(12/2火〜12/7日)。
メンバーはみなフィンランドと深い関わりをもちつつ、日々モノづくりに励んでいるみなさん。じつは、メンバーのほとんどはオープン当初からの「moi」の常連さんでもあります。会期中は展示だけでなく、フェルトやカード織り、フィンランドのお菓子の包装紙をつかった豆本のワークショップなども開催されます。フィンランドが好き、フィンランドのモノづくりについて話を聞いてみたい、そんなみなさんにぜひ足を運んでいただきたい心がポッと暖かくなるようなイベントです。また、この時期、クリスマスプレゼントを探しているという方々にもおすすめです。
さて、この「ランミンヨウル」にお邪魔してワタクシ岩間がトークイベントをさせていただくことになりました(「紅白」的に表現すると2年ぶり3回目の出場)。
テーマは「フィンランド〝な〟カフェができるまで」。
2002年夏、まだ世間では「フィンランドって北極にあるんでしたっけ?」的な空気がはびこっていた時代(?)、どうしてフィンランド〝な〟カフェをここ東京につくろうと思ったのか、そして実際にはどんな出来事や出会いを経て実現したのか、を蔵出し写真やココだけのエピソードなどまじえつつご紹介させていただきます。フィンランドに興味がある方はもちろん、カフェ好きのみなさんにもぜひ聞いていただければと思っています。
そしてなんとこのトークイベント、「ランミンヨウル」のみなさんのご厚意によりなんと「無料」です!平日の夕方ではありますが(実際のスタートは18時くらい……?)、お時間にご都合のつくみなさまぜひぜひご来場ください。
◎トークイベント「フィンランド〝な〟カフェができるまで」
日時 12月2日(火)17時〜
*実際には18時前後スタート?約1時間弱
場所 谷中・ギャラリーTEN
出演 岩間洋介(「moi」店主)
費用 無料
当日はオープニングパーティーを兼ねているためお飲物等のご用意もあるそうです。
では、当日会場にてお目にかかりましょう!
http://galleryten.org/ten/?p=8144
まいど、こちらのFBページに「いいね」を頂きありがとうございます。キートス、キートス。さて、きょうの話題です↓
マッティ・ピックヤムサ展のあるきかた
本日より、フィンランドの人気イラストレーター、マッティ・ピックヤムサの原画展【後期】がスタートいたしました。これは、フィンランド最大の新聞「ヘルシンギンサノマット」日曜版コラムにマッティが提供した挿絵の原画を展示するもので、前半後半各5点ずつカフェに展示しております。
マッティの描くイラストはどれもカラフルで、とても楽しいものばかり。なので、イラストを観ていただくだけで十分お楽しみいただけるのですが、せっかくですので作品の下に記された文字もぜひ読んでみて下さい。左より新聞掲載日/コラムの見出し/要約となっています。見出しを読んであらためて作品を観ると…… なるほど! そういう意味だったのか!! と膝を打つこと間違いなし。絵をみてほっこり、見出しを読んでにんまり、そんな構成になっているのです。
ちなみにこの作品、見出しは「私は間違っていました」というもの。さまざまな国の言葉で「こんにちは」と書かれているなか、「Moi」「Hei」「Terve」といったフィンランド語が書かれていないのがポイントです。さて、そのココロは?
どうぞお店でご確認ください! 作品展は8日(月)までの5日間。今回の展示にあわせてつくられた図録など、グッズの販売も8日までとなっておりますのでどうかお見逃しのありませんように。
12月6日は……フィンランドの97回目の「独立記念日」でした。そしてもうひとつ、moiが荻窪から吉祥寺に引っ越して丸7年目の日でもありました。
じつは7年前、ほんとうは12月5日に移転オープンするつもりだったのですがどうしても間に合わず、やむなく一日延期したところ偶然にもフィンランドの独立記念日と重なりました。出来過ぎ!!!
というわけで、育休中のスタッフIからは「にんじんの7」付きキャロットケーキを、そして公私共々お世話になっている美保子さんからはお手製のリースを頂きました!思いがけない贈り物に頬も緩みっぱなしの一日となりました。Kiitos Paljon!
本日12/11より、粘土作家ポヲさんの個展がはじまりました。前回『手のひらからひとしずく』の続編ということでタイトルは、『もうひとしずく』。ガラス瓶に閉じ込められた、ハリネズミやリスたちの可憐な小宇宙。
制作途中、敬愛するトーベ・ヤンソンの評伝『トーベ・ヤンソン〜仕事、愛、ムーミン』を熟読し、ドキュメンタリーDVD『ハル〜孤独の島』を200回以上も繰り返し観たというポヲさん。それでも、そのままの世界を粘土でなぞるのではなく、自分なりのフィルターを通して敬愛するトーベ・ヤンソンの世界を、フィンランドを表現したい語るポヲさんのスタンスは「moi」のそれとも共通するもので、とても共感できます。
展示は15日(月)までの5日間、短い期間ですがぜひご覧頂ければと思います。なお、価格は3千円〜4千円台が中心ですが、小さなものは千円台からご用意しております。プレゼントの候補としてもぜひ。
では、2014年の「私的」十大ニュースの「第1位」を発表します!
「4年半ぶりに東京都内から出る」
今年はもう、まちがいなくコレに尽きますね。こんなにドキドキしながら多摩川を渡ったのは生まれて初めてです。渡り切った瞬間、小さくガッツポーズをし、世界じゅうのみんなに「ありがとう!!!」と叫びました(心の中で)。
7年ぶりに訪れた京都では、京響の「第九」を聴き、年男(注「としお」と読まないで)として「ウマ」に縁の深い藤森神社(ふじのもりじんじゃ)を参詣してきました。
写真は、その藤森神社の境内にある神馬像。傍らの立て札にはきっとなにかありがたい謂れでも書かれているにちがいないと、わざわざ収まるような構図で写真を撮ったのですが、後からよくよく見直してみたところ
「御本殿・拝殿周辺でハトやネコにエサを与えないで下さい」
と書かれていました……。今年も「moi」を可愛がってくださり、どうもありがとうございました。どうぞみなさまよいお年をお迎え下さいませ。
〝銀ブラ〟をしてきた。ただの〝銀ブラ〟ではない。〝本気の銀ブラ〟である。
じつはもともと、〝銀ブラ〟という言葉についていえばぼく自身「銀座をぶらぶらとそぞろ歩く」くらいの意味にしかとらえていなかった。ところが、あるとき手にした一冊の本を読んでそれとは異なるまたべつの「説」があることを知ったのだった。
その本とは、長谷川泰三『日本で最初の喫茶店 「ブラジル移民の父」がはじめた カフェーパウリスタ物語』(文園社)。そのなかでいくつかの文献を引用しつつ長谷川は、「銀ブラ」の語源とは
「銀座のカフェーパウリスタでブラジル珈琲を飲む」
ことであるという説を紹介している。大正初期の慶應義塾大学の学生らが作り、流行らせたというのである。「アナ雪」しかり、「セカオワ」しかり、どんなに凝ったネーミングもいずれは「4文字」に縮められる宿命にあると言ったのはバールボッサの林さんだが、銀座の「銀」とブラジル珈琲の「ブラ」で「銀ブラ」、ふむ、ありそうな話話である。
成毛五十六。大正初期の慶応大学の学生で、「ピーリ」という同人誌を主宰する詩人でもあった。〝銀ブラ〟という言葉の命名者はこの成毛であると、作家で、同級生でもあった小島政二郎が自身の作品(『甘肌』)のなかでくわしく披露しているという。かいつまんで紹介すると、成毛とその仲間らは授業後、よく完成まもない銀座のカフェーパウリスタまで繰り出した。もちろん、当時も市電くらいは走っていたのだろうけれど、彼らはむしろだらだら5キロほどの道のりを歩いてゆくことのほうを好んだようだ。じっさい1時間半弱の道のりは、気の合う仲間と一緒ならたいした距離には感じられなかったのではないか。
彼らはまず、三田のキャンパスを出ると芝公園へ。芝山内から増上寺、大門を経て芝神明の「太々餅屋」で一服。そこから日陰町通りを抜けて新橋ステーション、新橋を渡ってカフェーパウリスタまでたどりついた。つまり〝銀ブラ〟とは、「よお、〝銀ブラ〟しようぜ」そんなひとことに始まり、ようやくたどりついたカフェでブラジル珈琲を味わうまでの一連の時間の流れをさしていわれた言葉にちがいない。そしてもちろん、そこにはぶらぶら歩きながらの友との会話や目に飛び込んでくる光景までふくまれることだろう。
前置きが長くなってしまったけれど、今回はこの〝本気の銀ブラ〟がどんなものだったのか、大正初期の慶應の学生らの足跡をたどってみた。
ほんらい「起点」は三田の慶應大学でなければいけないのだが、家を出る時間が遅くなってしまったのでいきなり脱線、新橋駅前ビルの「ビーフン東」で焼き五目ビーフンを食べた後、地下鉄で「大門」に移動、増上寺をとりあえずの「起点」とした。
◎増上寺
およそ400年前に建造された赤い「三門(三解脱門)」を抜けると、広大な境内には計算したわけでもないだろうがやはり赤い「東京タワー」を背後に従えた巨大な本堂は目に飛び込んでくる。浄土宗の大本山なので「南無阿弥陀仏」と唱えるべきのだが、「二礼二拍手一礼」しているおじさんがいた……。
◎芝山内
慶應の学生らとは逆行するかたちになるが、プリンスホテルわきを抜けて弁天池のある宝珠院をめざす。かつて「芝山内」と呼ばれたこの界隈、江戸時代には辻斬りや追いはぎが頻発するような物寂しい場所だったそうだが、たしかにいまだって目の前にそびえたつ東京タワーさえなかったらずいぶん殺風景な場所である。落語「首提灯」の舞台。
◎弁天池(宝珠院)
想像よりもかなり、とてもちいさな池。意外にひとがいる、と思ったら、なんのことはないドラマのロケでした。ちいさなお堂には、源頼朝や徳川家康も信仰したといわれるきれいな弁天様が祀られている。
ここからぐるりと芝公園をまわって増上寺まで戻る。縄文時代、東京の都心はあたかもフィヨルドのように複雑な地形をもつ入り江だったと中沢新一は著書『アースダイバー』で言っている。そしていま東京タワーが建つ芝公園の高台は、湾にせりだした岬の突端だったそうである。たしかにあの一角をのぞいては、まるで海底のように低い土地になっている。
◎芝大神宮
大門を抜けて芝大神宮へ。ビルの谷間にひっそりたたずむ鉄筋コンクリート製の神社。残念ながら風情に欠ける。もちろん「太々餅屋」もみつからず。学生らが贔屓にしたという「看板娘」の姿もみあたらない。町火消しと力士による、実際にあった乱闘事件をもとにした芝居「め組の喧嘩」はここが舞台。落語にもなっている。
◎芝神明
商店街とあるが、雑居ビルが立ち並ぶ閑散とした通りである。落語「富久」で、しくじりを挽回しようと幇間の久蔵が浅草から火事見舞いに駆けつける旦那のお屋敷があったのが、たぶんこのあたり。江戸時代は、そしてたぶん大正初期もにぎわっていたのだろうけれど、まったくその面影はなし。唯一、いちばん年季の入っているとおぼしき建物を写真に収める。酒屋さん。
◎日陰町通り
芝神明から新橋駅まで続く、第一京浜から一本入った通り。旧町名だと、芝井町(新橋6)〜露月町(新橋5)〜源助町(新橋4)〜日陰町(新橋3)と変わる。雑居ビルのせいで、正真正銘の「日陰町通り」である。寒い。歩いていると、なぜかポツポツといわゆる「純喫茶」が現れるのがおもしろい。このあたり、江戸から明治にかけて古着屋がひしめくにぎやかな通りだったとのこと。落語にも登場する。じっさい、1824(文政7)年に大坂で出版された『江戸買物独案内』にもこの界隈にあった店は掲載されている。江戸の商店2600軒あまりを掲載した、いわば「るるぶ〜お江戸」みたいなガイドブックである。新橋駅前の高架橋の名前に、いにしえの名残りを発見。
◎新橋ステーション
日本の鉄道開業のメモリアルな駅だが、いまはむしろ「サラリーマンの聖地」として有名。1時間に5人くらいの割合で、ペルーのフジモト元大統領に似たひとを発見できる。学生らはしばしば「駅の待合室で一休みしつつ旅客たちを眺めた」(前掲『カフェーパウリスタ物語』より)という。
◎カフェーパウリスタ
「終点」に到着。昨年のリニューアルで2フロアに増床、2階が禁煙フロアになったのはありがたいが、雰囲気はやはりかつての面影を残す1階のほうに軍配があがる。いつもきまって深めの煎りの「パウリスタオールド」を注文するのだけれど、きょうのはちょっと薄かったな……。ちなみに、大正初期の「カフェーパウリスタ」は現在の場所にほど近い別の場所にあった。交詢ビルの向かい、たしか現在1階にテナントとして「ピアジェ」のブティックが入っているところだったはずである。
長谷川泰三の本で紹介されている小島政二郎の述懐によると、この〝本気の銀ブラ〟にはしばしば教授も付き合って「課外授業」のようになったそうである。さぞかし、わいわいとにぎやかに、ときには熱い議論など戦わせながらの道行きだったことだろう。〝日本のベルエポック〟、そんな言葉がふと浮かぶ。
カフェとは、〝コーヒー一杯のある時間〟のこと。大正時代の学生らの〝銀ブラ〟という言葉には、「よお、〝銀ブラ〟しようぜ」という会話にはじまる一連の時間が、道々で出会う光景、なされる会話、そしてようやくたどりついたカフェで口にしたブラジル珈琲の深い味わい、そこまでのすべてが、ひっくるめて含まれている。カフェとはつまるところ、それぞれのひとの〝時間〟をかけがえのない〝記憶〟に変える不思議な装置なのだろう。
【落語】
落語の世界では、ありえないことがふつうに起こる。登場人物たちはみなそれ相応にドタバタ翻弄されはするが、けっきょくいま起こっている出来事をありのまま(Let It Go♪)受け入れ、最後には収まるところに収まるようにできている。さて、現実は思うようにはいかないものだから、こうした噺の世界にしばし身を浸すことはときに〝最良のくすり〟になる。
ことし最初の落語会は、『スペース・ゼロ新春寄席vol.23〜落語でわかる江戸の暮らし』。五街道雲助、柳家喬太郎、三遊亭萬橘、桂宮治に太神楽の仙三郎社中が加わるという豪華さ。客席の雰囲気からすると、主催者の招待客が多いのか、ふだん落語にはあまり馴染みのない人たちがかなりの割合でいる模様。関係先の接待も兼ねたイベントなのだろうか。とはいえ、テレビで顔が売れていることよりも個性と実力を優先する顔付けに主催者サイドの良識(?)がうかがわれる。いいね。(ちなみにすべてネタ出し。)
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開口一番 柳家さん坊「初天神」
◎桂宮治「元犬」
◎三遊亭萬橘「代書屋」
◎柳家喬太郎「うどん屋」
〜仲入り〜
◎鏡味仙三郎社中 太神楽曲芸
◎五街道雲助「幾代餅」
お囃子 森本規子社中
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「元犬」のようなバカバカしい噺は、やっぱり宮治さんのような馬力のある噺家で聴きたいもの。もう、なんというか、せっかく人間になれた「シロ」だけど…… オマエ、もういっかいイヌに帰れ!!!
「代書屋」は、いまなら西は雀々、東は権太楼あたりが「横綱」ではないかと思っているのだけれど、そんななかはたして萬橘師匠がどんな「代書屋」を聴かせてくれるのか? おおお、そうきたか! 案の定、一筋縄ではいかない歪んだユーモアが展開される唯一無二の「代書屋」。この噺の場合、生真面目な代書屋がトンチンカンな客に翻弄されるところが愉快なところ。しかしここまでトンチンカンの嵐だと、さすがの代書屋も廃業したくなるだろうな。あと、これは以前から感じていたことだけれど、萬橘師匠が高座にあがっているとき、客席の笑いが他の噺家のときと様子がちがう。ふつうドワッと一瞬にして弾ける感じなのだが、萬橘師のときはジワーッと笑いがクレッシェンドしながら持続するのだ。どうやら、そのあたりに「萬橘落語」の秘密が隠されていそう。
外は冷たい雨。喬太郎師匠は、ジャンクな食べものネタのまくらから『うどん屋』へ。うどん屋は一見善人そうなのに、酔っぱらいの話がループ状態に入った途端、先手を打ちつつさらに軽いジャブまで繰り出してくる。喬太郎師匠が描くと人物描写には、そういう「根の暗さ」が付きものだな。師匠の目もまた笑っていないけど。ところで、「うどん屋」といえば先代小さん師匠のが絶品。冬になるときまって聴きたくなる。
いいな、いいな、人間っていいな〜「まんが日本昔ばなし」のエンディングの歌を思い出す雲助師匠の「幾代餅」。全盛の花魁が、搗き米屋の職人の真心に触れ、一晩のうちに夫婦約束をするという、まあ、「こうあって欲しいもんだよね」という人びとの願望を汲んだファンタジー。随所に笑いをまじえながら、ホッとするようなぬくもりを帯びた雲助師匠の「幾代餅」は、それじたいおおらかな「人間讃歌」になっている。
2015年1月21日 於新宿 全労済ホール スペース・ゼロ
オープンした年の秋にスタートした最初のフィンランド語クラスのメンバーであるKさんとは、このあいだあらためて数えてみて驚いたのだが、なんと12年来のおつきあいになる。時をおかずして始まったクラスの参加者であるSさん、元は先生のプライベートレッスンの生徒さんであったTさん含め、現在の土曜日クラスのみなさんはもはや部室にやってくる古参部員のような趣きを呈している。「教室」というより、傍から見る授業の眺めはほぼ「部活動」であり、ときには「おたのしみ会」であったりする。
アキ・カウリスマキの映画が好きで、会社勤めのかたわら映画の製作にもかかわっているKさん、フィンランド語を10年以上も学んでいるというのに、どうやら実際にフィンランドに行く気はさらさらないらしい。ふしぎなひとである。そのかわり、というわけでもないだろうが、あの震災以降、頻繁に出かけているのが宮城や岩手といった東北地方。週末、時間があるときにはボランティアとして被災地へ赴き、復興のための作業を手伝い、さらに現地では飲食や買い物を通してべつの〝貢献〟をしてまた東京に戻ってくる。そういう暮らしを月2回ほど、すでに3年以上続けていらっしゃるのだから頭が下がる。
そんなKさんのおかげで、こちらもずいぶんと美味しい東北みやげには詳しくなった気がする。今回いただいたのは、おなじみの銘菓「かもめの玉子」。しかも「限定」みかんフレーバー。濃厚でおいしい。そして釜石のHappiece Coffee(ハピスコーヒー)さんのブレンド。その後ツイッター経由で判明したのだが、ハピスコーヒーのオーナーさんは東京にいらっしゃったとき何度かmoiにもご来店くださったとのこと。こういう「再会」はまた格別。Kさん、〝いろいろな〟プレゼントごちそうさまでした!
昨年につづき、パルコ劇場のお正月興行『志の輔らくご』に行ってきた。プログラムはというと、前半が新作と古典、仲入りをはさんで新作をもうひとつ。いつも通り前座はなく、志の輔師のみ3席という構成である。
一席目の「スマチュウ」は、スマートフォン中毒の大学生がおじさんのところにお金を借りにゆく話。なんとなくコント「山口君と竹田君」にありそうな展開。つづく二席目は、「大岡裁き」を題材にとった古典「三方一両損」。機知にとんだ裁きで、大岡越前守が江戸っ子どうしの意地の張り合いを取りなすというのがこの噺の標準型。ところが、そこをふつうにやらないのが「志の輔らくご」の「志の輔らくご」たるゆえんである。大岡越前は、こういう一筋縄ではいかない訴えをこそむしろ嬉々として手がけていたふしがあるというマクラから、大岡越前そのひとにスポットをあてた「三方一両損(志の輔らくごバージョン)」へ。お裁きの内容にいまひとつ合点のゆかない江戸っ子ふたりに向かって、「いいのじゃ!(この裁きが)面白いのじゃ!」と訴えるお奉行様。おもしろくないとは言わないけれど、ちょっとひねりすぎ?!
仲入り後のトリネタは、富山の薬売りを題材にした志の輔師の「I♡富山」的新作。これがおもしろかった。今年はパルコ劇場で正月興行をスタートし10年目、しかも北陸新幹線開業のメモリアルイヤーということで富山県を題材にした新作をつくろうと広くアンケートをとったところ、「富山県といえば置き薬」という回答が多かったことからこの噺を思いついたそう。そういえばあったなァ、置き薬。「頭痛にケロリン」とか。
この、富山の置き薬のいちばんの特徴といえば、年に2回の訪問販売、そして使った分のみを精算するという仕組みである。この仕組みのもとになっている考え方を、「先用後利(せんようこうり)」というのだそうだ。はじめて知った。しかし信用のある相手ならいざしらず、見知らぬ客にひとまず商品をタダで預けてしまうというこの仕組みは当時の人びと、とりわけ商人らにとっては画期的すぎて理解ができないものだったらしい。そんな誤解から生じる混乱ぶりを描いたのがこの噺である。
支店を預かる番頭さん、出世のためにはけっして本家をしくじることがあってはならない。そのため日頃から店の様子には人一倍気づかい、小言も多い。ところが、ある日たまたま番頭さんが留守の間に富山の薬売りがやってきて商品をタダで置いていってしまう。ふだんから猜疑心にとらわれている番頭は、なにか魂胆があるのでは?と勘ぐり不安になる。しばらくして後、またまた番頭さんのいないある日、店先で具合を悪くした得意客「近江屋」の奥様に小僧が気をきかせ「置き薬」を使ってしまったから、さァ大変。番頭さんの不安と猜疑心は、妄想でふくれあがりもはや爆発寸前に……。
時代を超え場所を超え、「落語」が落語らしいおかしみを持ちうるためには、そこにはある「お約束」が厳然と存在していなくてはならない。少なくともぼくはそうかんがえる。その「お約束」とは、「落語」は人間なら誰しもが多かれ少なかれ備えもっている「人間らしさ」を描くものだということ。たとえば、落語に登場する粗忽者はもはやファンタジーの域にまで達してしまった超絶な粗忽者にはちがいないが、自分のなかにも、ごく身近な誰かのなかにも「おっちょこちょい」は存在するものだ。だからこそ、心の底から笑える。そこに自分や、身近な誰かの姿を《発見》するからだ。そしてその笑いには罪がない。志の輔師は、たとえそれが「新作」であっても、その落語のなかでこうした「人間らしさ」をきっちり描くことを忘れない。「志の輔らくご」を聴いた後の「ああ、落語を聴いたなァ」という満腹感の秘密は、おそらくその点にあるのではないか。
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志の輔らくご in PARCO 2015
◎立川志の輔「スマチュウ」※新作
◎立川志の輔「三方一両損」
〜仲入りから
◎立川志の輔「先用後利」※新作
三本締め
2015年1月27日 於渋谷PARCO劇場
先ごろ、不慮の火災により焼失してしまった京都の喫茶店「ほんやら洞」。その「ほんやら洞」を支援するイベントが、友人が営む新宿二丁目のカフェ「ラバンデリア」で開催されます。
友人は「アメリカンブックジャム」という雑誌の副編集長だったひとで、かつてイベントの企画担当としてぼくもこの雑誌に参加させていただいていました。そして90年代後半、その「アメリカンブックジャム」の企画として、ビートの流れを汲む詩人らを引き連れこの「ほんやら洞」の2階でポエトリーリーディングのイベントを開催させていただいた思い出があります。
「ほんやら洞」の2階は、いまにして思えば、ほんとうの意味での〝フリー〟スペースだったと思います。あのような空間は、どんなにお金をつぎこんだところで作ることはできません。悔しいけれど、どんなにひっくり返っても東京では無理でしょう。ひとつの《財産》が地上から失われた、火事のニュースを聞いて最初に思ったのはそういうことでした。「今出川のほんやら洞」が、またいつの日かなんらかのかたちで復活することを願ってやみません。
なお、イベント当日は、劇作家の宮沢章夫さん、詩人ヤリタミサコさんらのトークも予定されているそうです。
昨日は店を早仕舞いさせていただき、急逝した叔父の通夜にかけつけた。
「母の弟」なので「叔父」なのだが、ぼくら従兄弟たちはみな「おじさん」とは呼ばず、もっぱら「進ちゃん」「進ちゃん」と呼んでいた。親から「おかしい」と指摘されても直さなかったのは、子供は「理屈」より感覚的に納得できるほうを優先するからだろう。ぼくらにとって、「歳のはなれたお兄さん」のような存在だったのだ、進ちゃんは。
会場では、遺影の前で従兄弟たちがアルバムのようなものを見ながらなにやら談笑している。家族が自宅から持ってきたという幾冊かのアルバムには、若いころの写真が几帳面に整理され貼られていた。まるで「昭和の大スター」のようなポーズできめているものもあれば、いまとはまるで別人のようにスリムな体型の母の姿もある。湿っぽくて当然の場所なのに、ページを繰るたびこらえきれず笑ってしまう。悲しいし寂しい。が、写真にはそういう力もあるのだ。
写真嫌いだが、いまからでも遅くない、おもろい写真をできるだけ遺しておこう、帰りの電車に揺られながらぼんやりそんなことを考えていた。
「冒険家」という肩書きをもつ人たちに、子供のころからどうも共感できずにいる。
スキー場のコースを外れ、ただただ自己満足のために危険エリアに立ち入り、結果、遭難して救助にあたる人たちを二次遭難の危険にさらすひとをぼくらは糾弾するいっぽうで、同じように自己満足のために南極大陸をめざし遭難したひとをまるで「英雄」でもあるかのように扱う。これはいったいどういうことなのだろう?
「『冒険家の遺伝子』というのがあるらしいですよ」。そんな話をしていたら、スタッフが教えてくれた。いわゆる「冒険家」には、「報酬依存」や「損害回避」の因子は低く、「新奇性探求」の因子が高いタイプのひとが多いらしい。「冒険家の遺伝子」か、なるほどそれなら自分にも覚えがある。
小学生のころの話になるが、ぼくは二度ほどこのまま死ぬのではないかという思いを味わったことがある。一度目は、パチンコ玉大のイミテーションの真珠を、二度目はおなじくパチンコ玉大のプラスチックの青いビーズを鼻の穴に入れ、それが取れなくなってしまったのだ。そんなぼくをつかまえ、親はなぜそんなことをしたのだと問いただしたが、そこに「理由」などありはしなかった。あえて言うとすれば、そこに「山」があるように、鼻の穴にぴたりとはまりそうな大きさの「玉」があったから、そう言うほかない。そしていまなら言える。あれは、「冒険家の遺伝子」のなせるわざだったのだ、と。
スリルを求めて、ひとは冒険するのではない。ただただ衝動に突き動かされてそうするのだ。「鼻の穴に入れた真珠が取れなくなったら、さぞかしお母さんに怒られるだろうな」そんなことをいちいち考えていたら、ひとは冒険なんぞできないのである。その意味で、「冒険家」というのは厄介かつ迷惑な存在である。そして冒険家たちは、そうした自分の気質について自覚的でなければならない。
そこで、おなじ「冒険家の遺伝子」をもつこのぼくから彼らにひとつアドバイスしたい。ある日突然ヨットで太平洋を横断したり、犬ぞりで南極大陸を横断したいという衝動をおぼえたら、まずは鼻の穴にパチンコ玉大の球体を入れてみろ。家族から「伝説のアホ」扱いはされるが、さして世間に迷惑はかからない。
声に出して読みたい日本語。それは、お・や・つ。おやつ…… なんという甘美な響き。世界に広めたい日本のことば、それは、O・YA・TSU。
そして、今日も今日とて出勤前から優雅におやつタイムです。頂き物の「FIKA」の北欧菓子ハッロングロットルと、淹れたてのコーヒー。コーヒーは、銀座「北欧の匠」さんが埼玉県の「珈琲屋コスタリカ」さんに特別にお願いしこしらえたというオリジナルブレンド「ブルー・コペンハーゲン」。バランスの整った透明感あふれる軽やかな味わいで、朝から甘いものをツマミにちょっと一杯ひっかけるには最高です。円錐ドリッパーでさらっと淹れると、その特徴がいっそううまく引き出されるみたい。
では、次回【おやつの部屋】にてまたお目にかかりましょう。
さまざまスタイルを変えながらも8年間にわたって続いてきた雑誌「カフェアンドレストラン」の連載「扉のむこうがわ日記」ですが、本日発売の3月号をもって最終回となりました。ご愛読いただいたみなさま、この連載を読んで「moi」に遊びにきてくださったみなさま、本当にありがとうございました。また、《立体》コラムというスタイルでご一緒させていただいたバールボッサの林さん、おつかれさまでした!!!
ひとつの「お題」を、それぞれカフェ目線/バー目線で語ってみた「カフェをやるひとバーをやるひと」、カフェのマスターやバーのマスターは日々どんなことを思いながらカウンターに立っているのか、「覗き見」的なオモシロさを狙ってみた「扉のむこうがわ日記」。連載は毎月でしたが、あらためて8年分の原稿を読み返すことで、あるいは飲食の世界からみたゼロ年代の「東京」の定点観測としての面白さもあるのではないかといま思っています。どこか、まとめて出版してくれる出版社はないでしょうかねぇ?(笑)。
ぼくらのアイデアを拾って企画を通してくれた旭屋出版の北浦さん、北浦さんの異動後、担当してくれた笹木さん、そしてぼくらの野放図なアイデアにもいつも辛抱強くおつきあいくださった前田編集長、お世話になりました。ふたりの文章を美しくレイアウトしてくれたサンクデザインの保里さん、そしてブックデザインの世界で活躍中の川畑あずささん、ありがとうございました。イラストで、ときには切り絵もまじえつつ扉絵と挿絵を描いてくださったイラストレーターの日置由香さん、アイデアを捻り出すだけでも大変だったと思います。毎月、毎月、楽しみにしてました。毎月、当時原宿にあった保里さんの事務所に集まりミーティングを重ねたことも、いまとなっては「部活」のようで楽しい思い出です。
そしてなにより、8年間も連載を続けられたのは読者のみなさんの支えあってこそ。お店で、「いつも読んでます」と声をかけていただけるのは本当にしあわせな経験でした。チャンスがあればまたいずれ、團伊玖磨の『パイプのけむり』よろしく「続々・カフェをやるひとバーをやるひと」とか「ひねもす・カフェをやるひとバーをやるひと」とかやってみたいものです。そのときは林さん、お付き合いの程どうぞよろしくお願い致します。
バターの香りはいい。食欲をそそる。が、その「いい匂い」が時々、そう、頻度にしたら10回に2回くらいなのだが「ケモノの匂い」に感じられることがある。
世の中に味や匂いはさまざまあるが、かなりの部分は「慣れ」で克服できるのではないか。小学生のときそうかんがえたぼくは、「肉詰めフライ」の助けをかりてピーマンを克服した。いまでは、ふつうにおいしく食べている。はじめて口にしたときには約2秒で吐き出したサルミアッキだって、おみやげにいただいたり、身近なフィンランド人からの勧めを断り切れず口にしているうち、いつしか平気で食べられるようになった。ただしサルミアッキに限って言えば、いまだ「おいしい」とは思っていないが。
明治2年、東京の芝・露月町、いまの新橋駅のちかくに「牛鍋屋」ができた。江戸のころから英国人相手に牛肉を商っていた中川さんというひとが、なんとか日本人にも牛肉を食べさせられないものかとかんがえ、「牛鍋」の店を出すことにしたのだ。だが、牛肉を食わせる以前に、「牛鍋屋」を開くのがまず大変だった。「牛鍋」と聞いただけで、店を貸すのを大家が渋る。なんとか決まったと思ったら、こんどは近隣住民の反対でキャンセルされるといった具合。いまでもよく「ラーメン店不可」といった条件つきの店舗物件をみかけるが、まあ、だいたいそんなところだろう。中川さんがようやく「牛鍋屋」のオープンにこぎつけたのは、大家が相場の4倍ほどの家賃を支払うことで納得したからであった。
どうしてそこまで「牛鍋」は嫌われたのか? 「肉を食らう」ことの気色悪さもさることながら、やはりなんといってもあの独特の「匂い」なのではないか。まだ「肉食」が身近ではなかった時代にあって、生肉の放つあの「ケモノの匂い」は生理的に受け付けがたいものがあったろう。おそらく、その後100年あまりの時間をかけて、日本人のDNAはその「ケモノの匂い」を「おいしい」にじわじわと上書きしてきた。とはいえ、その上書き作業はまだ完結したわけではない。ぼくの嗅覚がバターのなかに不意にケモノの存在を感じるとき、文明開化以前の、〝俺のいまだ散切り(ざんぎり)頭になっていないDNA〟がぐいっと首をもたげているのである。
FBページ、もてあましてます。当初ブログがわりに使おうかと考えていたのですが、長文には適さないしカテゴリー分けとか検索もできないのであまり役には立ちませんね。それでもなにか書くたび反応をいただけるのはありがたいものです。というわけで、ときどき思いついたら北欧ネタでもポツポツとUPしてゆくつもり。
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エスプラナーディ公園から、通りをはさんで向こうがわに建つビルディングを撮った。1999年の4月、はじめてフィンランドを訪れたときのことである。
なんの変哲もない重厚なビルだが、この建物の上階にはアルヴァー・アールトが内装デザインを手がけたことで知られる高級レストラン「サヴォイ」が入っている。波のような優美な曲線をもつあの有名な花瓶が「サヴォイ・ベース」と呼ばれるのは、それが元々このレストランのためにつくられたものだからである。池袋にあったセゾン美術館でひらかれた「アールト回顧展」の会場で、ちょうどそうした家具や調度品の数々をため息まじりに見た直後だったこともあって「おおお!」と思いながらシャッターを切ったのがなつかしい。とはいえ、アールトが関わったのはレストランの内装だけでべつに建物の設計を手がけたわけでもないので、気づけば手元には一枚の「どうということもない建物」の写真が残った。
写真を撮ったときには気づかなかったが、あらためて見ると手前に写った公園のベンチの曲線がなかなかに美しい。当時ビルの1階には「マリメッコ」の路面店が入っていたが、いまはたぶん「フィンレイソン」になっているはずだ。
フィンランドより一時帰国中のえつろさんから頂いたのは、ヘルシンキにあるMaja Coffe Roasteryの豆。じつはこのお店、えつろさんのinstagramなどを通して以前からちょっと気になっていたのである。
頂いたのは、ケニアAA Kirinyaga Kii農園。Kalitaのウェーブを使い、あまり時間をかけすぎないよう用心しながら淹れてみた。酸味が印象的。搾りたての果汁のよう。さらっと淹れたつもりでもボディーはしっかり。重くはないけれど味は濃い。とにかく印象的。
ちなみに、Maja Coffee RoasteryのあるLehtisaariの近くには、ぼくの大好きな美術館「Didrichsen」もある。聞くところでは、ここ最近ヘルシンキにもサードウェーブ系のロースターがずいぶんと増えている様子。Maja Coffee Roasteryも、中心部からはちょっと離れるがヘルシンキに行く機会があったらぜひ目指してみたいお店だ。
オープンしてこの夏で13年、吉祥寺に移転して8年となりますが、このたび大々的なリニューアルをすることとなりました。店内の改装等は特に行いませんが、メニューの見直し、営業時間変更、スタッフの入れ替え等、あらためてゼロから考え直すことにしました。
といっても、これはかなり大変なことです。あらためてお店を立ち上げるようなものなので、どうしてもそれなりの時間を要します。そのため、メニューの縮小、営業時間の変更、臨時休業などによりしばらくの間お客様にはご不便をお掛けすることが多くなりそうです。いつも楽しみにご来店くださっている皆様には大変申し訳なく思いますが、今後よりよい時間を過ごしていただくために必要な時間としてご理解いただければ幸いです。できれば1ヶ月ほどで完了できればと考えていますが、段階的にならざるをえないかもしれません。適宜ご案内はさせていただくつもりです。
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とりあえず4月は下記のような営業となります
◎定休日 毎週火曜日・水曜日
◎営業時間 木、金、月 午前11時30分ー午後7時(午後6時30分L.O.)
※土日祝につきましては、当店のSNS(Twitter、FBページ、当ブログ)にて随時ご案内させていただきます。「食べログ」、紙媒体等の情報ではなく、お手数ですが当店の公式サイトにてご確認ください。
◎シナモンロールのテイクアウトはしばらくお休みさせていただきます。再開次第あらためてお知らせ致します。
◎メニュー 下記のとおり、フードメニューに変更が生じます
・スカンジナヴィアンホットドッグ
・チーズスコーン
※サーモンの北欧風タルタルサンドは、当面「木曜日のみ」のご提供となります。それ以外は、原則上記2種のみとさせて頂きます。
営業時間、メニューは限られてしまいますが、そのぶんゆったりお過ごしいただけるかと思います。店主と無駄話でもしにお立ち寄りいただければ嬉しいです。リニューアルによって、よりみなさまにとって魅力のあるカフェになるよう今後も努力を重ねてゆくつもりです。何卒よろしくお願い致します。
2015年4月1日 moi店主
夢の話というのはたいがいがくだらない。見た本人がくだらないと思うくらいだから、他人が見た夢の話となると、これはくだらないを通り越してもはや「どうでもいい」レベルである。先に断っておくが、これから書こうとしているのはまさにそんなどうでもいい話である。
知り合いがオープンしたばかりのカフェにきている。知り合いの旦那がベネズエラ人であることを、きょう初めて知った。銀縁メガネに白いYシャツを着た彼の腕には、噂によるとびっしりタトゥーが入っているとのことだ(誰情報なのかさっぱり分からないが、まあ、しょせんは夢なのだからしょうがない)。「(体重が)8キロ減ったよ」笑顔で彼がぼくに言う。「そうですか…」以前の彼を知らないのだから、どうにも返しようがない。
店内を見渡すと、ヒソヒソ何事か相談しあっている3、4人の中学生らしき男子の姿が目に入った。そのうちの1人の手には、エアコンのリモコンが握られている。彼らは、iPadでどこかの民家の画像をGoogleストリートビューで確認しながら、「そうだね」「そうだよね」などと頷いている。どうやら、彼らの「相談」の中身は「エアコンのリモコンの使い方がわからない」ということだったらしい。そして、彼らの思いついた「解決策」はこちらの想像をはるかに超えていた。
〝Googleストリートビューで同じ機種のエアコンの室外機が置かれている家を発見し、その家で教えてもらう〟
アホである。アホとしか言いようがない。しかしそれを単純に「アホ」と笑えないのは、その夢を見たのがほかならぬこの自分だからである。自分の、無意識の底深くににそんな「アホ」が横たわっている。「アホ意識」だ。恐ろしい。そう考えると、もううっかり眠っていられないくらい暗澹たる気持ちになるのだった。
武田百合子は、平日の昼下がりの浅草を「いましがた、大へんな騒ぎをして御神輿が、おはやしの音とともに向うの方へ去って行き、つられて、この辺にいた沢山の人たちも、わいわいと随いて行ってしまったばかりのような雰囲気」だと書く(『遊覧日記』ちくま文庫)。その感じ、とてもよくわかる。じっさい、ぼくの記憶の中にある「浅草」も、365日、毎日「祭りのあと」のような虚脱感に覆われている。最近になってまた、落語を聴くためちょくちょく浅草方面まで出向くようになったけれど、どういうわけかそういう感じはしない。なぜだろう。そう思って、『遊覧日記』が出た時期を調べてみたところ、学生のころ、ぼくがちょくちょく浅草方面へと出かけていた時期と重なっていたので「そういうことか」と納得した。
そのころの浅草は、ぼくの知っている東京のほかの街とは明らかになにかがちがっていたので、ぶらぶら浅草を歩いているだけでかなり緊張し、帰った後にはどっと疲れた。それでもたびたび出かけたのは、しばしばそこ出くわす光景があまりにも〝ファンタスティック〟で唯一無二のものだったからにほかならない。
こんなことがあった。平日のよく晴れた昼下がり、六区の、あれはたしか「中映」だったろうか、古びた映画館の前をぶらぶらと花やしきのほうに向かって歩いていたときのこと。人影はまばらで、数えるほどしかない。前方をひとりの、痩せて小柄な中年の男が千鳥足でフラフラと歩いていた。絡まれでもしたら馬鹿馬鹿しいので、ぼくは、千鳥足とは一定の間隔を保ちながら歩いていたのだが、突然その脇を足早にガタイのいい坊主頭が追い越していった。そして、次の瞬間に起こった出来事は、、まさに〝白日夢〟としかいえないものであった。
坊主頭は、千鳥足の背後に接近すると無言のまま、いきなり「ペシッ!!」と千鳥足の後頭部をはたいたのである。よろける千鳥足。通り魔?ケンカ?あっけにとられつつ、ぼくは当然その後に起こるであろう修羅場を予測し、身構える。ところが、である。坊主頭はそのまま何事もなかったらのように歩き去り、千鳥足のほうも千鳥足で、体制を立て直すとそのまままたフラフラと歩き出す。その間、ふたりはまったく無言のまま、しかも目線すら合わすことはなかったのである。
あれは一体なんだったのか?いま思い返してみてもよくわからない。とにかく、〝ファンタスティック〟としか言いようがない。無理やりこじつければ、みんな御神輿に「わいわいと随いて行ってしまった」と思っていたら、まだ、祭りのまっただ中のように「大へんな騒ぎをして」いるうっかり者が少しは残っていたのが「あの頃の浅草」だったのかもしれない。
吉祥寺の書店を舞台にした碧野圭さんの人気小説『書店ガール』。その、最近出たばかりのシリーズ第4作『書店ガール4〜パンと就活』になんと「moi」が実名で登場しています!(Twitterで教えていただきました)。
第4作の主人公は、「本屋に就職するか迷う大学生」愛奈と「正社員への打診をウケた契約社員」彩加のふたり。「moi」はふたりの行きつけのカフェという設定で登場します。具体的なメニューやコーヒーの味まで書かれているのがうれしかったです。
小説に登場するのは(たぶん)初めて。本好きとしては光栄です。碧野先生、ありがとうございます。みなさんも、書店でみかけたらぜひ手に取ってみて下さいね。
http://www.php.co.jp/shotengirl/
戦争の〝惨めさ〟について思うとき、ぼくがまっさきに思い出すのはたとえばこんな一節だ。
「その時分にはすでにコーヒーも紅茶もなくなっていて、喫茶店も店を閉めていたが、あるとき晴海通りの店にソーダ水があるというニュースが入ったので二人で行ってみると、それは甘くもなんともない無味無臭のただの赤い水でしかなかった」
これは野口冨士男の『私のなかの東京〜わが文学散策』(岩波現代文庫)からの一節で、敗戦の1年ほど前、昭和19年のエピソードである。あいにく貧弱な想像力しか持ち合わせていないぼくのような人間には、無理やり夏休みに読まされる課題図書よりも、こういう卑近な例のほうがむしろ戦時下の空気といったものをリアルに感じることができるようだ。
もうひとつ、同じ本からの一節を引用してみる。こちらは著者の少年時代、おなじ東京の大正時代後半の様子である。
「花屋の飾窓にはSay it with flowerというような金文字もみられた。チュウインガムはリグレイ、コーンビーフはリビイ、乾葡萄はサンメイド、果物の缶詰はS&Wなどの製品を私たちは食べていた」
じつは、この時代も日本は断続的に戦争を繰り返していた。戦争が始まったから、とたんに街から喫茶店が消え、店頭からコーヒーや紅茶がなくなったわけじゃないのである。ここが怖い。知らない間に川が増水し、気付けば中洲に取り残されていた…そんなふうにして戦禍はふつうの人びとを飲み込んでゆくのだろう。
ぼくは、いつでも好きなものを飲みたいし、生きてゆくうえで、街に喫茶店も欠かせない。いったい、好き好んで「無味無臭のただの赤い水」を買いに走るような人間がどこにいるだろう? 全力をもって戦争を回避するよう知恵をつかうひとだけが、唯一〝まっとうな〟人間だとぼくは思っている。
てっとり早く休日の気分を味わうなら、なにより「遠回り」するに尽きる。ふだんは駅にゆくにせよ、図書館にゆくにせよ、あるいはまた夕食のおかずを買いにゆくにせよ、無意識のうちに最短ルートを選択するのだが、休日にはあえて一本先の角を曲がってみたり、川沿いをのんびりと歩いてみたりする。
「ツエをひく、という言葉がある。これは散歩の意味をよくあらわしているように思う」。そう書くのは、窪川鶴次郎である(『東京の散歩道』現代教養文庫S39)。「ツエをひく」という表現は、年寄りや足の不自由なひとなどツエを必要とするひとに対しては使われない。「ツエを必要としないものが、無用の長物であるツエをわざわざ手にして歩くところに、散歩の意味が出ているのであろう」。ただ目的もなくぶらぶらと歩き回るのも「散歩」なら、どこか明らかな目的地ー駅とか図書館とかーがあるにせよ、わざわざ無駄に「遠回り」するのもまた立派な散歩である。「遠回り」もまた「無用の長物」であり、「ツエをひく」のと同じだからである。ふと我にかえって「あゝ無駄なことをしているなァ」とつぶやくとき、そこにはとたんに「休日」の気配がたちこめる。
夏の朝、すこし早く目がさめたなら、15分早く家を出て意識的に遠回りして駅に向かったり、職場の近辺を歩いてみるのも楽しい。駅の、いつもと違う出口を使ってみるとか。そんなことで、忙しい平日にすこしだけ休日の気分を挿し木するのだ。北欧の人たちが、仕事からの帰宅後にあらためて散歩に出かける感覚にそれはちょっと似ている。
さて、あすは木曜日。テイクアウト分の【フィンランド風シナモンロール】をご用意しています。平日はどうしても苦戦気味なので、ぜひ足をのばしてお求めいただけるとうれしいです。取り置きもできます。
夏風に吹かれながら、目黒雅叙園をめざし行人坂を下る。
雅叙園ではいま、園内の「百段階段」を使い『和のあかり×百段階段』という展示がおこなわれている。「百段階段」というのは、まっすぐ伸びた100段(じっさいには「99」段)の階段に沿ってもうけれた7つの広間からなる木造建築で、昭和10(1935)年に建てられたもの。「十畝(じっぽ)の間」「静水の間」「清方の間」といったぐあいに、各部屋にはそれぞれ装飾を担当した日本画家の名前がつく。じっさい、まるで競うかのように天井や欄間には四季を写した花鳥画や美人画がこれでもかとばかりに描き込まれており、「昭和の竜宮城」と呼ばれたのもなるほどうなづける贅沢な空間となっていた。映画『千と千尋の神隠し』に登場する湯屋のモデルになった場所のひとつとしても有名。
「和のあかり」をテーマにした今回のイベントは、その豪奢な各部屋におもに和紙をつかった現代の照明作家たちによるあかりを展示しようというもの。照明ひとつひとつももちろん凝ったものばかりなのだけれど、個人的には、和紙を透した柔らかな光のなかに浮かび上がる日本画の繊細な美しさに目と心を奪われた展示だった。会場は、この企画に限り撮影OK(ただしフラッシュ、三脚の使用はNG)ということでスマホ片手に鑑賞したのだが、撮った写真にはあまり照明器具は写っておらず、ほとんどは(おそらく制作時に画家たちが見ていたのと同じであろうような)薄明の中にあらわれた色とかたちばかり。なかには、照明器具ばかり撮っているひともいたので、同じ展示でもひとの視点はそれぞれちがうのだなァと面白く感じた。そして、晴れ渡った夏の夕刻ということもあり、階段のガラス越しに躍る外光の楽しさもまた、格別だった。
帰りはそのまま山手線に乗るのもつまらないので、駅前から千駄ヶ谷駅行きの都バスに飛び乗ってみた。夏の夕陽を浴びたバスは、白金台の街並みを抜けて広尾、西麻布、外苑前と走ってゆく。ふだんはあまり足を運ぶことのない街の風景に、異国を旅しているかのような気分を味わう。そして、広尾のカフェ「デ・プレ」、西麻布の「Beach」、外苑西通りのレストラン「SARA」など、なつかしい店を思い出す。俺版「私のなかの東京」の一頁がここに。
北欧とコーヒーの親密な関係を、さまざまな側面から探った好奇心を刺激する一冊が登場しました。
著者の萩原健太郎さんは、インテリア業界からデンマーク留学を経てライター/フォトグラファーに転身した方で、荻窪に「moi」があった当時からですので、かれこれ10年来のおつきあいということになります。そんなこともあって、今回出版された『北欧とコーヒー』については企画段階から僕も雑談まじりにアイデアを出させていただいたりしました。
萩原さんと話していたのは、かわいい食器とかおしゃれなお店の紹介に終わらず、北欧の人たちは日頃どんなふうにコーヒーと親しみ、またそこにはどういう背景があるのか、さらに、それが北欧のコーヒーまわりの道具のデザインにはたしてどんなふうに影響しているのか、そんなところまで触れた内容にしたいということでした。ある意味〝オトコ目線〟の北欧ガイドとして、手に取るに値する希少&貴重な一冊になっていると思います。
また、個人的な話にはなりますが、先日「moi」を設計してくださった建築家の関本竜太さんがブログにも書かれていましたが、「moi」誕生にかかわった関本さん、僕、そして当店のオリジナルコーヒー&ティーカップ「eclipse」をデザインしてくださったデザイナー梅田弘樹さんの3人が一冊の本の中に登場し、また共通のキーワードとともに北欧デザインについて語っているのも感慨深いところです。関本さんのおっしゃる通り、フィンランドにかんする情報もまだまだ少なかった2000年前後、この3人が意気投合したのも、なるほど必然だったのかもしれないとあらためて思いました。
いままで雑誌やネットで北欧にかんする情報はだいたいチェック済みという方でも、これは初めて知った! という発見が少なからずあると思います。出版元が、ここ最近意欲的な出版物を数々リリースしていることで知られる青幻舎というのも注目です。
なお、書店での販売に先立って「moi」ではひと足先に店頭にて販売中ですのでぜひチェックしていただければと思います。
以下、目次です(ご参考まで)
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ムーミンに見るフィンランド人とコーヒー/フグレントウキョウ/北欧カフェ案内/トランクコーヒー/ロバーツコーヒー/フィンランドの牛乳事情/北欧・コーヒーを愛する人たち〜アンヌ・ブラック、関本竜太ほか/フィンランド映画とコーヒー/moi(カフェモイ)店主岩間インタビュー&デザイナー梅田氏によるコーヒーカップ制作秘話/北欧ヴィンテージカップ&ソーサー80選/コーヒーを飲むための道具案内/北欧のコーヒーにまつわるトリビア/
http://www.seigensha.com/newbook/2015/06/11122023
祐天寺まで、新しいお店をオープンされたばかりの「コーヒーキャラウェイ」さんをたずねる。大きな窓とやさしいグレーを基調とした気持ちのいい内装は、シンプルでいて、ありきたりではない。いかにもオーナー芦川さんらしい大人っぽい空間で落ち着く。豆だけ買うつもりが、あまりの居心地のよさに「昼下がり(アプレミディ)」と名づけられたブレンドを淹れていただき、道行く人びとを眺めつつのんびりさせてもらう。豆は、とろっとした甘みの美味しい中深煎り「アプレミディ」と、アイスコーヒーにも合いそうな「ニュイ」を購入。駅からの歩いて4分ほどと近いので、東横線沿線のコーヒー好きはぜひ立ち寄ってみてください。
祐天寺を後にして、「村野藤吾の建築」展がひらかれている目黒区美術館をめざす。ここ最近、時間のあるときの移動はもっぱら路線バスを愛用している。電車とちがい、バスはより町の暮らしに近いところを走る。車窓からぼんやり人や町並みを眺めているだけで、町それぞれの目にはみえない境目が感じられておもしろい。祐天寺駅から目黒駅への道中では、祐天寺裏の五叉路のあたりがとてもいい。ゆるゆると蛇行する細い道とところどころに残る看板建築が、戦前の「郊外」の面影をしのばせる。かつての市内と郊外の際(きわ)あたりをこうしてバスにゆられていると、まるで広瀬正の小説にでも登場しそうなタイムマシンにのっている気分になる。鉄道駅とちがい、バス停には再開発の波も無縁なので、いつまでもローカルな雰囲気をとどめているのが魅力である。そんなお手軽タイムトラベラーには、「東京バス案内」というアプリが重宝している。
月曜日の日中は、雨が降ったり止んだりのうっとうしいお天気。バケツをひっくり返したようなというよりも、むしろバケツごと降っていたのではあるまいか。そんななか、降ってくるバケツをたくみに避けながらご来店くださったみなさまには心より感謝の意を捧げます。
店を閉めてから、渋谷へ。ユーロスペースのレイトショーで『コシュ・バ・コシュ〜恋はロープウェイに乗って』を鑑賞する。タジキスタンの監督バフティヤル・フドイナザーロフによる1993年の作品。ちなみに、タイトルの「コシュ・バ・コシュ」の意味は…… よくわかりません。なんとなく「なせ・ば・なる」みたいな響きなので、頑張ればいいことあるヨ、きっとそんな意味なのではないだろうかと妄想しながら上映を待つ。
舞台は、内戦下のタジキスタンの首都ドゥシャンベ。絶え間なく銃声が響き、夜になると戒厳令下の街を取り締まるパトカーが不気味なサイレンを鳴らしながら通り過ぎる。ときには川を死体が流れてきたりもするが、人びとの暮らしはいつも通り、なにも変わらない。
まず、感嘆すべきは舞台となるドゥシャンベの街の眺め。小高い丘がそびえ、その急斜面には、難民や貧しい人びとの暮らす小さな家がびっちりしがみつくように建っている。銃声や爆撃音と遊ぶ子どもたちの歓声という相反するサウンドが、まるで「生活音」のように調和しているのがなんとも不思議だ。街に高低差がある場合、眺望のいい高台に裕福な人びとが住み着く都市とここドゥシャンベの丘やリオデジャネイロのファヴェーラのように貧しい人びとが住み着く都市とがあるのがおもしろい。たぶん前者は、自動車や鉄道などの交通網が早くから発達した先進国の特徴な気もするが、実際のところどうなのだろう。
その丘と下界とをつなぐ唯一の交通はといえば、乗るのも憚られるようなボロボロのロープウェイのみ。ロープウェイは人や物資を運ぶのみならず、ときにはトラックの荷台からケースごとビールをくすねる道具になったりもする。主人公の青年ダレルは、そのロープウェイの操縦士。内戦下にもかかわらず、博打と女に明け暮れてフラフラしている、ひとくちで言うと、ろくでなし。イケメンでもないが、ただ愛嬌はある。ある日、そのダレルが、賭博仲間の娘で(なにやらワケありで)モスクワから帰郷したばかりのクールな美女ミラと出会い、恋に落ちる。博打を毛嫌いするミラと、なかなか博打をやめられないダレル。ふたりの距離も、さながらロープウェイのように行ったり来たりするのだった。
映画の中では、ほとんどすべての《事件》はロープウェイのなかで起こるのだが、エンディングは穏やかな昼下がりの下界で繰り広げられるので、きっとふたりの恋はうまくゆくのだろう。でも、あるいは、うまくゆかないかもしれない。なんといっても、まだ内戦は終わっていないのだ。
それにしても、やはりこの映画の「主人公」はというとあの〝荒涼とした街並み〟と〝ロープウェイ〟、そして〝内戦〟の3点セットなのではないか。芸術家なら誰しも、なんらかのかたちで作品として描きたいと思わせるようなインスピレーションに溢れた道具立てである。もしこれが作られたセットだったなら、それはそのままウェス・アンダーソンである。観客は、安心してフィクションの世界に浸れる。けれども、現実と虚構が奇妙にねじれて存在しているところに、この『コシュ・バ・コシュ』を鑑賞した後の行く末の見えない不安やモヤモヤ感はあるのではないだろうか。とにもかくにも、〝1993年のドゥシャンベ〟が才能豊かなひとりの芸術家の手によってこうして映像として記憶されたことは、ある意味ひとつの「奇跡」といえる。
この春亡くなった監督の追悼特集として、14日まで上映中。おそらくレンタルにも出ていないし、スクリーンでの上映も今後あまり期待できないので、リアルなウェス・アンダーソン的世界に繰り広げられるラブストーリーをこの機会にぜひ。
http://www.eurospace.co.jp/works/detail.php?w_id=000019
ひとはときに、とっさに口をついて出た思いがけないひとことに戦慄をおぼえることがある。それは、そこに自分の心の「闇」を見てしまうからではないだろうか。
ある日のこと、つい手がすべって落としそうになったモノをすんでのところでキャッチしたとき、ぼくの口をついて出たひとことは自分でも想像のつかないものであった。
「おー、吉川晃司並みの運動神経!」
思わず、鳥肌がたったのは言うまでもない。世の中には、もっと目立って運動神経のよい人びと、たとえばスポーツ選手などが沢山いるではないか。いや、ただ「おー、すげぇ運動神経!」でもいいわけである。なのに、なぜここでキッカワが登場するのか。だいたい、ぼくは吉川晃司がスポーツをしているところを見たことすらないのだ。わからない。ほんとうにわからない。こうなると、フロイトとかユングとか、小田晋とか美輪明宏にでも訊いてみるしかないのではないか。
そして、いまいちばん恐怖しているのは、なにかの折りに「あー水球やりてェ」と自分の内に潜むキッカワがつぶやくその瞬間(とき)のことである。
唐突に涼しくなったここ数日の東京である。窓を開ければ相変わらず蝉の声も聞こえてくるが、少しひんやりとした空気の中で聞くその声はなんとも場違いで、正直マヌケにさえ聞こえる。それが判っていて恥ずかしいのだろう、道ばたには少なからぬ数の蝉が横たわり身悶えしている。気の毒である。
本を返しにいったとき、大きな木の植え込みでなにやらゴソゴソとやっているおばあちゃんをみかけた。気になったので様子をうかがうと、植え込みに落ちている余命幾ばくもないといった感じの蝉をつかんでは、なんとか傍らの木の幹に止まらそうと苦心している。なんども試みるのだが、蝉は落ちる。そのたびジジジッと鳴いて、落ちる。戦中派とおぼしきおばあちゃんは、でもあきらめない。あきらめないのだ、勝つまでは。
でもね、おばあちゃん、いくらあなたの「知恵袋」をもってしてもそれは無理だと思うぞ☆
梅雨の晴れ間の東京より、おはようございます!
昨日と今日の二日間、青山の国連大学前Farmer's Marketでは第3回となる「Nordic Lifestyle Market」が開催されています。そして……
なんと本日は、「中田ベーカリー」さんのブースにてmoiのフィンランド風シナモンロールも販売していただけることになりました。中田ベーカリーさんの美味しいパンと一緒にぜひお召し上がりいただければと思います。
雑貨や食、インテリア関係のインスタレーションなど盛りだくさんの「Nordic Lifestyle Market」。ぜひ心地いい初夏の風に吹かれながら散策してみて下さい!
なお、吉祥寺のお店ももちろん通常営業(正午〜19時)しておりますので、こちらもお待ちしております。
フィンランドは夏至祭の週末。みなさまも、穏やかな週末をお過ごし下さい。
秋雨、いまなら台風増量中!! みたいなお天気がしばらく続いてますね。その日暮らしの個人店にはツラいところです。その日暮らしでない方は、こういうときお気に入りの個人店に一度くらい顔を出してあげて下さい。1度で3回分くらいのご利益がありますよ、きっと。
さて、25日(日)ですが、都合により終日ドリンク&スイーツのみの提供とさせて頂きます。ご不便をおかけしますがよろしくお願い致します。
そしてそして、
この日限りのサービスを考えました! なんとアイスクリームが+100円でオーダーできます。そして、このアイスクリームにはなんともれなく「サービス」でリコリスのソースがトッピングされています!(毒味済みなのでご安心下さい笑)名付けて「Musta sunnuntai(黒い日曜日)」。テンション上がりますねッ?!
なお、25日限り、なくなり次第終了です。
本日24日より、フィンランドのクラウス・ハロ監督(『ヤコブへの手紙』)の新作『こころに剣士を』が公開されます。エストニアを舞台に、元フェンシング選手の教師と子どもたちの心の交流を描いた勇気をもらえる物語。
この映画『こころに剣士を』のタイアップメニューとして期間限定で「りんごのグロギ」をご用意しました。グロギというと、クリスマスのホットワインが思い出されますが、こちらはノンアルコールのスパイス入りドリンクです。フェンシングというと、まずまっさきに純白のユニフォームが思い出されますが、さらに子どもたちの澄んだ気持ちや雪に覆われたエストニアの大地といったイメージから、りんごジュースを使って「白いグロギ」に仕立てました。
提供は、12/24(土)より1月下旬(予定)まで。どうぞ、映画ともどもお楽しみください。。
鼻水が止まらないので花粉症の薬をもらいに病院へ行ったところ、なんとインフルエンザA型との判定が出てしまいました。熱も35度(ちなみにこれが平熱です笑)なので、こんな例はいままでないと先生も看護師さんも首をかしげていますが、ぼくも不思議でなりません。だいたい、過去にインフルエンザにかかったこと自体思い出せないくらいで……。
とはいえ、お客様やスタッフに迷惑をかけるわけにはいきませんので、おとなしく日曜日までお休みさせていただくことにしました。週明け以降の営業につきましては、あらためてご案内させていただきます。
ご迷惑をおかけいたしますが、何卒よろしくお願い致します。かかりつけの病院でも今週毎日10人くらいインフルエンザのひとが来ているということですし、ぼくのように熱はなくても発症するケースもあるので、花粉かな?と思っても症状がひどいようならば受診されることをおすすめします。。
12月12日(火)13時〜14時、六本木の東京ミッドタウン内21_21DESIGN SIGHT ギャラリー3で開催される企画展『FIN/100』会場内にてフィンランドのコーヒーとカフェをめぐるトークイベントを店主・岩間が担当させていただくことになりました。
フィンランド人にとって「コーヒー」とは? またコーヒーを楽しむ場所としての「カフェ」とは? その他の北欧諸国とちがうフィンランドらしさとは? といったテーマを軸に写真やデータなどまじえつつこの日限定のスペシャルエディションにてお送りいたします。
事前の申し込みは不要ですが、約20名ほどの着席スペース(有料500円コーヒーつき)は先着順となります。なお、フリースペースですので、立ち見になりますが無料でご覧いただくこともできます。
また、この日提供予定のコーヒーは世田谷代田のグラウベルコーヒー焙煎人の狩野知代さんに特別にお願いした「北欧」をイメージしたコーヒーとなりますのであわせてお楽しみいただければと思います。
平日の昼間ゆえかなり集客に苦戦するものと思われますので、お時間のある方はひとつこれも人助けと思ってご来場いただけますようお願いいたします。また、お仕事の方は外出の用事をむりやりこしらえてでもぜひお越しくださいますようお願いいたします。
フィンランドの家具メーカーartek社の主催による企画展のご案内についてはぜひ下記のリンク先をご覧ください。
https://www.fin100.jp/
12月6日(水)チェロの岩谷詩織さんをお迎えして「クリスマスのちいさな音楽会」を開催します。
この日はフィンランドの100回目の独立記念日にして、moiの吉祥寺移転からちょうど10回目の記念日にあたります。そんな「特別な日」に、木の楽器と木の空間とが奏でるあたたかい音楽をみなさまにお届けします。ささやかな集いでがありますが、コーヒーと中田ベーカリーさんのパンとともにお祝いしていただけるとうれしいです。
残席が少なくなってきましたので、ぜひお早めにお申し込みください。ご来場お待ちしております♪
なお、イベント開催のため当日は17時にて通常の営業は終了させていただきます。ご注意ください。
★日程が誤っていましたので訂正しました。正しくは、12月6日(水)です。
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クリスマスのちいさな音楽会@moi
12月6日(水)19:15開演(18:30開場)
出演/岩谷詩織(Vc)ほか
料金/2,000円(コーヒーとパンつき)
フィンランドデザインに囲まれた、こんな素敵な空間でトークイベントをさせていただきます。
あす12月12日(火)13時より、いま六本木「東京ミッドタウン」 21_21DESIGN SIGHT内ギャラリー3で開催中のイベント『FIN/100』の一環として、フィンランド人にとってのコーヒーとは? そして、それが飲まれる場所としてのカフェとは? という話をぼくが実際に触れたフィンランドの光景やデザイン、日頃カフェでコーヒーを淹れながら感じたことなど混じえつつお話しさせていただきます。
会場では、期間限定でこの100年間に生まれたフィンランドの定番&最新のデザインの展示、販売も行われていて見逃せません。
このトークイベントについては事前のお申込みは不要ですが、客席は20名ほどとなります。参加費は、コーヒーつき500円です。
コーヒーは、このイベントのため特別に世田谷代田「グラウベルコーヒー」の狩野知代さんが北欧風の爽やかな味わいのものをセレクトして下さいました。お楽しみに。
平日午後ではありますが、たまたまお休み、あるいはしれっと仕事を抜け出すなどさまざまな策を弄してぜひ集いましょう。笑
六本木「東京ミッドタウン」内ギャラリー3にて開催中の『FIN/100』の一環として、本日トークイベントに出演させていただきました。年末の平日、しかも13時という時間帯にもかかわらず20名近いお客様にご来場いただき楽しい時間を過ごすことができました。ご来場いただいた皆様にあらためてお礼申し上げます。またご来店いただいた折に、お一人お一人にご挨拶させていただくつもりです。
今回イベント用にコーヒー(エチオピア・イルガチェフェのシティロースト)をご提供いただいたGLAUBELL COFFEEの狩野知代さんもアフリカから帰国したばかりにもかかわらず駆けつけて下さいました。いかにも北欧で好まれそうな爽やかで丸い味わいのコーヒー、いかがでしたでしょうか?
珍しく吉祥寺から出た岩間の姿をわざわざ見に来てくださった『北欧とコーヒー』の著者、萩原健太郎さん(笑)。近々moiでデザイナーズチェアにかんするイベントをやろうと話がまとまりましたのでぜひお楽しみに。
さらに、会場でお手伝いいただいたスタッフのみなさんにも大変助けられました。ありがとうございました。
もし、今日は仕事などで参加できなかったけど聞いてみたかったぜという方がいらっしゃいましたらお気軽にお声かけください。ある程度の人数が集まりましたらいずれmoiでも機会を設けようと思います。
以上、お礼とイベント無事終了のご報告でした。
ツイッターでつぶやいたものの140文字ではうまく伝えきれなかった文章を、すこしだけ多い210文字にしてあらためて伝え直します。
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ベルリンの壁が崩壊して国家に「寿命」があることを知り、改ざんや隠蔽をきっかけに傾いてゆくさまを見て大企業にもまた「寿命」があることを知った。
お店にとってのお客様もそうで、諸々の事情によってよく来てくださっていたお客様もある日パタリと姿を見せなくなる。仕方ない。これも「寿命」みたなものだ。
そして、だからこそ、長い間たとえ時々でも継続的に来てくださるお客様は文字どおり「有り難い」存在であり、感謝の気持ちしかない。
「校閲者」 牟田都子(むた・さとこ)さんの日常に密着したドキュメンタリー番組『7RULES(セブンルール)』が、昨夜フジテレビ系列にてオンエアされました。
じつは、moiが吉祥寺に移転して以来ずっと、都子さんにはあるときは仕事の、あるときは息抜きの場所としてコーヒーを飲んでいただいたり、またポストカードをお求めいただいたりと可愛がっていただいています。番組の中でもそんな様子がちらっと登場します。
お客様としての都子さんは、ひとことで言えば「気配りのひと」。周囲のちょっとした空気の変化にも反応し、つねに先回りして気遣ってくださいます。番組中、コメンテーターのYOUさんがはからずも「神!」とおっしゃってましたが、ぼくも同感です。テレビを観ながら大きく頷いてしまいました。校閲のしごとをされているからあのような気配りが自然にできるのか、それともそのような性格の持ち主だからこそ校閲のしごとに向いているのか…… たぶん、その両方なのでしょうね。「天職」というのはこういうことなのだろうなあと、番組を観てあらためて感じました。
なお、この『セブンルール』1週間限定で関西テレビの動画視聴サイト『カンテレドーガ』にて無料視聴できます。とても興味深い内容だったので、ぜひ多くのみなさんにご覧いただきたくここでご紹介させていただきました。
http://ktv-smart.jp/pc/movie/index.php?key=53061
TBSラジオでやっていた番組『菊地成孔の粋な夜電波』が、このあいだの土曜日深夜の放送をもって最終回を迎えた。とりたてて菊地成孔が好きということもなく、ときどき思い出しては聴くくらいではあったけれど、今回の放送は選曲はもちろん菊地本人のMCも含め憎ったらしいくらい見事に彼の「美学」が極まった神回なので、まだのひとはぜひradikoのタイムフリーで聴いてほしいと思う。
今回の放送終了は、現場にはかなり理不尽な決定だった様子だが、そのことに触れつつ菊地成孔はこんなことを言っていた。「アタシは特定の宗教は持ちませんけど、造物主、神の存在は信じてます。……(番組の打ち切りも)造物主の意志ですよ。すべてに意味がある」。そして、じつはぼくも日頃からまったく同じように思っているので、ラジオを聴きながら大きく頷いていた。
2018年、出会ったひとも、起こった出来事にも、そこにはすべてなにがしかの意味があると思っている。いまはそのひとつひとつの意味はわからなくても、それがここにつながっていたのか、あれがあったからこそいまこれがあるのだと確信できる2019年にしたいと思う。
穏やかに、健やかに、みなさまよいお年をお迎えください。
あけましておめでとうございます。
テレビが故障していて「紅白」も「ジルべスターコンサート」のカウントダウンも観られず、仕方なくYouTubeで2018年を振り返りつつ「ひとり紅白歌合戦」などしてエモくなっているうち気がついたら2019年に突入していました。激動の一年がスタート。
ふだんはあまりテレビが観られないことの不便さなど感じはしないのですが、ずっと家にこもってネットをぼんやり眺めたり読書していたりすると本当に、まったくお正月感ゼロで、やはりこれは外に出て浮かれた人びとの姿でも見ないことにはと、夕方になってから近所のカフェなど行ってきました。
元日のカフェは、福袋をいくつも提げたりこれからどこかへ繰り出そうとしているような忙しそうな人たちと、ぼくのように、正月だからといってとりたててこれといってすることがないヒマ人とに客が完全に二分されていて、FBユーザーとTwitterユーザーのちがいみたいな、それはそれでなかなか味わい深いものがありましたね。
そして夜は、Amazonのプライムビデオで映画『はじまりのうた』を鑑賞。ジョン・カーニー監督の作品は『ONCEダブリンの街角で』『シング・ストリート』ともに大好きですが、これも期待を裏切らないすばらしい音楽映画でした。このあいだのラジオ番組での菊地成孔のMC然り、音楽に救われた経験をもつひとのつくるものは無条件で好きだし、また信頼できるな、という感想。
特にこの映画の中で印象に残ったのは、主人公のシンガーソングライター(キーラ・ナイトレイ)と落ち目の音楽プロデューサー(マーク・ラファロ)が、夜のマンハッタンを散歩するシーン。
プレイリストを他人に見られるのはじぶんの心情を吐露するようで恥ずかしいものだが、それをあえて見せ合おうと2分岐アダプターにつないだイヤホンでそれぞれのプレイリストに収められた音楽を流しながら夜の街を散歩するのだ。好きな曲をさらけだすことで音楽がふたりのこころを結び、たしかな絆が生まれてゆくその様子が、マンハッタンの夜景と溶け合いまったく夢のようにうつくしい。
いままで、映画に登場する「散歩」シーンでもっとも好きだったのは、『マンハッタン』でウッディ・アレンとダイアン・キートンがセントラルパークで夕立にあうシーンだったのですが、この『はじまりのうた』の散歩シーンはそれをあるいは超えたかもしれません。そして、どちらも舞台がニューヨークであることにいま気づいた。
そのほかにも、ニール・サイモンの戯曲を映画化した『裸足で散歩』もマンハッタンが舞台だったり、敬愛する植草甚一もニューヨークを散歩するコラムをたくさん残していたりと、ニューヨークはぼくのような「散歩フリーク」にとってはいつか行かねばならない聖地かもしれません。
えっと、きのうはなにをしたんだっけかな? おそるべし休みボケ。
そうだ、あわてて雑煮を呑み込んでから竹橋へ行ったのでした。ここ数年、ぼくの「美術館初め」は東京国立近代美術館ということに決まっているのです。古今東西の所蔵品のなかから、新年に合わせて選ばれたかなりのボリュームの作品の数々が、なんと正月2日にかぎって無料で観ることができるのです。タダ! タダですよ、奥さん! オタク用語で言うところの「無銭」ですよ! しかもたいがい空いている。人ごみニガテ人間にとって、これほどありがたいことはない。軽くサーッと飛ばしつつ、好きな絵だけじっくり立ち止まって観るスタイル。
さらに言うと、2階でやっている小企画がまたあなどれない。軽めではあるけれど、それでいてなかなか尖った内容で楽しみなのです。
ことしは、テレビの旅番組の主題歌から着想を得たという企画『遠くへ行きたい』。空色のかわいらしいリーフレットの説明書きによれば、「ここでは、今いる場所から遠く離れたところへの憧れや、どこか非日常的な空間をさまよう姿などを現した作品を集めました」とのこと。じっさい、三岸好太郎や福沢一郎から難波田史男、荒川修作まで幅広い作品が並んでいますが、単体で観るとなんだかつかみどころのない抽象的な現代絵画も、こうやってひとつの大きなテーマの中で観ると案外おもしろく発見があったりするのですよね。苦いピーマンも、なかにひき肉を詰めて衣をつけて揚げてしまえば美味しく食べられる、そいう話です。ん? ちがうか。
その後、買い物のため日本橋、銀座とデパートを巡ったのですが、ふだんはけっして近寄ることのない初売りの百貨店、端的に述べて「地獄絵図」でした。そんな「地獄絵図」を前に、美術館の余韻はほとんど一瞬にしてみごと消えましたね。もう、完全にまわる順番をまちがえました。
さらに実家から初詣に行き、いとこたちと会うため親戚の家へ。それにしても、いつもぼんやり頭を悩ますのは、お賽銭の相場っていくらなんだろう?ということ。まあ、気持ちだからいくらでもよいのだろうけれど、やはりここはひとつ、まあ、年に一度のことだしちょっとガンバっているぞという印象を神サマにもあたえたいじゃないですか。とか言いつつ、結局いつも百円なのですよね。二百円とか三百円とかバラバラ投じるのもなんかちょっとちがう気もするし、となると次は五百円なのだろうけれど、百円から五百円への「壁」はなかなか高い。スイスのアイガー北壁並みに険しい。なので、いつも百円なのですね。ことしも百円。
晩ごはんはいとこのうちでご馳走になり、いとこのダンナ(アメリカ人)の家族が暮らすフロリダの写真など見せてもらったりしつつ正月2日目ものんびり過ごしました。
ちなみにこの日の歩数14,199歩、移動距離9キロ、上がった階数24階だそうです。あれ、全然のんびりしてないな。
日頃ほとんど休日に出歩くということがないせいか、この休暇中ちょこちょこ出歩いていただけですっかり〝人酔い〟みたいな状態になっています。どこもあまりに人だらけなので、心の中で「みんなウサギにな〜れ」と呪文を唱えながら歩いてました。まあ、なったらなったで「ピョンピョンうるせーよ」という気分になるのでしょうが。
そして昨日は、ちょっと手に入れたい実用書があったもので書店をいくつか回ってきました。池袋や新宿は避けて神保町まで出てみたのですが、神保町界隈はまだ三省堂くらいしか営業しておらず、しかもあたりをつけていた本がその三省堂になかったので結果的に無駄足になってしまったのでした。本屋さんは好きだし、その必要性も理解しているつもりではあるけれど、こういうことが続くとどうしてもアマゾンと図書館のあわせ技に頼りがちになって、あまり書店は利用しなくなってしまうのですよね。悩ましい問題。
あと、これは毎年お正月のたびに思うことなのだけど、案外本が読めない。集中力にいちじるしく欠けるせいか、家ではあまり長い時間読書できないのです。そういうぼくにとって読書がもっとも捗るのは移動中の車内。なので、山手線に一周1,000円(ドリンクつき)くらいで利用できる「読書専用車両」を連結してもらえないものかと本気でかんがえている。JR東日本さま、いかがでしょう。
あっという間というほどではないにせよ、うっと唸るくらいには早くお正月も過ぎ去り、ふつうに何日か仕事をしたらすっかりもういつものペースに戻ってました。ライ○ップのリバウンドくらい早っ!!
そしてきょうはというと、定休日の店で早くも年末(!)のイベントにかんする打ち合わせに参加してきました。べつに生き急いでいるわけでは全然ないのですけどね。。
それはそうと、最近好んで聴いているのは「けもの」です。菊地成孔がプロデュースした無国籍シティポップ調な2ndもよいけれど、1stからのこういうしっとりしたSSW風の楽曲にも心揺さぶられます。聴いて欲しいだれかに届きますように。
https://youtu.be/OEpAktTuzNs
「エモい」という表現の、もっとも的確な説明をたったいま思いついたので、忘れないうちここに書いておきますよ。
ひとは、それなりにちゃんと生きているひとならば、忘れたくても忘れられないことやあきらめようにもあきらめられないことなど誰しも抱え込んで生きているものだと思うのです。そしてたいがいのひとは、そうした忘れたくても忘れられないこと、あきらめようにもあきらめられないことなんかを時間の経過や環境の変化とともに少しずつ忘れたり、またあきらめたりするものだと考えているのですが、でもじつは全然そうじゃないのですよね。
それはただ、心の奥にある「引き出し」にそっとしまいこまれただけで、消えてなくなってしまったわけではないのです。そしてなにかしらのきっかけで、たとえばそれは音楽だったり風景だったり、あるいはもしかしたら匂いだったりするわけですが、不意にその「引き出し」が開かれて中からかつての、忘れられない、あきらめきれない思いが一気に溢れ出し「あの頃」にどうしようもなく引き戻されてしまう。そしてそんなとき、思わずひとはこう口にするのです。エモい。
テレビは相変わらず壊れている。
完全に壊れているのなら、それはそれでかまわない。元々そんなにテレビを観る方でもないからだ。だが、問題はそれが中途半端に壊れていることにある。すごく中途半端なのだ。BSしか映らない。あざやかな職人仕事に見惚れていると、その職人がここ最近どうも膝が痛むなどとおもむろに言い出しそれが健康食品のCMだったことに気づく、例のBSである。
それに、じつはこんなことは知らなかったのだが、BSではあまり日本のニュースをやらない。朝、なんとなくその日のニュースを知ろうと思いテレビをつけると、カタルーニャ問題で紛糾するスペインの国会や、いかにも「モンティ・パイソン」の餌食になりそうなメイ首相の顔が映し出されるといった具合。また、服選びの参考にと天気予報を見れば、ウランバートルの最低気温はマイナス20度だという。ああそうですかとしか反応しようがないではないか。
ちなみにけさは、ローマの地下鉄のニュースを観た。ローマの地下鉄工事現場では、掘れば掘るほど遺跡がみつかり、また場合によっては振動でコロッセウムに被害が及ぶ心配もあって着工から12年(!)経ついまも完成のメドが立っていないのだそうだ。
まあ、ひとこと言わせてもらうとすれば、なんでそもそも掘ろうと思ったかな。。
とりたてて、写真家になろうと思ったわけではない。が、時々こんなふうにかんがえることがある。
写真家にとって不可欠な才能とは、撮りたいと思った瞬間にシャッターを切ることのできる〝心臓〟ではないか、と。
というのも、いまこの瞬間を写真として残しておきたいと思っても、ぼくの場合、被写体や周囲の目などがつい気になってしまい撮るに撮れないといったことがよく起こるからである。結果、カメラロールにはごくありきたりの風景やら料理やら、無難な写真ばかりが並ぶことになる。
たとえば、きょうもこんなことがあった。駅前のロータリーを通りがかったときの話だ。スーツ姿のふたりの中年男が、なにやら巨大な物体をワンボックスカーから苦心して引っ張りだしている。やっとこさ担架のような板の上に乗せられたそれは、見れば巨大なカニのオブジェであった。といっても、ふたりで運べるくらいだから、ざっと見積もって「かに道楽」の壁に張り付いているカニの4分の1ほどであろうか。それでもなかなかの大きさだし、なんといっても昼下がりの駅前のロータリーに似つかわしいものではない。
撮りたい! 強く思った。だが、カニを運びだそうとしている男たちの冷たく強張った表情からひしひしと感じられるのは、写真どころか、絶対見るんじゃねーぞという激しい拒絶反応のオーラである。いや、その男たちの表情からすれ、むしろ棺桶でも運んでいるほうが自然なくらいだ。しかし、であればあるほど、かえってその無表情とカニの珍妙な組み合わせがシュールで、絵心を誘われるのだ。ああ、最高に趣きのある写真ができあがりそうなのに……。ぼくは、無念に唇を噛みしめながら通り過ぎる。
こうして、きょうもカルティエ=ブレッソンになりそこねた。
だいぶ疲れがたまっているのか、からだが重い。
なったことがあるわけではないのでよくわからないが、きっと水をたっぷり吸い込んだ雑巾はいつもこんな気分なのだろう。明日からは、ちょっとだけ雑巾にやさしくなれるかもしれない。
とりあえず、むりやり起き上がって、頂き物のお菓子で血糖値を上げてから上野の東京都美術館へ。『奇想の系譜』展。
長沢芦雪の「白象黒牛図屏風」。そこじゃない、のはわかっているが、
ワンコがちっちゃいのか、
はたまた牛がでっかいのか、
しばし絵の前で首をかしげる。どっちなんだ。
でも、これがもしふつうの縮尺で描かれていたとして、はたしてこの作品はそんなに人気になったであろうか。つまり、このワンコの愛らしさの秘密はまさにこの無茶苦茶な縮尺にこそあるのであって、その意味でこれぞ「正解」なのである。こういうのを、ひとは「センス」と呼ぶのだろう。
そして、伊藤若冲「海堂目白図」。メジロのおしくらまんじゅう超カワイイ!!!(画像は「部分」)
ほかにもいろいろと観たはずだが、意識が低いというか眠くて眠くて意識が水面下すぎてこんなことしか覚えていないのだった。なんかもったいないことしたなあ。
このあいだ、なにかの拍子にアップル・ミュージックの無料おためしキャンペーン的なものに登録してしまい、まあ登録してしまったものは仕方ないと一ヶ月ほど使っているわけですが、最近になって自分専用のプレイリストなるものがふだん自分が好んで聴いている音楽を元に生成されていることに気づきました。
そのプレイリストが、自分の嗜好を分析してできているので当然といえば当然なのですが、ジャンルがめちゃくちゃで、それでいてちゃんと自分の好みの感じに統一されていることに感心してしまいました。でも、どういうわけか全体に物悲しい。どうやら、AIから孤独な人という認識をされているみたいです。
けさも、そんなプレイリストを聴きながら歩いていたのですが、途中の植え込みに艶やかなピンク色の花をいくつもつけたタチアオイが、一本だけまっすぐ伸びているのに気づきました。毎日通る道なのにどうしていままで気づかなかったのだろう。ふしぎに思いながらも、きっと雨に濡れて鮮やかさを増した緑色やピンク色のせいかもしれないなどと考えていたところ、不意に耳に挿したイヤホンからジョアン・ドナートの懐かしい「Lugar Comum(いつもの場所)」という曲が流れてきて、なんだかわけもわからず泣きたい気分になってしまいました。
どんなに大切なものも、いつもそこにあるとそれが当たり前になって気づかなくなってしまう。それで幾度となく苦い気分を味わってきたはずなのに、気づくとまた同じことを繰り返している……
なにも、そんなことを瞬時に思って泣きたくなったわけではないのですが、なんだか朝からAIにしてやれた、そんな感じでした。
いや、そんなことを書くよりもお知らせをしなければ……
今週土曜日のSavotta?さんプロデュースによる「桃のあんみつ」の会ですが、残席が5名ほどになりました。時間帯別の完全予約制ですので、ご検討中の方がいらっしゃいましたらお早めにお申し込み下さい。桃は、今回甲州産の「みさか白鳳」を使用いたします。なお、ブログにて予約状況等ご確認の上お申し込みくださいませ。
http://moicafe.hatenablog.com/entry/2019/07/12/120008
さて、上記イベント開催の関係で20日(土)のカフェの営業はお休みとなります。物販およびシナモンロールのテイクアウトにつきましては通常どおりとさせて頂きます。
また、22日(月)は「フィンランドごはん」はお休み、代わりにサーモンの北欧風タルタルサンドをご用意させていただく予定です。
8月は、過去にも開催しご好評いただきました前田恵理子さんによる靴下展を開催致しますのでお楽しみに。
おまけ。おとなのプチ遠足的なものをやります。
23日(火)の午後、いま新宿のLIVING DESIGN CENTER「OZONE」で開催中の『北欧の灯り』展を観て、その後どこかでお茶をしながら北欧の話で盛り上がって解散! という毒にも薬にもならないゆるい内容ですが、OZONE遠いので一人だと面倒くさくなって行かなそうというひどく安易な理由で思いつきました。
https://www.ozone.co.jp/event_seminar/event/detail/804
14時現地集合17時半解散くらいなイメージですので、もし興味のある方いらしゃいましたらお気軽にご連絡ください。
ごぶさたしております。
いやいや、まったくFBとの相性の悪さときたら筋金入りでして、これはあくまでも推測ですが、何代か前のご先祖様がマーク・ザッカーバーグのご先祖様を手酷くいじめたがための「祟り」ではないかと疑っているくらいなのです。
このあいだも、インスタやらと連動させたりビジネス機能を持たせようとしたりゴチャゴチャいじくっていたら収拾のつかないことになってしまいました。正直泣いています。
で、何が言いたいかというと、実はインスタグラムとの連動がうまく行かないので、もしインスタをやられていて、なおかつ興味のある方がいらっしゃいましたらぜひフォローしていただければというお願いです。しばらく放置気味でしたが、心を入れ替えて(?)フィンランドの写真なども定期的に投稿するようにしております。URLは下記です。どうぞよろしくお願い致します。
https://www.instagram.com/moikahvila/
ここ最近、特に心に置いているのは「気をてらわない」ということです。
ひとの目を惹くには、何はともあれ目立つのがてっとり早い、それは確かでしょう。
ただ、そうした奇抜さに目を奪われるとしたら、それは世界がある程度静かなときに限ります。海でいえば、凪。
波が穏やかだからこそ、ちょっと魚が跳ねれば思わずそちらに目をやってしまうわけです。
でも、これはもうみなさん身にしみて感じておられるように、いまの世界は「凪」ではありません。そういう時に、変に目立とうとしておかしな振る舞いをしてもそれはもう、ただただウザいだけです。みんな予想のつかないことで日々疲れ果てているのですから。
では、いまのように時化(シケ)ている時、ぼくらが心から求めるのは何かというと、それは「真っ当さ」だと思います。迷惑系ユーチューバーとか、だんだん力を失ってゆくのではないでしょうか。
その意味では、進み過ぎた「針」がこれを機に本来あるべき位置にいったん戻るのかもしれません。とにかく真っ当に、派手なジャンプなど考えず誠実にそろそろと歩んでいきたいと思う今日この頃です。まあ、奇抜さで目を惹くようなアイデアも度胸も、もともとないのですけどね。
それにしても、梅雨がなかなか明けません。そろそろ夕焼けが恋しいです。どうか皆様すこやかにお過ごし下さい。
こんばんは。桜が咲いて散って、あっという間の4月ですがお元気でお過ごしでしょうか?
このたび、Moiではフィンランド好きのみなさんの力を借りて、音声SNS「Clubhouse」に「フィンランド好きが日曜朝8時から『今週のフィン活』について報告しあう30分」という部屋を立ち上げました。
フィンランドに行くことはもちろん、コロナ禍によりイベントの開催もままならない中、いまできる「フィン活」をリアルタイムで報告しあいシェアすることで、この先一週間のモチベーションを上げるちいさなきっかけになればと思っています。
この部屋は、Moiの岩間と原田に加え、「ゆおっぽらっり」名義でフィンランドにまつわるイベントを企画されているゆかさん、さらに翻訳や講師のほかさまざまなかたちでフィンランドと長くかかわっていらっしゃる上山美保子さんにも共同ホストとしてお手伝いいただきます。
Clubhouseは、現在のところiPhoneアプリのみでしか対応しておりませんが、利用できる環境の方はぜひ軽い気持ちでご参加下さい。日曜日の朝8時という冗談みたいな時間ではありますが……。
第1回は、あす4月4日の日曜日。朝のひとときClubhouseにてお会いしましょう!
https://www.joinclubhouse.com/event/xXJNWgy2