渋谷のランドマーク「109」をはじめ、数々のポスト・モダン建築で知られる建築家・竹山実。『そうだ!建築をやろう―修業の旅路で出会った人びと』(彰国社)は、札幌に生まれ学生時代を東京で過ごした彼が、その後アメリカからデンマークへと渡り歩くなかで出会った〝忘れ得ぬひとびと〟をピックアップし、その思い出を綴った回想録である。
1962年、アメリカを離れることになった竹山は、デンマークに渡り、シドニーオペラハウスのコンペを勝ち取ったばかりのヨーン・ウッツオンのアトリエに職をみつける。地図を見ながら、コペンハーゲンから北へ車で1時間ほど離れた海辺の町にあるウッツオンのアトリエまでようやく辿り着いてみると、アトリエにはウッツオン本人はおろか、留守番の所員の姿すらみあたらない。そして、ドアに貼られた一枚のメモ書きにはこんなことが書かれていたという。
──「ミノル。よく来た。家の中に入って、着替えて海岸に来い。今日は稀に見る絶好の日和だから、われわれはみんな海で遊んでいる」。
北欧らしいといえば、いかにも北欧らしいエピソードではないか。大きなコンペを獲ってしっちゃかめっちゃかになっていて当然のときに、天気がいいからといって全員が職場放棄して遊んでいるなんて。気候風土から「暮らしぶり」が生まれるとしたら、一年を通してなんとなく気候のよい日本で日本人が一年中なんとなく働いているのも頷ける。これは、以前スウェーデンの福祉施設でインターンとして働いた経験のあるお客様から聞いた話なのだが、温厚な同僚たちが唯一声を荒げて言い合いをしていたのが「夏休み」の予定を調整しているときだったという。晴れたら休む、は、北の厳しい自然を生き抜くために培われた「智慧」のひとつなのかもしれない。
もうひとつ、同じ本のなかに彼がデンマーク王立アカデミーで教鞭をとっていたころの学生にまつわるエピソードがあるのだが、これがまたいかにも〝北欧っぽい〟とぼくは思うのだ。
竹山によると、建築家をめざす当時のデンマークの学生たちは「実在しないものに夢の理想を追い求める創造の姿勢」からは一様に無縁だったという。彼らにとって「創造力」とは、「いままでに見たことのない空間や形態」を発想する力を指してはおらず、「あくまで現実に存在していて実際に経験できる対象から出発し、それをよりよい次元にレベルを高めることに必要な力」を指して言われるべきものなのだ。彼らに言わせれば、たとえそれがオリジナルな発想を持ったものであったとしても、「実際に使用する社会の人びとの支持を得られないなら」ダメということになる。
個性で目立つよりも、現実に寄り添いつつ、そこに新しい価値なり意味なりを付与することをもって「クール」とするような考え方は、おそらく長い時間をかけて北欧の人びとに広く共有されてきた考えなのだろう。そしてこれは、なぜ北欧デザインはシンプルなのか? という問いへのひとつの答えになっていると思うのである。