2007.11
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2007.9

Boston Promenade フリーライブ!
2007.10.1|music

フィンランド発のホットなビッグバンド「Boston Promenade(ボストンプロメナーデ)」がこのたび初来日、きたる10/19[金]午後6時より上野恩賜公園野外ステージにてたった一夜限りのフリーライブを決行する。

この「Boston Promenade」はヘルシンキ商科大学(HSE)の学生とミュージシャンによって結成されたグループで、レパートリーはジャズのスタンダードナンバーからスティービー・ワンダー、ブライアン・セッツァーといったソウル、ロックのヒットチューンまでと幅広い。もちろん実力の方もお墨付きで、フィンランド国営放送のテレビ局に定期的に出演しているほか、国内外でも数多くライブ活動をおこなっているそうである。

秋の夜長に北欧のビッグバンドジャズを「生」で聴く。しかも入場無料!!!これは、ちょっとというか、かなりいい感じとはいえないだろうか?ぜひぜひ応援がてら、10/19は上野にかけつけよう!

◎ Boston Promenade Live at Ueno Park

 日 時:10月19日[金] 午後6時~
 会 場:上野恩賜公園野外ステージ
 出 演:Boston Promenade(ボストンプロメナーデ)
 入場料:無料
 問い合わせ:japan boston promenade

引っ越します
2007.10.4|column

ある日とつぜん地球がぐるぐるとそれまでの1.8倍くらいの速さでまわりはじめ、長い人生で経験するような喜怒哀楽が一気に押し寄せ、携帯と胃薬を手放せない日々がつづき、そうして気づいてみたら、「moi」を引っ越すことになっていました。

荻窪に店をかまえて5年あまり。それは、多くのお客様のあたたかい心に支えられての5年間でした。そして、そんな思い出の数々をカバンにつめこんで、この秋「moi」は吉祥寺へと移転します。

たとえお店の場所は変わっても、「荻窪のmoi」がもっているこの「空気」はきっと変わることはないでしょう。いえ、変わりようがないでしょう。なぜなら、この「空気」こそがぼくにとっての「カフェ」にほかならないからです。はたしてなにが「変わって」なにが「変わっていない」のか、それを確かめに、ぜひ「吉祥寺のmoi」にも足をお運びください。

というわけで、たいへん急ではありますが、「荻窪のmoi」は今週いっぱいをもちましていったんクローズさせていただきます。そしてしばし準備のための時間をいただき、12月の初旬には吉祥寺にてふたたびみなさんとお目にかかりたいと思います。

これまで「moi」を応援しかわいがってくださったみなさま、ほんとうにありがとうございます。「moi」の空気のほとんどは、まさしくみなさんがつくりだしたものです。今後とも引き続きよろしくお願いいたします。

では12月、あたらしくてなつかしい「moi」でお目にかかりましょう!

moi店主

感謝のことば、気持ち、そして
2007.10.9|column

先日移転の発表をして以来たくさんの、いつもの、そしてひさしぶりのお客様がmoiにかけつけてくださり、あたたかい言葉と笑顔に包まれながら「宝物」のような素敵な時間をすごすことができました。

いろいろ言葉を並べてもただ陳腐になってしまいそうなので、

5年あまり育てていただいて、本当にありがとうございました

そんな感謝の気持ちを胸いっぱいに荻窪での営業を終えたはずだったのですが、なんとなくまだ名残惜しい気分もあり、また現在の物件の明け渡しにも多少の余裕が生まれたため、できる範囲内で週末のみの営業を続けることとしました。

週末営業(別名「ゾンビ営業」!?)は、
 土曜日&日曜日 13時から19時まで
メニューは
 ドリンク、およびフィンランド風シナモンロール(数量限定、売り切れ次第終了)

とさせていただきます。荻窪のmoiの「空気」を、肌で感じていただくこれが最後のチャンスです。どうぞこの機会に足を運んでいただければと思います。なお、作業の進捗状況や突発的な事態により急きょ営業を取り止めざるをえないこともありますので、お手数ですがお出かけの際にはこのブログをチェックしていただけますようお願いいたします。

では、なんだかおかしなお知らせですが、

どうぞよろしくお願いいたします。

週末営業のごあんない
2007.10.12|info

そんなこんなで、

明日(13日)、あさって(14日)の土曜日、日曜日は下記のとおり週末営業をさせていただきます。

 時  間 13時~19時
 メニュー ドリンクおよびシナモンロールなど
 ※従来通り、土曜日は「禁煙」です。

シナモンロール、今週あんまり焼けなかった・・・もし売り切れてしまったらゴメンナサイ。 荻窪moiのゆるりとした空気をいましばらく味わいたいという方、ぜひお立ち寄りください。の~んびりとお待ちしております。

今週も週末営業、あります。
2007.10.19|info

先週に引き続き、あす土曜日、あさって日曜日も「週末営業」させていただきます。

営業時間は、

 13時~19時

メニューは、

 ドリンクおよびシナモンロールのみ

となります(土曜日は「禁煙です)。なお、シナモンロールは売り切れ次第終了となります。売り切れの際にはご容赦下さい。

あいかわらずの限定メニューによる変則営業ですが、ぜひお時間がありましたらお立ち寄りください。のんびりお待ちしております。

北欧買い付けツアー
2007.10.21|column

と言っても、べつにぼくが行くワケじゃあありません。

いつもエネルギッシュなTRADE WINGのユミコさんからお知らせをいただきました。

なんでもバイヤーと行く、晩秋のヘルシンキ6日間「北欧買い付けツアー」、だそうです。アンティーク見本市やアラビアのファクトリーなど好きなひとにはこたえられないツアー内容になっているようで、「いいなあ、行ってみたいよなぁ」と遠い目になっているぼくは思いっきり現実逃避です・・・。

実施はもう間近に迫っているようですがまだ若干余裕があるとのことなので、興味のある方はぜひチェックしてみてはどうでしょう?

日本の牛乳はなぜまずいのか
2007.10.22|food & drink

夏に松江、そして出雲を旅して以来、どうもすっかり島根づいている。つい先日も、二週連続で松江からお客様が来てくださった。そしてさらに、なんと近所のスーパーで「木次(きすき)牛乳」が売られているのを「発見」してしまったのだ。これはやっぱり「出雲の神様」のお導きだろうか!?

まあ、「木次牛乳」といっても知らないひとのほうが多いだろう。「木次牛乳」を販売している木次乳業は「パス乳」、つまり低温殺菌牛乳の製造販売に早くから取り組んできた島根県奥出雲の乳業会社である。

松江ではコンビニですらふつうに売られている「木次牛乳」だが、残念なことにここ東京ではほとんど目にしない。そもそも、低温殺菌の牛乳じたいごくごく限られたものしか手に入らない。なのに、近場で「木次牛乳」が買えるのだ。エキサイトせずにいられようか(いや、いられまい)。この「ヨロコビ」を誰とも共有できないのが、かえすがえすも残念である。

おまけに、なにげなく目をやると容器の側面にはこんな一文まで。

── 「北欧人は生乳の天然性を大切にしております。その為、生乳はパスチャライズ牛乳として多く利用しております。」

そうかそうか、「木次牛乳」こそは出雲に息づく北欧スピリットなワケだな、などとひとりごちている今日このごろ・・・。

ところで、ぼくが「木次牛乳」を知ったのは十年ほどまえのこと。たまたま手にしたある本のなかでのことである。北欧で口にした牛乳とくらべて、どうして日本で飲む牛乳にはどこかまとわりつくような後味が残るのか?ふしぎに思って手にとったのが、『日本の牛乳はなぜまずいのか』というその本だった。

読んで納得、日本でふつうに手に入る牛乳のほとんどは、北欧をはじめする欧米とは異なり超高温滅菌処理をほどこした牛乳だというのである。「超高温滅菌乳」は栄養価も風味も劣る反面、滅菌用のパックをつかうことで長期保存が可能になるというメリットがある。にもかかわらず、なぜか日本では超高温で滅菌した牛乳に滅菌用のパックはつかわれていない。となると、「生乳」を超高温で滅菌するメリットは?

と、まあそんなこんなな裏事情(?)がこの本には書かれている。そしてそれに対して、木次乳業をはじめ果敢にも日本に「パス乳」を普及させようと努力してきたひとびとの苦労が描かれていて興味深い。「まずい」と言い切ってしまうところもパワフルな、まさに目からウロコな一冊なのである。

PHランプと北欧のあかり
2007.10.23|art & design

銀座を歩いていたら、たまたまこんな展示がひらかれていた。

『ポール・ヘニングセン PHランプと北欧のあかり』

展示というにはあまりにもささやかなものながら、「あかり」についてあらためて考えてみるきっかけとしては、それは十分におもしろいものだった。つまり、それだけふだん「あかり」というものについて無頓着だった、ということ。

会場で配布されていたレジュメにはこんなヘニングセンの言葉がある。

「夜を昼に変えることなど不可能だ」

照明家としての、これはもしかしたら「敗北宣言」?いや、そういうわけでなく、彼はこう続ける。

「わたしたちは24時間周期のリズムで生きており、人間は爽やかな昼の光から暖かみのある夕暮れへの光の移ろいに、ゆっくり順応するようにできているのだ。家庭での人工照明は、言うなれば、黄昏どきの光の状態と調和すべき」である、と。

現代の科学技術をもってして夜を昼に変えるのではなく、むしろこの現代にあってこそ、ひとをふたたび自然のリズムに同期させることの必要性を説くポール・ヘニングセン。そういえば以前、「不眠症」のひとは就寝前の数時間、間接照明にしてほどよい暗さのなかで過ごすとよいという話をテレビでやっていたけれど、「不眠症」のひとは家のあかりをPHランプにするとよい効果があるかもしれないな。

それはともかく、「ああ、暗い暗い」とつぶやきながら家じゅうの蛍光灯をつけてまわる父親の元に育ち、気がつけば読みさしの本を放り出して電気が煌々とともるなかガーガー眠っていることもめずらしくない人間としては、その「理念」はあまりにも気高く感じられるのだった。

食品偽装問題
2007.10.24|column

まったく、出るわ出るわの食品偽装問題である。

食品業界では、売上アップの「鍵」は集客よりもむしろ原価を極力抑え、かつロスを最小限にとどめることにある、というのは常識である。なので、およそ経営者と呼ばれるひとはみな四六時中そのことばかり考えているものである(!?)。なかには途中で脱線、暴走してゆく経営者もいて、そしてそうした不届き者たちがこういう不祥事を起こす。

じっさい一連の事件をみても、そのやり口が

原価を抑える(ミートホープ、比内地鶏など質の低い原材料でごまかす)
ロスを減らす(赤福、不二家、「白い恋人」など消費期限の改ざん)

と、ふたつのパターンに集約されるのがわかりやすい。コツコツ真面目にやっている身としては、ブランドの上にあぐらをかいてこうした事件を引き起こす連中はまったくもって許し難い。

それにしても、長きにわたって偽装を続けながらクレームはほとんどなかったという牛肉や地鶏の味、無茶な改ざんを繰り返しながらとりたてて問題が表面化してこなかった菓子の消費期限・・・報道に触れれば触れるほど、こうした味や消費期限の意味とか根拠とかというのはいったいなんなんだろう?という気にもなる。食品に対する信頼性もさることながら、じぶんの「舌」やら「胃袋」やらに対する信頼性もどうも怪しくなってきた。

週末営業のごあんない
2007.10.25|info

荻窪での週末営業のごあんないです。なんとか来週までできればとは思っていますが、いよいよ工事も始まるのでいまのところまだはっきりとは分かりません。

今週も土曜日、日曜日とも

 13時から19時まで

メニューは

 ドリンクおよびシナモンロールのみ

となります。なお、コーヒーはぼくがとても気に入っている徳島のaalto coffeeさんのブレンドをご用意しております。ぜひお試しください!

では、今週もみなさまのお越しをのんびりお待ちしております。

サクラカフェ
2007.10.26|cafe

打ち合わせの後、新店のプロジェクトでお世話になっているIさんに清澄白河にあるsacra cafe.(サクラカフェ)へと連れて行っていただいた。

昭和初期くらいのものとおぼしき長屋のような造りの建物を改装し、大きな窓と柔らかな乳白色の壁がいかにもやさしい雰囲気のあたたかな空間。デンマークの王立アカデミーで使われていたという椅子がとても似合ってます(同席した建築家の関本さんが「モーエンセン?」と言ってましたが、さすが!正解ですね)。

ランチはカラダにやさしい有機や減農薬の野菜をたっぷり使ったメニューで、土鍋で炊いたという五穀米(?)もふっくらとしてとてもおいしくすっかり気に入ってしまいました。ロールケーキなど手作りのスイーツも絶品なのだとか・・・またぜひ時間を作ってお邪魔しなければ。ちなみにオーナーさんは、以前荻窪に住んでいらっしゃったとのこと。

いろいろな意味で、個人的にすごく好きなタイプのカフェでした。どうぞ仲良くしてください(笑)。

『坊っちゃん』を読む
2007.10.27|book

『坊っちゃん』を読んだ。

なぜ、いまさら『坊っちゃん』なのか?と問われれば、ただそこに『坊っちゃん』があったから、としか言いようがない。我が家の通称「ブックオフ行き」と呼ばれている紙袋(ただし、いまだかつてそれらが「ブックオフ送り」となった例はいちども、ない)のいちばん上で、カバーをかけられたまま放置されていた文庫本版の『坊っちゃん』をたまたま手にとってしまったのである。

だいたいここのところ、四六時中店のことをかんがえている。というか、店のことしかかんがえていない。で、かんがえているうちどんどん焦ってきて、やがて胃のあたりが痛みだす。そんなわけなので一日のうちに一時間でも二時間でも、映画を観るなり本を読むなり、なにか店のこと以外に意識をそらす時間を無理矢理にでもこしらえないと身がもたない、この先ちょっとヤバいんじゃないかと思ったのである。そう思い立って、とりあえず目についた本を手にとったところそれが『坊っちゃん』だったというわけだ。

あらためて読んだ『坊っちゃん』は、さすが『坊っちゃん』だけあっておもしろい。あっという間に読み終えてしまった。夏目漱石というひとは当時、コンサバというよりはむしろハイカラに属するひとだったと思うのだが、じっさい巷にあふれる「封建主義」のなごりを思いっきりくさしつつ、そのいっぽうでは「清(きよ)」のような「封建時代の遺物」みたいな人物に対し愛情に満ちたまなざしを注いでいる(なぜ名前が「清」なのか、納得した)。おそらく当時の日本の「近代化」は、ハイカラな漱石をもってしてもあまりに性急なものと映ったのだろう。続々と輸入される「ハイカラ」に魅了されながらも、流されてはならんと踏ん張っている、そういう「二律背反」にこの時代の「文化人」たちはみな生きていたのかもしれないし、逆にいえばそういうスタンスこそがこの時代の「文化人」がとるべき態度だったかもしれない。

それはともかく、いったいなぜ我が家に『坊っちゃん』があったのか?まあ、奥さんが買ったからにちがいないのだが。いまさら『坊っちゃん』など読む気になった理由(ワケ)を尋ねてみたい誘惑にかられなくもないが、やめておこう。どうせ「そこに『坊っちゃん』があったから」くらいな理由に決まっている。

カフェ東京
2007.10.28|book

ユンジョンのことは以前書いた。一年間のワーキングホリデーを終え韓国へと帰国したのは今年の一月のこと。東京での日々や人々との出会いがもたらした思い出を、大好きなカフェにからめつついずれ一冊の本にまとめてみたい、そう言い残しての帰国だった。その後、ほんとうに出版が実現しそうなこと、また本ができあがったら直接届けにいきたいことなど聞いてはいたのだが、きょう突然そのユンジョン本人ができあがった本を手に現れたのだからほんとうにビックリした。

じつは、きょう行くと何度かメールで知らせてくれていたらしいのだが、ここのところ携帯にいろいろな親切なメール ── 「バイアグラがとっても安い」というお買い得情報だったり、見知らぬ異性(ごくまれに同性)からの「つきあって欲しい」というモテモテメールだったり ── が日に三十件もやってくるものでさすがに煩わしくなり、「URLつきメールは受け付けない」という設定にしたのがいけなかったらしい。どうやら彼女のメールもサーバーの方で勝手に削除してしまっていたようなのだ。そんなわけで、狐につままれたような気分で記念すべきユンジョンの処女作を手にとった。

『カフェ東京』と題されたその本は、想像していたよりもはるかに立派な本(ぜんぶで二百三十ページあまり)である。ユンジョンが撮ったカラー写真もいい感じだし、イラストもかわいい。おまけにまるまる一章を割いてmoiのことが語れているのだから光栄な話だ。ただし、かえすがえすも残念なのは中身が「読めない」こと。韓国の本がすべてハングルで書かれているのは仕方ない(というか、あたりまえだ)が、なんだかすっごく歯がゆい感じである。

きっと、マスターの温かい人柄や優しい人柄、そして愛すべき人柄について書かれているにちがいない。まあ、そういうことにしておこう。ちなみに、関西エリアのカフェをテーマにした第二弾も予定しているとのこと。こちらも楽しみだ。

着工
2007.10.29|column

いよいよ、と言うよりは、むしろようやくと言うべきか(?)移転先となる吉祥寺の工事が始まりました。まあ、よくぞここまで辿りついたもんだ。

初日からちょっと心配なことがありドキドキだったのですが、なんとか無事クリアしてひと安心。しばらくは、質の異なる「ドキドキ」が波のように寄せては返す日々が続きます。

R・グードのモーツァルト
2007.10.31|music

本当にいいなあと思える演奏と出会ったとき、つくづく音楽について語るなんて意味のないばかげたことだなあと感じる。それでもなお、そうせずにはいられないほどにリチャード・グードが弾いたモーツァルトのピアノ協奏曲はすばらしい。

ぼくはピアノの音色についてまったくといってよいほど自信が、ない。にもかかわらず、グードの弾くピアノの音色がとても独特であることはよくわかる。粒立ちがよく透明感にあふれてはいるけれど、けっして線が細いわけではない。ときに男性的で力強くもあるが、重厚というのとは少しちがっている。軽やかさにしても上滑りするような感じではなく、馬のギャロップのようにしっかり脚が地についている感じだ。とてもリリカルに歌う部分もけっしてその歌に溺れることはしない。粘らないのだ。ことばで追っかけようとすればするほど、その本質は影法師のように逃げてゆく。ことばからもっとも遠いところにグードのピアノは、ある。

音が濁らない、それもグードのピアノのきわだった特徴といえるかもしれない。言い方を変えれば、その演奏はとても明快である。ふつう赤と青、ふたつの色が混じりあうと紫になる。音楽でいえば和音、赤と青は紫色の和音を生む。ところが、グードが弾くと赤は赤、青は青のままふたつの音は持続し両立する。紫にならない(どんどん感覚的で意味不明になってゆくなあ)。ではどうなのかというと、赤と青によって紫色を暗示するのがグードのピアノだ。油絵のようなベタついた色彩はどこにもなく、どこまでも淡くさわやか。

そして、この演奏のもうひとつの聴きどころといえば競演しているオルフェウス室内管弦楽団にある。彼らのサウンドもまた、とても明快だ。すべての音が透けてみえるかのような見通しのよさがあり、リズムも生き生きと弾んでいる。グードのピアノとのかけあいもまさに絶妙というほかなく、全編にわたって音楽するよろこびにあふれている。ピースフルな、かけがえのないモーツァルト。

それにしても、こんなにすばらしいCDがなんと日本では廃盤になったままとはひどい話だ(たまに中古CD屋で千円前後で売られているのをみかける)。レーベルはニューヨークにあるNonesuch、地味ながら隠れた名盤をたくさんリリースしている知る人ぞ知るレコード会社である。ちなみに、以前べつのコラムで紹介したことのある名盤もここからでている。

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