フィンランドのことば【 M 】

aakkoset

Aakkosetとは、フィンランド語でアルファベットのこと。Moiのスタッフがそれぞれ自由に選んだフィンランドのことばから、ささやかな日常の風景をお届けします。

今回のアルファベットは【 M 】です。


Mestari

マスター

こそばゆさ

カフェを閉めてもうずいぶん経つが、いまでもときどき「マスター」と呼ばれることがある。たいがいそんなふうに呼ぶのは、カフェ時代からぼくのことを知っている人たちである。

たとえば、毎週日曜の朝にClubhouseの配信でご一緒しているみほこさんもそんな一人。みほこさんとのお付き合いもかれこれ20年になるが、その大半の時間「マスター」と「お客様」という間柄であったことを思えば、いまなお自然とそんなふうに呼びかけてしまうのも無理のない話だろう。独身時代からずっと知り合いだった女性に対して、結婚後もつい旧姓で呼びかけてしまうのと同じだ。

とはいえ、呼ばれるこちらとしては若干こそばゆい感覚があるのもまた事実。もはやマスターとしての職務を果たしていないのに、いまだそんなふうに呼んでいただき「恐縮です!」といった感じ。ぼくのことをあまりよく知らない人からしたら、なんでこの人は「マスター」と呼ばれているのだろう? カンフーでもやっているのだろうか? と訝しく思っているかもしれない。一応断っておく。カンフーはやっていません。

先生にせよマスターにせよ、世間でそう呼ばれるのは、その職能が社会や組織の中である一定の役割をわかりやすいかたちで担っているからにほかならない。たとえばそれは医者であったり、教師であったり、警察官や船長であったり。カフェの「マスター」の場合、お客様に対して技術を提供し対価を得る職人という立場でのことだろう。

つまり、マスターは技術を提供する相手あってこその「マスター」なのである。それゆえ、いまも「マスター」と呼ばれると少しばかりこそばゆい。引退した船長なら、あご髭をさすりながらパイプのひとつもくゆらせれば元船長らしい威厳を保つこともできるだろう。では、カフェの元マスターはどうすればよいのか? 胸に大きく「MESTARI」とプリントされたTシャツでも着れば、あるいは元マスターらしく堂々としていられるかもしれない。

追記:フィンランド語の「Mestari」は「職人」「チャンピオン」「エキスパート」といった意味で使われます。カフェの「主人」という意味では、通常「isäntä」という語が用いられるのが一般的です。

text : iwama


meri

Meri

ひとりの海で

祖母の古い家は縁側から海が見えました。畑と2車線の道をはさんですぐ。もちろん一日中、波の音が聞こえてきます。幼い頃から「海に行ってくる」といって、夏の間ずっと海をみていました。泳ぐでもなく、釣りをするでもなく、なにをするでもなく、ただ海を。ご飯の時間になると誰かが呼びにきます。いつの間にか何時間もたっていたりして。

ところで、水平線までどのくらいの距離があるか知っていますか? 波打ち際に立ってみた場合、その距離は5kmもありません。それでもじっとみつめていると、遥かかなた、空を飛び越えて宇宙の果てまで眺めているような気分になってきます。いつのまにかなにをみているのかわからなくなるような感覚、世界が遠ざかって自分という存在だけになり、想像が視覚を超えていくような。

はっ! いけません。戻って来られなくなりそうです。

潮の満ち干き、どうして波が起こるのか、海の色の変化、暮らしている生き物たち、水平線の向こうの姿、本当の大きさ ── 海についてくわしいことはなにも知らないけれど、とにかく海をみているのが好きです。何キロも続く海岸線の堤防の上を歩いていると、夜の月がずっと追いかけてくるように、水平線も自分の歩く速度に合わせてついてくるみたいで、どこか安心感をおぼえます。

とはいえ、波が高くなってくるとわくわくすると同時に怖いなと思うこともあります。ムーミンの作者トーベ・ヤンソンも、荒れる海に恐怖を感じながらも島で暮らすことを楽しんでいたようです。それは、全くもって自分の力が及びもしない海という大きな自然に憧れていたのかもしれません。海の中にぽつんと浮かぶ孤島で名前もないただのひとりの人間に戻れたからかもしれません。

きっと海では誰もがひとりに戻れます。

text : harada

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